日常を取り戻せ

ゆとそま

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第五章 自宅療養

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 この章では、退院後から現在に至るまでの生活を、記録を交えながら記したいと思う。
 まずは退院後一発目の記録を記す。


二〇二一年四月二十三日
 退院してこの三日間、食べたい物を食べてきた。
 インスタントラーメン、そば、菓子パン、などなど。まだ食べたい物は腐るほどある。ペペロンチーノとか焼きそばとか焼き肉とか。
 でも、この三日間、食べた物全てにおいて、味が全くしない。妙な酸っぱさだけ後味で残って、肝心の旨味が全く感じられない。
 これって味覚障害?
 こんなに遅れて出てくることあるの?
 それとも鼻詰まりのせい?
 でも、匂いは時々感じるんだよな。
 家にいれるだけで贅沢なのに、あれなんだけど、美味しく食べれないのってすごいストレス。食べる気がなくなる。
 そのせいなのか、シクロスポリンのせいなのか、胃袋が小さくなったからなのか、気持ち悪くなる。
 手もおじいちゃんみたいにシワシワになっちゃったし、缶コーヒーもなかなか開けられないし。
 なかなか現実感が沸きませんな。


 退院したその日のお昼ご飯の話である。午前中に退院をしたので、退院後、一発目の食事だ。食欲はそんなに無かったと記憶しているが、食べたいものが滅茶苦茶あった。中でも時間をかけられずにすぐに作ってもらえそうなのがインスタントラーメンだ。病院ではなく家では多少気持ち悪くても食べられると思っていたので、迷わず妻にインスタントラーメンを作ってもらった。僕は某メーカーの塩ラーメンが大好きだ。
「できたよー。」
と妻が運んでくれた。この時は良い香りが食欲を少し刺激する。あぁ、これこれ、この匂いだ、と嬉しくて涙が出そうになる。期待に胸を膨らませる。もう一度言うが、インスタントラーメンである。有名レストランの高級料理ではない。それでも、一口目を食べる時は、どんな料理よりも期待と喜びで胸がいっぱいになった。
「うまい!!」
思わずそう叫んだ。勢いよくすすった麺を飲み込んだ時、ほのかに塩ラーメンの香りが鼻から抜けたから、正確にはうまい、と勘違いしたのかもしれない。二口目からすぐに違和感に気が付いた。
 味がしない。でも匂いはする。そして、妙な後味がする。でも、気のせいだ、少し鼻が詰まってるからだと言い聞かせて、食べ進める。美味しくない。期待していた物と全然違う。ここで初めて味覚障害というものを意識するようになった。愕然とした。入院中から本当に食べたいものがたくさんあった。でも副作用で食欲が無いし、そもそも病院のメニューで食べたいものなどない。テレビでグルメ番組を見ては、勝手に味を想像して食べた気になっていた。そして、そんな状況から制限はあるものの、好きな物を食べれる状況になった。それなのに、味がしない。妙な後味がする。マジでか、と、心境的にはがっかりを通り越して、絶望に近いものがあった。
 しかし、まだ食べたのは塩ラーメンだけである。もしかしたら、たまたま相性が悪かっただけかもしれない。インスタントなので、何か食品添加物などが邪魔したのかもしれない。そう思って、手作りに近いそばを夕飯は作ってもらった。そばなら出汁の味も割とはっきりした濃い目の味だし、何より病院でうどんを食べた。その時はあまり美味しく食べれなかったけど、今は抗がん剤やってから一ヶ月以上たつし、今さら味覚障害なんて起こらないでしょ、と。少なくともうどんを病院で食べた時よりは、味覚障害も良くなってるでしょう、と。
 そう思って、そばを食べてみたのだが、一口食べてショックを受けた。正直言って、病院で食べたうどんより不味かった。味は全然しない。いや、正確には妙な酸っぱさだけが口に残る。なかなか文字では表現しにくい味なのだが、強いて言うなら、少し傷んだ物を食べた時の味に近いだろうか。本当に美味しくない。むしろ、気持ち悪くなってくる。そりゃそうだ。味的には少し傷んだ物を食べている訳だから、気持ち悪くなって当然である。
 人間というのは欲深い生き物であると、つくづく思い知らされる。退院する前は家で家族と過ごせればそれで良いと思っていたのに、食べ物一つ美味しく食べれないだけで落ち込む。まぁこの時は味覚障害だということもはっきりわからなかったし、いつ治るのか、そもそも治るのかもわからなくて、そういった不安もあったからだろうが。
 唯一の救いは、甘い物はかろうじて味がわかった。だから菓子パンは重宝した。ただ、それも限界がある。ずーっと菓子パンを食べていると、それはそれで気持ち悪くなってくるのだ。まぁ当然だ。
 次第に僕は、食事をとらなくなっていった。


四月二十五日
 ここ数日、ずっと横になっている。
 特に眠っているわけでもないが、一日の半分は目を閉じて過ごしている。
 なーんかすげーかったるい。
 起きてるのがしんどい。
 そして、味覚障害も全く良くならず。これ、治るのかな?
 甘いもの以外は酸っぱく感じるけど、甘いものの食事なんて限られてる。どう頑張ったってしょっぱもんの食事を食べざるを得ない。
 でも、全部酸っぱい。
 チキンも魚もウインナーもコロッケもラーメンもそばもなにもかも。
 もう食事するのが嫌になった。そんなんだから、気持ちも悪い。食欲なし。
 ただ、始末の悪いことに、匂いだけはいい匂いがする。
 もう地獄。
 家で過ごせるのは嬉しいし幸せだけど、元気だった頃の自分とのギャップが激しいな。
 せめて食事だけでも普通にとれるとだいぶ違うんだろうけど、贅沢なのかな。


四月二十七日
 今日は退院後、はじめての通院だった。
 さすがに再入院とかは一発目ではないだろう、と心のなかでは思っていても、ちょっと貧血っぽい症状が気になるところ。
 あとは水分がなかなか取れてない。
 家では二リットル飲むように言われてたけど、実際は一リットル飲めてるかどうか。
 その辺で数値が悪くなんなきゃいいなー、と内心はドキドキ。
 血液検査が終わり、珍しく予約時間前に呼ばれたと思ったら移植コーディネーターさんからだった。最近の事を聞かせてほしいとのことだったので、味覚障害や吐き気、耳のことなどを話した。移植した後の人には多い症状らしい。それは聞いて安心したが、治るまでにも時間がかかるそう。少なくとも月単位でかかるみたい。
 正直、それはマジかーって思った。
 主治医からも同じことを言われた。絶対に治るけど、時間がかかるから気長にいきましょう、と。
 まぁ焦ってもしょうがないしね。
 早くうまいもんをうまい状態で食いたいけどなー。
 肝心の検査結果は、少し腎臓の数値が悪かった。やはり水分摂取が足りてないよう。なかなかね、味覚障害だと水を飲むのも一苦労なんすよ。
 それ以外は肝臓の数値が高かったけど、これは薬の影響。一日でも早く薬を減らしたい。特にシクロスポリン。
それ以外は特に問題なしで一安心。
 毎回外来の度にドキドキしなきゃならないのかと憂鬱になるが、再発はしない気がする。根拠はないけど、そんな気がする。
 この予感、当たってますように。


 この通院で、ようやく味覚障害だということがわかった。治るまでは個人差があるものの、おおよそ三ヶ月程度、少なくとも月単位で時間がかかるとも言われた。その長さはショックだったが、治るという事がわかったので、それは希望になった。
 そして、この日から通院前ドキドキ地獄が幕を開ける。通院の時には血液検査は百パーセントする。あとは症状や状態に応じて様々な検査をするのだが、当然検査をすれば結果が出る。その結果が気になって気になって気になって気になって仕方ないのだ。
 更に怖いのが再発である。検査結果と同じ様なものだが、当然、検査結果が悪ければ、何かしら良くない事が体で起こってる。それがGVHDなのか別の合併症なのか感染症なのか、それはわからないが、その中でも一番最悪なのが再発である。この時はまだ退院したばかりで再発の事はあまり頭に無かったが、後々、この再発の恐怖は僕を物凄く苦しめる。いや、今でも苦しめられている。きっとこの恐怖心は、五年間消える事はないだろう。
 なんともやっかいな病気だ。


五月三日
 この病気になって、初めて嘔吐した。
 治療中ではなく、経過観察中に吐くことになるとは。
 ここ一週間ほど、熱が下がらない。三十八度中盤まで行ってはカロナールを飲み、の繰り返しで、正直ちょっとしんどい。
 それの影響かはわからないが、今日は朝から食欲もなく、気持ち悪かった。
 そーゆー時に無理して食べると吐いてしまうので、食べないようにしているのだが、夜、薬を飲み終わってから猛烈に気持ち悪くなった。
 そして、とりあえず便器に座って二呼吸したところで、そのまま嘔吐。
 立て続けに二回。
 三回目も出そうだったが、吐くときに胃が痛くて、もう吐きたくなかったからとりあえず我慢してみた。
 久しぶりの嘔吐。
 苦しかったわー。
 やっば再入院かな、これは。


 この記録にもあるように、三十八度台の熱が一週間近く続いていた。ただでさえ、味覚障害で食欲が全く無いところにこの発熱で、食事はロクにできず。それも運が悪い事にゴールデンウィークに突入していた。基本的に土日祝日は病院はやっていないため、ずっと我慢していたのだが、さすがに気になったので、土曜日だったが病院に受診の必要性について電話をした。土曜日なので主治医はいなかったのだが、当直の医者が、すぐに病院に来るように、との事だったので、タクシーに乗ってすぐに病院に向かった。
 もう精神的にも肉体的にもボロボロだった。発熱と体力不足でフラフラするし、こんな状態じゃ、また入院だろうな、と絶望感に打ちひしがれていた。
 病院に到着し、診察を受ける。血液内科の医師ではないので、どこか自信が無さそうだったが、どうやら血液検査の結果でも、そこまで異常がみられないらしい。とりあえず、薬出すからそれで次回の血液内科の受診まで様子みてください、と、抗生剤と解熱剤を処方された。
 記録には嘔吐したのは解熱剤のせいのように書いているが、もしかしたら抗生剤のせいかもしれない。入院中にも発疹が出たし、何かと抗生剤とは相性が悪い。
 とにもかくにも、嘔吐は滅茶苦茶苦しかったが、入院せずにはすんだ。


五月七日
 昨日、2回目の通院日だった。
 土曜日に緊急受診してるので、厳密にいえば三回目だが。
 今回のトピックは発熱と嘔吐・吐き気。ほぼそこだけに焦点をおき、受診した。
 まず、発熱。
 ウイルスや細菌感染で臓器がやられてないか、診察開始。今までにやってこなかった診察を色々とやってもらったが、特に問題なし。あと疑わしいのは、髄膜炎、脳炎、サイトメガロウィルスだということだが、おそらく、これはないとのこと。
 そうすると、いよいよGVHDかと思ったが、湿疹も下痢も黄疸もないため、GVHDとも考えづらいとのこと。
 結論、原因不明。
 ただ、移植患者ではこういった原因不明な熱が出ることがあるそう。おそらく二週間ぐらいかかるとのことなので、もう一週間頑張ってみる。
 次に、嘔吐・吐き気だが、これについてはそんなに深刻にならなかった。
 唯一気にしていたのが、食事と水分がとれるか。個人的には熱より辛い時もあるので、もうちょっと何とかしてほしかったなぁーと思った。
 どちらにしても、ここ数日間寝たきりだったので、病院の待ち時間に耐えられるか心配だったが、無事受診ができて良かった。
 しかし、日に日に体調悪くなるなぁ。


 この診察で、少し安心する事ができた。血液内科の専門医に、移植した患者が原因不明の熱を出す事はよくある、と言われたら、そうなんだ、と納得せざるを得ない。それほどの説得力がある。それは、これまで主治医と接してきたからこその要素もでかいが、まずは他の可能性を全部否定してくれて、そのうえで原因不明なら納得がいく。
 改めて、主治医の凄さというか、心強さを思い知る。


五月十二日
 ようやく、原因不明だった熱が下がった!体もだいぶ楽になったが、それと引き換えに得たものもある。
 不眠症です。
 はじめは、腰が痛いだけかと想っていた。でも違う。目を閉じて、五秒ぐらいすると下腹部がムズムズとくすぐったくなるというか、うずく。
 これがかなりうっとおしい。
 ぜんっぜん眠れない。
 ここ三日間、寝付けたのが朝方四時。ある意味、熱よりしんどい。
 ホントに次から次へと。
 イライラしますな。


五月十三日
 今日は通院三回目。

■良くなった症状
・熱が下がった

■悪いところ
・不眠症
・吐き気
・便秘
・味覚障害

 なかでも不眠症と味覚障害はきつい。不眠症は毎朝四時ぐらいまで眠れず。味覚障害は甘いもの以外は酸っぱく感じ、口の中はネバネバと不快な感じ。そのせいか、吐き気もそこそこひどい。とりあえずなんでも良いからカロリーと水分を取れれば良いらしいけど、簡単に言ってくれる。水ですら奇妙な味がすんのに。
 ただ、考えに考え抜いて、シクロスポリンを減量してくれた。これで少しでも吐き気が楽になれば、と。
 すごく患者の事を考えてくれてる先生だと思う。
 このまま何事もなく日々すごせればいいなあ。
 とにかく、味覚障害、なんとかなってくれー!!
 食事の時間が地獄。


 この通院の日に不眠症の相談をしたら、睡眠導入剤を処方してくれた。そしたらなんと不思議な事に、たった一日服用しただけでムズムズするのが治ってしまった。
 今でも不思議に思うが、あれは一体何だったんだろう。後にも先にも、あのムズムズはあれっきりである。
 味覚障害は、まだまだ辛い状態。記録にも書いてあるが、水も変な味がするのだ。水が変な味がすると、薬を飲むのが本当に辛い。しかも、何十錠も飲むのである。そんな中での薬の減量は本当に助かった。本当に、主治医には感謝しかない。


五月十九日
 昨日は通院四回目。
 退院後一ヶ月ということで、診察以外にフォローアップと栄養指導があった。まぁでも、どちらもこれまで言われてきたことの繰り返しだったかな、という印象。
 診察は特に問題なし。
 手の痺れと震えがあったが、抗がん剤と免疫抑制剤の影響とのこと。
 薬って怖いな。
 毛も獣並みに生えてくるし。
 正直、退院後の生活がこんなにしんどいとは思わなかったけど、とりあえず一ヶ月。
 どうか無事、残り五十九ヶ月を過ごさせてください。


 抗がん剤で既に薬の怖さは十分に理解していて、実際に体感もしていたけれど、まだまだ薬には色んな怖さがある。
 まずは手の痺れと震え。痺れはそこまでひどくなかったのだが、震えがひどかった。ブルブルしてしまって、字がまともに書けない状態。これは気になっていたので、薬の影響と聞いて安心すると同時に怖くなった。
 あとは体毛である。これもたしか免疫抑制剤の副作用だったと思うが、体毛が異常な速さで伸びてくる。抗がん剤で一旦はほとんどの体毛が無くなったのだが、これが見る見る復活。眉毛に至っては繋がりそうな状態に。体毛が無くなったのも、異常なほど生えてきたのも、薬の影響。薬はメリットも非常にあるが、安易に使ってはいけない。 
 本当にそう感じた。


五月二十五日
 ただの親バカです。
 ウチの長男、すごくスタイルが良い。姿勢は良いし、手足は長いし、何を着せても似合う。顔も悪くない。
 たぶん、ドラえもんのTシャツをあんなに見事に着こなせるのは、彼だけかと思う。
 将来は芸能界かな?と。モデルからの俳優でジャカジャカ稼いでくれるかな?と。
 そんな事をふと思った。
 それと同時に、俺は彼らの成長をいつまで見ていられるのかな?とも思った。
 今のところ、体調は安定している。ただ、今日、少し変な下痢をして、そんなことを思った。何か体調が一つおかしくなると、よからぬ不安が襲ってくる。
 そして、その不安の妄想は、瞬く間に広がり、無意識に将来の事とかを考えてしまう。
 それが五年間続く。
 長い。
 息子たちが何者になるかはわかりません。
 でも、何者になるかは見届けたい。
 まぁ親なら誰でもそうですけどね。


五月二十七日
 今日は通院五回目だった。
 大雨のせいなのか、いつもは予約時間から一時間ぐらいは遅れるのに、今日は時間ぴったり。毎回こうだと助かるなぁ。
 診察は吐き気がまだ続いてることを相談すると、もう慣れですね、と。
 まぁ今までろくなもん食ってなかったんだから、胃袋が色んなものに慣れるまで我慢しろ、ということだろう。
 血液検査の結果は、白血球、ヘモグロビン、血小板と、全て基準値を下回っていたので、あれ?と思った。特に血小板が基準値以下だったのは退院してからはじめてだったので。
 ただ、白血球もヘモグロビンもこんなもん、と軽く言われました。血小板もダイフェンという薬のせいだと言うので、少し気になりますが信じましょう。
 なんだったかの話の流れで、再発の恐怖をほのめかすことを話したら、治しますよ、と一言。治らない根拠がない、と。
 実に心強いです。惚れそうでした。
 そして、治らないことを考えても暗くなるだけだから、治ることを考えましょう、と言われた。
 月並みのセリフだが、主治医が言うと重みが違う。何となくここのところ不安だったのが、少し楽になった。
 まだまだこういった恐怖と闘っていかなきゃいけないけど、その都度、主治医や関係者に相談して乗り越えたいと思う。
 そして、できるだけ楽しい事を考えて生きていきたい。


五月三十一日
 ものすごーく久しぶりに実家に帰った。
 まぁ正確に言えば、子供らが風邪をひいたので実家に避難したのだが。
 病気になる前は、一人で実家に帰ることはほとんどなかったので、新鮮というか、やはりちょっと寂しい。子供らを連れてきてあげたかった。
 一人だしやることもないので、自分の部屋を見渡してると、色んなものがあるなぁ。自分の歴史というか。
 マンガや小説、CDやDVD、小学生の頃から使ってる物や、学生時代のアルバム。
 全てがこの三十三年間で集めたもの、残したもの。
 たいした物はないけど、もし白血病で死んでたら、これらの物は俺の遺品になってたのかなー、と思うと、なんだか感傷的になってしまった。
 昔、さくらももこさんのエッセイが大好きで集めていた。もちろん本棚に入っているが、さくらももこさんは亡くなったんですよね。それも場所は違えど同じガンで。
 あの頃は新作を楽しみにしていたのに、今では故人。
 時の流れの早さを実感する。


 もし二〇二〇年十一月六日のあの日、白血病になっていなければ、翌日の土曜日に家族で実家に行くつもりだった。それが、病気になり行けなくなった。なので、本当に実家に帰るのは久しぶりだった。数年ぶり。
 実家はマンションだが、二十代の頃に友人とよく語り合ったベンチなどが目に入ってくる。本当に懐かしい。懐かしさと、病気になってしまった悲しさと、なんで俺なんだという悔しさと、もうあの頃のようには戻れないのかなという不安と、色々な感情が入り混じって涙が出そうになった。三十分ぐらい、そこのベンチに一人で座っていた。タバコでも吸いたいものだ。絶対に吸えないけど。
 家に入り、更に懐かしさは増す。夕暮れ時だったため、僕の部屋には西日が射し込む。その日差しが、僕の三十三年間の思い出を照らし出す。何気なく、それらの品物を見渡して見る。記録にも書いた品物がどんどん目に入ってきて、当時の記憶を思い出させる。そしてまた思う。なぜ僕はこんな病気になってしまったのか。この本やCDやDVDを買った当時、こんな病気になるなんて誰が想像しただろうか。悔しい。あの頃に戻りたい。元気な体を取り戻したい。そんな気持ちで胸がいっぱいになる。
 リビングに行くと、子供達がよく遊んでたおもちゃなどがたくさん置いてある。プラレールやアニアやその他諸々。家族で来ていた頃はこれらのおもちゃで賑やかに遊んでいた。両親も楽しそうだった。なんてことのない日常だ。孫を連れて実家に帰る。そんな当たり前だった光景が今はない。今は僕と両親の三人だけ。僕は、それがたまらなく寂しかった。もしかしたら、あの頃の幸せは二度と戻ってこないかもしれない。もっと実家に帰るんだった。孫を連れて行くんだった。
 既に僕の心は悲壮感と後悔でいっぱいだった。


六月三日
 本日は通院日だった。前回同様、そんなに待つこともなく診察に呼ばれた。
 今回は気になる事が二点。
 一つ目が、手の甲に丸いシミのような出来物の跡のようなものが二ヶ所できていること。
 もう一つは、口の中が全体的にピリピリ?チクチク?痛いような違和感があること。
 一つ目のシミのようなものは、痒みや痛みがないこと、他にできてないことから、軽く流された。
 二つ目の口に関しても、軽く流されるかと思ってたら、こちらは意外と嫌な感じで、慢性GVHDの可能性があると。ここまで順調にきていただけに、ちょっとショックだった。
 治療としては、シクロスポリンを増やすか、ステロイドを使うか。ただ、口の中もキレイで、他のGVHDの症状が出てないこと、口の痛み自体はひどくないということから、とりあえずうがいをたくさんして、様子見ということになった。
 シクロスポリン、減らねぇなぁ。
 これを飲むと気持ち悪くなる気がするし、早く止めたいんだけどなぁ。というか、慢性GVHDって治るのかな?
治らないから慢性なんだよね、きっと。
 まぁ症状自体は大したことないけど、治らないってのはなんか嫌だなぁ。
 次の時に先生に聞いてみるか。


六月十日
 今日は通院7回目だった。
 前回口の違和感を伝えたところ、慢性GVHDの可能性を示唆されたからなのか、口腔外科の先生が診てくれた。所見ではGVHDの感じではないと。ただ、念のため、カンジダ症になってないか検査をしてくれた。
 こうやって手厚く検査してくれると非常に助かる。
 手の甲のシミのようなものは、先生の言うとおり、勝手に剥がれていつの間にか薄くなっていた。さすがです。
 で、今日の診察はというと、特に問題なし。
 自分的には白血球の数値が低いのが気になるけど、まぁ移植をしたらこんなもんだと。
 あと、吐き気が強いと言ったら、シクロスポリンがまた減りました!こんな減らし方で良いのかはわからんけど、先生が言うなら良いでしょ!
 来週にはプレバイミスも無くしてくれるそうで、一気に薬が減りそうなのは嬉しい!
 あと、そろそろバスケへの復帰に向けて体を作らないといけないと思っていたので、筋トレやって良いか聞いたらこれもOK!
 ただし、日射しにはやっぱり気を付けなきゃいけないみたいで、そこは来年の夏まで気を付けるように言われた。バスケが室内競技でよかった!
 いよいよ来週は移植後百日のマルクがあってクソ嫌だけど、ようやく百日か、という思いもある。
 どうかなんともありませんように。
 話は変わるが、先日、ボヘミアン・ラプソディという映画を見た。
 四十五歳という若さで亡くなった、ロックバンド、クイーンのフレディ・マーキュリーの半生を描いた物語。
 いやー、色々考えさせられた。
 病気を知っていて、どういう気持ちで伝説のライブを行ったのか。そんなことも考えたが、そんな浅いことではなく、もっと根本的な何かを考えさせられた。
 例えば、人間は産まれた瞬間から死に向かって時間が進むのに、なぜみんな赤ちゃんの誕生を喜ぶのか、とか。
 死ぬのはとても怖い。であれば最初から産まれない方が良いのでは?とか。実際、クイーンの曲の歌詞にもそのような歌詞があった。
 すごくネガティブなことだが、もちろんこれ以外のことも、とにかく色んなことを考えさせられる映画だった。きっと、病気になってなかったら特に何も考えなかっただろう。
 最後に思ったのは、せっかく今生かされていて、どうせその内死ぬのなら、何か小さなことでも良いから伝説を一つでも残したいな、と思った。
 伝説というと大袈裟かな。
 でも、そういう生き方をしたいし、しないと人生もったいない気がする。

