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自分の、居場所。
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ルイと共に部屋へ案内される前、橘から夕飯はどうするのかと聞かれた。
考えていないと答えるとせっかくだから一緒にどうかと誘われ、断る理由は当然なく佐織はこのままロビーで待つことにした。
「お仕事、順調そうだね」
他の客がいないタイミングで話しかけてきたのは詩織だ。
「社長さんに付いてるなんて、出世したんじゃない?」
「職位が変わったわけじゃないけど、それと同じくらい光栄なことだよ。詩織こそ、すっかり女将さんだね。着物もよく似合ってる。それおばあちゃんのだよね、見たことある」
詩織を前にすると、やはりここには居づらさを感じる。
彼女に対する一方的な引け目が、胸の奥に重しを乗せる。
開く口にすら鉛が付いているようで、沈黙にならないよう当たり障りのない話題を作った笑みに添えた。
「そうだよ。でも着物の着こなしはお姉ちゃんのほうが上手だと思う。まだやってる? 踊り」
「うん、叔父さんのところでときどきね」
会話をぎこちなく感じているのはきっと佐織だけで、二年も帰らなかった姉に、妹は不満のひとつも見せない。
ここにいる人達はみんな、きっと同じように佐織を笑顔で迎え入れてくれるはずだ。
「で、お姉ちゃん」
「なに?」
「社長さん、超ぉイケメンだけど」
「ま、まあ、そうね。それが何?」
「付き合ってたりしないの?」
「は⁉ まさか!!」
驚きのあまり思いのほか大きな声が出てしまい、慌てて自分の口を塞ぐ。
「どうしてそういう話になるのよ」
自分の声のせいか詩織の唐突な妄想のおかげか、変に頬が熱くなる。
「だってさ、九州出張に同行するなんて。秘書としては普通のことなの?」
「今回は本当にたまたまなの。私の地元に行きたいって社長が言うから。それに同行は私だけじゃ……」
あくまで通訳としての役割を担っての同行だ。
日本語を話せる人なのに、通訳として同行しているなんてのは理由にならないけれど。
想定外とはいえ、ルイも一緒だ。
これは仕事だ。他意は一切ない。
「へえ、地元、にねぇ」
「え、なによ……」
詩織の含んだ言い方には、さっぱりその意図がわからない。
「でももしそうなら、安心だなぁって思ったんだけど」
「安心って……どうして」
にやにやとした表情を鎮めてから一転、詩織は申し訳なさそうに視線を落とした。
「お姉ちゃんが帰って来ないのって、私がここにいるからだよね」
佐織は自分の心が読まれてしまったようではっと息を飲む。
「やっぱり」
上目遣いに見てくる彼女には、それが正解なのだと知らしめてしまった。
佐織とは違い、はっきりと自分の思いを口にできる彼女の性格は、昔からずっと羨ましいと思っていた。
子どもの頃から甘え上手だった妹は、またこうやって姉の劣等感を煽る。
だからと言って、彼女を嫌っているわけではない。
大切なたった一人の妹だし、立派に旅館を引っ張って行く姿も誇らしく思う。
だから、何の非もない彼女に佐織が一方的な感情を抱いているに過ぎない。
それなのに、それが彼女に伝わってしまっていたなんて。
「ごめんね、私知ってたの。お姉ちゃんが、大和くんのことずっと……」
「昔の話だよ」
詩織の言わんとすることがわかり、今現在の事実で遮った。
「お姉ちゃんの帰ってくる場所、私が奪っちゃったことも、本当に申し訳ないと思ってたの」
あえて言わせなかった佐織の意図を汲み、別の方向から彼女は頭を下げた。
本当は、帰るつもりでいた。
留学したのも、英語を身につけてこの旅館で活かそうと思ったからだった。
