30 / 82
第一章
青木さんと嘉月さん
しおりを挟む
既に気心が知れているコンシェルジュの多岡に挨拶をして、青木は佐伯の元へと向かっていた。そして、いつも通りドアを開けてくれた佐伯の顔色が、優れていない事にすぐに気がついた。
「先生、寝不足ですか?」
「ん、いや。アオの体調が優れなくてね。」
青木がアオを初めて佐伯から紹介されたのは、三ヶ月ほど前の夏の終わりであった。梅雨の時期、佐伯のデビュー10周年を記念する祝賀会で二人は出会っていたのだが、青木はその場を抜け出した二人の為に何かと奔走してしまい、なかなか挨拶ができないでいた。
その時の青年と佐伯が、一緒に生活をすると聞いた時は流石に驚いたが、みるみると自身の請け負う担当作家の表情が和らいでゆく変化に、これはきっと例の青年のおかげではないのだろうか、と青木は考え始めるようになっていた。そして、あの佐伯雅史に生気を吹き込んだ青年に会うことを、彼は密かに楽しみにしていたのだった。
「やはり先日の通院は、俺が付き添わない方がよかったのかもしれませんね。何がなんでも先生の休みを捥ぎ取るべきでした。」
青木個人も着々とアオと交流を深めていく中で、佐伯から二人が番になったと報告された時は、年甲斐もなく胸に熱いものが込み上げてきたものだ。だからこそ、先月の自分の仕事振りについては納得できないでいた。
「いいや。その件について君が気にする事は何もない。会談予定日を急に変更したのは、大御所様の俺への嫌がらせだったんだろうな。君は担当として最善を尽くしてくれたどころか、アオの付き添いまでしてくれた。一色も君の人柄を随分と買っていた。俺も感謝している、ありがとう。」
今まで見たこともない朗らかな笑顔で述べられた礼に、青木は再び驚きを感じながらも、佐伯先生が遂に人間になった・・・・!などと、かなり場違いな感動をしていた。
「それでなんだが、今日はゲストルームの方で待っていてくれないか?」
困ったように表情を歪めて佐伯が言った。いつも通りなら、ゲストルームの先にあるプラベートルームへと通され、佐伯とアオの食卓にまで通されるのだが、些か今日は事情が異なるようだった。
「もしかしてアオくん、かなり不安定だったりします?」
青木は、アオに付き添うに当たって、彼の悲惨な生い立ちをざっくりとだが佐伯から教えてもらっている。そのため、声を顰めて訊ねれば、佐伯はアオの症状について打ち明けてくれた。
「・・・・ああ。昨夜からフラッシュバックが酷い。今やっと眠れたところなんだ。」
「そう、ですか。それでは、今日は早めに退散しますね。先生はアオくんに付き添っていてくださいね。」
「すまないが、そうさせてもらうよ。」
佐伯は原稿の詰まった封筒を青木へ渡すと、玄関まで送ってくれた。早く番であるアオの元へと戻りたいだろうと思い、青木は急いで靴を履いた。
「あ、でも、あんまりにも酷いようでしたら嘉月先生でしたっけ?あの方に診てもらった方がいいかもしれませんね。」
青木は先日会った、アオの主治医の姿を思い浮かべた。小柄で色素の薄いブロンドの長い髪をゆるく一つに纏めた姿で、女性的にも見える医師だった。目尻が少し垂れているせいか、受けた印象も柔らかく、深く傷ついたオメガが多く来るあの場所にはぴったりな存在だろう。充分に信頼を置けたその医師に、何故だか青木は名刺まで渡してしまった。彼は少し驚いた様子であったが、差し出された名刺をふっと笑って快く受け取ってくれたのだった。
「ああ、そうだな。そうするよ。」
「先生も、くれぐれもご無理はなさらないように。それでは、また。」
大切な原稿を鞄に入れて、青木は足早に佐伯のマンションを出た。
季節は秋が終わり、冬がやって来ようとしていた。改めて外気の寒さに触れた身体が僅かに震える。
(こんな寒い時期に、アオくんのコーヒーが飲み放題な佐伯先生は、幸せ者だよなぁ。)
「番か・・・・」
ベータである青木には、あまりにも縁のないものだから、番に対しての実感はピンと来ない。それでも、体調に浮き沈みがあるアオを思えば、佐伯との番関係がどれだけ彼の心の安寧を支えるものになっているのかは、手に取るように分かる。
(そう言えば、あの嘉月先生にも番はいるのだろうか。)
「あなたが、青木さんなんですね。噂は佐伯さんと一色から聞いていました。非常に優秀な男である、と。」
あの日、儚げに微笑んだ彼の姿が、ずっと青木の心に刻み込まれていた。
「先生、寝不足ですか?」
「ん、いや。アオの体調が優れなくてね。」
青木がアオを初めて佐伯から紹介されたのは、三ヶ月ほど前の夏の終わりであった。梅雨の時期、佐伯のデビュー10周年を記念する祝賀会で二人は出会っていたのだが、青木はその場を抜け出した二人の為に何かと奔走してしまい、なかなか挨拶ができないでいた。
その時の青年と佐伯が、一緒に生活をすると聞いた時は流石に驚いたが、みるみると自身の請け負う担当作家の表情が和らいでゆく変化に、これはきっと例の青年のおかげではないのだろうか、と青木は考え始めるようになっていた。そして、あの佐伯雅史に生気を吹き込んだ青年に会うことを、彼は密かに楽しみにしていたのだった。
