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第四章
それから
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「それから他にもあるんだ……」
出来レースだった王太子妃選への横槍の話が一旦終わると、クレトはバツが悪そうに再び言い出した。
出来レースの話も特段怒るような話ではなかったし、「なに?」と続きを促すと、クレトは空になった杯に自らワインを注ぎ、意を決したようにエステルを見た。
その様子が普段のクレトと違っておもしろく、エステルは思わずくすっと笑った。いつも大人っぽいと思っていたクレトにもこんな一面があると思うとうれしかった。
「……笑うことはないだろう? 私は一大決心をしてエステルに懺悔をしているんだから」
「懺悔だなんて大げさだわ」
「そう言ってくれると気が楽になるよ」
「それで? 他に何があるのかしら? クレト」
王宮諮問機関での質疑応答を真似、かしこまってエステルが促すと、クレトは「はい」と片手をあげ罪を告白した。
「君が初めて借りたアパートメントの件だ」
そう言われただけでなんとなくピンとくるものがあった。
「もしかして一週間で出なければならなくなったことかしら?」
「ああ。実はあのアパートメントのオーナー夫人とは知り合いでね。彼女に頼み込んでエステルがあの部屋から出るように仕向けた」
ここまでくればなんとなく察しはついた。上手いタイミングでブラスが来たことも決して偶然ではなかったのだろう。
「それにわたしがベルナルドさんからなかなか部屋を借りられなかったことも関係している?」
「―――している。君に邸を出て行ってほしくなかったんだ」
「でもそれはクレトに恋人がいるからだと思ったからで……」
本当はずっと一緒に暮らせるのなら暮らしたかった。
とにかくクレトに迷惑をかけてはいけないとその一心だったのだ。
「……もっと早く言ってくれればよかったのに」
思わず不満が口からこぼれた。そうすればエステルだって無用なことはしなかったはずだ。
「……そうだね。それに関しては全面的に私が悪い。ブラスにも怒られたよ。でもどうしても勇気がなくてね。君はまだそういうことよりも周りの環境に馴染むことに精一杯だっただろう? この上私が自分の思いを打ち明けたら、君は考えることが多すぎてしんどくなるかもしれないと思ったんだ」
「……それはそうかもしれないけれど…」
目に映るもの全てが新鮮で楽しく、確かにエステルの頭はいつも満杯だった。
でも心のどこかでは必ずクレトに向かっている一端があって、その動向はいつも気になっていた。
「マリナに言われたの。クレトがダナさんとホテルから出てきた時、わたし胸が痛かったの。でもその理由は自分で気が付かないといけないって。だからたぶん、それでよかったのよ。クレトから言われていたらきっとわたし自分の気持ちがよくわからないままだったかもしれない。お父様から言われるままに王太子妃になるために過ごしていたように、今度はクレトの言われるままに過ごすようになっていたかもしれないわ」
「大丈夫、エステルは変わったよ。前にも言ったけれど、今のエステルはアルモンテ公のもとにいたお人形さんとは違う。自分で考え、判断し、心のままに動ける女性だよ」
「……そんなふうに言われるとなんだか照れてしまうわ…」
「照れているエステルも素敵だよ」
火照った頬に心地よい海風が通り抜けていく。
父の屋敷という小さな空間でいつも夢想していた。この大陸中の国を巡って、海を渡って別の大陸にも行ってみたいと。クレトから話を聞くたび、叶わないと知りながら想像せずにはいられなかった。それが現実となり、これからもそれがエステルにとっての現実だ。クレトと共に歩める未来なら、どんなことをしても手に入れたい。クレトがエステルを手に入れるために手を尽くしたように、きっとエステルもクレトの側にいられるならどんなことも恥ずかしくはない。
「……ありがとう、クレト。わたしをあなたの恋人にしてくれる?」
好きと打ち明けた時のように自然と言葉がこぼれ出た。憶測するより、クレトから言われるよりも、まずは自分で自分の思いを伝えなければならない。
エステルは真っすぐにクレトを見た。クレトは真正面からその視線を受け止め、「こちらこそよろしく」とうっとりするほど素敵に笑った。
***
「ねぇマリナ」
「はい、なんでございましょう」
就寝前、エステルの自室へリネン類を届けに来たマリナにクレトとのことを報告し、エステルはひとつ気になっていたことを聞いた。
「マリナはクレトの気持ちを知っていたって言っていたけれど、あれって見ていればわかったというのはうそよね」
マリナは一瞬ぎくりとしたように動きを止めた。
「なぜそう思われるのです?」
「だってクレトに恋人がいるかもしれないって言いだしたのはマリナだったもの。ホテルで目撃した時も、マリナはダナさんがクレトの恋人だと思っていたみたいだし、そういうことには疎いって自分で言ったわ」
うーんとマリナは唸り、「白状いたします」と観念した。
「実はお嬢様がアパートメントを借りられてすぐ、クレト様から直接お伺いしたのです。その上でお嬢様の近辺を気を付けるようにと言われ、お隣の方がお嬢様のことをそういう目で見ておられることに気が付き、邪魔をいたしておりました」
「そうだったの?」
お隣さんのことは覚えているけれど、そんなそぶりはなかったと思うのだけれど。
「あと、部屋を出ることになることも知っておりました」
「だからあの時ブラスさんの言うようにしようってマリナは勧めたのね」
「……はい。申し訳ございませんでした」
「謝らないで。ありがとう、マリナ」
アパートメントを借りた頃から、マリナが変わったことにはなんとなく気が付いていた。
クレトの邸に戻ってすぐダナを紹介されたのも、クレトはマリナからエステルがダナのことを恋人と勘違いしたことを聞いたからなのだろう。
「……おやすみ、マリナ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
