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35 ヒロインの行動力
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「……ふう」
「心がいっぱいです、もう」
慧が深く息を吐き、私はコントローラーを置く。以前メイド喫茶を選んだので、昨日は劇を選んでプレイし、今日はお化け屋敷を選んだ。
ストーリーも中盤を過ぎており、海斗と主人公の会話は、どの場面でも甘やかに描かれる。
台詞を読み流すわけにもいかず、恥ずかしい気持ちを抑えてプレイし続けた結果、なんだか胸がいっぱいになってしまった。
「お疲れ様。何か飲もうか」
「ありがとうございます」
慧が注いでくれるのは、いつも炭酸だ。
炭酸を飲み、持参したお菓子を摘み上げ、私は慧を見た。
彼はグラスを傾け、冷たい炭酸を、喉をごくんと鳴らして飲む。ネクタイを緩めているせいで、喉仏の動きがよく見えた。
見てはいけないもののような気がして、つい、目を逸らす。
「念のために他の選択肢も見ておきたいと言ったのは、私なんですが」
慧にそう提案したのは、私である。
早苗の思惑を邪魔しつつ、自分の思い通りの展開に持ち込むためには、ゲームの知識がもっと必要だからだ。
「いろいろなことがわかりましたね」
「そうだね。劇を選んだら、どうやっても後夜祭には行けないんだ」
慧の言う通り、何度試みても、劇を選んだときには後夜祭に行けなかった。ミニゲームでどんなに高得点を出しても、である。
代わりに、劇中での海斗とのキスシーンが描かれていた。それでは父に見せても「演技だからな」と言われそうなので、私の選択肢には上がらない。
「早苗さんは、後夜祭を選ぶのでしょうか」
「うーん、わからないね」
「はい。どのイベントにも、樹さんは出てきませんでしたし」
早苗は学外活動のとき、ストーリーの本筋とは関わりが薄いところで、生徒会長の樹が出てくる選択肢を取った実績がある。
かと言って、私との関係や彼女自身の考え方が変わった今、同じやり方をするとも思えない。
彼女の思惑は、実際に行動を見て判断するしかない。ここへ来て私たちは、手探りの状態になってしまった。
「それか……藤乃さんは、彼女に何か頼まれてるんだよね? うまく聞き出せないのかな」
「あっ……」
その発想があった、とはっとする。
そしてそれはもう不可能であることに、思わず声を上げてしまった。
「……うん?」
「私、もう断ってしまったんです。早苗さんには協力できない、って」
「そうか……なら、そっちからの情報収集は難しいな」
今更早苗に教えてと言っても、何も教えてはもらえないだろう。
せっかくの慧のアイディアを、自分の勝手な行動で不可能にしてしまった。
「ごめんなさい」
「え? 謝らなくていいよ、素直な藤乃さんらしくて、いいと思う」
慧はいつもの笑顔で、頬にえくぼを浮かべてくれる。
「それに……協力を装って情報を聞き出すのって、藤乃さんには難しそうだよね」
「そうでしょうか」
「うん。けっこう、気持ちや考えが顔に出るから」
私は、頬に両手を当てる。
顔に出るだろうか。あまり、自覚はないけれど。
慧はふふ、と笑って、また私の頭に手を置く。
「そのままでいいんだよ、藤乃さん」
「でも……」
本心を隠して、暗躍してこそ、悪役令嬢ではなかろうか。
「そのままで、充分、藤乃さんは魅力的だから」
頭に乗せられた温もりと、柔らかな笑顔。慧が言うならいいのかな、と思わされてしまう。
「……ありがとうございます」
なんだか気恥ずかしくなって俯くと、頭を軽く撫でてから、慧の手が離れた。
「……怒られちゃうな」
「え?」
「いや、何でもないよ」
慧は立ち上がり、ゲーム機を片付け始める。そろそろ時間だ。
ゲームのカセットを容器にしまい、その表紙を眺める。美麗な男性陣が居並ぶ、壮観な一枚のイラスト。
海斗を見て、それから、樹を見た。どちらも、この上ない笑顔で描かれている。
「実際、早苗さんはどうやって、今から樹先輩のルートに入るつもりなのかしら……」
ふと浮かんだ疑問を、口に出す。