「やはり先日の通院は、俺が付き添わない方がよかったのかもしれませんね。何がなんでも先生の休みを捥ぎ取るべきでした。」
青木個人も着々とアオと交流を深めていく中で、佐伯から二人が番になったと報告された時は、年甲斐もなく胸に熱いものが込み上げてきたものだ。だからこそ、先月の自分の仕事振りについては納得できないでいた。
「いいや。その件について君が気にする事は何もない。会談予定日を急に変更したのは、大御所様の俺への嫌がらせだったんだろうな。君は担当として最善を尽くしてくれたどころか、アオの付き添いまでしてくれた。一色も君の人柄を随分と買っていた。俺も感謝している、ありがとう。」
今まで見たこともない朗らかな笑顔で述べられた礼に、青木は再び驚きを感じながらも、佐伯先生が遂に人間になった・・・・!などと、かなり場違いな感動をしていた。
「それでなんだが、今日はゲストルームの方で待っていてくれないか?」
困ったように表情を歪めて佐伯が言った。いつも通りなら、ゲストルームの先にあるプラベートルームへと通され、佐伯とアオの食卓にまで通されるのだが、些か今日は事情が異なるようだった。
「もしかしてアオくん、かなり不安定だったりします?」
青木は、アオに付き添うに当たって、彼の悲惨な生い立ちをざっくりとだが佐伯から教えてもらっている。そのため、声を顰めて訊ねれば、佐伯はアオの症状について打ち明けてくれた。
「・・・・ああ。昨夜からフラッシュバックが酷い。今やっと眠れたところなんだ。」
「そう、ですか。それでは、今日は早めに退散しますね。先生はアオくんに付き添っていてくださいね。」
「すまないが、そうさせてもらうよ。」
佐伯は原稿の詰まった封筒を青木へ渡すと、玄関まで送ってくれた。早く番であるアオの元へと戻りたいだろうと思い、青木は急いで靴を履いた。
「あ、でも、あんまりにも酷いようでしたら嘉月先生でしたっけ?あの方に診てもらった方がいいかもしれませんね。」
青木は先日会った、アオの主治医の姿を思い浮かべた。小柄で色素の薄いブロンドの長い髪をゆるく一つに纏めた姿で、女性的にも見える医師だった。目尻が少し垂れているせいか、受けた印象も柔らかく、深く傷ついたオメガが多く来るあの場所にはぴったりな存在だろう。充分に信頼を置けたその医師に、何故だか青木は名刺まで渡してしまった。彼は少し驚いた様子であったが、差し出された名刺をふっと笑って快く受け取ってくれたのだった。
「ああ、そうだな。そうするよ。」
「先生も、くれぐれもご無理はなさらないように。それでは、また。」
大切な原稿を鞄に入れて、青木は足早に佐伯のマンションを出た。
季節は秋が終わり、冬がやって来ようとしていた。改めて外気の寒さに触れた身体が僅かに震える。
(こんな寒い時期に、アオくんのコーヒーが飲み放題な佐伯先生は、幸せ者だよなぁ。)
「番か・・・・」
ベータである青木には、あまりにも縁のないものだから、番に対しての実感はピンと来ない。それでも、体調に浮き沈みがあるアオを思えば、佐伯との番関係がどれだけ彼の心の安寧を支えるものになっているのかは、手に取るように分かる。
(そう言えば、あの嘉月先生にも番はいるのだろうか。)
「あなたが、青木さんなんですね。噂は佐伯さんと一色から聞いていました。非常に優秀な男である、と。」
あの日、儚げに微笑んだ彼の姿が、ずっと青木の心に刻み込まれていた。
1
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
愛を知らない少年たちの番物語。
あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。
*触れ合いシーンは★マークをつけます。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます
まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。
するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。
初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。
しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。
でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。
執着系α×天然Ω
年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。
Rシーンは※付けます
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる