日常を取り戻せ

ゆとそま

文字の大きさ
5 / 7

第四章 入院治療〜移植〜

しおりを挟む
 さて、いよいよ移植について記していきたいと思う。
 そもそも移植だが、今さらになるが何か臓器を移植するというものではない。イメージとしては、輸血のような感じである。
 そして、移植には主に三種類ある。まずは骨髄移植。これは骨髄から細胞を直接抜き取り移植をする方法である。次に、末梢血幹細胞移植、とういのがある。詳しくはわからないが、骨髄からではなく腕から血液を採取し、そこから細胞を移植する。最後に臍帯血移植。赤ちゃんが産まれたときのへその緒?のようなものから血液細胞を移植する。
 おさらいになるが、僕は兄から骨髄移植を受ける。どの方法が一番良い、というのはなく、どの方法も一長一短である。もうここは主治医の話を参考に決めるしかない。

 移植の記録を記す前に、まずは兄の、ドナーの気持ちを記したいと思う。兄が記録に残していてくれた。家族であると同時にドナーになってくれた兄。その兄の気持ちや周りの家族の気持ちなどを知ることができて、苦しんでるのは自分一人ではないと思えた。自分のせいで家族が苦しんでるのは辛い反面、一緒に苦しんでくれているのは心強くもあった。
 また、ドナーになるとはとても大変な事なんだと知ることができた。
 家族目線、ドナー目線での記録。ぜひ知っていただきたいと思う。


兄の記録①
 私が知らせを聞いたのは弟が宣告を受けた当日でした。
 いつも通りの金曜日。夕方、携帯には母からの不在着信。仕事中に電話を掛けてくる事はあまりないので少し気にはなったけど、あと一時間もすれば帰れるし、あとででいいやと放っておきました。
 しかし、その数分後、また電話が。母でした。
「なんかあったの?」
 不在と知ってて掛けてくるのは急を要するものだと分かっていたので、父か、母に何かがあったのかと思いました。
「あー、やっぱりそう思った?実は弟が緊急入院することになったらしい」
 文面以上に母の声は冷静だった。
 だから、私は入院といえど大した話ではないと思っていました。弟は昔から何かとちょっと大きめなアクシデントを起こしていたからです。
 母の話では、とにかく今から弟の妻と一緒に病院に行って医者の説明を聞いてほしいという事でした。
 大した事ではないと思っていた私はまだ仕事中というのもあり、「はいはい」と、電話を切ろうと思った時に母が言いました。
「疑われてるのは白血病らしい」
 白血病?
 え、白血病ってとんでもない病気なんじゃないの。
 私は初めて焦りました。すぐに義妹に連絡を取り、病院の場所を聞いた。病院の名前は明らかにがん専門の病院と分かる名前です。
 病院に向かう電車の中で、白血病を調べてみました。
有名人でも亡くなった方、克服した方、何人か名前が出てくる。
 確かにガンなので、大きな病気だ。でも、今はガンも治る時代。白血病は転移しにくいというのもあったし、つい最近若くして発病し、克服した某水泳選手もいる。
 大変だけど治る、私はそう思っていました。
 弟も連絡が出来る状況になったらしく、LINEのやり取りをしていても冷静に見えた。白血病であることは間違いないというのは弟も医師に聞いたらしい。
 凄く大きな病気なのでこれから大変なのは間違いないけど、きっと大丈夫、私はそう思って病院へ向かっていました。


兄の記録②
 病院は既に診療時間は終わっていて、ほぼ人はいませんでした。指定された場所に行くと、義妹がいました。様子はいつもとそんなに変わらない。
 少しすると、弟が車椅子でその場に来ました。車椅子には座っていましたが、手を挙げ、そんなに辛そうには見えませんでした。
 私、弟、義妹が医師からの説明を受ける為に応接室のような部屋に通されました。
 部屋のドアが閉まると、弟は堰を切ったように泣き始めた。
 大人になってから、彼が泣くのを初めて見た。
 祖母が亡くなった日も泣いてしまったのは私で、弟は冷静だった。弟は有事の際にいつも冷静でいられる。父、母が病気で入院する時も常に冷静。他人事なんじゃないかと思うくらいに。
 そんな弟が私の目の前で現実を受け入れられずに泣いている姿は、少し楽観的にここに来た私に絶望感を与えました。
 短くても半年の治療期間。弟がそう医師に聞いたらしい。
「ちゃんと子供とバイバイすれば良かった…」
 まさかこんなことになるなんて思ってなかった。子供を保育園に送り届ける、毎日の当たり前の別れがもう弟の中で後悔に変わってる。
 待って、もう二度と会えないとかじゃないよね?
 頭が追いつかない。
 呆然として声すら掛けることも出来ずにいると、医師がやってきて説明を始めました。白血病であること、治療に向けて行うこと、治療のステップ、私達家族が支えとして出来ること、そして某ウイルス流行の今だからこそ出来ないこと、気をつけること。
 先生は私達三人の話、それも同じような話を繰り返しても嫌な顔一つせず二時間近く付き合ってくれました。逆にそれだけ患者と向き合う必要性がある大きな病気である事を思い知らされたのもあります。
 治療のステップの中で、まずは抗がん剤による完治を目指す方法で行うのですが、うまくいかなければ移植療法、その場合は私がドナーの候補になる事も聞きました。
 少し話は逸れますが、私は、そもそもいわゆる健康体ではありません。
 週末は浴びるほど酒を飲み、タバコも好き、油っこい食べ物は大好きで、甘いものも大好き、いわゆる生活習慣病体質で、毎年の健康診断は年々悪くなり、要再検査どころか、要治療、となるような結果。
 妻に再三注意されていても「まぁ酒とか食べ物注意すりゃ大丈夫でしょ」そんな風に考えていました。いや、というより、今もそう考えています。
 そういう事情で、私のケータイには直近の健康診断の結果が保存されていました。
 移植の話が出たときに真っ先にそれが一番気になったのです。だから、先生に結果を見せ、ダメなものがあるなら即治療を行おうと考えました。
 先生はコレステロール総量は引っかかるけどこれは最悪薬で下げる事が出来る。血縁ドナーの場合はそれが許されているので。と、いう事だったので、私は一安心しました。この話が後で私に激しい後悔を与えることを当時はまだ何も知らずに。
 その後、何度、どんな角度で質問をしても、医師は決して、「大丈夫」「必ず治る」というニュアンスの回答はしませんでした。
 医師という立場上安易な事を言えないのだとは思いますが、やはりかなり難しい病気であることを何度も思い知らされます。
 とにかく、抗癌剤の効果が出るのを期待して治療を頑張って貰うしかない。
 約二時間の説明を受け、話は終わり、医師と看護師が部屋を出て、私が部屋を出ました。
 扉を閉めると弟と義妹が大号泣しているのが外にも聞こえてきました。
 涙を堪えながらもずっと気丈に、ノートに医師の話を細かくメモしながら聞いていた義妹。
 医師の説明中とずっと項垂れる弟に時折冗談を交えながらも励ます様子を見て、冷静だな、すごいな、と感じていました。
 でも、やはり我慢していたんですね。
 そりゃそうでしょう。
 二人はまだ結婚して五、六年。
 子供は四歳と二歳とまだまだ手が掛かる。二人とも男の子で本当にやんちゃなんです。平気でいられる訳がない。
 しばらくすると二人は赤い目をして出てきました。
 最後に、弟は車椅子に乗り、義妹と握手をして病室へと向かいました。
その後ろ姿は今も目に焼き付いています。
 つい先週まで、弟と一緒に所属するバスケチームでバスケをしていたんです。その前の週は、バスケチームの仲間も一緒に酒を飲んだんです。
 普段あまり外に飲み歩かない弟がチームの後輩に「俺と飲める機会はそんなないよ?最後かもしれないよ?だからもう少し飲もう!」と冗談で、帰ろうとする後輩を引き止めたりしていました。
 本当にこんな事になってしまうなんて。


兄の記録③
 宣告の翌日。
 実家で両親、義妹、私で今後についての家族会議を行うことになりました。
 昨日、宣告を受けた後に私から両親へ病状や治療方針など、医師から説明を受けたことは説明していました。
その時はまだ二人とも冷静に聞いていたのですが、一日経って現実を少し受け止め始めたのか、私達が集まるなり、母は泣き出し、父は絶望で顔面蒼白という状況でした。  
 元々、白血病を患った弟に対し、我々家族が出来ることはあまりなく、まして、治療に関しては病院に一任するしかありません。
 ただ、某ウイルスです。
 某ウイルスのせいで完全に面会禁止。荷物も看護師経由で顔を見ることすら出来ない。この某ウイルス禍で入院されている方も少なくないと思いますが、本当に某ウイルスが憎い。
 特に、両親は昨日弟に会えていないので、もし、最初の抗がん剤が終わり、一時退院してくるまでに、弟に、また、両親に何かがあったら死んでも死にきれない。
 平時であれば、弟は子供に面会が出来て、「明日も頑張ろう」という前向きな気持ちになれるし、両親も弟本人に会えるだけで気持ちが全然違う。
 何故、弟がこんな目に、というのもありますし、何故、今なんだ、というのも強く思います。
 弟が一番心配していたのは子供のことです。まだまだ小さい男の子二人。突然、父親が長期の入院になった。私達、大人ですら受け止め切れていない事実を受け止められる訳がありません。
 どうサポートをしたって絶対に寂しさは消えないけど、やれることはやろう、結局はそれしか出来ることはないという結論になりました。
 その後、せっかく実家に子供達が集まったのもあるので、夕飯まで実家でみんなで過ごすことになったのですが、やはり全員の精神状態は極限の状態でした。
 子供は無邪気に遊んでいるので、表面上は平静を装い、笑顔を作り、全員が大人になっていましたが、母はずっと上の空、父は目を離すと涙を流し、こんな二人を見るのは初めてで、見ていられませんでした。
 特に、父の状態はひどく、私はこのままでは弟が完治して戻ってくる前に両親がおかしくなると思い、義妹には「あまり両親には頼れないと思う」とメールを送ってしまうほどでした。
 結果的にはこのメールは義妹を苦しめる形にはなってしまいましたが、このままでは、本当によからぬことをしかねない、当時の両親は私の目にそう映ったのでした。


