5 / 5
生きる意味
しおりを挟む
ー21年前ー
「おい!結衣!早くしろよ!もうすぐ福島が迎えに来るぞ!」
「ちょっと待ってー!てる君がうんちしたのー!」
今日は高校時代からの友人である、福島とバーベキューに行く約束をしていた。
福島は医大に、私はごく平凡な大学に進学し、大学は違えどよく酒を飲んではバカ話をしていた。お互いに就職してからはそれほど連絡を取り合わなくなったが、妻が福島の勤めている病院で出産した事をきっかけに、また親交が深くなったのだ。
「輝彦ー。お前はなんでいつもいつも出掛ける直前になるとうんちをするんだぁ?」
そう言って私は息子の輝彦のほっぺたをムニムニと弄くり回す。輝彦はケタケタ笑って、暴れ始めた。
「ちょっと!てる君、暴れないで!うんちが着いちゃうでしょ!あなたも邪魔しないで!」
妻の結衣が怒った。基本的に妻は温厚で、ふわふわとした人だった。結婚してからも喧嘩をした事がなく、私が何をしてもまず怒らない。もちろん、不倫や借金など、社会的な常識から逸脱した時にどうなるかはわからないが、例えば家事を手伝わない、洗濯物をそのままにする、ゴミをゴミ箱に捨てない、などなど、些細な事では怒らなかった。その妻が、子供の事に関してだけは私に意見するようになった。いや、意見をするどころではない。ほぼ全ての事を妻が決め、逆に私が時々口を出す、そして時には私にムキになって怒る、という、今まで見たことがない妻になった。ただ、私はそれが嫌ではない。むしろ、嬉しかった。私と妻の子供を全身全霊で愛している。もちろん、私も子供の事を愛しているが、もしこの愛情を数値化できるのなら、倍の差はついているだろう。それが何よりも幸せだった。
「プップー!!」
外から車のクラクションの音が聞こえた。
「あ、福島来たんじゃないか?」
私は慌てて外に出た。
「福島、悪い!また輝彦がうんちしたから、もうちょっと待っててくれ!」
「ハハハ!相変わらずお出掛け前のうんちは定番だな!まぁ車の中でされても困るからな。ごゆっくりどうぞ。」
私は、ごめん!と両手を合わせて家の中に戻った。もうオムツの交換は終わったらしく、輝彦は帽子をかぶって嬉しそうに玄関まで走ってきた。
「ふくしま、きたのぉ?」
カタコトの日本語で一丁前に話しかけてくる。これがまた、可愛い。
「福島さん、だろ?呼び捨てはダメだぞ。」
そう言って私は輝彦を抱っこした。
「いやー、輝彦重くなったなぁ。もうすぐ3歳だもんなぁ。成長、成長!」
来月、5月1日で輝彦は3歳になる。子供の成長は本当に早い。ついこの間までミルクを飲んで、ハイハイしていたかと思えば、もう駆けずり回るぐらいまで成長している。挙げ句、人の友人を呼び捨てにするぐらいまで成長したのだ。
「おう!輝彦!またお前うんちしたのかぁ?」
福島の車に乗ると、福島が輝彦をからかった。輝彦は恥ずかしそうに笑いながら、「てる、ふくしまとあそぶー!」と言い返した。
「こら!てる君!福島さんでしょ!」
と、妻が怒ったが、車に乗り込みテンションが上がってしまった輝彦は聞く耳を持たない。
「おう!いっぱい遊ぼうな!お肉もいっぱいあるから、たくさん食べよう!」
「てる、おにくたべるー!」
嬉しそうに福島と話す輝彦、それを見て申し訳なさそうにする妻、毎度定番の光景だが、私はこの光景がとても好きだった。どんな理由であれ、子供が嬉しそうにしている様子は、どんな景色よりも見ていて幸せになれる。
バーベキューの会場は、○○町にある。そこは市街地から少しだけ外れた場所なのだが、その割には自然が豊かな場所だった。あまり知名度の高い場所ではないらしく、バーベキューをやるにはもってこいの穴場スポットだった。
「福島、よくそんな場所知ってるな。」
「たまたまだよ。実はこの山のもっと奥にな、研究施設があるんだ。」
「研究施設って、病院関係の?」
「そうそう。あれ?中嶋、1回会わなかったけ?ほら、結衣ちゃんが出産した時にお祝いを言いに来てくれた先生がいただろ?あの先生がリーダーになって研究をしているんだ。」
「あー、なんつったっけ?あの天才先生だろ?最近も雑誌やら何やらでやたら話題になってる。」
「そう、山口先生だ。あの先生は本当に天才だ。今やってる研究もな、詳しい事は言えないんだが、もしこれが成功すれば、日本中が、いや、世界中が驚き歓喜に沸くと思うよ。んー、いや、そんなレベルじゃないな。もはや神の領域だ。」
私は、こいつ、なんか変な宗教にでもはまったか?と思ったが、あまり仕事の事には興味がないので、それ以上突っ込む事はしなかった。
それから私達は、バーベキューを大いに楽しんだ。輝彦はバーベキュー自体が初めてなので大はしゃぎだ。まさに、我を忘れて全身全霊で楽しんでいる。妻もそんな輝彦の様子を見て嬉しそうにしている。福島は火の起こし方や肉の焼き方などを一通り輝彦に教えて、その後はずっと輝彦と遊んでくれていた。友人とはいえ、他人の子供なのに本当に面倒見の良い男だ。なぜ独身なのか不思議でしょうがない。
