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煮え切らない透明度
しおりを挟むその日の仕事は、思っていたよりもずっと捗った。
新規で契約も取れたし、鵜之内科の院長にもめずらしく嫌味を言われることなく、新商品のカタログを受け取ってもらえた。
鵜之内科を出れば、まだ17時。規定就業時間内に仕事が終われたというのに、今日に限って一人で家にいたくない。
会社に戻って新商品の勉強でもしようかと駅に向かえば、車道に停まっているうちの社用車を見つけた。
窓が限界まで開けば、中から人の上半身がぬっと出てきた。
(あ。逃げたい。)
そして私に向かって大きく手を振る、ヤバそうなスーツの男。
「コラ逃げるななあるせえぇええ!!!」
野口さんが恥ずかしげもなく怒号を響かせる。
道行く人が訝しげに野口さんと私の方を交互に見る。もうたまらなく恥ずかしくて仕方がない。
まだ私、逃げてませんけど?
オフィスへの帰り道、なぜか私は西條さんが運転する社用車に乗せられていた。後部座席の隣にはなぜか野口さんがいる。
助手席に座れ。
「成世、今日新規契約取れたんだって?」
「は?…なんで知ってるんです?」
「課長に連絡入れたろ?課長から聞いたし。」
「……はあ。というかなんでここにいるんです?どっかからの帰りですか?」
「まあ、そんなとこかなあ。」
にこやかな笑みで野口さんに話しかけれる。もう不安しかない。
「そういえば成世、お腹減ってない?」
野口さんのポケットから取り出される何かに怯えて、私は野口さんから距離を取る。
でも野口さんが手にするのは、ビスコだった。“おいしくてつよくなる”でおなじみのビスコだ。
「ほら、新規契約おめでとうのビスコ。あげる♡」
「こっわ。(ありがとうございます。)」
「声と心の声が、きっと逆。」
そっと渡されたビスコを受け取る。いつも車内はうるさいはずなのに。ラジオがつけられているものの、西條さんも野口さんも静かだ。
ふと窓の外を見れば、大型スーパーの立体駐車場に車が入っていく。いやだ、怖い怖い本当に怖い。
「あの、なんで会社に戻らないんですか?」
「成世、ちょっと黙って。」
「は、はい??」
西條さんに低い声で言い放たれて、怖さが倍増する。西條さんの声がやたらイケボだ。
立駐をどんどん上っていく社用車。なんで私、大型スーパーに来てるの?
気付けば屋上まで来ていて、西條さんがちょうど陽のあたる位置に車を停める。屋上に停まっている車は少ない。
「ほら、着いたよ。」
「ここけっこう穴場でさ。平日は屋上にあんま車停まってないから、サボりやすいんだよねー。」
西條さんと野口さんが降りていき、外から窓越しに“来いよ”と私を促す。
何を考えているのか分からない。普段と違う2人の様子にビクビクしながらも車を降りた。
車を後ろ向きに駐車したせいか、気付かなかった。
車を降りれば、街の景色が広がっている。
「まだ夕焼けには早かったな。」
「でも今日晴れてるし、いい景色じゃない?」
大型スーパーの屋上から見える景色は、遠くの山の方まで一望できる。まだ沈む気配のない太陽が私達を眩しく照らす。
「成世、たまには俺らを頼れよ?」
「え?」
「お前を虐めていいのは俺等だけなんだって。」
いや、人を虐めちゃ駄目でしょう。
具体的に私が何を頼って、この人たち以外に誰が私を虐めてはいけないのかを言わない2人。
野口さんに手首を引かれて、2人の間に挟まれる。野口さんに腕を組まれて、西條さんには肩を組まれた。
「気持ち悪。」
思ったことをそのまま口にすれば、嫌味たらしく西條さんが口角を上げる。
「まあな。でもいざって時はけっこう頼りになるぜ俺等。」
「そそ。嫌なことあったら遠慮なく言えっての。」
2人にそれぞれ頭を撫でられて。うっかり涙が出そうになった。
こんな時だけ兄貴ヅラするなんて……狡い……。
きっと2人は、この間の七三倉とコキンちゃんの様子を見て、勝手に2人ができていると思っているのだろう。それで勝手に私が振られたのだと思って、彼らなりに私を慰めようとしてくれている。
“振られた”というのは、あながち間違いではない。
(もしや朝の七三倉との修羅場を見られてたのかな……。)
この私がこの2人を前にして泣くわけがない。うっかり出そうになった涙は大きく呑み込んだ。
でも。たまには頼ってみろという言葉には甘えてみることにした。
「ありがとう、ございます。」
西條さんの肩に頭を乗せて、野口さんとは何気なく手を繋いだ。
風がそよぐ屋上からの景色は忙しない日常的なものでありながらも、私達3人が寄り添いながら見る景色は非日常の風景だ。
「成世、おばあちゃんちの匂いする。」
「成世の手がやたら大きい。」
「西條さんの香水ちょっと臭すぎるし、野口さんの手が小さいだけだと思います。」
「そういやこの間、キャバで成世に雰囲気似た子がいたんだけど、」
「気のせいだと思います。」
やっぱり、私は恋をすべきじゃないんだ。
こうして嫌味ばかりを言ってくる先輩たちと肩を並べて仕事に生きる方が性に合っている。
◆◆◆
私達は付き合ってもいない、そんな言葉も交わしていない。
七三倉は、ただ処女を卒業させてほしいという私に興味を持っただけで。私は七三倉の優しさに幻想を抱いていただけ。
ただ身体を重ねてしまった過ちを冒してしまったというだけなのだ。
だから今みたいな背中合わせの出来事にも動じてはいけない。
