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24 学外活動、当日

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 週末にはアリサたちと買い出しに行き、放課後は慧と勉強をし。そんな風に日々を過ごしていたら、あっという間に、学外活動当日を迎えた。

 朝。
 目が覚めると、まだ、日が昇ったばかりらしかった。空は、美しい朝焼け。
 夏を迎えたこの時期に、朝焼けが見える時刻に目が覚めてしまうなんて、相当な早起きだ。

 今日は、精神力を消耗するはず。だから、もう少し眠らないと。

 そう思って薄いシーツを引き被ったけれど、目蓋の裏には眩い朝日がちらつき、妙に目が冴えて、眠ることはできなかった。
 遠足に行く前の日には眠れない、と聞いたことがある。まさにそれ、という感じで、結局私は、対して睡眠を取らないまま、起床時刻を迎えた。
 その割には、体は元気で、頭は冴えている。

「お召し物は、これで宜しいですか?」
「ええ」

 シノと共に、着る服を選ぶ。
 鞄に入った水着は、凛が選んだもの。ゲームの中で「私」が着ていたものとは、全然違う。

 ゲームと現実は、違う。
 だから、きっと、うまくいくはずだわ。

 私はそう自分に言い聞かせ、家を出た。

「おはよう、藤乃さん。朝早くからありがとうございます」
「お二人こそ」

 私は準備のため、少し早めに学園へ到着した。既に到着していた、アリサと男子の会長に挨拶をする。

 手配したバスが、正門を抜け、広場に停車する。降りてきた運転手に、会長と揃って、挨拶をする。
 荷物の積み込みを終える頃になると、クラスメイトが続々と集合し始めた。

 そろそろ、集合時間だ。

「おはようございます」
「朝早くから準備、ありがとう」

 口々にお礼を言われることには、悪い気はしない。
 運転手が荷物をバスに積んでくれ、来た順に、バスに乗り込んでいく。

「桂一会長たちは、いついらっしゃるのかしら」
「ごめんなさい、アリサさん。兄になかなか会えなくて……」

 学外活動に参加する件について、兄に聞きたかったのに、ここ最近、兄に会う機会がなかった。
 慧と出かけるときはついてくるのに、こういうときは、忙しくなるのだ。
 申し訳なくて謝ると、アリサは「いいのよ」と笑う。

「きっと、向こうで合流するのよ。……あ、早苗さん。おはよう」
「おはよう」
「おはよう。準備、ご苦労様」

 連れ立って現れたのは、海斗と早苗であった。早苗は、海斗とともに、同じ車から降りてくる。わざわざ迎えに行ったのだろうか。
 ふたりが揃い、これで、クラスメイトは全員集まった。

「それでは、出発したいと思います。今日は、よろしくお願いします」

 会長が挨拶をし、バスは発車する。
 目的地の海岸は、ここから車でさほどかからない。車内の控えめな喋り声を聞きつつ、窓の外に見える景色を眺める。

 ゲームでは、ビーチバレーで早苗たちが勝つんだったわ。
 私は、流れる景色を見ながら、ゲームの展開を思い返した。

 そして私が、「勝ったのはまぐれだ」と文句をつけ、海斗と早苗のイベントにつながる。
 とにかく、そんな文句は、言わないようにしよう。

 慧のいる私は、ゲームの「私」とは、違うのだ。

 バスは海岸沿いの駐車場に停まり、私たちは降りて、その側にある砂浜に向かう。
 学園が所有する砂浜を、今日はクラスで貸切にしているのだ。

「あら、もうどなたかいらっしゃるわ」

 誰かが呟く。確かにそこには、人影が見えた。

「あっ、樹さん!」

 甘い声とともに駆けて行くのは、早苗だ。軽く砂埃を立てながら、飛ぶように駆け寄る。その声に気づいたのか、振り返った姿。
 それを見てはっと息を呑む音が、周囲の女生徒から聞こえる。

「生徒会長だわ」
「こんなに朝早くから、いらっしゃるなんて」

 泣く子も黙る、生徒会長。
 遠目で見る樹の姿は、ゲームのパッケージで見たものと、よく似ている。甘やかな笑顔に、すらっとした体躯。笑った時に唇から覗く、整った白い歯。

