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しおりを挟む僕と目が合うと、大きな体が急速に萎んでいく。
「カナン……戻ってきてくれたの?」
「うん。もちろん」
すっかり人間の姿に戻った彼に、クレアが呆れ顔で声をかけた。
「お前、いまカナンの匂い嗅いで探そうとしてただろ。恥も外聞もなく」
ユージーンはそっぽを向いて答えなかったけど、違うとも言わなかった。
まあいいや、と腰に手を当てたクレアは、微笑を浮かべて話を続けた。
「カナン様にはだいたいの事情は伝えといたからさ。別にいいだろ? あんた、口下手だし」
「……ああ。ありがとう」
ユージーンが明後日の方を向いたまま答えると、クレアもそっけなく「ん」と頷いて、そのまま屋敷の中に戻って行ってしまった。
二人きりになって、気まずくなる前にユージーンが口を開く。
「さっきの人たちには、帰ってもらったから」
「うん……」
「あのオメガが僕の運命の番だとか、子供ができたとか、あんなのは全部デタラメだ。子供は一応鑑定に回してみるけど、経験上、まず間違いなく僕の子ではない。彼らを引き取るなんてこともない」
ユージーンは自信のある口ぶりだった。でも、その顔がすぐに緩み、整った眉が下がった。
「不安にさせてごめん」
「ううん……大丈夫だよ。突然だったから驚いたし、領主様がいてびっくりしたけど」
ユージーンは頷いて、声のトーンを落とした。
「あの男から事情は聞いたよ。あまりにむごいことをしたね。……すまなかった。一昨日、あいつの管轄内の娼館から連絡があって……君と番う前に、先代から継いだ負の遺産を清算しておきたかったんだ」
青緑の瞳が、すっと冷え込む。
「僕は奴隷館なんて場所も、そこで私腹を肥やす貴族も嫌いだよ。
……あんな奴は……いずれ、必ず罪を償わせる。あのオメガみたいに、つまらない嘘をついてまで脱出したがるダチュラという国を、変える。
僕はそのつもりであの領主と会ったんだけど――その前にカナンには全て話しておくべきだったね」
僕は小さく首を横に振って、彼の手に自分の手を添える。
「簡単に話せることじゃないよ。あんなこと、ユージーンの意思じゃなかったのに」
「どんな理由があっても、事実は事実だ」
あまり感情の機微がない顔で、ユージーンは世間話のように言う。
「僕は、怖かったんだ。カナンは僕に清い体を抱かせてくれたのに、僕はそんな君を薄汚い手で穢した」
なのに、その声は今までにないくらい弱々しかった。
「そのことが君に知られたとき……汚らわしい、と、拒絶されたら……もう、生きていられないと……」
「ユージーン」
「君に嫌われたら、って思うと」
明日の天気でも語るような表情で、涙を流していた。
たまらずその顔を包み込んで、伝う雫を指でぬぐう。
「僕には、君に捧げられるものは何も残っていなかった。この体は何千本の汚い手に触られて、奪われて、中も外もとっくにからっぽなんだ」
「ユージーン」
正面から抱きついて、その背中に腕を回す。
「カナン……?」
「僕は、あなたに与えられてばかりだ」
僕より何回りも大きいはずの体が、吹けば飛びそうなほど軽い気がした。風で飛ばされないように、自分の両腕をユージーンの胴にしっかり巻きつけて、もやい綱にした。
「命を与えられて、自由をもらった。数えられないくらいの愛情を注いでもらった」
挙げてみれば、どうして今まで自分が迷っていたのか分からなくなった。
この人以上に愛せるアルファが、この先自分の前に現れるはずがない。
「ユージーンは、綺麗だよ。僕はユージーンのことが大好きだ」
僕の顔の高さにある肩がぴくりと跳ねた。そして、背中が温かい掌に包まれる。
「二度とオメガを……誰かを抱くつもりはなかったんだ」
ユージーンは静かに言って、僕の背をさする。
「なのに、カナンを見つけた瞬間すべてが吹き飛んだ。川で君を抱き締めた瞬間、繋がりたいと思ったんだ」
「ユージーン」
「水は冷たいのに、胸は温かくて……ちっとも寒くなかった。初めて、運命も捨てたものじゃないって思えたんだ」
見つめ合って、視線が絡む。
「過去は変えられないけど。これからの僕は、君だけをずっと愛し続けるよ。だから、カナンも、僕を愛してくれる……?」
「うん」
僕は笑って、迷いなく答えた。
「僕も、ユージーンだけを愛し続ける。そのために……僕と、番になってくれませんか?」
「もちろん」
ユージーンの温度はいつも不思議だ。
冷たいのに、芯の部分は熱くて、あたたかい。氷と火が一緒にあるようだ。
僕たちはついばむように唇を重ねてから、しばらく黙って抱き合っていた。
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