氷血辺境伯の溺愛オメガ

ちんすこう

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「おい、一匹あっちに行っちまったぜ。どうする?」

 ゆっくり近寄ってきた兵士が、倒れ込んだ北斗の体を蹴りつけた。それだけじゃ飽き足らず、肩やお腹を銃口で小突きながらこっちを見る。

「ユスラの連中はまだ来てねぇ。兎一羽を狩るくらいイケるだろ」

 もう一人が言って、下卑た笑い声が起こった。
 逃げないと……そう思うのに、足が震えて立てない。
 倒れたまま動かない北斗に視線が釘付けになって、喉からカヒュ、と空気が漏れた。
 ズダン! と地鳴りのような音がした途端、お腹が燃えるように熱くなった。

「あぐぅっ……!」
「ハハハ、こっちのガキより良い声で鳴くぞ!」

 兵士は境界線を越えないように、銃だけを突き出して撃たれた傷口を抉ってくる。
 もう何発か撃てばすぐ殺せるのにそれはしない。

「おらおらぁ、下等オメガちゃん。もっと喘げよ。娼婦らしく」
「ぐぁああ……!」

 鉄が開いた孔にねじこまれて引き攣れるような激痛が走る。逃げようとしたら太ももまで撃ち抜かれて地面に転がってしまった。

「痛い、痛いよぉ、痛い」

 嗚咽を上げながら土を引っ掻き、少しでもユスラ国の中に逃げ込もうとする。兵士たちはそんな僕を嘲笑って、頭の上に発砲した。

「ギャハハ! 豚みたいに這いずり回ってやがる!」

 オメガを蔑む言葉。嘲笑う声。
 ――死にたくない。

 そこでやっと体に力が戻ってきて、肘を支えにして起き上がる。後ろを振り返り、掴んでいた土をがむしゃらに投げつけた。

「ぐぁっ!」
「このガキ!」

 土は湿っていたものの、目つぶしになってくれた。兵士たちが目を庇った隙に駆け出す。

 ――逃げろ。逃げろ!

 不思議と痛みは感じなくなっていた。
 後ろで男たちが騒ぐ声やあちこちに飛ぶ銃声を聞いても足を止めず、必死に走る。どこへ逃げればいいのかも分からないまま。

 ――逃げろ。逃げて、生きるんだ。

 北斗の声がそう言ってる。

 でも――どこへ?

 僕はどこに逃げればいい。何をすればいいの? 分かんないよ。僕一人じゃ何もできないよ、北斗。

 走りながら泣いた。

「あっ」

 目の前は川だった。国境で一度平地になっていた地面が、また急な土手になっていて、疲れた足は簡単にぬかるみに取られる。
 さらに雨で水かさが増しているのか、土手から水面までの距離が近かった。足を滑らせたらおしまいだった。

 ――助けて。

 北斗もいない今、誰に頼んでいるのかは分からない。
 ただそう強く願いながら、僕は濁流に呑みこまれた。

 後のことはよく覚えていない。
 大量の水を飲んで酷く苦しかったこと、氷水に飛び込んだようなおそろしい寒さだけははっきり記憶に残っている。

 苦しい。かなしい。

 真っ暗で何も見えなくて、自分がどこへ向かって流されているのかも分からなかった。
 一人で死に向かっていくのが寂しくて、溺れながら泣いていたと思う。

 冷たい、寒い……。誰か、助けて。


『大丈夫』


 そうだ。あとはこの低い声。
 激しい水音の中で、その声はなぜかはっきり聴き取れた。

『僕に掴まれ。死んでは駄目だ』

 突然、目の前に大きななにかが現れた。それは、薄い橙色にぼんやりと輝いている。
 橙色のなにかは水の流れに逆らうようにこっちに向かってきて、僕を捕らえた。

『よく耐えた。さあ、ここを出よう』

 あたたかい……。
 声にはできなかったけど、そう思った。
 凍りつくような水の中で、そのなにかはすごく温かかった。
 ほっとした途端、意識がみるみる薄れていく。
 次に薄く目を開けたときには、ぼやけた視界に誰かが座っていた。
 その人と視線が合うと、彼は身を乗り出すようにして僕を覗き込む。濡れそぼった亜麻色の髪が一房零れ落ちた。

「生きてるね」

 それだけ言うと、その人は僕の顎を持ち上げて、囁いた。

「見つけた。僕の運命」

 自分が目を閉じたのか、視界が塞がれたのかは分からない。とにかく視界が暗くなると、唇が柔らかいもので覆われた。しっとりと濡れている。

「んっ、ふ……?」

 ちゅ、ぴちゅ、と雨や川とは明らかに違う水音が漏れて、口の中にびりびりと甘い痺れが走った。
 気持ちいい……。
 そう感じたとき、身体の奥に火がともった。

 ちゅく♡ ちゅぷ、ちゅっ♡

「ぁ、ん……っ♡」

 濡れた熱と舌を絡め合わせていると、体温が上がっていくのが分かった。
 僕の舌を搦めとっていたものがぬるりと去っていくと、繋がったままのぬくもりからフ、と空気が送り込まれてきた。
 呼吸が楽になると同時に、胸につかえていた苦しいものが一気に喉をせり上がる気配がした。



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