「素敵だわ」

 はあ、と甘い吐息が辺りを包む。頬に両手を当て、うっとりと見つめる女生徒たち。確かに彼は、目もくらむほどの美男子である。

「いらっしゃるって、本当だったのね」

 いつ家を出たのか、樹の隣には、しっかり兄がいる。こちらを見て鷹揚に片手を挙げる兄の動作とともに、またも、甘やかな吐息が辺りを包む。

「おはよう、早苗ちゃん」
「おはようございます、樹さん、桂一先輩!」

 駆け寄る早苗に、樹が微笑みかける。
 兄は、早苗を一瞥すると、何も言わずにこちらに視線を向けた。

「やあ、藤乃」

 早苗のことは、完全に無視だ。

「えっ?」
「樹と先に落ち合って、話していたんだ」

 無視されて驚く早苗を、さらに無視する。兄の顔には、例の笑顔の仮面が貼り付いている。

 そういえば先日、一緒に水族館へ行ったとき、私たちは、早苗と海斗と会ってしまったのだ。
 兄は、この早苗が、婚約者であったはずの海斗と、懇ろな関係にあるのを知っている。

 それは、心中穏やかではないだろう。

「……お兄様、いつ家を出たんですか?」

 私は納得し、同様に早苗には触れずに話を続けた。

「うん? 藤乃よりは後だよ」
「……早苗ちゃん、おれたちのことは気にしないでいいから、先に着替えておいで」

 私たちの間に流れる険悪な雰囲気を察したのか、樹が早苗に、そう促してくれた。

「ああ、そうだね。藤乃も行っておいで」
「行ってくるわ」

 兄も気がつき、私にそう促す。
 私と早苗は、適当な距離をとって、それぞれ着替えに向かった。

 この海岸は、時期によっては授業や部活動、併設する大学のサークル活動等でも使われている。
 更衣室は立派なものがあるので、そこで着替えを済ませる。

 着ているのは、もちろん、先日選んだ水着である。
 凛が選んだ、紺色の水着。やはり肌の露出を感じて落ち着かないものの、凛の嬉しそうな顔を思い出すと、心が温かくなる。

 せっかく選んでもらったんだから。
 堂々と、着なくちゃ。

 私は、背筋を伸ばすよう意識して、浜辺に戻った。

「素敵な水着ね」
「あなたこそ」

 先に着替えを終えた人同士で、用意した水着を披露し合っている。

 慧や兄の予想通り、私の周りの女生徒は、それぞれに華やかな水着を着ていた。
 間違っても、授業で着るような水着を着る場面ではなかった。彼らの的確なアドバイスに、今更ながら、感謝する。

「早苗さん、大胆ね」
「でも、似合っているわ」

 その中でも目を引くのは、早苗である。
 彼女は真っ白なビキニを身に付けていた。

 ゲームと同じだわ。

 私は思う。あの水着は、ステータスが最も上がるアイテムだ。

 白い水着は、彼女の抜けるような白い肌と、よく合っていた。惜しみなく晒された体は均整が取れていて、日差しに照らされ、それはもう、素晴らしい光景であった。
 早苗の周囲の男子生徒だけでなく、クラスの皆が彼女に注目する。それは仕方ないほどに、その姿は、様になっていた。

