忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

二十八話 覚醒 (響)

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 敵が動揺していることは見るまでもなく理解できたが、それでも油断は少しもできない状況だった。響でさえも先のことは見通せない状況になっているのだ。敵の魔術を無効化している訳でもなければ響が意図的に何かを行っている訳ではないのだ。

 ただ、敵の攻撃を避ける必要がないと漠然と思っただけだ。あまり深く考えないで行った結果であり、直感的な行動だったが、響の考えは正しかった。痛みも苦痛も感じない。怪我もしなければ戦闘に支障も出していない。

 今の響の状態は無敵なのではないかと錯覚しそうだった。気分が高揚し、身震いが抑えられなかった。しかし、同時に一抹の不安と疑心感は拭えなかった。どのような仕組みで敵の魔術を無効化しているのか響でさえも分からなかった。それに加え、身体を酷使し過ぎると、反動が訪れる可能性が高いと脳内で警鐘が鳴り響いていた。

 時間は限られている。今の状態をいつまで維持できるのか、全く予測できない。だからこそ早急に敵を片付ける必要があった。油断も慢心もできない。響は敵の一人に素早く接近すると、予備動作を最小限に抑えた掌底打ちを繰り出した。

 鳩尾を豪快に抉り、敵は地を跳ねるように吹き飛ばされた。一撃で敵を気絶させた響は次の敵に接近すると、跳躍してから上段廻し蹴りを繰り出した。豪快な蹴りが空気を斬り裂きながら敵の顎に命中し、敵の首が見事に折れ曲がった。

 「前衛の者は後衛ラインにまで下がれ。一旦、立て直す必要があるっ……」

 敵の一人が叫んだが、響が見逃す筈がない。やっとの思いで綻びが生じたのだ。この機会を逃せば状況は一転してしまう。逃れようとする敵を一人、また一人と気絶させていく。もはや、響に敵う者はいなかった。気付けば一方的な戦闘になっていた。

 「くっ……まさかここまでとは……さすがは宗家の血筋と言ったところか……だが、我々は負ける訳にはいかないのだ。何としても勝たなければならない。皆の者、聞け。敵は子供一人だ。臆することは許さん。立ち向かえ。全ては啓二様のために」

 「はっ!」

 「はっ!」

 前衛の敵は後退することを諦めたのか、再び前後左右から攻撃を開始する。三つ又の槍を持った新たな敵が正面を陣取り、怒涛の攻撃を仕掛けた。槍を豪快に振るう敵に追随するように、左右の敵が死角から大剣を突いて来た。

 今までの響だったら躱すこともできない容赦のない攻撃だったが、状況は瞬く間に変化していた。視界が三百六十度見渡すことができ、落ち着いて対処を取ることができた。まるで上空から戦闘を見渡しているかのように敵の位置を正確に把握できた。

 俯瞰しているような気分だった。背後にも敵が陣取り、退路は存在しない。退路がないのであれば新たな道を切り開くのみ。響は正面の敵の懐に潜り込むと、回転を加えた正拳突きを繰り出した。鳩尾を抉り、敵は地に膝を突いた。

 敵の槍を奪い、穂先を回転させた一撃を繰り出した。三つ又の槍は敵の胸を豪快に貫き、敵は痙攣しながら激しく吐血した。槍を引き抜くと同時に、左右の敵が大剣を振り落とした。休む間もない、駆け引きの連続でも対応するしかない。

 響は槍を逆手に持ち、大剣を受け止める。あまりにも重い一撃に両手がビリビリと痺れていたが、休んでいる暇はない。背後の死角から鉄槌を振り落とす敵の姿が視界に入ってきた。咄嗟の判断で槍を手放し、後方に跳躍した。

 「チッ……」

 敵が舌打ちをするのが聞こえたが、気にしている余裕はない。光の矢が再び襲い掛かってきた。響は身体の重心を移動させるだけで光の矢を躱していく。砂塵が舞い、視界が悪い中でも前衛の敵の攻撃を躱せるようになっていた。

 さすがの敵たちも響の動きが変わったことを、明確に感じ取っていた。僅か五歳の少年が死と直面することで覚醒しようとしていた。だからこそ敵は早急に事を片付ける必要があった。僅か五歳の少年とは言え、響は風祭家の血を引いている。

