冷徹社長の容赦ないご愛執

真蜜綺華

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そうだ、九州へ行こう。

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 大和と同時に顔を向けると、フロントにいる橘が「ちょっと来い」と目配せだけで佐織を呼んでいる。
 「ごめん」と大和に軽く詫びを入れ、橘の元へと駆け寄った。
『宿泊の予約は君が取ってくれていたな』
『は、はい』
 佐織が隣に立つなり、彼は不機嫌に眉をひそめる。
 加えて、低めの声で紡ぎ出される流暢な英語が否が応でも威圧を与え、思わず肩を竦めた。
 彼は何かが不服のようだ。
(でも、いったいなにが……)
 せっかくだから、佐織の実家が経営する旅館に泊まりたいと言ったのは、彼の方だった。
 会社の上役が出張の際、宿泊の予約を取るのは秘書の仕事だ。
 抜かりなく予約はきちんと取られているはずなのに、彼は目の前で大きく溜め息を吐いた。
『俺は今日ここに仕事で来ているし、帰るなら今これからでもよかった。必ずしも泊まる必要はなかったが、一泊すると言ったのは俺の個人的な都合だ。特別室が用意されているそうだが、それはまあ構わない。だが、今日のこの宿泊費は会社に請求することになっていると言われた。わざわざ個人的に予約している特別室の請求を、だ。これはどういうことだ』
 仕事モード全開の橘が、部長達とのあの面談を彷彿とさせるような鋭利な異国の言葉で、ズケズケと問い詰めてくる。
(……失敗した)
 彼はご立腹だ。
 資料一つでも経費が嵩むことを懸念する人なのに、宿泊の費用を会社で賄うことに何の疑問も抱かなかった。
 しかも、会社経費にするなら宿泊費の高い特別室なんて宛てがってはいけないとわかるはずだった。
 実家の旅館を紹介するのだから、いい部屋に泊まってもらおうと見栄を張ったのがまずかった。
 冷や汗が背中に伝うのを感じながら、鋭い眼光に怯える。
 例えどんなに怒っていたって、手を上げるような人ではない。
 けれど、自分に対して一目置いてくれていた彼からの信頼を、このたった一つのミスから失ってしまいそうで、心臓が冷えるほど怖くなった。
「し、支配人……」
 やっとの思いで、体を縛り付ける眼光から視線をひき剥がし、後ろに控えていた幼馴染みに端的に事情を話し助けを求める。
「別の部屋を用意してもらうわけには……」
「申し訳ないけど、今日は満室で……」
 眉を下げる大和の表情を見る限り、どうやら希望は通らないらしいと悟る。
 失いそうになっている信頼をなんとか繋ぎ止められないかと、焦りが出てきた。
「そこをなんとかお願いできないかな」
 橘にはできるだけおおっぴらにしないように小声で懇願する。
『佐織』
 それを遮ったのは、少し尖った橘の声だ。
『部屋はそのままでも構わない』
 吐き出す溜め息に呆れを感じさせ、彼は大和へと視線を移す。
『こちらの見苦しい私情を挟んでしまい申し訳ない。この素敵な老舗旅館の特別室に泊まれるなんて、個人的にはとても幸せなことですから、ありがたく宿泊させていただきます』
 大和に対し口角を上げただけの笑みでそう告げる橘に、申し訳なさと不甲斐なさが溢れてくる。
 宿帳にサインをする彼の背中から、視線はしゅんと足元に落ちた。
 自分を認めていると言ってくれたからと、浮かれて張り切り過ぎてしまった。
 こんなふうに空回りしていては、使えない人間だとすぐに切られてもおかしくない。
 せっかく今の仕事に、自分の存在価値を付けられそうだったのに。
 彼に見放されてしまったら、本当に立ち直れない気がする。
『支払いは今済ませるので、会社への請求は必要ありません』
 ペンを置き、高級本革の長財布から黒光りのカードを取り出すと、受付の女性が戸惑ったように佐織に視線を向けてきた。
 どうすればいいのかという視線を、代わりに橘へ向けなおす。
『社長、ここは経費で出しますので』
『今日の宿泊は完全にプライベートだ。会社からは出させない』
『でしたら、私が……』
『この俺がそんなことさせるわけないだろう』
 佐織の戸惑いに、彼は淡々とした英語を返してくる。
 完全に〝経営者〟としての顔をしていて、ピリッと走った緊張感に背筋が伸びる。
 彼は簡単に自腹を切るというけれど、今回予約した部屋は通常の宿泊費の四倍以上はするいわゆるスイートルームだ。
『ですが、お部屋の価格が……』
『構わない』
 何度も言わせるなという切れ長の瞳の眼力に圧され、受付の女性に「お願いします」と頭を下げざるをえなかった。
『サオリは今日どうするの?』
 黙って事の成り行きを見守っていたルイが、頭を重くする佐織に訊ねる。
『私は今日実家に泊まる予定です』
『じゃあ僕も泊めてよ、サオリの家に。ここに泊まりたかったけど、満室なんだろう? ユウセイも泊めてくれないって言うし……このままじゃ僕この寒空の下で凍死しちゃうよー』
 うるうるとした青い瞳が佐織に慈悲を訴えてくる。
 この近辺に宿泊施設があるにはあるが、この週末実家の旅館が満室であるなら、どこも同じような状況だろう。
 これからの時期、カニや牡蠣の旬となり一番の繁忙期に突入するのだ。
 彼を放っておくわけにもいかず、親に聞いてみれば客人一人くらい泊めてやれないことはないだろう。
 しかし、異性となると気になるのは父の目だ。
 とりあえず確認は取ってみようという結論を導いていると、二人のやり取りに気づいた橘が足音でも響かせるかのようにズンズンと近づいてきた。
『そうはさせるか。部屋はツインで利用できるそうだ』
『え! 本当に⁉ さっすがユウセイ!』
『自分の分は自分で支払えよ』
『うん、もちろんだよ!』
 わかりやすくパッと表情を咲かせ、るんるんと花を散らしながらフロントに向き合うルイ。
 はあっと溜め息を吐いた橘に、佐織は頭を下げた。
『申し訳ありませんでした。配慮が足りませんでした』
 橘は経営者の顔をしたまま冷めた英語を寄越す。
『前の社長は、こうやって経費を湯水のように使っていたんだろう』
 図星に罪悪感を感じるのは、秘書課の佐織までもが、前社長の浪費の常習化を暗に認めてしまっていたからだ。
『週明けは、経理部に抜き打ちで入る。事前の連絡は不要だ。経理部長のスケジュールだけ見ていてもらえればいい』
『かしこまりました』
 ルームキーを受け取りながら、横目に佐織を捕らえる切れ長の瞳に背筋が凍る。
 週明け、通訳をすることになるであろう経理部の面々が、佐織同様顔を青白くさせるのが目に浮かぶようだった。

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