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第2章 レカ
第1日目
しおりを挟むそれは、レカがお風呂から上がって、服を着ようとしていた時に起こった。
素っ裸なレカに、ヴィーが扉の外から急いで声をかけてきたのだ。
「レカ!緊急事態です!今すぐ寝室へ行って下さい!」
まだ髪も乾かしてないし、できれば簡単にお風呂場の掃除もしたいところだ。
しかし、何らかの緊急事態が起こったのだろう。
レカは手元にあったパンツとタンクトップだけを身につけると、他の着替えを抱え上げ、お風呂場を出ようと、ドアを開いた。
お風呂場から出た時に、そっと玄関の方を見やると、ヴィーは何やらお客さんに対応しているようだった。
「…サラッサラの輝くような金髪…」
漏れ聞こえてくる会話からするに、ヴィーのお客さんは美しい人のようだ。
(!?…もしかして、浮気相手!?)
一瞬、ギョッとしてまじまじと玄関の方を見てしまったが、ドアを背にして外に出ているヴィーの姿も、お客さんの姿も、レカからは見えなかった。
(相手を見てやろうか…)
という考えが頭の中をよぎったけれど、ヴィーの話し方からして、レカを寝室へと移動させるための時間稼ぎをしてくれている気もした。
その意をくんで、レカは、足音を立てないように気をつけながら、それでも素早く寝室の中に滑り込んだ。ドアを閉めてからも、まだヴィーの声が聞こえてくる。
(ふぅー。)
いつの間にか止めていた呼吸を再開させ、手に持っていた服を順番に身につけていく。バスタオルも持ってきていたので、丁寧に髪を拭く。本当はドライヤーを使いたいところだが、音を出すわけにはいかない。
一通りの着替えが終わってから寝室を見回してみると、ベッド脇のテーブルに、お茶のセットがあった。湯上がりのレカのために淹れてくれたのだろう。
寝室は思ったよりも広く、ダブルベッドが1つと、サイドテーブル、そしてその近くに2人掛けのソファ、最後に大きめのクローゼットが置いてあった。
サイドテーブルがなかなかの大きさのため、軽い食事なら、そこで取れそうだ。
そして、そこで気付いてしまった。
ユウサが来た時、お茶を飲むのはここなのだろう、と。
リビングには、1人掛けの椅子しか無かったことを、昨日不思議に思ったのだが、たぶん、2人の時はこの部屋で過ごしている。
きっと、このクローゼットの中には、ユウサの物もいくつか入ってることだろう。
そんなことを知ってしまうと、レカは無意識にも顔が赤くなってしまった。
(そりゃあ、夫婦だもの…ね…)
あんまり深く考えることはせず、とりあえずは淹れてもらったお茶を飲む。
この部屋には、キッチンは無いので、きっとわざわざ共用のキッチンまで行って淹れてきてくれたのだろう。
お風呂上がりのレカに、水分はとてもありがたかった。
隣のリビングの方では、ヴィーがお客さんを家に上げたらしく、会話が近くなっていた。
ヴィーが美辞麗句を述べて、称賛していた相手は、どうやら男の子だったようで、ヴィーよりは高く、レカよりも低い声が聞こえてきた。
(美しい女性じゃなくてよかった。)
ひとまず、ユウサに浮気の報告をしなくて済んだことにホッとする。
そう言えば、問答無用で寝室に隠してくれたけど、『女生徒が、先生の部屋に居た』なんてことが、学校で広まってしまってはマズイ。説明すれば、義兄と義妹だとわかってくれるかもしれないが、それでもヴィーにとって良いことは無い。
あと4日間、その間だけはお風呂のために来たいと思っていたけれど、やっぱり迷惑になるから、やめておこうかな…。そんな風に思った。
※※※
「もう良いよ。」
お客さんが帰ってから、寝室のドアを開けたヴィーが、レカにそう伝えた。
レカは、読んでいた本から顔を上げると、少し笑ってソファから立ち上がる。
ベッドのそばにあった本を、勝手に拝借していたので、元あった場所に本を返しながら、レカはヴィーに謝った。
「迷惑かけてごめんなさい。」
そして、そのまま『もう来ないね』と伝えようとしたその先に、ヴィーが先手を打った。
「大丈夫だから!もう、明日からは誰も来ないから!だから、レカは明日も同じ時間にお風呂に入りに来て下さい。」
レカの言葉よりも先に言いたいがため、いつもよりもずっと早口で捲し立てられた。
その勢いに押されそうになりながら、レカは困った顔をする。
「…でも…」
「大丈夫だから!うちに生徒が来るのなんて、年に一回、今日だけだから!」
なんでそんなにムキになって言い募るのか、全くわからないが、ヴィーが強くそう言い切る。レカをお風呂に入れてあげたいらしい。
