「兄」との往復書簡

流空サキ

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4 メイド ケイシー

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 コールドウェルの屋敷には、玄関を入って真正面に、扇型に広がる大階段がある。
 大階段は優美な曲線を描き二階の回廊へと繋がるこの屋敷の〝顔〟だ。それだけに手を抜けない掃除箇所の一つである。
 手すり一つとっても複雑な文様が彫り込まれているため、拭き上げには手間がかかるうえ、階段部分は毎日モップをかけるところから始まり、雑巾での水拭き、ワックスがけ、更に仕上げ布での拭き上げと手順は決まっている。
 メイドの仕事はどれも面倒と言えば面倒だが、大階段の掃除はその中でも特に面倒な仕事のひとつである。

 大階段の掃除はたいていメイド三人で担当する。けれど今日はその三人の内の一人、セシリアが体調を崩して部屋で休んでいる。そのせいでいつもは三人でするところを、さきほどからケイシーは他のもう一人のメイドと二人でせっせと掃除しているのだ。

 もともとセシリアは手際のいいメイドではない。失敗も多いし仕事も遅いし、かえって邪魔になることもある。
 そんなセシリアを、いつもどんくさいだの、仕事が遅いだのと言って先輩であるケイシーはけなすのだが、いざいないとなると自分の負担は一気に増える。いつもはあんなに邪魔者扱いしているくせに、いなければいないでそれもまたいらいらするものだ。
 それに、いま一緒に掃除をしているメイドはケイシーよりも先輩で、面倒事を押し付けるわけにはいかないのもイライラの原因だ。

「わたし、次の仕事があるからあとお願いね」

 残りは仕上げ布での拭き上げを残すのみとなったところで、先輩メイドが自分の掃除道具を手に立ち上がった。
 あとをお願いって、まだ最後の仕上げが残っている。この大階段全ての仕上げとなるとかなりの労力を要する。

「あの、でも……」
「なに? あなたここの掃除が終わったら夕食後まで仕事が入ってないでしょう? わたしこのあと奥様の寝室のお掃除が残っているのよ。あとはやっとていちょうだい」

 有無を言わさず先輩メイドはつんっと顔をそらすとケイシーを残して行ってしまった。

「……なによ。偉そうに」

 奥様の寝室掃除といったって、どうせアンジェリカ奥様の寝室はメイドのシンディーがやっているに決まっている。シンディーはアンジェリカ奥様付きのメイドで、奥様の身の回りのことはほぼ全てシンディーが担当している。部屋掃除も、奥様の使う浴室掃除もシンディーがこなしている。
 それでもメイド長のベラは、アンジェリカ奥様の部屋掃除も割り振ってくる。
 おそらく目端のきくメイド長が、この事実を把握していないはずはない。
 あえてそんな仕事を割り振ってくるということは、アンジェリカ奥様の部屋掃除、イコール何もしなくてもよいという暗黙の了解をメイド長が与えているようなものだ。だから普段ならアンジェリカ奥様の部屋掃除を割り振られた時はラッキーと指を鳴らすのだが……。

 まさかそれを掃除をさぼる言い訳に使ってくるとは。

 その場で地団太を踏みたいくらいイライラしたが、そんなことをして万がいち大階段に傷でもついたら取り返しがつかない。ケイシーの薄給では弁償できないし、両親にもそんな蓄えはない。

「あんな奴、死んじゃえばいいのに」

 心の声がついぽろりとこぼれ出る。
 ケイシーははっとして口元を押さえ、周囲を見渡した。
 しんと静まり返っている。誰の声もしない。この広い空間に今はケイシーひとりだ。呟きを拾える範囲に人はいない。

 ほっと息をつき、更なる悪態をつきたいのを我慢して拭き上げの作業に取り掛かった。

 小さな呟きでも、めったなことは言うものではない。

 だってあの時も―――。

 ケイシーはメイド仲間のキャロルのことを、「死んじゃえばいいのに」と呟いたのだ。
 どうしてそんなことを思ったのか。些細なことだったのだと思う。次の瞬間には忘れてしまうようなどうでもいいようなことに腹を立て、キャロルなんか死んじゃえばいいとぼやいたのだ。
 そのすぐ後だった。キャロルが死んだのは。

