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第2章 レカ
第2日目
しおりを挟むその日、レカは昨日よりも遅い時刻にヴィーの家へ行くことになってしまった。
昨日と同じ時刻に行くつもりが、ヴィーの臨時の職員会議が入ってしまったため、ヴィーが帰ってくるまで家に入れなくなってしまったのだ。
家の鍵も渡せればよかったのだが、ヴィーがレカに渡せたのは、帰宅時刻が遅くなることを伝えるメモが精一杯だった。
(まぁ、今日は特にすることもないし…)
多少お風呂の時間が遅くなったとしても、困ることはない。
宿舎で簡単に予習復習をし、夕飯も取ってから、ヴィーに言われた時間に家へ向かう。
ブザーを鳴らしてから、出て来たヴィーは、申し訳なさそうな顔をしていた。
「昨日のうちに、合鍵を渡しておけば良かったですね。」
ヴィーは家に入ったレカに、すぐさま合鍵を渡す。
「明日からも、この鍵を使って、好きな時にお風呂に入りに来てください。最終日の金曜に、郵便受けに入れてもらうか、学校で私に直接返すか…それで返してもらえれば大丈夫です。」
ヴィーが、にっこり笑ってそう言った。レカは、合鍵を借りるまでしてお風呂に入らなくても良かったが、その方がヴィーの時間を制約することなく過ごせるなら、その方が良いか。と考える。
「わかった。ありがとう。」
レカは合鍵を受け取ると、さっそくお風呂に入ることにする。
「あ、この後、僕も入りますので、お湯は捨てずにはったままにしておいて下さい。」
ヴィーが、お風呂場のドアを開けたレカに後ろから声をかけて来たので、レカは親指を立てることで了解の返事をした。
※※※
今日は、途中で邪魔されることなく、着替えて髪を乾かして、軽く掃除するところまでも、のんびりとすることができた。
お風呂場から出たレカに、ちょうどよい熱さに冷まされたお茶が手渡される。
「ありがとう!」
タイミングの良さに、レカは嬉しくなってお茶を受け取る。きっと、ユウサもお風呂の後にお茶を飲むから、ヴィーは慣れているのだろう。
一息ついて、お茶を飲んでいると、雨が降る音に気が付いた。
お風呂に入っていた時は、雨音に全く気付かなかったが、こうして静かなリビングにいると、雨の音がよく聞こえる。
窓に接していない、リビングでこんなによく聞こえるなんて、かなりの大雨が降っていることが予想される。
「かなりな大雨ですね。レカは止むまでここでゆっくりしていって下さいね。」
ヴィーが、レカに微笑みながらそう言ってくれた。
その時だった。
『ブーーーッ』
ヴィーの家のチャイムが鳴った。
「…宅配便ですかね…。
こんな大雨の中、ご苦労なことです。」
そう言いながら、ヴィーが、スタスタと歩いて玄関の扉を開けた時、レカはのんびりとお茶を飲んでいた。
ところが、驚いた声でヴィーが
「イ…イナギくん!?」
と、彼の名前を呼んだ瞬間、レカはあやうくお茶を吹き出しそうになってしまった。
玄関でのやりとりを耳をダンボにして聞いていると、何やら落とし物を拾ってから来てくれたらしい。そして、そのまま帰すのかと思いきや、なにやら雲行きがあやしくなっている。
とりあえず、レカは、手に持ったマグカップごと、ヴィーの寝室へささっと移動する。
寝室のドアが閉まったか閉まらないかのタイミングで、ヴィーがイナギとリビングに入ってくる音が聞こえてきた。
レカは、マグカップをサイドテーブルに置くと、すぐさま寝室のドアに耳をくっつけて、リビングの音を拾おうと必死になる。すると、すぐにまた扉が開く音が聞こえてきたのだ。
推測するに、それは、まさしく、先程レカが出てきたばかりのお風呂場のドアの開閉の音だろう。
(…!?…さっき私が入ったばかりのお湯が張ったままなんじゃ…)
自分の入っていたお湯を見られるのは、なんとなく恥ずかしくて、レカはそれを止めたい気持ちでいっぱいになる。そして、思わず寝室からリビングへ出たレカに、ヴィーの大きな声が聞こえる。
「ちょうどお湯がはってあるので、浸かって行ってください。」
お風呂場のドアを閉めていたため、中にいるイナギに聞こえるように大声を出したのだろう。レカにもバッチリ聞こえて来た。
(…ちょっ…なんてこと…!!)
お湯を見られるだけで恥ずかしいのに、そこにイナギが入るなんて…想像しただけで赤面ものである。
しかし、それに対して、イナギからの声が聞こえてきた。
「ありがとうございます!お言葉に甘えさせていただきます!」
(!?)
レカはもう、どうしようもなく恥ずかしくて、その恥ずかしさを怒りに転化することしか思いつかなかった。
ヴィーは、ふと寝室から出てきていたレカに気付くと、すぐに両手を上げて、『降参』のポーズをとる。そして、真っ赤な顔をして目を吊り上げているレカを宥めようと、小さな声で呼びかけた。
「…レ…レカ…これには、理由が…」
レカは、ヴィーの言葉を最後まで聞くことなく、すぐに詰め寄ると
「勝手に人を入れないでよ!」
とすぐに怒りをぶつけた。
レカの家ではないのに、ヴィーはそこを追及することなく、ただただ困った顔をする。
「とは言え、あの状態で生徒を帰すわけにいかないじゃないですか。」
『あの状態』がどんな状態かは見ていないが、雨音や、漏れ聞こえてきた話から推測するに、よほどイナギは濡れていたのだろう。
「そうかもしれないけど…ちょっと待ってもらうとか、まずはタオルを渡すとか…できることはあったよね?なんで私が入った後のお風呂に彼を入れるのよ!」
「そうは言っても…」
「ヴィーはいっつも考え無しすぎるのよ!」
『いつも』というほど、最近のヴィーのことは知らないし、お風呂も借りてお世話になっている身のくせに、よく言うな。
と、どこかで冷静になっているレカが、頭の片隅で思っていた。
「…ごめんよ、レカ。でも、もう彼を入れてしまったのだから、君は寝室で隠れていて…」
「クシュンッ‼︎」
ハッとして、2人はお風呂場のほうを振り返る。
そこには、ヴィーがいう『あの状態』の、つまりずぶ濡れになって細かく震えているイナギが、お風呂場のドアを薄く開けて、気まずそうに立っていた。
(う…水も滴るいい男ってか!)