 バスケについて。
 何度か書いたが、病気になる前はバスケをやっていて、入院する前の日曜にもやったぐらい。
 そして、プレーヤーとして復帰する事は、この病気を治すうえでの一つの大きなモチベーションになっている。
 とはいえ、入院中、先生に復帰できるかを聞いてみたところ、首を傾げられた。確かにバスケはハードなので、今となってみれば、首を傾げたことがよくわかる。こんな体じゃ十秒ももたない。
 なので、これは俺の挑戦である。
 今の体の状態は、最寄り駅に行く十分程度で足はパンパン、二の腕はぶよぶよで、シャンプーを片手でプッシュすることができない、腹筋も全くなくなりぶよぶよ、持久力はまだわからないが、まぁジョギングをしたら三十秒で歩くでしょう。
 年齢も30台半ば。
 そもそも筋トレすらできるかどうか、筋トレするための筋トレが必要になるかもしれない。
 でも、いつか復帰できたら、そこで一つまた、日常を取り戻せる。
 自分の体を取り戻した自信にも繋がる。
 そして、もしかしたら今後同じ病気になった人の励ましになるかもしれない。
 そう簡単な事ではないでしょう。
 何年かかるかわかりません。
 でも、いつか、復帰したことを記録に残す日が来ることを、心から望んで明日からトレーニングに励みたいと思う。


六月十八日
 昨日は通院八回目だった。
 移植後百日の検査を色々とした。肺のレントゲン、心電図、そしてマルク。
 いつもは血液検査してから診察するまでに一時間~二時間ぐらい待つので、その待ち時間を使って検査をしてもらえたので、いつもより早く感じた。
 いやー、それにしても久々のマルクはやっぱり痛かった。最初の麻酔でいってぇーーーってなるのはいつものことだが、血を抜かれる時に足の先まで痛くなったのは久々で、ちょっと涙目になった。
 まぁでも無事に終わって何より。
 診察自体はいつも通り特に問題なし。個人的には、尿酸値とLDHが基準値より高かったのが気になる。発症した時もこの二つの数値と白血球が異常に高かったので。
 とにかく、来週にマルクの結果が出るので、また一つ山となりそうです。
 どうか、何事もありませんように。


六月十九日
 最近よく考えることがある。
 それは、『今を生きる』ということである。
 ネットの記事で、難病に罹患して余命宣告された方が、今を生きなさいという言葉で救われたそうで、なんと病気が治ったそう。
 また、色々なアーティストの歌にも今を生きろ的な事を歌ってる曲がある。
 たしかに言ってる事はわかる。
 過去をどんなに羨んでも戻れるわけがないし、未来の事を考えてもどうなるかなんてわからない。まぁ単純に言えば、今を生きる事しかできないんですよ。
 でも、今を生きるってなんでしょう。
 病気になるまでは考えもしなかった。きっと、こんなこと考えてる人はそんなにいないだろう。
 でも、死に至る病気になって、まだ治らない可能性もある現状で、生きてる今を大事にしなきゃもったいないと思った。
 やりたいこともある。でも、今の体の状態じゃできないことばかりで、結局やりたいことはできない。ってことは、それができるようになるために、体を回復させることが今を生きるということなのだろうか。今は本当にグータラしていて、外に出るのは散歩か病院の時のみ。某ウイルスの影響もあるが、友人とも会わず、会話をするのは家族だけ。
 家族と会話できるだけでも幸せ。
 本当に入院している時の事を考えれば、本当に幸せ。
 でも、なんかもったいない気がしてしまう。やりたいこともまだ何一つできていなくて、もしまた万が一の事があったら、と考えると、すごく時間をムダにしてる気がしてきてしまう。
 でも、結局は体がダメなので軽い筋トレぐらいしかできず、あとはグータラ。
 いやー、今を生きるって難しいなー。


 この頃から僕は日々過ごしていく事に焦りや苛立ちや不安を感じるようになる。
 たしかに今生きてはいるし、味覚障害もこの頃から落ち着いてきた気がする。
 ただ、できる事が本当に限られていた。記録にもあるように、外出は通院か散歩ぐらい。それ以外は家の中にいる。まぁ自宅療養なのだから当然かもしれないが、もしこの間に取り返しのつかない事態に体がなってしまったら、つまり、再発や重いGVHDが発症したら、僕は何のために辛い治療をして家に帰ってきたのか。
 僕は日常を取り戻したいんだ。平日は仕事に行って、土日はバスケをして飲みに行って、家族でお出かけをする。それが僕の日常で、それを取り戻したいんだ。決して家でグータラしたいわけじゃない。
 と、思ってた。そして言うことの聞かない体に焦り、苛つき、不安になっていた。


六月二十五日
 昨日は通院の日だった。
 前回やった骨髄検査の結果がわかるとの事だったので、ドキドキだったが、とりあえず診察の前に栄養指導があったため、採血を済ませたらそちらへ。
 筋肉量やその他諸々の簡単なデータを見ながら指導してくれるのだが、この一ヶ月で体重が五キロ増えた。これでもまだ本調子じゃないので、調子が良くなったらどうなるんだろうと心配ではあるが、まぁとりあえず増えてたので良かった。
 ただ、残念なことに増えたのは体脂肪で、筋肉量はあまり増えていなかった。散歩したり筋トレしたりしてるけど、病気になる前の自分や、他の健康な人に比べたら、圧倒的に運動量が少ないんだろうな。
 次回は九月の予定なので、できる限り平均値によせていきたいと思う。
 さて、問題の血液内科の診察。
 一回のマルクで三種類の検査に出したらしい。
 まずは採血の詳細版みたいな検査。芽球が〇,六パーセント。健康な人でも一パーセント前後あり、これが五パーセント越えると再発となるそう。とりあえず一安心。
 次に、ドナー細胞と俺の細胞の比率。俺の細胞が五パーセント未満、ということまでは教えてくれたが、具体的に何パーセントかは教えてくれなかった。というか、これがイマイチ理解できないんだけど、なんで前処置で俺の細胞を破壊してるはずなのにまだ俺の細胞が残ってるんだろ。
 最後に、白血病細胞がシンプルにあるかないかを調べる遺伝子検査。これはまだ結果が出てないとのことで、来週に持ち越し。またドキドキしなきゃダメじゃん。
 まぁとりあえず、採血の結果も問題なかったので、よしとしましょう。
 シクロスポリンも減ったし、生クリームも解禁になったし。
 酒はさすがにもっと薬が減ってからじゃなきゃダメらしい。早くビール飲みてー!


六月二十八日
 なーんかここのところ、何もやる気がしない。
 つい先日、バスケへの復帰の目標をたてたばかりなのに、連日ボーッとしている。今日もボーッとしてて、気づいたらこんな時間。全然腹減らねぇ。
昨日は久々に散歩に出て、スタバのテラス席に一時間ぐらいボーッと座っていた。意外と気持ちよかったので日課にしようと思ったけど、さっそく今日は家でグダグダ。
 なんでこんなにやる気が出ないか不明だが、一つだけ気づいたのは、やっぱり病気する前の体に戻るのは無理なのかもしれない。
 少なくとも、もうタバコは吸えなくなった。病気する前はタバコを吸っていた。タバコは百害あって一利なし、とよく言われるし、ここ数年で、喫煙者はまるで犯罪者みたいな社会の風潮があるけれど、タバコを吸う人からしたら、メリットはある。というかメリットがあるから吸うんですけどね。
 例えば、リラックスしてる時、緊張してる時、一息つきたいとき、食後、などなど、様々な場面において、喫煙者からすればタバコは必須アイテムになる。まさに、昨日のスタバでの状況がその状況だった。あの状況でタバコを吸わない選択肢は喫煙者ではありえない。
 でも、もう二度と、どんな場面であってもタバコを吸うことはできないんだなー、と思うと、なんか、すごいストレスを感じる。
 あとはバスケです。
 最近、ようやく十分ぐらいの最寄り駅に休憩なしで歩いていけるようになった。体力がついてきてるのは確か。でも、やりたいのはバスケなんです。走りっぱなしのスポーツなんです。体を押し合い圧し合いするスポーツなんです。
 骨髄移植してから百日が過ぎて、ようやく十分歩けるようになった。これは経過が順調なのかどうかは別にして、バスケができるようになるまで、あと何年かかるの?と思ってしまう。
 チームはただのサークルなので、いつ潰れてもおかしくない。僕自身も、復帰に向けてトレーニングをつんでも、再発するかもしれない。
 そう考えると、復帰なんてほぼゼロに近い可能性なんじゃないかと思えてくる。
 これらの事を考えると、やっぱり元には戻らんよなー、と思ってしまい、なんか色々めんどくさくなってボーッとしてるような気がする。
 やってみなけりゃわからないので、もちろんトレーニングは続けるが、新しい生きがいを見つけなきゃいけないかもしれなき。
 生きがいなんてそんな簡単に見つかるんですかね。


七月一日
 今日は通院だった。
 記念?すべき十回目の通院。このまま通院だけ続き、卒業したいものだ。てか、そうなってください。
 さて、今日は先々週にやったマルクの遺伝子検査が出る日だった。
 診察室に入ると、いつもはにこやかな先生が割とマジな顔で『では1番大事な検査の結果ですけど』と切り出してきて、ちょっとビビったが、結果は異常なしだった。よかった。
 あとはここ二、三日気持ち悪くて食事がなかなかとれなかったが、それはコーヒーをがぶ飲みしたから、ということになり、特段薬などはなかった。
 血液検査も特に問題なし。ただ、やはり個人的にはLDHが高めなのが気になる。
 あと、以前口の中が全体的に痛かったのだが、最近は舌の痛みが強くなってきたので、その事を言ったのだが、こちらも特に異常はなしとのことで様子見。
 まぁ結果的にはいつもと同じ感じで、順調ということで何よりです。
 さて、ここのところ、精神的に落ちていた。
 骨髄検査の結果が気になっていたこともありますが、テレビを見ていても『この人達は俺より歳上なのに元気で良いな』とか、『一年半後のサッカーワールドカップは生きて見ることできるのかな』とか、ニュースを見ては『なんでこんなクズが元気で俺が病気になるんだ』とか。
 昨日も柔道家の古賀さんのドキュメンタリーがやっていて、ガンで亡くなられた方なのでなんとなく見ていた。お子さんも出演されていたが、自分が病気になるまでは、お子さんの立場というか、お子さんに感情移入していたと思う。でも、古賀さんに感情移入していた。子供に何を残すか。最後までどう生きるか。
 それに気づいた時、結構凹んだ。何かと自分の病気に結びつけては勝手に凹んでいる。
 せっかく生きてるのに病気の事を考えてばかりいては時間のムダだということは、百も承知だが、なかなか割り切れるものでもない。
 いつになったら割り切れるのか、病気を受け入れて生きていく事ができるのか、できるだけ早く前向きに生きていきたい。
 とりあえず、百日目の骨髄検査という一山を越えられてよかった。
 あと山はいくつあるんだかなぁ。


 古賀さんのドキュメンタリーを見た時の事はよく覚えている。記録にも書いてあるが、もし病気になってない状態で見ていたら、子供の方に感情移入していたか、もしくは特に何も感じなかっただろう。それが、見れば見るほど古賀さんに感情移入していく。自分を重ねている。死ぬまでに子供に何を残せるか。これからどう生きていくか。古賀さんは最後まで柔道家として生きた。僕はどう生きる?
 おかしな話である。治療は順調と言われたばかりなのに、なぜこんな事を考えるのか。やはり、それが白血病という病気の重さなんだと思う。生きてはいるものの、今までの自分とは全く違う自分になってしまう。そして、いつまで生きれるかわからないのも、まぎれもない事実。その事を親に話しした時、自分達だっていつ死ぬかわからないから一緒だよ、と言っていた。
 言いたい事はわかる。励まそうとしてくれているのもわかる。でも違うんだよ。一緒じゃないんだよ。両親は六十台とはいえ、まだいつ死ぬかわからない。調べようもない。ただ、僕は調べられる。あくまで確率の話だが、「白血病 生存率」と検索すれば、リアルな数字が出てくるのだ。
 検索すると出てくる生存率。検索しても出てこない生存率。たしかにどっちもいつ死ぬかはわからない。でも、やっぱりそれは一緒ではない、と僕は思っていた。


七月八日
 今日は通院日だった。
 実は月曜日から子供が風邪をひいたので、実家に避難していた。
 それだけではないのだが、ここのところ何をやってもうまくいかなき。正直、しょっちゅうイライラしている。ホントに些細なことなんだけど。
 で、今日病院に行ったら、なんと主治医が急遽お休みとのこと。
 固まりました。
 あの先生だから信用できるのに。あの先生だから診察受けたいと思えるのに。
 そうは言っても先生だって人間だからしょうがない。代わりに診察してくれるのも、この病院の血液内科で二番目に偉い先生だ。過度にガッカリすることもないか、と思い、いざ診察へ。
 結果は、ガッカリでした。
 血液検査の結果は問題なし。それはこの先生でもわかるんでしょう。ただ、それ以外はマジで適当。最近、下半身が痺れる、特に首を動かしたりした時、と訴えたら
『あー、それは頚椎のことだから整形外科だね。場合によっては手術とかかな』と。
 え?なんか軽くね?つーか、適当すぎじゃね?合ってるのかもしれないけど。
 あと、食事のことで質問したときも
『私は主治医じゃないから良いとも悪いとも言えないです。主治医と判断違ったら怒られちゃうから。おっかなびっくり食べてみたら?』だと。
 は?何言ってんのこいつ。
 主治医がいねーのはそっちの都合だろうが。こっちだってオメーなんかに聞きたかねーけどしょーがねーじゃん。なんのために代わりに診察してんだよ。検査の数字見て薬処方するだけなら診察なんて必要ないわ。結果だけよこせ。おっかなびっくり食ってみて、体調崩したら責任とれよ?
 案の定、いつもの主治医はやる口の中の診察や、体の動きに異変はないかの検査みたいなことはやってくれず、淡々と終わった。
 これで二番目に偉いのかよ。笑っちゃうわ。
 で、先ほど。自分の家に帰って来た直後に、風邪が長男に移ったと連絡がありました。
 なーんかうまくいかねーなー。
 またイライラしてきたわくそったれが。


七月十六日
 昨日は通院だった。
 前回主治医不在で、代替医師がロクでもないやつだったので、また不在だったら困るなー、と思ってましたが、今回はいてくれた!やはりいてくれると安心感が全然違う。せっかくなので、前回気になってた下半身の痺れについて、相談してみた。
 結論から言うと、原因はわからず。
 でも、そこに至るまでが全然違うんです。
 前回の代替医師は、書いた通りで特に詳しい説明もなく、整形外科に診てもらって場合によっては手術、とばっさりだった。ただ主治医の場合は、しっかりと話を聞いてくれる。足の先まで痺れるのか、どのぐらいの時間痺れるのか、首をどう動かした時に痺れるのか。そして、首が原因で出る痺れは手だと。足が痺れる原因になるのは腰だということも教えてくれた。
 また、場合によっては手術って言われてビビってるんですけど、と話をすると、まぁもちろんなきにしもあらずではあるが、ないと思いますよ、と。
 結果的には原因不明で様子見ということになったが、全然良い。いや、もちろん原因がわかるに越したことはないけど、ちゃんと説明をしてくれる。それだけでも患者の安心感は違う。
 代替医師と主治医の言ってることがどちらが正しいのかはわからないが、どうせわからないなら手術などと安易にビビらせないで、安心感がほしい。
 ホントに良い主治医に恵まれたな、と思った。
 で、通院の期間も二週間に一回に延びた。
 最近、ちょっとお腹の調子が悪いけど、このまま順調に完治してください!!


 退院してからは、週に一回通院していた。某ウイルスが怖いので、電車ではなくタクシーで通院していた。タクシー代は約八千円。往復で約一万六千円である。これが毎週はきつい。
 そういう意味でも二週間に一回になったのは嬉しい。


七月二十四日
 薬はお薬ケースを買って、曜日ごとに朝・昼・晩と、きちんと分けて飲み忘れのないようにしている。
 ところが、やっちまいました。
 昨日はオリンピックの開会式だった。基本的にオリンピックは某ウイルスが怖いので、不安材料ではあるが、やはり放送されれば観てしまう。スポーツが好きだし、病気になってからはスポーツができていないせいもあり、より胸が熱くなる。
 ただ、世間から批判されてるのも事実。そして、開会式直前の相次ぐ辞任劇。本来、開会式は競技ではないので興味なかったが、そこまでグダグダになってる状況で、果たしてどんな開会式になるのか、と逆に興味がわいてしまった。
 開会式は午後八時から。そう。俺が免疫抑制剤を飲んでる時間。
 いつもは薬を飲んでから風呂に入るのだが、昨日は開会式があるので、七時過ぎには風呂に入ってた。
 これが良くなかった。
 で、今日の昼ごはんの時。
 なぜか『金曜夜』と書かれた薬ケースがテーブルの上に。一瞬、完全に頭がフリーズしました。で、やっちまったー!!!と。
 とりあえず、昼飯を速攻で食べ終えて、病院へ電話。こういう時に限っていつも土日。
 なんでなんでしょうね。体調崩すのも土日。子供が熱出すのも土日。
 もう病院の休みは水・木あたりに変えてくれないかな。
 当然、主治医は不在なので、宿直の先生が変わりに対応してくれた。
 朝は薬を飲んでいるので、今から飲むことはできないと、とりあえず何か症状が出てないなら様子見で、とのことなので一安心したが、さっきお風呂に入ったら左腕にポツリと出来物が。あと、なんか気持ち悪い。
 ホントに大丈夫かな。
 まぁ今さらどうしようもないけれど。
 紫外線対策もそうだけど、退院してからもめんどくせー病気だなぁ。特に夏が好きなので、紫外線対策はめんどくさくてしょうがない。今まで日焼け止めなんて塗ったことないし、気にもしたことないけど塗らなきゃいけないし。しかも日焼け止め塗ると、塗ったところがゾンビみたいな肌の色になるから、いかにも病人です、みたいな感じがしてホントにやだ。
 早く自由になりたいな。


 免疫抑制剤は朝の八時、夜の八時と決まった時間に飲まなければならない。そうしないと血中濃度がどうのこうので、よろしくないらしい。すみません、詳しくはわからないけど、とにかくよろしくないらしい。
 この免疫抑制剤は辛かった。飲む時間が決められているのもそうだし、錠数が多いから飲むのも辛いし、飲んだら飲んだで気持ち悪くなるし、体の免疫力が下がるから色んな制限があるし。


七月二十九日
 今日は通院日だった。
 いつもは妻が付き添ってくれるのだが、妻の職場で某ウイルスのクラスターが発生したため、今日は一人で行った。
 これもまた微妙な話で、職場でしかも同じフロアで何人も陽性者が出ているのに、妻は濃厚接触者にはならない。一応、自費で検査してもらったが、こういう場合はどうしたら良いんだろう。本来ならさっさと保健所が来て、色々と対応したり指示したりするんだろうけど、ボンクラ自治体なので保健所も全然来ず。
 さて、診察自体はいつもと変わらず。
 顔に痒みが出てるのが、軽いGVHDかもしれないとのことで、とりあえず保湿しときましょう、と。
 あとは胸にたまに痛みがあるというのは、筋肉痛かな?ということで軽く流された。
 某ウイルスに関しては、感染したら良くないんだろうな、とはなんとなく思っていたけど、正確には聞いたことなかったので、せっかくだから聞いてみた。僕が某ウイルスに感染したらやばいですか?と聞いたのだが、正直、まぁあまり良くないよね~、ぐらいな回答かと思っていた。
 ところが即答で『超やばいです。ホントにかなりやばくて、血液疾患を患ってる人は死亡率が高くなるのは確立されてます。』と。
 ちょっと予想外のリアクションでショック。
 どこか某ウイルスを軽視していた感は否めないが、ここまで信頼している主治医に言われると一気に某ウイルスが怖くなった。
 そうなると、もう家に帰ってもピリピリしてしまうし、感染者数にも敏感になる。
 政府の対応には前々からイライラしていたが、オリンピックが始まってから競技のニュースばかりで某ウイルス関連のニュースをあまりやらなくなった報道番組にも苛立ちがある。
 そして何よりも腹が立つのが、政府がやりたい放題やってるからと緊急事態宣言中にも関わらず、言うことを聞かない連中。
 百歩譲って飲食店は仕方ないと思う。ただ、在宅ができるのにやらない企業はなんで?路上で酒飲んでバカ騒ぎしてるやつはなんなの?
 結局、そんなことをやってても政府にダメージはなく、自分達が感染するだけなのがわからないのかな?
 おそらく、そこまでバカじゃないと思うので、結局は感染しても大したことないだろうという考えがあるんでしょう。特に若者は。そして、おそらく政府もそう。テレビのコメンテーターもそう。
 最近では重傷者や死者の人数に目を向けろと。裏を返せば新規感染しても若けりゃ大したことないんだから、もう新規感染者の数に一喜一憂するなと。
 ただ、俺みたいな人もいるのです。感染したら死がちらつく人もいるんです。風邪症状だけじゃすまない人もいるんです。ワクチンは免疫抑制剤を飲んでるので打てません。
 政府に楯突いて、遊びまくるのも大いに結構。もとはといえば、政府が国民の怒りをかうようなことばっかりしてるんだから。
 ただ、高齢者だけが危険なわけじゃないことは知ってほしい。
 若くたって感染したら死んでしまうかもしれない人は中にはいるんですよ。
 幸い、妻は陰性だったが、また週明けから出勤するまた怯えて過ごす日々が始まる。
 なぜそこまでして出勤しなきゃいけない?なぜ在宅じゃなきゃダメなの?ホントに理解できない。
 人流止めたきゃ電車を全部止めろよ。
 ほぼ愚痴みたいになったが、要は某ウイルスの怖さを改めて思い知らされたという話。
 あと、薬でスプリセルが処方された。抗がん剤です。
 これを二年飲み続けなきゃならないと言われたので、それもまたショックだったのだが、そんなもんですかね?
再発防止とのことだが。
 いずれにしても、今日の通院は、精神的に疲れる通院だった。


七月三十日
 久々に体調が悪い。
 気持ち悪くて夕飯が食べれないということは度々あったけど、今日の感じは久々。
 朝は元気だった。
 九時過ぎぐらいに妻がスタバでソイラテを買ってきてくれて、それを飲んだらなんとなく気持ち悪くなってきた。
で、なんか眠かったんだけど、お昼ご飯を買いがてら買い物に行ったのですが、ここまでは元気だった。少し気持ち悪かったけど。
 お昼に冷製パスタとおにぎりとデザートを食べたのですが、こっから体調が悪くなり始めた。
 まずは立て続けに下痢。数時間ずっとお腹がゴロゴロしてた。同時に気持ち悪くもなってきた。
 そこから頭痛がしてきて、腰が痛くなってきて、まさに熱が出そうな感じ。計ったら三十七度前半の微熱はあるものの、それ以上は上がらず。
 冷房がやたら寒かった。
 さっきまでは動く度に『しんど~』って呟いていてけど、カロナールを飲んで少し楽になった。
 いやー、久々にしんどいなぁ。
 原因はなんだろう。スプリセルの副作用?免疫抑制剤の減量のせい?まさか某ウイルス?考えたくないけど再発?
 今朝までなんともなかったことを考えると、スプリセルか免疫抑制剤減量だと思うんだけどな。
 明日からまた土日か。
 なんでまたこのタイミングで体調崩すかなぁ。


 夏になって気付いたことがある。
 それは、「体温調節が下手になったこと」と「汗をかかなくなったこと」である。
 昔は夏の冷房設定温度は二十四度。昔というか、病気になる前。環境や電気代的には良くないが、それでもそのぐらいの温度に設定しないと暑くてしょうがなかった。それがこの病気になり、治療を受けてからは、夏なのに寒くて仕方がない。冷房の設定温度は二十八度。僕以外の家族は暑がっているが、僕はこれでも寒い。特に風呂上がりは水滴が体についていて、ガタガタと震えるぐらい寒かった。
 汗については本当にかかなくなってしまった。病気以前はどちらかといえば汗っかきの部類に入るぐらいで、よく汗をかいていた。それが、外を歩いても全然汗をかかないのだ。よく高齢者が熱中症になりやすいというが、それと全く同じ感じな気がする。汗をかかない。汗をかかないから体温調節ができない。体温調節ができないから熱が体にこもる。結果、熱中症になる。記録にあった体調不良はもしかしたら熱中症だったのかもしれない。
 いずれにしても、夏が大好きなのに、夏が恐怖の季節になってしまった。