兄の記録④
 色々時系列すっとばしますが、いよいよ移植当日で、私の骨髄採取の為、間もなく手術室へ向います。
前日入院し、点滴を手の甲から入れること、やらないと聞いていた尿道カテーテルをやること、大部屋入院等、思っていたのと大分違ってビビりまくりではありますが、約四ヶ月、今日に向けて必死に病気と闘ってきた、そしてまだこれからも闘わなければならない弟を思えば、という気持ちです。
 ドナー目線で本当に今回思ったのは、ドナーバンクに登録している方は本当に凄いなと。
 正直、本音を言えば私がドナーになることを決断出来たのは弟だからです。
 直前で極度に緊張してあるので乱文ですが、私の細胞が弟のガン細胞に勝てることと、体に合うことだけを祈り、行ってきます。


兄の記録⑤
 骨髄採取手術、終わりました。
 腰が痛くてあまり動けないし、忘れない内に記録しておこうと思います。
 私は怖くなるのであまりネットで下調べをしなかったのですが、骨髄採取をこれから受ける方の参考になればと思います。

●前日
 身体検査、血液検査、血圧、肺のX線検査を行い、翌日の手術の説明を聞きます。ここで色々とリアルな説明を聞き、一気に怖くなりました。
 夜は恐怖心と慣れない環境で全く眠れる気がしませんでした。これはまぁ私が普段から真っ暗且つ無音の状況でないと寝れないのもあります。大部屋なので他の方がカーテンを開け閉めしたり、トイレに立つ度に起きてしまう。特に一人の方は結構物音を立てる方のようで、正直かなりうるさかった、まぁ今もうるさいのですが。
 いつになく優しい妻とのLINEのやり取りと、長男が作ってくれたメモ帳のお守りでうるうる。結局二時間しか寝れませんでした。
 ちなみに、全身麻酔の為、二十一時以降はOSワンしか飲めないのですが、毎年の健康診断で慣れているのでこれは全く苦はなし。OSワンはマズイとよく聞くのですが個人的には割と美味しいと思いました。

●起床
 起きてからは、あと数時間で~、と考えたくなかったので、任天堂スイッチの海賊無双をやって時間を忘れようとしましたが、全く集中出来ず。

●準備
 手術用パンツ、手術着、血栓防止ストッキングを履き、待機。
 何度もトイレに行くけど出ないし、全く落ち着かない。
 長男お手製のお守りを手に、子供達の写真を見ると、まだ病気を発病する前の弟の姿も。
 手術って言っても全身麻酔で分かんないんだし、こんなんでビビってる場合じゃない、弟はもっと辛いんだ、と自分に言い聞かせると、看護師が移動を伝えに来ます。

●移動
 看護師と手術室へ歩いて移動。
 一瞬待機室があり、ここで家族や面会者と最後に会うことが出来ます。私は某ウイルス関係で面会は不可と聞いていたのですが、他の患者さんには普通に面会者が来ていました。
 まぁでも1人で良かったかな。誰かいたら手術室のドアをくぐれなそう。

●手術室へ
 手術立ち合いの看護師に氏名、生年月日を聞かれましたが、あまりの緊張と恐怖に生年月日を1985年→1908年と言い間違え。そんな事あるかね。
 手術室は正にドラマの世界。
 これから私の命を握り、弟を救う為の骨髄液を取ってくれる看護師の方、主治医、麻酔医にご挨拶。皆さん堂々としていて非常に頼もしかったです。
 不思議と、ここまでくると、あまりに未知過ぎて、頭空っぽになり、あまり恐怖は感じなくなりました。いい意味で開き直れてしまいました。

●麻酔まで
 ストレッチャーに寝かされ、右手に血圧計、心電図、酸素マスク、手際よく準備が進められます。
 そして、恐怖の原因その一。点滴。
 最初、肘と手首のところに注射をする感じになり、一安心。ただ、ここも痛かったですね。グリグリやられてる感じ。と、思ったら今度手の甲叩いてる。え、入らなかったんですかね?うわー、結局。で、痛かったです。腕より痛いと言えば痛いけど、腕が痛くない訳ではないし、極限状態だったから正直予想よりは、って感じでした。薬が入りだすと少し点滴の箇所がピリピリしてきます。ボーッとしてきますよ、と言われても、怖いのと緊張で目はギンギン。
 鼻が痒くなってきて「鼻かいてもいいですか?」で、少し看護師さんや先生が笑ってくれて、主治医が「もうすぐ寝ちゃいます。お目覚めは二時間後くらいですよ」と言う言葉を聞いたところで、私は落ちたようです。

●麻酔覚醒後
 呼びかけられ、目を覚ました。
 全身麻酔で一番私が怖かったのが、人工呼吸器?を入れるのに喉にチューブを挿入し、麻酔覚醒後にチューブを抜管する。これが苦しい、という事です。
 全身麻酔経験者、前日の看護師にもこの事は聞いたのですが、麻酔覚醒はしてるけどまだボーっとしてるから記憶にないはず、との事で安心していました。が、私は正直苦しかったです。
 苦しくて、起きあがろうとしたのを先生や看護師の方に押さえ付けられたようなぼんやりとした記憶があります。
 ただ、苦しかったのは少しの時間。その苦しさの影響もあってか、そこからは意識がずっとありました。
 自分の心電図を見たり、手術室の中をキョロキョロ見ながら看護師さんの問い掛けに応答。
 肝心の手術箇所は確かにちょっとチクチク。でも、大した痛みはありません。とてつもない寒さがあり、ブルブル震えてたので暖かい空気を入れて貰い落ち着きました。
 あれは何だったんだろう。

●病室へ戻る
 しばらく経ってからベッドのまま病室へ戻る準備。病棟の担当看護師さんが迎えに来てくれました。この看護師さんとは前日に初めまして、ですが、凄い優しい看護師さんで顔見てほっとしました。採血痛いけど。

●安静期間
 病室に戻ってからは酸素マスク、点滴をしながら三時間の安静。
 最初の一時間はずーっとボーッとして、寝たり寝なかったり、を繰り返してました。だるさが凄かったのと、患部、手の甲の点滴がたまにチクチク痛いのでうまく寝れず。
 一時間経過後に血液検査して、ケータイを取ってもらってようやく家族、弟に連絡出来る状態に。
ちなみに、この間、おしっこは尿瓶でと言われましたが結局出ませんでした。

●終了
 三時間の安静を経て、血圧や体温にも異常はなく、酸素マスク、点滴も外れて終了。甲の点滴は外す時も結構血が出てて痛かった。
 でも、一番痛かったのは術後最初のおしっこです。焼かれてるんじゃないか?というような味わった事のない痛み。結局痛くてあんまり出せず。これネットで痛いというのを知っていたから良かったですが、知らずにいつも通りの勢いでやってたらヤバイかもしれません。冗談ではなく、ここは本当にご注意です。
 採取箇所の腰は普通に痛いのですが、私は多分痛みにかなり弱い方なので普通の方なら大した事ないよ、ってレベルだと思います。痛いですが、ゆっくりであれば自力でも歩けます。
 喉の違和感はちょっと痰が出やすいくらいでこれも特に問題なし。私は喫煙者だったのでこれは心配でしたが安心しました。
 これが自分の病気なら、あーよかった、で、終われるのですが、今回の手術は私ではなく弟の治療の一環。一安心してしまっているのは否定出来ないですが、まだまだ喜べません。
 あとは細胞が合い、私の細胞が強い事を祈るしかない。どうか救って欲しい。
 弟とは普段からそんなベタベタ仲良くはないです。まぁ周りには一緒にチームでバスケやって飲み会来てる時点で仲良いわ!って毎度言われてますが。
 タバコを外に吸いに行くタイミングもお互い被らないように何となくズラすし、体育館に向かう途中見かけても、お互い手あげるくらいで会話も特にしないし、飲み会でも気持ち悪くて隣の席はお互い絶対避けるし。
 昔、弟がチームメイトに兄弟の距離感を聞かれてて、「よく分かんないけど、暦の長いお笑いコンビみたいなもんじゃない?」って答えてたのを思い出します。正にそんな感じ。
 弟が白血病になってから、移植が決まる前から、何故かずーっと無意識に頭に思い浮かんでくる画があります。
 白血病から完治して、何年ぶりかにチームの飲み会に参加して、元気だった頃のように騒ぐ弟。
 いつも通り、私にも下らない暴言を吐き、
私「うるせーな、お前俺の骨髄返せバカヤロー!笑」
弟「お前ね、それは言っちゃいけないブラックジョークだよ?笑」
 チームのみんながこれを読んだら「ありそう、そんな状況笑」って笑ってくれると思います。
 これ、やりてえなあ。
 元気になって欲しい。本当に。


兄の記録⑥
 本日、一足先に退院となりました。
 手術翌日にガーゼが外れてバンドエイドになるとクッションが薄くて横になってると結構痛みます。
 昨日はずっと熱もあってかったるかったですが、全身麻酔してるし、体に穴空けたしね、と看護師さんも想定内って感じで一安心。
 割と気持ちから体調崩すタイプなので専門家のこういう意見はありがたいです。
 食欲もあったし、ゴロゴロしながら一日過ごしました。ダメ元でお願いしたら頭だけは洗っていいよ、と看護師さんがサポートしてくれてサッパリ。
 寝る前に腰の痛みが一番強くなって、熱も三十八度を超えてグッタリし、こんなんで明日退院出来るのかなーと不安になり、睡眠薬を飲んだら意外とあっさり爆睡出来ました。
 入院前の緊張、手術前の緊張、手術後の緊張からここ数日まともに眠れていなかったのもあって久しぶりによく眠りました。
 朝起きたら腰は相変わらずですが、熱もなく、血液検査も特に問題無しで無事に退院。
 良い病院でした。
 大部屋で、私以外の3人の患者さんは聞こえてくる話から皆さん弟と同じ大病。
 そんな中、病気でない私は何とも言えない罪悪感のようなものはずっと感じていましたが、看護士さんも食事や掃除担当の職員さんも凄く感じがよくて、構ってる場合ではないだろう私に対しても凄く優しかったです。弟も良い病院に入院させて貰ってるなと思いました。
 医師から最後に、「お疲れ様でした。これで全て解禁ですよ」との言葉を頂きました。
 機会があれば書いてみたいと思いますが、実は私はドナーの健康診断に引っかかり、一度はドナー不適合、となっています。ダメ元でいいから、と医師にお願いをして、一回だけなら、と再検査を受け、何とかギリギリパスした状態なので、約二ヶ月、食事制限、禁酒禁煙などをしていました。
 正直、これがドナーバンクに登録していて、誰に提供したか分からない状況であれば、全解禁!と晴々しい気持ちになっていたのでしょうが、私の場合は弟なので、流石にそこまで清々しい気持ちにはなれないでいます。
 まだ弟はこれからが長い戦いなので。
 まぁでもここで私が食事制限等を継続しても、弟の治療には一ミリも役に立たないので、徐々に解禁をしていくのでしょうが、今はそんな気持ちです。
 とにかく、今は無事に移植を完了して頂いて、無事に私を退院させてくれた医師、看護士、病院職員の皆さんにこの上ない感謝と、引き続き弟への治療をお願いしたい気持ちで一杯です。
 ありがとうございました!