そっと盗み見たレカは、やっぱり、イナギはキラキラしているな、と思う。
しかも今は濡れているので、なんとなく『色気』と呼ばれるものまで付随しているように思われる。
そんな風に思われてるとも知らず、くしゃみをしたばかりのイナギは、鼻のあたりをおさえながら、窺うようにヴィーを見ている。
不自然に一度もレカの方を見ないイナギに、今の話が聴かれていたことをすぐに察知する。
(『隠れて』いなくて悪かったわね!)
ヴィーの言った『寝室に隠れていて』という言葉に、イナギは反応してこちらを見ないのだろう。
「…すみません。えっと、バスタオルがどこにあるのかお聞きしたくて…。」
至極申し訳なさそうな顔をしながら、ヴィーに向かってそう言ったイナギに、レカは無性に腹が立つ。
もう、イナギの『美しさ』なんて、どうでも良くなっていた。
(幽霊じゃないんだから、こっち見てくれたって構わないわよ!)
そうは思ったが、イナギなりに気を遣ってくれているだろうことは、レカにもわかっていた。
このままヴィーに対するように、初対面の人を相手に、怒りを爆発させるわけにはいかない。
「ふぅ…。」
ため息のような深呼吸をしてから、レカはパッと動き出した。
「バスタオルはこっちよ。」
レカは、イナギの前まで来ると、イナギの持つドアノブとはドアを挟んで反対側を掴むと、ドアをぐいっと開ける。そして、ツカツカと歩いて、イナギの前を通過し、洗面台の下から白い大きなバスタオルを取り出した。
いつもレカがそこからバスタオルを出して使っているため、バスタオルの置いてある場所を知っていたのだ。
イナギは、バスタオルを渡す時になって初めて、レカのことを目に入れたようだ。あからさまな視線ではないが、自分の髪の色や肌の色などをなんとなく観察している様子がわかった。
(私はあなたを何度も見てるけど、あなたは私を見るのは初めてだものね。)
そう思うと、一方的な気持ちがなんだか悲しくて、でもそれを素直に出せないレカは、悲しみを怒りに変えることしかできない。
「ゆっくり入ってくださいね。」
ニッコリと、だが、明らかにそんなこと少しも思っていないことが伝わるように、レカはわざとらしく笑った。
そんなレカを見て、イナギはどう思ったのだろう。
レカはすぐに身を翻してお風呂場から出ると、ドアを外側からしっかり閉めた。
「あ…ありがとうございます!」
そんなレカに対して、イナギは大きな声で丁寧な謝辞を伝えてきた。
イナギのその素直さが、素直になれないレカには痛い。
レカは、すぐさま寝室に行って、さきほどのお茶を飲み干すと、ヴィーに向かって一言、
「帰る。」
と告げる。そして、そのまま外へ出ようとした。
ビックリしたヴィーは、
「待って待って待って!」
と、今度はレカに追い縋る。
いつの間にか大きな雨音は聞こえなくなり、止んではいないかもしれないが、小雨くらいにはなっているだろう。
怒りやら恥ずかしさやらに、どうにも留まりそうにないレカを見ると、ヴィーも引き止めるのは難しいと判断したらしい。
「…かっ、傘、少なくとも傘は持っていってっ!」
レカに自分の傘をなんとか掴ませ、ヴィーは半泣きな状態でレカを送り出す。
寄宿舎までの帰り道を、ヴィーの傘をさしながら、走るように歩くレカは、何でこんなに心が掻き乱されるのか、そのことが不思議でたまらなかった。
たしかに、自分の入った後のお風呂に入られるのはとても恥ずかしいことだけれど、…それだけではない気がしたのだ。
(この気持ちは…悲しい?…それとも悔しい?)
なんとか自室に辿り着き、ベッドにダイブしてから、改めて自分の気持ちと向き合ってみる。
(…これは…その両方かもしれない。)
レカの中には、『悲しい』とも『悔しい』ともとれる、複雑な気持ちが存在していた。
その理由は…
あんなに話してみたかったイナギとの、初の対面があんなだったなんて…
そのことをすごく残念に思っている自分に気付いた。
レカが幼い頃に抱いていた夢の中では、イナギも自分も笑顔のうえ、お互いに嬉しい気持ちのまま初めましての挨拶をしていた。
それは、とても優しい時間になるはずだったのだ。
決して今日のように、恥ずかしさからくる怒りが前面に出てくるようなことではなく。
(最悪な対面になってしまったのは、全部自分のせいなのに…)
「…はぁぁぁぁ~~…。」
仰向けに寝転がったレカは、両手首を交差させて、おでこの上に乗っける。
(…きっと…変な女だと思われただろうな…)
そう思うと、とても悲しい気持ちになった。
(今夜はうまく眠れそうにないな…)
そうして、レカは今夜の安眠を諦めた。
ちなみに、イナギを送った帰りに、ヴィーは女子の寄宿舎の入り口に寄り、レカがちゃんと帰寮したことを確認してから、安心して、家に帰ったのだった。
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