八月十二日
 今日は通院だった。
 二週間に一回の通院になったので、色々な症状を限られた時間の中で伝えなきゃいけないので大変だが、主治医は嫌な顔一つせず聞いてくれるので、本当にありがたい。これで何事もなく完治する事ができたら、もう本当に神様みたいな人。ぜひとも神様になっていただきたい。
 さて、今の症状としては
・おでこにぶつぶつが出来ててかゆい
 赤く広がったりしていないので、たしかにぶつぶつはできてるけど特に何か治療しなきゃいけないほどじゃない、とのこと。
・胸が時々苦しくなる
 某ウイルスのニュースのせいにしときましょう、と。まぁ咳も出てないし、歩いてて息切れすることもないので、大丈夫なんでしょう。血中酸素飽和濃度?も100%だったし。
・お腹の調子が安定しない
 特にスルー。
 他に食事などはどうか聞かれた。
 やっぱりちゃんと診察してくれてる気がして、本当に安心感がある。
 血液検査の結果はヘモグロビンが一桁台になったのが気になるが、他は問題なし。内蔵系の数値もガンマー以外は全て基準値内。
 早いとこヘモグロビンが上がってきてほしいなー。
 あとはこちらから質問したこと。
・子供と風呂に入っても平気か?
 問題なし。余談だが、おしっこって無菌らしい。なので、湯船で子供におしっこされても、嫌な気持ちになるだけらしい。ちなみに、うんちは菌がいるので、注意が必要みたい。
・どこまで運動して良いのか
 極論、運動制限はないそう。例えばバスケとかやっても平気か?と聞いたら、激しい運動をする事でGVHDを引き起こしたりすることはないとのことだったので、結論はやっても良いとのことだったが、体力的にかなり落ちてると思うから、その辺は自分の体と相談してとのこと。
 まぁ今は夏だし、三階昇るだけで息上がるし、某ウイルス怖いしで、復帰はまだまだだと自分では思ってるけど、少し希望が持てました。
 某ウイルスうぜー。
 なので、さっそく、今日は長男と風呂に入った。実は長男から、『先生に一緒にお風呂入れるか聞いてきてね!』と言われていた。なので、普段はYouTubeを見てるとなかなか風呂に入りたがらない長男だが、風呂行こうと誘った時のあの嬉しそうな顔は忘れられない。YouTubeもそっちのけで、一緒に風呂に入った。
 やっぱり我慢してたんだな、と思った。
 風呂の中でも1人でずっと喋ってて、嬉しがってるのが手に取るようにわかった。たかが風呂で遊園地並にはしゃいでいた。
 少し気持ち悪くなったが、一緒に風呂に入れて良かった。
 病気になってから、きっと風呂以外にも我慢してることがあると思う。
 そういった我慢を一つずつ解放していってあげたいと思う。
 正直、ここ数日は気分的にも優れず、①某ウイルスのワクチン打って副反応で死ぬか、②ワクチン打たずに某ウイルスに感染して死ぬか、③白血病で死ぬか、など、すげーネガティブなことばかり考えていた。
 毎日毎日某ウイルスと再発に怯えながら生きるよりも、自死を選ぶ方が楽なんじゃないか、と考えることもあった。
 でも、やっぱりまだ死ぬわけにはいかないと、今日の長男を見て思った。
 もちろん、自分もまだまだやりたいことがある。
 ネガティブな事を考えることもあるけど、やはり生きていたい。
 そう思った。


八月十九日
 昨日は僕の誕生日だった。無事、三十四歳になることができた。
 あの日、白血病が見つからず、そのまま放置していたら、今ごろはこの世にいないんだろうな、と思う。なので、この誕生日は感慨深いものになるだろうなー、と思っていたら、そんなでもなかった。
 誕生日ケーキは妻が北海道のLeTAOのケーキを注文していてくれた。あそこのケーキ、マジでうまいです!たぶん、一番好きかも。
 午前中のウチに冷凍で届くとのことなので、どこにも出掛けず一人で動画を見ながら留守番。妻と子供は仕事と保育園。
 ケーキが届いたので、昼飯を買いがてら外へ。軽く散歩でもしようと思ったけど、暑いのと某ウイルスが怖いのですぐに帰ってた。
 昼飯を食べ終え、バイキングの某ウイルス対策批判を見ていると、誕生日プレゼントのエアロバイクが到着。
めっちゃでっかい段ボールに入ってて、十分ぐらい玄関で立ち往生。組み立て式だったので、仕方ないから玄関で開けて分散して部屋に入れた。
 そこからは約二時間かけて組み立て。昔からだけど、こーゆー組み立て式の物って、絶対にどっかしらうまくいかない部分があって腹立つよね。まぁこぐのに影響ないから良いけどさ。
 そうこうしてるウチに夕方になってしまったので、とりあえず、エアロバイクをこぎます。音楽を聞きながらこいでると、ちょっと楽しい。ただ、ケツが痛くなるのと結構しんどいので、やれて三十分かな?何か効果は出てくるだろうか。
 で、妻と子供らが帰ってきて、夕飯とケーキを食べて誕生日終了。
 結構、淡々とあっさりと終わっちまいました。
 せめて、風呂では一人でこの三十四年間を振り返ろうかと思ったけど、特に何も思い浮かばず。
 散歩したり音楽聞いたりしてると、過去の事とか思い出とかに浸れるんだけどね、やろうとするとなかなかできないもんです。
 ただ、間違いなく言えるのは生きててよかったな、ってこと。
 某ウイルスもあるし、好きなこともできないので、生きてるのちょーーたのしーーー!!!とはなってないけど、それでもやっぱり生きててよかった。
 まだまだ治療中の身で何があるかはわからないけど、一日でも長く生きていたいと思った。


八月二十七日
 昨日は通院十五回目だった。この日はなんだか朝からついてなかった。
 まずは長男が滅多にぐずらないのにグズグズ。
 誰も遊んでくれないから保育園に行きたくない、と。でも、妻が迎えに行くと、迎えに来るのが早い!!と怒るらしい。どっちだよ。
 なかなか朝ごはんも食べずにうだうだしてるのを見かねて妻が説得してましたが、この手の話は難しいですね。子供の言うことをどれだけ信用したら良いのか。本当に見極めが難しい。
 結局、プールに入ることを目的にしぶしぶ保育園に行った。
 ただ、この時点でいつもの病院に行く時間よりも少し遅れてる。急いで妻に戻ってきてもらい、タクシー配車アプリを使ってタクシーを呼んだら、五秒で来た。おかしくね?いつもならどんなに早くても三分はかかるのに。
 そしたら、問い詰めてもいないのに、運転手自らペラペラ自供し始めた。
 今までも何回か我々を乗せた事があるらしく、毎週木曜日のこの時間帯にタクシーを呼ぶ、というのが推測されたので、家の前で待ち伏せしてたそう。
 これ、非常に不愉快。百歩譲って配車してからすぐ来てくれるのは良いとして、家の前で待ち伏せしてるってストーカーじゃん。しかも待ち伏せしてるくせに配車料金はしっかりとるし。で、こっちはガン患者なのにめちゃタバコくせーし。
 おまけに、昨日はなぜかめちゃ渋滞にはまった。渋滞にはまってるのにガンガンタクシーのメーターが上がるのってすげー腹立つ。
 タクシーからしたらその時間は拘束されてんだから金払えよ!って主張なのかもしれないけど、こっちからすりゃ十メートルも進んでねぇのに金とんじゃねーよ!って思う。で、中には渋滞にはまるとメーター止めてくれる良心的なドライバーさんもいるんですよ。ただ、昨日の待ち伏せドライバーはフルでガッツリ料金をとっていった。
 別にヒドイ事をされたわけではないけど、なんかモヤモヤと不愉快だったので、タクシー会社に電話した。そしたら、やはり待ち伏せ行為はタクシー業界でもタブーらしい。
 そりゃそうだよね。次また同じタクシーが来たら乗車拒否する。
 で、肝心の診察ですが、まずは血液検査が痛い!!これまでで一番痛かったかも。もう皮膚に針を刺してから血管にブスっとさしてグリグリしてるのがわかる。いてーいてー。
 診察自体は特に問題なし。
 ヘモグロビンがなかなか上がらないなぁ。なんでだろう。
 そして、次回の診察は三週間後ですが、移植をして半年を迎えます。
 なので、マルクやるそう。
 まじかー。てっきり一年後かと思ってた。めっちゃ油断してたわ。
 マルク自体ももちろん痛いからいやなんだけど、結果を聞くまですごい不安なのがホントにイヤだ。もうホントに何の問題もないことを祈るばかり。
 そしてもうひとつ。
 なんとなく某ウイルスワクチンのこと聞いてみたら、打って良いよ、と。
 少なくとも免疫抑制剤飲んでる間はストップかかるかと思ってたので、予想外。
 ワクチン。打って良いのか。
 感染するよりは絶対に良いのだろうけど、やはり副反応の不安は拭いきれない。ネットニュースだけど、1000人ぐらい亡くなってるじゃん。
 でも、感染したら死亡率上がるとも言われてるし、先生は打った方が良いって言ってるし、もう考えててもしょうがねぇ、と思って個人病院に電話したら二十九日まで夏休み。他にもネットで色々調べてみたけど、どこも予約でいっぱい。
 うーん、どうせ打たなきゃいけないし、嫌なことだからさっさと終らしたいんだけどなぁ。
 抗がん剤とワクチンどっちがきついかなぁ。
 モヤモヤはしばらく続きそうです。


九月四日
 ここのところ、体調悪い。食欲がない。ご飯が全然食べれない。
 お腹の調子も下痢ほどまではいかないけど、安定していない。
 熱も常に微熱があり、体がおもだるい。
 頭も重たくて、ひどくなると頭痛がしてくる。
 胸も時々苦しい。脈が跳ねてる??って感じる時もある。
 これね、この症状自体はそれほど、なんです。いや、食欲ないのとか、普通に気持ち悪いんで辛いんですけどね、まぁ吐かなきゃ良いし。
 問題なのはこれに付随してくる思考の方なんです。ついに某ウイルスに感染したか?重篤なGVHDか?再発か?
この思考が常に頭をぐるぐるよぎる。
 それにプラスして、ワクチン接種。こんな色々な症状が出てる中でワクチンなんて打ってホントに大丈夫なのか?
副反応と相まって地獄の苦しみになるんじゃないのか。
 などなど、色々考えてしまう。
 特に某ウイルス感染と再発。
 この二つに関しては死に直結するので、結構精神的なダメージがでかい。
 もうね、疲れます。
 残念ながら再発してしまったり、某ウイルスに感染してしまったり、俺よりも苦しくて辛い思いをしてる人もいるだろうけど、でも、疲れる。それは事実。
 まずはマルク。次にワクチン。次から次へと訪れるギャンブルに何回勝てば良いんだろうか。
 俺が死ぬときは何が原因で死ぬんだろ。
 もっと呑気に楽観的に生きれたら楽なのに。
 疲れる。


九月十七日
 昨日は通院日だった。
 恐怖連発シリーズ第一弾のマルクの日。
 ただでさえ憂鬱なのに、昨日はなぜかやたら混んでいた。血液検査も三十分待ち。
 こちとら早いとこマルクやって落ち着きたいんだけどな~。
 でも、昨日は移植後半年ということでメニューが山盛り。
 血液検査が終わると、栄養指導に呼び出されたが、まだ他の検査やってない。そのこのを栄養士に言うと先に検査受けてきてくれ、とのこと。ただ、マルクは呼び出しがあるからそれまでは待ってて、と。
 で、まずは肺のレントゲン。これは全く問題なし。
 次に心電図。これも全く問題なし。
 再度栄養指導へ。栄養指導が始まった瞬間、呼び出しベルがなる。いよいよマルクきたか!?と思ったら、栄養士がこっち優先にして、と。
 いやー、マルクのことで頭いっぱいで、栄養指導されても頭に全く入ってこないよ?ってなことで、栄養指導のことは全然記憶にない。やたら体脂肪率が高くなってた気がするけど。
 さぁ、栄養指導も終わり、いよいよか、と待ち構えていると呼び出しベルがなる。でも、今度は看護師さんによる移植後のフォローアップ。
 おいー、だから今何話されても頭に入ってこねーっつーの。
 結局、歩く距離を延ばしましょうとか、そんな感じで終わった気がする。てか、まだ俺の体力なんてそんなもんなんだ。
 そして、そのまま診察へ。
 結局マルクは最後かよ。
 診察も正直あんま覚えていない。とりあえず問題はなかった。免疫抑制がラストスパートって感じかな。
さぁ、そしていよいよマルク。
 緊張で血圧爆上がり。上は百七十、下は百ぐらい。ベットにうつ伏せに。うつ伏せって怖いよね。何されてるか見えないって怖い。もう何回もやってるから、何されるかはわかるんだけどね。
 そして先生登場。まず麻酔。これは痛い。なんならこれが一番痛い。そして注射器挿入。なんか骨をキリみたいに穴空けてるのわかるわー。そして、三、二、一、で、キューーーっと血を引き抜かれるんだけど、これ、いってー。
 これで大体五分ぐらいだけど、とてつもなく疲れる五分。
 とりあえず、無事終了。
 まぁホントに怖いのはこの結果なんだけどね。
 さて、今日は第二弾の某ウイルスワクチンです。
 やだなー。こえーなー。


九月十九日
 金曜日に某ウイルスワクチンの一回目を接種してきた。
 集団接種は何となく嫌だったので、個人病院で接種した。
 その病院は風邪をひいたりした時に行ってた病院だったが、正直医者の態度が上から目線すぎて嫌いな病院だ。
 以前、子供からの風邪をしょっちゅう貰っていた時に、医者から「体調崩しすぎじゃない?一歳の子供がかかるような風邪になんで大人がかかるの」と苦笑いされたことがあった。
 いや、知らねーよ。
 つーか、別にこっちだって貰いたくて貰ってるわけじゃねーよ。
 ホントに医者ってやつは上からのやつが多いな、と改めて思わされた。
 ただ、この病院は複数人の医者がいて、そんなふざけたことを言った医者は辞めてたっぽかったので、あまり気乗りはしませんがここで接種を受ける事に決めた。
 で、当日。
 予約の時間は午後二時半だったので、午前中は妻の車の運転の付き添い。この時は全く緊張してなく、むしろワクチンのことを忘れてたぐらい。だが十二時を超えてからめちゃめちゃ緊張してきた。時間が経つのが遅い遅い。バイキングの内容がぜんっぜん頭に入ってこない。十分に一回おしっこに行くけど、まぁ出るわ出るわ。もう我慢できなくなり、午後二時には家を出てしまった。病院までは徒歩五分。途中、階段があるので緊張も相まってめっちゃ息が上がった。それを整えていざ病院へ。
 受付をスムーズにこなし、診察室に呼ばれたのは予約時間より全然前。待ち時間が緊張するから、ありがたい。
診察してくれたのは、はじめましての院長先生。色々聞かれたけど、ぶっちゃけ滑舌悪くて何言ってるかわからなかった。
 でも、1つだけ聞き取れた事があった。
「今、血液のガンは治るからね。頑張って」
 なんか、すごい嬉しかったです。
 専門医でもないだろうし、はじめましてなのでかかりつけ医というわけでもない。ワクチンを打つ前の流しみたいなもんなんだろうに、こういう言葉をかけてくれる。
 院長になるぐらいなんだから、腕もあるんだと思う。でも、やっぱり上にいく人って、こういう人なんだなと、改めて思った。
 先に記載したクソ医者に聞かしてやりたい。
 そんなほっこりした気持ちで注射をされたが、まぁ怖いものは怖かった。ただね、当然だけど、こっちが緊張してようがびびってようが、お構いなしでブスリとやってくれちゃいますよ。痛みはまぁまぁだけど、あ~、ワクチンが体に入ってく~、って感じだった。
 副反応は、幸い、アナフィラキシーは出ず、なかなか腕も痛くならず、だった。あれ?もしかして何も出ない?効いてない?と不安になるぐらい。
 でも、接種した日の夜から徐々に腕が痛くなり、体がダルくなりだした。その日はその程度で就寝。
 翌日は、腕の痛みが少し悪化してましたが、肩まで上がんないってほどでもなく。体のダルさもそこまでひどくはなかったが、吐き気があった。まぁそれもそこまでひどいものではなかったけど、あんまり食べたくない感じ。で、このまま治るのかなー、と思ってたら、夕方ぐらいからダルさが再燃。この辺りが一番きつかったかな。
 そのままご飯食べて寝ようと思ったけど、気持ち悪くなり。
 結局、ダルさと吐き気で少し苦しんだ。
 そして今日。
 腕の痛みは八割解消。ダルさもほぼなし、散歩できるレベル。気持ち悪さだけ少しある気がするけど、これは散歩行ったからかな?という状況。
 問題の二回目がまだ残っているので安心できないが、とりあえず一回目のピークは超えたかなと。
 さて、次はマルクの結果を聞かなきゃ。
 まだまだ緊張する日々は続くぜバカ野郎。


九月二十六日
 ここ数日、相当メンタルがやられている。理由は再発の恐怖。
 きっかけは些細な事だった。よく読んでいたブログの著者の方が再発された、との記事を拝見し、怖くなっていたとこへ、長男に激怒したこと。
 激怒したのも大した理由じゃない。たまたま長男が楽しみにしてたポケモンが、特番で放送されなかったので、長男が狂ったように大号泣し始めた。
 最初は妻がなだめていたのだが、どんどん長男がヒートアップしていくのに我慢の限界がきてブチ切れた、というもの。
 とりあえず泣き声がうるさかったので、寝室に放り込んでドアを閉めた。そうすると、長男は「一人ぼっちだ!ずーっと一人ぼっちだ!」とまた狂ったように叫んでました。
 この言葉の本当の意味はわからない。単に寝室に放り込まれて一人ぼっちだ、と言っているのか、俺が入院した事で寂しい思いをさせた結果、そう感じているのか。
 ただ、その言葉がやたらと俺の胸に突き刺さり、腹が立った。
 近くにあったおもちゃを寝室のドアに投げつけ、おもちゃは壊れ、ドアには穴は空き、もう最悪。
 その後の罪悪感は言うまでもない。
 ただ、そこから気持ちが全然戻ってこない。
 子供とも妻とも会話をする気になれない。目も合わせたくない。
 その事をきっかけに、何とか誤魔化しおさえこんでた再発への不安が一気に溢れてきている感じ。今のところだが、俺は再発したら再治療をする気はない。というか、あの治療をもう一度、というのは耐えられない。
 それはすなわち死ぬことを選択するということになると思う。
 まぁもちろん、まだ再発したわけでもないし、再発の仕方とか、色々あるんだろうけど、今まで色々見てきた中で、治療をしなければ年単位では生きられないと思う。何ヶ月生きれるかはわからないが、まぁ来年というのはないでしょう。
 結局、自分の中で、自分の病気とまだ完全に向き合えていないんだと思う。
 先日、職場に提出する診断書に「再発しなければ長期生存の可能性あり」と記載されてるのを見た。
 これを見て、とても自分のことを書かれてるとは思えなかった。実験をされてるネズミのことかと思った。
 でも、ここに書かれていることはまぎれもなく自分の事で、受け入れなければならない。
 さらに言うなら、再発したら治療を選ばないのなら、死ぬことも受け入れなければならない。
 死ぬ、となった時に、一番の心残りはやはり大切な人との別れである。それを踏まえて、今後、自分の大切な人とどう付き合って行くのか、を考えないといけない。
 それと同時に、再発という恐怖、死という恐怖と戦っていかなければならない。
 ホントにこの世に未練なんてなければ何も怖くないんですけどね。
 まだまだ自分との闘いには決着がつきそうにありません。
 ホント、なんでこんなこと考えなきゃならんのだか。


九月三十日
 今日は通院だった。
 言い方は変だが、マルクの結果を聞かされる、待ちに待った日である。
 頭に悪い結果の事が浮かんでは、大丈夫大丈夫とかき消してきたが、今日でそれもしばらくおさらば。
 さて、メニューは至ってシンプルで血液検査と血液内科の診察だけ。なぜか今日はめっちゃ空いていた。いつもは血液検査だけで二十~三十分待つのに、今日は五分程度。そして、いつもは五本ぐらい血液を取るのに、今日は三本。お?なんかいい感じ。
 検査技師の方も、いやー絶対あなた痛いじゃん、って風貌だったけど、全然痛くない。なかなかついてる!
 血液検査がそんだけ早く終わったもんなので、診察も早く始まった。午前十時半予約だったけど、十時過ぎには呼ばれた。もうこの時はドキドキで気が狂いそう。
 主治医の声色、表情はいつもと変わらず。そして、最近はどうですか?と診察が始まる。てか、最初にマルクの結果言われると思ってたから、頭の中で整理してなかった。とりあえず、思い当たる腹痛・下痢の症状と顔と胸の痒みを伝える。両方とも問題ないね、と。
 うん、ぶっちゃけ、体の症状は今はそんなに気にしてない。はよ確信に触れてください。
 そして、あ、そーいや前回マルクやったんですね~、と。
 きたきたきた。
 まずは芽球が何パーセントあるかの検査。よかった!〇,二%だ!
 次に、遺伝子検査。これが一番精密な検査です、と。
 ん?どうなんだ?
 主治医はパソコンの画面をこちらに向けて見えますか?と。え?どこ?あ!!検出されず、って書いてある!!よかった~。
 ということで、全く問題なしです。と、主治医。
 いやー、ホントに良かった。もちろん、マルクだけで良くない結果になるわけじゃないけど、ホントになぜか今回の結果は怖かった。ホントに嬉しい。
 そして、免疫抑制剤がゼロになった。それに伴い、ダイフェン、アシクロビル、フルコナゾールもなくなった。
 つまり、白血病関連で飲む薬はスプリセルだけという事になった。
 ただ、やはりそういった予防薬を無くすことで病気になるリスクがあるみたい。特に帯状疱疹は三人に一人がなっているので、無理しないで気をつけて、と言われた。
 さらに、免疫抑制剤がなくなったということで、食べ物制限もなくなった!お酒も少しずつならオッケー!元々そんなに飲まないので、肝臓的には大丈夫かな?って気がしてます!
 ここ数日の鬱鬱とした感じが一気に晴れた気分。
 調子にのって、お昼にセブンイレブンの大盛りペペロンチーノを食べたらモタれて気持ち悪い。
 でも、本当に嬉しい。
 これからも、どんどん良くなっていきますように。
 さて、次は来週の某ウイルスワクチン二回目です。


 お薬の話を少し。
 免疫抑制剤を飲んでいると免疫力が低下するため、様々な感染症に感染するリスクがある。
 それは、人から人に感染する感染症もそうだが、それ以外のカビやほこりなどからも発症し、肺炎などを起こす事がある。それらを予防するために、大量の薬を飲む。
 僕の場合は、抗がん剤に加えて免疫抑制剤、そして予防薬を数種類、場合によって胃薬や抗不安薬などを服用していたので、相当な量の薬を飲んでいた。
 そのため、肝臓に負担がかかる事からアルコールは禁止されていて、腎臓についても注視されていた。
 免疫抑制剤を飲まなくて良くなったことにより、様々な薬を飲まなくて良くなった。さらに、食事制限の緩和、アルコールの解禁など、良い事だらけだが、良い事だけではない。もしかしたらの話だが、この予防薬のおかげで今までは風邪らしい風邪は一度もひかなかったし、帯状疱疹などの病気にもならなかったのかな?と思っている。案の定、この後すぐに風邪をひくことになる。