あのとき早苗は、しきりに、海斗ルートから樹ルートに入る……と言っていた。
「そうだねえ」
「海斗さんとのストーリーを、どうやって終わらせるのかも、よくわかりません」
具体的な方法が、想像できない。
「それはもう、生徒会長とのイベントをどんどん起こすしかないんじゃないの? 元婚約者の彼のことは置いておいても」
「たしかに、そうなのですが……もう時期は過ぎているはずなのに」
行事もいくつかは終わり、そこで起こるべきイベントのタイミングは、既に過ぎてしまっている。
ゲームのように、データを前に戻すことはできない。今さら、過ぎてしまったことをどうこうできないのではなかろうか。
「どうだろうねえ……」
扉に向かいながら、慧は顎を撫でる。考える仕草。
「俺にはわからない。イベントの内容も、よくわからないから」
「そうですね。……文化祭のことも分かりましたから、海斗さんのストーリーより、樹先輩のストーリーを進めてみた方がいいのかもしれません」
早苗は、ゲームの内容を熟知していると話していた。
彼女は私を転生した同類だと思っているようだが、私はプレイした部分についてしか、このゲームの情報を持っていない。
彼女の思惑を図る上では、その目指すところを知らなければならない。
慧の言う通りだ。手探りなんて、している場合じゃない。できるだけの情報を、まずは集めなければ。
「明日からは、そちらを先に進めてみます」
「そうだね、そうしよう」
小部屋の電気を消すと、暗くなった室内で、慧の眼鏡が淡く光を反射する。
「また明日、藤乃さん」
「はい、慧先輩。また明日」
そしていつもの、心安らぐ、穏やかな挨拶。ぽっと灯りがともったような、ほんのりと温かな心を抱えながら、誰もいない静かな廊下を歩く。
図書室で過ごす時間も好きだけれど、こうして幸せな気持ちに浸りながら過ごす、帰り道も好きだ。
毎日のことなのに、毎日、しみじみとした気持ちになる。
「やあ、藤乃ちゃん」
そんな幸せな時間に、すっと割り込んでくる、どこかで聞いた声。
「……あ、樹先輩」
「なんだよお、反応鈍いなあ。こんな時間に会うなんて、珍しいのに」
目を細めておどけて見せる、彼は生徒会長。
「初めてお会いしましたね。そろそろお忙しくなる時期ですか?」
文化祭の出し物も徐々に出揃い、夏休み前辺りから生徒会が忙しくなることは、兄を見ていて知っている。
「そうだね。ただ、今日は少し、話し込んじゃっただけ」
樹が、ちらりと視線を逸らす。閉じられた扉には、「生徒会室」の文字。
「話し込んだ?」
「そうそう。ほら、藤乃ちゃんのクラスの……」
がちゃ。
ドアノブを捻る音がして、まず甘い香りが鼻をくすぐる。そのあと出てきたのは、見慣れた、愛らしい顔。
「あれ、藤乃さん」
「……早苗さん」
ヒロイン、その人だった。
「海斗さんは?」
生徒会室の電気はもう消えており、他の人の気配はしない。樹と早苗、ふたりきりだったのだろうか。
「海斗……ああ、今日は先に帰ったね」
樹が答える。
「彼、何かと忙しいから、毎日、遅くまではいられないんだ」
「……そうなんですか。残念ですね、早苗さん、海斗さんと仲が良いのに」
自分の台詞に、皮肉めいた響きを感じる。早苗は、その皮肉さを意にも介していないような、明るい笑顔を見せた。
「うーん……でも、海斗がいないときは、樹ともたくさん話せるから。楽しいの」
「話が盛り上がっちゃうよね。早苗の飼ってる、猫の話とか、さ」
お互いに、呼び捨てをしている。
私の頭に、違和感が引っ掛かった。この間まで、互いに「早苗ちゃん」「樹さん」と呼び合っていたはず。
海斗のときにも、呼び捨てに変わるイベントがあった。
もしかして、もう。
嫌な予感が、背中から這い上がる。
「藤乃ちゃんも今度来る? 楽しいよ、生徒会は」
そのままの流れで、早苗と樹、私という、異色な3人で歩き始める。
樹にそう誘われ、私は反射的に断ろうとし……少し、考えた。
気まずくても、これはチャンスだ。
情報を手に入れるための。
「そうですね、それなら」
「前に言ってなかった? 藤乃さんを誘ったけど断られた、って。しつこくしたら困らせちゃう」
私の発言に、早苗の台詞が被される。
