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枯渇する泉

51.南部の泉

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 癒術士としての資格を得て、少し経った頃、私は陛下に呼び出された。
 嫌な顔をするリュジをなだめてから、馬車に乗り、騎士を連れて帝都に向かう。帝都はいつ来ても活気に満ちていて、街中にはいつも沢山の人々が居る。ミュートス領も栄えているといえば栄えているのだが、やはり帝都に比べると、国境近くにあるということもあって、町の人より傭兵や騎士の姿をよく見かける気がする。

 帝城へ向かい、謁見の間へ向かう。護衛の兵士に中へ通されてから、私はカーテシーで陛下に挨拶をする。

「カタラ伯爵を代表してご挨拶申し上げます。メル・カタラです」
「堅苦しい挨拶は良い。顔を上げよ」

 陛下の言葉に、失礼にならない速度で顔を上げる。カーテシーの姿からゆっくりと体を正すと、目の前の玉座に座る陛下、そしてその傍に凜として立つ殿下の姿が目に入った。
 殿下は私に視線を向けると、軽く手を振るようにしてにこやかに笑みを浮かべた。

「カタラ伯爵、お前は南部にある泉を知っているか?」
「泉――ですか?」
「そうだ」

 陛下は鷹揚に頷く。イストリア帝国、南部の泉。その言葉が指し示す所は、一つしか無い。
 王都の森、西部の谷、東部の丘、南部の泉。それらは、イストリア帝国建国時から今に至るまで、精霊が息づく場所として、示される。と言っても、王都の森は狩猟祭からずっと進入禁止令が敷かれていることや、魔物が現れたことから考えても、あそこにはもう精霊は住んでいないのだろうが。

 私は陛下の言葉に「はい、存じています」と答える。陛下は微かに瞬くと、「そこで問題が発生した」と、ゆっくりと言葉を続ける。

「帝都の使者として、癒術士であるカタラ伯爵、帝都騎士団と共に現地へ赴き、その状態を解明せよ。出立は三日後、それまでに支度を調えよ」

 断定口調。命令、なのだろう。癒術士としての資格を得て、かつ、伯爵としてイストリア帝国に名を連ねている以上、断るわけにもいかない。私は「承知いたしました」と言葉を続ける。陛下がもったいぶったようにゆっくりと頷き、「――騎士団にはエリオスも居る。癒術士としての精を果たせよ」と続けた。
 殿下も来るのか。思わず視線を向けると、殿下が小さく頷く。そうしてから、「まあ、難しい問題ではあるんだけれど、調査しに行くだけだから。あんまり固くならずにね」と言葉を軽い調子で続ける。

「――はい、わかりました。癒術士としての責務を果たすべく、努力いたします」
「よい。下がれ」

 会釈を一つ、しっかりと行ってから、私は謁見の間を後にする。――今まで、命を受けたユリウスに連れたって、行ったことの無い場所へ赴くことは何度かあったが、一人で行くことになるのは初めてだ。ちょっとだけ不安が過る。私はそれを振り払うように首を振り、それからゆっくりと呼吸しながら、そっと階段を降りていった。

 南部の泉の、異変。なんとなく知っている。『星のの』の設定資料集に書かれていた、本編時までの帝国の歴史年表、そこにちらっと記載されていた、『南部の泉が枯れる』。それから少しして、『北部の国境防衛戦でカイネが死亡』。そこから帝国にはいくつかの困難が訪れることになる。
 ゲームの本編に――近くなってきた。

 この世界、私がメル・カタラとして目覚めてから、数年。出来ることはやってきたつもりだ。だが、それでも焦燥感めいたものは消えない。癒術士として実力を少しずつ付けてきたはずだし、人並みに魔法を使うことだって出来る。カイネの死亡の遠因となりそうな、カイネを崇める母親も改心したようだし、後は――後は。
 陛下が、ミュートス教と呼ばれるほどに、カイネが人気を集めていることを、どう思うかにかかってくるのではないだろうか。

 精霊のフィルギャは戦を起こせば私の大事な人が全員死ぬ、と言っていた。
 精霊は人の関与の外にある。それもあって、恐らく、言っていることは本当だと思って良いだろう。
 と言っても、国境防衛戦を止める手はずが、一切思いつかない。ユリウスは他国がイストリア帝国の肥沃な土地を欲しがっているのだと言っていたが、もしそうだとしたら私に出来ることなんてあるのだろうか。

 待たせていた騎士に挨拶し、馬車に乗り込む。次第に、揺れながら街路を行き始める馬車の中で、私は小さく息を吐く。
 カイネが――カイネさえ死ななければ。リュジは闇落ちしない。
 もし。――もしも、どうしても、国境防衛戦が起こってしまい、そこにカイネが徴兵されたら、私はそれに着いていこう。

 聖女の御業を、使える私なら、カイネがもし死んだとしても――生き返らせることが出来るだろう。
 その場合、きっと私は死ぬか、長い間眠ることになるだろうが、それでも二人が生きていることのほうが、重要だろう。