十月十一日
 先週の金曜日に某ウイルスワクチンの二回目を打ってきた。
 やはり打つ前は死ぬほど緊張。色々ネットで検索。これ、悪い癖ですね。頭でっかちになるだけなのに。案の定、二回目のが副反応しんどい、って情報しか入ってこず。中でも一番マジか、ってなった情報は、接種後直後に起こる浮遊感と吐き気。この浮遊感ってのがすっげー苦手。すぐに気持ち悪くなる。
 しかも、残念なことに、大丈夫だろうと思って真夜中の二時にサッカーのワールドカップ予選見ちゃっていて。そしたら、予想以上に体調悪くて。まだ打ってないのに、緊張と寝不足からか、めまいとか頭痛とか色々不快な症状が。しかも日本負けるしよー!
 直前までブッチしようか迷っていたが、さすがにそれは迷惑極まりないのと、打たないとやばいとは思ってたので気合い入れて病院に行った。
 接種前の体温測定。あれ?三十七度三分ある。そーいや、二・三日前から咳が出るな。これダメなんじゃね?問診ではじかれるんじゃね?と、淡い期待を抱いていたが、接種は可能と。ただし、二回目だし体調も絶好調ってわけでもなさそうだから、副反応が少し強く出るかもね、と。
 1番最悪なパターンじゃん…
 サッカー見なきゃよかったー!
 そんなこんなで注射終了。浮遊感は出てこなかったけど、ちょっと気持ち悪いかな?って感じが打った直後はした。で、腕も一回目よりもズーンと重い感じ。
 夕飯は軽めにしたけど、コーラをがぶ飲みしてしまった。これが良くなかったのか、速攻で下痢。
 一回目のワクチンもそうだったけど、吐き気と下痢がある。やっぱ消化器弱いのかな。
 今日で接種から三日目になる。
 大体の人が翌日が一番辛くて翌々日にはほとんどの症状が軽快と情報があったが、俺はそんなことはない。
今ある症状は
・腕がまだ痛い
・下痢
・吐き気
・倦怠感
である。
 どれも症状的には重くはないが、不快なレベルの症状。
 少なくとも接種前日は昼飯にパスタとピザを食べるぐらいの食欲だったのが、そんな物は絶対に食べたくない感じ。
 やっぱ、結局人それぞれなんだなって、すごい思う。熱も出なくて重い方じゃなかったと思うが、ダラダラと長引く感じ。ネットで調べてもこのような情報はなかった。
 まだ咳が止まらないのと、胸が時々ピリッと痛くなるのが気になるな。
 何事もなく元気になることを祈るばかり。


十月十四日
 今日は通院日だった。
 前回の通院日から今日までの間、色々な体調不良が出てきたので、待ち遠しくもあり、少し怖くもあった。
体調不良としては
・十日ほど前から咳が出て、徐々に悪化していき、今では鼻水、くしゃみも出るようになった。
・某ウイルスのワクチンを接種したその日の夜から下痢と吐き気が始まり、下痢は昨日あたりから良くなりつつも、吐き気は微妙にまだ治ってない。
・顔と胸のあたりが痒くて、気がつくとポリポリかいている。
・左手首付近にパーっと発赤が出現したが一日で消えた。
である。
 ただし、子供も咳が出たり止まったりをここのところ繰り返しており、奥さんも風邪をひいている。この条件であれば、風邪症状は子供からの貰い物、下痢・吐き気はワクチンの副反応、と自己判断するところ。健康体であれば、だが。
 やはり白血病の治療中であると、この程度の症状でも気になってしまう。
 白血病が原因による症状ではないか?GVHDではないか?このまま放置してて肺炎とかにならないか?
 キリがない。
 これもまた、この病気の厄介なとこだと改めて思い知らされる。
 さて、診察。
 まず、風邪症状について。子供が風邪ひいたら、まずはお母さんに、そして巡り巡って最後にはお父さんに回ってきますよ、と。健康体の人でも子供の風邪はもらうものです、と。
 まぁ明確には言っていなかったが、子供から貰った、ただの風邪だから気にすんな、ってことだと解釈している。
 次に下痢・吐き気について。一週間は長いですね~。以上。まぁ問題ないんだろう。
 痒みと手首の発赤について。少なくともGVHDではない。たぶん何かのアレルギーとかだと思うけど、原因は不明。気にしなくていいやつだと思うので、気にしないようにしましょう、と。
 気にしないように頑張ります。
 血液検査の結果は、まだヘモグロビンが基準値以下だが、これは仕方ないみたい。
 そして、肝臓の数値が高く、もしかしたら慢性GVHDかもと。でも気にしないで良いらしい。
 気にしなさすぎじゃね?笑
 とりあえず、いつも通り問題なしでホッとした。
 そして、処方されてた安定剤や胃薬も、本来通ってたクリニックで処方してもらってくださいということになった。
 あと、今後のワクチンの計画として、取り急ぎインフルエンザワクチンを接種し、社会復帰をする前には肺炎球菌ワクチンを接種するようにしていきましょうと、移植後フォローアップで看護師さんと話をした。
 確実に、できることが増えている。でもやらなきゃいけないこと、健康体であればやる必要がないこともたくさんある。
 いつも思うのだが、今って治療はどのぐらい進んでるんだろう。
 発症が〇で治癒が百だとしたら、今はどの辺なんだろう。
 ゴールはいつくるんだろう。
 順調にいってる事の嬉しさ反面、そういった疑問というか、漠然とした不安もよぎる。
 とにかく、順調にこれからもいきますように。
 目の前のことを一つ一つクリアしていきたいと思う。


十月二十二日
 今日は、白血病になる前から定期的に通院していたクリニックに行ってきた。
 ここのクリニックでは、四半期ごとに血液検査を行い、体の状態を診てくれるのだが、振り返れば約一年前。
ちょうどこの頃にやった血液検査で白血球の異常数値が認められ、白血病の早期発見に至った。ある意味、トラウマのクリニックでもあり、命の恩人のクリニックでもある。
 電話で予約をいれた際に血液検査をやると言われたので、またこの時期にかぁ、とすごく憂鬱だった。こればっかりは祈るしかない。
 そんな憂鬱な気分のまま、これまた約一年ぶりに、電車に乗った。
 白血病の外来はタクシーで行ってたので、ホントに一年前の十一月六日以来の電車。
 昨日までは楽しみにしていたのだが、いざ改札をくぐってみると、なんかめっちゃ緊張してきた。で、平日の日中だったのに意外と人がいるんですよね。某ウイルスの事もあって人がいない場所にばかり行っていたので、ホームの人の多さにちょっとビビってしまった。
 緊張がほぐれる間もなく電車が来てしまい、ちょっとためらったが乗る事にした。
 残念ながら座ることはできず、扉付近で立っていたのだが、他の乗客が平気で近寄ってくる。まぁ電車なんで当然の事だし仕方ないのだが、正直こっちからすると、半径二メートル以内には近寄らないでほしい。
 もう完全に人間恐怖症。人間というよりは、感染症恐怖症なのかな。
 で、一年ぶりに電車に乗って思ったのは、そんなに思ってたほど懐かしくなかった。気分的には毎日乗ってるのと変わらない。もうちょっと懐かしさとかあるかなーと思ってたけど。
 でも、めちゃくちゃ疲れました。時間にしたら約三時間程度の外出だったのだが、帰ってきたらもうグッタリ。疲れすぎたのかなんなのかわからないけど、昼飯も食べてる途中で気持ち悪くなった。
 そして、そのままソファーで動けなくなり一時間ほど眠ってしまった。
 こんなに疲れるんですね、電車って。
 そして、体力戻ってきたかなーって思ってたけど、全然だ。
 社会復帰まで、まだまだ長い道のりである。


十月二十八日
 今日は通院だった。
 ここ三週間ぐらい、咳が止まらない。一昨日に近所の内科で診てもらったが、良くなる気配が今のところない。 
 ということで、急遽レントゲンを撮った。一昨日の内科でもレントゲンを撮ったのだが、まぁもう一度見てもらってもいいだろうと思い、撮ることにした。
 結果は何の問題もなし。
 より強い咳止めがあるらしいが、それは麻薬みたいで、どうするか聞かれた。一昨日内科で貰った薬を飲み続けても良いし、麻薬の咳止めに切り替えても良い、と。
 個人的には、一昨日内科で貰った薬を飲み続けても治らなかったら麻薬の咳止めにしたかったので、とりあえずもらえますか?と聞いたら、それはできない、と。
 一応、医療用とはいえ麻薬なのでお守り代わりみたいな感じでは出せない、と。
 うーん。言ってる事はわかるし、間違ってもいないんだろうけどね。別にお守り代わりにしようとは思ってないし、治らなきゃ実際使いたいわけだから、そこは柔軟に出してくれても良いんじゃない?って思ってしまった。きっと、そんなレベルの話じゃないんだろうが。
 あと、吐き気止めも二種類出してもらってたのだが、これもどちらか一種類はやめてしまいましょう、と、半ば強制的にストップさせられた。
 まぁ俺は吐き気に対してすごく敏感だから、わりとすぐに吐き気止めを飲んじゃうので、悪い癖だな、と思ってはいたので、ある意味よかったのかもしれないが、ちょっと、うーん、って感じだった。
 血液検査は問題なかったのだが、炎症の値が少し高かった。
 それは咳のせいか?と聞いたところ、おそらくそうだろうけど、熱が出てなきゃ気にする数値じゃない。熱が出てると嫌なんだけどね、とのこと。どう嫌なんだろう。
 そして、次回の診察で呼吸器の検査をすることになった。
 レントゲンではわからないような肺炎やGVHDがたまにあるそう。
 そーいや、免疫抑制剤を辞めてから割とすぐに咳が出始めたなぁと、不安になる。
 てか、呼吸器の検査って結構辛いんだよなー。
 まぁ咳に関しては治れば問題なしとのことだが、麻薬の件だったり、GVHDだったり、次回の検査だったり、なんだか今回の診察はモヤモヤが残る診察になった。
 でも、ダメなものはダメと、ビシッと言ってくれる先生のが良いのかな?
 とりあえず、咳が治まる事を願います。


十一月二日
 ここ一ヶ月、咳が止まらない。
 なんとなーく続いてて、夜寝る前になると激しくなる。
 そんな中、町医者に対して本当に困った。
 そもそも咳が出始めたのは十月六日のこと。某ウイルスのワクチンを十月八日に接種したのでよく覚えている。そこから徐々に悪化していき、十月十四日に血液内科の外来だったので、ついでに咳止めを処方してもらった。その薬のおかげで一時落ち着いたのだが、また咳が出始めたので十月二十六日に近所の内科Aを受診した。
 知らなかったのだが、現在は某ウイルスの影響で、咳や発熱などの症状がある場合は発熱外来という扱いになり、時間などを指定されてしまうらしい。十月二十八日に血液内科の外来の日だったので、咳の事を相談すると麻薬に分類されるほど強い咳止めがあるがどうするかと聞かれたが、とりあえず内科Aで処方された薬で様子を見ることにした。
 しかし、咳は一向に良くならなかったので、昨日再度内科Aを受診する事にした。
 朝の九時に電話をし、発熱外来の扱いになるので十二時十五分に来いと言われた。で、いざ指定時間に行くと、医者は診察室に入るなり、「咳がだいぶ長引いてるから呼吸器内科に行った方が良いと思いますよ」と。
 こっちが呆気にとられるてると続けて「状況から見て喘息を疑うけど、ウチは呼吸器内科じゃないから。喘息の薬で良ければ出すけどどうする?」と。
 確かに呼吸器内科とは書いていない。
 でもね、診療可能疾患に喘息って書いてあんのよ。もしかして、薬だけは出せますよってこと?
 てか、だったら九時に電話した時に引き受けんなよ。そこで呼吸器内科行けって言ってくれたらムダに午前中過ごさなくても良かったじゃん。
 つーか、どうする?とか言われても知らねーよ。こっちは素人なんだからこっちに聞くんじゃねーよ。と、フツフツと怒りが湧いてきた。
 じゃあいいです、と言ってさっさと内科Aを出た。金を取られてないのが唯一の救いである。
 そして急いで呼吸器内科Aへ電話。しかし、残念ながら十二時を過ぎていたのでお昼休みに入ってしまっていた。
 これはこっちの都合ですが、白血病になって以来、病院が怖い。また何か大きな病気なんじゃないだろうか、と、白血病を告げられた日の記憶が鮮明にフラッシュバックする。
 今回も1ヶ月続く咳。普通じゃないのは自分でもなんとなくわかる。
 だからこそ、早く確定診断してほしい。
 そんな心境で待つ午後三時までの間は、本当にしんどかった。つくづく内科Aに腹が立ちました。昼飯も食える心境じゃない。
 そして、午後三時になって速攻で呼吸器内科Aに電話。咳の期間、熱が三十七度二分、基礎疾患で白血病、など情報を伝え、ようやく検査してもらえる、と安堵していた。
 そしたらまさかの返答が。
「三十七度以上の熱がある場合は、レントゲンや喘息などの検査は全てできません。某ウイルスかそうでないか、のみの診察になります」と。
 いやいや、俺が診てもらいたいのは今の微熱の事じゃなくて、一ヶ月続く咳のことを診てもらいたいんだけど。で、内科Aでは喘息の疑いがあって、呼吸器内科であるおたくを教えてもらったんだけど、検査してもらえないんですか?と聞いたところ、「そうですね、三十七度以上あると検査はできないですね」と。
 一気に頭に血が昇ってくるのがわかりました。
 一ヶ月続く咳よりも、三十七度二分の微熱を優先するのか?てか、症状でてから九日たってPCR検査やっても意味ないってホームページに書いてあるけど?つーか、平熱が結構高めだし、スプリセル飲んでるから三十七度以上熱があることなんてザラなんだけど。
 しかし、何を言ってもできませんの一点張り。
 じゃあもういいやと思って、もう1件だけある呼吸器内科Bに連絡した。
 そしたら時間指定こそあれど、検査も必要に応じてやってくれるとのこと。
 よかったー、と思ってたら頭がクラクラしてきた。熱をはかったら三十七度六分。結果的に、呼吸器内科Aの判断は間違ってなかったんですかね。
 で、呼吸器内科Bに行った。
 ここは医者が高圧的な態度で結構ムカつく。でもしょうがない。案の定、ムカムカしながら診察を受けて、おでこにやる体温計で熱をはかられると三十八度二分。そこから完全に路線は熱に対する診察に。喉を見られたときに医者が「うわ!なんだこれ」と。
 なんだよ。わかんねーよ。
 で、なんだこれ、の内容には触れず、今白血球どれぐらいあんの?と。八千ぐらいこの前の検査でありました、と答えると、それは良いの?と。
 は?質問の意味がわかりません。
 とりあえず基準値内です、と答えると、ボソッと再発してなきゃ良いけどなぁ…と。
 これが、すっっっっっっごい頭に残った。
 診察の結果は、感染症に感染してるっぽいので、今出てる咳とこれまで出てた咳は分けて考えた方が良いと。結局、なんの検査もなく、抗生剤と咳止めだけ処方されて終わり。そして、熱が続くようなら血液内科に連絡して、と言われた。
 白血病の専門医でもないし、血液検査をしたわけでもないので、そんな訳ない、わかるわけないとは思っていても、プロの医者から「再発」という言葉が出た以上、正直、気になって不安で仕方がない。
 いらぬこともどんどん考えてしまい、結局、昨日は夕飯も食べれなかった。
 夜も咳は出るし不安で色々な事を考えるしで、夜中の二時過ぎまで眠れず、今朝も朝ご飯はロクに口に入らず。
 もう気持ち的にもボロボロで、咳は辛いしで、どうしたら良いかわからなかったのだが、妻に血液内科に電話してみたら?と言われ、熱は下がっていたのだが、電話をしてみた。
 そしたら、主治医が電話に出てくれて、そんなこと医者に言われたら不安になりますよね、でも、再発じゃねぇっす。と笑い飛ばしてくれた。
 熱の原因もわからず、咳も止まった訳ではないけど、この言葉を聞いて、どれだけホッとしたことか。
 電話を切った後、しばらく震えが止まらなかった。そらだけ再発が怖かった。
 結局、咳の原因はわからない。
 正直、この後どうしたら良いのかもわからない。
 そして、この先もこういう事があるのかと思うと、憂鬱でならない。
 ただ今回感じたのは、某ウイルスのせいで病院も受診しずらくなっているのと、あとは医者の言葉の重さ。
 病院はもっと柔軟に対応してほしい。
 今はほとんど某ウイルスが出てないのに、いつまで某ウイルスモードになってるのか。
 そして、あなた方医者の言葉で、患者にどれだけ影響があるのかを自覚してほしい。
 今回のように、不用意に発した「再発」という言葉で俺がどんな気持ちになったか。そして、再発ではないという言葉でどれだけ救われたか。
 医者は単語一つで人を絶望させることも救うこともできるって事を自覚してほしい。


 この騒動は、本当に医者によって全然違うんだなということがわかった。正直、医者の腕が良いとか悪いとかはわからない。だから、まずはこちらも医者の人間性を見る。なので、人間性に問題を感じると診察も信用できなくなる。ましてこっちは大病を治療中である。それをたらい回しにしたり、平気で再発などを口にしたりするのは、人間性を疑うと同時に町医者のレベルの低さを感じる。
 また、白血病はやはり特殊な病気なのか、白血病の治療中である事を伝えると、物凄く構えられる。それ自体は良いのだが、診察自体も敬遠気味に感じる。二言目には、何かあったら血液内科に相談して、と。いやいや、あんた治す気あんのか、と。たしかに余計な患者ですよ、白血病抱えてる患者なんて。そりゃ僕だって全て診てもらえるなら血液内科で診てもらいたいですよ。でも、そうはいかないから仕方なくあなたを頼ってる。
 医者は病気を診るのが仕事ではある。それは間違いない。でも、それと同じぐらい、人の事も見てほしい。少なくとも、血液内科の主治医は、病気の事も僕の事も見てくれている。それが本当の名医ではないか、と勝手ながらに思っている。
 なお、この騒動はあくまでも僕が行った町医者のお話であり、町医者そのものを否定するものではないので誤解されないようにお願いしたい。


十一月六日
 一年前の今日、白血病だと診断された。今の時間ならちょうど告知されたぐらいの時間かな?告知された時は怖くて悲しくて不安で、パニックになった。そして、家に帰れずに即入院と言われ、絶望的になった。
 子供達に会いたくて、保育園で別れたときになんでもっとちゃんとお別れしなかったんだろう、と後悔をし、とにかく帰りたくて帰りたくて泣きじゃくった。
 後に主治医が言っていたが、その時は白血球の数値だけ異常で、それ以外は基準値内の数値だったので、家に帰すことも不可能ではなかったのだが、恐らく、自殺するのを防いだのでしょう。とてもじゃないが、帰すわけにはいかなかったそうである。
 その絶望的な気持ちのまま、様々な治療を受け、色々な体調不良を経て、今日に至る。
 あの時、治療を始めてなければ、今頃この世にはいないだろう。
 本当に大変な1年だった。
 そして、人生が変わった日だった。
 今の体調は、咳がようやく落ち着いてきたと思ったら、今度はヘルペスになった。
 免疫抑制剤が終わったのに、抗ウィルス薬も終わっちゃったせいか、次から次に体調不良が起こる。
 でも、こんなのなんてことない。
 病院に行ってもその日のウチに家に帰れる。
 命にかかわる病気じゃない。
 もう、あんな思いは二度としたくない。
 まだ色々な不安が頭をよぎるし、病気になる前の自分とは程遠い。そもそも、元通りに戻れるかどうかも不明。
 でも、一年一年生きていき、十一月六日を気が付いたら通り過ぎるぐらいまで、生き抜きていきたい。
 お願いですから、このまま順調にいきますように。


十一月九日
 一日をふり返った時に、あー、今日は何もしなかったな、っていう日をできるだけ少なくしたい。なんでも良いから、一つでもこれやったっていうのを作りたい。
 それは、ある医療ドラマを見ていてそう思った。この前は恋空を見てめっちゃブルーになったばかりなのに、また医療系のドラマを見るなんてつくづくバカだと思うが。
 なので、外は土砂降りの雨でしたが、髪の毛を切りに行ってきた。
 三月に抗がん剤をやり、そこから脱毛が始まり、最終的にはスキンヘッドにまでなって、それから髪の毛はまったくいじってなかったのだが、気が付いたらモジャモジャに。
 なぜか前髪だけなかなか伸びてこず、副作用で脱毛した人特有のクリンクリンの髪の毛が前髪以外は伸びてきていて、正直気持ち悪かった。鏡を見るたび病気の事を思い出すし。
 で、とりあえず伸びてこない前髪に合わせて周りもバッサリ切ってもらったらさっぱり!
 出来映えを美容師が確認してきたのだが、一瞬、頭頂部が禿げてたような。家に帰って見てみると、やっぱ薄くなってる。
 これは抗がん剤のせいかな?またはえてくるよね?
 ちょっとショックだったけど、思った以上にさっぱりしたので、まぁいっか。
 とりあえず、髪の毛切れてよかった。


十一月十一日
 今日は通院日だった。
 ここのところ、体調不良の連続だった。
 長引く咳、ヘルペス発症、リンパの痛み、食欲などなど。
 そして、咳の件でクリニックに行ったときに医者からあびせられた「再発」という言葉。電話で血液内科の主治医から否定され、安心は少ししたものの、体調不良も相まってとても不安な二週間を過ごした。
 で、今日のメニューにいつもの診察に加えて呼吸機能検査があった。
 これ、結構キツイ。僕は苦手。
 口いっぱいにホースみたいなのを頬張って、鼻栓をされた時には軽くパニックになる。そっからの吐いてだの吸ってだの、かなり酸欠になる。
 検査が終わった頃にはグッタリだった。
 診察を待ってる間は緊張しっぱなしだった。頭では再発はない、とわかっていても、どうしても気になって怖くて仕方なかった。
 いざ診察。
 結論から言うと、再発などは全くなく、順調だった。本当によかった。
 呼吸機能検査も問題なく、むしろ、移植前よりも数値は良かったらしい。タバコをやめたのも、その一因かもしれないと言われると、やはりタバコは体に悪いんだなーと思った。まだ時々吸いたくなるが。
 採血の結果は、ヘモグロビンが相変わらず基準値以下だったが、まぁ問題なし。
 あとはガンマーが二百オーバーだったが、まぁこちらも今のところ何も言われず。
 そして、今までは答えが怖くて聞いてなかったのだが、再発の兆候について聞いてみた。答えによってはやぶ蛇になるだけなので、本当に悩んだ。ただ、これから風邪も流行るし、なんなら昨日から風邪っぽいし、血液内科以外の病院に行く機会が増えると思う。その度に不安になるのも疲れるし、心ない一言を医者から言われることもあるし、せっかく生かしてもらったのに、再発に怯えて毎日を暮らすのは本当に時間がもったいないと思ったので聞いてみた。
 で、答えですが、やっぱり再発の兆候を自分で見極めるのは難しいそう。
 やっぱりかー、と思ったが、他にも色々と話をしていただいた。
 中でも響いたのが、「再発させるつもりはありません」と自信満々に言ってくれたこと。
 この言葉が何よりも不安を取り除いてくれた。
 やはり、医者の言葉は重い。
 本当に、この主治医に診ていただいてるのは、不幸中の幸いだと思う。この先生に治せないのなら、もう仕方ないとすら思えてくる。
 ただ、やはり基本は自分の精神力が基本。
 誰になんと言われようが、どんな症状が出ようが、自分が気にしなければ気にならない。不安になる度に主治医に相談なんてしていられない。もっと精神的に強くならなければいけないと、本当に思った。
 次回から三週間おきの診察になった。間隔が延びた嬉しさ反面、不安もある。
 でも、できる限り、この三週間を病気の事は考えずに過ごしていきたいと思う。