昔から英語は得意なほうで、聞き取った英語の意味を理解できるようになるのが、楽しくてしょうがなかった。
外国人観光客の宿泊があったとき、たまたま居合わせた佐織が、まだ片言だった英語で意思疎通をはかり、困っていたみんなの間を取り持つことができたのが、留学を決めたきっかけ。
そういう志を持ち海の向こうで頑張っている最中に知った、妹の結婚と旅館の相続。
当時、まだ二十歳の妹が家業を継ぐという決断をしたことは衝撃だった。
大学を卒業したら、跡を継ぐのは自分だと当然のように思っていたから。
しかも彼女は婿を取り結婚した。
その相手が幼馴染みの大和だと聞いたときは、頭が真っ白になるほど驚いた。
……帰る場所がなくなった気がした。
もちろん、妹が家業を継いだとしても、自分も家のために帰郷して手伝ってもよかった。
だけど、偉い偉いと周りから褒め称えられる妹を前にして、姉としての立場は形無しだったのだ。
「お姉ちゃんが旅館のために勉強頑張ってたの知ってたのに、私がここを継ぐって言ったから」
詩織は、すべてわかっていたのだ。
周りを見据えることができている詩織は賢いと思うし、自分なんかでは到底及ばない心の強さを持っているんだろうと思う。
「自分勝手なことしてたのは私だから。詩織がそんなふうに思うことはないよ」
ここに居づらいと思ったのは、佐織の一方的な気持ちのせい。
詩織に謝らせることではないのだ。
「私ね、自分が居るべき場所、見つけられそうなの」
「あ。やっぱり社長さんだ」
うん、と恥ずかしげにうなずいて見せると、詩織はにっこりと微笑んだ。
「あ、でも恋人とかじゃなくて……本当に仕事のパートナーとしてだよ。橘社長は、私を見ていてくれたの。誰も気に掛けなかった私のことを、ずっと」
「へえ」
「社長は私を必要としてくれてるんだって思ったら、今の仕事に自信が持てるようになったっていうか……」
「その社長さんが、お姉ちゃんのいるべき場所なんだね」
心の底からそうだと言える自信はまだないけど、小さく「そうかもしれない」と呟いた。
「だからね、詩織が私の居場所取ったなんて思うことないから。たぶん、私じゃ女将は務まらなかったと思う。詩織みたいに、周りのことにもちゃんと目を配れるような人じゃなきゃ」
「そう言ってもらえると、救われるよ。それに、彼と結婚したことも、この旅館を継いだことも、後悔はしてないから」
「うん、そう思っててもらわなきゃ。私も自分の仕事に打ち込めないから」
口元に笑みを引きながらも、そういう詩織が見せる瞳の色は、確かな強さを持っていた。
ふふふ、と姉妹で和やかな笑いをひとしきり交わし合うと、詩織は他の仕事があるからと女将らしく頭を下げた。
「それでは、ごゆっくり」
「うん、ありがとう」
ひとつひとつの所作はとても品がよく、やっぱり女将として見合うのは詩織のほうだとあらためて納得する。
だけど、お辞儀からなおった詩織は、踵を返そうとして顔ににやりとした笑いを含めて見てきた。
「お姉ちゃん。次帰ってくるときも、社長さんと一緒に来なよ?」
「え? どうして?」
「今度は社長さんとしてじゃなく、〝お姉ちゃんのお婿さんとして〟、家族に紹介してね」
「は!?」
「橘さんとなら、お姉ちゃんも玉の輿だね」
「な、なに言ってるの!?」
「いいなぁ、私もお姫様みたいな生活してみたい」
唐突な期待に、一瞬だけそうなることを想像してしまった頭が、ぼっと顔の温度を急騰させる。
「それでは失礼いたします」と言い逃げする詩織は、さっさと行ってしまった。
そういえば叔父もそんなことを言っていたと頭を抱える。
(私が、社長と……!? ないない! ないでしょう、それは!)
