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【第一話:辺境伯 ユージーン・リベラ】
しおりを挟む重いまぶたを開けると、目の前には白い天井がいっぱいに広がっていた。
「気が付いた?」
すぐ隣から声がして首を傾けると、ベッドの横に置かれた椅子に若い男の人が座っていた。
亜麻色の髪に、薄いグリーンの瞳。
意識を失う前に会った人だ。
「はい。えっと、ここは……」
『どこですか』と尋ねようとして息を吞む。
よく見たら、すごく、すごく綺麗な人だった。人間離れしてる。
小さな顔には完璧な配置でパーツが並び、肌は見たことがないくらい滑らかそうで、皺もしみもひとつもない。その白い輪郭に、淡い金の髪がかかっていた。
全てが完璧すぎて、一点の曇りもない氷柱みたいな人だと思った。
「いま何時ですか? 僕はここに来て何日経つんでしょうか」
混乱して、まとまりのない質問を立て続けにしてしまう。言ってから迷惑じゃなかったか気になったけど、男性は快く一つ一つ答えていってくれた。
「今は夜の十時だよ。君がここに来たのは三日前の午前三時ごろだったかな」
「三日……」
「右側を見てごらん。窓の近くに時計を置いてあるから、それを確認したらいい」
ちらりと視線を動かすと、そこに小さな棚があって、上に時計が置かれていた。針は十時すぎを指している。
それから窓を見上げた――格子なんて嵌まっていない窓だ。外には黒い夜空が広がっている。
「命の危険はなかったが、君の体は限界だった。昏々と眠り続けていたよ」
男性が親切に教えてくれる。
そのあいだに、北斗はどうなってしまったんだろうか……彼のことを考えると胸が痛んだ。
思考を切り替えるように窓から部屋に視線を戻すと、美貌の人が穏やかな顔で僕を見つめていた。
服装は茶色いベストを着てるだけで飾り気はないのに、どこかの貴族だな、とすぐに分かる品の良さがある。
目の覚めるような美しさを見た衝撃で、頭にかかっていたもやが徐々に晴れていった。
「ここは病院ですか?」
「うん。ユスラ王立総合病院だ」
「ユスラ……」
ということは、成功したんだ。
ダチュラとの国境線を越え、境目近くにある運河を渡って。僕は、夢の土地にたどり着いた。
僕だけが。
「……っ」
そう思うと心が軋んだ。
でも生き残れたなら、進み続けるしかない。
僕一人でもここで生きていく。
北斗が言ってたことが現実になってしまった……――それでも、この国で生活を立て直しさえすれば北斗を探すことができるかもしれない。
「えっと、僕が溺れていたのを助けてくれたのは……?」
気持ちを切り替えて訊ねてみる。
記憶がごちゃ混ぜになってるけど、水から引き揚げてくれたのはこの人じゃなかった気がする。もっと身体が大きくて、変な話だけど、人じゃなかったような……?
「さあ。僕が来たときには誰もいなかったよ。僕は川岸で倒れてる君を見つけて、水をたくさん飲んでいるようだったから、応急処置をしてここまで運んできたんだ」
「そうだったんですか……ありがとうございました」
あの大きななにかの正体は気になったものの、これ以上確かめようもない。ひとまず目の前の彼にお礼を言うと、男性は長いまつ毛をまばたかせて小さく頷いた。
「気にしないで」
そう言うと、長い手がすっと伸びて、ベッドに置いていた僕の腕を取った。
「君はこれからゆっくり体を癒したあとで、新しい人生を生きるといい。――自由に」
「自由……」
そこに嵌められていた手枷は、もうない。寝ている間に外されたらしい。縛り付けられていた名残だけが手首を赤く取り巻いていた。
首輪はついたままだけど、それを反対の手で触って確認していると彼が言葉を付け足した。
「首のぶんも今すぐ外せるけど、項を守るものは欲しいでしょう。すぐ新品を用意するから、それが届くまで待ってほしい」
「そんな、そこまでしてもらわなくても――んっ」
唇にしなやかな指が当てられ、声を塞がれた。
「遠慮は置いといて、まずはお互いの自己紹介をしよう。僕はユージーン。君は?」
奇跡みたいに整った顔が、少しだけ近付いてくる。き、緊張する。
「果南……です。三澄果南」
「カナン」
名前を教えると、小さな声で反芻して僕をじっと見つめてきた。
くっきりとした二重瞼で、アーモンド形の目は明るい水色に輝いている。
不思議な目だ。
角度が変わると青くなったり、グリーンになったりする。
――って、いうか近い!
「あ、あのあのあの……!」
「よろしくね、カナン」
僕の腕を取ったままさらにぐっと顔を寄せてきたユージーンは、面白いくらいに無表情だった。何を考えてるのか全然分からない。
顔を火照らせながら慌てる僕にぐんぐん近付いてきて、ふ、と耳元に息を当てた。
「わひっ!」
「ふふ」
笑った? くすぐった……!
近すぎてピントが合わなくなった顔は、微かに笑っているように見えた。
固い雰囲気が、花がふんわり咲くみたいに柔らかくなって。
最初に冷たい、って感じた印象が変わる。
と同時に、ほっぺのところで『ちゅっ』と軽い音が鳴った。
「ひぇ!?」
それも一度だけじゃなくて。
少し下にもう一度、反対のほっぺに一度、最後におでこにキスをして、離れていった。
「な、え……えっ……!」
距離をおいて見たら、やっぱりユージーンは微笑んでいた。氷みたいに硬くて固定されていた顔がほぐれて、とろけそうだ。
くしゃくしゃと髪を掻き混ぜられ、温度のこもった声をかけられる。
「今日はもう遅い時間だから、まだもうしばらく眠るといい。おやすみ、かわいい子」
すらりと立ち上がって、僕の髪から指が去っていく。ユージーンはにこりと微笑うと、隙のない仕草で部屋を出て行った。
「ふ……ふぇ……」
彼の唇が通ったところがあちこち熱を帯びてくる。ボンッと顔から火が吹き出すのを感じながら、僕は呆然と彼が出て行った扉を見つめ続けたのだった。
真っ白な部屋には、微かに甘い匂いが残った。
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