「まーまー、なんかのみたーい。」
輝彦が汗だくになりながら妻に言った。
「あ、いっけなーい!もうてる君の飲み物がないわ!」
そう言うと、輝彦は泣き始めた。
この程度の事で泣く時は、もう眠い証拠だ。時間的にもいつも昼寝をしている時間でもある。
「ちょうど良いわ。てる君を抱っこして、飲み物を買ってくる。たしか、少し歩いた所にコンビニがあったわよね?」
妻が言った。
「抱っこって、大丈夫か?」
「うん、抱っこ紐持ってきてるから。」
それなら安心だ。おそらく歩いてる最中に輝彦は眠るだろうし、福島にも休憩させてあげないと。
「じゃあ、よろしく頼むよ。」
そう言って、私は妻と輝彦を送り出した。輝彦は泣きながら「やーだー!ねーなーいー!」と言っていたが、無理矢理抱っこされた。
これが、私が最後に聞いた輝彦の声だった。
「福島、お疲れ。悪いな、ずっと輝彦の遊び相手さして。」
私はそう言って肉と飲み物を渡した。
「いやー、元気だなー輝彦は。こっちのが体力負けしちまうよ。」
そう言って福島は飲み物を一気に飲み干した。
「キャアァァァァーーーーーーーーーー!!!!!」
突然、物凄い悲鳴が聞こえた。何だ何だ?と思うと同時に、心臓が驚きとは別の意味で跳ね上がった。
「・・・結衣の声だ・・。」
「え?」
福島が持っていた飲み物を落とした。僕は急いで声のする方へ走っていった。
「おい!!」
福島も私の後を追って走ってくる。嫌な予感がする。
人だかりができている。それほど人通りが多い道ではないのに、何人もの人が集まっている。人だかりは2つのグループに別れていた。私は全速力で走って行き、1つ目のグループに辿り着いた。そのグループの中心には、まるで生気を感じない、今にも自殺しそうな男が取り押さえられていた。そして、その男の付近には・・・血まみれの包丁が落ちていた。
「結衣・・結衣・・!」
嫌な予感がさらに増す。あの包丁はなんだ?なぜ血まみれだった?まさか誰かを刺したのか?誰を刺した?結衣じゃないよな?結衣なわけないよな?結衣・・・。
2つ目のグループに辿り着いた。結衣が、結衣が座り込んでいた。
「結衣ーーーーーー!!!!」
私は結衣の元に全速力で走って行った。そして、結衣を抱き締めた。
「結衣!結衣!大丈夫か!」
結衣は震えている。そしてか細い声で言った。
「・・・うの・・。」
「大丈夫だ!喋らなくて良い!おい!誰か早く救急車を呼んでくれ!」
僕は必死に叫んだ。そこに、福島が走ってきた。
「中嶋!何があった!」
「福島・・・。結衣が・・・結衣が刺された!頼む!助けてくれ!」
私は福島にしがみついた。
「中嶋!落ち着け!とにかく救急車だ!」
福島も叫ぶ。
その時、結衣が叫んだ。
「違うの!」
私と福島は驚いて結衣の方を見た。
「刺されたのは・・・私じゃない・・・。」
・・・・・うそだ。冗談だろ。なんで・・・。
そこには、顔を真っ白にした輝彦がいた。
「後ろから男の人に声をかけられて・・・それで振り替えったら・・・」
結衣はそう言いながら泣きじゃくっている。
「あなた・・・どうしよう・・・てる君が・・てる君・・てる君!いやだよ!ダメだよ!いや!いやだよ!」
妻は取り乱した。顔を真っ白にして目をつむり、ぐったりとしている輝彦を抱きしめている。私は取り乱せなかった。今、この状況が、現実に思えない。体が動かない。思考が停止している。私は、結衣と輝彦を静かに抱きしめる事しか出来なかった。
「・・・残念ですが。」
そう医師から告げられた。輝彦は霊安室に移され、静かに目を閉じていた。さっきまではしゃぎ回っていた小さな男の子は、もう2度と目を開ける事はない。笑う事も、泣く事も、声を出す事もない。来月、輝彦は3歳になる予定だった。3歳になる事を疑いもしなかった。そして、年々歳をとり、やがて大人になる予定だった。結衣とは時々、「輝彦はどんな大人になるんだろうね」と話をしていた。その答えを知る事は永久にない。
輝彦を刺した犯人は、「誰でも良かった」と言っているらしい。誰でも良いならなぜ輝彦を刺した?まだ2年しか生きていない、これから未来ある子供だ。なぜそんな子が死ななければならない?「死んで良い人間などいない」とよく言うが、そんなのは偽善だ。少なくとも、未来ある子供よりも先に死ぬべき人間はいる。身勝手な理由で輝彦の命を奪った、貴様のような人間だ。
私も当然受け入れられなかったが、結衣はもっとひどかった。私は犯人の男を憎んだ。目の前にいたら確実にこの手で殺す。ただ殺すだけでは気がすまない。その男が大事にしているものを全て破壊し、爪を1枚1枚剥がしながら出来るだけ苦しい思いをさせて最終的に殺す。その憎しみが唯一、現実を受け入れるための助けになっているのだが、結衣の場合は違う。もはや男の事などは頭にない。自分を責めているのだ。
男に声をかけられた時に振り返っていなければ・・
