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98.おしろい

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 エラルドは鏡を見て溜息を吐いた。
 ここのところ顔を見て毎日吐いているのだが、今日は特大の溜息になってしまった。

「食事の予定を延期するしかないなぁ」

 強引にミリアと食事に行く約束をしたというのに、顔の痣が目立つのだ。
 腫れは引いたが色が酷い。
 青痣が赤黒くなり、徐々に顔の下のほうへ下がってきている。

(手加減されてたとはいえ、あの時は本気で殺されると思ったぐらいだからなぁ)

 自棄になっていたのもあって、顔を全く庇わなかったことを今さら後悔している。

 時計を確認すると、ミリアが食堂へ向かう時間だった。
 最近暇だったせいで、色んな時間帯に食堂へ通い、誰がどの時間に来ているかを把握してしまった。

(無駄に記憶力がいいってのも考えものだな)

 ヨアンの行動パターンまで覚えてしまった。
 突飛なようで、ものすごく規則正しい生活をしている。
 休日との境がないタイプだ。

「エラルド―!!」

 ヨアンのことを考えていたら、ヨアンの大声が聞こえた。一度でいいのに二度も三度も扉を叩かれる。

「うるさい!!」

 怒鳴りながら扉を開けた。
 ヨアンは今日もご機嫌らしい。

「よかったー。まだここにいたー」

「わかってて来てるくせに。珍しく扉から来たかと思えばうるさくてかなわねぇな」

「だって、その顔じゃデートできないでしょ?」

「……筒抜けかよ」

「まぁまぁ、そんな睨まないで。いいもの持って来たから」

 はい、と手渡された小さなケースを開けると、肌の色そっくりの粘状のおしろいだった。

「女用?」

「違うよ。変装用のいいやつだよ」

「へー」

「これを痣に塗れば結構ごまかせるんじゃないかな?」

「お前、急にいい奴だよな」

「うん。僕って割といい奴なんだ」

「いい奴は自分でいい奴なんて言わねーの」

「そっかぁ」

「でも、ありがとな。使わせてもらうよ」

「うん!」

 ヨアンは嬉しそうに笑ってすぐに立ち去った。
 尻にしっぽが見えた気がするが、全然可愛くない。

(これで食事に行ける)

 そう意気込んで塗りたくってみたら、安い商売女みたいな、のっぺりした顔が出来上がってしまった。

「なんだこれ……」

 今度は違う意味で食事に行けない顔になった。
 悪目立ちしてミリアに迷惑をかけてしまうだろう。

「はぁ……」

 酷くガッカリしている自分がいた。
 ただ食事に行くだけだというのに、思っていた以上に楽しみにしていたらしい。

 急いで顔を洗うと食堂に駆けた。
 予定変更は迷惑がかかる。
 既に支度をしてしまっていたら申し訳ない。
 そう思えば自然と足も速くなった。

 食堂に到着し、キョロキョロと見回してみたがミリアは見当たらなかった。

(もう食べ終えたのかな?)

 かといって、女性の使用人部屋が並ぶ場所に立ち入ることはできない。
 ここで会えなければ、待ち合わせ場所へ行くしかない。

(……ヨアンに頼んでニコに伝言を頼むか)

 忙しい時間に申し訳ないが、それしか手はないだろう。
 出かける準備をさせてしまったあとで反故にするよりは、そのほうがいいと思える。
 決心して踵を返すと、向かい側からミリアが歩いてきた。

「ミリア、よかった」

「おはようございます、エラルドさん」

 ミリアは無造作に結った髪を押さえながら、はにかんでいた。
 少しは気を許してもらえたのだろうか。
 前よりも少し表情が緩くなったような気がする。

「誘っておいて申し訳ないんだけど、俺、この顔でさ」

「腫れがずいぶん引きましたねぇ」

「うん? うん、そうなんだけど、今度は痣が酷くて。こんな顔だと町に行けないだろうってヨアンがおしろいをくれたんだけど上手く塗れなくてさ。せっかくなんだけど――」

「私が塗りましょうか?」

「まじ!?」

「ええ。ニコ先輩ほど上手くないのですが、経験のない方よりは、それなりに塗れると思うのですが。あの、私にお顔を触れられるのが嫌でなければ、なのですが」

「全然嫌じゃない。お願いできる?」

「はい」

「さっそく、と言いたいところだけど、まずは一緒に朝食を食べよう?」

 ミリアはご飯を楽しみにしているのだ。
 それを後回しにすることはできない。
 ミリアはエラルドの意図がわかったらしく、頷いてくれた。

「ありがとうございます」

「お礼を言いたいのはこっちのほうだよ」

 もしかすると、塗り方を伝授してもらえるかもしれない。
 そうすれば登城できる日を早めることができる。

(いい加減ヒマすぎるし、レイさまが心配)

 レイからは城の様子を逐一聞いてはいるが、実際目で見るのとは違う。
 エラルドから見た視点というのが役立つときも多いのだ。

「そろそろお仕事に復帰もしたいですよねぇ」

「そうなんだよ。痣さえ隠せれば宰相閣下からも登城のお許しが出ると思うんだ」

「無事にお許しが出るといいですね……あっ、これは……エラルドさん、見てください。今日はフィッシュバーガーですよ!」

 ミリアが目を輝かせている。
 魚のフライがはみ出るほど大きなフィッシュバーガーだ。

「今日のはまた一段とデカいな。食べきれる?」

「余裕です」

「そっか」

 エラルドは初めて食べたとき、顎が外れるかと思ったのだがミリアは勇ましくも嬉々として頷いていた。

「マイナさまが大旦那さまのために作られたのですね」

「これソースがめちゃくちゃ美味いんだよなぁ」

 エラルドが食べるのは二度目である。
 ミリアが知っているのはべイエレン公爵家でも出ていたからだろう。

「これはフィルさまの好物なのです」

「へぇ? そうなんだ?」

 席に着くと、エラルドにしか聞こえない声で教えてくれた。

「一度に三個召し上がります。内緒ですよ?」

「うん。他家のことを漏らしたら駄目だからな?」

「申し訳ありません」

「俺にはいいよ。可能な範囲で教えて。大丈夫、口は堅いし、レイさまと奥さまの役に立つことにしか活用しないから」

「はい」

(フィルさまねぇ……。ようやくご結婚が決まったとか。めでたいねぇ。いよいよべイエレン公爵も家督を譲るときがきたか? まだまだ現役という感じだから、しばらくはこのまま王都にいらっしゃるつもりだろうか?)

 フィッシュバーガーが余裕だと言ったミリアは、ナイフとフォークでひと口サイズに切って食べていた。

「俺はかぶりつけとバアルさんに言われたからその通りにしてたよ」

「はい。そちらが正式な食べ方なんです」

「でも女性には厳しいよなぁ」

「そうですね。邪道ですがナイフで切ります……今日のフィッシュバーガーも本当に美味しいですね」

「うん」

(なんでこんなに幸せな気持ちになるんだろうな?)

 些細なことがキラキラしてしまう。
 ご飯が美味しい。
 美味しそうに食べるミリアが可愛い。

 それを人は恋と呼ぶのだが、相変わらず気付くことのできないエラルドであった。




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