「七三倉さあん。カクテルばっかじゃ酔えなくないですかあ?」
「ワインとかせめてハイボールとか飲みません?」
1課から3課の合同飲み会。女性社員たちに挟まれる七三倉は、最近さらに色気が増した。
ホス業がバレるといけないからと、丸メガネでカモフラージュをしている癖に。地味さがまるで感じられない。
色気がだだ漏れの七三倉は、当然モテていた。
「いや俺はカルーアショコラでいいですし、」
「もうなにその女子みたいなドリンク~。ウケるんだけど!」
お座敷で、なぜか真後ろに七三倉がいるという緊張感。私が平手打ちをしてから早くも2週間が経とうとしている。
あれから何も七三倉とは話をしていない。お互いがお互いを避けるように、ラインの時間も止まったまま。仕事の話すら人伝だ。
「成世ちゃんてお酒強いよねぇ!いっつもビールずっーと飲んでるのに顔色一つ変わんないし。」
「いえマリア先輩こそ。ビールピッチャー頼んでほぼ1人で飲み干してもほとんど酔わないですよね?」
隣に座るマリア先輩。この人がいれば当然火の粉があちこちに飛ぶのが目に見えている。
「そう?でも私っていっつも酔ってるみたいって言われるし!あ、七三倉くんたちはピッチャーいる?」
マリア先輩が振り返って、後ろの七三倉たちのテーブルを見る。
「ああー、こっちは足りてるんで大丈夫っすよ。」
「オッケ~!野口くうん!ビールピッチャー頼んでー!ちょっとぉ!聞ーてんの野口ぃ!!」
アルコール摂取によりサイコマリアが突発しそうな時間帯。野口さんがガン無視している。
足を崩そうと体勢を変えれば、たまたま同じように体勢を変える七三倉と手がぶつかった。
「あ、わり、」
「ごめん。」
手の大きさに、つい思い出してしまう。
七三倉の手に抱かれたのだという記憶は、しばらく引きずることになるのだろうか。
顔が熱くなる。七三倉がまだ後ろでよかった。前にいたら、きっと私に未練が残っていることがバレてしまう。
「マリア先輩~!課長が呼んでますよー!」
西條さんがマリア先輩を呼びに来て、マリア先輩がよろけながら奥のテーブルへと移動する。
私の両隣が空けば、西條さんと野口さんが両側に座りに来た。
「ちょっと聞いてよ成世~。」
「どうしたんですか?」
「もう彼女と半年も会ってなくてさあ~、俺寂しくて死ぬかもしんないわー。」
彼女さんと遠恋中だという西條さん。実は彼女さんがけっこうな遊び人だという事実が発覚したのはまだ最近のことだ。
「連絡はどれくらいの頻度で取ってるんです?」
「んー。一週間に1度電話する感じかなあ。」
「もう付き合って長いんですもんね。」
「14歳からだから、15年??」
「西條さんって意外と一途ですよね。」
西條さんが私に恋愛相談をしてくるのは珍しい。いつもはくだらない風俗品評会を聞かされるというのに。
「でも俺さー、今の彼女としか付き合ったことないから他の女性を知らないんだよねえ。身体の関係はあっても、他の付き合い方っていうの?」
「さらっとクズ発言ですね。」
「そろそろ他の人に乗り換えよっかな~」
「乗り換えるってスマホじゃないんだから。」
「成世ぇー、俺と付き合わない?」
「ミ"?」
あ。喉の奥から不思議な音が出た。
いつも嫌味しか言ってこない西條洋二が何事だろうか。
「ちょっと。今私、ビール吹きそうになりましたよ?」
「いやマジでさ。もう今月入って彼女と1回も連絡取ってないし。正直付き合ってるかもわかんないんだよね。」
「だ、だからって。というか西條さんにはもっと素敵な女性がいるでしょう!」
「でも成世ってマメじゃん?機械的だけど料理上手いし掃除好きだし。結婚には一番向いてそうじゃん?」
「さ、さいじょうさ。ちょっと外で頭冷やしてきたらどうです?」
畳に手をついて、身を寄せてきた西條さんが、私の耳元で耳打ちをした。
「え?なに?俺を誘ってる?」
成世は思わず耳を抑える。頭を抱える。いつもなら気持ち悪いとしか思わないのに。今日の西條さんはやたらアグレッシブでつい翻弄されそうになる。
「耳真っ赤。成世もかわいいとこあんじゃん。」
西條さんが指で耳を触ろうとしてくるので、反射的に避けようとした時だった。
「わっ!七三倉くん大丈夫?!」
「すんません。枝豆取ろうとしたらグラス倒しちゃって。」
「早く拭くもの!店員さーん!」
後ろのテーブルで七三倉がドリンクを零したらしい。
私もおしぼりをそっと後ろのテーブルに置けば、七三倉と目が合ってしまった。
すぐに目を伏せるも、七三倉の白いシャツにはべっとりとカルーアショコラらしき色が染み込んでいる。
「これ、台所用洗剤を水に薄めて揉み洗いしないと取れないかもよ?最後に漂白すればなんとか残らないかも。」
「ちゃんとシミを取れって言いたいの?」
「え?」
「これ、成世サンがくれたシャツなんだけど。」
ああ、ほんとだ。前に私がネット注文して買ったシャツだ。
そんなことにも気付けず。お節介なことを言ってしまったとすぐに退いた。
「じゃあ、捨てていいよそれ。」
「ん、おK。」
なんだその軽い返事っ。
そう思いつつも、すぐに悲しくなった。
磨白さんに貰ったシャツやベルトのように、ハサミで切られてしまうのだろうか。いや、きっとそんな面倒なこともせず、丸めてゴミ箱に捨てられるのだろう。
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