生きる、そして生かされる

ゆとそま

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「僕は、なぜ生きているんだろう。」

  この24年間、そんなことばかり考えていた。いや、正確に言えば21年間か…。

  僕は産まれた時からずっと施設で育ってきた。物心がつくのが3歳前後だからなのかはわからないが、3歳以前の記憶が僕にはない。そんな幼い頃の記憶がないのは当然だ、という思いもあり、特に記憶がないことは気にしてこなかった。いつだったかテレビで見たが、産まれた時からの記憶がある、という天才少年がいたが、そんなものは本当かどうかわからない。おそらく、この世の中で3歳以前の記憶を気にしてる人というのは極稀な人だろう。
  さらに、僕は本当の誕生日がわからない。本当の名前もだ。身分証明書として免許証や保険証など持ってはいるが、それが本当に僕なのかがわからない。ただ、僕が僕としての身分を与えられた日のこと、3歳なんだなと自覚した日の事は鮮明に覚えている。
「君の名前は、桜井輝彦(さくらい てるひこ)だ。誕生日は5月1日。そう、今日なんだよ。今日で君は3歳だ。さぁ、あっちで一緒にケーキを食べよう。」
  そう言ったのは、当時僕が育った施設の職員だった福島さんだ。この日から僕の名前は桜井輝彦になり、誕生日は5月1日になった。
  それから僕は、小・中・高と、無難な人生を歩いてきた。特に「施設で育っている」というコンプレックスは無かったが、なぜか人と接するのが嫌いだった。というよりも、人に対しても物に対しても興味が湧かないのだ。今でこそ24歳の大人になり、社会で生きていくうえでの最低限のコミュニケーションはとるが、学生の頃はほとんど1人でいた。施設の中でも福島さん以外とはほとんど関わりを持たなかった。そんな僕でも、2つ気になる事があった。それは、なぜ僕は施設に預けられるようになったのか、と、お腹にある「大きな傷跡」だ。中学生の頃、その2つの事について福島さんに聞いてみた。福島さんは神妙な面持ちになり、答えた。
「輝彦が産まれて間もない頃にな、お前とお前の両親は交通事故にあったんだ。お前は奇跡的に助かったが、両親はダメだった…。元々お前の両親とは知人で、よく酒を飲みに行ったり、旅行に行ったりしていたんだ。もちろん、施設はいくらでもあるんだが、輝彦の両親の息子ということであれば、ぜひ俺が面倒を見たいと思った。だからお前は今ここの施設にいるんだ。」
  そう言って福島さんは逃げるようにタバコを吸いに外へ出た。神妙な面持ちの裏に何か隠してる雰囲気を感じたが、施設にいる子供達はみんなそうだろう。なにせ、親と離ればなれに暮らしているのだ。人に対して疑心暗鬼になっても不思議ではない。ましてやそれが自分が施設に預けられた理由であれば尚更疑ってかかるだろう。僕はそう思うのと同時に「ありきたりな理由だな…」と少し肩透かしを食らった気分になった。お腹の傷の事は言っていなかったが、おそらく手術の跡か事故の時にできた傷の跡か、そんなところだろう。これ以降、僕はこの件については2度と聞かなかった。

