日常を取り戻せ

ゆとそま

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第二章 入院治療〜第一クール〜

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 この章では、入院中の治療やその時の心情などを、記したいと思う。
 入院して絶望的な気分の中、なぜか今の状況を記録に残したいと思った。いや、むしろ記録に残さざるを得なかった。何か言葉にしたり、文字に起こしたりしないと、不安や恐怖や怒りや悲しみに押しつぶされそうだったからだ。
 その時の記録を、補足を入れたり解説などを入れたりするが、できるだけ加工せずにそのまま記したいと思う。多少乱雑な文章だったり、乱暴な表現が含まれるが、それが白血病を患った一人の人間の、リアルな感情である。

 まずはその前に白血病について簡単にお話したいと思う。素人の僕の認識で書くので、全て正確な情報ではないかもしれないが、僕は今でもこのように理解している。
 白血病には大きく分けて四種類ある。急性骨髄性白血病、急性リンパ性白血病、慢性骨髄性白血病、慢性リンパ性白血病、である。僕が罹患したのは急性骨髄性白血病になるわけだが、急性骨髄性白血病の中でも、更にいくつかのタイプに分かれる。僕のタイプは、フィラデルフィア染色体異常?というタイプだったと認識している。そして、急性骨髄性白血病でそのタイプになるのは、極めて稀であるらしい。
 次に白血病の治療だが、基本的には抗がん剤での化学療法で治療される。一度の治療で約一ヶ月入院し、一度退院する。そして、それを何度か繰り返す。人によってはそれを五、六回繰り返し、入院治療を終えるのだが、化学療法だけでは寛解が難しい人は、造血幹細胞移植という、血液を造り出す細胞の移植を行う。その際に、自分の造血幹細胞を破壊するので、致死量程度の放射線治療や抗がん剤を投与する。そうして破壊された自分の造血幹細胞にドナーの造血幹細胞を根付かせるという治療法だ。この治療はハイリスクハイリターンらしい。
 簡単だが、これが白血病の基本的な治療であると、僕は認識している。

 それでは、闘病記録を記していく。多少前章と重複する部分があるが、お許しいただきたい。


ニ〇ニ〇年十一月六日
 ようやく、気持ちが落ち着いてきたので、記録をつけようと思う。
 仕事の会議中に、定期的に血液検査をしている病院から2~3回の着信があった。今思えば、この時点で何か嫌な予感はしていた。電話を折り返すと、『白血球の数値に異常があるため、血液内科のある病院に至急行って下さい』と。
 素人ながら、白血球=白血病、という概念があったが、まさかね、と思い血液内科のある個人病院を受診。再度血液検査をして、言われた事は
『大きな病院で検査した方がいいね。どこがいい?』
どこがいい?って…いや、頭が追い付かん。でも、もしかしたらってこともあるし、回らない頭を懸命に回し、とりあえず、家から近いところを順に言っていった。
 待つこと約ニ時間。その間の僕の心境は、絶望以外のなにものでもなかった。まだ何も診断された訳じゃない。でも、これだけ異常な数値って素人が見てもやばくないか?通常、白血球の数値の基準値のアッパーが約九千なのに対し、僕は六万九千あった。まさに桁違い。もう嫌な予感しかしない。
 そこでようやく受け入れてくれる病院が見つかった。どこの病院も某ウイルスの影響なのか、なかなか受け入れてもらえず、よりによって家から結構遠い病院になった。
 すぐにタクシーに乗り、病院へ行った。タクシーの中では涙が出そうになったが、まだ診断されたわけではない!と自分に言い聞かせ、我慢した。
 病院に着くと、三十八度の熱があった。自分の中で、少し期待が膨らんだ。三十八度も熱があれば、白血球も増えて当然なんじゃ?と思っていた。病院では、やはり某ウイルスを警戒しており、まずは、胸のレントゲン、そして採血という流れに。
 胸のレントゲンが終わり、某ウイルスではないと判断されると先生が来た。名札を見ると部長と書いてある。そして、色々話を聞かれるのだが、この先生は僕が白血病である事を前提に話をしている。思わず、聞いてしまった。
『僕は白血病なんですか?熱のせいで白血球が上がってるわけではないのですか?』
 先生は残念そうに、例えばウイルスや細菌感染で熱が出ても、白血球が六万を越える事はそうはない。僕の場合は、白血病であることは、ほぼほぼ間違いない。あとは急性なのか慢性なのか、と説明された。
 マジかー、とうなだれていると、看護士さんが骨髄から何かをとる検査の説明をしてくれていたが、正直右から左。ただ、この検査をもって確定診断となるらしいので、そこだけに希望を持って検査に挑んだ。
 ネットで事前に調べてしまったので、痛いという事は知っていたが、本当に痛い…。でも、これで違うと判断されるのであれば!と何とか我慢した。
 そして検査が終わり二十分安静にするようにと言われたので横になっていると、とりあえず、妻には状況を伝えねば、と思いすぐにLINE。そして子供達の顔が頭に浮かんでくる。保育園に送り届け、適当にじゃーねー、と言って別れたきり。会いたいな、会えないのかな?せめて今日だけでも帰してくれないかな、と思っていた。急性でなければ、とりあえず今日は帰れるとのことだったので、急性でありませんように!と何回もお祈りした。
 しかし、現実はそううまくはいかず、結果は急性骨髄性白血病、との診断になった。
 急性である以上、入院は避けられないそう。なので、妻にすぐに連絡するが、あまりのショックと妻の声を聞いて感情が爆発してしまい、大号泣してしまった。とにかく妻はすぐに駆けつけてくれることになり、あとは子供にどうしても会いたかったので、先生に直談判をした。しかし、先生からの答えはノーで、不運な事に金曜日であることから、帰すわけにはいかないと言われ、自分の運の無さと子供に会えない悔しさでまた涙が溢れてきた。
 それが午後四時ぐらいの出来事。僕は、この時のことを一生忘れないだろう。さっきまであった日常はなくなり、過酷な入院生活が突然訪れる。もちろん、先生は治療のためにご判断してくれて事なのでありがたい限りではある。
 そこからは放心状態でほぼ記憶にない。
 記憶にあるのは、妻と兄が先生からの説明を聞きにきてくれたこと。兄がいつになく真剣だったこと。そして、妻と一緒に大号泣したこと。
 白血病の場合は無菌フロアになるのと、某ウイルスの関係で面会が一切できない。つまり、今日から一時退院の約一ヶ月後まで、家族に会うことができない。
 辛い、しんどい。また涙が出てきた。
シャワーを浴びるか聞かれたが、疲れ果てて眠りについた入院初日だった。


十一月七日
 夢をたくさん見た。やはり熟睡はできず、数時間に一回目を覚ましてしまうのだけれど、その度に夢を見る。どれも日常の夢だった。家族と一緒に過ごしてる夢、職場にいる夢、趣味のバスケットをしている夢。夢なんだからもっと非現実的なものを見ろよ!と思ったが、今の僕にとっては、今までの日常が非現実的な世界なんだよ、と夢に言われてるようで怖くなって寂しくなって、また泣いた。
 この日もまだ、現実を受け入れることができないまま、1日が終わった。


十一月八日
 この日は日曜日。また同じような夢を見て、目が覚めて、現実を見て、悲しくなる。
 せめて一日で良いから子供に会わせてほしいと思い、たまたま主治医がいたので直談判をした。もう直談判中は感極まって涙ボロボロ。しかし、先生は動じることなく、あっさりと却下。
 某ウイルスが無ければ良かったらしい。というか、某ウイルスが無ければ、普通に面会もできてたらしい。
 某ウイルスは感染以外でも迷惑な存在だ。
 この日、初めてテレビ電話で家族と話すことができた。
 やっぱり家族は良い。子供とはもちろん、妻とも久しぶりにまともに話をした。
 時にはうっとおしかったり、うるさかったりするけど、やっぱりその全てが愛おしくてかけがえのないものだと思い知らされる。自分の事で泣いてくれる人なんて家族ぐらいじゃないだろうか。家族という存在は生きる希望に繋がると同時に、死への恐怖も生む。いっそ離婚した方が恐怖はなくなるかも、と考えたけど、でも同時に生きる希望もなくなるよね。
とにかく、早く帰りたい。


