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36 ストーリーは甘やかに

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「今日は文化祭の出し物を、決めますね」

 アリサが、黒板の前で微笑む。途端に教室内は、囁きとざわめきで満たされた。思い思いに、互いが、アイディアを口に出す。

 よりによって、今日なのね。

 私は、焦る気持ちで、胃のあたりに嫌な感じを覚えた。

「何がいいかなあ」
「去年、先輩はダンスをしたって」

 樹と早苗の間に、並々ならぬ関係が築かれているのがわかったのが、昨日。今日、放課後に図書室へ行って、樹のストーリーを始めるつもりだった。
 まだ私は、早苗がどのような思惑で、どの選択肢を選ぶのか、全く予想がついていない。
 情報が足りないのだ。もっと早く気付いて行動していれば、と後悔する。

「意見があれば、発言してください」

 私はここでの話し合いが、どう収束するのか知っている。
 そして知っている通りに、話し合いは【メイド喫茶】【お化け屋敷】【劇】に収束する。

 ストーリーの通りだ。
 私は、後夜祭に行かないといけない。劇以外のどちらかになるよう、必要なら発言しなくては。

 肩に、少し力が入る。

「メイド喫茶って何?」
「侍女が給仕するカフェじゃないの?」
「それっていつも通りじゃない」

 あれこれと感想を述べ合うクラスメイトの話を聞きつつ、私は早苗に視線を向けた。

 彼女はヒロイン。
 私が何もしなければ、彼女の選択が、クラスの決定になる。

「お化け屋敷がいいなあ」

 その声は、ざわつく教室に、妙によく響く。

 いつもこうだ。
 早苗は、ひとりごとのように自分の意見を述べ、それで全体の流れが決まる。
 それがゲームのストーリー通りだからとは言え、彼女の影響力には恐ろしさを覚える。

 少なくともお化け屋敷なら、普通にやれば後夜祭には参加できるはずだ。発言の必要がなくなり、肩の力を抜く。

 早苗の選択通り、私たちのクラスの企画は、お化け屋敷に決定した。
 劇でなければどちらでも良かった私は、ほっと胸を撫で下ろす。

「楽しみだなあ」
「早苗さん、お化け屋敷がいいって言ってたものね」

 ホームルームが終わり、早苗たちがにこやかに会話をしている。

 怖いのは、その笑顔である。
 彼女は樹とのイベントのために、お化け屋敷を選んでいるはずなのだ。けれど私には、その目的がまだわからない。

 情報が足りない。
 いつも待ち遠しい放課後が、ますます待ち遠しくなる。

「こんにちは、慧先輩」
「藤乃さん。今日は早いね」

 早足で来たのは、ゲームの続きが気になるからだ。私がカウンターに近づくと、流れるような動作で、慧は奥の小部屋に向かう。

「文化祭の出し物が、決まったんです」
「へえ。何?」
「お化け屋敷になりました」

 私が言うと、慧は表情を緩めた。

「それは良かった」
「はい」

 少なくともお化け屋敷なら、後夜祭に行けるはず。安堵する慧と同様に、私も表情が緩む。

「なら、俺も後夜祭に行けるように頑張らなきゃ」
「慧先輩が、頑張るんですか?」

 繋がりがわからなくて、首を傾げる。慧はきょとんとしてから、「当たり前だよ」と笑った。

「俺が後夜祭にいたら、藤乃さんの手助けができるかもしれない」
「私のために……ありがとうございます」

 話を聞くに、慧は行事を卒なくこなすスタンスを取っている。後夜祭に出るために頑張るなんて、きっと、今までのあり方とは違うのだろう。
 そう思ったら申し訳なくて、私は礼を言いながら、頭を軽く下げた。

「俺のためでもあるから」

 下げた頭の上に、慧の手のひらが置かれる。温かさと、心地よい重みは、嫌いではない。ひと撫でしてから、その手は離れた。

「最初から、と……」

 セーブデータはいくつも保存できるので、海斗のストーリーはそのままに、新しくゲームを始める。

(今日は入学式。特待生として名門霞ヶ崎高校に入学した。これから、どんな生活が待ち受けているのだろうーー)

「同じですね」
「そうだね」

 海斗のときと、同じプロローグ。主人公が学園内に入り、生徒会長に話しかけられる。
 そこから、入学式、海斗との遭遇、その他攻略対象の顔見せが済み、選択肢が出てくるまでは、全く同じだ。

「樹先輩を選びます」

 笑顔で微笑む、猫目の生徒会長を選ぶ。
 選んだ瞬間、『おれを本気にさせたね? 責任取ってよ』と、例の如く決め台詞が流れる。
 その声は、やはり私の知る樹と同じもの。