 以上が兄が残した記録である。この記録を読む度に、胸が熱くなる。それと同時に、病気になった申し訳なさが込み上げてくる。
 両親を苦しめてしまった。これは兄の記録を読まなければわかりようがなかった。自分も親になってわかるが、子供が苦しんでいるのは、もしかしたら自分が苦しんでいるよりも辛いかもしれない。現に、必ず僕の家族で白血病にならなければならないとして、それが本当に子供じゃなくて良かったと思う。もしかしたら、家族は患者本人以上に苦しんでるのかもしれない。
 そして、兄にもかなりの負担を強いてしまった。両親のケアや自分自身も精神的に疲れているのに、ドナーになるという責任を負わされて、ドナーになるために肉体改造までしている。
 更に、後遺症らしきものまで残ってしまっている。手術をするまで腰痛が無かったのだが、バスケをやった後などに、腰痛が出るようになってしまった。もちろん、手術が原因だという根拠はない。ちょうど同時期に赤ちゃんが産まれたので、抱っこをしているから、というのも考えられる。ただ、手術が無ければ、と考えてしまうのはあるだろう。
 この記録を、移植治療の入院開始から割と早い段階で見た。こんな記録を見てしまったら、死ねない。親より早くなんて死ねない。兄がここまでしてくれてるのに、死ねない。自分の妻や子供だけでなく、親や兄弟のために死ねない。
 死ねない理由が増えてくる。そうすると、治療に向かう姿勢も変わってくる。

 それでは、最後の入院、移植治療の記録を記していきたいと思う。


二〇二一年三月一日
 いよいよ今日から移植治療の入院。
 昨日の夜は、もしかしたらこの家で過ごすのは最後かもしれないと思うと涙が止まらなかった。
 全てが愛おしい。子供が食べたお菓子のゴミですら愛おしい。だって病院にはそんなものないし。
 今朝は泣かないように我慢しようとした。子供に余計な不安を与えたくなかった。
 でも、保育園に行く前に一人ずつ抱きしめた時、ボロボロ涙がこぼれてきた。
 特に長男を抱きしめた時は辛かった。あいつもわかってきてるのかな。
 最後に奥さんと抱き合った時は、もう色々崩壊。久々に声をあげて泣いてしまった。
 病院に向かうタクシーの中でも、奥さんが手を握ってくれた時、涙がボロボロ出てきた。
 たしかに医者は病気と戦ってくれるし、看護師は献身的に看護してくれる。でも、辛いときに手を握ってくれたり、抱きしめてくれたりはしない。
 家族しかやってくれないし、家族だから涙が出てくる。
そんなこんなで、泣いてばかりいながら病棟に入った。
 こっから約三ヶ月間、ここから出ることはできない。
 家族の温もりを感じることができない。
 ただただ、孤独。
 でも、このまま死にたくない。
 絶対にまた三人を抱きしめたい。


三月二日
 昨日は泣きっぱなしの1日。
 万が一の事に備えて、遺言的なものを家族に書いていたが、書きながら涙が止まらなくなった。できる事なら、四十、五十年後に見てほしいなぁ。
 夜は比較的眠れたと思う。
 眠っている時が一番良い。余計な事を考えなくてすむし、これから身体的にしんどくなってきても、眠ってれば苦しくない。
 でも、寝起きは最悪。
 個室なので起床時間には起きれず、看護士に起こされた。昨日までは、起きたらすぐに家族の顔があったのに、今日は看護士の顔。別に看護士が悪いわけじゃないけどね。
 三回目の入院なのに、慣れないね。
 そして、今日は明日からの前処置に備えて、色々な処置を。骨髄検査とCVカテーテルの挿入があるってのは聞いていた。
 それに向けてシャワーを浴びて出た瞬間に看護士から、今から放射線科に行って、明日からのリハーサルをやってきてください、と言われた。
 いやいやいや、聞いてないし。今朝、今日の予定聞いたときに言ってなかったし。
 急遽の予定で、バタバタ移動開始。しかもこっちは風呂上がりで、ちょっと具合悪い。
 初めての放射線治療は、リハーサルとはいえ、めちゃめちゃ怖かった。
 棺桶みたいなものに横になって、隙間ができて動かないように、どんどん色んなもので固定されていく。ただでさえ怖いうえに、これだけ窮屈にさせられて動けない、で、その時間が一時間もかかるなんて、耐えられるかな。パニック発作が起こりそうな予感満々。
 しかも、これを一日二回、三日間やるって。日に日に副作用は出てくるだろうし、本当に大丈夫かな。
 もう怖くてしょうがない。
 なんて考えてると、次は骨髄検査。これは安定の痛さ。
 そしてカテーテル。これは今日はきつかったなぁ。痛いし心臓は苦しいし、何より長い。看護士が今まではベテランだったのが、今日は経験が浅い方だったっぽい。先生がほとんど1人でやってたから、時間かかった。それでも他の先生に比べりゃ早いけど。それにしても苦しかった。心臓破裂するかと思った。
 これで治療の準備だからね。
 毎回ながら、ホントにきついわ。
 いよいよ明日からは前処置。耐えられるかな。
 怖いな。


三月三日
 今日からいよいよ前処置開始。
 まずは放射線治療。一日、午前午後で一回ずつ。それを三日間やるので合計六回。
 白血病は血液のガンのため、特定の部位が存在しない。血液は全身を巡っているため、放射線も全身に照射することになるらしい。そのため、副作用もそれ相応の副作用があるとか。その一つで、俺はもう子供を作ることができません。
 昨日の夜は、怖かったが特に緊張で眠れないとかはなかった。それは良かった。
 そして、いよいよ当日。
 やっぱり朝から緊張しまくりで、一時間の間に六回ぐらいトイレに行ったな。
 いざ、はじめての放射線治療へ。
 リハーサルと同じように、身動きができないように色々と固定された。耳もほぼ塞がれて、リラックスするために流れてる音楽などほぼ聞こえない状態。
 はじめます、と言われ、ん?始まったの?と思いつつ目を閉じた。特に大きな音もなく、放射線を浴びてる感覚もなく時間は過ぎていく。
 時々、ちょっと気持ち悪いかな?とか頭がクラクラするかな?とか感じたけど、なんだったのかな。主治医はそんなに早く副作用はこないって言ってたから、気のせいかな。
 当然、やってる最中はめちゃめちゃ怖かったので、ひたすら家族の顔を思い浮かべて我慢。
 そうこうしてるうちに、無事一回目が終了。
 午前八時頃始まって、九時頃終わったので、約一時間同じ体勢。健康ならなんてことないことが、病気が病気で、治療も治療だからとんでもなくしんどく感じるな。
 午前十一時現在、吐き気は今のところなし。でも、倦怠感と体の痛み?熱が出る前みたいな、いやーな感じがある。
 これをあと五回やるのか。
 しんどいなぁ。
 放射線二回目は、熱があるなかでの治療。
 きつい、辛い。
 まさかたった一回やっただけで、体中は痛くなり、発熱するとは。
 しかも、今後控えてる抗がん剤のが辛いらしい。
 んー、なかなかしんどいね。


三月四日
 一晩寝たら、体のダルさはほぼなくなってた。熱も下がってる。
 ただ、なんか気持ち悪い。お腹が減りすぎてるからなのか、副作用なのかわからないけど気持ち悪い。自分の口臭で吐きそうになる。
 そんな状態で三回目の放射線へ。
 相変わらず緊張しまくり。うとうとする薬を入れてもらってもギンギンに目が覚めてる。
 後半、少し気持ち悪くなったが、何とか無事終了。これでようやく半分終了。あと半分、無事終わりますように。
 放射線四回目は、やっぱり緊張。そして動悸。何回やっても慣れない。慣れたくもない。
 午前中と違って、今回のが終わったあとしんどいな。ダルくて熱がある。寒気もするから、また上がってくるかな。
 とりあえず、明日で最後。


三月五日
 さすがに五回目となるとしんどくなってくる。照射中も少し吐き気あり。
 終わったあとは結構ぐったり。でも、一回目ほどじゃないな。昼にゼリー飲料飲んだら吐きそうになった。
 次でラスト。どうか、無事終わりますように。
 そして、放射線、ラスト。特段、何もなく終了。
 ただ、終わったあとはそれなりにダメージあり。蓄積されてる分もあんのかな。今の症状で一番辛いのが、やはり吐き気。
 空腹感なのか吐き気なのかわからないからとりあえずゼリー飲んでみたら、気持ち悪くなった。ってことは空腹感じゃないのかなぁ。
 とりあえず、放射線、無事終了。
 次は悪魔の抗がん剤だ。