抱っこ紐ではなく、手を繋いでいれば・・
自分1人で飲み物を買いに行っていれば・・
飲み物も切らさなければ・・
そうやって自分を責め続けている。自分を責めちゃダメだよ、という福島の声も当然届いていない。
霊安室には今3人でいる。私と結衣と福島だ。3人で輝彦の顔を見ている。
「あなた、福島さん」
結衣が話し始めた。
「てる君は、何のために産まれてきたのかな?たった2年間しか生きられなかった。最近、ようやくチョコレートの美味しさを知ったのよ?これから、まだまだ美味しいものや、楽しい事、嬉しい事、幸せな事がたくさん待っていたのに、私がそれを奪ってしまった。私はすごく幸せだった。てる君が産まれて、それは大変な時もあったけど、それ以上に幸せだった。もちろん、あなたと出会って、あなたを愛しているのは今も変わらない。でもね、ごめんね。私、てる君がいない世界では生きられない。私がてる君を産んで、私がてる君の命を奪ってしまった。それなら・・・母親として私もてる君のところに行かなきゃ。」
「結衣ちゃん!!バカな事をいうなよ!君が死んだところで輝彦は戻ってこないよ!」
福島が叫んだ。月並みのセリフだ。結衣は小さく微笑んで、首を横に振った。彼女はもう覚悟している。輝彦を生き甲斐に生きていたのは私が1番よくわかっている。それを理不尽に奪われた今、彼女に生きる希望はないだろう。そして・・・私にも同じ事が言えるのだ。
「福島。お前の言ってる事は最もだ。結衣が死んだところで輝彦は戻ってこない。当たり前の話さ。だから・・・だからこっちから輝彦の元に行くのさ。」
「・・・お前・・」
福島が驚いた様子で私の方を見た。
「結衣は・・・結衣はもう、決めているんだろ?」
結衣は小さく頷いて、ごめんね、と言った。
「ならば、私の答えも1つだ。結衣も輝彦もいないこの世界に、何の未練もない。」
「お前ら・・・っ・・・!」
福島が苦悶の表情をする。涙をこらえているのだろうか。良いやつだ。良い友人だった。
「福島さん」
結衣が福島の方を向いた。
「どうもありがとうございました。てる君、今日、すごく楽しそうでした。最後に・・・最後に、楽しそうで良かった。」
そう言って、結衣は笑った。笑いながら、涙を流した。
「・・・っ・・・ちっくしょぉぉぉぉぉ!!!!」
急に福島が叫びだした。
「お前ら!バカげた事ばかり言いやがって!そんなに死にてぇのか!!」
「死にたいんじゃない。輝彦の元に行きたいんだよ。わかってくれ。」
私は静かに答えた。
「わかんねぇよ!俺は医者だ!人を生かすのが俺の仕事だ!死にたいやつの気持ちなんかわかるか!良いさ、そこまで言うなら連れてってやる。今すぐ輝彦を連れて俺に着いてこい!」
この男は何を言っているんだろうか。どこに連れてこうとしているのだろう。死に場所を与えてくれるのか?
「・・・なんなんだよ。悪いけど、もう輝彦と結衣と3人にしてくれないか?どこにも行く気になんてなれないよ。体が動かないんだ。」
私はそう言って結衣の方を見た。結衣は涙を流しながら小さく笑って頷いた。それはまるで、「早くてる君の元へ行きましょ」と言っているようだった。
「中嶋、さっき話したよな?天才医師の研究施設の話。」
福島は僕の言葉などお構い無しに続けた。いい加減にしてくれ。研究の話など興味ない。
「その研究の内容はな・・・人を生き返らせる研究だ。そして、その研究はほとんど完成している。要するに、死んだ人間を生き返らせる事ができるんだ。」
私は耳を疑った。そんなバカな話があるわけない。死んだ人間が生き返るなど、あり得ない。福島は続ける。
「ウソだと思うか?そりゃそうだよな。死んだ人間が生き返るなんて普通に考えてあり得ない。ゲームの世界じゃないんだ。ただな、あの先生も普通じゃないんだ。普通じゃないから天才と呼ばれるんだ。もちろんまだ成功例はない。・・・というか、ある大問題が解決できずに最終的に実施できないでいる。ただ・・・ただお前らが、無意味にただ死ぬだけ、と言うなら、そこへ連れていってやる。どういう結果が出るかはんからんが、ただ犬死にするよりマシだろ?どうする?信じるか信じないかはお前ら次第だ。」
この状況で福島が冗談を言っているとは思えない。でもやっぱり、とても信用できる話ではない。期待してダメでした、では無駄に傷つくだけだ。
「・・・福島、悪いけどやっぱり」
「連れていって!!」
私の話を遮って結衣が叫んだ。私は驚いて声も出なかった。
「てる君が・・・てる君が生き返る可能性が0.1%でもあるのなら、何だってやりたい!その方法がなんだって構わない!お願い福島さん!連れていって!!」
結衣はそう言って、動かなくなった輝彦を大事そうに抱き抱えた。抱き抱えられた輝彦は今にも動き出しそうだった。
「僕も生きたい!」
まるで輝彦がそう言ってるみたいだった。
「福島・・・。頼む!そこに私達を連れていってくれ!」
「バカ野郎どもが・・・。急げ!」
私達は急いで福島の車に向かった。