  僕は今、市役所で勤めている。無難な僕の就職先としては最も適している就職先だ。何か法でも犯さない限り食いっぱぐれる事はない。市役所といっても様々な部署があり、僕が配属されている部署は生活保護費を支給する部署だ。最初配属先を聞いたときには、来庁者が多いだろうなぁ…と想像し、人と接するのが嫌いな僕にとっては憂鬱極まりない部署だ、とかなり落ち込んだが、実際に来庁者の対応をするのは専門の職種の職員がやってくれるので、事務職として採用された僕は滅多に人と接する事はなかった。 
  生活保護費を受給する人には、色々な人がいる。病気などが理由で働けない人、母子家庭の人、そもそも働く気がない人。専門職の職員は、それぞれの人に寄り添って、一生懸命就職を促したり、相談に乗ったりしている。人に対して興味がない僕にとって、それは考えられない行動であり、つくづく事務職で良かったと思い知らされる。
   ある日、昼食をとるために商店街を歩いていると、今朝生活保護費を受給しに来た中年男性が目の前を歩いていた。直接接点が無いとはいえ、顔を覚えてられたら面倒くさいので、気付かれないようにその中年男性の後ろをノロノロ歩いていると、その中年男性はパチンコ屋に入って行った。その中年男性が受給したお金で何をしようが中年男性の自由だ。その結果、この先どうなろうが僕の知った事ではない。そもそも僕は人に興味が無いのだ。考えるだけ時間の無駄だし、考えたところでどうにもならないし、どうにかする気もない。そう思いながら定食屋に入ったのだが、なぜかその中年男性の事が頭から離れない。あの人は何のために生きているのだろう。働きもせず、国からお金を貰いパチンコに行く。パソコンが楽しいから生きているのか?本当は死にたいけど死ねないだけ?こんな事が頭をグルグルと駆けめぐるのだ。そして、最終的に、僕はなぜ生きているのか?と考え始める。
  大体そうなのだ。これまでもそうだった。人に興味がないくせに、他人の行動や理不尽な要求、そういったものを目の前に突き付けられた時、必ず自分の生きる意味を考える。そして、その考えが頂点に達すると、僕は死のうと思うのだ。僕が死んでも誰も悲しまない。誰にも迷惑をかけない。ひっそりと静かに誰にも見つからないように、死にたいのだ。これまでも何度も自殺を試みた。リストカット、首吊り、薬、飛び降り。ただ、どれもこれも試みただけだ。実践はしていない。決して怖いわけではないのだ。実際に飛び降り自殺を試みた時にはビルの屋上まで行った。そして、冷たく固い柵を乗り越え淵に立った時、恐怖よりも救われる思いの方が強かったのだ。ではなぜ実践できないのか。それは記憶が甦るからだ。あるはずのない、3歳の時よりも以前の記憶。それは極々一般的な家庭の幸せな温かい記憶。両親に愛され、ご飯を一緒に食べ、お風呂に入り、両親と同じ布団で眠る。そんな記憶が頭中を駆け巡り涙が止まらなくなる。体の力は抜け、その場に座り込みひたすら涙を流す。そして、ふと我に返り、自殺をやめるのだ。もしかしたら両親に愛されたいと深層心理では思っていて、その妄想が「死」という極限状態に向かおうとする時に頭の中で駆け巡るのかな?と思っていたが、自殺を実践する直前以外は絶対に思い出せないのだ。確かにあの時頭の中を駆け巡った両親と思われる人の顔も、ご飯のメニューも、お風呂の形も色も、布団の暖かさも何もかも。この記憶は何なのだ?なぜ僕の死を邪魔する?そもそも、僕が産まれてすぐに両親は死んだはずだ。この謎が解けない限り、僕は死ぬ事ができない。
「お客さん、食べないなら下げちゃうよ?」
  定食屋の店主の声に我に返った。ここが定食屋でなければ僕はまた自殺を試みただろう。幸か不幸かはわからないが、とりあえずここは定食屋だ。僕は冷めきった定食をたいらげて、急いで職場に戻った。

「今日は飲みに行くぞ。たまにはお前も付き合え。」
  職場に戻ると同僚の松本から声をかけられた。
「いや、今日は予定あるからやめとくわ。」
  当然こう答える。人嫌いな僕にとって、飲み会ほど時間の無駄なイベントはない。これまでも、1度も飲み会には参加した事がない。
「そんな事言うなよ!今日の飲み会は特別なんだ。佳菜子ちゃんが結婚するんだってよ。同僚の結婚祝いの時ぐらい顔出せよ。」
  渡辺佳菜子。同じ職場の同僚だ。僕の人嫌いは異性とて例外はない。もちろん、この24年間恋人がいた事はないし、そもそも性欲というものが無い。おそらく僕は欠陥人間なのだ。これもまた、死にたくなる原因の1つでもある。
「いや、だから予定があるんだって。」
「結婚だぞ!?結婚!そのお祝い以上に大事な予定なんてないだろ!」
  松本は少し声を荒げた。こういう所も人の面倒くさい所だ。なぜ他人のためにこんなに感情的になるのか。そもそも結婚をめでたい事だと僕は全く思わない。ただでさえ人と関わるのが苦痛なのに、結婚して一生他人と生活していくなど何がめでたいのか。
「え~、桜井さんも飲み会来てくれるんですかぁ?」
  渡辺が甘ったるく人懐っこい話し方で声をかけてきた。
「いや…予定があるから。」
「こいつ、全然ダメなんだよ!せっかく佳菜子ちゃんの結婚祝いだっていうのに。もうこんな奴放っといてあっちで店でも決めよう!」
  松本はそう言って給湯室の方に渡辺を連れていった。正直、ホッとした。どんなにひどい罵声を浴びさせられようが、飲み会に行かないで済むならそれで良い。僕は自分のデスクに戻り、仕事に取りかかろうとしたが、胸の中にモヤモヤが残っていた。それは飲み会を断り罵声を浴びせられた事ではなく、定食屋で考えていた事だった。