十月十二日
 今日、約五年ぶりぐらいに親友と会った。
 ゴ年前ぐらいにとある事でケンカをして、それ以来絶縁状態だったのだが、皮肉にも白血病をきっかけに頻繁に連絡をとるようになり、退院したら会おうとずっと思っていて、ようやく、今日それが叶った。
 家族と病院関係以外で人に会うのは彼が初めてで、すごく楽しみでもあったが、少し不安もあった。妻と散歩してても、やっぱり体力に差があったので、同級生の男であれば、もっと差を感じるだろうな、と。二時間もてば良いかな、という思いで、少しでも会おうと思った。
 結果、午前十時半頃に会って、午後四時ぐらいまで話したり、散歩したりしていた。二時間どころか六時間。
 もちろん途中疲れたが、それ以上に楽しかった。本当に自分がこんなに重い病気になったのが未だに信じられないし、悔しい。
 こんな日常を、これからもずっと送っていきたい。心からそう思った。
 生きてるって感じ。


十一月十五日
 また咳が出てきて止まらない。
 以前苦しんだ咳は一旦落ち着いたが、また先週の水曜日あたりから咳が出始めた。もう、町医者には行きたくないのだが、このまま放置しとくのもしんどいので行かざるを得ない。
 さて、じゃあどこに行くか。
・内科→どうせ前回みたいに呼吸器内科行けと言われる。
・呼吸器内科A→熱があると診てもらえない。
・呼吸器内科B→前回、すごく不快な思いをした。
 今日は熱はない。
 そして、呼吸器内科Aは咳の専門病院?的なことを謳っている病院。妻も薦めている。
 でも、どうしても尻込みしてしまう。なぜなら、昨年のこの時期、この病院に行った。症状は微熱と風邪症状。当時は某ウイルスの危険性があるため、じっくりと診察されず、とりあえず某ウイルスではないので抗生剤となんだったかの薬を処方され、帰った。まぁ某ウイルスではないだろうけど、なんだかわからん、という感じだったんでしょうね。
 そして、その二日後、白血病と診断をされた。
 別にこの病院が悪いわけでは当然ない。今思えば、白血病の影響で微熱が出ていたか、感染症に感染していたんだと思う。
 ただ、またこの病院に行ったら、後日何かあるんじゃないかと尻込みしてしまう。
 完全にトラウマである。
 ただ、トラウマ以外でこの病院を受診しない理由はない。前回、血液内科の先生の言葉を胸に、勇気を出して受診した。たかが町医者に受診するのにこんなに勇気がいるなんて情けない。
 気さくな先生だった記憶はあるのですが、その記憶の通りだった。白血病の話に少しなったのですが、全然わかんない、と。まぁ知ったかされるよりは全然良いのですが、あえて口にしなくても。
 気さくが故に、ちょいちょい、ん?と思う事を口走りますが、そこまで不快ではないのでまぁ良しとする。
 そして、レントゲンを撮られた。この一ヶ月で俺の肺は何回写真に撮られたかわからないが、肺炎ではないそう。ただ、右の鎖骨のあたりに傷?らしき物があると。専門用語がちょこちょこ出てきて正直何を言ってるかわからなかった。CVを右の鎖骨付近から入れていたので、それの事かな?と思ったのだが、聞いてやぶ蛇になってもイヤなので、聞き流す事にした。そこまで急ぎじゃないって言ってたし、血液内科でもレントゲン撮ってるし。
 診断は、おそらく気管支炎じゃないか、と。免疫力が低いので、マイコプラズマとか弱いウィルス?細菌?にもやられるとのこと。そして、抗生剤と咳止めを処方された。個人的には抗生剤飲むと気持ち悪くなるから嫌なんだけどな。
 まぁ何はともあれ、無事診察は終わり、きちんと診断もしてもらえたので一安心。
 あとはこのまま何も起きなければ、無事、トラウマ解消となるかもしれない。
 このまま何事もなく毎日楽しく過ごせますように。



十一月十八日
 親になる前、病気になる前とは、ドラマや映画の見方が変わってきた。
 昔は単純に面白いかつまらないか、だけの感想だったけど、父親になって、病気になって、あらゆる場面で感情移入できたり、今後生きていくうえでの考え方を学んだりなど、そういう見方になってきた。
 で、ここ三日間で十一話全部イッキ見しちゃったドラマがあるのだが、そのドラマに出てきた考え方とかが、今の僕にはストンと落ちた気がする。
 そのドラマは、病気の女の子との恋愛ドラマで、まぁ設定はありきたりのドラマ。しかも、ちょいと古い。
 でも、その女の子は、ドラマの中で、何回も僕や他の病気の人が思ってることを言う。
例えば
「なんで自分が病気にならなきゃいけないのか。他にどうでも良いのいるじゃない。」
というセリフがある。
 僕も何度も思ったし、今でも思っている。 
 選挙前に事故起こしたのに、未だに辞職せずに大金だけもらい続ける政治家。
 死にたいからと、死刑になりたいからと他人を巻き込む自己中野郎。
 人に迷惑をかける事で金を稼ごうとするYouTuber。
 別に僕は人に誇れるような善人じゃないけど、前述のような輩を見てると、なんで俺が?って思う。
次に
「一万人に一人がなる病気になった時点で、成功率六十パーセントの手術なんて怖くて踏み切れない。六十パーセントの方ではなく四十パーセントの方に入るんじゃないか、ってどうしても考えてしまう」
これは、その病気の女の子のお母さんのセリフだが、これもやっぱり思っていた。
 僕の場合は、急性骨髄性白血病の中でも特に稀なタイプで、二十年以上医者をやってる主治医もはじめて見たタイプだそう。
 もともとが十万人に三、四人がなる病気なうえに、タイプまで含めたら、僕の場合は千万人に一人ぐらいの病気なんじゃないですかね?勝手な想像ですけど。で、移植の成功率は六十から七十パーセント。これは主治医にはっきり言われた。
 この確率を高いと思いますか?
 僕は思えなかった。もしかしたら、九十パーセントと言われても残りの十パーセントに入るのでは、と思っていたかもしれない。
 唯一の救いが、選択肢がなかったこと。僕の場合は白血病のタイプが判明した時点で移植が必須だった。
 もちろん、拒否する事もできたが、それは死を意味するので、実質、移植を行うの一択だった。それはある意味よかったと思っている。
最後に
「神様からのメッセージはなんだろう」
病気の女の子のセリフである。これもよく考えていた。
 まずは病気が発覚した時。なぜ俺が?神様は俺を病気にして、何がしたいの?子どもたちから父親を奪いたいの?と。
 治療が終わってからも、なぜ自分は生き残る事ができたのだろう。生き残ったからには、何かやらなきゃいけないことがあるという神様からのメッセージ?何をやったらいいの?
 色々考えてました。
 風邪で死んだらみんな「え?」ってなるけど、白血病で死んだらみんな「あぁ」って納得するでしょ?
 そんな病気になったのに、なんで自分はまだ生きていられるんだろう、と。そうとでも考えてないとやってられない。受け止めきれない。
そこで相手約の男の子が言った。
「神様からのメッセージなんてない。ただ、不幸がきて、病気になっただけだ。」
なんてことのないセリフだが、これが妙にストンと落ちた。
 僕が白血病になったのも、ただ不幸がきて、病気になっただけ。
 今、こうして生きていられるのも、先生が治療をしてくれて、治療の効果があったから。
 神様からあれをしなさい、とか、これをしなさい、とか言われてる訳でもなく、何かの罰で病気になった訳でもなく、ただシンプルに、不幸な事に白血病になって、治療をして、今を生きてる。
 ただそれだけのことなんだな、と。
 奇跡とか、運命とか、そういう事も全く信じてない訳じゃないけど、そうやって難しく複雑に考える事で逆に自分を追い詰めてるのかなって。
 もちろん、助かったからには助かった人の使命というか、そういう考え方で色々な活動をしている人がいるし、実際にそれで助けられてる人もいるんだろうけど、僕はそんなたいそうな人間じゃないし、そんな余裕もない。
 だから、これからはこの病気に対して、できるだけシンプルに向き合っていきたいと思う。
 それにしても、良いドラマだったなぁ。


十二月二日
 今日は通院の日だった。
 前回から三週間空き、嬉しい反面、やはり不安も出てくる。どう転んでもネガティブな要素が出てくる、本当にやっかいな病気だ。
 今日は十二月だからか、やたら混んでいた。血液検査も三十分ぐらい待ったかな?診察も、なんだかんだで一時間以上は待った。
 さて、診察内容だが、血液検査の結果は問題なし。
・咳が出たり出なかったり、ダラダラ続いてる。
 風邪っぽいですねぇ、と。
・体が痒くて、赤いポチッとしたのができる。
 痒み止めを塗っときましょう、と。
・散歩していて2-3キロ歩くと目まいがしてくる。
 念のため、心臓のエコーをやっときましょう、と。
こんな感じだった。
 全体的にはほぼ問題なしだが、最後のだけちょっと気になる、って感じだ。
 で、問題なのはここから。
 詳細は省くが、エコーに限らず、検査予約の窓口というのがある。
 そこで、事務員の怠慢により、一時間近く待たされた。
 結果的に、この事務員がこちらの話をちゃんと聞いて理解していれば、こんなに時間はかからないものだった。というか、先生が検査予約できるんだから、この窓口いらなくね?ただでさえ病院ってだけでストレスかかってるのに、ボンクラ事務員相手に余計なストレスかかえたくないわ。
 医者や看護師は患者に寄り添った対応をしてくれる。まぁ中には例外もいるが。
 ただ、事務員ってほとんど感じが悪い。例外で感じの良い人がいるぐらいで。いくら事務員でも、医療スタッフということを自覚してほしいな。あんたらが相手にしてるのは、生きるか死ぬかの治療をしてる人間だってことをちゃんと理解してくれ。余計な事に神経使わせないでくれ。
 そういや、痒み止めって処方されてないな。
 なんだかな。
 今日はこの事務員のせいで、すっごくモヤモヤが残る不快な診察日になってしまった。
 とはいえ、問題なかったのはありがたいこと。
 次回はクリスマスの前の日が診察日。
 そして、今年最後の予定。
 どうか、何事もありませんように。


十二月十日
 三~四日ほど前から咳がひどくなってきたので、先ほど町医者に行ってきた。そして、またまた不愉快な思いをした。
 診察の受付まではなんの問題もなかったのだが、診察室に入るなり、である。
 もう1度書くが、診察室に入るなりですよ?
「あんまり重いのはウチじゃ診れないから、白血病を診てもらってる病院に行って」
と。
 しつこいが、診察室に入るなり、である。
 症状は電話と問診票で多少伝わってるんだろうけど、まだ何も診察してなくね?重いかどうかなんて俺はわかんねーし、いきなりそんなこと言われても困るんだけど。せめてさ、診察なり必要な検査なりしてからそういう事は言ってほしいな。
 で、そっから診察が始まった。子供に同様の症状が出ている事、保育園で胃腸炎が流行ってる事などを伝えると、まぁおそらくそれがうつったんだろう的な結論になった。途中、リンパ球の数が五百以下だとまずいんだよ、と言われたが、知るか。白血球の数値ならなんとなく把握してるが、リンパ球の数なんて把握してないし。てか、仮に五百以下だったらどうしろっていうの?
 あと、保育園が養鶏場と同じだとも言ってたな。要は、狭いところに多くの子供をぶちこみまくってるから病気が蔓延するんだ、ってことを言いたかったんだろうけど、養鶏場って。
 そんなん言われてもしょうがなくね?つーか、子供の病気が蔓延しないことなんて、誰もがみんな望んでる事だっつーの。だったらアンタが寄付でも何でもして、もっと広い保育園なり何なり作れや。
 で、まぁとりあえず抗生剤と咳止め出しとくから、これで治らなかったら白血病の病院に相談してくーださい、と。
 なんか、めんどくさい患者には関わりたくないんでしょうね。
 こっちからしたら、ただの風邪だと思ってるのに、町医者からは牽制され、とりあえずの診察を受け、当たり障りない処方を受け、治んなかったら白血病のせいって。
 町医者のレベルってこんなもんなの?
 すっげーたらい回しされてる気分。
 つーか、マジめんどくせー。そりゃこっちだって血液内科の先生を信頼してるし、全部診てもらえるならそうしたいけどさ、そういうわけにもいかないから行きたくもねぇてめぇら町医者に行ってんのにさ。
 ホントにストレス。
 イライラするわ。
 医者なんて辞めちまえ。


十二月十五日
 現在、下痢が止まらない。理由はなんとなく心当たりある。抗生剤を飲んだこと、子供の保育園で胃腸炎が流行し、まんまと持ち帰ってきたこと。
 この2つのどちらかなら、まぁ別に、って感じ。抗がん剤治療の時の下痢に比べりゃ大したことない。辛いは辛いし、お尻も痛いけどね。散歩中にお腹痛くなって困るし。
 ただ、それよりも怖いのが白血病関係。
 例えば、GVHDとか再発とか。
 具合悪くなるとすぐこれに結びつけちゃうね。これは一生続くのかな。
 どうか、ただの胃腸炎でありますように。
 さて、ここ数日、散歩をしていると、なんてことのない一幕ですが目に止まる事がある。
 ガソリンスタンドの上着を着た4人組が中華料理屋に入ってく。サラリーマンがとんかつ屋に入ってく。ラーメン屋に行列ができている。飲み屋で楽しそうに酒を飲んでいる。
 これは、病気になる前は当たり前のように全部やっていた。
 でも、今はできない。たぶん、病気的にはやっても良いんだろうけど、体的にできない。中華料理もとんかつもラーメンも食べたい。でも、絶対に全部食べれない、それどころか、注文して待ってる間に気持ち悪くなってきそうなので、お金がもったいない。
 飲み屋もそう。もともとあんまりお酒は飲まないのだが、まぁビール二、三杯ぐらいだろうか。それでも、十分に楽しめていた。今も家で飲んでいるが、アルコール度数〇,五パーセントの新ビール。それでもちょっと気分悪くなる。それに、健康な時って全然気が付かなかったけど、喋るのって、すっごい疲れる。この前友人と喋りながら散歩してたらものすっごい疲れた。飲み屋なんて、それ以上のテンションで会話をするわけだから、ちょっと体力がついていかないだろう。
 と、まぁ、飲食関係のことが目に止まって、ふと思ったので書いたのだが、それ以外も、である。仕事は?バスケは?
 たしかにできる事も増えてきた。
 でも、できない事のがまだまだ多い。
 一体、いつになったら全部できるようになるんだろう。
 もう30半ば。
 あっという間に歳ばっかり取っちゃうよ。


十二月十七日
 月曜の夜から下痢していたのだが、それが昨日悪化した。もう止まらない止まらない。一回行って、トイレ出て、手を洗ってる間にまたもよおしてくる。地獄のような一日を過ごした。たぶん、十二、十三回は下痢したんじゃないだろか。今までに何回も胃腸炎にはなったことあるけど、こんなひどいのは初めて。
 というのも、月曜から水曜までは、まだ四、五回だった。で、わかる人にはわかると思うが、泥状の下痢だとそこまで気にならないのである。そのまま治っていくもんだと思ってたら、まさかの昨日から水下痢。しかも連発。
 水下痢になると、もう不安で不安で仕方なくなる。抗がん剤治療をやってた時を思い出させる下痢の仕方。で、今朝も下痢で五時に起きる。
 やっぱり、どうしてもGVHDとか白血病関係の何かじゃないかって心配になってしまう。
 まぁきっと、近所の内科に行ってくれって指示が出ると思いながらも、念のため血液内科の先生に電話で相談。そしたら、まさかの今すぐタクシー呼んで病院に来てください、とのこと。
 えー。
 もう軽いパニック。
 大体、家から病院まで一時間弱なので、その間下痢我慢できるかな?とか。ちなみに、この時点でもう七回ぐらい下痢している。このまま入院かな、とか考える。
 で、病院まではなんとか下痢我慢できて、病院ついてすぐにトイレに。血液検査とお腹と胸のレントゲンを撮って診察へ。この診察を待ってる間、ベッドで横にならせてくれました。こういう気遣い、嬉しい。
 そこに先生登場。
 一連の話をして、まぁほぼ間違いなくウィルス性の胃腸炎でしょう、と。
 電話で話聞いた時から、胃腸炎だろうとは思ってたけど、ちゃんと検査とかした方が安心するでしょ?と。
 まぁそうなんだけどさ。だったら電話でもうちょっとさ。ただタクシー呼んで早く来いだけだとビビるじゃん。
と、思ったんですけど、本当のところはどうなんでしょうね。
 移植から百日は過ぎてますが、急性GVHDの症状が絶対に出ないということはない。出ることもあるそう。そういう事がないかちゃんと調べるために診察してくれた可能性もあるよなー。
 相変わらず読めないというか、食えない先生ではあるが、先生に診察してもらっただけで、おっしゃる通り安心感が違う。
 町医者に胃腸炎です、と言われても、ずっと何かが引っかかって不安だっただろう。
 さて、相変わらずお腹はギュルギュル言ってるし、なんか体の関節とかが痛くなってきました。
 早く治りますように。
 そして、無事クリスマス、年末年始を家族や友人と迎えられますように。


十二月二十一日
 世の中、考えてもしょうがないことなんてたくさんあるけど、考えちゃうのはなんでなんでしょう。
 今朝、子供を怒った。そして、子供はそのまま保育園に行った。
 入院した時に、ちゃんとお別れしなかったことをすごく後悔していたので、いってらっしゃい、いってきます、おかえり、は笑顔できちんとやろうと決めていたのに、このザマ。
 でも思った。
 もし仮に、また僕が入院することになろうが、それ以上の不幸があろうが、悲しいものは悲しいですよね。
 笑顔でいってらっしゃいしたからって、悲しくないわけじゃないし、きっと悲しさの大きさは変わらない。そう思ってるのに、今でもずっと今朝怒ったままにした事を後悔している。考えてもしょうがないのに。
 そしてもう一つ。
 今、再発予防でスプリセルを飲んでいるのだが、今朝一錠あまってる事に気づいた。おそらく何日か前に飲み忘れたんだと思う。
 もぉ気になって気になって。よりによってスプリセルかよって。胃薬とかなら気にしないのに、スプリセルは気になってしょうがない。
 でも、ネットで調べても、飲み忘れた分、追加で飲むようなことはしないように書かれているし、主治医に伝えても同じ事を言われるだろうな、とは思っている。飲み忘れた日に戻れるわけじゃないし。
 でも考えちゃう。
 なんなんでしょうね。
 脳が疲れる。
 そして、今、仕事復帰に向けて上司とやり取りを始めましたが、不安で仕方がない。自分の体調がうまく伝わる気がしない。
 病気になる前は、わりと仕事の負担を負っていたのだが、上司は復職した後も同様な事をしてきそうで怖い。上司に仕事で殺されるんじゃないかとすら思えてくる。でも、これもどうなのかわからない。どうなるかもわからない。
 考えても仕方ない。自分の身は自分で守るしかない。
 また著名人が亡くなりましたね。
 なんで自殺なんて、って思う。僕らみたいな病気をした人ならなおさら。
 でも、時々わかります。
 生きるのってめんどくさい。


十二月二十三日
 今日は通院だった。
 先週の金曜日、下痢の激しさから急遽緊急外来をしたので、たった一週間しか経ってないけど緊張する。もし今回の通院で何かあれば、クリスマスも年末年始も全て辛い日々になってしまう。そんな事を考えると、いつもの通院以上に緊張する。
 体はというと、下痢は止まった。少し食欲はないが、これといって悪いところはない。
 ただ、胸が痛い。感覚的には肋骨を骨折した時みたいな痛み。そーいや、骨にできる腫瘍とかもあるよなー、なんて、また考えてもしょうがないことを考えていた。
 さて、病院に着き、年末だから混んでるかと思ったらそーでもなかった。
 スムーズに血液検査を済ませ、いざ診察へ。
 下痢は治まった事を報告。
 続いて、胸の痛みを話した。ちょうど一週間前に胸のレントゲンを撮っていたので、そのレントゲンを見ながら骨折がないか診てくた。ここ二ヶ月ぐらい咳が止まらなかったが、咳でも肋骨を骨折する人はいるみたい。
 てか、すげーな。血液内科の先生なのに、肋骨の骨折とかもわかるんだ。医者なら誰でもわかるのかな?
 丁寧に診てくださり、骨折ではなさそう、ということになった。たぶん、神経痛?かな?と。
 さらに、骨のガンとかじゃないですよね?と聞いたところ、移植前に撮ったCTの画像を見ながら、それもないと否定してくれた。
 もうね、毎回毎回、丁寧に診察してくれて本当にありがとうございます。先生が主治医で本当に良かったです。
 冗談混じりに、良い感じですね~。このまま治りそうだな!って気がしてきましたか?って聞かれたので、何か症状が出たりすると、やはり再発が頭をよぎります、と答えた。でも、二年経っても三年経っても、皆さん、そう思うみたい。五年経って、ようやく、なんとなーく白血病の事が頭から少し離れてくるみたいで。もちろん、個人差はあるみたいだが。
 そういう方をたくさん先生は見てきたんでしょうね。ガンになった人が、毎日毎日どんな思いで生きているかを知っているのかもしれない。
 だからこそ、診察では安易な事は言わず、回答する時は必ず検査結果などの根拠をもってわかりやすく説明してくれる。
 正直、こんな事聞いていいのかな?って事を聞いても、真剣に答えてくれる。
 診察前は緊張するが、診察後は笑顔になれる。まぁこれは特に何の問題もないだろうからでしょうけど。
 でも、医者と話しして、笑顔になれる医者ってどれぐらいいますかね?近所の町医者には一人もいない。
 そして、診察の終わり際に先生から
「移植から九ヶ月ですね。よく頑張りましたね。よく頑張ってますね。立派です。」
と言われた。思わず、泣きそうになった。泣かなかったけど。
 言われてみれば、移植をしたのは今年。早いと思えば早いけど、まだ今年の出来事だったんだ、とも思う。
 辛かったなー。
 突然何もかも自由を奪われて、抗がん剤なんて劇薬使った治療して、副作用で体は辛いし、髪の毛もシャワー浴びる度に抜けていくし、何より死ぬかもしれない恐怖心の中、家族に会えずにただひたすら孤独に耐えなきゃいけなかったし、精神的にもボロボロだったなー。
 それでも死ぬ気で治療して、なんとか耐え抜いて、退院して家に帰って、味覚障害で全然ご飯食べれなくて、原因不明の熱が出てゲロ吐いて、体力なくて散歩できなくて、子供と遊ぶこともできなくて、家族に迷惑かけてるのもわかるし、やりたい事もできないし、死んだ方が楽かな、なんて考えたりもして。
 あんまり頑張った感ないんですけどね。治療は先生や看護師さんに任せっきり。別に自分で何かやったわけじゃないし。
 でも、我慢したなー。よく我慢してここまで生きてきたなー。
 今日は自分を褒めてあげたい。
 今でも死んだ方がって考える事あるけど、でも、やっぱり生きてて良かった。生かしてもらって本当によかった。
 ようやく、クリスマスや年末年始の事を考える事ができる。
 去年も幸い家族で過ごすことはできたけど、去年とはやっぱりちょっと違う。
 今年?来年?は一緒に初詣に行ける。
 次の入院の事を考えることなく、また毎日過ごせる。
 本当に、ありがとうございます。
 白血病になって、良い事なんて一つもない。そういう意味では今年は地獄の一年だった。
 なので、最後はご褒美ください。体調崩れないでください。
 そして、来年は更に今までの日常を取り戻させてください。
 白血病やその他の病気で闘ってる方々、どうか、良い一年の終わりと始まりを過ごしてください。