「今頃、病院では大騒ぎになっているだろうな。」
私は、ポツリと1人ごとのように言った。
「そりゃそうだ。死体を1体連れ出したんだからな。」
福島が淡々と答えた。
「ごめんなさい、福島さん。あなたにもすごい迷惑がかかるわね・・・。」
「この話をお前らにした時点で俺の覚悟はできている。別に迷惑だなんて思わないよ。それに、この話にはまだ解決できてない大問題があるって言ったよな。それが解決できない限り、もしかしたら何もできないかもしれない。むしろ謝るのはこっちだよ。中嶋の言うとおり、期待だけ持たせる形になってしまうかもしれない。」
「そんな事はないよ、福島。ありがとう。」
それからは全員無言のまま、天才のいる研究施設へ車を走らせた。
そこは樹海とも呼べる、草木が無造作に生い茂った森の奥だった。なるほど、確かにこの場所の雰囲気を見れば、人を生き返らせるという神をもおそれぬ研究をしているという信憑性は増す。
「こっちだ。ここからは歩いていくぞ。暗いから足下気をつけろ。」
そう言って福島は歩き始めた。私達も福島の後を着いていく。淡い期待を胸に、藁にもすがる思いで・・・。
そこにはコンクリートでできている建物があった。この森の中にあるのは不自然極まりなく、いかにもやってはいけない研究の施設という感じだった。
「山口先生!!」
福島が建物に入るなり叫んだ。
「おお、福島君!待っていたよ。こっちだ。」
中からは山口という医師が現れた。雑誌などでよく見た顔だった。天才医師とはこの人の事だったのか。
「この子が・・・。まだこんなに小さいのに・・・。」
山口先生は涙ぐんだ。
「先生!この子は生き返るんでしょうか!」
結衣が山口先生に詰め寄る。山口先生は困惑した表情をしている。そして、福島の方を見た。
「福島君、どこまでご夫妻に話をした?問題の部分については説明したか?」
福島は俯いて答えた。
「いえ、そこまではしていません。まずは彼らをここに連れてくる事が先決だと思いました。それに、私は先生の助手にすぎません。私が説明するよりも、先生から説明を受けた方が、中嶋達にとってもより現実味が出ると思い、私からは説明しませんでした。」
「そうか。」
山口先生は詰め寄る結衣をたしなめ、イスに座らせた。
「旦那さんもそちらに座ってください。今から説明をします。」
私は急いでイスに座る。山口先生は説明を始めた。
「時間も無いので単刀直入に言います。亡くなったこの子を生き返らせる事は、理論上可能です。」
私と結衣は顔を見合わせた。急に訪れた暗闇に1つの光が差した瞬間だった。
「じゃあ・・!」
私がそう言うと、山口先生は遮った。
「最後まで聞いてください。今申し上げたのはあくまで理論上の話です。まだ実証されたわけではない。ではなぜ実証できないのか。それは、ある問題があって、実際にやる事ができなかった。なぜなら、この方法には・・・二人の命を犠牲にしなければならないからです。」
「二人の命を・・・犠牲にする?・・それは要するに、二人人を殺さないといけないという事ですか?」
「そういう事になります。しかし、これもあくまで理論上の話です。本当に亡くなるかどうかはわかりません。やはり、実証されていないので。ただ・・・間違いなく命の危険に陥るでしょう。」
再び暗闇に包まれた。この子は生き返るかもしれないが、そのためには二人の命を犠牲にしなければならない。そしてその二人とは、間違いなく私と妻が担わなければならない。当然だ。他人の子のために命を犠牲にするものなどいない。この子が生き延び、私達が死ぬか・・・。
「医師として・・・いや、この研究者としてではなく、一人の人間として、言わせてください。」
山口先生は続けて話した。
「あなた方は生きるべきだ。確かに我が子を失った悲しみは、当事者でなければわからない。到底、我々他人が計り知れるものではない。でも、亡くなったお子さんは、あなた方が死ぬ事を望んでいない。あなた方がここに来られたという事実だけで、この子がいかに愛されてきたかがわかります。短い人生だったが、この子は十分幸せだったでしょう。もし仮に、この子が生き返る事に成功したとして、あなた方が死んだら何になるんです?この子はどうなるんです?もし自分のために大好きな両日が命を落としたと知ったら、どれだけショックを受けるか・・・。もちろん、あなた方も生かし、この子も生き返らせる事ができるのなら、私は喜んで手術を行います。ただ、最悪の場合、この子は亡くなったままであなた方も亡くなってしまうかもしれない・・・。人はいつかは必ず死ぬものです。それが自然の摂理です。この子のためにも、あなた方はこれから懸命に生きる事はできませんか?」
山口先生は涙を流していた。正直、私は心を打たれた。山口先生の言うとおりだ。我々が死んだところで輝彦が生き返る保証はない。仮に生き返ったとしても、親が生きていなければ、結局不幸になるのではないか。私は何も言葉が出てこなかった。どうすれば良いのかわからない。すると、結衣が話始めた。