十一月九日
 この日は朝から治験の説明があった。治験というのはなんとなくドラマとかで知っていたが、すごく怖かった。
あくまで患者目線での感想であり、決して治験自体を否定したり罵倒するものではないが、少なくとも僕と会話をした人は、まるで何も感情がなく、淡々と説明をしている。
 髪が少し長くてメガネをかけていて、いかにも研究者って感じの人から、薬の効果や副作用、万が一の時の責任の所在などが淡々と事務的に説明されるのだ。
 僕は恐怖と同時にムカついてきた。こいつは僕のことをなんだと思ってんだ?薬のデータが取れりゃそれで良いのか?お前のこと殺してやろうか?とすら思えた。その複雑な感情で涙が流れてきたので、一旦主治医と話すということになった。
 自分で決められるわけないだろう。僕は生きて帰れればそれで良い。それに治験の薬が必要なら使えば良いし、必要ないなら使わないでほしい。でもその判断を素人で、ましてや当事者の自分が判断できるわけがない。こちとらまだ病気すら受け入れられてないんだ!と、怒りで頭がおかしくなりそうになった。
 結果的に、主治医と話をし、オススメはする、とのことだったので治験に同意はしたが、こいつらとは正直、もう関わりたくないと思った。
 その日の夜は色んな人からメッセージをもらった。
家族や友人、職場の人や趣味のバスケのチームメイト。ありがたい。絶対に生きて帰りたい。
初めて前向きな思いをもって眠れた夜だった。


十一月十日
 昨日の夜は初めて前向きになれたのに、やっぱりダメだ。朝起きたら急に心細くなり、テレビをつける。すると、オムツのコマーシャルで赤ちゃんが出てきた。子供に会いたい。ふと携帯を見たら親からメールがきてた。泣いた。親も僕と同じぐらい辛い思いをしている。俺が何をしたっていうんだ?なんでこんなに色んな人を悲しませるんだ?病気が憎い。本当に憎い。殺してやりたい。
 日中、栄養士の方から食事に関しての説明があった。  
 僕は嘔吐恐怖症なので、吐くぐらいなら食べなくていいや、と思っていたが、どうやら違うらしい。細かい事はよくわからないが、点滴で栄養を入れるよりも、口からちゃんと入れる方が体には全然良いそうだ。この病気は他の病気と違って、若ければ何とかなる、という概念がないとはっきり言われた。困った。まいった。頭と心がついていかない。また折れそう。
 その後、点滴を通すためにカテーテルを鎖骨らへんに入れた。正直めちゃめちゃ痛かったし、途中、不整脈みたいになって胸が苦しかった。でもね、ここまで来てようやく治療の準備が完了となる。明日から抗がん剤の治療が始まるので、ようやくスタートラインに立った状況である。もう身も心もボロボロ。何で俺がこんな思いをしなきゃならないんだろ。確かに善人ではなかったけど、悪人でもなかったよ。その辺にいる三十代半ばの人達となんら変わらない生活を送ってたよ。世の中にはもっと悪人がいるだろ?なんでそいつらが笑って暮らしてんだよ。なんで俺はこんなに苦しまなきゃいけないんだよ。なんで俺の家族はこんなに苦しまなきゃいけないんだよ。と、相変わらず考えてしまう。
 死にたくない。生きていたい。でも辛い治療はイヤだ、怖い。これはワガママでしょうか、神様。教えてください。


十一月十一日
 今日からようやく本格的な治療がスタート。午前中に医療費の説明に同席するとの事で妻と三十分だけ会うことができるのだが、まさかのその直前に抗がん剤を投入。いかにもって感じの色で、かき氷に入れたらちょいと濃いめなみかん味?みたいな色をしてた。それが透明な管を通って自分の体の中に入ってくる。見てるだけで気持ち悪くなってくる。
 でも看護士さん曰く、少なくとも投与中に副作用が起きることはない、との事だったので、予定通り妻と顔を合わせた。
 今まで当たり前だった、フォルム、声、匂い、オーラ、などなどが、とても懐かしく感じる。僕は申し訳ないけど説明は妻に聞いてもらって、ずっと妻の存在を感じていた。
 説明後に少しだけ二人きりになる時間をくれたけど、そういう時に限って特段喋ることがない。ありきたりだね。また1か月後に会うことを約束し、妻とは別れた。
 病室に帰る途中から、やたら寂しくなる。やっぱ会わなければ良かったな、と、また涙が出てきた。
 問題の抗がん剤は、事前に準備してくれた吐き気止めのおかげでムカムカ程度に収まってる。
 ただ、まだ始まったばかり。体はだるいし、下痢はするし、眠いし、頭痛いしで、そこそこボロボロ。
 明日以降が不安。


十一月十二日
 抗がん剤治療二日目。少し胃がムカムカしてるけど、そこまでの吐き気はない。ご飯も食べようと思えば食べれるのだが、食べた後に吐くのが怖いので、デザートだけ食べた。先生に聞いたのだが、副作用は人によって全然出方もタイミングも違うそうなので、まだ恐怖心はとれず。
 それよりも今日は節々の痛みと倦怠感が強い。抗がん剤が闘っている証拠なのだろうか。シャワー浴びるのもめんどくさい。

十一月十三日
 昨日は吐き気が少ししんどかったが、それ以上に倦怠感と眠気のが強く、八時には寝てしまった。これも抗がん剤の副作用なのだろうか?
 今日は朝から眠気、倦怠感に加え、頭痛がする。頭痛はただ横になりすぎてるからのような気もしなくはないが、起きてるのはしんどい。
 吐き気はまだ我慢できるレベルなので、これ以上ひどくならない事を願うばかり。


十一月十四日
 しんどい。昨日から、吐き気、倦怠感、眠気でわけわからん。自分の体じゃないみたいに、意識と体が分離されてるみたいだ。
 寂しいとか、悲しいとか、そういったネガティブな事を考えてる余裕は無くなったけど、やっぱり辛いのはイヤだな。


十一月十五日
 昨日の夜は吐き気に悩まされたけれど、よくよく考えてみると、副作用による吐き気なのか、空腹による吐き気なのか、わからなくなってきた。
 ということで、今朝は朝ごはんを少し食べてみた。うん、気持ち悪い。食べなきゃよかったかも。
 ただ、一つだけ気付いた事がある。例えば胃腸炎にかかったとき、テレビで食べ物が流れてくるだけでも吐き気がした。しかし、これに限っては違うのだ。むしろ食べたくて仕方ない。カツ丼とかラーメンとか、グルメ番組を見まくっている。
 こんなこと言ったら格闘家の方に怒られちゃうかもしれないが、格闘家の減量と似ている気がする。食べたいけど、食べれない。
 いつか、この病気が完治して、食欲全快で最初に食べる物は、一体どんな味がするのかな。


十一月十六日
 抗がん剤は、二種類を同時に投与している。そのうちの一種類は最初の三日で投与が終わったのだが、それの副作用がそろそろ抜けてくるとのこと。
 要するに吐き気とかも無くなってくる、とのことだが、正直気持ち悪い。めっちゃ胃がムカムカする。
 一日一回、病棟に売店のおばちゃんがくるのだが、そこでカップラーメンを買ってるおじいちゃんがいた。マジ強者。
 今の俺が食べたら即リバース。
 でも、なーんか味が濃い物が食べたい。


