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第二章

お人形

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 その後何日かはエステルとダナはセブリアンの商船会社へ足を運び、日程の調整や荷積みの人足の手配など、詳細を詰めていった。
 と同時にこちらでの販売ルートを確保するとともに、現地にも数人ひとを遣って向こうでの調整にも着手した。

 日々は慌ただしく過ぎていき、その間商用だと二週間ほど家を空けていたクレトが帰宅した。

「お帰りなさいませ」

 ブラスの出迎えに応じたクレトは、すぐにエステルの方へ歩み寄ると「ワインの方は順調なようだね」とエステルの労をねぎらった。

「はい。ダナさんのおかげで順調に進んでいます」

「いいね。詳しい話を聞こうか」

 クレトはエステルをいざなってテラスへ移動すると、グラスに薄紫色の飲み物を注いだ。

「これは?」

「ブドウの果実から作ったジュースだよ。今度仕入れるぶどう酒と同じブドウで作られているんだ。エステルはまだお酒は飲んだことがないだろう?」

「ええ。香りがあまり得意ではなくて……」

 こんなことを言ったら子供っぽいと思われるだろうか。
 
「いつかクレトのお相手ができるくらいには飲めるようになりたいわ」

「そうだね、期待しているよ。でも焦らなくていい。私が少しずつ教えていってあげるから」

 乾杯、とクレトはエステルの杯と合わせた。
 
 何日かぶりに見るクレトは、また一段と大人の男性に見えた。杯を傾けるその横顔になぜかどきどきした。

「それで、どの程度まで話は進んだんだい?」

 そう聞かれ、エステルは慌てて仕事の話を切り出した。
 そうだった。仕事の話をするのだった。
 夕日の沈みかけた海を背景に、クレトが杯を干す姿があまりにかっこよくてつい見とれていた。

 エステルはクレトの不在だった二週間で進めた仕事の内容を説明した。
 途中いくつかクレトは質問をしながら最後までエステルの報告を聞き終え、「申し分ない仕事ぶりだよ」と褒めた。

「ダナさんのおかげです。商船を手配できたのも、ダナさんがセブリアンさんとお知り合いだったからだし」

「ああ、あいつね」

 クレトとセブリアンはやはりというべきか、何度か仕事を一緒にしたことがあるそうだ。
 セブリアンはレウス王国の隣国に位置する公国の伯爵家四男らしく、もとは貴族だそうだ。はじめセブリアンに頼むことになったとクレトに言うと、「この値であいつがよく請け負ってくれたな」と半信半疑だった。

「そういえばセブリアンがこちらの言い値で請け負った理由がわかったよ」

「えっ、わかったのですか?」

 クレトの情報網はすごいと知っていたけれど、本当に何でも探り当ててくる。
 エステルが王太子妃選に落ちたという情報も、どこからともなく仕入れてきていた。今まで疑問に思ったことはなかったが、考えてみれば不思議だ。一介の商人が、レウス王宮内のことをいち早くキャッチできるなんて。

「セブリアンの奴、行きの船で西海岸へ運ぶ荷を請け負っていたんだ」

「あっ、なるほど」

 言われてみれば簡単な話だ。西海岸へ運ぶ別の荷を請け負っていたなら、むしろこちらは復路の片道だけの船賃ですんだはずだ。

「すみません、それではこちらが損をしていましたね」

「仕方ないさ。あちらの方が一枚上手だったというだけのこと。今の価格でも十分な利益は出るから大丈夫だよ」

「まだまだわたしは勉強不足ですね」

「そんなことはないさ。エステルはよくやってくれている。ここまで成長するとは、正直思っていなかったよ」

「……わたし、そんなに頼りない?」

「悪く受け取ったのならごめん。ただアルモンテ公の元にいた時、エステルはその、何でも言われるがままに行動していただろう? 自分から何かを考えて行動したことはなかったんじゃないかい?」

 父に言われるまま、様々なことを学んだが、確かに自分からこれがしたいと望んだことはなかった。

「お人形みたいだったからね、あの頃の君は。私の異国の話を聞くときだけ、生き生きとした顔をするのが可愛かったよ」

 可愛かったと言われまたどきどきし、エステルはあえてその部分は聞こえなかったふりをした。

「わたしってそんなに無気力な顔をしていたの?」

 クレトは、エステルが照れてあえてスルーしたことを見透かし、くすりと笑う。

「自分では気がついていなかったんだね。言い方は悪いけれど、目がどこか死んでいる。そんな感じだったよ。でも、私の話を聞く君を見ていたら、この子を外に連れ出せば変わるだろうなという予感はあった」

 その予感通りエステルは変わったと自分でもそう思う。
 ここではわからないことは自発的に聞かなければ誰も教えてくれないし、積極的にコミュニケーションを取り情報収集しなければ思わぬところで足を掬われる。待っているだけでは何も始まらない。
 知りたいことはまだまだたくさんある。見て回りたい国も両手の指では足りない。
 その時いつも隣にクレトがいてくれればいいのに……。

「あの、クレト……」

「なんだい?」

「わたし、本当にずっとここにいてもいいの? クレトは優しいから、ずっとここにいればいいって言ってくれたけれど、クレトだっていつかは結婚するんでしょう? その時にわたしがいたら、やっぱりだめなのではないかしらって……」

「もちろん結婚はいつかはしたいとは思っているよ。でも、そうだな……」

 クレトは言葉を切り、しばらく次に言うべきことを考えている様子だったが何も出てこないのか、代わりに薄茶の髪をかき上げた。

「そのことはまぁ、うん……。なんていうか……」

「だめならだめとはっきり言ってくださいね。わたし、クレトが助けてくれたこと、本当に感謝しているんです。もしあの時クレトが来てくれなかったら、今頃わたしもマリナも生きていなかったかもしれないって、そう思うの。だからクレトの邪魔になるようなことだけは絶対にしたくないの」

「それで一度ここを出て行ったのかい? ホテルからダナと出てくるところを見て、私に恋人がいるとそう思って」

「ええ、それに……」

 あの時感じた胸の痛みを打ち明けてもいいのだろうか。

 エステルは迷ってじっとクレトを見つめた。



 
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