まれぼし菓子店

夕雪えい

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不思議なリーフパイ

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「おねえちゃん」
 それは突然の出来事だった。
 あどけない声が少し斜め下からかけられたことに、わたしは驚いた。

 ある秋晴れの休日。
 気持ちの良い柔らかな風。青空から射すのは程よく心地よい日差し。すっかり秋がやってきた、そんな感じの日だ。
 ここはいつものまれぼし菓子店の前。
 普段通りにお茶をしようと、店に向かう途中のことだった。

「おねえちゃん。ねえ、おねえちゃんてば」
 見下ろすと、少年がわたしのカーディガンの袖を引いている。七、八歳だろうか。
 もちろんわたしは彼に見覚えはなくて、とはいえ振りはらうわけにもいかないので、その場にちょっとしゃがんで尋ねた。

「どうしたの? ぼく」
「あのね、おねえちゃんって、このおみせにいくの?」
「そうだよ」
 少年はちょっともじもししてから、更にわたしに尋ねた。
「おねえちゃん、ぼくのかわりにおかしをかってきてくれない?」
「?」

 おつかいだろうか。まずはそう思った。
 この年齢の子どもだけど、周りに保護者らしき人は見当たらなかったのだ。
 この年の子なら自分でお店に行くのが恥ずかしかったり怖かったりするのもわからなくはない。
 とはいえひとまず提案してみることにする。
「おねえちゃんと一緒に買いに行く?」

 少年はふるふると首を横に振り、わたしに手を出すようにうながした。
 手を出すと、五百円玉を一枚渡される。
「このぶんだけ、りーふぱいをかってきてください」
 お願いします、とお願いされてしまった。
 少年はあくまで中には入らない様子で、外にあるベンチにちんまりと腰かけた。
 仕方ないか。
「じゃあちょっと待っててね」
 わたしは少年にそう声をかけて、お店の中に入るのだった。

「いらっしゃいませ」
 扉を開けると、迎えてくれたのは手嶌さんだった。
 わたしが珍しく喫茶ではなくて焼き菓子売り場に足を向けたので、ちょっとだけ目を丸くして、
「今日はお持ち帰りですか?」
「いえ、ちょっと頼まれて」
「お遣い物ですか」
「それともちょっと違ってて……、あ、リーフパイひと袋ください」
「かしこまりました」
 手嶌さんが瞬く間にラッピングしてくれるので、わたしはぼんやりとそれを見守って、その後受け取った五百円玉を彼に渡そうとする。
 そこでぴたりと彼は動きを止めた。

「どうしました?」
「……これ、誰に頼まれたんですか?」
「お店の前で、小さい男の子に」
 隠すことでもないので正直に言う。すると、少しの困惑と少しの苦笑でもって手嶌さんは言った。
「……化かされてますよ?」
「えっ?」
 彼の視線を追って自分の手の中を見る。
 手の中にあったのは、なんと五百円玉ではなく、ピカピカに光る綺麗で大きなドングリの実だった。

「えっ!えっ?」
 目をこすってみてもやっぱりドングリだ。確かに五百円玉だったはずなのに。
 扉を見ながら手嶌さんは、
「お説教が必要なのかな……ちょっと一緒に外に出ましょうか」
「あ、はい」

 お店の外に出ると、少年はまだベンチに座っていたけれど、手嶌さんの顔を見るとギクリとして立ち上がった。手嶌さんは比較的柔らかい声で言う。
「これはいいものだけど、ここでは使えないよ」
「えっ、だめなの?」
「お父さんかお母さんに習いませんでしたか?人間の店では、駄目なんです」
「……そんな」
 少年は明らかにしょんぼりした様子だった。
「じゃありーふぱいは」
「残念だけど、あげられないんだよ」
 少年は更に肩を落とす。

 リーフパイ。
 少年にとっては、そんなにがっかりするほど食べたいものだったのかもしれない。
 わたしは……。

「じゃあ私が買って。ここのテラスでぼくと半分こするのはどうかな」
「いいの?」
「……良いんですか?」
 少年と手嶌さんの両方が驚いた顔をするので、わたしもかえって驚いてしまった。
「良いんです。五枚も入ってるし」
 リーフパイはひと袋五枚入りなのだ。
「お茶をください。あと彼にはお水も」
 そうしてわたしは少年と一緒にテラス席に腰掛けた。

「ありがとうおねえちゃん」
「わたしが食べたかったからいいのよ」
「あの、これはおれいです」
 みたこともないくらい大きくてピカピカしたどんぐりを彼はわたしにくれたので、恭しくありがとうと受け取る。
「ここのリーフパイ、そんなに気に入ったのね」
「とってもおいしいの」

 そんな話をしていたところで、紅茶が運ばれてきて、お皿に盛られてリーフパイもやってくる。
「おまたせしました。〝結晶の落葉〟リーフパイです」
 お皿に出された葉っぱ型のパイ。全体にザラメが散らされてまさに結晶の塊という風情だ。こんがりきつね色に焼かれたパイ生地も、絶対に美味しいと確信が持てる。
 口に入れるとザクッとしたザラメの食感。その後にさっくりとしたパイの食感。ふんわりと香るバター。
 軽やかな味わいに、いくらでも食べれてしまいそうな気持ちになる。
 さくさく、さくさく、二枚をすぐに食べ終える(少年に三枚あげたのだ。わたしは大人だから!)。

 少年はといえば、案の定というか当たり前にというか、両手でパイをしっかり持って夢中で食べている。
 思わず微笑んでしまうけど、私も大差なかったかもしれない。気づけばパイの欠片や砂糖がテーブルの上にちょこちょこ落ちている……。
 確かにこれは、少年が求めてやまないのも納得の味わいだった。

 そういえば。と、二人して食べ終わったところで尋ねる。
「どうしてお店に入らなかったの?」
「てしまさんってひとはこわいよっておとうさんがいってたの」
「ええ? 手嶌さんはとっても優しいよ」
 わたしは意外そのものの声を上げ、手嶌さんは私の傍らで額に手を当てて嘆息する。
「……今度は人間のお金を持ってらっしゃい」
「はい、わかりましたー」
 言われた少年は素直にうなずき、元気に手を挙げて、わたし達にさよならをする。
 わたしも彼にさよならをしながら、その後ろ姿に……大きなしっぽの幻を見たような気がして、目を擦った。

 手嶌さんと視線が合うと、彼は肩をすくめて、
「困った子だぬきですね」
 そう言って笑う。
 わたしもつられてなんとなしに笑いながら、手の中のピカピカのどんぐりを眺めるのだった。
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