十一月十七日
 今日は入院して以来、一番体調が悪い。朝から目眩がして、その目眩に酔って物凄く気持ち悪い。貧血ってほどの数値でもないそうなので、元々の自律神経失調症の症状だと思うが、めちゃめちゃしんどい。
 そして、それに追い討ちをかけるように、明日から大部屋に移れ、と言われた。いやね、こちとら急に大病になり、緊急入院をし、子供の顔すら直に見てないんですよ。それでもね、死にたくないから必死に治療してるんです。その生活にね、ようやく、ホントにようやく慣れ始めたところだったのに、また環境変えられちゃうんですか?しかも目眩と吐き気でぐったりしてる時にそんな話してくんなよ。
 もちろん病院の都合もわかります。でもさ、もう少しこっちの事も考えてよ。最初に環境の変化に弱いって言ったじゃん。
ホントに最悪。
と、物凄く沈んでると、主治医が来て、血液検査の結果を見せてくれた。なんとまぁ、抗がん剤ってすごいものでしょう。六万九千あった白血球が千に、約九十パーセントを占めていた癌細胞が〇パーセントになっていた。
 先生はドヤ顔で『予定通り!』って言ってたけど、初めて治るかもって思えた。できることならこの先もずっと、先生にはドヤ顔してもらいたいなぁ。


十一月十八日
 今朝は頭痛と腹痛で目が覚めた。何とも目覚めの悪い。頭痛は緊張型頭痛だと思うんだけど腹痛はなんだろなー、って思いながら朝ごはん食べたら、猛烈な吐き気と腹痛。朝っぱらからめっちゃテンション下がる。看護士さんに聞いたところ、やはり抗がん剤の副作用らしい。お昼は軽めにスープとプリンとゼリー飲料だけにしたが、やはり腹痛。もう、今日は何も食わん。
 そして、もう1つショッキングな事が…。
 大部屋に引っ越しだ。第一印象は日当たりよくて良いな、って思ったけど、次第にテンション下がってくる。
 まず、色んな臭いがする。同部屋の人の臭い(加齢臭)。同部屋の人が食べてるお菓子とかの臭い。そういった臭いが染み付いてる。次に色んな音がする。同部屋の人が出す音・声。廊下から聞こえる音・声。次に、トイレが遠くなったのと、やはり共用なので衛生面で抵抗がある。 
 次に、テレビやスマホの音声がイヤホン必須になる。次に、シャワーも共用になる。これが勝手が全然わからなくてすげーイライラして、悲しくなった。そして、最も悲しくなったのが、患者を見てしまったこと。今までは個室だったので、ほとんど看護士さんと接してきた。でも大部屋になって、同部屋の人や、トイレで会う人やデイルームで会う人が今日一日だけで何人いたか。もちろん、同じ人も含むけど。で、何が悲しいって、その人達がみんな高齢者だってこと。もちろん、世の中には自分と同世代、あるいは年下の人だってかかってる病気なんだけど、少なくとも今日見た人達はみんな高齢者。明らかに自分、浮いてる。まだ君はここに来るべき人じゃないのに来ちゃったの?って言われてる気がする。そうすると、また『なんで俺が』って気になる。今日はちょっと精神的にきつい。
 一つだけ良いことが。抗がん剤の投与が終わった。まぁ投与が終わっただけで、副作用は相変わらず継続するし、これから髪の毛も抜けるんだろうけど、とりあえずの一区切りとして。
 自分お疲れ。支えてくれた人達、お疲れ。


十一月十九日
 大部屋に移動しての初夜を明かした。まぁぁぁぁ眠れなかった。おそらく、十二時は越えていたでしょう。同部屋のお二人は結構頻繁にトイレに行き、寝てるときはイビキが。まぁ俺の方でもそういう生活音や何やらでご迷惑はおかけしてると思うのでそこはお互い様なんだけど、とにかく寝れない。
 睡眠薬使ってようやく眠ったと思ったら、四時頃にトイレに行きたくなって目が覚める。トイレまでが地味に遠いから、行って戻ってくるので目が冴えちゃうのね。戻ってきてもなかなか寝付けず、ウトウトし始めたらいきなり部屋の電気がピカーッてついてビックリ。時計を見たら六時だったので、起床の時間だ。なんだか頭痛するし、俺、四時間しか寝てない。確かに規則正しくはあるけど、これって健康に本当に良いのかね?
 今日は何だかあっちこっちが調子悪かった。耳が痒い、食欲ない、のどに異物感ある、目眩する、お腹痛い、残尿感がある、味覚障害、などなど。調子悪いとこ三十挙げて!って言われたら、即答できるレベル。
 そして、調子悪い時には決まって、あー、俺は癌になったんだなー、って思い知らされる。診断されてから約二週間が経つけど、まだ受け入れられてない。いつ受け入れられるんだろう。


十一月二十日
 昨夜から腹痛があり、早朝から下痢二発。おそらく抗がん剤の影響なんだろうけど、そこそこ辛い。食べると出るから食べれない。風呂に入ってる最中にフラフラして動悸がした。貧血かな?とりあえず、風呂ごときでぐったりするぐらい疲れる。
 でも、今朝起きて思った。毎朝目を覚ます度に、日常に近づいてる。これから先、辛いこともあるだろうけど、家族に会える日が近づいてる。今はきついけど、朝起きた時に『よし!また一歩近づいた!』と思うことにしよう!
と、今朝思ったばっかりなのに、移植をしないといけない事が確定した。しかも、主治医が二十年の医者人生で初めてみる白血病のタイプかもしれないって。
 移植の副作用が怖い。怖くて怖くてしょうがない。怖い。


十一月二十一日
 久々に生々しい夢を見た。長男を思い切り抱きしめながら大号泣してる夢だった。何を暗示してるのかな?今でも夢なのに抱きしめた感触が残ってる。早く会いたい。会って思いっきり抱きしめたい。
 今日は同部屋のおじいちゃんが退院していった。カーテン越しにもわかる。1つ1つの動作が全て喜んでる。
『ご家族の方がお迎えにきましたよ』
看護士がそう言うと、おじいちゃんは嬉しそうに部屋から出ていった。
 俺もいつか、必ず。友人からお守りももらったし、必ず退院してみせる。絶対に生き抜いてやる。子供が立派に成人するまでは、病気だろうがなんだろが負けてたまるか。
でも、怖い。


十一月二十ニ日
 早く帰りたいとか、移植が怖いとか、先のことばかり見てたなーって思った。今朝起きたら歯茎がめちゃ痛い。前に根幹治療をした部分と、親知らずを抜いた部分がズキズキする。抵抗力が下がってるから、と看護士には言われたが、俺は今、そーゆー状況なんだ。今までならなんてことない古傷ですら蘇らせるぐらい、弱ってるんだ。もちろん早く帰りたいし、移植も怖いんだけども、目の前の治療に集中しないと、思わぬ伏兵に会いそうだ。ホントに一日一日が勝負。一歩一歩。
 そう朝思ったのに、なぜか移植についてネットで調べてしまった。怖くて怖くてしょうがなくなった。壮絶な副作用、定着しない恐れ。もちろん事実かどうかはわからないし、人によって違うのはわかってるんだけど、ネットは妙に信憑性がある。
 ネットはダメ。見ちゃダメ。今も怖くて怖くてしょうがない。
日本シリーズも巨人ボロボロだし。