十二月三十一日
 二〇二一年を振り返りたいと思う。
・年始
 まだ一次退院中だった。
 写真で見る限り、食べ物は今より食べてたかな?ビールも普通の五パーセントのやつ飲んでるし。
 でも外に出た記憶はない。初詣も行っていない。そう考えると、毎日のように外に出てる今年とはだいぶ違うかな。
 で、一つ気になったのが、写ってる写真がみんな笑ってるんですよね、家族も。一次退院がめちゃめちゃ嬉しかった記憶は覚えているんですけど、よくここまで皆で笑顔になれたな、と。
 正直、あまり記憶がない。
・1月半ば~2月半ば
 二回目の入院だった。キロサイド大量療法で、前回の四十倍の量の抗がん剤を使うと言われて、めっちゃビビってた記憶がある。
 でも、二回目の入院だし、精神的には大丈夫かな?って思ってました。ところがどっこい、なぜか一回目の入院より二回目の方が精神的にもキツかった。なぜか寂しくて寂しくてたまらなかった記憶がある。
 そして、下痢がひどかった。退院ギリギリまで一日三から六回は水下痢だった。
 あと、この頃は某ウイルスが拡大してきてた。入院してた病院でも感染者が出て、あー、生きて病院出られるかな、って凹んでた記憶がある。
 あと、初めて薬疹が出た。気持ち悪いぐらい発疹が出たけど、ベッドを空ける都合で、薬疹出てる最中に退院。
まぁ早く退院できたのは良いけど、あの時の婦長はムカついたなー。
・3月~4月末
 いよいよ移植入院。
 兄にドナーになってもらい、また、ドナーになるにあたってすごく努力をしてもらい、感謝している。今度寿司でも奢ってやろうかと思う。
 また、友人からお守りもらったり、バスケのチームメイトから千羽鶴もらったりと、大変励ましてもらって感謝している。
 移植は、正直あまり記憶にない。もう毎日毎日、生きることが精一杯。食事は三月いっぱい一口も食べなかった。点滴すげー。
 下痢も一日二十回以上出たし、ウン漏れ防止のためにオムツパット?的なのパンツに貼っていた。
 そして、毎日のように泣いていた。
 生着したときはホントに嬉しかった。でも、それと同時にGVHDが怖かった。あっちが良くなればこっちが悪い、というように、平穏な一日がなかった。
 それでも、最初はウィダーインゼリーを一日二口とかから始めて、なんとか食事が人並みに取れるように死ぬ気で頑張った。
 自分的には辛かったけど、軽い方だったんだなと、今なら思う。まぁあんまり記憶にないのだが。
 そして、本退院をした時は嬉しくもあったが、様々な生活制限があり、不安もあった。
・5月~7月
 退院すればこっちのもんだと、すぐに以前の自分を取り戻してやると、意気込んでいたが、そんなに甘いもんじゃなかった。
 まず立ちはだかったのが、味覚障害。病院食はそもそも味が薄いし、そもそも美味しくないので気にならなかったが、何にも味がしねー。甘い物以外は全部微妙なすっぱさがあるだけ。寝起きのお口の中って感じの味で、何を食っても気持ち悪くなる。
 唯一食えるのが甘い物で、菓子パンとかになるけど、消化にあまりよくないので、もたれる。
 この味覚障害にはホントに苦しみましたねー。いつの間にか治ってたけど、ホントに味がわかるって幸せなことだと思い知らされた。
 そして、原因不明の熱が出た。三十八度程度の熱が何週間か続いた。
 熱には割と耐性があるけど、さすがに何週間も続くのと、原因不明なのと、味覚障害とで結構キツかった。ちなみに、味覚障害は水でも変な味がするので、薬を飲むのも一苦労。
 そして、吐いた。入院中は一回も吐かなかったのに、退院したら一ヶ月もしないうちに吐いた。やっぱ病院ってすごい。
・8月~9月
 オリンピックありましたね。そして、某ウイルスも爆発的に増加した。毎日毎日某ウイルスに怯えてたのを覚えている。
 でも、味覚障害も治ってきて、食事が取れるようになってきた。そうすると、体力が上がってくるのか、外に出たくなるんですよね。
 外に出た。暑い。日焼け止めめんどくさい。てか、ちょっと歩いただけなのに気持ち悪い。体力の無さを思い知らされた。
 まぁ、オリンピックもあったし、某ウイルスもあったし、家で過ごす事が多い夏になった。
 そういえば、体温調節もできなくなったのか、冷房もやたら寒く感じた。風呂上がりは、夏なのにガタガタ震えてた。間違いなく、自分史上、最悪の夏だった。夏、好きなんで。
 でも、九月末、免疫抑制剤が全てなくなった。これで制限がかなりなくなる。特に食べ物に関しては、ほぼなくなったと言っていいと思う。
 でも、今でも生物は食べていない。生ハムは食べたけど。寿司とか刺身は食べていない。まだちょっと怖いのがあるが、そもそもそんなに好きじゃなかったのかも。
・10月~12月
 感染症の日々だった。
 この時期は、子供が風邪をひく。保育園からものの見事に持って帰ってくる。
 十月の頭から激しい咳が出始めて、二ヶ月近く出続けた。
 そして、町医者との関わり方が物凄く難しい事を思い知らされた。白血病を患ってる患者は、ぶっちゃけうざいみたい。まぁわからない病気なんでしょうね。何かあって責任負わされるのだけはゴメンだぜ、って感じ。
 咳がよーやく止まったと思ったら、胃腸炎になった。
 入院中を彷彿とさせる勢いの水下痢。たまらず血液内科に連絡し、即受診。入院を覚悟したが、無事、帰宅。
 今思えば、本退院してから初めて再入院をマジメに考えさせられた。恐るべし、胃腸炎。
 また、この期間に某ウイルスとインフルのワクチンを打った。
 インフルは全然大したことなかったが、某ウイルスは打つ前の緊張からやばかった。副反応は腕の痛み、下痢、倦怠感ぐらいで、まぁまぁな感じ。
 でも、もう二度とやりたくないですね。
 そんなこんなで、今に至ります。
 今は体調悪くありません。
 無事、クリスマスも迎えられて、年末も迎えられています。
 ざっと振り返りましたが、自殺も考えました。本当に辛い日々もありました。
 でも、生きていてよかった。
 また、年末年始を迎えられてよかった。
 今年もあと二時間。
 完全に療養の一年でしたが、来年はどうなるでしょうか。
 順調にいけば、社会復帰したいと思ってます。
 バスケも復帰したいです。
 飲みにも行きたいです。
 どこまでできてるかな。
 まだまだ頑張っていきます。
 みなさま、良いお年を。


二〇二二年一月十三日
 二〇二二年、一発目の通院日だった。
 同じ三週間なんだけど、年末年始をまたぐだけでなんか長く感じた。
 おかげ様で体調は安定しているのだが、やっぱ緊張する。そして今年は仕事も復帰して、バスケも復帰したいと考えている。物凄くそれに邪魔なのが某ウイルス。もういい加減にしてほしい。いつまで某ウイルスに振り回されなければならないのか。
 余談だが、ヤフーの某ウイルス関連のニュースに書き込みをした。
 内容は、大病患ってるんだから海外から持ち込むとか勘弁してくれ、的なことを書いたら、それに対して「そんなに怖いならずっと入院してれば?個人の都合を他人に押し付けるな」とコメントがあった。
 まぁどっちが正しいかは置いといて、これが人間の本性なんだろうな、と思った。
 例えば家族や友人など、自分の事を知っていて、自分と付き合う事にメリットを感じていたり、それ以前に大事に思っていてくれる人は、一言一言に気を使ってくれてるのがわかる。
 でも、自分の事を知らない人や別に自分と付き合う事にメリットがないと感じている人は、このような残酷なことが平気で言えるし、思えるんだな、と思う。
 そして、僕の場合だとそれに当てはまるのが職場の上司である。
 もちろん全てを知っているわけではないが、これまでの付き合いからして、今までのように働けなくなった僕に対して価値を見出だせずに、平気で傷つくことを言ってきそうな人である。別に特別気を使ってほしいわけじゃないけど、そーゆーのと今後も関わらなきゃいけないのかと思うと、気が重くなる。
 いやー、それにしても、ヤフーのコメント書いたやつはムカついたなー。
 さて、診査です。今日のメニューは
・採血
・心エコー
・口腔外科
・血液内科
だった。
 採血は、担当のおじさんが色々とお話する人で、こうすると痛くないんだよ、とか教えてくれた。
 でも、めっちゃ痛かった。なんなら過去イチ?ごめんね、と言ってた。
 心エコーは、二、三キロ歩くと目まいがしてくるので、一応検査をした。これは痛かったり苦しかった記憶がないのだが、まぁー痛い。あの固いやつでグリグリグリグリされて、痛いのなんのって。そんなにグリグリしなきゃダメ?ってぐらいグリグリされた。
 口腔外科は一瞬。特に何も問題なかった。でも、虫歯があった。
 そして、血液内科。
 結論から言えば、問題なし。CRPが基準値より高いのが気になったな。で、職場の上司が復職するにあたって主治医から話を聞きたいと言うので、その調整をしている。主治医は、診察の時に併せてくれると助かるとの事だったので、何分程度必要か確認することで今日は終わった。
 すぐに上司にメールしたのだが、ハッキリと何分程度面談を考えてますか?とメールに記載したのに、まさかのスルー。了解です、と。
 なにが?ちゃんと読んでる?
 すでに、イライラしている。
 そして、先日から水イボだと思ってたものがなんか痛くてしょうがない。
 さらに、また保育園で胃腸炎が流行りだしたそう。
 もういやだー。
 でも、白血病は順調でよかった。
 でも、もう痛いのとか苦しいのやだー。
 そんな一発目でした。


一月十八日
 情けない話です。
 土曜日に次男が嘔吐した。保育園で胃腸炎が流行ってるって話だったので、まぁ感染したんだと思う。
 で、本来なら僕も看病なり長男の世話なりするべきだと思っている。でも、前回胃腸炎がうつって、抗がん剤治療を彷彿とさせるような下痢を経験してからは、ちょっと怖いなって。またあんな辛い思いはしたくないなって。
実家に避難してしまった。
 でもずっと罪悪感があります。
 大変な事を妻一人に押し付けて、自分は安全なとこに避難してグデグデしてる。実家なんで、特にやる事ない。
 せめてもの罪滅ぼしにと、ポケモンカードを探し回って買った。今、妻も僕もハマってるので。これだって、よくよく考えたら自分がハマってるから買っただけだよね。
 幸い胃腸炎の症状自体は落ち着いてきていて、あと二、三日したら帰ろうと思っていた。思っていたが、二人の子供が通ってる保育園で某ウイルス陽性者が出た。
 誰かはわからない。教えてくれない。せめて、職員なのか園児なのか保護者なのか出入り業者なのか、だけでもと言ったがダメ。
 そして、長男は微熱が出た。感染してる可能性高い。
 俺は何をしてるんだろうか。
 妻が胃腸炎の子と某ウイルスかもしれない子の面倒を見ながら、自分も感染のリスクを抱えてるというのに。
 本当に情けない。
 白血病だから、なんて、なんか言い訳な気がする。だって、ブログ見てると、白血病のお母さん、看病してるし。
 でも、例えばこれで俺が家に戻って看病したとして、俺に感染ったらもっと面倒くさい事になる。それは事実。
 じゃあ妻が感染したらどうなる?やっぱり俺がいないと大変だよな。妻の実家が近ければ良いのに。
 ダメだ。父親として、情けなさすぎる。
 また悶々とした日々が始まる。


一月十九日
 人権と人命、どっちが大切なんだろうか。
 昨日、子供が入所している保育園で某ウイルスの陽性者が出た。
 保育園から開示された情報では、「保育園関係者の陽性」「自治体の指示で休園にはしない」要約するとこの二点だった。これ以上の事は保育園に聞いても答えられないと。
 ただね、昨日の時点で結構園児が熱を出してるらしい。で、うちの子も微熱が出てる。さらに、昨日のお迎えの時に、別室に隔離されてる園児がいるのを見た人がいる。
 この状況で上記二点の情報しか開示されてないのに保育園に子供を預けられるわけがない。
 ということで、自治体の保健所に問い合わせた。問い合わせ内容としては、①保育園関係者とは何を指すのか。誰?とまでは当然言わなくても良いので、先生なのか園児なのか保護者なのか出入り業者なのか、そのレベルで教えてほしい。②休園にしない理由はなんなのか。である。
 ①に関しては、それを知ることで子供が感染してる可能性を少しでも知りたいから。今、たまたま僕は実家に避難しているから良かったものの、もし自分の家にいたら、隔離なりなんなりしなきゃいけない可能性がある。
 ウチだけじゃなく、祖父母と同居してる家庭も同様かと思う。もし園児が感染しているのであれば、あっという間に感染拡大してしまうのは目に見えてるから、感染したら危険だから避難なり隔離しなきゃならない。それなりの対応をしなければならない。
 この趣旨、わからないですかね?
 自治体の回答はこうだった。
「個人情報と人権の観点から、その質問には答えられない。今言える事は、保健所が保育園から話を聞いて、現時点では休園する必要がないと判断したこと。」
うーん。
 そこで、じゃあなぜ休園にしないと判断したのか、を聞いてみた。
そしたら
「ガイドラインにのっとって、判断した。」
と。
 でもね、あくまでも現時点の話なんです。
 なぜなら保健所も手が回らないらしくて、話を聞くことしかやってないから。まだ誰が濃厚接触者かどうかも判断していない、と。
 じゃあさ、例えば三日後とかにうちの子が濃厚接触者ですって保健所から言われる事はありますか?って聞いたら、その可能性はゼロではありません、と。
 いやさ、たまたま僕は今避難してるから良いけど、もし家にいたら感染する可能性高いよね。その三日間、もっと情報をくれてたら、出来る事いっぱいあるよね?
と聞くが、自治体は
「お気持ちはわかりますが、人権の問題がありますのでこれ以上はお話できません。」
の一点張。
 人権と人命、どっちが大事なの?と聞きたくなったが、そこまで聞いてもしょうがないと思い聞かなかった。
 某ウイルスに関しては色んな考えがあって、色んな事をする人がいて、本当に難しいと思う。
 今回の件だって、過去に差別とかがあったから言えなくなったのかもしれない。そんな事をする人達がいなければ、普通に情報を提供してくれたかもしれない。
 結局、てめぇらでやったことのしっぺ返しがてめぇらにきてるって事なんだよね。いや、僕は差別なんてしてないけどね。
 結局、もう感染してないことを祈る以外ない。なんともじれったい。
 白血病、そして某ウイルス。
 もう病気に振り回されてばっかり。いい加減にしてくれ。
 それにしても人権と人命。
 命あっての人権だと思うんですけどね。
 お気持ちはわかりますって、本当にわかってんのかな。
 死ぬかもしれないって、本当に怖いんだけどね。


二月三日
 今日は通院日だった。
 タクシーで病院に行ってるのだが、いつも混まない道で渋滞していた。
 原因は事故だったのだが、これが、家に帰ってきてニュースを見てたら出てきてビックリ。事故の内容的に、亡くなった方はいなさそうなのが不幸中の幸い。
 さて、診察のメニューは
・血液検査
・血液内科
だった。
 前回もそうだったが、やはり三週間空くと、緊張する。
悪い細胞が出てきてるんじゃないか、と思ってしまう。
 更に、三日ほど前から鼻水やくしゃみなどの鼻の症状、左のアゴから耳、頭にかけてのヒリヒリ痛、がある。
 症状が何かしらあると、なお緊張する。
 まぁでも、どんなに元気でも、緊張はするのかな。
 無理だわ、緊張しないなんて。
 採血は優しい方で癒やされた。痛みもほとんどなかったし、優しい言葉をかけてくれて、なんの苦痛もなく終える事ができた。
 さぁ、いざ診察。
 まず、鼻とヒリヒリ痛の件。まずは帯状疱疹を疑うらしいのだが、三日も経ってれば発疹が出てるはずだが、なし。帯状疱疹ではないね、と。じゃあ何か。結果、わかりません。わからないけど、何か大変なことが起こってるわけではない、と。
 こーゆーの多いよなー。
 いや、良いんですけどね。この先生にそう言われれば気にしないし、安心するので。でも、これが町医者だったら、何かしら適当なそれらしい薬出されてたんだろうな、と。それが悪いことではないけど、医師によって全然違うんだなぁと実感する。
 血液検査は問題なし。ただ、体重が七十,五キロと、なかなか増量してきてるので、次回、尿酸値と中性脂肪の検査もすることになった。
 あとは某ウイルスの事について。
 眠れてる?と聞かれたので、某ウイルスの事とか考えるとドキドキして眠れない、と答えると、あー、と。
 子供の保育園で陽性者が出たりして、毎日ドキドキしてます、と言うと、もうお手上げの表情でそれはどうしようもないですねー、と苦笑い。
 ですよねー。
 ただ、もし万が一感染した場合、もちろん保健所の指示だったり検査したクリニックの指示を聞いても構わないけど、何か困ったら相談に乗るから連絡ください、と言ってくれた。
 マジで惚れるわ。頼りになるわ。医者の鏡だわ。
 そんな訳で、最後は陽性者にならないように頑張りましょう!と言われ、診察が終わりました。
 別に某ウイルスの感染リスクが小さくなったわけでも何もないけど、安心感がかなり高くなった。
 今日は節分。去年は入院していた。
 掃除が大変なので豆はまかないけど、恵方巻きをほうばりたいと思う。
 福はそこまで来なくても、普通で良いので鬼よ、外に行ってくれー!
 二度とくるなー!


二月四日
 昨日の話。
 昨日、血液内科の通院日で、特に問題もなかったのでホッとしていた。
 夕方、妻と一緒に保育園に子供達を迎えに行ったのだが、僕は薬局に寄り道して、薬を受け取っていた。で、薬局から出て携帯を見たら妻からLINEが。内容は、本日、保育園関係者で某ウイルスの陽性者が出ました。よって、八日まで休園にします、と。
 えぇぇぇぇ!
 今かよ!!
 保育園の外で待ち合わせをしていて、もうあと二分で待ち合わせ場所に着いてしまうところ。また実家に避難するか、判断しなければならない。
 速攻で園長に電話をした。で、血液内科の主治医から某ウイルスに感染すると死亡率が上がると言われてる。なので、陽性者によっては避難するかどうか判断しなきゃならない。前回も聞いて無理だと言われたのは百も承知だが、せめて何歳児クラスとか、職員とか、そのレベルで良いから教えてもらえないか。命かかってるんで、お願いします。
 と、ワラにもすがる思いで聞きましたが、答えはノー。
やはり人権的な視点で答える事はできない、と。
 でもね、結局、憶測が飛び回ってるんですよ。ちゃんと情報を開示してくれないから、保護者同士で情報を交換して、憶測していくしかないんですよ。
 その結果ね、もしかしたら全く関係ない人が感染者扱いされてるかもしれないんですよ。別に感染する事は悪いことじゃないのに、「人権」とか大袈裟な表現するから、余計に感染者を苦しめてるんですよ。
 と、食い下がりました。
 でも、答えはノー。
 言ってることはわかるんですけどねー。申し訳ないですけど、役所からも言わないように言われてるので。ただね、やっぱ不安だというお気持ちはわかりますので、出来るのなら離れて生活されてはいかがですか?と。
 いや、アンタが決めんなや。
 簡単に離れて生活しろなんて言うなや。
 実家だって三軒隣にあるご近所じゃねぇんだ。一時間以上はかかる場所にあんだよ。
 それを夕方の六時ぐらいにいきなり行けって言われても、荷造りだってしなきゃいけないし、簡単な事じゃないんだよ。それに、前回もそうだったけど、かなり寂しいんだぞ。
 まぁ園長というよりは役所である。
 役所は何を守りたいんでしょうか。
 感染者の人権を守って、憶測で決められた感染者は無視?その情報を開示しないことで命の危険にさらされる人は無視?
 いま一度、何を守るべきなのか、考えてほしいものだ。
そんなこと言っても判断しなきゃならない。もう妻と子供達の姿は見えている。
 その瞬間、「パパ~!」と息子が叫んだ。
 見つかっちった。
 もう手を繋いできます。可愛い。
 でも、これで避難する意味はなくなった。もう覚悟するしかない。
 とりあえず、できる限りの隔離と対策は妻が色々やってくれた。
 でもね、無理ですよ。
 五歳と三歳を隔離するなんて無理ですよ。
 三階建ての豪邸ならまだしも、2LDKのせっまいマンションじゃ無理ですよ。
 もう消毒しまくってますけど、子供達はおかまいなしですよ。
 あー、こりゃ無理だ、と心折れた。そんなんで、恐怖で夜はほとんど眠れなかった。
 で、今日になって、妻ばっかり負担かけちゃってるんで、せめて食事の準備ぐらいしようかと思った。買い物の最中、ヤクルトを見かけて、もう半ばヤケクソですよね。
 シロタ株VSオミクロン株ですよ
 どっちが強いかやってもらおうじゃねぇか、って事で、妻と子供達に呑んでもらった。
 そしたらテレビでステルス・オミクロン株って。ちょっと笑っちゃったよ、不謹慎だけど。
 どんだけ株出てくんだよ。つーか株ってなんだよ。
 でも、シロタ株のおかげか、夕方に保育園から連絡があり、濃厚接触者ではないということが判明して、一家でホッと一安心。
 いやー、怖かったなー。
 ずーっと緊張してたなー。
 でも、今回は運良く逃れられたけど、またこれからも繰り返されるんですよね。
 なんとかならないもんかなー。
 とにかく、役所は色々考え直してくれ。
 もー、某ウイルスこえーよ。


二月十二日
 今朝起きてふと左手の甲が目に入ると、点状出血らしき斑点が。
 一応、かかりつけの病院には電話したが、土曜なので主治医は不在でした。当直の先生からは、そんなに気にすることないと言われたが。正直、安心しきれない。
 どうしても、嫌なことしか頭に浮かんでこない。
 移植からもうすぐ一年。初めての出来事。
 ちなみに、先週の木曜に受診した段階では、血小板は問題なしだった。
 点状出血は問題ないのかな。
 気になって頭おかしくなりそうです。


二月二十四日
 今日は通院日だった。
 いつもは付き添いで妻がいてくれるのだが、今日は仕事で来れなかった。何気に心細かった。
 代わりといっちゃなんですが、職場の上司が復帰に向けて先生に確認しておきたいことがあるということで、病院に来た。
 約一年半振りに会ったが、特別に何かを感じることはなく。向こうも何を話したらいいのやら感が溢れ出てて、気まずいったらありゃしない。
 こちとら診察前でただでさえ緊張しているので、構ってる余裕もなく、申し訳ないけどシカトさせてもらった。まぁ、向こうも下手なこと言えなかったのかな?
 で、診察だが、結果は特に問題なし。
 ただ、なんか今日は所々カチンとくる言い方をされた。
まぁ俺が特別な患者でもなければ、先生も人間ですからね。機嫌の良し悪しはあるんでしょう。まぁそれは良いです。
 気になったのが三点。
 一つは炎症の値がかなり高かったこと。先生は???な感じなのでどうすることもできないが、なんかここのところ熱っぽさが続いたり、頭痛がしたり、鼻水が止まらなかったりと風邪っぽい症状が続いている。子供が風邪ひいてるので、それもらってるのかなー?って感じもするけど、なんかそれだけじゃないような気もする。とりあえず、花粉症の薬をもらった。
 二つ目は白血球が高いこと。高いと言っても基準値内だが。なんか、白血球の値が高いと発症時のことを思い出す。
 そして三つ目が一番気になるのですが、尿酸値が高いこと。
 八,三。
 何より、上がる理由があまり思いつかない。魚卵は食べてないし、内臓系も食べてない。ビールは毎日飲んでるけど、一本、二本。
 で、なんとなくネットで調べると、白血病の発症により尿酸値が上がるとのこと。
 そーいや、発症したとき高かったな。なーんて、いやなこと考えちゃってる。
 先生は、美味しい物の食べすぎ、って冗談めかして言ってたが、どこまで本気だか。
 とりあえず、次回は移植後、一年目のマルクがある。マルクって、二回緊張するんですよね。一回目はぶっ刺す時、二回目は結果聞くとき。
 なんか、今回の尿酸値の事もあるし、すげー緊張するな。