 早苗は、私のそばを通り過ぎ、仲間の元へ向かう。すれ違いざまに、彼女は確かに、私の水着に目を向けた。

「え……なんで」

 ぼそりと、しかし、はっきりと。
 彼女は私を見て、不思議そうに言った。

 ゲームであれば、私は指定の水着を着ているはずだ。
 早苗はそれを知っているからこそ、自分で選んだ水着を私が着ていることを、不思議に思ったのだろう。

「総当たり戦で、一番勝ち数の多いチームに、賞品があります」
「引き分けの場合は、得た点数の高い方が勝ちになります」

 会長ふたりが、図を示しながら、ルールを説明する。
 皆は聞いているのかいないのか、なんとなく落ち着かないざわめきの中で、その説明を受ける。

 チーム分けは、予め決められた通りだ。私は、早苗や海斗とは別のチームになった。

 ゲーム通りの展開なら、優勝は早苗のいるチームだ。

 結果は、火を見るよりも明らかだ。その中でもチームメイトと声を掛け合い、楽しくやれればそれでいいというモチベーションで、私は参加した。

「藤乃さん、同じチームだね」
「そうね。泉さんと一緒なら、心強いわ」

 話しかけてきた泉は、黄色の鮮やかな水着を着ている。上から薄手のパーカーを羽織り、向日葵のように可愛らしい格好だ。

 最初の試合は、他のチーム同士の対戦である。座って見学するつもりの私の隣に、少し距離を置いて、泉は座る。
 試合は、すぐに始まった。

「あのふたり、本当に仲が良いのね」

 泉の視線の先には、早苗と海斗がいる。弾けるような笑顔で、互いに声を掛け合い、ボールに飛び込んでいっている。

「ほんとね」

 ボールに飛び込み、砂のついた早苗の腕に、海斗が触れて砂を払う。その様子を眺めながら、私は同意した。

「藤乃さんは、あれを見ていて……その、嫌な気持ちにならないの? 大丈夫なの? おかしいわよね、藤乃さんがいるのに、あんな……」

 泉は眉尻を垂れ、案じる表情をする。

「それは……」

 私は、自分の髪の毛先をくるくると捻る。

 嫌な気持ちに、全くならないわけではない。泉の言いたいことは、よくわかる。

 しかしこれはゲームの展開通りであり、ある程度は、仕方のないことなのだ。

「……だって、ふたりが、したくてしていることだから」

 これは、ゲームの中の世界。

 ゲームとは違い、私には慧との出会いがあって、「私」にはならずに済んでいる。
 しかしやはりここはゲームであり、ゲーム通りの展開を見せている。今この場で、その流れを阻止することは難しいだろう。

「……どうして藤乃さんは、そんな風に、気にしないでいられるの? わたし、見ているだけで、もやもやするのに」

 正義感の強い泉は、そう言って、落胆した表情を浮かべる。

「藤乃さんが注意するなら、わたし、協力するのに……だって、駄目なことは、駄目でしょう?」

 ここで私が早苗たちに言うと言えば。
 泉は喜ぶ。彼女の期待に、答えられる。こんな風に、がっかりされなくて済む。

 ああ。

 私は、背筋に冷たいものを感じた。

 きっとこうして、ゲームの中の「私」は、早苗たちに文句を言ってしまうのだろう。

「泉さんの気持ちは、嬉しいわ」

 そう言った瞬間、泉は小さく溜息をついた。

 私は、心臓が変な風に鼓動するのを感じた。
 せっかくできた友人である、泉。私のために怒ってくれている彼女を、がっかりさせるのは、苦しい。
 それなら、早苗に物申してしまった方が良いんじゃないかとさえ、思うほどに。

「だけど、今は言わないの。私には、私なりに、考えていることがあるから」

 今は、というひと言が、泉に見放されないための予防線。

 私が今ここで、彼女の期待に応えられないのは、ゲームの中の「私」と同じにはなりたくないからだ。
 まともに話せる相手が泉しかいなくて、彼女の言う通り、早苗に文句を言い続ける「私」と、私は違う。

 ここで泉に流されるのは、話を聞いてくれた慧に申し訳ない。
 早苗に何か言うとしても、それは感情に流されてではなく、きちんと決めてから。

「そっか。わたしはなんだか、もやもやするけど……藤乃さんも、考えてるんだね」
「ええ。良いとは思っていないわ。だけど言うべきことは、きちんと考えて、場を整えて言いたいの」
「そういうことなら、応援するよ」

 泉の、向日葵のような笑顔。そこにはもう、落胆の色はなかった。

「話してくれてありがとう、藤乃さん」

 言わないと、伝わらない。
 泉の言葉が頭をよぎり、私ははっとした。

 こんな風にはっきりと断れたのも、仮に泉とうまくいかなくたって、慧がわかってくれるから。
 ゲームの「私」と私の大きな違いを、改めて感じる。

「次の試合をします!」

 最初の試合は、案の定、早苗たちのチームの圧勝で終わった。

 私は立ち上がり、肩を回す。
 結果はわかっている。それでも、せっかくの学外活動なのだから、やれるだけのことはやってみて、得られる学びを得ようと思う。
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