三月六日
 今日は特に治療はなく1日お休み。
 体は休みでも、心は休まらない。
 まずは吐き気とのバトル。薬を飲むのですら四十分ぐらいかかる。
 あとはうがい薬とかパジャマの匂い、マスクの匂いなんかで吐きそうになる。
 次に明日の抗がん剤。エンドキサン。これは憂鬱すぎる。
 あとはやはり非現実感。病室からコンビニが見えるのだが、色んな人が入ってるのがわかる。今日は土曜だし暖かったから、お出かけしてる人が多かった。きっとどこか行くついでにコンビニに寄ってるんだろうな。
 そんな事を考えながら外を見てると、小さい男の子と手を繋いで歩いてるお父さんがいた。それを見た瞬間に涙がこぼれてきた。
 夕方、担当看護士から今後の治療の方向性を主治医・看護士・患者で共通の認識を持ちたいと言うことで話があった。
 その中の1つで、移植後、どうなっていたいか?と質問されたのだが、即答で病気になる前の体に戻りたいと言った。これ以外の答えをする人っているのかな?中には日常生活に支障がなければ、みたいな人もいるんだろうな。
 でも俺は、家族で出かけたいし、酒だって飲みに行きたいし、趣味だったバスケだってまだやりたい。
 特にバスケはハードル高くてもうできないかもしれないけど、今の段階で諦めたくはない。
 とりあえずは一つ一つクリアしていくしかない。
 それはわかってるけど、クリアするステージが多すぎるし、長すぎるよ。


三月七日
 今日からエンドキサンが始まった。いや、つーかそれ以前に三月七日は結婚記念日なんだよなー。なんで俺はこんなとこにいるんだか。
 そんなこと思ってても治療は待ってくれないので、どんどん準備が進められてく。
 そして、ついにエンドキサン注入。
 はじめのうちは鼻がツーンとして、嫌な気分だったけど、次第に目眩がしてきて、もっと嫌な気分になった。この目眩による吐き気が出てきて、吐き気止めを飲む。
 とりあえず落ち着いたものの、頭重感はずーっと残り、夜寝る頃には頭痛がしだした。
 そのタイミングで下痢ピー地獄が始まる。今もめっちゃ腹痛い。
 もうやめて。


三月八日
 エンドキサン二日目。
 エンドキサンって文字を見るだけで気持ち悪くなるぐらいしんどかったなー。
 体はダルくて動かないけど、気持ち悪いから同じ体勢ではいたくない。
 さらにそこに下痢が昨日は十七回も出て、かなりしんどかった。
 でも、主治医は吐き気はピークって言ってるので、それを信じることにしよう。
 つーか、全体的なしんどさのピークはいつなの。


三月九日
 この日は特に何もなし。
 ただ、体調は悪い。まだまだエンドキサンが残ってる感じがする。
 午後になり、すこーし良くなった気がしたものの、最終的には体調不良から逃げるように、寝ることにした。


三月十日
 移植当日。
 移植当日なのに体調悪い。横になってるのから起き上がる。これでゼーハーゼーハー。起き上がってから立ち上がる。これでゼーハーゼーハー。と、一つの動作をとる度に呼吸があがり、動悸と目眩がする。そうすると、必然的に吐き気もしてくる。
 看護士はエンドキサンの影響と言うが、ホントに大丈夫だろうか。トイレに行くのも息も絶え絶えの状態。
 そして、移植。
 これはあっさり終了。主治医が良い細胞をたくさんくれた!と喜んでいたが、それが良いことなのか悪いことなのかわからず。まぁ悪いことのわけないよね。
 移植に関しては、改めてドナーの方が大変だなと感じた。身体測定に始まり、貯血、そして、マルク百回ぐらい。一回でもそこそこ痛いマルクを百回ぐらいやるらしいから、当然全身麻酔じゃなきゃ発狂する。全身麻酔だってノーリスクじゃない。
 本当に自分が病気じゃないのにここまでしてもらえるのは感謝しかない。
 僕にとってはこれからが本番。
 苦しいし辛いし、もうやめてくれ、って言いたくなるけど、兄にここまでしてもらって、待ってる人がいて、それは言えない。
 最後まで闘い抜いて勝ちたい。
 家に帰りたい。
 日常を取り戻したい。


三月十一日
 今日は朝からずーーーっと気持ち悪い。吐き気がすると、何もやる気しなくなる。薬飲むのに何分かかってんだよって感じ。
 かろうじてシャワーだけは浴びたものの、あとはずっと我慢。
 体勢も同じ体勢じゃいられないから、寝てみたり座ってみたり。
 薬も全然効かねーなー。吐き気止めなんだから吐き気止めてくれよ。
 いつまでこんな日が続くのかなー。
 しんどい。


三月十二日
 今日も体調不良。
 吐き気
 下痢
 頭痛
 膀胱炎
 せめてなー、吐き気だけでもなんとかしてくれたらなー。
 今日からオランザピンという薬が使えなくなる。これが吐き気によく効いていたのに。
 その辺の世界はよくわからんけど、五日分しか出せないルールってなんなん?患者が苦しんでて、それを和らげる薬があるのに処方できないってどゆこと?
 別に効果があって、永久に飲みたいって言ってるわけじゃないんだから追加で出してくれても良いじゃん。
 ホントにこーゆーとこよくわかんないよなー。どーせこんな柔軟性がないことなんて厚労省で決めてんだろ?知らねーけど。
 使えないんだったら別の薬で和らげてくれよー!全然効かねーよ!
 今日はやたらイライラする1日。
 先が見えないマラソン気分。
 これから自分がどうなるのかわからない恐怖。
 いつまで俺はこれと闘えば良いんだろ。


三月十三日
 夜中に何度もトイレに行く。下手したら一時間に一回のペース。
 その時に、口の中に違和感があったけど、なかったことにして眠りにつく。
 そして、今朝。しっかり目を覚まし現実を見ると、口の中が痛い。あと喉も。
 ついにきたか、と思ったが、まだ口内炎になる手前。全然我慢できる範囲ではある。
 しかし、もしこの広範囲で口内炎になった場合、一個できただけで脂汗かくぐらいの激痛なのが、どうなるんだろう。想像しただけでも怖いわ。
 だから口腔ケアはしっかりやろう!って思っても、なかなかそうはいかない。邪魔が必ず入る。
 まずは吐き気。これが一番邪魔。ホントにいつまで居座るのかね。早く抜けろよ。
 で、次に発熱。なーんか寒気すんなーって思ったらやっぱり発熱しちゃったよ。そんなに熱は高くないけど、節々の痛みとか倦怠感とかで、口腔ケアを邪魔してくる。
 なんとかうがいだけは続けてるものの、ホントは歯磨きもしたい。
 いや、何も食べてないし、下手に磨いて歯茎傷つけるよりは良いのかな?
 てか、さっきから横になると胸というかみぞおちら辺が呼吸に合わせて痛いよ。
 次から次へと…。
 まぁでも、序の口なんだろうな。
 生きて帰れるかな…


三月十四日
 今日は良い天気。外を見てるだけだと夏に感じる。今にもセミの鳴き声が聞こえてきそう。で、歩いてる人の服装見てまだだ、と思う。
 今朝は熱がまだ少しあり、三十七度五分。体の痛みもまだ残ってるけど、昨日よりはまだマシな気がする。
 あとは吐き気と下痢。下痢はまだまだ続くそうなので良いとして、吐き気はそろそろ治まっても良いんじゃないか?
 よくよく自分の吐き気と向き合ってると、空腹も吐き気の一つっぽいことが何となくわかった。
 なので、ウィダーインゼリーを試しに少しだけ飲んでみることにした。
 紙コップに少しだけ移して、七日ぶりの食べ物。
 ぜんっぜん味しねー。
 完全に味覚障害だわー。ただの酸っぱいゼラチン質の飲み物になってる。味覚障害の事は忘れてたなー。
 完全にまた食欲がなくなりました。


三月十五日
 今日はなぜか朝からぐったり。熱があるわけじゃないのに、熱があるような目眩がし、体の節々の痛みや倦怠感がある。ずっと横になってたいけど、横になると気持ち悪くなるし、下痢も止めどなく出るから動かざるをえない。
 そして、お尻が痛い!毎日毎日十回近く下痢してりゃお尻も痛くなるのは当然だが、それにしても痛い。口の中もいよいよ口内炎っぽくなってきたし、もう勘弁して。
 今日は移植後はじめての輸血。聞いたら、血小板はAB型で赤血球はO型らしい。
 え?大丈夫なの?
 俺、移植前はA型で移植後はB型になる予定なんだけど、全然かすってない。
 まぁ医者が大丈夫っていうなら、大丈夫なんだろう。
 とりあえず、六月の退院を目指しているので、今日で六分の一。
 まだまだ先は長いなぁ…。


三月十六日
 朝起きて、まずは体温をはかる。今日は三十七度四分。ここんとこ微熱続くなぁ。
 次に、おしっこと下痢。なぜか朝は腸が活発に動くのか、下痢を連発する。お尻痛い。
 手を洗いがてら、うがい。うがい薬に甘い味がついてるので、ちょっと気持ち悪くなる。
 次に体重をはかりに行く。唯一、まともに歩くとき。
 そして、朝の薬。数は少しだけ減ったが、これを飲みきるのに、三十分ぐらいかかる。健康であれば一分。
 午前十一時ぐらいにシャワーに入り、一時間ぐらいぐったり。
 とまぁ、これが一日のルーティン。
 体調が良いときはなんてことない。
 でも、時々ふと思う。あと何日このルーティンを続ければ良いんだろう。これまでの治療だったら一ヶ月って終わりが見えたからまだ良かった。
 でも今回は、病状が悪くなれば、いつまでも入院だ。
 外は桜も咲いてきてる。会社では人事異動の時期で独特のソワソワ感が楽しい時期。
 おいてかれてるなー、世間から。
 そしてなんか今日はすごい気持ち悪い。


