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第三章:ボロアパートとワンピースと“アタシ”
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腕や足を怪我しているのは見えたから、鎮痛剤を使われるのはまだ分かる。けど、鎮静って。
不信感を隠さずに訊ねると、医者は渋い顔をして、ええ、と頷いた。
「その……お母さんは、だいぶ錯乱しておられましたので」
ヒステリックか。
なんとなく現場の状況が思い浮かんだおれは、そうですか、と一旦引き下がった。
「身体の怪我は? 足とか、骨いってるっぽいすけど」
「ええ。殴られただけでなく、その場にあった金属バットで腕を殴打されたようでして。右前腕の単純骨折と。
足はその場から逃げようとしたときに転倒してくじいたのか、捻挫していたので固定しています。足の方は、骨は無事です」
バット、と聞いて腹の奥底が沸き立つのを感じた。
兄貴が子供の頃使っていて、リビングに置きっぱなしになっていたやつだ。
何がきっかけだったのか知らないが、あの男は人の道にもとる事をやった。
「お身体のほうは、全治二か月といったところでしょう」
医者はそう言って、それから「ただ」と言い辛そうにつけ加えた。
「正直なところ申しますと――美香さんはお身体よりも、精神的なダメージのほうが深刻です」
「アル中ってことがですか?」
直球で訊くと医者のおっさんは面食らったが、ありていに言えばそうだと認めた。
「先程も申し上げたとおり、お母さんはここに搬送された時から酷い興奮状態でした。
もちろん、暴力を受けて神経が昂っていたというのもありますが……。
激しい暴行に遭われていたので、念のため頭部のCT検査も行ったんです」
その検査結果だと脳みその白黒画像の紙を見せられた。そんなもん見せられたって素人にはなにも分からないけど。
「これが健康な状態の脳の画像です。この画像と比べると、美香さんの脳は黒いすきまが多いでしょう」
「……そう、見えます」
「こっちの白い部分、脳が萎縮することによってこのすきまが生まれるんです」
ようするに重度のアルコール依存症だってことだろう。
とっくに悟っていたことでも、こうして視覚的に見せられると動揺する。
母さんは、こんなに小さくなった脳みそで、なにを思っていたんだろう。
「あなたの言いぶりでは、お母さんに依存症の兆候はあったんですね」
もちろん分かっていた。
「母さん、水商売だったんで。
店で飲んで、帰って家でも飲んで。
気絶するみたいに寝てから夕方に起きて、出勤して、また店で飲んで、の繰り返しで。
最近は、起きて店に行くまでにも飲んでたから」
そうですか、と短く呟いたおっさんは、咎めるような目でおれを見た。
「私の専門分野ではないのですが、お母さんは依存症と合わせてうつ傾向にあるのではないかと窺われます。
傷が治り次第、早めに精神科に罹った方がよろしいでしょう」
「……精神」
「ええ。
そもそも心の病がきっかけで、お酒に依存してしまうということもありますから……もっと早くにしかるべき機関へ相談して頂いていれば、ここまではならなかったかもしれない」
医者は眉間の皺を深めて、眠る母さんに目をやった。
「身体の怪我は数か月もすれば回復します。
けれど、心や脳細胞は一度死んでしまうと、元には戻らない。社会復帰は難しいと思われます」
とっさに沸き起こったのは怒りだった。
義父のせいだ。
周りのせいだ。誰も、助けてくれないから。
あんな状況でおれに何ができた?
おれが悪いって言いたいのか?
白衣を引っ掴み、その顰めっ面をぶん殴りたい衝動に駆られた。でも、動けなかった。
何も言えずに震える拳を握り締めていると、気まずそうに禿頭を掻いた医者は、他に誰もいない病室を見回して仕方なさげにおれに訊ねてきた。
「……そういう状態ですから、怪我による入院と、精神治療の件も合わせて今後のお話をしたいんですが、他に連絡がとれるご親戚などは……」
「いいです。おれが面倒みます」
不信感を隠さずに訊ねると、医者は渋い顔をして、ええ、と頷いた。
「その……お母さんは、だいぶ錯乱しておられましたので」
ヒステリックか。
なんとなく現場の状況が思い浮かんだおれは、そうですか、と一旦引き下がった。
「身体の怪我は? 足とか、骨いってるっぽいすけど」
「ええ。殴られただけでなく、その場にあった金属バットで腕を殴打されたようでして。右前腕の単純骨折と。
足はその場から逃げようとしたときに転倒してくじいたのか、捻挫していたので固定しています。足の方は、骨は無事です」
バット、と聞いて腹の奥底が沸き立つのを感じた。
兄貴が子供の頃使っていて、リビングに置きっぱなしになっていたやつだ。
何がきっかけだったのか知らないが、あの男は人の道にもとる事をやった。
「お身体のほうは、全治二か月といったところでしょう」
医者はそう言って、それから「ただ」と言い辛そうにつけ加えた。
「正直なところ申しますと――美香さんはお身体よりも、精神的なダメージのほうが深刻です」
「アル中ってことがですか?」
直球で訊くと医者のおっさんは面食らったが、ありていに言えばそうだと認めた。
「先程も申し上げたとおり、お母さんはここに搬送された時から酷い興奮状態でした。
もちろん、暴力を受けて神経が昂っていたというのもありますが……。
激しい暴行に遭われていたので、念のため頭部のCT検査も行ったんです」
その検査結果だと脳みその白黒画像の紙を見せられた。そんなもん見せられたって素人にはなにも分からないけど。
「これが健康な状態の脳の画像です。この画像と比べると、美香さんの脳は黒いすきまが多いでしょう」
「……そう、見えます」
「こっちの白い部分、脳が萎縮することによってこのすきまが生まれるんです」
ようするに重度のアルコール依存症だってことだろう。
とっくに悟っていたことでも、こうして視覚的に見せられると動揺する。
母さんは、こんなに小さくなった脳みそで、なにを思っていたんだろう。
「あなたの言いぶりでは、お母さんに依存症の兆候はあったんですね」
もちろん分かっていた。
「母さん、水商売だったんで。
店で飲んで、帰って家でも飲んで。
気絶するみたいに寝てから夕方に起きて、出勤して、また店で飲んで、の繰り返しで。
最近は、起きて店に行くまでにも飲んでたから」
そうですか、と短く呟いたおっさんは、咎めるような目でおれを見た。
「私の専門分野ではないのですが、お母さんは依存症と合わせてうつ傾向にあるのではないかと窺われます。
傷が治り次第、早めに精神科に罹った方がよろしいでしょう」
「……精神」
「ええ。
そもそも心の病がきっかけで、お酒に依存してしまうということもありますから……もっと早くにしかるべき機関へ相談して頂いていれば、ここまではならなかったかもしれない」
医者は眉間の皺を深めて、眠る母さんに目をやった。
「身体の怪我は数か月もすれば回復します。
けれど、心や脳細胞は一度死んでしまうと、元には戻らない。社会復帰は難しいと思われます」
とっさに沸き起こったのは怒りだった。
義父のせいだ。
周りのせいだ。誰も、助けてくれないから。
あんな状況でおれに何ができた?
おれが悪いって言いたいのか?
白衣を引っ掴み、その顰めっ面をぶん殴りたい衝動に駆られた。でも、動けなかった。
何も言えずに震える拳を握り締めていると、気まずそうに禿頭を掻いた医者は、他に誰もいない病室を見回して仕方なさげにおれに訊ねてきた。
「……そういう状態ですから、怪我による入院と、精神治療の件も合わせて今後のお話をしたいんですが、他に連絡がとれるご親戚などは……」
「いいです。おれが面倒みます」
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