「厳しいなあ、早苗は」
おかげで私の言葉は樹には伝わらず、彼は早苗を見て苦笑いを浮かべた。
「それに、寂しい。樹とふたりの、時間が減るのは」
「ええ? おれも寂しいよ」
まるで海斗とのやりとりを聞いているような、ほんのりと甘い、ゲームみたいな会話。
嫌な予感が、確信を強めていく。
早苗は、海斗のいない時間に、樹とのイベントを進めているのだろう。
「それ、あたしのこと好きみたい」
「うん? まあ、好きかどうかで言ったら、好きだよ。それはね」
そのやりとりは、単なる生徒会役員と、会長の会話ではない。思い合うふたりのそれだ。
「それを言うなら、早苗もおれのこと、好きみたいだけど。さっきの言い方」
「好きだもの」
「それ、告白?」
「さあ」
口を挟めない、軽快なやりとり。頭の中で、警戒音だけが鳴っている。この会話は、良くない。わかっているけれど、この場で、咄嗟にどうにかすることができない。
情報が足りない。あるいは、私にもっと機転があれば。焦りと苛立ちで、胃がぐるぐるする。
「まったく。掴めないな」
樹が、はあ、とため息をつく。
「おれをこんなに惑わせるのは、君だけだよ。本気かどうか、わからない」
「いつも本気なのに」
「わからないなあ」
これも、イベントなのだろうか。
いかにもなやりとりに、胃の不快感が増す。
「……お、着いた。またね、藤乃ちゃん」
「……はい」
昇降口に着いて、ほっとした。樹と早苗に別れを告げ、私は、山口の待つ車に向かう。
明日は、早くゲームを進めなくちゃ。
早苗と樹の睦まじい様子を見て、危機感が募った。少なくも私が断りを入れるまで、早苗は樹に対して、大きな行動は起こしていないはずだ。なのにこの短時間で、あそこまで親しくなれるなんて。
これが、ゲームの展開を熟知しているヒロインの、恐ろしさだ。
思い返すと不快感の増す胃に、手を当てて抑えながら、私は思考をぐるぐると巡らせた。
「心がいっぱいです、もう」
慧が深く息を吐き、私はコントローラーを置く。以前メイド喫茶を選んだので、昨日は劇を選んでプレイし、今日はお化け屋敷を選んだ。
ストーリーも中盤を過ぎており、海斗と主人公の会話は、どの場面でも甘やかに描かれる。
台詞を読み流すわけにもいかず、恥ずかしい気持ちを抑えてプレイし続けた結果、なんだか胸がいっぱいになってしまった。
「お疲れ様。何か飲もうか」
「ありがとうございます」
慧が注いでくれるのは、いつも炭酸だ。
炭酸を飲み、持参したお菓子を摘み上げ、私は慧を見た。
彼はグラスを傾け、冷たい炭酸を、喉をごくんと鳴らして飲む。ネクタイを緩めているせいで、喉仏の動きがよく見えた。
見てはいけないもののような気がして、つい、目を逸らす。
「念のために他の選択肢も見ておきたいと言ったのは、私なんですが」
慧にそう提案したのは、私である。
早苗の思惑を邪魔しつつ、自分の思い通りの展開に持ち込むためには、ゲームの知識がもっと必要だからだ。
「いろいろなことがわかりましたね」
「そうだね。劇を選んだら、どうやっても後夜祭には行けないんだ」
慧の言う通り、何度試みても、劇を選んだときには後夜祭に行けなかった。ミニゲームでどんなに高得点を出しても、である。
代わりに、劇中での海斗とのキスシーンが描かれていた。それでは父に見せても「演技だからな」と言われそうなので、私の選択肢には上がらない。
「早苗さんは、後夜祭を選ぶのでしょうか」
「うーん、わからないね」
「はい。どのイベントにも、樹さんは出てきませんでしたし」
早苗は学外活動のとき、ストーリーの本筋とは関わりが薄いところで、生徒会長の樹が出てくる選択肢を取った実績がある。
かと言って、私との関係や彼女自身の考え方が変わった今、同じやり方をするとも思えない。
彼女の思惑は、実際に行動を見て判断するしかない。ここへ来て私たちは、手探りの状態になってしまった。
「それか……藤乃さんは、彼女に何か頼まれてるんだよね? うまく聞き出せないのかな」
「あっ……」
その発想があった、とはっとする。
そしてそれはもう不可能であることに、思わず声を上げてしまった。
「……うん?」
「私、もう断ってしまったんです。早苗さんには協力できない、って」