三月十七日
 点滴が大量に入ってるせいか、夜中に一時間に一回のペースでトイレで目を覚ます。それだけでもイラッとするのだが、また眠る時に大体夢を見る。
 その夢が、病気になる前の日常の夢ばかり。家族と過ごす夢、友人やバスケのチームメイトと過ごす夢。とにかく、夢の中の僕は超絶元気で、今までのように自由にどこへでも歩いていける。まぁ夢なので多少設定はめちゃくちゃだが。
 これが地味に効く。
 目を覚ませば点滴棒。
 いつだったか、自分の夢に『白血病でそんなことできるか』と突っ込んだこともあった。
 死ぬ気はないので、この夢が治療後の夢である事を祈るばかり。
 早く退院したいけど、一向に食欲がわかない。ゼリー二口で一日気持ち悪くなる。看護師に、みんなこんなもんか聞いてみたら、みんなこんなもんみたい。むしろ、食べないでって言うこともあるらしい。
 今が一番しんどい時だから、とにかく、いかにして一日を楽に過ごすかを考えてください、って言われた。
 まだそのレベルなんだ、って思いつつ、少し安心した。
 もう気持ち悪いのは嫌だ。


三月十八日
 夜中に口内炎の痛みで目が覚めた。ついにきたか口内炎。それ以外は特段変わりなしの体調。
 昨日、妻と話をした。
 ここのところ体調が優れなかったので、まともに話をしたのは久し振りだった。
 そこで妻は『一日一日を無事に生きててくれれば』と言っていた。
 言ってることは理解できるが、僕はどうもしっくりこなかった。
 僕が生きたいのは病院の中ではなく、日常なのだ。病院の中ではまさに生きる屍状態。やることもそんなにないから、時間ができる。かといって、何かゲームとかやる気も起きず、ボーッと外を眺めては、色々考える。
 外に出たい。
 自由になりたい。
 果たして治るのか?
 生着不全とかならないか?
 GVHDは辛くないだろうか?
 いつになったら退院できるのか。
 そもそも退院できるのか。
 再発はしないか。
もう堂々巡り。考えても仕方ないことをずーっと考えては不安になり、怖くなる。
 そんな一日を、生きてると果たして言えるのか?と思った。
 でも、やっぱり一日一日を生きていくしかないんだよね。結局、当たり前だけど病院で一日一日を無事に乗り越えない限り、日常に戻れる事はあり得ない訳で。
 いつだか自分でも言ったけど、妻も言ってた通り、一晩明ければ退院にまた一歩近づいてる。
 そう思って、一日一日を過ごすしかない。

※生着不全とは、ドナーの細胞が自分の体に根付かない事を言う。そうなった場合、もう一度移植をやり直すため、よりリスクが高くなると思われる。


三月十九日
 今日は精神的にとても辛い日なので、ここで記録として残しておきたいと思います。
 移植から一週間と少しが経ちました。
 体調に特に変化はなく、気持ち悪さ、下痢、口内炎、お尻の痛み、頭痛、手のひら・足の裏の痛み、顔の火照り、といった具合です。
 どれもこれも、もちろんしんどい症状ではありますが、我慢できないレベルではありません。
 ただ、これが良いことなのか悪いことなのか、正直わかりません。普通に考えれば良いことなんだろうけど、ドナー細胞が生着する時には、その反応で発熱などの症状が出るそうです。もちろん、出ない人もいるそうですが。
 今日の血液検査の結果は、白血球がまだ百以下でした。主治医からは、ドナー細胞が良い細胞でたくさんくれたから、生着も早いかもね、と言われましたが、一向にその気配をみせてくれません。主治医の予想では、三月二十四日生着との予想ですが、体に何ら変化は今のところありません。血縁で骨髄移植なので、主治医はまず生着不全はないと言っています。実際に経験された方も笑ってしまうかもしれません。
 でも、僕は今、生着不全が起こらないか怖くてしょうがありません。
 次に、生着後の体調についてです。
 看護師からは、『今が一番辛い時期だから』とよく言われますが、他の方のブログを読んでると、むしろ生着後の方が辛そうに思えます。GVHDはもちろん、原因不明の症状で苦しまれてる方はたくさんいます。これからその世界に突入するのかと思うと、不安で怖いです。
 主治医からは、今日までは順調と言われていますが、あくまで今日時点です。来週は順調ではなくなるかもしれません。
 これらをひっくるめて、退院できるのか、という不安が拭いきれません。
 外を見ればうっすらと桜が咲いていて、暖かそうで気持ち良さそうです。ヨボヨボのじぃさんとばぁさんも散歩してます。
 それなのに僕は点滴棒引き連れて、部屋にこもりっぱなし。
 気が狂いそうです。
 次に慢性GVHDについてです。
 僕の最終的な目標は、完治はもちろん、病気になる前の体に戻す事です。
 僕は病気になる前にはバスケを週一でやってました。それから、大体月に二回ぐらいは飲みに行ってました。要するに、休日はバスケや家族とのお出かけや飲み会、平日は仕事、というのが僕の日常でした。
 ただ、今は二メートル離れたトイレに行くのに息が上がります。シャワーを立って浴びてるだけで、膝が笑います。部屋の外の前部屋という場所に移動するだけで目眩がします。
 果たしてバスケなんてできるんでしょうか。筋肉の衰えは、トレーニングすれば良い。心肺機能もトレーニングで元に戻す。最初はそう考えてました。
 ただ、この病気を勉強していて、慢性GVHDを知り、愕然としました。
 過度な運動は、慢性GVHDを発症させたり悪化させたりする事があるみたいです。つまり、トレーニングはもちろん、バスケなんてもってのほかじゃん、と思いました。
 ただ、主治医に聞いた訳でもないし、今の段階で諦めるのは早すぎるので、あくまでもバスケ復帰を最終目標として治療には取り組みます。でも、今の体調もあってか、少し心が折れています。
 最後に、いつまで生きられるか、です。
 これはきっと、ずっと考えていくことなのかと思います。まだ治ってもいないのにあれですが、やはり再発が怖いです。再発の治療をされている方もいて、本当に頭が下がります。
 僕には無理です。
 今日主治医にざっくりとその辺のことを話しました。僕が治ると思って良いですか?と聞いても、治るつもりで治療してますよ!と少しはぐらかされてしまいます。まぁ医者ですからね、その辺は仕方ないです。
 そして、移植を終えたばかりの僕や、退院していった他の方々にも、多かれ少なかれ、不安はあるそうです。
 その『治るか?』という究極の不安を取り除くには、定期的に行う検査で問題ないことを確認していくしかない、と言われました。
 白血病。
 やっかいな病気ですね。


三月二十日
 昨日よりは精神的なものは少し改善、かと思ったけど、看護師から生着~GVHDに関するオリエンテーションを受けて、またブルーに。
 もーホントに乗り越える壁多すぎ。
 体調は変わりなくと思っていたが、やはりゼリーを少し飲むと一日中気持ち悪い。
 気持ちとしては、ペペロンチーノとか、ステーキとか、とんかつとか、焼き肉とか、ラーメンとか、食いたいものめちゃめちゃあるのに。もう食えないのかな。
 そして、シャワー中で急に息切れと動悸がしてきて焦った。看護師が言うには血圧が下がったからかな?って感じみたいだけど、三時間ぐらい横になってたら治ってきた。ビビった。
 ところでなんだか最近涙もろい。
 音楽を聞いては涙。
 動画を見ては涙。
 医者と話しては涙。
 旅番組を見ては涙。
 外を眺めては涙。
 この病気になるまで、泣いたことなどほとんど無かったのに、最近じゃ毎日のように泣いてる。
 まぁ泣くのはストレス解消になるから良いらしいけどね。
 そろそろ笑いたいなぁ。
 この病気に罹患してから心から笑ってないなぁ。


三月二十一日
 夜中にトイレに行くのに一時間に一回、目を覚ますのだが、昨晩はトイレに行った時の動悸・息切れ・吐き気が強く出た。今朝起きて、同じくトイレに行ったり体重をはかりに行ったりするのに少し動いたのだが、また同じ症状が。看護師に話したところ、貧血ではないかと。
 貧血ってなったことなかったけど、こんなにしんどいんですね。イスに座ってても、一人だけ地震がきてるような感じで気分悪い。なんとか気合いでシャワーは浴びたけど、ちょっと怖かった。
 その後はまたやってはいけないことを。ネットでGVHDに関する興味深い記事を見つけたので、思わず読んでしまった。
 もー、ちょービビってます。ホントに読まなきゃ良かった。何度同じ失敗したら気が済むんだ。バカか。まだ生着もしてないのに考えてもしょうがない。てか、生着するかな?あと少しで二週間経つけど、特段、体になんも兆候なし。
 マジで不安になってきた。
 全体的な体調としては相変わらず。
 ただねー、お腹がすいてるのに食べられないのが辛い。確実に空腹感あるのに、いざゼリーを飲んでみると一日気持ち悪くなる。
 これはなんで?まだ体が受け付けないってこと?
 あーーーー!めっちゃペペロンチーノ食いてーーーー!


