公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。

三歩ミチ

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28.ダンスのお相手

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「皆が見ているのは、あなたがお美しいからですよ、……オルコット公爵令嬢」

 そのやや低い声で名前を呼ばれ、言いかけた言葉を飲み込む。はっ、と息を吸う音が、暗闇に響く。

「私の名前、知っていたの」
「ええ……いえ、初めは存じ上げなかったのですが、前回、会場へお戻りになるときに、お顔を拝見いたしまして」
「そうなのね」
「はい。驚きましたよ。パーティが疲れるなんて仰るのが、まさか、あなただなんて」

 確かにこの間、別れ際、私が会場に戻るのを見送って、彼は中庭に戻った。建物の中は明るかったから、光に照らされた私の顔を見ていてもおかしくはなかった。

「ですから、皆の視線はあなたの美貌のためだと、俺は確信をもって言えます」

 社交辞令の飛び交う会話の中で、容姿を褒められることなんて、幾らでもある。なのに、彼の褒め言葉で妙に心臓がどきんとして、私は誤魔化すため、小さく咳払いした。

「もう……ずるいわ。私は、あなたの顔を見たことがないのに」
「ご覧になりたいのですか?」

 彼はあのときも、今日も、この暗がりの中にいる。声だけでは、誰だかわからない。彼の方を見ても、とろりとした暗闇の向こうに輪郭が見えるだけで、顔つきまでは見えない。
 話していて安心する、この人は誰なのか。先日会った時から、気になっていた。

「当たり前よ。こんな風に話しているのに、顔も知らないなんて」
「ああ……それもそうですね」

 くすくす、と忍び笑いが闇の向こうから聞こえてくる。
 私は元々、仲良くもない人に、思ったことを明け透けに話すことはそうない。それなのに、暗闇のせいか、彼の声の穏やかさのせいか、本心が飾らずぽろぽろと出てしまう感がある。

「顔を見るのならば、明るい部屋に戻らなければなりませんね」
「そうね」

 バルコニーから、会場を眺める。きらきらと明るい光が、窓硝子を通り抜けて舞っている。あの中ならばもちろん、彼の顔を見ることができる。

「もう、お加減は大丈夫ですか?」
「夜風に当たって、楽になったわ。……あなたと話すことも、できたし」

 闇の中だからこその心地よさは、もちろんある。ただ、こんな風に気にかけて、優しくしてくれているのが誰なのか、知りたい気持ちも強かった。

「オルコット公爵令嬢。俺、いや……私と、踊っていただけませんか」

 急に畏まった調子に変わる。誘いの瞬間、硬くなった声色に緊張を感じて、かえって私の緊張はほぐれた。

「俺、でいいわよ。急に変えられたら、気まずいわ」
「俺と、踊っていただけますか」
「喜んで」

 どんな人だかわからない人と、うっかり明るいところでふたりで踊って、妙な相手だったら大変なことだ。しかし、このときは、そんな危険は頭に浮かばなかった。彼はそんなおかしな相手ではないと、心のどこかで信頼していたのだろう。
 誘われて、嫌じゃなかったから承諾する。打算や隠れた思惑のない誘いも、承諾も、久しぶりの感覚だった。
 彼のエスコートでバルコニーから、大広間へ戻る。ダンスホールの明かりは眩しく、目に突き刺さる。目がくらみ、思わず瞼を下ろしてしまった。持っていたワイングラスを取られ、代わりに彼に手を引かれる。音楽に合わせて1歩、ステップを踏み出す。

「あなた……」

 驚いた。目を開けると、そこには、騎士団の制服。その上に、緊張に引き結ばれたような薄い唇と、灰色の瞳。そして、銀色の髪。先ほど見かけた、「ゲームと無関係なのに、ベイルみたいに顔が整っているなんて」と羨ましがっていた、その顔が目の前にあった。

「ほら、オルコットこっ……」

 何か言いかけた彼の表情が歪む。いてっ、と口の形が動いた。舌を噛んだか、何かを噛んだかしたらしい。自然な表情の変化に、驚きで固まっていた私の思考が、緩んで動き出す。

「友人はキャサリン、と呼ぶのよ。呼びにくいでしょう、あなたもそう呼んで」
「お許しいただけるのならば、……キャサリン様がお美しいから、皆見ていますよ。ほら」

 そう言うと、薄い唇が綺麗に弓形を描く。促されて見れば、浴びせられるたくさんの視線。ターンに合わせて、見える顔がくるくる変わっていく。皆こちらを向いている。それはそうだ。誰とも踊っていなかった私が、漸く踊っているのだ。しかも、注目を浴びていた容姿端麗な男性と。相手も、関係も、気になるはずだ。好奇の視線。また、噂になるのは間違いない。
 でも、「美しいから」だと何度も言われると、たとえ事実とは違うとしても、それらの視線をポジティブに受け止められる気がする。
 ステップを踏み、ターン。踊り慣れていない騎士かと思えば、そんなことはなく、踊りやすいようにリードしてくれる。さすが、こうした場に呼ばれるだけのことはある。あっという間に1曲終わり、互いに正式な礼をする。

「ありがとう。……そうだわ、お名前をお伺いしても?」
「申し遅れました。エリックです」
「エリック様、ね。楽しかったわ。またぜひ」

 明るいところで見るエリックは、闇の中で出会った彼とは全然違う印象だった。黙って微笑む彼は、声だけの優しい感じとは違って、少しクールな雰囲気になる。この後どうしよう、と考えた一瞬の間に、「私とも1曲」と脇から声をかけられてしまった。
 一度彼と踊ってしまった手前、誘われた踊りを断るのは、角が立つ。誘いをかけてきたのは、どこかで見たような、見たことがないような、印象の薄い青年。仕方なく踊ると、次から次へと申し込みが来て、断れなくなってしまった。
 婚約破棄されても、公爵に溺愛されている娘というのは魅力的なのね、と公爵家の権威を感じつつ、よく知らない男性の相手をする。ちらちらと周囲に視線を送ってエリックの姿を探したけれど、あの目につく銀髪は、もうどこにもなかった。
 もっと、話してみたかったのに。私は残念に思いながら、くるくると回り、形式だけのダンスを繰り返した。
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