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第一章 高校一年生(二学期)

まどろみ(葉奈)

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 朝起きた時の微睡みは罪深い。
 そういうのが葉奈の見解なのだとか。

 ゆらゆらと、起きているのか眠っているのか分からない微妙な感覚がとても心地が良くて、もっともっとその感覚を楽しみたいらしい。

 眠ることが至福な葉奈としては、この時ほど幸せを感じることはない。
 そんな時間は、誰かにゆさゆさと強く揺すられたせいで終わりを迎えた。
 親はもうとっくに出かけているはずなのに。

「――葉奈ちゃん」

 鈴のような、繊細で綺麗な声が激しい揺れと共に舞い降りた。
 それは意識を現実へと戻していき、そして葉奈はぱちりと目を覚ます。

 未だ心地良い微睡みを求める目が、虚ろながらに周りを見渡すと一人の少女に行き着いた。

「……紫乃ちゃん、っすか?」
「もうそろそろ起きないと遅刻するよ~」

 普通に穏やかそうに言う紫乃の手には、包丁が握られている。

「あ、あのー……紫乃ちゃん?」
「うん? どうしたの~、葉奈ちゃん」
「何をなさろうとしているんすかね?」

 震える声で訊ねてみる。
 紫乃と同い年である葉奈が敬語になるくらい、その手に持つ包丁は何かと不穏な雰囲気を放っている。

 紫乃の微笑みと包丁の輝きが怖い。
 当の本人はきょとんと首を傾げ、純粋無垢なその瞳を葉奈に向けた。

「何って、朝ごはん作ったから一緒に食べようと思って~」
「包丁を寝室まで持ってこなくても良くなかったっすか?」
「だって戻すのもめんどくさかったし~」
「包丁ぐらい元の場所に戻せって言いたいっすよ……」

 微睡みを邪魔されたせいか、若干機嫌が悪い。
 だけど、紫乃が作ってくれた朝食は食べてみたさがある。
 もぞもぞと魅惑的な布団から抜け出し、紫乃を追い出して着替える。

「ふぅ……もうちょっとあの感覚を楽しみたかったんすけどねぇ……」

 ぶつぶつ不満を口にしていくが、不思議と顔は怒っていなかった。
 それどころか、すごく嬉しそうに顔をほころばせている。
 ……それにしても、紫乃は料理得意だっただろうか。

「……ま、まあ、大丈夫……っすよね?」

 細かいことは気にせず……気にしないよう振舞って、葉奈は自分の部屋から出た。
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