三月二十二日
 今日は1つ、嬉しいことがあった。
 好中球の芽が出てきた!
 白血球五百で、好中球が三百ちょい。
 主治医の見立てでは、明後日の血液検査で爆上がりして生着、らしい。
 てか、移植の日から予想で二十四日生着って言ってたから、もしホントにそうなったらすげぇな。
 ここんとこ、生着不全をすごく心配してた。発熱や発疹などの兆候が全然ないので、出ない人もいるとは言われてたけど、ホントに大丈夫かな?ってホントに不安だった。
 まだ生着したわけでもない。
 これからGVHDが出るかもしれない。
 三月七日からほぼ絶食状態で、ウィダーインゼリー半分飲んだだけで一日気持ち悪くなる。
 これ以外にも、もっともっも乗り越えなきゃならない山はこれからいくらでも出てくるだろう。
 でも、ホントに嬉しかった。
 ホッとして涙が出た。


三月二十三日
 昨日の夜、気持ち悪くて寝付けず、点滴を入れてもらった。久々に寝る前に吐き気止めを使った。
 その名残なのかなんなのかはわからんが、今日は一日中気持ち悪い。この気持ち悪さもタチが悪くて、ムカムカする気持ち悪さ、空腹すぎる気持ち悪さ、胃腸が動いてない気持ち悪さ、などなど、色々な気持ち悪さが混ざっていて、ごちゃごちゃ。
 三月七日から時々ウィダーインゼリーを二、三口飲んだりしてたけど、それ以外は絶食。食べる気に全くならない。
 吐いても良いから食べてみよう!ができれば良いけど、嘔吐恐怖症なのでそれもできない。
 んー、なかなか辛いな。
 仮に治療自体は順調にいってても、食べられなきゃ帰れない。
 いつになったら食べられるようになるんだろう。


三月二十四日
 昨日の夕方から、腰がズッキンズッキン痛み始めた。白血球が上がる前には腰が痛くなることがあると聞いていたので、少しだけ期待。
 で、今日の血液検査で生着してました!!
 まぁ厳密に言えばあと二回血液検査やって好中球が五百越えてれば確定なんだけど、主治医が言うには、今の状態で五百以下に下がる事はない、って言ってたので、信じることにします。
 だって、移植日に主治医の予想で二十四日に生着って言ってて、それがドンピシャで当たるなんてすげーとしか言いようがない。
 それとも、長年やってればわかるもんなのかな?
 食事に関しても、気持ち悪くて何も食べれないと言ったら、二週間後には絶対食べれてる、と。
 ホントに?ぜんっぜん食べれる気がしないんだけど、まぁ二週間後を楽しみにしてよう。
 とにかく、また一つ、山を乗り越えた。
 まだGVHDやウィルス感染、体のあらゆるところのリハビリなど、色々と越えなきゃならない山はいくつもあって、正直、マジでめんどくさい病気だな、と頭を抱えるけど、死なないためには頑張るしかない。
 お願いだから再発だけはしないでください。


三月二十五日
 腰の痛みはほぼなくなったが、下半身が全体的に重ダルい。筋肉痛かな?
 てか、俺にはリハビリの先生とかつけてくれないのかな?
 とりあえず、筋力が相当弱ってるのと固まってるのがなんとなくわかったので、ストレッチや歩行、立ちっぱなしの時間を長くしたりしてみた。
 歩行は距離にして50メートルぐらいかな?それぐらい歩いたら息が上がってクラクラ。
 まぁ一ヶ月個室にいたし、ロクに何も食べてないから仕方ないにしても、情けない。引き続き、歩行訓練はやっていかないと。
 午後に主治医の回診。
 相変わらず冗談を交えながら会話をしてくるので、マジなの?冗談?どっち?とはなるが、治療は極めて順調みたい。
 あとは免疫抑制剤が内服に変わって、飯が食えるようになれば退院できるそう。
 え、ホントに??
 でも、飯が食える気が全くしないと話したら、今はそれが普通だけど、二週間後には絶対食べれてるから、と。個人的には一ヶ月経っても食える気がしない、と言ったら、この治療経過でこの先一ヶ月も食べれないなんてあり得ない!そうなったら問答無用で胃カメラ、と。
 もちろんこの先GVHDや、肺炎などにかからない可能性がゼロではないし、発症したらそりゃ食欲なんてなくなるだろうけど、今の体の状態ではあり得ない!と。
 そんなに状態良いの?あまりぴんとこない。
 胃カメラはやだ。
 つーか、すげー自信だな。
 ここまではっきり言い切られた事はないぞ。
 信じてみるか。


三月二十六日
 今日も体調にあまり変化はなし。下半身、特にふくらはぎら辺が筋肉痛のような、重だるさがある。あとは気持ち悪さ。薬というか、水を飲むと、なぜか逆流してきそうになる時がある。これは何なんだろう。
 午前中、主治医の回診。
 血液検査の結果は問題なし。そして毎日言われるのが、ご飯が食べれれば帰れる、と。
 食べれないんです。食べれるものなら、モリモリ食べて、早く帰りたいんです。
 ホントにもどかしい。具合が悪いならともかく、ご飯が食べれないから帰れないってのはホントにもどかしい。
ただでさえイライラするのに、余計に吐き気にイライラする。
 主治医や看護師は焦らずにって言うけど、焦りますよ。早く帰りたいもん。
 とりあえず、体も動かさなきゃならないので、病棟の廊下を散歩。息が上がるなー。めっちゃ筋力と体力が落ちてるなー。くそったれが。でも、下半身のダルさは少し楽になったかも。
 そして、今日1番の驚き。
 午後の検温の時に、メイン担当の看護師から突然『今日で退職します』と言われた。
 思わず、ええ!?と声が出てしまった。要所要所の説明や、主治医とのパイプ役はこの看護師がしてくれていたので、他の看護師よりはお世話になっている。
 まぁ性格的には苦手な部類だが。
 ただ、後任の看護師の方が性格的に苦手。なんで数多く看護師がいるなかで、この人が後任になるかなー、って感じ。申し訳ないけど。
 最近見たことない看護師が何人かいるし、辞めてく人もいるし、なんだかバタバタしてるな。
 年度末ってのもあるだろうけど、お願いだから治療には影響ないようにしてください。


三月二十七日
 今日は1日中眠たかった。夜中に一時間に一回トイレで起きるから、寝不足も限界。ほとんど寝てた気がする。
 あとは吐き気。
 もーーーイライラする。
 いつになったらよくなる?
 薬飲んだだけで吐きそうになってて、ご飯なんて食えねぇよ。もういい加減にしてほしいわ。
 ラーメン食いたい。
 肉食いたい。
 お米食べたい。
 ペペロンチーノ食べたい。
 いつになったら食えるんだ!!!!


三月二十八日
 今日は体調悪い。朝から体がダルい。
 とりあえず、食べなきゃと思ってゼリーを飲む。やばい、気持ち悪い。
 そうこうしてる間に、体のダルさが増してきた。微熱だが、熱が出てきた。
 なんか疲れちゃったな。
 薬飲む度に気持ち悪くなるし。
 全然良くなってる気がしないよ。


三月二十九日
 今日も食べれず。ウィダーインゼリー半分が限界。今まではプリンペランが良くも悪くも効いてたんだけど、最近じゃ飲んでも何も効果なし。
 胃のGVHD?
 そうなったら最悪だなー。
 そもそも胃カメラやりたくねぇし。
 いくら順調と言われても、食べれない事には帰れないし、何よりしんどい。体感で良くなっていくのが感じれないから、順調と言われてもぴんとこない。
 まぁ予想はしていたけど、やはり食事がネックになったか。


三月三十日
 今日も相変わらず。何も変化のない一日。
 本来であれば、これが健康な体であればこんな幸せなことはないが、入院してるとうんざりしてくる。
 それでも人によっては、悪化しなくて一日過ごせて良かった、とか思えるんだろうな。
 少なくとも、現状ではそんなこと思えない。
 いつになったら食えるようになる?そればっかり考える。
 主治医はのんびりやっていきましょう、って言ってたが、いやいや、先生が食えれば帰れるって言ったからこんなにモヤモヤしてんじゃん!と、ちょっと八つ当たり。そりゃそうでしょ、早く帰りたいし。胃カメラやりたくないし。
 いつになったら食えるかなー。


三月三十一日
 今日も相変わらず。ゼリー以外で冷やっこを食べてみたが、三口ほどで吐きそうになり断念。
 主治医は十分と言ってくれるが、いい加減しんどいです。
 昨日、サッカーのワールドカップ予選を見た。まぁ某ウイルスの影響でどうなるのかはわからんが、順調にいけば、二〇二二年十一月にワールドカップが開催されるらしい。シンプルに見たい。
 でも、果たしてその頃まで生きていられるのだろうか。
前回大会の時のように百パーセントサッカーを楽しめるのだろうか。
 どうしてもこういう考えが頭をよぎる。
 九十歳とかならともかく、三十三歳で来年生きてるかどうかの心配しなきゃいけないって。
 もうホントに嫌になる。
 あー、びっくりドンキーのハンバーグ食いてぇ。日高屋のラーメン食いてぇ。
 ウィダーインゼリーとか冷やっことか、もうやだわ。


四月一日
 本日も相変わらず。
 お粥にチャレンジしたものの、たった一口でギブアップ。味覚障害のせいで後味が最悪。それでめちゃめちゃ気持ち悪くなった。
 その他の体調については口の中が少し痛いな。先生は白血球が上がってくれば治るって言ってたけど、もう生着したんだし、まだ足りないのかね?まぁ検査結果は基準値より下だったけど。
 あとは風呂上がりに少し寒気がしたな。熱でないといいけど。
 そんなこんなで代わり映えのしない一日。
 世の中じゃ新年度が始まってるっつーのに、俺は二〇二〇年十一月六日から止まったまま。
 いつになったら世の中に戻れることやら。


四月二日
 んー、今日も相変わらず。
 もう気持ち悪くてイライライライライライライライラしてます。
 そこへきて、相性の悪い看護師が担当。またイライライライライライライライラ。
 次に昼飯。もうこの病院の食事は本当にひどい。ゼリー以外の何かをと思い、ホットケーキを頼んだ。
 出てきたのは、冷凍から自然解凍され、良い感じに冷えてる2枚のホットケーキと牛乳。
 いや、ホットじゃねーじゃん。
 さらに、それ以外何もなし。もちろんこっちも喫茶店みたいに、バターが乗ってメープルがかかってるものがくるなんて思ってないけど、せめてさ、別でバターとかジャムとか付けてくれても良いじゃん。冷やっこに醤油付いてないようなもん。
 案の定、くっそ不味いわ。パッサパサだし、味薄いし、中途半端に冷たいし。もうちょっと食べる人の事考えてくれても良いんじゃねーかな?こんな不味い物で食欲なんかわかねーのに、食べれなきゃ帰れないとかなんだそれ。だったら食えるもん出せや、とイライライライライライラ。
 今日はイライラの1日でした。
 でもいいこと?も一つ。
 気持ち悪いのが治らないと言ったら、主治医が飲み薬の量を減らしてくれました。
 これで良くなってくれるといいなー。
 なんか目眩してきた。