十一月二十三日
 入院し始めてから、もうすぐ三週間になるが、これまでは体重は減る一方だった。だがしかし、今日初めて体重が昨日よりも二百グラム増えてた!これは嬉しい。理由はよくわからない。相変わらず食事はできないし。強いて言うならカロリーが高いものをなるだけ食べるように心掛けていたからだろうか。なんにしても、久々に良いこと。
 それから今日は、先週の金曜日に移植の話をされてから、初めて主治医と話す事ができた。怖くて怖くてしょうがない、不安で頭がおかしくなりそうだ、と思いを伝えた。一生懸命話は聞いてくれたが、恐怖と不安が消える事はない。当然、今やってる治療よりも強い治療になるが、俺の体で十分耐えられる治療をやるとのこと。もう先生を信用するしかない。最終的にはバスケをやれるぐらいまで回復すること、そのためには目の前の治療に集中し、一つ一つクリアしていく事が重要だと言われた。
 という訳で、もともとカウントダウンが好きなので、退院までの日数を先生の話をもとに計算し、算出してみた。そしたら、二百六十五日。なっが。まぁあくまでもど素人のやったことなので、もちろんその通りな訳はないのだが、長すぎる。まぁでも、毎朝起きて、数字を一つ減らすのは楽しみ。


十一月二十四日
 入院して以来、はじめて感染症にかかった。昨日の夜から三十八度台の熱が続いている。今回の治療で一番注意しなきゃいけない感染症にかかるなんて、本当についてない。しかも、場合によってはcvカテーテルを入れ直すって。マジかよー。あれ痛いし怖いしでホントに嫌なんだよなー。どんだけ俺を苦しめれば気が済むんだよー。
 とにかく、何事もなく熱が下がる事を祈るばかり。
 そして今日は産まれて初めて輸血をした。血小板の輸血。人様から頂いた血液をちょうだいしているので、ありがたいと思う反面、若干抵抗が。
 そして、ここでも副作用。それほどきつい副作用ではないが、アレルギー反応で皮膚に虫刺されのようなものが。放置はよろしくないそうなので、すぐに看護士を呼んで対処。
 しかしまぁ、どれもこれも一筋縄じゃいかねぇなぁ。
 先が思いやられる。


十一月二十五日
 熱がなかなか下がらない。頭痛いし、歯茎痛いし、喉痛いし。辛いなー。体調悪いと心も弱くなってくる。こういう時こそ心を強く持たないと。この程度でギャーギャー騒いでたら移植なんてとても耐えられない。頑張らないと。
 しかし、追撃のように次から次へとショッキングな出来事はやってくる。シャワーを浴びてバスタオルで頭を拭くと、バスタオル中に髪の毛がわっしゃー、って。まぁゴッソリって感じじゃないから脱毛とはまだ呼べないんだろうけど、激しい抜け毛?みたいな感じ。もともと坊主にしたかったから大丈夫かな?って思ったけど、やっぱショックだ。
 せめてさ、熱でしんどくない時に抜けてよ。
 ホントに次から次へと。


十一月二十六日
 朝起きたら熱が下がってた。もしかして、感染症良くなったかな?と思ったけど、夜になったらまたちょっとしんどくなってきた。
 今日は血小板の輸血を行った。前回やった時もアレルギー反応が出て一時中断して再投与を行った。今回もやはりアレルギー反応が出たので、今回は薬を使った。でも再投与の時にまたアレルギー反応。目の下が赤く腫れ上がった。そして、また中断。
 イライラするなぁ。やっと感染症がよくなってきたと思ったら今度はこれかよ。どうやらアレルギー反応を起こしやすい体質らしい。そんなんで移植なんてして大丈夫なのかな?あー、また怖くなってきたなー。
 極めつけは脱毛。昨日から本格的になってきた脱毛だけど、本当に全身の毛が抜ける。一番ビックリしたのは陰毛がゴソッと抜けたこと。まぁ誰かに見せる訳じゃないから良いんだけどね。あんまり人相変わりすぎて、子供らに引かれたらやだなぁ。
 なんか、ここんとこ次から次へとすぎて、ちょっと疲れた。


十一月二十七日
 体温平熱、頭痛と歯茎の痛み少しあり、食欲なし、腹痛。と、まぁ決して体の調子が良いわけではないが、ここ最近の不調からしたら、ちょっとまとも。嬉しい。
 朝ごはん、ちゃんと食べなきゃなー、と思いつつも、カロリーメイトとゼリー飲料で済ませる。でも、病気する前から特段朝ごはんをガッツリ食べてたわけじゃないので、そこまで差があるかな?って思う。
 今日は採血だけやって終わりだー、と思っていると、急きょ看護士から赤血球の輸血をやると言われた。いやー、マジかー。血小板の輸血で昨日アレルギー反応が出たからイヤなんだよなー。ただ、赤血球に関しては血小板ほど出ることはないとのこと。それならばと、少し安心して輸血を受けると、首の辺りに痒みが。一応、看護士を呼ぶと、『あー、ポツッとできてますねー』と。また止められて、再投与して、ってのは勘弁だったので、実際そんなに痒くもなかったし、ゆっくり目に変更してもらって、投与は続行。なんとか全て入れ終わった。
 そして、何気なく写真を眺めていると、懐かしいやらそうでないやら。写ってる妻や子供たち、親や兄弟、甥っ子は皆笑顔で楽しそう。昨日の事のように全て覚えてる。心に刻まれてる。なーんだ、夫や父親らしいことできてないと思ってたけど、結構やってるじゃん。俺も楽しかったし後悔もない。良い人生だったじゃん。
 なんて思いはじめちゃって。
 ダメダメダメダメ!!確かに今までの人生に後悔なんてないけど、まだやりたいことや見たいことがたくさんあるんだ!じじぃとばばぁになっても手繋いで近所の公園をあーちゃんと散歩するんじゃん!チビ達が立派になるところを見届けるんじゃん!
まだまだ死ねないよ!感傷に浸るにゃ五十年はえーよ!
あぶねぇ。

※あーちゃん、とは妻の事。


十一月二十八日
 なんだか今日は一日中体調が優れない日だった。
 朝起きたら体のあちこちが痛い。筋肉痛?のような、軽い打撲のような、なんとも言えない地味だけど嫌な痛み。なんだろうこれ。
 看護士さんに聞いてみたけど、抗がん剤の副作用で、筋肉や骨に痛みが出る事はあるみたい。ただ俺の場合は抗がん剤を入れてから結構日が経ってるので、う~ん?って感じらしい。とりあえず、続くようなら教えてください、と言われ、モヤモヤしたままこの話は終わった。
 あとは今日は一日中気持ち悪い。抗がん剤の副作用はとっくに抜けてるはずなのに、ぜーんぜん食欲が戻らない。なんでだべなぁ。精神的なものか?それとも感染症?
あとニ週間ぐらいで一時退院できるかもって先生言ってくれたけど、こんなんでホントに退院できるかな…。


十一月二十九日
 今朝は相変わらず気持ち悪いものの、頭痛も歯茎の痛みも昨日よりはイイ気がする。昨日の朝発生した謎の筋肉痛も少し良くなってる。右肩上がりとは言えないまでも、徐々に徐々に良くなってきてるのかな?と感じる。しかし、なぜ気持ち悪いのはよくならねーかなー。これが一番しんどいのに。
 友人とLINEしていたら、友人の親が癌になったらしい。俺の白血病がわかった三日後だそうだ。寿司屋をやっていて、何度か食べに行ったことがある。世の中、もっと悪人がいっぱいいるじゃん?友人は子供が産まれたばかり。つまり、孫ができたばかり。なんでですかね?俺も含め、なんでなんですかね?
 そんな事を思っても、現実は何も変わらない。そして、生きるためには食べなきゃいけない。とりあえず、昼御飯だけはちゃんとした病院食を食べるようにしている。まぁ少し残してしまったが、結構食べれたのは良かった。そして、思った。本当に申し訳ないんだけども、不味い。どうやったらこんな薄味にできるの?ってぐらい味がしないし、素材もそんなに良いのを使ってないだろうから、臭いとかがモロ。これは健康な状態であっても完食できないかも。でも感謝してます。我々のために毎日毎日ありがとうございます。
 そして夕方に懐かしいアニメを見ていて、そこで名言が出てきた。
『希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了だよ。』
 有名すぎる名言だが、こんなに心に響いたのは初めてかもしれない。愛する家族のために、応援してくれる友人のために、そして何より自分のために。絶対に希望は捨てちゃいけない。絶対に諦めちゃいけない。