「山口先生、ありがとうございます。先生のおっしゃってる事はご最もです。でもね、先生。子供って、私達大人が思ってるより、ずっと強いんですよ?むしろ、私達の方が弱いくらい・・・。この子を保育園に預け始めた時、1ヶ月くらいだったかな・・。私と別れる時に毎日泣いていました。本当に、心が痛くなるぐらい泣いていたんです。それが1ヶ月も経つと、全然泣かないんですよ。それどころか、笑って手を振るんです。それで、お友達と遊びに行っちゃうんです。寂しくなくなったわけではないのはわかっています。きっと、夜になれば私達が迎えに来る、という事を学んだのでしょうね。保育園の環境に慣れたのもあるかもしれません。どんな理由があるにせよ、この子は親の私達がいない新しい環境になじんだのです。すごいですよね。大人だって新しい環境に馴染めず、負けてしまう人がたくさんいるのに、わずか産まれてから1年足らずで大人にもできない事をしちゃうのですから・・・。大丈夫です。この子は強いです。きっと、私達がいなくなっても、強く生きてくれます。私は、私の人生に何も後悔も未練もありません。この子が生きてくれるなら、私の命などいりません。・・・あなた、ごめんね。わかって・・・。」
私は呆然とした。もしかしたら結衣は、輝彦が産まれた時からその覚悟ができていたのかもしれない。もちろん、自分より先に輝彦が死ぬ、なんて事は考えてなかっただろうが、いざという時には自分の命と替えて輝彦を守るつもりでいつもいたのだろう。母親というのは本当にすごい。私がどんなに輝彦を愛していても、彼女の愛情とは比較にならない。
「・・・結衣。わかった・・・。山口先生、やはり、輝彦を生き返らせてあげてください。もちろん、我々二人の命を使っていただいて構いません。1度は捨てようとした命です。例えどんな結果になったとしても、後悔は絶対にしませんし、山口先生を恨むよう事も絶対にありません。山口先生!どうかお願いします!」
山口先生は黙っている。きっと、失敗した時の事や、我々が死んだ時のリスクもあるだろう。それは当然だ。でも・・・どうしても輝彦に戻ってきてほしい!結衣のためにも、輝彦のためにも。
「本当に良いんだな?」
沈黙を破るように福島が言った。
「今となっては俺とお前は親友同然だ。その俺に対して、親友の死を目の前で見届けろ、という事だな?」
福島は涙をこらえている。
「・・・すまん。」
「・・・上等だ。山口先生、私からもお願いします。私の親友の願いを、どうか叶えてあげてください!」
福島が頭を下げた。
「・・・わかりました。やりましょう。福島君、君は私の側でずっと研究を見てきた。君が助手に入りなさい。」
「はい!」
「山口先生!ありがとうございます!」
私達夫婦と福島は歓喜に沸いた。不思議なものだ。これから死ぬかもしれないのに、そんな事を考えていない。ただただ、輝彦が生き返る可能性が出てきた事が嬉しくてたまらない。
私達夫婦と輝彦はそれぞれベッドに横になった。輝彦を真ん中のベッドにし、その両サイドを私達で挟む形だ。私も結衣も、輝彦の事を見ている。固く閉じた目、血の気が全くない顔色、完全に死んでる。この状況が、昨日の輝彦に戻る事を願っている。結衣も同じ気持ちで輝彦を見ているだろう。
「これから全身麻酔をする。うまくいけば目が覚めるが、失敗すれば、このままあの世行きだ。遺言でも残しとくか?」
福島が冗談っぽく言った。いや、冗談っぽく言わざるを得なかったのだ。目の前で親友が死ぬかもしれないのだ。私が逆の立場なら苦しくて悲しくて、そんな冗談でも言わなければ立ってもいられない。
「遺言・・・ではないけど、1つ頼みがあるんだ。」
「なんだ?」
「もし私も結衣も染んでしまって、輝彦が生き返った時、お前に輝彦の成長を見守ってほしいんだ。もちろん、育ててくれって訳じゃない。おそらく施設に行くことになるだろう。だから、1ヶ月とか2ヶ月に1回で良い。輝彦が元気に過ごしてるか、見てやってくれないか?」
「・・・」
福島はついに涙を流した。
「必ず立派な大人にしてみせる。安心して逝ってこい!」
「ありがとう。福島。」
これが、私と福島の最後の会話になった。
「結果、君は生き返った。ただ、ご両親を救う事はできなかった。それは本当に申し訳ないと思っている。」
山口医師は深々と僕に頭を下げる。福島さんも頭を下げている。どうリアクションすれば良いのかわからない。頭が追い付いていかない。僕の両親は僕のために死んだ。そして、今まで施設の職員だと思っていた福島さんは、医師として僕の両親の死に関わった。これを信じろ、と?滅茶苦茶な話だ。でもなぜだろう。どうしても二人の言っている事が嘘だと思えない。
「・・・そう言えば、死体遺棄の容疑で逮捕されたって・・・。あれはどういう事?」