なんだか必死なヴィーがおかしくて、レカはちょっと笑いながら、
「…わかりました。あと4日だけ、お願いします。」
と答えた。
その答えに、ヴィーはとても安心したような顔をした。
レカが思っている以上に、ヴィーはレカを大事に想ってくれているらしい。
「それにしても、本当に今日以外は、お客さんは来ないの?」
レカが改めてヴィーに訊いてみる。
「うん。今日来たイナギ君は、商品祭について来てくれたんだけど、商品祭について生徒が来るのは、年に1回だけなんだよ。商品祭は…」
「…イナギ…」
レカは、商品祭の説明よりも、最初に聞こえた彼の名前に反応してしまう。
『イナギ・サイファル』
彼はこの国では、言わずと知れた名門宰相家の長男で、レカが1番気になっている存在だ。
『気になっている』理由としては、『宰相家』であることはほとんど関係なく、『あの時の綺麗な子』という一点に限る。
13歳で再会してからのち、やっぱり接点はないし、こちらの視線が一方通行なだけで、一度も絡んだことは無い。
しかも、15歳になったイナギの容姿は、ますます磨きがかかっていた。
『やば~い!イナギ様、めっちゃカッコいい!』
ある時、女子トイレの手洗い場で騒ぐ集団に遭遇したことがある。
『あの青い目で話しかけられたら、もうそれだけで妊娠しちゃう!』
『えー!宰相家の子ども妊娠できたら、もうかなりな玉の輿じゃん?』
『本当だよね~。顔だけじゃなくて、身分も最高とか、ホント良い男~』
『一度で良いから、抱かれてみた~い』
キャハハハハ
そんな下世話な話を交わす、お【淑やかな貴族令嬢】と呼ばれている集団。
(どこがお淑やかか…)
呆れたレカが、個室から出て行くと、その集団はビクッとする。
誰もいないと思っていたようだ。
『…なーんだ。口無しちゃんかぁ。』
『どうせ喋らないんだから、何聞かれたって気になんないよね。』
『その辺の犬猫と一緒じゃん。』
彼女たちは好き勝手なことを言って、また笑っている。
レカに対するその反応はいつものことなので、レカは気にせずトイレを後にする。
何と言われようと、全く気にならないのに…。その日はイナギが穢された気がして、ずっとムカムカしていたことを覚えている。
何の関係もないレカが、そんなことで怒っていたって、当の本人であるイナギに感謝されるわけでもないのに。
「…って、レカ聞いてますか?」
ふと物思いに耽っていたレカは、ヴィーの声でハッとする。
「えっと、ごめんなさい。…聞いてなかった…。」
正直に答えると、ヴィーは苦笑して、もう一度言ってくれた。
「イナギ君なら、きっとレカと話が合うんじゃないか、って言ったんですよ。」
「…へっ…?」
レカは間抜けな声を出してしまった。それに気が付かなかったかのように、ヴィーは続ける。
「彼は、見た目どおりしっかりしてますが、意外にも柔軟性があるんですよ。優秀なだけでなく、好奇心も旺盛で、レカの持つ知識にも、素直に対応してくれるんじゃないかと思います。」
良い話し相手になると思うんですけどね。
ヴィーがそう締めくくった時も、まだレカは驚いた顔のままでいた。
「…良い…話し相手…。」
ヴィーの言葉を繰り返してみる。
「そうです。お互いに良い刺激を与え合えると思いますよ。」
ヴィーは優しい顔で笑っていた。
「………。」
そんなこと、考えたこともなかった。
正直に言って、自分の持つ知識が、この国で優秀とされるイナギに引けを取るとは思っていない。むしろ、他の2国のことや、言語に関して言えば、イナギより秀でているだろう。
しかし、やはりこの国の身分で言えば、レカには全く歯が立たない、別世界の人間だ。気後れしないわけがない。
「まぁ、突然は無理だと思いますが、学校で会った時、少し意識してイナギ君を見てみてあげて下さい。きっと話してみたくなると思いますよ。」
ヴィーは、レカに友達を作ってあげたい、という一心でそう言ったのだろう。
しかし、ヴィーの言ってる意味とは違った意味で、レカはすでにイナギを意識している。
…どういう意味で意識しているかは、うまく言葉にできないが…。
「…ヴィーがそう言うなら…。」
レカは友達なんて欲しくない。
でも、イナギと話す理由があるなら。
ヴィーに言われたから、っていう理由で、イナギと話してみるのは…有りかもしれない…?
「…考えてみる…。」
レカは、自分が学校では絶対に喋らない『口無しちゃん』であることも、目立つイナギに自分から話しかけるわけがないことも、両方忘れて、イナギと喋る自分を想像してみた。
それは、何だか楽しそうだった。
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