  その日の夜、僕は結局飲み会に参加した。理由は罵声を浴びせられたからではなく、怖かったからだ。午後の勤務時間中、定食屋での事が頭から離れなかった。おそらくその状態で家に帰り1人になれば、僕は自殺を試みるだろう。ただ、死ぬ事が怖い訳ではない。むしろ、死ねるならその方が良い。本当に怖いのは、あの記憶が駆け巡る事だ。見た事もない知らない大人の男と大人の女とその子供。その3人が幸せそうに家族を演じている。僕からすれば記憶とはいえテレビドラマを見ているようなものだ。ただ、そのテレビドラマは僕の頭の中でリアルに駆け巡り、あたかも僕がその家族の一員と錯覚させる。そして、我に返る頃には幸せな感情から一気にドン底の恐怖心へ突き落とすのだ。それが死ぬ事よりも何よりも怖い。飲み会に参加すれば少なくともそこは居酒屋で、僕が自殺をしようとすれば誰かが止めるだろう。それに、お酒には弱いので酔っぱらってしまえば帰ってから余計な事を考えずに眠る事ができる。
「それでは佳菜子ちゃん、結婚、おめでとう!!!!」
  松本がバカでかい声で乾杯をする。本当にうるさい男だ。
「いやー、佳菜子ちゃん結婚しちゃって寂しいよ。俺、密かに狙ってたんだけどな~。」
  他の男連中も渡辺にゴマを摩っている。そんな男連中を見て渡辺はまんざらでもない様子だ。くだらない。結婚が決まってるのにちやほやされて喜ぶ女、結婚が決まってる女にゴマを摩る男、このやり取りに何の意味がある?あわよくば、など狙っているのか?僕は話を聞いてるふりをして、お酒を飲むペースを上げた。まぁ昼間の事を考えるよりはこのみっともない男女のやり取りを評論している方が気が楽だ。居酒屋にはテレビが設置されていて、隣の客が放送されている野球中継を見ながら一喜一憂して騒いでいた。僕は「うるさいな」と思いながらテレビに目をやった。その時だった。野球中継からニュースに突然切り替わった。またどこかで地震でも起きたか?と思ってテレビから目を切り、くだらない男女のやり取りに耳を傾けたが、ニュースの内容が耳に入ってきた。
「臨時ニュースです。午後7時半頃、◯◯で通り魔事件が発生しました。被害者は現在確認できてる中で重軽傷者あわせて5名との事です。犯人と思われる男は突然ナイフのような刃物で無差別に殺傷行為を起こしたと見られており、現在、警察が行方を追っています。」
  心臓が跳ね上がった。

  通り魔事件…?

  気がつくと手は震え冷たくなり、冷や汗と吐き気、目眩が急に襲ってくる。
「あ~、またこういう事件かぁ。怖いなぁ~。」
  渡辺が呑気に甘ったるく言っているが、その声を聞いて僕の心臓が張り裂けそうに鼓動し始める。
「桜井?どうした?顔色悪いぞ?」
  松本が声をかけてきた。答える余裕もなく、僕はトイレに駆け込んで、その場でへたり込んだ。体の震えが止まらない。心臓が胸を突き破って出てきそうだ。目の前がぐわんぐわん歪んで見える。お酒を飲み過ぎたか?それにしたってこの症状はおかしくないか?俺、このまま死ぬのか?でもおかしいな、死ぬならあの記憶が頭を駆け巡っても良いのに、何も甦ってこない。ダメだ。考えるのも辛い。僕はそのまま目を閉じた。

「・・い・・・らい・・・・・桜井!!」
  松本の声だ。ここはどこだ?何があった?そう思って辺りを見渡す。
「お前、大丈夫か?飲み過ぎたんじゃねぇか?」
  そうだ、ここは居酒屋のトイレだ。何でここにいるんだっけ?あ、あのニュースを見てからだ。色々と状況が把握できてくる。
「おま・・小便もらしたのか?」
  松本がニヤニヤしながら馬鹿な事を言っているので床を見ると、確かに濡れている。しかし、ズボンは濡れていないし嘔吐した形跡もない。とりあえず立ち上がってみようと体を動かすと、シャツがべっちょりと体に張り付く。まるでシャツを着たまま海に入った時のようだ。鏡を見ると髪の毛もびしょびしょに濡れている。という事は、床が濡れているのは俺の汗か…?こんなに…?
「無理矢理誘って悪かったな。金は良いから今日はお前帰れ。」
  松本が言った。確かにこのまま飲み会の席にいるのは辛いので帰る事にした。昼間の定食屋での事、夜の居酒屋での事、僕の頭の中は大混乱だった。まだ足下がフラフラする。とりあえず水を買って、道路の縁石に腰を下ろした。トイレで座り込んでいたのだから、汚さも気にならなかった。考えようにも何を考えて良いのかわからない。ただただ時間だけが過ぎ、次第にまた自殺の事が頭をよぎる。その時、ふと思い出した。以前にも同じ様な事があったのだ。あれは家にいる時、テレビをつけたまま何気なく横になっていた時に通り魔事件の臨時ニュースが放送されたのだ。その時僕は、手足が震え、冷や汗をかき、吐き気と目眩からその場から動けなくなった。その後どうなったか記憶が曖昧だが、その症状だけは覚えている。今回と類似した症状だ。その時は、あまりに理不尽で凶悪な事件なだけに、ショックが大きかったのだろう、と勝手に解釈していたが、考えてみればそれ以降も同様の凶悪事件のニュースや災害など、理不尽に人が傷つけられるニュースは何度も目にしている。しかし、その時は「可哀想に…」と思うぐらいで、体は何も反応しない。通り魔事件のニュースだけ、体が過剰に反応するのだ。

  なんで…?

  僕の中で、また1つ、謎が生まれた。
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