謀殺された悪役令嬢は、前世の護衛騎士の幸せを見届けたい

うづき

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6-6.床の補修と本集め

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「私は本を読んでいただけです。集会は何かしらの目的があって行われるものでは?」
「――とにかく、今日はもうやめてもらおうか」

 ぐ、と男性の手が伸びてくる。そうして、ネリーの手元から本を奪おうとした。慌ててネリーは本を閉じ、そうして両手で抱きしめる。
 不意に、呼吸が浅くなっているのが自分でもわかった。相手に気圧されているから――ではない。

 ただ、そう。目の前の人が。この、ネリーの朗読を止めようとする男が。
 ――前世、ロゼの時に、服毒するように示唆してきた、騎士の面影を宿していたから。
 視線を合わせると同時に、一瞬、その時のことが脳裏に過る。それは走馬灯のようで、――けれど、ネリーの感情を焼き切るような、そんな鮮烈さを秘めていた。

 石を口にして、毒を含み――そうして、苦しんだ。それも、長い間。
 ロゼ様、と呼ぶ声が聞こえた。ロゼ様、ロゼ様、死なないでください。お願いです。俺の――俺の命ならいくらでも捧げます、神様、ロゼ様を俺から奪わないでください。
 必死にロゼを呼ぶ声が聞こえる。その耳に、――不意に、誰かの足音が聞こえた。
 お前のせいだ、と、囁く声が、耳朶を打った。

 悪夢から不意に目覚めるように、ネリーの視界に現実が映る。ネリーは小さく息を零した。本を持つ指が震える。前世のことは前世、と割り切っていたというのに、自分の死の場面に居た人と顔を合わせるだけで、こんな風に――恐怖で体が動かなくなるだなんて、思いもよらなかった。

 表情が青白くなったネリーを、心配そうにシェンナが見つめる。そうして、「お姉ちゃん?」と静かに声をかけてきた。
 瞬間、弾かれたように荒く呼吸をし、ネリーは首を振る。大丈夫、と囁く声は、シェンナの耳に届いたかはわからない。

 平常とは言えない状態を晒しているからか、普段はネリー達の様子を遠巻きに見守っている大人達が、心配そうに近づいてきた。
 ネリーちゃん? 大丈夫? どうしたの? 漣のように響く声に、ネリーはひたすら大丈夫、と答える。ただ、そう答える姿が一切大丈夫と見て取れないのは、なんとなく想像が出来た。

 今のネリーは、大人にキツく叱られて、震える子ども、そのものに見えるだろう。
 とにかく、荒く動く鼓動をどうにかしなければならない。深呼吸をしようとして、所々息が詰まる。どうしよう、苦しい、――怖い。
 恐怖が爪先から這い上ってくる。ネリーはぎゅうっと眉根を寄せた。
 ――瞬間、ふわり、と懐かしい匂いが漂ってきて、ネリーは小さく息を詰めた。

「失礼。――大丈夫か?」

 柔らかな声が響く。ネリーは必死に閉じていた目を開けて、声のする方を見た。

「セレスト……」

 名前を呼ぶ声が、僅かに震える。セレストは人々の輪を割って、ネリーの傍に近づいてきた。そうして、ネリーの後ろに立つ男性へ目を向ける。

「貴殿の職務は子どもを脅かすというものなのか?」
「――青の騎士様」

 男性が声を上げる。セレストはネリーの体を抱き上げた。懐かしい匂いに、少しだけ安心して、ネリーはほっと息を吐く。じわじわと忍び寄っていた恐怖が、セレストによって少しずつ解けるように消えていく気がした。

「この朗読会は第二王子の許可を得て行っている。疑問に思うのであれば、貴殿から問い合わせれば良い。出来るものなら」
「――魔女の手先が……」

 男性がにわかに苛立ったように言葉を続ける。魔女の手先。――それは、考えるまでもない。
 多分、この場における、とてつもない蔑称に当たる言葉だろう。だが、セレストは僅かに眉をひそめてみせると、静かに言葉を返す。

「俺の仕える方はただ一人だ。これまでも、これからも」

 言うなり、セレストはネリーの背中を軽く叩きながら、「失礼する」とだけ言うと、この場から踵を返した。追いかけてくる人々は居ない。
 あのままだったら、どうなっていただろう。わからない。

 セレストの肩をぎゅうっと握る。じんわりと伝わってくる熱が、ゆっくりと凍り付いた心を解くように伝播していく。
 ああ、とネリーは思う。セレストだ。――セレストが、傍に居る。

 セレストは広場から少し歩いた場所で、ネリーを下ろした。救民院まで行くのかと思っていたが、今日はそうでもないらしい。
 人通りの少ない路地裏で、セレストは膝を突いてネリーと視線を合わせる。
 同じように、ネリーはセレストを見つめ、そうしてから不意に、先ほどセレストのことを名前で呼んでしまったことを思い出した。

 セレストは、名前を呼ばれたくないと言っていたのに。慌てて謝罪をすると、セレストはネリーと視線を合わせたまま、軽く小首を傾げた。

「どうして謝るんだ? それよりも、助けに入るのが遅れてすまなかった。怖かっただろう」
「いえ、あの、な、名前――っ」

 違う話題にいきそうになるのを慌てて修正しながら、ネリーは首を振る。セレストは瞬いて、それからふと思い至ったように、ああ、と静かに続ける。
 そうしてから、何も言わず、ネリーの頭をするりと撫でた。ふわふわの尻尾が、不意にネリーの足下を擽る。唐突な行動に、ネリーは小さく笑った。

「えっ、何? 何ですか?」
「怖かっただろうから。――君は俺の耳と尻尾をよく見ているだろう?」

 すり、とネリーを擽るように尻尾が動く。ネリーは今度こそ軽く声を上げて笑った。ふわふわの尻尾が、ぼふ、と顔面を軽く叩いて、そうして悪戯するように離れる。
 セレストの気分で動く尻尾だ。それが今、ネリーを楽しませようと動いている。

 ふわふわの毛並みのそれが不意にネリーの目の前で止まった。セレストを見つめてから、ネリーは手の平で柔らかな尻尾に触れる。毛並みの流れに逆らわないように指先で撫でるようにすると、なんだか心の中のざらつきが、一瞬で消えていくような心地を覚えた。

 セレストの尻尾。沢山、沢山、触ってきた。

「――ふわふわだ……」

 セレストは何も言わない。だから、ネリーはそのまま、柔らかい尻尾を堪能するように指先を動かす。
 不意にほろ、と涙が出てきた。ネリーはそれを手の平で拭う。
 ――怖かった。けれど、今は、そうではない。

「……ふわふわ……」

 ありがとうございます、とネリーは囁く。
 それに答えるように、セレストの耳が一度だけ軽く動いた。
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