三月十日
 急性骨髄性白血病、という恐ろしい病気を発症し、造血幹細胞移植という、聞いたこともない治療を受けてから1年が経った。
 いわゆる「セカンドバースデー」っていつなんですかね?移植した日なのか、生着した日なのか。
 僕は生着した日を記念日にしようと思う。
 さて、この一年間、どうだったかというと、あんまり記憶にない。先生からは、よく頑張りましたね、と言っていただいてるが、そこまで頑張った記憶がない。
 人間ってすごいですね。辛かったり悲しかったりした記憶がどんどん処理され、削除されていく。まぁそれを忘れないために記録を書いているので、なんだか矛盾したことをやっているが。
 でも、とにかく辛かった。
 この一年は本当に辛かった。
 孤独、不安、恐怖心、絶望感、もどかしさ、悔しさ、焦り、などなど。
 人間が感じれるネガティブな感情を全て感じたように思う。
 そして、それは今でもまだ残っている。
 再発の不安。
 今まで通り動けない悔しさ、もどかしさ。
 社会に戻る恐怖心。
 ネガティブな感情が八割、ポジティブな感情が二割の毎日を送ってる。
 それでも、やっぱり生きててよかった。
 生かしてもらえてよかった。
 これは心からそう思う。
 桜が咲いてきた。去年は病室から遠くに見えた桜。今は触れる事ができる。冬の冷たい風から、春の暖かい風への変化を感じることができる。あれが食べたい、あれが飲みたい、となった時に、自分の足で買いに行く事ができる。本当に少しずつ、一歩一歩、日常を取り戻していけてる。
 死ななくて良かった。
 自殺も考えた。
 でも、死なないで良かった。
 来週、移植後一年のマルクがあって、すっごいイヤだけど、頑張ってきます。
 どうか、何事もなく、どうか、このまま日常を取り返させてください。


三月十一日
 三月って、僕にとっては色々な出来事がある。
 昨日、移植から1年経ったと記録に書いた。今日は東日本大震災から十一年。
 そういえば、去年病室で、ミスチルの桜井さんが東北で歌ってたのをテレビで見たのを思い出した。あれから一年とか早いな。
 で、十一年前。
 震災が発生した時は働いていた。でも、とても強い揺れだったのを今でも覚えている。そして、翌朝まで帰宅困難者の避難誘導などをしていた。当時は二十代前半だったので、一日寝なくたってなんてことなかった。
 骨髄移植。
 東日本大震災。
ネガティブな事もあればポジティブな事もある。
 結婚記念日
 甥の誕生日。
色々と忙しい。
 で、今は戦争。
 ロシアがついに日本に近づいてきましたね。
 また一つ、三月にネガティブな日が増えない事を心から願ってます。


三月十六日
 明日、マルクをやる。
 なぜだろう。
 めちゃめちゃ緊張する。めちゃめちゃ怖い。約半年ぶり。やっぱ期間があけばあくほど、緊張するもんなんだろうか。
 前はせいぜい、「あ~、いてぇからいやだなー」ぐらいだったのだが、今はマルクの事が頭から離れない。
 あれ?こんなに怖かったっけ?って感じ。
 一年たったからかな。
 結果もなんだかすげー不安。不安になってもしょうがないのに。
 とりあえず、今日は寝れる気がしない。
 あーー、いつまでこんな思いすんのかなー。
 もう嫌になるー。


三月十七日
 さて、今日は通院だった。
 今日の通院は移植後一年となる、特別な通院。そのため、いくつかの検査をした。そのうちの一つがマルクなんだが。
 話は脱線するが、病院へはタクシーで行っている。で、今日もタクシーで行ったのだが、すっごい渋滞していた。
 昨日の地震が影響してたのかな?
 とにかく今まで止まらなかったとこで初めての渋滞。
 でね、本当に、渋滞中にタクシー料金がどんどん上がっていくのが納得できない。ずーっと同じ場所にいるのに料金だけがどんどん積み上がっていく。おかしくない?タクシーの言い分とすれば、渋滞とはいえ時間を取られてるんだから、料金が発生するのは当然だ!って感じなんでしょうか?
 でもね、こちらが対価としてお金を払ってるのって、運賃である。例えばキャバクラとかは「その人の時間」を対価にお金を支払ってるけど、タクシーって違うよね。言ってしまえば、ちゃんと目的地まで運んでくれる事に対してお金を払ってるのであって、運転手だったりそのタクシー会社の「時間」に対してお金を払ってるわけじゃない。極論、目的地に辿り着きゃ良いんですよ。迂回ルート使おうが何しようが目的地まで運んでくれりゃ良い。
 それを迂回ルートを探るでもなくボケーッと渋滞待ちしてて料金だけは吊り上がっていく。
 もうシンプルに運んだ距離=料金にしてほしい。
 こっちはマルクでドキドキしてイライラしているのに、更に渋滞でイライラして更に更に運賃の吊り上げで余計にイライラする。
 まぁちょっとクレームというか、言いがかりっぽくなったが、でも、納得いかないのは本当。
 渋滞は誰のせいでもない。
 それなのに、客がその「時間」に対する料金を一方的に負担するのは、なんか違うと思う。
 で、病院です。
 今日のメニューは
・採血
・胸部レントゲン
・心電図
・マルク
・血液内科診察
と、割と盛り沢山。
 採血、レントゲン、心電図、全くもって苦痛なし。というか、マルクのことで頭がいっぱいすぎて、心ここにあらず状態。
 そしていよいよマルクです。
 やはり、麻酔は痛い!まぁでも、ぜんっぜん我慢できるレベル。そして、骨の中に針がグリグリ入ってくる。この時の感覚がなんとも言えないのだ。痛くはないのだが、なんか、うぉぉぉ…って感じで体に力がめっちゃ入る。そして、血を抜かれるのだが、これがそこそこ痛かった。でも、いつもよりは痛くなかったような。少なくとも、緊張してたよりもぜんっぜん痛くなくて、ホントに先生に感謝しかない。
 最後に診察。
 ここのところ、膝から下と、ヒジ付近が痒い。で、ポツポツと赤みがある発疹が出る。
 そのことを伝えると、少なくともGVHDや白血病関連ではない、わかんないけどアレルギーかなぁ?と。
 まぁ白血病関係じゃないなら全然良い。
 採血結果は、尿酸値が八,三と高かったので、薬が出た。尿酸値はなんかずっと高い。まぁ食生活が自分でもやばいな、と思うような感じなので、薬を飲みつつ、食生活も改善したいと思う。
 でもなぁ、せっかく食べたいものを好きなだけ食べれるようになったのにな。で、またいつ食べれなくなるかわからないのにちょっともったいないよな、食生活を見直すのは。まぁ仕方ない。
 あとは予防接種について。
 免疫?抗体?があるもの、ないもの、の検査はしたので、次回教えてくれるそう。
 ただ、肺炎球菌ワクチンだけは打ったほうが良いとのこと。ここの病院では打ってくれないので、近所のクリニックで打つことになった。某ウイルスのワクチンもそうだけど、ここの病院で打ってくれれば良いのに。もう町医者には行きたくないよなー。
 次に薬について。
 僕は吐き気にすごく弱いので、ドンペリドンを頻繁に飲んでいる。ただ、先生から自分の意志で飲まないようにしないと、三十年ぐらい飲み続けるよ、と、割とマジな感じで言われてビビった。たしかに、そこまで気持ち悪くなくても、割と軽い気持ちでドンペリドンは飲んでしまっていたので、少し反省。
 でも、その一方で三十年この先生きられるなら飲み続けても良いかな?なんて思ったりもした。
 良くないですね。今後、薬の飲み方を見直したいと思う。
 最後にこちらから。
 今日やったマルクで、良くない結果になってしまう可能性はどれぐらいあるか?と質問した。なかなか無茶振りな質問だな、と我ながら思ったのだが、どうしても聞いてみたかった。
 そしたら案の定、わからん、って感じだったが、まぁ採血の結果を見ても怪しいのは無いし、可能性は低いんじゃない?って感じ。
 やはり、それよりも、そんな事は考えるのをやめましょうと言われた。
 まぁそれはわかってるんですけどねー。
 それができたら苦労しないんだよなー。
 あ、あと心電図に少し異常ありだった。結果的には心配する必要なし、と言われたのでそう思うようにするが、検査結果はアブノーマルと書いてあった。
 なんか、前にやった心エコーでも少し水が溜まってるとのことだったし、心臓がなんか心配。でも、心配しないようにする。
 とまぁ、こんな感じで移植後一年の通院は終わった。
 とりあえずは特に大きな問題がなくて良かった!またマルクの結果が気になって、次の通院日が近くなれば不安になると思うが、できるだけ気にせずに日常を楽しみたいと思う。
 で、食生活と薬の飲み方を見直したいと思う。


三月二十七日
 また恒例のナーバスになっている。
 理由はいくつもあると思いますが、やはり病気のことが前提にはある。
 まずは仕事関係。
 移植から一年経過したということもあり、四月からボチボチ復帰に向けて準備を始めていく。準備といっても、いわゆる「慣らし勤務」ってやつですかね。短い時間から徐々にやっていき、二、三ヶ月で本復帰って流れを目指している。なので、同じ職場の人とも連絡を取るようになったのだが、聞いてると、え?と思うことばかり。
 その①
 僕以外の人が全員異動になる。
 我社は四月に人事異動があるのですが、なんと、僕以外の人が退職も含めて全員異動になる。唯一残るのが、実務をよく知らないであろうトップの人間と、アルバイトに近い役職の人。いわゆる正規職員として、細かい実務まで把握してるのは僕だけということになる。これは、要するに、僕が中心になって仕事をしていかざるを得ないことになるのかな?と、とてつもなく不安。
 その②
 担当業務について。
 もともと病気になる前は、一人前以上の業務をやっていた。理由は僕以外の職員がダメダメすぎること。上司も評価してるから、と言って仕事を振ってくるので、仕方なく引き受けていた。
 で、僕が復帰した後の担当業務は、病気になる前と同じにしようと思ってる、と。その方が、勝手もわかってるし、誰かに聞かなきゃならないこともないから楽でしょ?と。
 いや、たしかに聞かなくてすむ点はおっしゃる通り楽です。でも、負担が全然軽減してないですよね?しかも、よくよく話を聞いてみると、病気になる前は三つこなしてた業務が五つに増えてる。
 いやー、負担軽減どころか担当業務増えてるじゃん。
 その③
 主治医の言うこと無視。
 先日の診察に上司が同行したが、その際に「感染症にまだ感染しやすいから、不特定多数の人と接するような仕事は控えて」とアドバイスをもらっていた。
 で、僕の担当業務。
 担当業務に「説明会」という不特定多数の人を集めて行う業務や、「面接の受付」という、これまた不特定多数の人と接する業務がある。
 思わず、何しに一緒に病院に来たんですか?と言ってやりたくなった。
 結局、わからないんだろう。
 主治医から面と向かって、あなたは某ウイルスに感染したら死亡率が健康な人に比べて格段に上がる、と言われた恐怖や、六十五歳以上が打つような肺炎球菌ワクチンを打たなきゃいけないような免疫状態であることや、子供の頃に打った予防接種がほぼ消えてるかもしれないということが。
 そして、その状態でいる僕がどれほど恐怖心をもって仕事に復帰しようと考えているか。
 そりゃできることならもっと休みたいですよ。
 でも、金が必要なんですよ。
 こちとら一錠一万する抗がん剤飲んでるんですよ。
 最終的には、次に新しく来る上司と細かい話は詰めて、と切り捨てられて終わった。
 そんなつもりはないのかもしれない。
 ただの被害妄想かもしれない。
 でも、僕にはもう異動するから関係ねぇや、としか見えなかった。
 病気した自分が悪いんですかね。とても残念で悲しい出来事だった。
 という、仕事の事でモヤモヤしてて、ここのところロクに飯が食えていない。こんなに不安になるとは思わなかった。
 今日、何気なくヤフーニュース見てたら、ミハイロビッチが白血病を再発したという記事があった。
 ミハイロビッチはサッカーのセリエAのチームの監督。
 僕が入院中には、この人が移植をして、割と早い時期に監督としてピッチに戻った、というニュースを見て、非常に勇気をもらった方。
 それが、まさかの再発になるなんて。
 これはいつになくショックを受た。
 きっと、次回の診察がマルクの結果が出るから、というのもあると思う。
 夕食もロクに食べれず、久々に子供を寝かしつけながら泣いてしまった。ナーバスですねぇ。
 人の優しさに触れると心はとても元気になるけど、その逆もまた効果は抜群で。
 今回は仕事の事も重なり、とてもボロボロになった数日間だった。
 きっと、あの上司はこんなことを思ってるなんて思わないだろな。自分の身は自分で守らなきゃと、改めて思い知らされた。
 とにかく!
 マルクの結果が何の問題もありませんように!


四月一日
 今日から徐々に仕事に復帰していこう、ということで、最初は二時間だけということで出勤した。出勤途中の電車とかは余裕。歩いてるときも余裕で、ポケモンゴーなんかやりながら歩いていた。
 でも、仕事場に着いて十分ぐらい経ってからだろうか。目眩と動悸と震えと寒気が。次第に呼吸が苦しくなってきて、話しかけてくれるオバちゃんも、ちょっとそっとしといて、って言いたくなるような具合に。たまらず、自席を離れ、一人に慣れるところへ行った。エチゾラムを飲んだら落ち着いてきたので、精神的なものだったのでしょうか。パニック障害の症状の一種だったように思う。
 なんか、やっぱり色々きつい。
 白血病の事も不安に思いながら、パニック障害の症状にも耐えて、某ウイルスの事も気にかけなきゃいけない。さらに、お金も稼がなきゃいけないから、いつまでも仕事を休んでるわけにはいかないけど、体力的にも体調的にもこなせる自信がない。でも、だからといって負担軽減してくれるかはわからない。知ってる人も助けてくれる人もいない。
 家に帰れば子供が保育園からウイルス持っている。今日は下の子が夕飯食べずに下痢してたので、たぶん夜中吐くでしょう。またピリピリしなきゃならない。
 もう疲れたな。
 仕事では同期や後輩達が、どんどん出世していた。元々出世には興味なかったけど、すごい置いてかれてるなって。
 一方ではバリバリ仕事して出世して、一方では復職できるかわからないどころか、まだ生きるか死ぬかの治療中で。
 もうホントに嫌になった。
 せめて、決められた時間、今日なら二時間、なんの問題もなく職場にいられたら、まだこんなに落ち込むこともなかっただろうけど、それすらもできない。
 そんなんだから、ぜんっぜん食欲もわかないし元気も出ない。
 子供達は進級したんで、お祝いしてあげたかった。去年は入院しててできなかったから。
 でも、全然お祝いなんて雰囲気にできなかった。
 最低な親です、ホント。
 完全に親ガチャはずれです、ウチの子達。
 もうなんだか、色々と疲れちゃいました。
 これからなのに。
 闘う相手が多すぎるし、巨大すぎる。


四月七日
 今日は通院だった。
 最近体調というか、精神的に病んでいた原因である、マルクの結果が聞ける日。
 もう朝からすごい緊張。タクシーで病院に行ったけど、途中緊張しすぎて気分悪くなって止めてもらうぐらい。
 それでもなんとか病院に到着。
 まずは採血。
 いやー、今日の採血はめっちゃ痛かったなー。これまでたぶん百回は採血してるけど、こんなに痛かったのははじめて。マルクの時の麻酔より痛かったかも。
 次は栄養指導。
 この時点で少し安心?したかも。だって、もしマルクの結果が良くなかったら栄養指導なんかやる必要なくね?って。そう考えてないと気が狂いそうだったので、無理矢理そう思うことにした。はっきり言って、栄養指導はほぼ頭に入ってこない。体重が三キロ落ちてたこと、今日で栄養指導が終わりなこと、ぐらい。
 さて、いよいよ診察です。
 とりあえず、精神的な不調を訴えた。
 先生は苦笑いしながら、心療内科にいきましょう、と。まぁそうだよね。血液内科で言う話ではない。でも、その一番の原因がマルクの結果です!と言うと、先生は思い出したように、あぁ~そういえば前回やったね、と。
 いやいやいや、そこは忘れないでください。
 そして、もう独り言のように、全然問題なかったです、と。
 ん?喜んで良いのかな?
 パソコンの画面で結果を改めて見せてもらって、問題なし、な事が確定しました!!!
 いやー、よかったよかった。
 何かあれば電話しますよ、と言われ、そうなんだ、と思ったけど、それはそれで怖いよね。
 とりあえず、心はだいぶ楽になった。それ以外は特に不調もないので、今日は診察終了。
 ホントによかったです!!!


四月十四日
 さて、これまで色々とあったが、今回は某ウイルス禍での闘病生活について書きたいと思う。
 昨日、某ウイルスの予防接種三回目を受けてきた。今のところ副反応は、倦怠感、軽い頭痛、吐き気、腕の痛み、ぐらい。たぶん、全然軽い方だと思う。それはそれで、今の所無事で何よりなのだが、子供が通ってる保育園で陽性者が出た。今年に入って五回目かな?多いか少ないかわからないけど、他のところと比べないのなら単純に多くね?って思う。
 特に今回は、先週も陽性者が出て休園していて、今週の月曜と火曜だけ行ってまた休園。子供達は、四月なので進級したばかり。新しいお部屋で慣れないことも多い中での休園連発。保育園のせいではないと思いたいが、子供が可愛いそう。
 そして、更に今回で今までと違うのは、濃厚接触者になったこと。当初連絡をもらったときは濃厚接触者ではなかったのだが、本日保育園から連絡があり、長男と同じクラスの子が陽性者になったよう。
 正直、いまさらです。
 火曜日に陽性者が出たと連絡をもらってから、ついさっき長男が濃厚接触者だと連絡をもらうまで、ガッツリ長男と絡んでしまった。もし感染してたら、俺も感染すると思う。
 それでです。
 僕は正直、某ウイルスが怖い。
 血液内科の主治医からは死亡率が上がるとはっきり言われたし、周りはただの風邪ですんでも、僕の場合はそうはいかないかもしれない、ナメちゃいけない、と言われている。
 白血病以外でも、高齢者の人や別の基礎疾患を持ってる方はたくさんいらっしゃると思うが、怖くないんですかね?僕が怖がりすぎなのかな?と時々思う。
 今も、もし子供が感染していたらと考えると、ご飯も食べれない。日常生活に支障をきたしているといえば、そのレベルかもしれない。妻は子供の世話をしなきゃならないから、と開き直っている。もちろん僕のことを考えてくれて、一人で面倒を見てくれてるのですが、時々、「え、そんなに怖いの?」と思ってるんだろうな、という言動がある。
 それは妻だけではなく、きっと職場の人も親も、同じような状況じゃない人にはそう思われてるのかもしれない。
「え、そんなに怖いの?」
 このフレーズ、すごい凹む。
 もちろん被害妄想かもしれないが。
 with某ウイルス。
 どんな時代だ?と思う。
 もう自治体はおろか、国としても某ウイルスに関してはワクチン頼み。自分の身は自分で守るにも限界がある。もし自分が白血病じゃなかったら、こんなに恐れていただろうか。余計な言動で凹んでいただろうか。某ウイルスがなかったら、闘病生活はもっと楽になっていただろうか。
 全て、たら、れば、の話だが、そう考えてしまう。
 某ウイルス禍での闘病生活。
 精神的にもなかなかきつい。


四月二十八日
 今日は通院日だった。
 七月から仕事を本復帰していく方向で今動いているので、諸々のスケジュールから今日復職可能の診断書の申請をした。まだ三ヶ月近く先の話なので、かなり違和感あるが。
 で、なんか四月ってどこも異動とかで大変なんですかね?いつもならスムーズに進む採血も滞っていた。それだけじゃなく、「痛いよ!」と怒ってる人までいて。そんなの今までなかったので、ちょっとドキドキしちゃったが、僕はなんなく完了した。
 さて、今日は血液内科の診察と、移植後一年のフォローアップがあった。
 まずは血液内科の診察から。
 毎回毎回緊張する。最近食欲と便通がよくないこと、軽くだけど動悸がすることを伝えるも、特段問題なしでスルー。僕にとっては一番嬉しい反応。スルーが一番。
 血液検査の結果も問題なし。
 で、今までは聞かないようにしていたんですけど、WT1について。
 ブログで時々目にする検査項目だが、今までこれについて特に主治医から何かを言われたりしたことはなかったので、気にはなりつつもスルーしていたのだが、ついに思い切って今日聞いてしまった。そしたら主治医も「ついに興味をもっちゃいましたか~」と冗談まじりに言っていたが、恐らく、悪い数値でもない限り、心配性で臆病な僕には説明して余計なストレスを与える必要ないと考えてくれていたんでしょう。ざっくりとは理解できた。そして、やばいときには電話をするそうなので、電話が無ければ問題ないんだな、と思うことにした。またそこでソワソワしそうだが。
 あと、予防接種についても、おたふくだけ免疫がなくなっていたので、そのうち打つことになった。結構打つのかな?って思ってたけど、肺炎球菌ワクチンとおたふくだけだった。ホントにこれだけで良いのかな?
 と、まぁこんな感じで、通院間隔も一ヶ月に伸びて、やっとこさ、ここまできたな、って感じ。
 次にフォローアップ。
 ここでは思いのたけをぶつけた。
 正直、体でキツイのってあんまないんです。一番キツイのって、精神的なものなんですよね。保育園で某ウイルスが出た、となればそれにビクつき、覚えのないアザがあれば再発にビクつき、風邪っぽければ再発にビクつき、とにかく心休まる、白血病のことを全く考えないでいられる時間が少ない。
 そして、今までできていたことができないのがとても辛い。
 近所のクリニックに行っても、ロクに診察もしてないくせに白血病だからと邪険に扱われるのが辛い。
 本当に、精神的なもののせいで食欲不振になってるんだと思う。
 たぶん、ガンになった人や他の病気で闘病している人は、抱えてるんでしょうね。
 そして、どうやってその不安と折り合いをつけながら生きていくかを毎日試行錯誤しながら生きてるんでしょうね。
 あるブログを読んだのだが、本当に大変で不安で仕方ないだろうに、それでも前を向こうとしている、という事を書かれていて、本当にすごいなと思った。
 僕はその方に比べれば、現時点では良好なのに、とてもじゃないけど、前向きになんてない。本当に前向きになれる時は、四年後だと思ってます。
 でも、それで良いのか、とも思う。少なくとも今は仕事にも復帰に向けて動いてるし、友人とも会えるし、家族とも過ごせる。それなにいつまでも後ろ向きでネガティブでいつも病気のことを考えてて良いのか?って思う。
 本当に闘病ってキツイっすわ。
 精神的に本当にキツイ。
 でも、とりあえず、何事もなく一年が経った。それはまぎれもない事実。あとはこれを積み重ねていくだけ。
 そして、その中身はネガティブな物になるかポジティブな物になるかは、もう自分の考え方や捉え方や感じ方次第。
 できれば楽しくね、生きたいと思う。


五月九日
 四月から少しずつ仕事に行っている。
 週二回、二時間から始めて、どんどん増やしていくのだが、今週からは、週三回で午前十時から午後四時まで。
 仕事って言っても、別に何もやらない。メールチェックして、たまに電話出て、たまに仕事のこと聞かれたりして、終わり。なんか、まだ休職者なので、担当をもっちゃいけないらしい。だから、周りも全然仕事振ってこない。
 でも、すっげーバタバタしてるから、周りがバタバタしてるなかでボーッとしてるのは正直気まずい。でも、何か振られても、やれる自信がない。
 なぜかわからないけど、職場にいるだけで体が緊張してるのがわかる。軽くドキドキもしている。めまいもしてくるし、気持ち悪くもなってくる。
 とてもじゃないけど、パソコンや書類に目をやることができない。
 そして、話をしてると息切れしてくる。仕事の事を聞かれて答えてるだけなのに、すっごく疲れる。
 なんなんでしょう。
 今日も初っ端からフワフワめまいが。安定剤を飲んでみるも、あまり効果はなく、とりあえずボーッと。お昼は何も食べれず。午後も安定剤飲みつつボーッと。
 今はまだ、職場にいるだけで良いんだ!と思いたいが、七月からは本復帰するつもりでいる。が、全く仕事できる気がしません!!
 これはまいった。予想外。
 こんなにも体調が優れないとは。
 慣れるもんなんでしょうか。
 不安です。


五月十日
 白血病の話ではなく、精神病の話。
 僕は今、おそらく精神疾患なんだと思う。
 思う、っていうのも、明確にあなたはうつ病です、とか、パニック障害です、とか言われてはいないのだが、通ってる病院は心療内科だし、出されてる薬も抗不安薬。
 実際、日常生活にも支障をきたしている。
 今は車に乗れない。なぜかタクシーは今の所平気なのだが。
 電車もたまに乗るのが怖い。
 これはパニック障害にある、予期不安というやつなんだと思う。また車、電車に乗ったら具合悪くなるかも、と、どんどん不安になって、しまいにゃ具合悪くなってしまう。
 あとは仕事。
 全くもって仕事にならない。例えて言うのなら、職場に入って自席に座ってるだけで、出発前のジェットコースターに乗ってるぐらい、体が緊張している。自分でもわかるぐらい。
 そして、それが当然長時間続けば、めまいや頭痛、吐き気などの身体症状が出てくる。
 他にも色々と、精神疾患であろう症状が出ているのだが、これが結構やっかい。
 そして、今日は心療内科の通院日だったので、その旨を伝えた。
 そしたら、薬が増えちゃいました。
 でも、いつもなら薬は増やさなくて良いです!ってきっぱり断るし、先生も、若干どうする?みたいな感じだったのが、今日はほぼ強制みたいな感じだった。そこまで症状が出ているのに何も手を打たないわけにはいかない、と。
 そして、僕自身も、やっぱりしんどいんで、いらないです、とは言えなかった。もうそう思う段階で、薬が必要なんだろうな、って思ってしまった。
 でも、やっぱり精神系の薬って怖い。白血病関係で薬が増えるのも勘弁だが、精神薬もなかなか勘弁って感じ。
 白血病になって、いつも再発におびえて、色々神経質になって、精神的に病んでもしょうがないじゃん、って思い込んではいる。きっと精神薬なんかに頼らなくたって生きてる人はたくさんいるし。
 なんか、どうしたら良いのかわからない。
 とりあえずは飲んでみようとは思う。
 そして効いてくれれば何より。
 そして断薬できれば万々歳。
 そう思って、過ごしていくしかないのかなぁ。

 そして、5時頃に、左のモモの外側がやたら熱を帯びているのに気付いた。ズボン越しにもわかるぐらいに。
 嫌な感じだったんで、起き上がって見てみると、皮膚が真っ赤。実は1年以上前から、水イボらしき出来物が出来ていた。左のモモだけじゃなくて、右足の股関節にも出来ていて、それは1月頃に自然に取れた。その時は、絆創膏のかぶれで痒みはあったものの、特段皮膚が赤くなったりとかはしていなかった。
 で、今回の左のモモも、あ、なんか取れてきそうってのは数日前からあって。なんとなく痒かったんだけど、あんま気にしてなかった。
 昨日ぐらいから、皮膚の赤みと痒さが増してきたのでオロナインを塗ったのだが、赤さはびっくり。水イボらしき出来物を中心に、半径7~8センチぐらいにまで赤みが広がっていた。
 ちょっとさすがにこれは、って感じなんだけど、近所に皮膚科がないので、時間的に行けず。というか、皮膚科行きたくない。結構皮膚科って出来物とかを平気で切り取るイメージがあって。
 また痛い思いすんの嫌なんです。
 でも、赤さが異常なので、白血病関連??とか、まさか皮膚がん??とか、色々考えちゃって。
 まーたメンタルやられてる。
 夕飯も食えず、家族ともあんま絡まず。
 病気の事になると、それ以外のことか手につかなくなる。
 家族の事も上の空。食事なんかもどうでも良い。
 ダメですね。完全に病気に心を支配されてる。てか、水イボじゃねぇのかよ。
 もーめんどくさい。
 白血病になってから、病院に行くのが本当に怖い。
 また怖い診断されたらどうしよう。
 また邪険に扱われたらどうしよう。
 なんでこんな事を考えなきゃいけないんだ!
 もーめんどくさい!!