四月三日
 少しずつだが、食べれる?ようになってきてる気がする。
 吐き気止めを多用して無理矢理流し込んでるだけで、自分から食べたいという欲求はわかない。
 そして、食べると必ず気持ち悪くなる。
 気持ち悪さにも種類があって、胃がムカムカするパターン、胃が動いてないようでズーンと重いパターン、突然食べたり飲んだりした物が上がってくるパターン。
 食べなくて良いのであれば、最初の二つに関してはスルーするんだけど、食べなきゃいけないから吐き気止めにどうしても手が出る。
 吐き気止めを飲んででも食べるのと、吐き気止めを飲むぐらいなら食べなくて良いのと、どっちなんだろう。
 とりあえず今日は、朝はウィダーインゼリー1本、昼はカスタードケーキ2個を食べた。
 案の定、気持ち悪いけどね。
 もう桜も散っちゃったなぁ。


四月四日
 昨日の夜は気持ち悪くてやばかった。缶詰めのフルーツポンチを無理矢理全部食べたら、すっげー気持ち悪くなった。
 やっぱり焦りは良くないのかな。
 でも食えれば帰れるって言われたら焦るよなー。
 今日は部屋移動。個室から個室への移動だからそんなにダメージないけど、やはり使い勝手は悪い。
 同じ移植部屋なのに移動する意味なくね?と、ちょっとイラッとしてる時に今日の担当看護師が相性悪い人と判明。
 なんなんだよなー。イライラする。
 こいつ、自分の仕事優先で患者優先じゃないから本当に腹立つんだよな。
 言っちゃ悪いが見た目も不潔だし。正直、白血病の病棟だって自覚あるか?って言いたくなる。
 そんなんで今日は1日イライラ。
 食欲も相変わらずわかず、なんかもう、思いっきり何かをぶん殴りたい。


四月五日
 池江選手、すげーなーと思うけど、退院した人が皆これぐらい元気になるかって言われると、そうではない。
 この病気になって、耳にタコができるぐらい聞いた『人による』『個人差がある』っていう言葉。
 抗がん剤の副作用、治療スピード、回復スピード、移植後の合併症、などなど。
 今一番知りたい!っていうことを聞くと、大体の確率で『個人差があるからなんとも言えない』とか『人によって千差万別だからね』と、非常にモヤッとする回答を受けてきた。
 なので、この先、もし自分が社会復帰した時に、いやいや、あれだけ元気な人がいるんだから、お前も大丈夫だろ?というような見方をされるのが非常にめんどくさい。
まぁそもそもオリンピックに出るような人と、同じ訳がない。
 ただ世の中にはそういうボンクラが存在するのは間違いないから、いつか不愉快な思いはするんだろうな。
 それでも生きていれば良いさ。
 今日は約一ヶ月ぶりにお粥だけどお米を食べた。
 最初の一口目のまぁ美味しいこと!
 これまでフルーツだのゼリーだの、食事とは言えない物ばかり食べてたから、なんか、ようやく食べた!って感じ。進むにつれ苦しくはなってきたけど、なんとか完食。
完食後も、しぱらくは逆流してきそうだったけど、なんとか耐えた。
 やはりお米は美味しいね。
 早くガッツリしたおかずに白米かきこみたいなぁ。


四月六日
 最近、手のひらがピリピリするのもあるけど、今日見たら、色んなとこに小さなポツポツが出来てた。これが地味にかゆい。ホントに見た目は小さくて赤みもなくて、なんだこりゃ?って感じなんだけど、痒みの原因は確実にこいつ。
 あとは顔がかゆい。これはおそらくマスクかぶれ。いやー、このタイミングでマスクかぶれって勘弁してよ。すぐ良くなるのかな?今まで一度もかぶれたことなんてないのに、やっぱ皮膚が弱ってるんだな。
 あとはやはり胃腸。
 今日はちょっと下痢気味。そして、相変わらず食べるとその数分後には逆流してこようとする。これマジでなんなの?どうすりゃ治るの?毎回なんで、結構しんどいんだけども。
 今日はまだ血液検査の結果が返ってきてない。
 遅いと悪かったのかなー?とかネガティブな事を考えちゃうから早くほしいな。そして、明日は移植後、一ヶ月マルク。
 痛いからなー、やりたくないけど仕方ない。
 痛くなく終わりますように。そして、良い結果でありますように。


四月七日
 延べ入院日数100日目。
 嬉しくない記念。
 俺の寿命が何日あるのかはわからないけど、百日も使っちゃったし、まだまだ使いそう。
 治すためには仕方ないとはいえ、やっぱもったいないよね。百日あれば本当に色んな事ができる。そして、今日は移植後一ヶ月でもある。
 なのでマルクをやった。
 相変わらず痛い!
 今回の検査では、白血病が寛解状態を維持しているかと、兄の細胞がちゃんと根付いてるかを調べるみたい。両方とも良い結果でありますように。
 体調は、手のひらが痒い。
 なんかポツポツができてて、それがひたすらに痒い。主治医はまだ治療に入る段階じゃないので、とりあえず様子見って言ってるけど、手の甲にもポツポツ出てきた。確実に範囲が広がってるな。
 あとお腹が時々痛い。そして下痢気味。回数が少ないのでこちらも様子見だが、なんか回数が増えそうな予感。
 もしかしてGVHDがついに出てきたか?
 食欲に関しては相変わらず。ただ、食べた後の逆流は、少し減ったかも。
 一難去ってまた一難。
 とにかく、痒い!!!


四月八日
 体調がパッとしない。
 吐き気は少し治まって、ようやく食べ物を食べれるようになってきたのに。
・手のひら、顔、首の痒み
・腹痛、水下痢の復活
・口内炎
・喉の痛み
・鼻詰まり
と、今までになかった症状や、治まった症状がまた出現している。
 もうなんなのマジで。
 特に痒みはひどく、GVHDなんじゃないの?と思うも主治医はそのレベルにないと。明日、水下痢したことも言わなきゃ。
 別にGVHDが出てほしいわけじゃないけど、再来週には退院という話が出ている。
 どこまで本気かはわからないけど、今の状態で帰されても、ちょっときついよ。
 もーーー、イライラするなーーー。


四月九日
 痒い!痒い!痒い!
 手も首も顔も頭もとにかく痒い!なんだこれ。全部蚊に刺されたみたいな強烈な痒さ。
 あーもー痒い!痒い!痒い!痒い!痒い!
 ちょーイライラする。
 そして、また相性の悪い看護師が担当。こいつ、マジで適当だわ。俺が何の薬使ってるのかも把握してないし。
 ただでさえ痒くて痒くて痒くて痒くて痒くてイライライライライライラしてるのに、これ以上イライラさせんじゃねーーー!!


四月十日
 痒みは痒み止めの薬のおかげで、多少マシになった。でも、まだ痒い。時々悶える。
 顎の辺りが脱皮してきた。こうやって治っていくのかな?
 今日の昼飯は、少し重くしてみてうどんを頼んだ。お粥についてる吸い物はおいしいのに、うどんの出汁はまずっ!ただただ酸っぱい出汁だった。
 で、一応完食。
 でもやっぱり消化に負担がかかってるのか、胃が重たい。まだうどんは早かったかな?でも、そろそろ普通のご飯も慣らしていかないと。
 もういい加減、入院生活はうんざりしてきた。
 もういい。もう結構。
 まだ免疫抑制剤を内服に切り替えてないから何ともいえないけど、早ければ再来週に退院予定。
 いつも退院間際に何かしらのトラブルがあるので、今回は何もないと良いな。
 もう限界です。


四月十一日
 今日は朝から体がダルくて重い。そして眠い。
 昼ごはんは久々にトーストを選んだ。ホントはトースターで焼きたかったけど、めんどくさいのでそのまま食べた。全然美味しくはなかったけど、普通に一枚食べれた。
 でも、なぜかその数時間後から気持ち悪い。
 そして、発熱。
 まだ三十八度はいってないから血液培養やってないけど、三十七度八分。
 首の皮一枚。
 なんとかこのままこの辺でキープしてくれー。つーか、ここにきて発熱するなんて。
 ホントにうっとおしい病気だわ。

※血液培養とは、血液を大量に採取し、そこに何の細菌やウイルスがいるかを調べる検査。もし何かしらの細菌やウイルスが検出されれば、それをやっつける薬を無駄なく選択して治療できる。ただ、血液を大量に採取されるので、結構負担はある。なお、血液培養をするかどうかはもちろん医者の判断になるが、一つの基準として、熱が三十八度を超えたら、という基準がある。


四月十二日
 今日は昨日から引き続き発熱。朝の検温で三十八度二分だったので、血液培養に。痛くなくてよかった。
 で、その二時間後、熱が三十七度一分に。
 なんなんだ?と思ってると、主治医登場。主治医的にもこの熱はよくわからないらしい。よくわからないのが多いね。
 それよりも衝撃的だったのが部屋の引っ越し。
 ついにきたかー、四人部屋への引っ越し。しかも窓側じゃなくて廊下側だから暗いわー。てか、熱がある状態で引っ越しかよ、もうちょい空気読んでくれー。
 じゃあさっさと個室のシャワー浴びちゃおと思い、浴びたら熱が再び上昇。
 現在、三十七度八分。
 まぁそこまで高い熱ってわけではないけど、何かあると心は一気に弱くなるね。
 ネガティブネガティブ。
 てか、また共用のトイレとかシャワーとかだりー。
 早く帰りたい。


四月十三日
 今日も朝から熱が三十八度二分。
 なんなんだこれは。つーか大部屋さみーんだけど。
 しかし、今の俺にはこれ以上に気になる課題がある。
 それは免疫抑制剤の内服への変更だ。内服薬はシクロスポリンになるのだが、主治医・薬剤師はこの薬で吐き気が起こることはそんなにない、と言う。
 しかし、実際に飲んだ人は気持ち悪くなり、2回吐いたうえに、胃カメラをやるはめになったという。
 はたしてどちらがいうことが正しいのか。
 さらに、切り替えたタイミングで様々な症状が起こることがあるという。GVHDの悪化、発熱、その他もろもろ。
 ホントに楽な治療じゃねーな。
 薬飲むの怖いなー。


