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第三章
間に合ってくれ
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「たったこれだけのことであたしを呼びつけたの?」
深刻な状況を伝えられ、迎えに来た仕事仲間と共にダナがオフィスに戻ってみれば、何のことはない。単なる伝達ミスによる数量間違いで、先方は怒ってもおらず一両日中には解決できる類の話だった。
こんなことならエステルを置いて帰ってくるのではなかった。
セブリアンにはよくないうわさがある。
女性を酒に酔わせてホテルに連れ込み、何度かトラブルを起こしているとか。
とはいえ、セブリアンも相応の地位にある男だ。
下手なことをして信用をなくすような真似はしないだろう。それにこれはあくまでうわさであり、事実をダナは知らない。
よもや取引相手のエステルに手を出すなんてことはないはずだ。
そうは思ったが、セブリアンのエステルを見る目は気になっていた。
手の早いあの男が、エステルに目をつけないはずがない。いつもダナが一緒だったので表立って何かを言ってくるわけではなかったが、隙があればじっとエステルを見ているセブリアンがいた。
「申し訳ございません、ボス。では取り急ぎ不足分を送るよう手配いたします。船便はセブリアン様のところに頼めばいいですよね」
部下にそう確認され、ダナははたと動きを止めた。
「この荷物って、セブリアンとこで頼んでるんだっけ?」
「はい。数量不足も荷受け先ではなく、セブリアン様のほうから連絡があったのですが……」
「いま、なんて言ったの?」
「はい。ですから数量が聞いていた量よりも少ないとセブリアン様から連絡が」
「あいつから直接?」
「はい。セブリアン様からの言伝でしたが……」
「……しまった」
そういえば、セブリアンは途中で一度席を外した。あのときに部下にでも頼んで連絡させたのだろう。
となるとこのトラブル自体、セブリアンのでっち上げだ。だとすればその目的は―――。
「……やばい。まじでやばいかも。あたしちょっとホテルに戻るから、あなたはクレトのところに行ってエステルが戻ってるかどうか確認してきて!」
「は、はい! 確認するだけでいいんですか?」
「もし戻ってなかったらクレトに事情を話して、ていうかそんなことしてる時間ないからとにかくクレトをホテルに連れてきて!」
「わ、わかりましたっ!」
意味がわからないながらも、非常事態だと思ったのだろう。脱兎のごとく駆け出した部下に続いて、ダナもオフィスを飛び出した。
***
ダナの部下が息せき切って邸に駆け込んできたとき、クレトは件のテラスで一人夜の海を眺めているところだった。
「失礼いたしますクレト様。ダナ様の部下の方がお越しです。エステル様はご在宅かとお聞きになるので、まだ帰宅しておりませんとお答えしたところ、急ぎクレト様にお会いしたいとのことにございます」
ブラスの話の途中から、何か嫌な予感を感じたクレトは腰を上げ、玄関ホールに向かってすでに歩き出していた。
ホールに現れたクレトの姿に、クレトも見知ったダナの部下が、だっと駆け寄ってきた。
「あの、クレト様。お急ぎください。お話は道中でいたしますのでとにかくお越しを。馬車を外に待たせてあります」
何やらわからないがダナの部下の急かすまま、クレトは馬車に乗り込んだ。
「それで? 何事だ?」
馬車が走り出すとすぐ、クレトは状況を確認した。
ダナの部下である男は、まだ呼気の荒いまま話し出した。
「今日のセブリアン様との夕食会のさなか、うちの商会でトラブルが発生しましてうちのボスが夕食会を途中で抜けてオフィスに帰ってきたのです」
「ちょっと待て。ダナは途中で帰ったのか? エステルを一人置いて?」
「はい、そのようでございます。私は詳しい経緯は知らないのですが、とにかくそれでボスはオフィスに戻ってきたのです。けれど戻ってみればトラブル自体はさほどのことはなく、ボスは一人置いてきたエステル様のことが気になったご様子で……」
なんでもそのトラブルを伝えてきたのがセブリアンからの言伝だったとか。
「あいつ、だからあれほどエステルを一人にするなと言っておいたのに」
クレトは歯噛みしたい思いだった。
セブリアンとは長い付き合いだが、女癖の悪いところがある。
例のワインの商船をセブリアンのところで頼むことになったと聞いた時から、嫌な予感はしていた。女に目の肥えたセブリアンが、エステルを見て何も行動を起こさないとは思えなかった。
今のところセブリアンがエステルを誘っていないのは、ダナの目が常にあったからだろう。
二人きりになったらどうなるかわからない。エステルはどこかほわんとしていて、そういうことには耐性がない。見ているといつも危なっかしい。
だからといって一生懸命一人前になろうと努力している彼女を前に、任せた仕事に途中から自分が出ていくことはしたくなかった。だから時には自分は遠くから見守ることも必要かと今回はダナに任せたのだ。
ダナにはくれぐれも頼むと言い置いていた。それでも仕事のトラブルと言われれば、ダナとてゆっくりと夕食会で食事を摂っている場合ではないのはわかる。クレトでもおそらく一旦は戻っただろう。
こんなことならセブリアンには気をつけろともっと直接的な言葉でエステルに注意を喚起すべきだった。
「もう少し急いでくれ」