十一月三十日
 今日も朝から吐き気、歯痛、頭痛、筋肉痛と、体調が優れない。ホントにこんなんで一時退院なんてできるのか?と不安になる。
 そこで思い出した。つい最近の番組で、ミスチルが出演してたんだ。さっそくユーチューブで検索すると、あったあった。
 中学生の頃から聞いてるミスチル。これまでの人生で何度も励まされてきた。そして今回、これまでの人生で過去最大の窮地に立たされている。でも絶対に負けられない闘い。そして、やっぱりミスチルは励ましてくれる。朝の七時から涙ぐむ。すごいな。明後日、アルバムが発売される。これも何かの運命だろうか。
 しかし、歯茎が痛い!!


十二月一日
 ここのところ、ぜんっぜん体調が回復しない。特に頭痛と歯茎の痛みと吐き気。いつになったら良くなるんだよイライラするな。そして、筋肉痛。まだ先生に話せてないし、なぜか今日も会うことができなさそうだが、どの看護士に聞いても『???』みたいなリアクション。気にしなくって良いってことなのかな?今朝の採血もやたら痛かったし、鏡を見たら落武者みたいな自分がいるし、抜けた髪の毛がチクチク痛いし、なんでこんな目に合わなきゃならんのだ。
 極めつけは、嫁・姑問題。母親が精神的に参ってて、奥さんに八つ当たりしてるっぽい。勘弁してよ。辛いのは家族ならみんな同じで、その中で俺も支え、子供を育て、仕事をし、家事をし、更に姑のフォローまでしろってのか?そんなんだったらもう関わらないでくれ。奥さんが潰れちまう。みんな限界のところで必死に生きてるんだよ。八つ当たりする相手を考えてくれ。こんな時こそ支えあってくれ。頼むよ。
 話は変わるが、同部屋のYさんの話。
 Yさんは、俺がデイルームにいる時とか、トイレでばったり会ったときなんかに声をかけてくれる。五十歳ぐらいだろうか。とても体格が良くて、癌だなんて思えない。でも、なんの病気だったか忘れたが、とても珍しい病気らしく、移植をしないと治らないらしい。それでもYさんは、死ぬことなんて、微塵も考えていない。俺が『生きて帰れれば、それで良い。死にたくない。』みたいな事を言うと、『そんなのぜんっぜん大丈夫だよ!』と笑い飛ばしてくれた。
 そして、同部屋なので、何となく今辛い治療してるんだろうなー、ってのがわかるのだが、Yさんはしっかり受け止めている。もしかしたら内心は怖いのかもしれない。でも、そんなのは微塵も出さない。挙げ句の果てに、今寝ちゃうの!?ってタイミングで寝てしまう。
 メンタルが強い。男らしい。見習いたい。


十二月二日
 今朝の調子も相変わらず。ただ、筋肉痛に関しては、昨日先生から気にしなくて良いと言われたので、少し安心。
 昨晩は4回ぐらい目が覚めた。その度に夢を見たけど、今までの夢は病気関連の夢ばかり。家族と会って号泣したり、なんかしら病気を思い出させるような夢。ただ、最近は全然関係のない夢を見ることが多い。それだけ入院生活に慣れてきたってことなのかな?良いことなのか、悪いことなのか。まだ病気の事を受け入れられてないというのに。
 そんな中、主治医の先生から一時退院についての話があった。嬉しい話のようだが、意外と厳しい話だった。
 今の僕は、朝・晩はカロリーメイトニ本とウィダーインゼリー、昼は病院食のハーフ、という食生活で、足りない分を点滴で補っている。まさに先生はそこを心配しているようだ。当然、家では点滴をすることはできないので、今と同じ食生活だと具合を悪くすると言われた。それで一時退院が無しになるということはないらしいが、おそらく、期間がめちゃめちゃ短くなるんだろう。
 一応、来週のどこかで予定しているみたいだが、それまでに食生活の改善できるかな?というか、体調もまだイマイチなのに、退院しちゃって良いのかな?
 まぁ、一日でも子供の顔が見れれば、良いか。


十二月三日
 最近、鏡を見て思うこと。顔のテカテカが全くない。入院したての頃はそれこそ毎日顔が油でテカテカしていたのだが、ここ数週間はそれが全くないのだ。おまけに血色も悪く、髪型も悲惨なので、リアルに落武者みたい。ちょっと自分を鏡でみて寒気がする。抗がん剤の影響?食事の影響?ちょっと怖い。
 そして今日は、今日の回診で、どうしても先生に聞いておきたい事があった。それは自慰行為の事だ。決してふざけてる訳ではなく、自分で処理しなければ、夜寝てるときに生理現象として勝手に射精されちゃうかもしれない。個室ならまだしも、大部屋でそれだけは避けたい。暗闇の中で着替えたりするのも危険だ。だから自分で処理できるものならしたいのだが、正直、それはそれで怖い。1回するのに百メートルを全力で走ったぐらいの体力を使うらしいが、今の俺の体で百メートル走ったら、絶対にぶっ倒れる。だから、くだらないように思えて、結構深刻な悩みなのだ。看護士さんには聞けないし、思いきって先生に聞いてみようと思った。
 そして、相変わらず歯茎が痛いですー、からの様子見ましょうで流されるかと思ったら、まさかの発言。
 一度口腔外科の先生に見てもらいましょう。移植を見据えて、もし悪い歯があったら抜いてもらわなきゃいけないからね。
 え。歯抜くんですか。可能性の話だとは思うが、削るとかじゃなく、いきなり抜くの?
 もう、先生の発言怖い。
 こんな話の後に自慰行為の事なんて聞けないし。


十二月四日
 昨晩、寝る前に外を見て思った。真っ暗な外にキラキラと光る各家庭の明かり。一軒一軒の家に誰かが住んでいる証。つい数ヶ月前までは、俺もその一軒にすぎなかったのに。
 今朝、外を見ると、通勤・通学で色んな人が歩いてる。もうコートを着ている。俺が入院した時はパーカー一枚だったのに、もうこんなに寒くなってるんだな。ずーっと同じ温度の室内にいるからわからない。
 つい数ヶ月前までは、俺も通勤者の1人にすぎなかったのになぁ。
 どうして俺は今、病院に入院してるんだろ。
 久々に感情的になる。
 数週間前から同部屋だった人が、咳がひどく、個室へ移動する事になった。移植をやった人で、回復してきたから大部屋に移動してきたんだろうけど、移動してきた時から咳がひどかった。それでも最初のウチは看護士と会話をしたり、そこまで重症ではなかったけど、昨日ぐらいから声を発さなくなった。聞こえてしまったが、肺炎が悪くなってるらしい。
 自分と重ねて怖くなる。どうか無事に退院してほしい。