あれだけ完璧な男子だ。
もし仮にこちらがよかったとしても、向こうからすれば門前払い案件だ。
あのハイレベル男子に見合う女性なら、他にいくらでもいるはずだから。
(でも――……)
――『俺にとって必要なパートナーだと思ってる』
前に彼が言った言葉を思い出す。
まるで佐織が特別であるかのような言い方。
あくまで仕事上の言葉でしかないはずなのに、周りが変な誤解をしてくるから勘違いしそうになってしまう。
自分の単純さに呆れながらも、胸のしこりがいつのまにかコロコロと軽い鈴の音を鳴らしているような気がした。
ルイと共に部屋へ案内される前、橘から夕飯はどうするのかと聞かれた。
考えていないと答えるとせっかくだから一緒にどうかと誘われ、断る理由は当然なく佐織はこのままロビーで待つことにした。
「お仕事、順調そうだね」
他の客がいないタイミングで話しかけてきたのは詩織だ。
「社長さんに付いてるなんて、出世したんじゃない?」
「職位が変わったわけじゃないけど、それと同じくらい光栄なことだよ。詩織こそ、すっかり女将さんだね。着物もよく似合ってる。それおばあちゃんのだよね、見たことある」
詩織を前にすると、やはりここには居づらさを感じる。
彼女に対する一方的な引け目が、胸の奥に重しを乗せる。
開く口にすら鉛が付いているようで、沈黙にならないよう当たり障りのない話題を作った笑みに添えた。
「そうだよ。でも着物の着こなしはお姉ちゃんのほうが上手だと思う。まだやってる? 踊り」
「うん、叔父さんのところでときどきね」
会話をぎこちなく感じているのはきっと佐織だけで、二年も帰らなかった姉に、妹は不満のひとつも見せない。
ここにいる人達はみんな、きっと同じように佐織を笑顔で迎え入れてくれるはずだ。
「で、お姉ちゃん」
「なに?」
「社長さん、超ぉイケメンだけど」
「ま、まあ、そうね。それが何?」
「付き合ってたりしないの?」
「は⁉ まさか!!」
驚きのあまり思いのほか大きな声が出てしまい、慌てて自分の口を塞ぐ。
「どうしてそういう話になるのよ」
自分の声のせいか詩織の唐突な妄想のおかげか、変に頬が熱くなる。
「だってさ、九州出張に同行するなんて。秘書としては普通のことなの?」
「今回は本当にたまたまなの。私の地元に行きたいって社長が言うから。それに同行は私だけじゃ……」
あくまで通訳としての役割を担っての同行だ。
日本語を話せる人なのに、通訳として同行しているなんてのは理由にならないけれど。
想定外とはいえ、ルイも一緒だ。
これは仕事だ。他意は一切ない。
「へえ、地元、にねぇ」
「え、なによ……」
詩織の含んだ言い方には、さっぱりその意図がわからない。
「でももしそうなら、安心だなぁって思ったんだけど」
「安心って……どうして」
にやにやとした表情を鎮めてから一転、詩織は申し訳なさそうに視線を落とした。
「お姉ちゃんが帰って来ないのって、私がここにいるからだよね」
佐織は自分の心が読まれてしまったようではっと息を飲む。
「やっぱり」
上目遣いに見てくる彼女には、それが正解なのだと知らしめてしまった。
佐織とは違い、はっきりと自分の思いを口にできる彼女の性格は、昔からずっと羨ましいと思っていた。
子どもの頃から甘え上手だった妹は、またこうやって姉の劣等感を煽る。
だからと言って、彼女を嫌っているわけではない。
大切なたった一人の妹だし、立派に旅館を引っ張って行く姿も誇らしく思う。
だから、何の非もない彼女に佐織が一方的な感情を抱いているに過ぎない。
それなのに、それが彼女に伝わってしまっていたなんて。
「ごめんね、私知ってたの。お姉ちゃんが、大和くんのことずっと……」
「昔の話だよ」
詩織の言わんとすることがわかり、今現在の事実で遮った。
「お姉ちゃんの帰ってくる場所、私が奪っちゃったことも、本当に申し訳ないと思ってたの」
あえて言わせなかった佐織の意図を汲み、別の方向から彼女は頭を下げた。
本当は、帰るつもりでいた。
留学したのも、英語を身につけてこの旅館で活かそうと思ったからだった。
昔から英語は得意なほうで、聞き取った英語の意味を理解できるようになるのが、楽しくてしょうがなかった。