「そうか……なら、そっちからの情報収集は難しいな」
今更早苗に教えてと言っても、何も教えてはもらえないだろう。
せっかくの慧のアイディアを、自分の勝手な行動で不可能にしてしまった。
「ごめんなさい」
「え? 謝らなくていいよ、素直な藤乃さんらしくて、いいと思う」
慧はいつもの笑顔で、頬にえくぼを浮かべてくれる。
「それに……協力を装って情報を聞き出すのって、藤乃さんには難しそうだよね」
「そうでしょうか」
「うん。けっこう、気持ちや考えが顔に出るから」
私は、頬に両手を当てる。
顔に出るだろうか。あまり、自覚はないけれど。
慧はふふ、と笑って、また私の頭に手を置く。
「そのままでいいんだよ、藤乃さん」
「でも……」
本心を隠して、暗躍してこそ、悪役令嬢ではなかろうか。
「そのままで、充分、藤乃さんは魅力的だから」
頭に乗せられた温もりと、柔らかな笑顔。慧が言うならいいのかな、と思わされてしまう。
「……ありがとうございます」
なんだか気恥ずかしくなって俯くと、頭を軽く撫でてから、慧の手が離れた。
「……怒られちゃうな」
「え?」
「いや、何でもないよ」
慧は立ち上がり、ゲーム機を片付け始める。そろそろ時間だ。
ゲームのカセットを容器にしまい、その表紙を眺める。美麗な男性陣が居並ぶ、壮観な一枚のイラスト。
海斗を見て、それから、樹を見た。どちらも、この上ない笑顔で描かれている。
「実際、早苗さんはどうやって、今から樹先輩のルートに入るつもりなのかしら……」
ふと浮かんだ疑問を、口に出す。
あのとき早苗は、しきりに、海斗ルートから樹ルートに入る……と言っていた。
「そうだねえ」
「海斗さんとのストーリーを、どうやって終わらせるのかも、よくわかりません」
具体的な方法が、想像できない。
「それはもう、生徒会長とのイベントをどんどん起こすしかないんじゃないの? 元婚約者の彼のことは置いておいても」
「たしかに、そうなのですが……もう時期は過ぎているはずなのに」
行事もいくつかは終わり、そこで起こるべきイベントのタイミングは、既に過ぎてしまっている。
ゲームのように、データを前に戻すことはできない。今さら、過ぎてしまったことをどうこうできないのではなかろうか。
「どうだろうねえ……」
扉に向かいながら、慧は顎を撫でる。考える仕草。
「俺にはわからない。イベントの内容も、よくわからないから」
「そうですね。……文化祭のことも分かりましたから、海斗さんのストーリーより、樹先輩のストーリーを進めてみた方がいいのかもしれません」
早苗は、ゲームの内容を熟知していると話していた。
彼女は私を転生した同類だと思っているようだが、私はプレイした部分についてしか、このゲームの情報を持っていない。
彼女の思惑を図る上では、その目指すところを知らなければならない。
慧の言う通りだ。手探りなんて、している場合じゃない。できるだけの情報を、まずは集めなければ。
「明日からは、そちらを先に進めてみます」
「そうだね、そうしよう」
小部屋の電気を消すと、暗くなった室内で、慧の眼鏡が淡く光を反射する。
「また明日、藤乃さん」
「はい、慧先輩。また明日」
そしていつもの、心安らぐ、穏やかな挨拶。ぽっと灯りがともったような、ほんのりと温かな心を抱えながら、誰もいない静かな廊下を歩く。
図書室で過ごす時間も好きだけれど、こうして幸せな気持ちに浸りながら過ごす、帰り道も好きだ。
毎日のことなのに、毎日、しみじみとした気持ちになる。
「やあ、藤乃ちゃん」
そんな幸せな時間に、すっと割り込んでくる、どこかで聞いた声。
「……あ、樹先輩」
「なんだよお、反応鈍いなあ。こんな時間に会うなんて、珍しいのに」
目を細めておどけて見せる、彼は生徒会長。
「初めてお会いしましたね。そろそろお忙しくなる時期ですか?」
文化祭の出し物も徐々に出揃い、夏休み前辺りから生徒会が忙しくなることは、兄を見ていて知っている。
「そうだね。ただ、今日は少し、話し込んじゃっただけ」
樹が、ちらりと視線を逸らす。閉じられた扉には、「生徒会室」の文字。
「話し込んだ?」
「そうそう。ほら、藤乃ちゃんのクラスの……」