「あれ……海斗さんだわ」
「本当だ」

 ストーリーを進めるとでてくるのは、海斗である。

『特待生だろう? ちょっと手伝ってもらうよ』

 そんな強引な台詞とともに連れて行かれるのは、見たことのある扉の前。

「あれ、生徒会室だ」
「似ているんですね、海斗さんのストーリーと」

 海斗のストーリーでも、ほとんど同じタイミングで生徒会室に連れてこられる。

「……だから、早苗さんは、海斗さんのストーリーに入ってしまったんだわ」

 早苗は、うっかり海斗のストーリーに入った、という言い方をしていた。きっかけが似ているからだ。私は納得する。

『連れてきましたよ、会長』
『ありがとう。ようこそ、生徒会へ。歓迎するよ』

 両手を広げ、劇がかった仕草で迎え入れる樹。この辺りから、海斗のストーリーとずれてくる。
 早苗の言いそうな台詞をなんとなく選び、ストーリーを進めていく。

「イベントが、全然違うんですね」
「まあ、学年も違うからねえ……」

 樹とのイベントの大体は、放課後に生徒会室へ行くことで起こる。
 ただ行くだけでは何も起こらなくて、日中に校内を散策して話題を手に入れたり、買い物して道具を手に入れたりすることで、ちょっとしたイベントが発生するようになっている。

「……あ、ミニゲームです、慧先輩」
「うん、借りるよ」

 慧にコントローラーを渡すと、視界に、緩んだ首元が入る。どうして、つい見てしまうんだろう。私は、後ろめたさを感じながら、視線を画面に戻す。

 イベントは、樹に似合いそうな贈り物を、主人公が探しに行くことで起こる。ミニゲームは、お店の中で起きた。
 樹が安定した高得点を叩き出すと、御目当ての品を手に入れることができる。主人公はそれを持って、生徒会室に向かう。

『これ……香水?』

 画面の中で、樹が手に小瓶を持っている。
 高得点で得られた贈り物は、香水であった。

『あ、おれが君の匂いを、好きだって言ったから? へえ……』

 シュッ、と香水を手の甲に吹きかけ、樹はその香りを確かめる。

『いい匂い? ありがとう。……でも、君の香りの方が好きだな……』

 見ていられなくて、私は顔を伏せる。

「藤乃さん?」
「苦手なんです、こういうシーンを見ているの」

 物語でもこうした甘やかなシーンが描かれることはあるが、声がついて、動画になるのは全く違う。
 出てくるのは知り合いであり、妙な生々しさに、いたたまれない気持ちになった。

「俺が代わりに進めるよ」
「……はい」

 コントローラーが取られる音がして、台詞が推移する。私はそれを聞くだけ聞いて、イベントの内容を把握するよう努めた。

「これで終わりかな」
「……ありがとうございます、すみません。お任せして」
「うん? いいんだよ。耐性がないのも、俺、可愛いと思ってるから」

 慧は、何でも肯定的に捉えてくれる。
 画面には、イベント後の、通常の選択肢が既に現れている。

「……ああ、時間だ」

 タイマーが鳴り、私たちは、片付けを始める。
 早めに来たのに、やはりイベントをひとつ終えるのが精いっぱいだった。このゲームはストーリーが充実していて、なかなか先に進められない。

「早く、文化祭まで進みたいのに」
「彼のストーリーを思い返すと、まだ先かもしれないね」

 私は、焦りとともに頷く。慧の言う彼とは、海斗のことだ。

 今知りたいのは文化祭なのだけれど、そこに至るまでに、まだいくつかイベントがあるはず。そうこうしているうちに、時間はどんどん過ぎていく。

「もうすぐ、夏休みに入ってしまいます」

 学外活動が終わり、テストが終わり。夏休みは、もう、すぐそこまで来ていた。
 夏休みになったら、ここにも来られない。慧にも会えなくなる。

「……その前に、文化祭まで終わらせないといけません」

 これまでのペースを考えたら、かなりぎりぎりだ。放課後になったら、すぐここへ来ないと。

「そうだね」

 慧も同意する。ゲームの箱を片付け、こちらを振り向いた。視線が合うと、目を細めて微笑む。

「もし終わらなかったら、夏休みもここへ来ようか」
「え……会えるんですか、慧先輩に?」

 休みになれば、当然図書室も閉館だと思っていた。思わぬ知らせに目を丸くすると、慧はさらに頬を緩ませる。優しい表情。

「もちろん。開館日っていうのがあるから、その日に来れば、会えるよ。藤乃さんは忙しいと思うけど……」
「いいえ。来ますね。慧先輩とお話したいですし……あ、それに、ゲームの続きもしないと」

 慧とも話せる。ゲームも進められる。それは、一石二鳥だ。
 片付けを終え、図書室に戻る。窓の外は、いつもの夕暮れ。日がだいぶ伸びてきた。夏を感じる。

「また明日、藤乃さん」
「はい、慧先輩」

 この挨拶も、夏休みに入ったら、暫く交わせない。
 そう思うとなんだか急に、帰りの廊下で響く足音が、寂しいものに聞こえた。

「……でも、夏休みも、会えるんだから」

 寂しがるなんて、贅沢だ。
 1日も会えないと思っていたものが、会えるとわかったのだから。

 帰り道、生徒会室の扉を見る。四角い磨りガラスの向こうは、見えないものの、まだ明かりが付いていることがわかる。

 早苗と樹は、まだ中にいるのだろうか。

 気になりつつ、待ち伏せるわけにもいかなくて、私はそのまま歩き続ける。

 ふたりのストーリーは、本当に進んでいるのか。それを、どうにかして確かめないと。
 そんなことを頭の中で計画しながら、山口の運転する車に乗り、家へと帰るのだった。
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