クレトは御者に声をかけると、逸る心をなんとか押しとどめた。
どうか間に合ってくれ―――。
深刻な状況を伝えられ、迎えに来た仕事仲間と共にダナがオフィスに戻ってみれば、何のことはない。単なる伝達ミスによる数量間違いで、先方は怒ってもおらず一両日中には解決できる類の話だった。
こんなことならエステルを置いて帰ってくるのではなかった。
セブリアンにはよくないうわさがある。
女性を酒に酔わせてホテルに連れ込み、何度かトラブルを起こしているとか。
とはいえ、セブリアンも相応の地位にある男だ。
下手なことをして信用をなくすような真似はしないだろう。それにこれはあくまでうわさであり、事実をダナは知らない。
よもや取引相手のエステルに手を出すなんてことはないはずだ。
そうは思ったが、セブリアンのエステルを見る目は気になっていた。
手の早いあの男が、エステルに目をつけないはずがない。いつもダナが一緒だったので表立って何かを言ってくるわけではなかったが、隙があればじっとエステルを見ているセブリアンがいた。
「申し訳ございません、ボス。では取り急ぎ不足分を送るよう手配いたします。船便はセブリアン様のところに頼めばいいですよね」
部下にそう確認され、ダナははたと動きを止めた。
「この荷物って、セブリアンとこで頼んでるんだっけ?」
「はい。数量不足も荷受け先ではなく、セブリアン様のほうから連絡があったのですが……」
「いま、なんて言ったの?」
「はい。ですから数量が聞いていた量よりも少ないとセブリアン様から連絡が」
「あいつから直接?」
「はい。セブリアン様からの言伝でしたが……」
「……しまった」
そういえば、セブリアンは途中で一度席を外した。あのときに部下にでも頼んで連絡させたのだろう。
となるとこのトラブル自体、セブリアンのでっち上げだ。だとすればその目的は―――。
「……やばい。まじでやばいかも。あたしちょっとホテルに戻るから、あなたはクレトのところに行ってエステルが戻ってるかどうか確認してきて!」
「は、はい! 確認するだけでいいんですか?」
「もし戻ってなかったらクレトに事情を話して、ていうかそんなことしてる時間ないからとにかくクレトをホテルに連れてきて!」
「わ、わかりましたっ!」
意味がわからないながらも、非常事態だと思ったのだろう。脱兎のごとく駆け出した部下に続いて、ダナもオフィスを飛び出した。
***
ダナの部下が息せき切って邸に駆け込んできたとき、クレトは件のテラスで一人夜の海を眺めているところだった。
「失礼いたしますクレト様。ダナ様の部下の方がお越しです。エステル様はご在宅かとお聞きになるので、まだ帰宅しておりませんとお答えしたところ、急ぎクレト様にお会いしたいとのことにございます」
ブラスの話の途中から、何か嫌な予感を感じたクレトは腰を上げ、玄関ホールに向かってすでに歩き出していた。
ホールに現れたクレトの姿に、クレトも見知ったダナの部下が、だっと駆け寄ってきた。
「あの、クレト様。お急ぎください。お話は道中でいたしますのでとにかくお越しを。馬車を外に待たせてあります」
何やらわからないがダナの部下の急かすまま、クレトは馬車に乗り込んだ。
「それで? 何事だ?」
馬車が走り出すとすぐ、クレトは状況を確認した。
ダナの部下である男は、まだ呼気の荒いまま話し出した。
「今日のセブリアン様との夕食会のさなか、うちの商会でトラブルが発生しましてうちのボスが夕食会を途中で抜けてオフィスに帰ってきたのです」
「ちょっと待て。ダナは途中で帰ったのか? エステルを一人置いて?」
「はい、そのようでございます。私は詳しい経緯は知らないのですが、とにかくそれでボスはオフィスに戻ってきたのです。けれど戻ってみればトラブル自体はさほどのことはなく、ボスは一人置いてきたエステル様のことが気になったご様子で……」
なんでもそのトラブルを伝えてきたのがセブリアンからの言伝だったとか。
「あいつ、だからあれほどエステルを一人にするなと言っておいたのに」
クレトは歯噛みしたい思いだった。
セブリアンとは長い付き合いだが、女癖の悪いところがある。
例のワインの商船をセブリアンのところで頼むことになったと聞いた時から、嫌な予感はしていた。女に目の肥えたセブリアンが、エステルを見て何も行動を起こさないとは思えなかった。
今のところセブリアンがエステルを誘っていないのは、ダナの目が常にあったからだろう。
二人きりになったらどうなるかわからない。エステルはどこかほわんとしていて、そういうことには耐性がない。見ているといつも危なっかしい。
だからといって一生懸命一人前になろうと努力している彼女を前に、任せた仕事に途中から自分が出ていくことはしたくなかった。だから時には自分は遠くから見守ることも必要かと今回はダナに任せたのだ。
ダナにはくれぐれも頼むと言い置いていた。それでも仕事のトラブルと言われれば、ダナとてゆっくりと夕食会で食事を摂っている場合ではないのはわかる。クレトでもおそらく一旦は戻っただろう。
こんなことならセブリアンには気をつけろともっと直接的な言葉でエステルに注意を喚起すべきだった。
「もう少し急いでくれ」
クレトは御者に声をかけると、逸る心をなんとか押しとどめた。
どうか間に合ってくれ―――。
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