外国人観光客の宿泊があったとき、たまたま居合わせた佐織が、まだ片言だった英語で意思疎通をはかり、困っていたみんなの間を取り持つことができたのが、留学を決めたきっかけ。
そういう志を持ち海の向こうで頑張っている最中に知った、妹の結婚と旅館の相続。
当時、まだ二十歳の妹が家業を継ぐという決断をしたことは衝撃だった。
大学を卒業したら、跡を継ぐのは自分だと当然のように思っていたから。
しかも彼女は婿を取り結婚した。
その相手が幼馴染みの大和だと聞いたときは、頭が真っ白になるほど驚いた。
……帰る場所がなくなった気がした。
もちろん、妹が家業を継いだとしても、自分も家のために帰郷して手伝ってもよかった。
だけど、偉い偉いと周りから褒め称えられる妹を前にして、姉としての立場は形無しだったのだ。
「お姉ちゃんが旅館のために勉強頑張ってたの知ってたのに、私がここを継ぐって言ったから」
詩織は、すべてわかっていたのだ。
周りを見据えることができている詩織は賢いと思うし、自分なんかでは到底及ばない心の強さを持っているんだろうと思う。
「自分勝手なことしてたのは私だから。詩織がそんなふうに思うことはないよ」
ここに居づらいと思ったのは、佐織の一方的な気持ちのせい。
詩織に謝らせることではないのだ。
「私ね、自分が居るべき場所、見つけられそうなの」
「あ。やっぱり社長さんだ」
うん、と恥ずかしげにうなずいて見せると、詩織はにっこりと微笑んだ。
「あ、でも恋人とかじゃなくて……本当に仕事のパートナーとしてだよ。橘社長は、私を見ていてくれたの。誰も気に掛けなかった私のことを、ずっと」
「へえ」
「社長は私を必要としてくれてるんだって思ったら、今の仕事に自信が持てるようになったっていうか……」
「その社長さんが、お姉ちゃんのいるべき場所なんだね」
心の底からそうだと言える自信はまだないけど、小さく「そうかもしれない」と呟いた。
「だからね、詩織が私の居場所取ったなんて思うことないから。たぶん、私じゃ女将は務まらなかったと思う。詩織みたいに、周りのことにもちゃんと目を配れるような人じゃなきゃ」
「そう言ってもらえると、救われるよ。それに、彼と結婚したことも、この旅館を継いだことも、後悔はしてないから」
「うん、そう思っててもらわなきゃ。私も自分の仕事に打ち込めないから」
口元に笑みを引きながらも、そういう詩織が見せる瞳の色は、確かな強さを持っていた。
ふふふ、と姉妹で和やかな笑いをひとしきり交わし合うと、詩織は他の仕事があるからと女将らしく頭を下げた。
「それでは、ごゆっくり」
「うん、ありがとう」
ひとつひとつの所作はとても品がよく、やっぱり女将として見合うのは詩織のほうだとあらためて納得する。
だけど、お辞儀からなおった詩織は、踵を返そうとして顔ににやりとした笑いを含めて見てきた。
「お姉ちゃん。次帰ってくるときも、社長さんと一緒に来なよ?」
「え? どうして?」
「今度は社長さんとしてじゃなく、〝お姉ちゃんのお婿さんとして〟、家族に紹介してね」
「は!?」
「橘さんとなら、お姉ちゃんも玉の輿だね」
「な、なに言ってるの!?」
「いいなぁ、私もお姫様みたいな生活してみたい」
唐突な期待に、一瞬だけそうなることを想像してしまった頭が、ぼっと顔の温度を急騰させる。
「それでは失礼いたします」と言い逃げする詩織は、さっさと行ってしまった。
そういえば叔父もそんなことを言っていたと頭を抱える。
(私が、社長と……!? ないない! ないでしょう、それは!)
あれだけ完璧な男子だ。
もし仮にこちらがよかったとしても、向こうからすれば門前払い案件だ。
あのハイレベル男子に見合う女性なら、他にいくらでもいるはずだから。
(でも――……)
――『俺にとって必要なパートナーだと思ってる』
前に彼が言った言葉を思い出す。
まるで佐織が特別であるかのような言い方。
あくまで仕事上の言葉でしかないはずなのに、周りが変な誤解をしてくるから勘違いしそうになってしまう。
自分の単純さに呆れながらも、胸のしこりがいつのまにかコロコロと軽い鈴の音を鳴らしているような気がした。
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