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癒術士試験

47.一か月

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 ふわふわとまどろみのような中に居ることを理解したとき、夢を見ているのだな、と思った。
 周囲の風景が水彩で描いたように淡く滲んでいる。少しでも触れてしまえば、とろりと溶けてしまいそうなそこに、私は一人で居た。柔らかく形を変える地面に体を預けていると、不意に、「やあ」と変声期少し前、というような声が耳朶を打つ。

 声のした方向へゆっくりと視線を向ける。亜麻色の瞳、亜麻色の髪。まるで女性とも男性とも取れないような、そんな中性的な顔つきをした――フィルギャが、私の傍に立っている。彼は目線が合うと、嬉しそうに目を細めて、「おはよう」と言葉を続けた。

「そろそろ起きたら?」
「そろそろ起きたら、って、急に何?」
「いやあ、君、ここのところずーっと夢の中に居るだろう?」

 フィルギャが困った、とでも言うような素振りで肩をすくめて見せる。

「ほら。僕からの贈り物も受け取ってもらいたいし、何より、あのきょうだいがずーっとうるさいし、前に君が助けた亜麻色の子、覚えているかい? あの子にも君のことを話したら少し心配していたから、ちょっと見に来たんだ」
「どういうこと?」

 きょうだいがずっとうるさい――というのは、恐らくリュジとカイネのことだろうけれど。二人とも穏やかな性格をしているし、私が眠っている間に一体何があったのだろうか。体感的にまだ数時間程度しか休憩を取っていないと思うのだけど。そもそも馬車で眠りについているのだから、降りる時に御者兼護衛の騎士が声をかけてくれるだろうから、そろそろ起きたら? も何も、無いような気がする。

「どういうことって。君、あんまり疲れちゃったようで、一ヶ月寝っぱなしだからね」
「――え?」
「今のところまだ大事にはなっていないみたいだけど。あの弟の方が、絶対帝城に行った時に何かがあったんだ、って。あの子、今回のことで帝国の星の子のこと、嫌いになっちゃったみたいだね。家族に甘くて、それ以外に厳しい判決を下し気味だ」
「待って」

 このままぼろぼろと喋り続けそうなフィルギャに慌てて制止をかける。途端、フィルギャはぴたりと口を閉ざした。それから「どうしたの?」と首を傾げてみせる。
 どうした、って――。

「い、一ヶ月? 寝てたの?」
「そうだね。それはもう、昏々と。聖女に比べると魔法量が少ないとはいえ、こんなに眠るもんなんだなあって思ったよ」
「う、嘘でしょ? だって私何度か練習をしたよ。それで問題無いから癒術士試験を受けたんだけど」
「そんなの、死んで一週間かそこらへん、長くて一ヶ月くらいしか経っていない花でしか練習していないでしょ。エトル神に捧げられ、それの一部としてずっと残ってきた花だよ。練習するなら百年単位で死んでから経ってるものじゃないと」

 口を噤む。言うことは尤もだった。仕入れた花は、確かに枯れてから少しくらい経ったものばかりだった。というか、枯れてからある程度経ったものは、人に踏みしめられるなり、肥料になるなりして、残っていることが少ない。その中でも一応、出来る限り長いものを見つけたりするようにはしたのだけれど。

「まあ、あの花は加護が残っていたから、今日まで残っていたんだけれど。奇跡的だよね。とっても綺麗だったよ、エトルに捧げられた花。久しぶりに見た。だから少し機嫌が良くてね。それもあって君を起こしてあげようと思ったんだけど」
「も――もっと、早く起こしてくれたら良かったのに」
「自分で起きてよ。自分で眠ったんだから」
「それはそうなんだけど……。もし次があったらすぐに起こしに来てください」
「もし――そうだね。わかった。君が言うなら。でも、聖女も、沢山の人を癒した後は『疲れた』といって眠っていたよ」

 フィルギャは軽く肩をすくめて続ける。

「どうして癒術に魔力が関係するのか。それは魔力が生命力に直結しているからだ。疲れた、なら、疲れた分寝るべきじゃない? まあ、君は寝過ぎだけど」

 そう思っているなら、もっと早くに起こして欲しい――と考えて、議論が堂々巡りしていると私は首を振った。とにかく、今、起こしに来てくれたわけだし、それに関しては感謝を述べるべきだろう。

「……その、ありがとう。起こしに来てくれて」
「どういたしまして。起きたら僕からの贈り物をきちんと食べてよ。そろそろ腐ると思うから」

 ……もしかして、本気で、贈り物が傷むからそれより前に起こして受け取って食べてもらおうと思って、来たのだろうか。ほ、本気で? と思うが、精霊の思考回路は人間とはまた少し違うと神話でも語られているし、そういうものなのかもしれない。
 フィルギャは小さく頷く。そうしてから、ああ、ほら、来たみたいだよ、と言葉を続けた。瞬間、不意に視界がぐにゃりと歪んで、フィルギャの姿が見えなくなる。