 ――メルとしての私も、カイネとリュジを大切に思う心は強い。二人の未来のために、一人が犠牲になって済むのなら、それってきっと、良いこと、だ。
 もちろん、戦を止めるのが一番だけれど――。
 小さく息を吐く。細く、緊張したものになった。

 無意識に、指先が震える。拳に力を込めて、私はもう一度、呼吸を繰り返した。

 これからのことを考えている内に、ミュートス家に到着する。
 馬車から降りて、屋敷に入ると、ふわり、と良い匂いがどこからか漂ってきた。どうやら食堂では食事を作っている真っ最中のようである。もう少しもすれば、夕飯の時刻になる。良い匂いに反応して、くう、とお腹が軽く鳴った。慌てて腹部を押さえると同時に、「メル」とささやかな呼び声がかかる。

 上から落ちてきたそれに応じるように視線を動かすと、ちょうど階段の踊り場の所にカイネが立っていた。彼は美しい銀色の長髪に軽く風を孕ませながら、柔らかな絨毯の敷かれた階段を一歩一歩、ゆっくりと降りてくる。

「おかえり。今日は帝都はどうだった?」
「ただいま。帝都は……なんだろう、今度、南部に行くのに着いていけって言われたよ」
「南部に? 偶然だね、兄様も今度南部に行くんだよ」

 カイネが声を弾ませる。「もしかして一緒かな?」と、彼は微笑みながら続けた。

「そうかも、しれないね。南部の泉の調査なんだけど……」
「ああ、うん。一緒だよ。泉が枯れた原因を調査するんでしょう? 周辺が魔物の縄張りになってしまっているのだとか。――大丈夫だよ、メル。兄様が守ってあげるからね」

 カイネが軽く腰を折り、私と目線を合わせる。ここ数ヶ月で、カイネの名は帝国内に轟くように有名になっている。実力と礼節がしっかりと合わさっている上に、星の子である。帝国の各地に向かう任務が増えてからは、地方でもカイネの名を知らないものは居なくなった。

「うん。でも、兄様、私実は結構魔法上手になったんだよ。兄様のこと、むしろ守ってあげるからね!」
「――メルはいつもそう言うね。私のことを守る、なんて言う人、メル以外に居ないよ」

 カイネは小さく笑う。そうしてから、「お願いするよ、私の騎士様」と小さく笑った。綻ぶような微笑みは、花の開く様に似ている。美しくて、触れがたい。

「あ、でもリュジには内緒にしておかないと」
「どうして?」
「拗ねちゃうよ。メルと兄上が一緒に!? どうして俺はまだ騎士団に所属出来ないんですかーっ、て」

 確かに。なんとなく想像が出来る。小さく笑って、「内緒にしないとね」と言葉を続けると、カイネも同じように笑った。
 といっても、内緒にしたところで直ぐにリュジにはバレるだろうが。ただでさえ、帝都に呼ばれたと行った時に怒り顔だったのである。カイネと私が留守にする日数が同時期であれば、敏い彼は直ぐに私が癒術士として召集されたことを理解するだろう。

 なんて、リュジのことを考えていたからだろうか。カイネの後ろから、階段を降りてくる存在と目が合う。赤色の瞳、黒色の髪。――リュジだ。

「メル。帰ってきていたんだな」
「うん。ついさっき」
「おかえり。……何があったんだ?」

 リュジは直ぐに私に駆け寄ると、首を傾げて見せた。それからカイネへ視線を向け、「兄様も一緒だったんですね」と囁くように続ける。

「うん。メルの足音が聞こえたからね。降りてきたんだ」
「……人外じみた真似をさらっと言わないでください」
「そうかな? リュジも出来るよ。足音には人の個性が出るから。重心の運び、足の動かし方から、何もかもね」
「俺には出来ませんよ」

 リュジがなんともいえない顔でカイネを見つめ、軽く首を振る。
 確かに、やけにちょうど良く顔を合わせたなあ、とは思ったけれど、まさか足音が聞こえたから部屋から出てきていたとは思いも寄らなかった。
 カイネは出来るよ、と囁くように言葉を続けて、それから「リュジも足音がしたから出てきたんじゃないの?」と首を傾げる。リュジが僅かに眉根を寄せて、「……夕飯の時刻に近くなったので、出てきただけです」と続ける。

「俺は兄上ではないので」
「あっ。やだなあ、そういう言い方。兄様は傷ついちゃうよ」
「というか、そういう、足音とか、外ならともかくなんで室内なのにわかるんですか」

 リュジの言うことは尤もなものだった。このまま二人を放置していても良いが、そうすると延々と話し合っていそうである。仲の良いきょうだいだなあ、なんて思う。口にしたら、きっと、リュジは確実に否定するだろうが。
 私は小さく笑って、二人の手を取る。食堂に行こう、と声をかけると、二人は話をする口を止めて、それから私を見た。

 青色の瞳。赤色の瞳。どちらも全然違う虹彩のそれを、同じように見つめる。
 この二人が、これから先も、楽しく過ごせるように。意気込みを新たに、私は先導するように歩を進めて、二人を引っ張った。
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