十二月五日
 めでたくもなんともない、入院30日目。
 本日の体の症状、歯茎の痛み、頭痛、食欲不振、微熱、ふわふわ感、耳のモワモワ感。
 来週、一応一時退院の予定だけど、ホントに大丈夫なのかな?
 同部屋のYさんに話を聞いてみたが、Yさんは一時退院の時は普通に元気だったらしい。ただ、Yさんはご飯をしっかり食べれてたみたい。俺は未だにカロリーメイトと病院食のハーフ。そこの差は確かにありそうだ。先生からも食事に関しては何回も言われている。
 わかってるんだけどなぁ。孤独のグルメとか見て、食欲出そうとしてるんだけどなぁ。食べ物を受け付けないんだよなぁ。たぶん、精神的なものだと思うけど。
 だってさ、薄暗い部屋で味気ない食事をさ、一人で食べるんだよ?しかもさ、これから辛い辛い治療が待っててさ、不安と恐怖でいっぱいなんだよ?食欲なんてないでしょ。Yさん、マジでスゴすぎ!!
 夕方、たまたまテレビをつけたら、福山雅治が『家族になろうよ』歌ってた。歌詞やばい。メロディーもやばい。結婚式の時より今のが心に響く。
 いつか、おじいちゃんとおばあちゃんになって手を繋いでお散歩できるかな。


十二月六日
 朝から体調はすぐれなかったが、先生からは次の火曜日、もしくは金曜日の血液検査で問題なければ晴れて一時退院です、と言われた。
 正直、めちゃめちゃ嬉しかったのだが、不安もある。体調が良くないのだ。なんなら、入院する前よりも悪い。禿げてるし。
 それに加えて筋力、体力も落ちてるいるのに、果たして四歳とニ歳の怪獣がいるお家に帰って大丈夫なのだろうか。
 ちなみに、この時点での体調不良は、歯茎痛、食欲不振、微熱、倦怠感、ふわふわ感、といった感じだ。まぁどれも大した症状ではないのだが。
 しかし、夕方になると結構しんどいことになった。まず、風呂から上がった時に目の違和感を感じる。まぶたを目一杯開いているのに、視界がいつもより狭く感じるのだ。んー、なんか気持ち悪いなぁと思い、ベッドに横になって目を瞑っていると、今度は気がついたら右手が痺れてる、というよりは麻痺に近かった。ぜんっぜん力が入らないし、感覚もないのだ。しかし、それぞれの症状は数秒で良くなった。少し気になりはしたものの、いつも通り過ごして、夕飯を食べてスマホを見ていると、またあの目の症状が。そして、今度は頭痛が襲ってきて。そのまま鎮痛剤を飲んで寝てしまった。
 脳出血とか重いものじゃなきゃいいが。


十二月七日
 今日は昨日とうってかわって、そこそこ調子が良かった。朝は頭痛がしたものの、歩いたり座ったり、できるだけ横にならないように過ごしてたら次第に頭痛は解消された。あとは、眠くなったら日中でも我慢しないで寝てみることにしてみた。少なからず、慣れない病院で他人と同じ部屋で寝ていて、しかもトイレにニ回ぐらい目が覚めているのだから、寝不足だとしても不思議ではない。そのおかげか、まだ昨日のような頭痛は起きていない。
 しかし、胃の調子は相変わらずだ。食べれるけど食べたら気持ち悪くなる。まぁモヤモヤする程度だが。これが地味にきつい。
 あと今日は、前に大部屋だった人がニ人体調不良で個室に移動したのだが、そのニ人が戻ってきた。しかも一人は退院っていう単語まででてきている。すごいな。過酷な試練を乗り越えたんだな。元気な姿が見れて嬉しい。知らない人だけどね。そして、退院が羨ましい。
 とにかく、元気な姿をまた見せてくれたのは、励みになります!


十二月八日
 この病気になってから、ガッカリすることが多くなってる気がする。まぁそもそもこんな病気になったこと事態がガッカリすぎるんだが。そして、『こうであってほしい』『こうであってほしくない』など、期待をこめると、これまた全て逆の結果になる。なんなんですかね。
 早ければ今日、一時退院と聞いていてた。が、それも期待したためか、あえなく残念。まだ退院できる状態じゃないと、看護士に言われた。
 すっげーイライラする。イライラしてもしょうがないんだけどさ。もう、何かに期待するのはやめよう。
 それでもまぁ、金曜には!と思っていたので気にしてなかったが、まさかの事態が起きた。
 夕方、先生が来て、まず一昨日あった頭痛の事を伝える。そしたら、よくわからないが、脳に白血病細胞が入ってる事もあるから、予防の意味も込めて、脳に抗がん剤打ちましょう、と。いやね、簡単に言ってるけどめちゃめちゃこえーわ!!そんな怖いことを簡単に言わないでほしい。
 で、まぁそれはそれとして、血液検査はどうだったのかというと、非常に怪しいものでした。これはホントに目から鱗だね。考えてもみなかった。このまますんなり金曜日には一時退院できるのかと思ってた。なんと、白血病細胞が寛解ラインを越える数値で出てきてます。八パーセントです。理屈はわからなかったけど、出てきてもしょうがないパターンと出てきてはダメなパターンがあるようで、明日、マルクをやります。
 はっきり言って、めちゃめちゃ悲しいし苦しいし辛いし腹が立ちます。なんでこんなにもうまくいかないのか。これまでの流れでいくと明日の検査もダメな方のパターンの確率高いじゃん。もうどうしたら良いの?夢も希望も持っちゃいけないの?神も仏もいないの?
 一つはっきりと言えることは、白血病細胞は、俺の事を殺しに来てる。
 一時退院のことしか考えてなかったから、まさに天国から地獄。誰か助けてください。

※マルクとは、骨髄検査の事。


十二月九日
 今日の大仕事、マルク終了!
 昨日の段階では午後になるって言われてたけど、なぜか午前中にやってもらえた。嫌なことが待ってるってやだからね。助かります。そして何より、思ってたより痛くなかった!これまでニ回やってきたが、それはもう冷や汗が出るぐらい痛かった。でも今日は、なんなら最初に打った麻酔のが痛い。変に体に力が入ったから疲れたけど、とりあえず痛みが少なくて良かった!
 あとはこれの結果。もう結果には期待しません、裏切られるので。いや違うか。どんな結果であれ、やり直しのきかないものだから受けいれざるを得ないんだよね。だから期待しちゃうとハズレた時のショックがでかすぎるんだよね。
 なので、もう期待しません。
 しかし、夕方まで結果が出ないってのは長いなぁ。この待ち時間がしんどい。
 もう今日は来ないかなー、と思った午後八時近く、先生が登場。
 何やら場所を変えて話を、とのこと。正直、嫌な予感しかしない。
 そして、その嫌な予感は的中。やはり、完全寛解していませんでした。先生的にはそこまで凹む事はないと言っていたが、やはりショック。しかも、俺の場合は、急性骨髄性白血病のフィラデルフィア染色体異常という、スーパーめちゃめちゃ珍しいタイプらしい。もうね、途中、ショックで気を失いそうになりましたよ。よりよによってなんで、って。
 ただ、話を聞いてみると、このタイプには特効薬があるらしい。しかも飲み薬の。で、珍しいタイプ=治りにくい、というわけではないらしい。
 一時退院についても、白血球の好中球が上がれば寛解に関係なく一時退院していいらしい、飲み薬があるので。
こう考えれば、あ、まぁ完全寛解には至らなかったけど、そこまで大きな影響はないのかな?と素人なりに考えてしまった。
 ただ、ここからは可能性の連続である。今までは、全てと言っても過言ではないほど、希望とは裏を行ったものが連続である。
 まず、飲み薬。たしかに特効薬としてあるらしいが、効くタイプと効かないタイプの人がいるらしい。それが運命の選択①。
 次に一時退院。一時退院の条件は、白血球と好中球が基準値を越えてること。これが運命の選択②。
 更に、白血病細胞が極端に増えないこと。これが極端に増えてしまった場合は、飲み薬じゃ対応できない。これが運命の選択③。
 とまぁ、今日の話だけでも、可能性の話である運命の選択が三つもあり、うちニつは一時退院に関連している。
今回の完全寛解に関する『可能性の運命の選択』も結局負けちまったわけだし、こんなに三つも勝てるのかしら。
 早く一時退院して、家族に会いてぇなぁ。
 つーか、先が長すぎるわ。