五月二十三日
 僕が住んでる某市は、大都市。まぁそんなんだからダメなんでしょうけど。
 最近、某ウイルスについて、メディアでもあまり取り上げなくなった。結局、メディアは視聴率を取りにいってるんだな、ってのが本当によくわかった。
「なーんか、某ウイルスも大したことなくなってきちゃったな。もうニュースにしなくていいや。」
ってのが聞こえてきそうです。
 そんなんだからね、すっごい勘違いしてた。てっきり、もう色々と整備されてるもんだと思ってた。
 そりゃそうだよね。世間じゃマスクはずせだの、ただの風邪だの、まるでもう収束したかのような雰囲気。これなら風邪ひいてもすぐに病院に行って診てもらえる事ができるな、つーか、元に戻ったな、なんて思ってた。
 で、今日の夕方に妻が発熱した。三十八度を越えて、なかなか辛そう。
 某ウイルスの可能性も踏まえて、病院に行ったほうが良さそうだったので、一応、行く気満々だけど、念の為、病院に電話した。
そしたら
「予約でいっぱいです
え?
あと3件電話しました。
「予約でいっぱいです」
ええ?
 ぜーんぜん変わってねぇじゃん。
 なんにも整備されてねぇじゃん。
 とりあえず、市のコールセンターに電話で相談。
そしたら
「こちらでは病院の紹介しかできないんです」
はぁ?病院なんてネットに一覧表掲載してるじゃん。
それ見りゃわかるわ、そんなの。
続けて
「今のお時間だと、やはり受診は難しいと思われます」
いやいやいや。熱が出るって予測して、予約しろってか?
 僕は白血病の治療中で、感染すると困るんですけど、何かいい方法はないか、と尋ねると、しばらく考えて
「ご主人の主治医に診ていただいてはどうでしょう?」
馬鹿野郎。
 なんで俺の主治医が妻の、しかもただの風邪かもしれない症状を診てくれるんだよ。それこそ、大きな病院なんだから、予約どころか紹介状とか必要だわ。適当も大概にしろやクソが。
 これが、某市の現実です。
 急な発熱で受診できる病院がない。
 急患に対応してこそのクリニックじゃねぇのかよ。
 そして、ただの病院紹介に人件費割いてるバカ市長。
 いい加減にしろや。
 某ウイルス騒ぎになって何年たってんだよ。
 未だに受診できないって何やってんだよ。
 ウクライナの事を表敬してましたね。そんなことする前に、てめぇの市の事を考えろや。熱が出て病院にすら行けない市民がいるってことが、どんだけトンチンカンか考えろや。情けない。結局、公約なんてただの戯言だね。詐欺師もいいとこだよ。
 保育園では手足口病、ヘルパンギーナ、アデノウイルスが流行ってきたそう。
あーーーーー。病気うぜぇ。
なんか唇変だから、またヘルペスだな。
あーーーーー。病気死ねや。
 イライラするわー。


五月二十五日
 人によっては不快に思われるかもしれませんが、率直に思ったので。
 最近、仕事に行くペースが上がってきて、少し体力なんかもついてきたりして、いい感じに過ごしている。
 でも、この良い感じに水を差すやつがいる。
 例えば、二週間後のこの日、時間ある?なんて上司から聞かれるとしよう。もちろん空いてる。気持ち的にはそんな感じだし、実際予定なんかない。
 でもね、一週間後に血液内科の通院日がある。そうすると、いやー、通院して問題なかったら予定大丈夫です、っていう余計な文言が入る。当然そんな事は口に出して言わないけど。言われた方も困るだろうし。
 要するに、先のことが考えられない。
 何か予定が入る度に、「通院で問題なかったら」という文言が自然と頭につく。
 これは僕だけかな。
 だから、普通に職場で来週の行事の話をしてる人達が羨ましい。
 ゲームで来月イベントがあるぞ!って楽しみにしてる人達が羨ましい。
 今月は忙しいから、来月飲みに行こう、と、来月の事を考えてる人が羨ましい。そもそも飲みに行けるのが羨ましい。
 職場に行ってると、やっぱり日常を取り戻してる感じになってくる。平日に毎日家にいるほうが非日常だったので。
 そんなときに、ふと、あ、俺はまだ白血病の治療中だったんだ、って思い出す。それがね、すごくズシンときまして。
 それまで意気揚々と業務の説明をしたりしてても、それを思い出すと、何をエラそうに説明してんだか、とか思ってしまう。
 なぜなら、通院して何かあったらまた休まなきゃいけなくなるから。通院しなくても、何かあったらまた休まなきゃいけなくなるから。そして、そうなる可能性が健常者よりも高いから。
 人それぞれ悩みはあるもので、職場の人達も僕が知らない悩みをきっと抱えてるんだと思う。
 だから、一概に自分のが不幸だ、みたいな考え方はするべきじゃないんだけど、でも、羨ましく思ってしまうのは仕方ない。今まで、自分は向こう側の人間だったんだし。
 あー、早くこの悩みから開放されたい。
 病気のない世界へ行きたい。
 明日は通院です。
 通院が近くなると、ナーバスです。毎度のことです。
 はぁ。


五月二十六日
 今日は通院日だった。
 朝からバタバタで大変だった。
 病気とは全然関係ないけど、子供の尿検査がありまして。次男のおしっこが全然出なくて、妻が物凄いイライラ。
 気持ちはわかるんだけどね。イライラしても出ないもんは出ないし、緊張するとおしっこって余計出ないよね。
 そんなんで、いつもよりも病院に行く時間が遅くなりました。ちょっと遅くなるだけで採血の待ち時間が約2倍に。最近採血混んでるなー。
 そして痛かったー。上手な人と痛い人の違いってなんなんだろ。
 さて、診察。
 一ヶ月も空くと、なんか色々と報告することが多くて、大変。
 とりあえず、頭痛、めまい、食欲不振の症状があること、仕事に行くと悪化すること、それを心療内科に相談したら新しく薬が処方されたこと、今家庭内で風邪がまん延していて、保育園では手足口病、ヘルパンギーナ、アデノウイルスが流行ってること、僕自身も少し具合が悪いこと。
 良くも悪くも体調に大きな変化はなし。
 で、先生も、なんか、うんうんって聞いてはいるけど、なんか、白血病と関係ないね、みたいな感じ。それこそ、本当に近況報告って感じ。診察ってよりは。
 保育園で流行ってる感染症も、保育園あるあるにもならないぐらい当たり前に生息しているウイルスたちですねー、と笑い話にされたり。
 僕の体調不良もリンパ触って、喉を見て、問題なし、と。
 そして、血液検査の結果ですが、問題なし。でも、尿酸値がやはり高い。尿酸値を下げる薬を辞めたらまーた上がってきやがった。もう体質かな?
 と、いうわけで、無事、診察を終えた。
 あとは、前回聞いてしまったWT1の値が問題ないことを願うばかり。
 一週間、またソワソワするけど、とりあえずよかった!


五月三十一日
 本を書いてみたいと思う。
 実際、もう執筆している。
 なぜ本を書こうと思ったか。
 それは、色々と理由がある。
 一つは、もちろん、お金のため!でも、楽したいとか、豪遊したいとか、そんな理由じゃない。
 正直、いつ絶えるかわからない命なわけで、できるだけ、一円でも多く残すことができたら、残された側は楽になるのかな、と。
 次に、同じ病気で闘っている人に向けて。それはブログとかでも事足りるかもしれないが、ブログだと、見つけるのに苦労するし、見つかったものが求めていたものかわからないし、とにかく色んな情報が入り混じってて、これだ!ってのがなかなか見つからない。
 その点、本であれば情報をまとめて提供できると思った。幸い、僕は治療が順調にいってる方だと思う。てか、そうであってください。
 入院してるとき、一番の励みは、同じ病気の人が元気に生きてること。
 それをお伝えするには本が一番適してると感じた。実際、僕も二冊読んで、救われた部分もある。
 最後に、日常の大切さを改めて知ってほしいから。
 今、某ウイルスの影響もあって、著名人も含めて自殺が本当に多い。もしかしたら、想像もつかないような苦しみがあったのかもしれない。
 でも、やっぱり、自分から死なないでほしい。
 僕や同じ病気の人やそれ以外の病気の人だって、生きたいけど生きれないかもしれない。
 それなのに、自分から死なないでほしい。
 まぁ綺麗事に聞こえるかもしれないが、でも、本当にそう思う。
 僕が書いてる事で自殺を止められるなんて、そんなだいそれた事は考えていないし、思ってもいないが、それでも、もし何かを感じとってもらえたら、と思う。
 まぁ他にも色々理由はありますが、概ねこんなところ。
 しかし!
 執筆はできても、出版の仕方がわからない!
 出版ってどうやってするんですか!!
 素人でもできるんですか!!
 散々苦しめてきやがる白血病。どうせなら、こっちも利用してやる。
 そして、できれば一人でも多くの人をちょっとでも救えたらと思う。


六月六日
 今日は復職に向けて、会社の産業医と面談をした。
 ただでさえ、なんか緊張するのに、なんと面談する場所が建物の二十六階。
 たけーよ、たけーとこ、こえぇんだよ。
 つーか、健康相談するのに気圧で健康害するんだけど。
 もうちょっと考えられなかったのかね、とか思いつつトイレに行くと、トイレに窓が。窓っつーか、壁一面ガラス張り、みたいな?すいません、下品ですけど、きんたま縮み上がりました、マジで。二十六階からの景色、半端ない。
 こんなもん見せながらトイレさせられても、出ない。いや、出たんだけど。
 さて、本題の産業医との面談。
 今までクリニックに行っても白血病はわかんない、みたいな対応されていたので、産業医なんてもっとそんな感じなのかな、と思っていた。
 だから、さっさと適当に終わらしたかったのだが、すっげー喋る先生だった。女性だったが、もうマシンガン。
 ちょいちょい「あーたね、あーたね」と、デヴィ夫人になる。
 最初は言いたい事言いやがってコノヤローと思っていたが、終わってみればそんなに悪くなかった。
 内容は、白血病の事より、心療内科系の薬を飲んでる方に話が結構飛んだ。
 白血病については、私は大丈夫だと思ってる、あーたの主治医の言っていることが全てで、それが正しいと思う。何より、スプリセルという薬を飲めてる事で、より大丈夫というのが確信になる、みたいなことを言っていた。
 ホントかよ、とか思ったし、軽々しく大丈夫とか言って期待もたせないでほしいんだが、でもやっぱり医者から大丈夫と言われると、なんだか嬉しい。仮にそれが適当であっても、「医者が大丈夫と言った」という事実は、僕に安心感をくれる。
 で、話は心療内科系の話へ。
 やはりエチゾラムを飲んでるのが気にかかるよう。僕は完全に依存しているだろう。そして産業医も、処方量を見てそれを感じたのだろう。
 飲み方や心療内科の先生はなんて言ってるか、など色々聞かれた。
 もう飲んじゃってるからしょうがないけど、精神系の薬ってやっぱり特殊なのだろうか。ローンの査定にも引っかかるし。
 精神薬って名称が悪いと思う。
 そもそも心の病気って言いうけど、心なんて臓器はない。空想にすぎない、心なんてものは。
 全ては「脳」という臓器が不具合を起こしているので、正式には脳疾患。精神疾患なんて存在しないのに、未だにそう言ってるのは不思議でならない。
 昔から日本は精神論が多い。それの名残りだろうか。
 まぁとりあえず色々聞かれたが、結果的には復職の方向で話を進めてもらえることになった。
 ただ、仮に復職できなかったとしても、僕にとっては悪い結果ではなかったと思いなさい、と言われた。
 ポジティブに考えれば、まだ休めるってことだろう。お金ほしいんですけど。
 でも、産業医のイメージは少し変わった。お飾りなだけと思っていたのが、ちゃんと職員をケアし、職場の事や仕事の配慮の事も考えてるだな、と感じた。
 七月に復職できたら、また三か月後に面談があるので、そこを目標に頑張りたいと思う。


六月十八日
 復職に向けて、あと二週間となった。
 昨日はそこを意識して、病気後、初めてのフルタイム勤務をしてみた。
 まず、出鼻をくじかれた。
 電車に乗るのが怖い。
 今まではそんなに混雑してなかったので、なんとか乗れていたが、フルタイムとなると出勤時間も早くなるので、ちょうどラッシュの時間。
 加えて、僕はパニック障害か広場恐怖症であるため、なおさら電車に乗るのが怖い。
 それでもなんとか乗った。
 一駅ごとに降りて休憩するか悩んで、気持ち悪くなってきてもなんとか耐えて、もう頭クラクラで発狂しそうだったけど、なんとか最寄り駅に到着。
 この時点でもうグッタリ。
 気持ち悪さがおさまらないので、吐き気どめと安定剤を服用して、勤務時間開始まで安静にしていた。
 なんとか勤務時間開始までには少し回復して、自席にいることができた。
 勤務時間中は、時々めまいがしたり、動悸がしたり、頭が痛かったり、肩・首がこったり、と、様々な身体症状が出てきたけど、安定剤を頼りになんとか乗り切った。ホントは安定剤に頼りたくないんだけど。
 帰りの電車は、朝よりは空いていたものの、座れはしない。
 で、もう既にグッタリなので、めまいがして気持ち悪くなったが、なんとか自宅の最寄り駅まで到着。
 家に入るなり、速攻で横になり、そこから一時間動けなかった。一時間たってようやく少しだけご飯を食べて、お風呂に入ったときのことだった。急に激しいめまいが襲ってきた。完全に船に乗ってるような感覚。波の揺れ。
 これ、めちゃくちゃ気分悪くなる。
 全ての作業を適当に切り上げて、速攻で風呂から上がった。
 まだ、ぐわんぐわんする。
 速攻で安定剤を飲んで、パンツ一丁のまま、ソファにもたれかかって、不安が消えるツボを抑えながら、早くめまいがおさまるように祈っていた。絶対に吐きたくない。
 その甲斐あってか、なんとか三十分後ぐらいにはおさまり、いつもはゲームをするのだが、それもあまりできず、早めに寝た。
 今朝はとりあえず少しだるいぐらいでした。あー、いつもの自分かな?と思ったら、夕方にきた。
 買い物に行ってると、急に船の上を歩いてるような、揺れる橋の上を歩いてるような感覚に襲われた。またあのめまい。
 なんとか我慢してたけど、たまらなくベンチで休憩。そして、今回はなかなかおさまらず、夕飯食べれず、今も立ち上がるとグワングワンするので、ソファにもたれかかっている。
 いやー、まいったな。
 血球の影響かな。
 仕事の影響かな。
 いずれにしても、たった一日フルタイム出勤したぐらいでこのダメージは予想外だな。しかも、仕事なんて何もしてないし、ただ座ってるだけだし。この前の産業医との面談でフルタイムでもいけるって言ったけど、これ、キツイな。
 困ったなー。もう思うようにいかなくてイライラするし、悔しくて泣きたくなる。
 こんな病気にさえなってなければ、って考えるなっていうほうが無理。
 失ったもの多すぎて、得たものなし。
 もう疲れる。


六月二十二日
 めまいが治らない。
 一昨日、近所のクリニックでMRIを受けたが、特に異常なし。
 異常なしなのは嬉しいが、原因不明なのは変わらず。おそらく、緊張性だということで、筋肉の緊張をほぐす薬を出してくれたが、今のところは効果は感じず。
 仕事はおろか、外出もできない。
 これに加わり、夏の暑さがこれからやってくるというのに、仕事なんてできんのかな。
 もう普通でいいよ。
 筋肉モリモリじゃなくても、スタイル抜群じゃなくても、痩せ型でも、肥満じゃなくても、髪の毛フサフサじゃなくてもいいから、普通の体に戻してくれよ。いつになったら普通になれんだろ。
 バスケやりたいとか思ってたけど、今の俺からすれば、サッカーの日本代表に入ってワールドカップに出たい、ってサッカー素人が思ってるぐらい夢の話。
 お金もない。
 治療費高い。
 仕事のせいで具合悪くなってるのに、仕事に戻れない不安とストレス抱えてる。
 すっげー矛盾。
 まーじでどうしよ。 
 とりあえず、明日は血液内科。不安。ちょー怖い。
 そもそも、この目眩の状態で辿り着けるかな。
 もーやだな。


六月二十三日
 今日は血液内科の通院だった。最近病院行きまくってるな。
 目眩が治らないままだったので、かなり不安だったが、なんとか無事行くことができた。
 そして、主治医にさっそく相談。
 もちろん専門医ではないので、たぶんとのことだが、良性発作性頭位めまい症ではないか、と。先生自身も何度か経験されてるそうで、治療法はあるにはあるけど、ぶっちゃけほっといても治るらしい。少なくとも、白血病が原因ではないとわかってホッとした。
 その他の血液検査も特段問題なしで、万々歳だが、目眩がまだ治らない。
 来週は仕事に行きたいから治ってほしいな。
 とりあえず、病院は無事終わって良かった。


六月二十九日
 相変わらずめまいがする。
 今日は仕事に行かずに耳鼻科に行った。
 めまいで診察してもらえるのは、脳神経内科、耳鼻科、循環器内科などだろうか。
 脳神経関係は、MRIまでとってもらって問題なしだったので、脳は安心。
 循環器系は、特段心臓の検査とかはしてないが、血液内科で循環器系のめまいとは症状が違うとのことなので、たぶん問題なし。
 残るは耳鼻科。内耳関係のめまいが可能性としては最後。
 結果は異常なし。
 んー、困ったな。八方塞がり。
 しかし、診察を受けるのに緊張して、めまいしてきた。なんか、緊張するとめまいがする。こんだけ検査して異常なしってことは、もう精神的な部分からきてるとしか思えない。もしかしたら一番やっかいかも。
 さて、二〇一二年、大好きなミスチルのライブに初めて行った年。ちょうど十年前。
 そのライブDVDを何気なく見ていたのだが、なんか、色々と思い出してしまった。
 当時は全然元気で、次の日が仕事でも関係なくライブに行っていた。
 満員電車も特急も、何の躊躇もなく、何も気分悪くなることなく乗れていた。
 食事もモリモリ食べれて、お酒もタバコもバリバリだった。
 車も大好きで、仕事が終わってから友人とドライブしていた。
 次の日仕事でも、カラオケに峠を超えても行っていた。
 そして結婚し子供が産まれた。
 色んなところに旅行に行った。
 長男は本当に色んなところに連れて行った。僕は車の運転が大好きだったので、本当に車で色んなところに行った。
 そして、バスケを始めた。
 毎週バスケをやって、飲みに行く。
 これが、日常になっていた。
 時には夜中まで残業し、週末はバスケに行って飲みに行き、家族とお出かけをしていた。
 そして、パニック障害になった。理由はまぁストレスとかなんだろうけど、ぶっちゃけわからない。
 そして、白血病になった。
 この十年間で得た楽しみを、全て奪わた。
 車に乗れなくなった。電車に乗れなくなった。仕事ができない。バスケもできない。ご飯もあまり食べれない。お酒もほぼ飲めない。タバコは当然辞めさせられた。ライブなんか論外。カラオケも家で二、三曲が限界。
 残ったのは家族だけ。
 それだけでも幸せだと、そう言い聞かせてますが、そんなわけあるか。
 家族がいてくれるのは嬉しい。でも、失ったものが多すぎて、幸せだと思えない。
 失ったものばかり数えるなって?数えますよ、そりゃ。んなもん、綺麗事だよ。
 人生変わっちまったよ。どうポジティブに考えたら良いのかわかんねーよ。
 せめて仕事だけでも元通りに戻りたくても、うまくいかない。タイミング悪く体調悪くなるし、記録的暑さって。
 なんか俺に恨みでもあるんですかね。
 たった十年で、こんなにも人生が動いてる。
 今がたまたま谷底にいるだけで、これから山に登って行くのだろうか。
 とにかく、今はただただしんどいです。
 お金があれば仕事の悩みなんてなくなるのにな。
 なんにも気にせず休職するのにな。
 十年前に戻りたい。


 以上が、僕が残していた記録である。
 今読み返してみても、愚痴や弱音やネガティブな事ばかり記録として残している。
 元々ネガティブ思考の人間ではあるのだが、ここまでネガティブにさせるのはやはり白血病という病気の重さだろう。
 入院して、抗がん剤を使った治療をして、移植をして、退院をした。でも、治療はそれだけでは終わらなくて、自宅でも療養をする。しかしその療養は体の負担よりも精神的負担のがはるかに強く、入院時とはまた違った辛さに苦しめられた。

 あくまでも僕の経験ではあるが、これが白血病患者のリアルな療養生活である。
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