「あれは・・・君を守るためにはそうせざるを得なかった。当時、私が行っていた研究は世界的に注目されていた。当然だ。人を生き返らせるなんて事が可能になれば、あらゆる事に大きな影響が出てくる。医学会はもちろん、世界中の政府から注目されていたよ。ただ、極秘で行われていた研究だった。安全性が確実とされてない以上、いたずらに世に出したら混乱するだけだからな。そんな状況の中、君が生き返った、など知れ渡ったらどうなる?きっと君は各国の研究の材料とされ、過酷な人生を歩む事になっただろう。ご両親の願いは君が幸せになる事だ。それだけは絶対に避けなければならなかった。だから私は・・・私は、ウソをついたんだ。研究のために霊安室で眠っていた君を連れ去った。そして安全性を立証するために手術を行ったが失敗した。怖くなった私は、君の死体を燃やし、骨をバラバラにして海に捨てた。ご両親には本当に、本当に申し訳ないが自殺と見えるように手を加えさせてもらった。これで君はこの世からいなくなり、私は死体遺棄の罪で逮捕された。」
「・・・なんで他人のためにそこまでするんですか?僕も僕の両親も、あなたにとっては他人でしょ?」
山口医師の言ってる事が信じられなかったわけではない。信じたくなかっただけなんだと思う。
「そんなの、答えは簡単だよ。私は医者だ。目の前で苦しんでいる人がいて、それを助けられるのなら私は助ける。他人とか身内とか、そんなのは関係ない。ただ単に、患者と遺族の意思を最大限尊重しただけだ。」
ぐうの音も出ない。何も反論できない。そんなの、あなたの気持ちなんだから、本当かどうかなんてわからないでしょ、と言うことはできるが、その反論はひどくくだらなく感じる。
その時、福島さんは1枚の写真を僕に渡した。
「俺が持ってる、唯一の家族写真だ。」
そこには僕の両親と2歳頃の僕、と思われる人物が写っていた。
「・・・なるほどね。」
僕は、全て理解した。
「なんでもっと早く見せてくれなかったの?」
僕は福島さんに聞いた。
「見せられるわけないだろう。お前の両親はお前が産まれた直後に死んだ事になっていたんだから。」
僕は、なるほど、そりゃそうだ、と思い、席を立った。
「福島さん、タバコ持ってる?1本くれない?」
「ん?お前、タバコ吸うのか?」
僕は、いいから、と言いタバコと写真を持って外に出た。
本当にまいった。その写真に写ってる人物は、僕が自殺を試みる時に甦る記憶の登場人物と全く同じなのだ。つまり、本当にあった僕の記憶だ。
「ゲホッ!ゴホ!オェェ!・・・タバコ、まずい・・。」
とにかく、何かをしていないと、何か別の刺激を入れないと頭がおかしくなりそうだ。山口医師が話した内容は事実で間違いないだろう。何も矛盾も疑問点も出てこない。全ての辻褄が合う。でも、そんなに簡単に受け入れられない。どうしたら良いんだ?タバコも不味くて吸えたもんじゃない。
そうだ・・・。泣いてみようかな・・・。
僕は、施設に預けられて以降、初めて泣いた。21年分の涙を流した。
泣く事は良いことだ。ストレスの発散にもなるらしい。僕はこれまで泣いた事がなかったから初体験だが、今まで僕の中にいた闇が流れ出た感じがした。もちろん、泣いた事だけが理由ではないが。
「山口さん、話してくれて、どうもありがとうございました。」
僕は山口さんにペコリと頭を下げた。そして、福島さんに「帰ろう」と言った。福島さんは、驚いた顔をして山口さんの顔を見たが、山口さんは小さく頷いた。
建物を出ようとした時、山口さんに聞かれた。
「輝彦君、今、幸せかい?」
僕は足を止めてしばらく考えた。そして、今まで感じた事のない晴れやかな気分で答えた。
「どうですかね。僕、これまでずっと、事あるごとに生きてる意味を考えてたんです。それで、時には思い詰めて自殺を試みる事もあった・・・。でも、1度も死ぬ事はできなかった。今考えてみれば、もしかしたら両親が止めてくれたのかもしれませんね。」
僕はそう言って少し笑った。山口さんは不思議そうに僕を見ている。
「だから・・・今、幸せか?と聞かれればわからないです。でも・・・1つだけ・・・1つだけ確実にわかった事が信じられなかったあります。」
僕はそう言って、また頭をペコリと下げ、車に向かった。山口さんは、優しい笑顔をしていた。
「わかった事ってなんだ?」
車の中で福島さんが聞いてきた。
「んー?内緒だよ。」
僕は笑って答えた。福島さんも「チッ」と舌打ちをしたが笑っている。
僕は生きてる意味をずっと探してきた。なぜそんな事を探していたのかは今でもわからない。単純に、やりたい事もなりたいものも見つからず、つまらない人生を送ってるなー、という精神的なものなのか、それとも、あの時、死んでいたはずなのに、という物理的なものだったのか・・・。でも、そんなものあるはずがなかったのだ。