がちゃ。
ドアノブを捻る音がして、まず甘い香りが鼻をくすぐる。そのあと出てきたのは、見慣れた、愛らしい顔。
「あれ、藤乃さん」
「……早苗さん」
ヒロイン、その人だった。
「海斗さんは?」
生徒会室の電気はもう消えており、他の人の気配はしない。樹と早苗、ふたりきりだったのだろうか。
「海斗……ああ、今日は先に帰ったね」
樹が答える。
「彼、何かと忙しいから、毎日、遅くまではいられないんだ」
「……そうなんですか。残念ですね、早苗さん、海斗さんと仲が良いのに」
自分の台詞に、皮肉めいた響きを感じる。早苗は、その皮肉さを意にも介していないような、明るい笑顔を見せた。
「うーん……でも、海斗がいないときは、樹ともたくさん話せるから。楽しいの」
「話が盛り上がっちゃうよね。早苗の飼ってる、猫の話とか、さ」
お互いに、呼び捨てをしている。
私の頭に、違和感が引っ掛かった。この間まで、互いに「早苗ちゃん」「樹さん」と呼び合っていたはず。
海斗のときにも、呼び捨てに変わるイベントがあった。
もしかして、もう。
嫌な予感が、背中から這い上がる。
「藤乃ちゃんも今度来る? 楽しいよ、生徒会は」
そのままの流れで、早苗と樹、私という、異色な3人で歩き始める。
樹にそう誘われ、私は反射的に断ろうとし……少し、考えた。
気まずくても、これはチャンスだ。
情報を手に入れるための。
「そうですね、それなら」
「前に言ってなかった? 藤乃さんを誘ったけど断られた、って。しつこくしたら困らせちゃう」
私の発言に、早苗の台詞が被される。
「厳しいなあ、早苗は」
おかげで私の言葉は樹には伝わらず、彼は早苗を見て苦笑いを浮かべた。
「それに、寂しい。樹とふたりの、時間が減るのは」
「ええ? おれも寂しいよ」
まるで海斗とのやりとりを聞いているような、ほんのりと甘い、ゲームみたいな会話。
嫌な予感が、確信を強めていく。
早苗は、海斗のいない時間に、樹とのイベントを進めているのだろう。
「それ、あたしのこと好きみたい」
「うん? まあ、好きかどうかで言ったら、好きだよ。それはね」
そのやりとりは、単なる生徒会役員と、会長の会話ではない。思い合うふたりのそれだ。
「それを言うなら、早苗もおれのこと、好きみたいだけど。さっきの言い方」
「好きだもの」
「それ、告白?」
「さあ」
口を挟めない、軽快なやりとり。頭の中で、警戒音だけが鳴っている。この会話は、良くない。わかっているけれど、この場で、咄嗟にどうにかすることができない。
情報が足りない。あるいは、私にもっと機転があれば。焦りと苛立ちで、胃がぐるぐるする。
「まったく。掴めないな」
樹が、はあ、とため息をつく。
「おれをこんなに惑わせるのは、君だけだよ。本気かどうか、わからない」
「いつも本気なのに」
「わからないなあ」
これも、イベントなのだろうか。
いかにもなやりとりに、胃の不快感が増す。
「……お、着いた。またね、藤乃ちゃん」
「……はい」
昇降口に着いて、ほっとした。樹と早苗に別れを告げ、私は、山口の待つ車に向かう。
明日は、早くゲームを進めなくちゃ。
早苗と樹の睦まじい様子を見て、危機感が募った。少なくも私が断りを入れるまで、早苗は樹に対して、大きな行動は起こしていないはずだ。なのにこの短時間で、あそこまで親しくなれるなんて。
これが、ゲームの展開を熟知しているヒロインの、恐ろしさだ。
思い返すと不快感の増す胃に、手を当てて抑えながら、私は思考をぐるぐると巡らせた。
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または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。
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こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。
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