「フィルギャ……!?」
「大丈夫。起きるだけだ。――おはよう、花の癒術士」

 囁くような声が耳朶を打つ。それがふっ、とかき消えて――意識が、現実に戻ってくる。
 瞼を光が差す。眩しい。カーテンが開け放たれているのか、さわさわと風で布地の擦れる音がする。私は必死に意識して額に力を入れて、ゆっくりと目を開いた。
 視界が歪んでいる。何度か瞬きを繰り返す内に、部屋の家具が明瞭に線を結んで――って。

「……花……?」

 喉がく、と一瞬だけ引き連れて、零した声が僅かに掠れる。花と、あと、本、それにおもちゃの類い。それらで周囲が埋め尽くされていた。美しい魔法石がサイドテーブルに散らばっている。体を動かそうとして、誰かに手を繋がれていることにその時気付く。固まっていたかのようにぎしぎしと痛む体をゆっくりと動かして、私はベッドの縁、手を繋いだ先を見つめた。
 黒い頭と、白銀の頭が、くっついてそこにある。――リュジと、カイネだ。私の手を二人で握るようにして眠りについている。

 これは、――多分、いや、多分ではなく、心配をかけただろうな、と思う。
 寄り添って眠る二人の頭に、もう片方の手を伸ばす。黒い髪、右回りのつむじ。リュジのつむじってこんな形してたんだなあ、なんてぼんやりと思いながらそっと頭に触れると、――瞬間、弾かれたようにリュジの体がびくりと震えた。シーツを一枚羽織るように眠っていた彼は、瞼を軽く震わせて、そのまま目覚める。赤色の瞳が「……メル?」と私の名前を呼んで、私を探すように動いて――視線が絡んだ。

「おはよう」

 小さな声で、囁くように言葉を続ける。リュジは目を見開いて私を見て、それから不意に手に力を込めてきた。は、と静かな声が耳朶を打ち、彼は小さく首を振る。

「お、起きてる……?」
「起きてる。リュジ、ごめん、心配かけ――」

 て。次の言葉を吐き出す前に、リュジが私に抱きついてきて、喉が詰まる。はずみでカイネも目を覚ましたらしく、「……リュジ? ――メル?」と慌てたように声を上げるのが聞こえた。
 リュジの肩越しに、立ち上がったカイネと目が合う。カイネは青色の瞳は軽く瞬かせると、一拍を置いて、その眦からほろ、と涙を零し始めた。美しい宝石が、砕かれて欠片を零れ落とすように、カイネの美しい瞳を砕くような、そんな美しい涙がぽろぽろと頬を伝って落ちていくのが見える。

「メル。――メル、良かった。兄様は……兄様は、本当に……」

 言葉が上手く出ないのだろう。カイネは僅かに声を引きつらせて、それから慌てたように眦を拭った。そうして、微笑むように「おかえり、――おはよう、メル」と続ける。

「ただいま、兄様」
「……メル、本当、……本当に、良かった。今は……、メルの癒術士試験から一ヶ月が経っていて。そう、この前、癒術士任命の勲章が届いたよ。後で見せてあげるね。花蜂の蜜はきちんと取ってあるから、後で沢山食べよう。それと癒術士に受かったお祝いが他の家から届いて――」

 う、と喉を絞るような声を上げて、カイネは首を振った。それ以上の言葉が続かない、とでも言うようにして、彼は眦を赤く腫れさせながら、リュジと私を一緒くたにするようにして抱きしめてくる。
 リュジはずっと、何も、言わない。ただ、ひたすらにその指が、私の体を抱きしめてくる。まるでそうしていないと、手からこぼれ落ちてしまうとでも言うようだった。そうして、強く強く私を抱きしめた後、リュジは私と至近距離で目を合わせた。睫毛のぶつかるような音すら聞こえてきそうな、そんな距離で、彼は私をひたすらに見つめてくる。

「馬鹿。馬鹿、寝過ぎ。寝過ぎなんだよ、一ヶ月って、どれだけ眠るつもりなんだ、冬眠する魔物だってそんなに寝ない!」
「ご、ごめん、リュジ」
「――っ」

 リュジは小さく首を振る。そうしてから、私の言葉に肯定も否定もせず、もう一度抱きしめてきた。

「メルの大丈夫、は、もう絶対に信じないからな」
「ええっ」
「大丈夫って言いながら全然大丈夫じゃないことばっかりして!」

 相当怒っているようである。

「大丈夫じゃないなら、大丈夫じゃないって、きちんと言え!」
「ご、ごめんってば……」
「絶対に許さない」

 リュジは続ける。彼は声を震わせて、もう一度、「……許さないからな」と、囁くように言葉を口にした。
 それがまるで、縋るような響きを持っていて、私は小さく息を吐く。そうしてから、リュジの背に手を回した。リュジは一瞬だけびくりとして、それからすぐに体を弛緩させて、私の肩に頭を乗せる。
 広がるじんわりとした熱に気付かないふりをして、私はリュジとカイネを、ずっと抱きしめていた。
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