十二月十日
 本日、何かとお話させていただいてた同部屋のYさんが、移植前最後の退院をした。
 次に入院してくるのか年明けになり、即個室に入るのでしばらく会うことはないだろう。
 Yさんには色々励ましてもらって、すごい勇気づけられた。正直寂しいが、まぁ元々は孤独な闘いなのだから、そこは良しとしよう。
 そして最後の置き土産で情報をくれた。移植をする人は、問答無用で親知らずを抜くらしい。
えーーー。まだニ本残ってるのに。なんか、ほんと大変な病気だな。
 そして今日から新しい抗がん剤の服用が始まった。
 見た目は大したことないのに、副作用には恐ろしいことばかり書いてある。風邪薬とかにもよくよく見るとそこそこ恐ろしい副作用書いてあるよね。まぁ抗がん剤だから最後までしっかり読んじゃった感はあるけど、ちょっと怖い。
 昔、心療内科の先生に『どうせ薬を飲むなら、やだなー、とか思うんじゃなくて、効いてね!助けてね!って思いで飲みなさい』って言われたことを思いだし、怖かったけど『効いてね!』って思いながら服用。まぁこれから毎日飲むんだけどね。
 今のところの副作用と思われる症状は、湿疹が数ヶ所、下痢一回、といったところだろうか。
 あとはそこそこに気持ち悪いのだが、この薬の副作用で気持ち悪くなることはないと言われているから違うのかな?
 まぁメンタルがね、結構限界だからね。そっちの気もするけど。


十二月十一日
 突然の白血病の告知。家族に会えぬまま、話もできぬままの緊急入院。抗がん剤の恐怖。移植が必要との告知。
 この一ヶ月で、俺の日常は完全に狂った。俺だけじゃなく、俺の家族や仲間もそう。病気って本当に突然で、残酷で、容赦がなくて、待ったがない。
 この一ヶ月で、俺や俺の家族は何度泣いただろう。本当に辛く苦しい一ヶ月だった。
 残念ながら、1回目の治療で完全寛解には至らなかった。でも、俺のタイプの白血病だと飲み薬があるらしく、一時退院を許可してもらえた。一週間弱と、とても短い退院ではあるが、子供を抱きしめられるだけ、ありがたい。
 とても怖くて辛かった第一クールの治療。なんとか今日をもって終えられそうです。
 何とか無事退院生活を送れますように。
 そしてそれを糧に、第ニクールの治療に励めますように。
お願いします、神様。


 ここまでが、入院治療第一クールである。一次退院中は、週に一回通院する事になっている。その通院で第二クールの入院日等を決めるのだが、当初は一週間程度と言われていたのだが、結果的に一ヶ月近く一次退院する事ができた。クリスマスも年末年始も家族と過ごす事ができた。そして、今当時の写真を見返すと、家族みんな笑っているのだ。その笑顔を見て、今の僕は泣きそうになる。よく笑顔になれた。よく笑顔で過ごす事ができた。

 一次退院中の事も記録しているので、記したいと思う。


十二月十三日
 現在、一時退院中。なんだろう、この感じ。自分の家、自分の家族、今までの日常。それなのに、数日後は病院に戻らなきゃいけない。夢なのか現実なのか。それすらも曖昧。鏡を見て、思い出す。吐き気や腹痛で思い出す。ああ、俺は白血病だったんだって。
 今日、上の子に『お兄ちゃんになったね』と何気なく言った。そしたら『まだお兄ちゃんじゃない』と寝室に行って大号泣してしまった。
 ごめんね。ずっと我慢してたんだよね。パパが病気になんかなるからダメなんだよね。もっと甘えたり遊んだりしたいよね。そう思いながら思いっきり抱き締めると、そのまま眠ってしまった。
 俺は泣いちゃいけないと思ってたけど、ダメだった。
あと数日後にはまた病院に戻らなきゃならない。そして完治させるには、リスクの高い移植が必要。
 このまま数年間生きられないのかな?これ以上、寂しい思いをさせたくないな。寂しい思いをさせて、万が一、なんて事になったら、子供達はどんな思いをするんだろう。
 それなら、確実に生きれる数年間で、ずっと子供達と一緒にいた方が良いんじゃないのかな。
 会えるのか会えないのかわからないのをずっと待ってるのと、もう会えないってのが確実になるの、もちろんその時に悲しいのは後者だけど、長く辛い思いをするのは前者なんじゃないかな。
 もう、わからない。
 なんで俺なんでしょうか、神様。


十二月十六日
 まだ確定ではないが、おそらく今日が一時退院最終日。たった数日間だったけど、夢のような日常生活だった。またこの日常生活に慣れちゃいそうで怖かった。でも、やっぱり笑って過ごしたかった。どうしても病気の事を考えちゃう。子供に泣かれたら泣いてしまう。もうニ度と、なんて考えたくもないけど、絶対なんてこの世の中にはありえない。だから、できるだけ笑って、いつも通りに。そう思って過ごしてきた数日間。あっという間だったなぁ。今までは気付かなかったというか、そういう見方をしてなかったけど、家にある全ての物に思い出があるんだなぁ。当たり前だけど。
 昨日の外来で、移植の話や移植をしなかった場合の話を聞いた。
 正直、揺れた。怖かった。でも、やっぱり、妻の思いや子供のことを考えたら、より長く生きるための治療を選ばざるを得ない。まだまだ死にたくない。もっとずっと一緒にいたい。この日常をできるだけ長く過ごしていたい。
そう思わせてくれたこの数日間。
 案の定、病院にもどるのはイヤになったけど、治療に対して前向きというか、もうやらなきゃならないでしょ、と思わせてくれた数日間。
 大好きなミュージシャンの曲に『悲しみが多くのものを奪い去っても、次のシーンを笑って迎えるための演出だと思えばいい』というフレーズがある。
 全ては完治した時の笑顔のために。
 なかなか過酷な演出だけど…。


十二月十八日
 延長という表現が正しいかどうかはわからないけど、本当は昨日から第ニクール目の入院予定だったが、ベッドに空きがないということで、まだ自宅にいる。
 それ自体はすーーーーーーっごく嬉しいのだけど、この生活に慣れちゃうのと、抗がん剤は服用していて、その副作用?っぽい症状が出てきてるのが少し不安。あと、ウチのちびちゃんが風邪ひいたので、もらわないようにしないと。
 土日に入院するということはないと思うので、少なくとも明日、明後日の入院はないと勝手に思ってる。
 最短であとニ日間。病気の事が頭をちらついた時はすごい怖くなるけど、極力楽しもう。


十二月二十ニ日
 今日はニ度目の外来通院。ベッドがなかなか空かないとの理由で、再入院が延び延びになっていた。気がつけば、もう十二月も終わりを見せている。
 俺の予想としては、明日か明後日に再入院かなー、と思ってた。期待することはやめにしたから、年末年始を家で過ごす、なんて当たり前だけど今の俺には当たり前じゃない希望は、頭の片隅に置いといて、先生から言われることを受け入れる準備をしていた。
 診察室に入るなり、先生が『どうしようかな~』と連呼していた。何が?と聞きたかったが、先に先生の方から年末年始を家で過ごすか悩んでるんですよ~、とお話が!
体調面は問題ないことを話すと、じゃあお家で過ごそうか、という展開へ!!
 やった!!はじめて運命の選択肢に勝った気がする!!
もちろん高熱が出たり、体調が悪くなれば病院に行かなければならないが、それはもう祈ろう!
 皆が当たり前のように家族と過ごす年末年始。でも、俺にとっては全然当たり前じゃない。何度一人で過ごすことを想像し、子供の事を想像し、涙をこらえてきたか。
生きててよかった。良いこともあるもんだ。