 キャロルは美しい女性だった。王都で雑貨店を営む両親の双子の娘。ケイシーも王都出身なので雑貨店の美人双子姉妹の噂は聞いたことがあった。美人なうえに気立ても良く明るい。店頭に立てば二人を目当てに貴族や豪商が店にやって来て、店は大繁盛していたらしい。中には奥方に迎え入れたいと望む貴族もいたとかいなかったとか…。
 金物屋を営んでいる両親が、そんな美人双子姉妹の噂話をしては、我が娘にもそれだけの器量があればとぼやいたものだ。今思っても、全く以て失礼な話だ。娘がどうのと嘆く前に、まずは自分たちの顔を鏡に映してよく見てみるといい。カエルの子は所詮カエルなのだ。
 そんな両親に見切りをつけ、職を求めて辿り着いたのがアレクシス・コールドウェル家でのメイド職だった。
 コールドウェル伯爵家と言えば、知らぬものはいない名門家だ。
 遠く遡れば今の王家の系譜に連なり、アレクシスの父、現コールドウェル伯爵は議長を務めたこともある大物。中央での発言力もあり、その子、アレクシスも重要ポストに次々と就くような有力者。

 そんな名門貴族のメイドに、なんの伝手もない平民出のケイシーが採用されるはずがない。だめもとで面接に行ったのだが、面接官のメイド長には意外に好印象だったようで驚くほどすんなりと採用された。


 屋敷で働くようになり、初めて主、アレクシスを見た時は緊張した。そもそも貴族という種類の人間と出会うことはそれまで皆無だったケイシーが初めて間近で目にしたのがアレクシスだった。

 アレクシスは細面の神経質そうな顔立ちの男だった。いつも腕を組んで指をトントンと一定のリズムをもって刻み、眉間に皺を寄せている。整った顔立ちだが酷薄そうな薄い唇が冷たい印象を見る者に与える。

 初対面の時、何か声をかけられるかと期待したが、アレクシスはケイシーを一瞥しただけで何も言わなかった。
 傍らにいたメイド長も何も言わない。普通、新しいメイドですとかなんとか、紹介したりしないものなんだろうか。

 不思議に思ったが、その疑問は働き始めてひと月も立てばすぐに飲み込めた。

 メイドの入れ替わりが激しいのだ。入って来ても入って来ても人が辞めていく。
 ここはそれくらい異常な場所だった。
 屋敷は王都にあるにも関わらず、外部との連絡を絶たれ、肉親との手紙のやり取りでさえ監視される。休みの日に自由に外へ出て王都を散策することもかなわない。少しでも当主の悪口を言えば粛清される。
 そんな閉鎖的なやり方に耐え切れず辞めていく子のなんと多いことか。

 ケイシーだってあまりの自由のなさに、もう辞めたいと何度思ったか知れない。でもそのたび、嫌味なことを言う両親の顔が思い浮かんだ。のこのこ帰っていけば、何を言われるかわかったものではない。

 そう思い、なんとか耐えて働いていればこの閉鎖空間にもそのうち適応できるようになってきた。
 仕事も軌道に乗り、やってみればそれほど無茶な仕事ではないこともわかり、給金もそれなりにもらえる。みんな次々に辞めていくのでメイド仲間との関係は希薄だが、それも慣れれば返って楽だ。
 そんなこんなで働き始めて一年が経とうという頃だった。
 キャロルがこの屋敷に新しいメイドとして働き始めたのは―――。

「…………」

 思考が巡りはじめるのをケイシーは押しとどめた。
 キャロルのことを考え始めればきりがない。みなが事故だと言い張るキャロルの死も、実際は何があったのかわかったものではない。
 まぁその根拠となる証言をしたのは他ならぬケイシー自身なのだが。
 
 考え事をしながら掃除をしていると、いつの間にか大階段の仕上げが終わっていた。
 ケイシーは手早く掃除道具を手にすると、いつもの場所へと足早に向かった。



 
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