全てのことがすとんと胸に落ちて行った。
出来レースだった王太子妃選への横槍の話が一旦終わると、クレトはバツが悪そうに再び言い出した。
出来レースの話も特段怒るような話ではなかったし、「なに?」と続きを促すと、クレトは空になった杯に自らワインを注ぎ、意を決したようにエステルを見た。
その様子が普段のクレトと違っておもしろく、エステルは思わずくすっと笑った。いつも大人っぽいと思っていたクレトにもこんな一面があると思うとうれしかった。
「……笑うことはないだろう? 私は一大決心をしてエステルに懺悔をしているんだから」
「懺悔だなんて大げさだわ」
「そう言ってくれると気が楽になるよ」
「それで? 他に何があるのかしら? クレト」
王宮諮問機関での質疑応答を真似、かしこまってエステルが促すと、クレトは「はい」と片手をあげ罪を告白した。
「君が初めて借りたアパートメントの件だ」
そう言われただけでなんとなくピンとくるものがあった。
「もしかして一週間で出なければならなくなったことかしら?」
「ああ。実はあのアパートメントのオーナー夫人とは知り合いでね。彼女に頼み込んでエステルがあの部屋から出るように仕向けた」
ここまでくればなんとなく察しはついた。上手いタイミングでブラスが来たことも決して偶然ではなかったのだろう。
「それにわたしがベルナルドさんからなかなか部屋を借りられなかったことも関係している?」
「―――している。君に邸を出て行ってほしくなかったんだ」
「でもそれはクレトに恋人がいるからだと思ったからで……」
本当はずっと一緒に暮らせるのなら暮らしたかった。
とにかくクレトに迷惑をかけてはいけないとその一心だったのだ。
「……もっと早く言ってくれればよかったのに」
思わず不満が口からこぼれた。そうすればエステルだって無用なことはしなかったはずだ。
「……そうだね。それに関しては全面的に私が悪い。ブラスにも怒られたよ。でもどうしても勇気がなくてね。君はまだそういうことよりも周りの環境に馴染むことに精一杯だっただろう? この上私が自分の思いを打ち明けたら、君は考えることが多すぎてしんどくなるかもしれないと思ったんだ」
「……それはそうかもしれないけれど…」
目に映るもの全てが新鮮で楽しく、確かにエステルの頭はいつも満杯だった。
でも心のどこかでは必ずクレトに向かっている一端があって、その動向はいつも気になっていた。
「マリナに言われたの。クレトがダナさんとホテルから出てきた時、わたし胸が痛かったの。でもその理由は自分で気が付かないといけないって。だからたぶん、それでよかったのよ。クレトから言われていたらきっとわたし自分の気持ちがよくわからないままだったかもしれない。お父様から言われるままに王太子妃になるために過ごしていたように、今度はクレトの言われるままに過ごすようになっていたかもしれないわ」
「大丈夫、エステルは変わったよ。前にも言ったけれど、今のエステルはアルモンテ公のもとにいたお人形さんとは違う。自分で考え、判断し、心のままに動ける女性だよ」
「……そんなふうに言われるとなんだか照れてしまうわ…」
「照れているエステルも素敵だよ」
火照った頬に心地よい海風が通り抜けていく。
父の屋敷という小さな空間でいつも夢想していた。この大陸中の国を巡って、海を渡って別の大陸にも行ってみたいと。クレトから話を聞くたび、叶わないと知りながら想像せずにはいられなかった。それが現実となり、これからもそれがエステルにとっての現実だ。クレトと共に歩める未来なら、どんなことをしても手に入れたい。クレトがエステルを手に入れるために手を尽くしたように、きっとエステルもクレトの側にいられるならどんなことも恥ずかしくはない。
「……ありがとう、クレト。わたしをあなたの恋人にしてくれる?」
好きと打ち明けた時のように自然と言葉がこぼれ出た。憶測するより、クレトから言われるよりも、まずは自分で自分の思いを伝えなければならない。
エステルは真っすぐにクレトを見た。クレトは真正面からその視線を受け止め、「こちらこそよろしく」とうっとりするほど素敵に笑った。
***
「ねぇマリナ」
「はい、なんでございましょう」
就寝前、エステルの自室へリネン類を届けに来たマリナにクレトとのことを報告し、エステルはひとつ気になっていたことを聞いた。
「マリナはクレトの気持ちを知っていたって言っていたけれど、あれって見ていればわかったというのはうそよね」
マリナは一瞬ぎくりとしたように動きを止めた。
「なぜそう思われるのです?」
「だってクレトに恋人がいるかもしれないって言いだしたのはマリナだったもの。ホテルで目撃した時も、マリナはダナさんがクレトの恋人だと思っていたみたいだし、そういうことには疎いって自分で言ったわ」
うーんとマリナは唸り、「白状いたします」と観念した。
「実はお嬢様がアパートメントを借りられてすぐ、クレト様から直接お伺いしたのです。その上でお嬢様の近辺を気を付けるようにと言われ、お隣の方がお嬢様のことをそういう目で見ておられることに気が付き、邪魔をいたしておりました」
「そうだったの?」
お隣さんのことは覚えているけれど、そんなそぶりはなかったと思うのだけれど。
「あと、部屋を出ることになることも知っておりました」
「だからあの時ブラスさんの言うようにしようってマリナは勧めたのね」
「……はい。申し訳ございませんでした」
「謝らないで。ありがとう、マリナ」
アパートメントを借りた頃から、マリナが変わったことにはなんとなく気が付いていた。
クレトの邸に戻ってすぐダナを紹介されたのも、クレトはマリナからエステルがダナのことを恋人と勘違いしたことを聞いたからなのだろう。
「……おやすみ、マリナ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
全てのことがすとんと胸に落ちて行った。
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