十二月二十七日
 ここのところ、せっかく一時退院しているのにずっと家の中にいるのは勿体無いと思い、コーヒーを飲みがてらベランダに出ている。病気になる前はここにタバコもあったのだが、さすがに移植を控えてるので禁煙。
 ベランダから見えるのは、健康そうに歩く人達。そして、外の冷たい空気。たかだか缶コーヒー一本飲むぐらいの時間しかベランダにいないので、ほんの数分だが、外の世界を感じられる。
 さらに今日は、子供と一緒に少しお散歩へ。これが予想よりもはるかにしんどい。少し歩いただけで目眩が。たった数百メートル歩いただけで家に引き返した。
 入院中は、辛いとか悲しいとか寂しいとかの感情が強かった。そして、家族と一緒にいれれば、それだけで良いとすら思ってた。 
 でも、今は悔しい。まともに散歩すらできない。今までできてた事ができない。やっぱり、なんで??って思っちゃう。
 人間って欲深い生き物ですね。家族でクリスマス、年末年始を過ごせる、それだけで幸せなはずなのに。


十二月三十一日
 ありきたりだが、振り返ってみる。
ニ〇ニ〇年はオリンピックイヤーでもあり、趣味のバスケもより力の入ったスタートの年となった。
 一月、ニ月は絶好調!なぜかプレー後に気持ち悪くなる事をのぞいては、申し分のない調子。その後の飲み会も楽しく参加できてた。そして、ニ月の中旬、そんな絶好調の中、肋骨骨折。バスケやってて骨折るの何回目だろう。まぁ一ヶ月もたてば治る、と思っていたが、三月にまさかの某ウイルスの関係でスポーツ施設が閉鎖。
 仕事柄、某ウイルスの事は注視していたので、もしかしたらな~、なんて思っていたらホントに閉鎖されちゃった。
 そして、そのまま緊急事態宣言が発令され、本格的な自粛モードに。
 仕事に関しても初めてのテレワークで大混乱。保育園も大混乱。それでもなんとか乗り越えた自粛期間。
 今となれば、この自粛期間、一番家族でお散歩に出掛けたな。自粛期間だけど。ニ〇ニ〇年で一番楽しかったというか、ほっこりした期間でもあったかも。
 六月、某ウイルスも少し落ち着き、バスケも再開。しかし、長期間の活動自粛により、メンバーの数名が脱退。人数が少なくなる。チーム結成当時を思い出し、メンバー集めに奔走。
 その甲斐もあり、夏ごろには以前とそれほど変わらぬ人数へ。
 徐々に取り戻していく日常。某ウイルスは収束しないものの、無理矢理日常を取り戻していく。
 あ、大事なことが。四月の某ウイルス真っ只中、次男が保育園に入園。それと同時に妻が仕事に復帰。大混乱の中での共働き再開。んー、なかなか大変だったな。
 例年なら夏前後に旅行に行くのだが、ニ〇ニ〇年は断念。まぁパニック障害の症状がひどく、乗り物に乗れなかったから個人的には問題なかったけど、子供らがちょっと可愛そうだったな。まぁ某ウイルスだったから何とも言えないけど、夏が過ぎ、秋になってくるにつれて、共働きも次男の保育園生活も慣れてきた。ただ、某ウイルスは相変わらずだった。俺も咳が止まらなくて十月にPCR検査を受けたものの、陰性。
 やっぱり健康が一番と思いつつ、バスケ以外の外出はおっくうになる。いや、正直、バスケも疲れるからロクにプレーできないし、おっくうだった。考えてみれば、この頃から体がおかしかったのかも。
 さすがに子供らをどこかに連れて行ってあげたくて、十一月三日に動物園へ。結果的に、これがニ〇ニ〇年最後のお出かけとなった。
 その日の夜に微熱が出て、翌日は会社を休んだ。次の日も午前中だけ出勤して、午後休んだ。少し良くなってきたかなー、金曜日だし、一日出勤するか、と思ったその日、悪魔の電話が通院している病院からかかってきた。
 そして、突然の白血病。
 まぁ前もってなる白血病なんてないんだろうけど、あまりに突然奪われた日常。健常者から癌患者へ。
 終わり良ければ全て良し。
 ニ〇ニ〇年は終盤で白血病になったものの、幸い、年末年始は家族と過ごせる。
 これって、終わり良し??
 ニ〇ニ一年は、闘病の年になるだろう。
 どんな記録になるかな。
 良い記録を書きたいな。


ニ〇ニ一年一月五日
 年明け早々に入院予定だったけど、ベッドが空かないとのことで今日は通院だった。
 そして、いよいよ移植に関する説明を受けた。ドナーに関しては兄がドナーの第一候補になったが、この某ウイルスのご時世、何があるのかわからないので、期待せずにいる。
 あとは、ほとんどがリスクの話だった。まずは、移植前に行う前処置に関する話。これはネットとかでも壮絶とよく書いてある通りで、先生の説明も聞いてるだけで白髪が生えてきそうだった。吐き気・嘔吐に加え、一日十~二十回の水下痢、そして、つばを飲み込むことすらできないほどの痛みを伴う口内炎。下痢に関しては半数がオムツを使用、口内炎に関してはモルヒネを使用。そして、一番怖い吐き気に関しては、特段、吐き気止め以外なし。え、マジで怖すぎるんだが。これがニ~四週間続くって言ってたっけな?怖すぎて記憶が曖昧。
 そして、肝心の移植。こちらも上記のような副作用に加え、GVHDというドナーの細胞が俺の細胞を攻撃するという合併症が起こることがあるるしい。その内容も様々で、耳を塞ぎたくなる。大体、ネットに書いてある通りだった。医者の口から言われると真実味が増してくる。そして、これが、最悪の場合、死に直結する。あとは感染症。これも命取りになる、とのこと。
 もうね、聞いてて泣きたくなりました。こんなにリスクがある治療をなんでやんなきゃいけないんだろうって。いや、そりゃ治すためなんだけど。ただ、怖すぎるよね。奥さんも一緒に聞いてたけど、奥さんは意外と前向きにとらえてた。それが唯一の救い。
 で、夜に近所のまいばすけっとに買い物に行った。ここはニ年ぐらい行きまくってるまいばすけっと。健康だった頃に酒やつまみやお菓子やご飯を買いにきたとこ。
 こういう何気ないとこに思い出って詰まってるんだなぁ。


一月十二日
 いよいよ明後日から再入院が決まった。
 予想外の年末年始の退院から、ベッドに空きが出なかったなどとのことから、長期間の退院生活となったが、また長期間の入院生活に入る。
 心境としては結構複雑。
 当然、入院したいわけはないんだけど、このまま治療が進まないのは不安。
 かといって、今の家での生活がまた奪われるのはすごく嫌だ。
 とりあえず、前回と違って、子供達や奥さんにちゃんとバイバイを言えるだけ良しとしようか。
 そして、今日通院だけど、いきなりのマルク。えーー、心の準備出来てないよ。今までの平和な生活からの振れ幅でかすぎ。


 これを最後の記録に、一回目の入院治療と一次退院が終わった。
 日常の素晴らしさを改めて思い知った一次退院。そして、そこからまた、きつい入院生活へと戻っていかなければならない現実。
 今思い返しても、本当に辛かった。
 でも意外だったのは、一次退院中は何でも食べれたし、お酒も飲めた。これは本当に嬉しかった。
 そして、髪の毛が中途半端に抜け落ちた僕を、きちんと受け止めてくれる妻と子供たち。本当に感謝している。

 色々な感情を抱きつつ、治療は第二クールに入る。
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