なぜなら、僕は生かされているのだから。僕だけじゃない。人間は皆、生かされているのだと僕は思う。ある人は親の愛情により、ある人は医療により、そしてある人は亡くなった大切な人の意思により・・・。生かされてる以上、自ら命を断つなど、絶対にしてはならない。今ある命を大切に、1分1秒を懸命に生きなければならない。それが、生かしてくれてる人への最低限かつ最大限の恩返しになると、僕は思った。
「福島さん、ありがとう。」
僕は福島さんに言った。
「・・・なんだよ、急に。」
「俺、これから一生懸命生きるよ。何があっても、死ぬまで一生懸命生き抜く。」
福島さんは、何も言わなかった。そして、車はコンビニに入っていった。
「腹減らないか?もう何時間も何も食ってない。ちょっと待ってろ。」
そう言って福島さんは、おにぎりを買ってきた。僕はそのおにぎりを食べて、言った。
「こんなに美味しいおにぎりを食べたのは初めてだ。」
完
「おい!結衣!早くしろよ!もうすぐ福島が迎えに来るぞ!」
「ちょっと待ってー!てる君がうんちしたのー!」
今日は高校時代からの友人である、福島とバーベキューに行く約束をしていた。
福島は医大に、私はごく平凡な大学に進学し、大学は違えどよく酒を飲んではバカ話をしていた。お互いに就職してからはそれほど連絡を取り合わなくなったが、妻が福島の勤めている病院で出産した事をきっかけに、また親交が深くなったのだ。
「輝彦ー。お前はなんでいつもいつも出掛ける直前になるとうんちをするんだぁ?」
そう言って私は息子の輝彦のほっぺたをムニムニと弄くり回す。輝彦はケタケタ笑って、暴れ始めた。
「ちょっと!てる君、暴れないで!うんちが着いちゃうでしょ!あなたも邪魔しないで!」
妻の結衣が怒った。基本的に妻は温厚で、ふわふわとした人だった。結婚してからも喧嘩をした事がなく、私が何をしてもまず怒らない。もちろん、不倫や借金など、社会的な常識から逸脱した時にどうなるかはわからないが、例えば家事を手伝わない、洗濯物をそのままにする、ゴミをゴミ箱に捨てない、などなど、些細な事では怒らなかった。その妻が、子供の事に関してだけは私に意見するようになった。いや、意見をするどころではない。ほぼ全ての事を妻が決め、逆に私が時々口を出す、そして時には私にムキになって怒る、という、今まで見たことがない妻になった。ただ、私はそれが嫌ではない。むしろ、嬉しかった。私と妻の子供を全身全霊で愛している。もちろん、私も子供の事を愛しているが、もしこの愛情を数値化できるのなら、倍の差はついているだろう。それが何よりも幸せだった。
「プップー!!」
外から車のクラクションの音が聞こえた。
「あ、福島来たんじゃないか?」
私は慌てて外に出た。
「福島、悪い!また輝彦がうんちしたから、もうちょっと待っててくれ!」
「ハハハ!相変わらずお出掛け前のうんちは定番だな!まぁ車の中でされても困るからな。ごゆっくりどうぞ。」
私は、ごめん!と両手を合わせて家の中に戻った。もうオムツの交換は終わったらしく、輝彦は帽子をかぶって嬉しそうに玄関まで走ってきた。
「ふくしま、きたのぉ?」
カタコトの日本語で一丁前に話しかけてくる。これがまた、可愛い。
「福島さん、だろ?呼び捨てはダメだぞ。」
そう言って私は輝彦を抱っこした。
「いやー、輝彦重くなったなぁ。もうすぐ3歳だもんなぁ。成長、成長!」
来月、5月1日で輝彦は3歳になる。子供の成長は本当に早い。ついこの間までミルクを飲んで、ハイハイしていたかと思えば、もう駆けずり回るぐらいまで成長している。挙げ句、人の友人を呼び捨てにするぐらいまで成長したのだ。
「おう!輝彦!またお前うんちしたのかぁ?」
福島の車に乗ると、福島が輝彦をからかった。輝彦は恥ずかしそうに笑いながら、「てる、ふくしまとあそぶー!」と言い返した。
「こら!てる君!福島さんでしょ!」
と、妻が怒ったが、車に乗り込みテンションが上がってしまった輝彦は聞く耳を持たない。
「おう!いっぱい遊ぼうな!お肉もいっぱいあるから、たくさん食べよう!」
「てる、おにくたべるー!」
嬉しそうに福島と話す輝彦、それを見て申し訳なさそうにする妻、毎度定番の光景だが、私はこの光景がとても好きだった。どんな理由であれ、子供が嬉しそうにしている様子は、どんな景色よりも見ていて幸せになれる。
バーベキューの会場は、○○町にある。そこは市街地から少しだけ外れた場所なのだが、その割には自然が豊かな場所だった。あまり知名度の高い場所ではないらしく、バーベキューをやるにはもってこいの穴場スポットだった。
「福島、よくそんな場所知ってるな。」
「たまたまだよ。実はこの山のもっと奥にな、研究施設があるんだ。」
「研究施設って、病院関係の?」
「そうそう。あれ?中嶋、1回会わなかったけ?ほら、結衣ちゃんが出産した時にお祝いを言いに来てくれた先生がいただろ?あの先生がリーダーになって研究をしているんだ。」
「あー、なんつったっけ?あの天才先生だろ?最近も雑誌やら何やらでやたら話題になってる。」