四月十四日
 最近、主治医は回診に来る度に退院をほのめかす。それが冗談なのかマジなのかはわからないが、正直、体調はあまりよくない。
・微熱
・倦怠感
・かゆみ
・鼻詰まり
・口のかわき
・便秘
 どれもこれも、一つ一つは大したことないのだが、これがいっぺんに襲ってくると、まぁまぁうっとおしい。
 さらに今日から始まったシクロスポリン。最初はやはり気持ち悪くなった。主治医お得意の大丈夫だと思いましょう作戦を決行中だが、どう転ぶかわからない。
 これに吐き気が加わったらいよいよきついなー。
 個人的には来週の月曜日には退院できると思ってたんだけど、そうでもないのかな?
 わからんなー。
 ただ、今日は良い話が聞けた。
今まで、GVHDがでた方がGVL効果で再発しにくいと思っていて、ちょっとGVHDが出ないことに関して不安だったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。
 移植に入る前に完全寛解で移植できれば、GVHDが出ない人が一番生存率が高いという。
 そして、寛解ではない状態で移植をする人はGVL効果を狙いにいくのだそうだ。

※あくまで、僕の主治医の話です。僕は信じますが、鵜呑みにはしないでください。

 それが聞けただけでも、モヤモヤが少し晴れた。
 あー、早く退院してーなー。

※GVL効果とは、ドナー細胞に白血病細胞を攻撃してもらおう、という治療効果。


四月十五日
 今日は今朝からかったるくて眠たい一日。そりゃ夜中にトイレで四回も起きればねみーわな。
 でもそんな眠気もぶっ飛ぶお話が先生から。
 明日点滴を抜き、土日様子を見て、特に問題なければ週明けに退院です!
 非常に嬉しい!
 たったの数日だけど、待ちきれない!
 でも週明けって月曜?火曜?
 その辺もはっきりしときゃよかったな。
 まぁとりあえず、この先何もありませんように。


四月十六日
 今日、cvが抜けました。
 いやー、なんという解放感。用もないのに無駄に歩き回りたくなっちゃいます。
 今後の予定は、月曜日に血液検査をして、何も問題なければ火曜日に退院。
 月曜日に退院じゃないことと、血液検査という壁がまた立ちはだかるのにちょっとブルーだけど、まぁ仕方ない。
 頼むから何もないでくれー。それ以外は何か特別なことはない。むしろ、何もやる気がしない。軽いうつ病入ったか?漫画も動画もゲームもあるのに、ひたすらボーッとするか寝てるかのどっちか。
 なんだろうな。
 まぁ、少しゆっくりするか。


四月十七日
 今日も朝からダルくて眠い。
 夜中に点滴つないでないのにトイレに何回か行く。もう癖になってるのかな。
 そして、ここ一週間ぐらい鼻詰まりがひどかったが、ついに耳にきたかも。もわんもわんする。中耳炎かな。
 あとは地味に気持ち悪い。
 ご飯は食べれる。食べれるんだけど、食べたあとにすごい不快な気持ち悪さがずーっと残る。運動量が少ないから消化されないのかな。
 あとは便秘。毎回もよおす、しかも結構な勢いでもよおすんだけど、全然出ない。
 とまぁ、体調的にはそこまで悪くないものの、決して良くもない感じ。ちょっとだけ退院が不安。
 あと、今日は兄が僕の息子の誕生日だからと食事に連れていってくれた。
 これは大変ありがたかったし、本人も喜んでた。
 体が良くなったら、お礼で俺が兄に焼き肉でもおごってあげよう。


四月十八日
 今日は特になにもしてない一日。
 ひたすら退院までの日をボーッと待ちわびてる。
 咳と鼻詰まりが気になるところ。
 あと、味覚障害がまだ残ってる。
 でも、そんなのは退院してから治ってくれりゃ良い。
 早く退院したい。


四月十九日
 血液検査問題なし!!
 このまま何もなければ明日帰れるぞ!!
 いやー、長かったなぁ。
 まだまだ今日一日、何十時間も残ってるので、気を抜かずにいつも通りすごそう。
 どうか無事退院できますように。
 今日はたぶん寝れねぇな。


四月二十日
 今日、無事本退院をすることができました。
 肝心の体調ですが、決して良くはありません。鼻詰まりと味覚障害の影響で、食べ物の味がほぼしません。むしろ、味覚障害のいやーな後味だけが残るような状態です。
 耳もまだモワモワしていて、主治医からは耳鼻科いっといでと言われましたが、諸々怖くて行けません。
 体力も大幅に落ちているのが物凄くよくわかります。
 でもやっぱり家が最高です。
 どうかこのまま何事もなく、完治しますように。
 お願いします。


 こうして、僕は無事に退院することができた。元々は三ヶ月程の入院を覚悟していたのだが、終わってみれば約一ヶ月半。これはかなり順調に治療が進んでると思うし、当時、主治医もそのように言っていたような気がする。目立ったGVHDもない。
 本退院をした時のあの気持ちは一生忘れないだろう。生きて家に帰る事ができる。また家族で生活する事ができる。
 よく誤解されてる人も多いらしいのだが、移植が終わったら治療は終了ではない。むしろ、ここからが治療第三章なのかもしれないし、場合によっては一番きついかもしれない。なぜなら、入院していた時は何かあればすぐに看護士や医者が飛んできてくれた。そして、治療に集中する事ができた。しかし、退院後は、看護士はもちろん医者もすぐ傍にいてくれるわけではない。更に、日常生活を取り戻さなければならない。病棟内にいるうちは、患者でいられたが、退院し、一歩外に出れば一般人なのだ。誰も僕に気を使ってくれないし、優しくもしてくれない。そんな生活を取り戻さなければならない。
 一次退院の時も思ったのだが、まず衝撃を受けたのが筋力の低下である。それを一番に感じたのは、服を着替えた時。入院中は基本的に病院が用意してくれるパジャマを着ているのだが、退院となれば当然普段着に着替える。そして、普段着に着替えた時に、服の重さに立っていられなくなる。まるで、某有名漫画の修行をしている気分だ。着ている物は、薄手のセーターに普通の長ズボンだ。これが、修行と感じる並に重たいのだ。次に靴である。入院中はスリッパで生活しているので、ただのスニーカーがやたら重く感じる。まるで、海やプールの中を歩いてるような重さを感じる。服を着てスニーカーを履いて歩くだけで筋トレだ。
 あとは食事制限だ。これは割と有名な話かもしれない。免疫抑制剤を飲んでいるので、生物はダメ。基本は加熱したもの。ただ、加熱していれば何でも良いかというとそういう訳ではなく、例えば生味噌を使ったインスタント味噌汁だったらフリーズドライの方が安全だったり、漬物も禁止だったので、例えば豚キムチのような物もダメだっただろう。あとは生クリームもダメ。チーズも種類によってはダメ、といったように、本当に細かくダメなものがある。これに関しては、僕もそれなりにきつい話だが、食事の準備をする妻の方がきつかったと思う。
 そういった退院後の生活を考えても、やはり家に帰れるのは嬉しかった。
 本当に主治医をはじめ、看護士や掃除のおばちゃんに至るまで、本当に本当に感謝している。
 死の恐怖を持って入院したあの日、まさかこんなに色んな人に感謝をして退院できるとは思っていなかった。
 記録の内容はネガティブな内容なものが多いが、そこはどうかご容赦いただきたい。どうにもできない感情を何か形にせずにはいられなかったので、どうしてもネガティブな内容になってしまったのだ。また、所々補足説明を入れているが、これはあくまでも僕の認識であり、読んでいただく方に少しでもわかりやすくしたものにすぎない。したがって、プロの医者から見たら違うことを言っているかもしれないので、そこはあくまでも参考程度に留めといてほしい。

 この病気になって、何冊か本を読んだのだが、なかなか入院治療後の生活を書いてる本というのがなかった。先程も触れたが、移植をして、無事に退院をできたら治療第三章の始まりである。そして、それは場合によって、入院中よりもきつい。
 次の章では、退院後の生活から現在に至るまでを記録も交えて記したいと思う。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

島猫たちのエピソード2025

BIRD
エッセイ・ノンフィクション
「Cat nursery Larimar 」は、ひとりでは生きられない仔猫を預かり、保護者&お世話ボランティア達が協力して育てて里親の元へ送り出す「仔猫の保育所」です。 石垣島は野良猫がとても多い島。 2021年2月22日に設立した保護団体【Cat nursery Larimar(通称ラリマー)】は、自宅では出来ない保護活動を、施設にスペースを借りて頑張るボランティアの集まりです。 「保護して下さい」と言うだけなら、誰にでも出来ます。 でもそれは丸投げで、猫のために何かした内には入りません。 もっと踏み込んで、その猫の医療費やゴハン代などを負担出来る人、譲渡会を手伝える人からの依頼のみ受け付けています。 本作は、ラリマーの保護活動や、石垣島の猫ボランティアについて書いた作品です。 スコア収益は、保護猫たちのゴハンやオヤツの購入に使っています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

新しい家族は保護犬きーちゃん

ゆきむらさり
エッセイ・ノンフィクション
〔あらすじ〕📝🐶初めて保護犬ちゃんを迎え入れる我が家。 過去の哀しい実情のせいで人間不信で怯える保護犬きーちゃん。 初日から試行錯誤の日々と保護犬きーちゃん がもたらす至福の日々。 ◇ ✴️保護犬ちゃん達の過去・現在の実情の記述もあります🐾 ✴️日々の些細な出来事を綴っています。現在進行形のお話となります🐾 ✴️🐶挿絵画像入りです。 ✴️拙いエッセイにもかかわらず、HOTランキングに入れて頂き(2025.7.1、最高位31位)ありがとうございます🙇‍♀️

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...