 土壇場で能力が使えるようになったら厄介なことになりかねない。自然と戦況は緊張感に包まれていた。今まで響が能力を使えないことを知っていた敵たちには余裕があった。簡単な仕事だと舐めて掛かった。その結果が今の状況を作り出した。

 響が魔術を使えないことは一部の者の間では有名な話しであり、敵達は完全に響のことを侮っていた。初めは実践不足な上、的確な状況判断も下せない少年という評価だった。噂通り響は無能者であり、簡単に殺すことができた。

 そう、確実に殺した筈だった。だが、死んだ筈の少年が突然と息を吹き返し、覚醒の兆しを見せている。敵達は意味が分からず、混乱せざるを得なかった。未知の体験に焦燥感を滲ませ、響への評価は変更せざるを得ない状況に陥った。

 その上、厄介なのが戦いながら急成長していることだ。身の熟し、心の持ちよう、戦闘技術、状況判断、先程までの少年とは思えない変わり様。そして、何よりも違和感が拭えないのが、後衛の者が繰り出す魔術が無効化されていることだ。

 あまりにも不可解で奇妙な状況を体験していた。敵達が警戒するのも自然な流れだった。このままでは敗北する。僅か五歳の少年に手も足も出せないまま敗北することは許されない。例え、どんな汚い手を使ったとしても勝利を手にする必要がある。

 「おいっ、覚醒する可能性がある。早めに殺さないと厄介だッ……」

 「分かっている」

 敵の一人が大剣を振り回しながら警告を発する。周りの敵たちも同じことを考えていたのであろう。手数が増える一方で攻撃が単調になり始めたのだ。響には敵が焦っている理由が理解できなかったが、攻撃が単調になったのはありがたかった。

 響は大剣を持った敵の懐に潜り込むと、鳩尾に拳を叩き込んだ。あまりに予想外の威力に敵は崩れるように膝を突き、嘔吐していた。続けざまに上段廻し蹴りを繰り出し、跪く敵の頸椎を綺麗に折った。もはや、五歳の少年という枠を越えていた。

 響が思考している時間は数秒もなく、再び光の矢が襲い掛かる。だが、今の響には意味のない攻撃だと理解していた。それに敵の攻撃の全てが遅く感じた。まるで時間という軸から、はみ出したような不思議な現象だった。

 響は豪雨のように降り注ぐ矢を重心を移動させるだけで躱すと、鉄槌を持った敵の背後に素早く立ち回る。積み重ねてきた鍛錬通りに身体が動いた。敵の背後を取った響は、そのまま流れるように上段廻し蹴りを繰り出した。

 何故だか分からないが、敵は響の動きに全く反応できていなかった。響の繰り出した蹴りが敵の後頭部に直撃し、首が逆方向に折れ曲がった。骨が折れる鈍い音が鳴り響き、敵が悲鳴を上げながら倒れた。

 「全員、警戒しろッ……覚醒した可能性が高いッ……」

 「覚醒……?」

 やはり覚醒か。響も密かに疑っていたが、覚醒だけでは納得のいかない現象も起きている。五感が敏感になっているところまでは理解できる。しかし、死んだ筈なのに生きている現実、謎の声、魔術の無効化、覚醒と一括りに纏めるには無理がある。
 
 敵の数が多いため、響が思考している時間はなかった。敵は警戒しながらも攻撃を再開。後衛の敵が遠距離から光の矢を放ち、前衛の敵が接近戦を仕掛けて来た。また同じパターンの攻撃かと安堵の息を漏らした響は躊躇うことなく敵に接近した。

 前衛の敵の懐に潜り込むと、勢いのままに肘打ちを繰り出した。衝撃で天狗の面が外れ、敵は跪きながら嘔吐した。鳩尾に綺麗に決まるも失神させるまでには至らなかった。響の攻撃は尚も止まらず、敵の頸椎を狙って中段前蹴りを繰り出した。
 
 骨が折れる音が響き渡り、敵は白目を剥いてから倒れた。響の怒涛の反撃を食い止めようと光の矢が容赦なく降り注いだ。しかし、今の響には脅威と感じるほどの攻撃とは思えなかった。数え切れないほどの矢が響の身体に突き刺さっていたが、不思議と痛みは感じなかった。

 
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