「そう、山口先生だ。あの先生は本当に天才だ。今やってる研究もな、詳しい事は言えないんだが、もしこれが成功すれば、日本中が、いや、世界中が驚き歓喜に沸くと思うよ。んー、いや、そんなレベルじゃないな。もはや神の領域だ。」
私は、こいつ、なんか変な宗教にでもはまったか?と思ったが、あまり仕事の事には興味がないので、それ以上突っ込む事はしなかった。
それから私達は、バーベキューを大いに楽しんだ。輝彦はバーベキュー自体が初めてなので大はしゃぎだ。まさに、我を忘れて全身全霊で楽しんでいる。妻もそんな輝彦の様子を見て嬉しそうにしている。福島は火の起こし方や肉の焼き方などを一通り輝彦に教えて、その後はずっと輝彦と遊んでくれていた。友人とはいえ、他人の子供なのに本当に面倒見の良い男だ。なぜ独身なのか不思議でしょうがない。
「まーまー、なんかのみたーい。」
輝彦が汗だくになりながら妻に言った。
「あ、いっけなーい!もうてる君の飲み物がないわ!」
そう言うと、輝彦は泣き始めた。
この程度の事で泣く時は、もう眠い証拠だ。時間的にもいつも昼寝をしている時間でもある。
「ちょうど良いわ。てる君を抱っこして、飲み物を買ってくる。たしか、少し歩いた所にコンビニがあったわよね?」
妻が言った。
「抱っこって、大丈夫か?」
「うん、抱っこ紐持ってきてるから。」
それなら安心だ。おそらく歩いてる最中に輝彦は眠るだろうし、福島にも休憩させてあげないと。
「じゃあ、よろしく頼むよ。」
そう言って、私は妻と輝彦を送り出した。輝彦は泣きながら「やーだー!ねーなーいー!」と言っていたが、無理矢理抱っこされた。
これが、私が最後に聞いた輝彦の声だった。
「福島、お疲れ。悪いな、ずっと輝彦の遊び相手さして。」
私はそう言って肉と飲み物を渡した。
「いやー、元気だなー輝彦は。こっちのが体力負けしちまうよ。」
そう言って福島は飲み物を一気に飲み干した。
「キャアァァァァーーーーーーーーーー!!!!!」
突然、物凄い悲鳴が聞こえた。何だ何だ?と思うと同時に、心臓が驚きとは別の意味で跳ね上がった。
「・・・結衣の声だ・・。」
「え?」
福島が持っていた飲み物を落とした。僕は急いで声のする方へ走っていった。
「おい!!」
福島も私の後を追って走ってくる。嫌な予感がする。
人だかりができている。それほど人通りが多い道ではないのに、何人もの人が集まっている。人だかりは2つのグループに別れていた。私は全速力で走って行き、1つ目のグループに辿り着いた。そのグループの中心には、まるで生気を感じない、今にも自殺しそうな男が取り押さえられていた。そして、その男の付近には・・・血まみれの包丁が落ちていた。
「結衣・・結衣・・!」
嫌な予感がさらに増す。あの包丁はなんだ?なぜ血まみれだった?まさか誰かを刺したのか?誰を刺した?結衣じゃないよな?結衣なわけないよな?結衣・・・。
2つ目のグループに辿り着いた。結衣が、結衣が座り込んでいた。
「結衣ーーーーーー!!!!」
私は結衣の元に全速力で走って行った。そして、結衣を抱き締めた。
「結衣!結衣!大丈夫か!」
結衣は震えている。そしてか細い声で言った。
「・・・うの・・。」
「大丈夫だ!喋らなくて良い!おい!誰か早く救急車を呼んでくれ!」
僕は必死に叫んだ。そこに、福島が走ってきた。
「中嶋!何があった!」
「福島・・・。結衣が・・・結衣が刺された!頼む!助けてくれ!」
私は福島にしがみついた。
「中嶋!落ち着け!とにかく救急車だ!」
福島も叫ぶ。
その時、結衣が叫んだ。
「違うの!」
私と福島は驚いて結衣の方を見た。
「刺されたのは・・・私じゃない・・・。」
・・・・・うそだ。冗談だろ。なんで・・・。
そこには、顔を真っ白にした輝彦がいた。
「後ろから男の人に声をかけられて・・・それで振り替えったら・・・」
結衣はそう言いながら泣きじゃくっている。
「あなた・・・どうしよう・・・てる君が・・てる君・・てる君!いやだよ!ダメだよ!いや!いやだよ!」
妻は取り乱した。顔を真っ白にして目をつむり、ぐったりとしている輝彦を抱きしめている。私は取り乱せなかった。今、この状況が、現実に思えない。体が動かない。思考が停止している。私は、結衣と輝彦を静かに抱きしめる事しか出来なかった。
「・・・残念ですが。」
そう医師から告げられた。輝彦は霊安室に移され、静かに目を閉じていた。さっきまではしゃぎ回っていた小さな男の子は、もう2度と目を開ける事はない。笑う事も、泣く事も、声を出す事もない。来月、輝彦は3歳になる予定だった。3歳になる事を疑いもしなかった。そして、年々歳をとり、やがて大人になる予定だった。結衣とは時々、「輝彦はどんな大人になるんだろうね」と話をしていた。その答えを知る事は永久にない。
輝彦を刺した犯人は、「誰でも良かった」と言っているらしい。誰でも良いならなぜ輝彦を刺した?まだ2年しか生きていない、これから未来ある子供だ。なぜそんな子が死ななければならない?「死んで良い人間などいない」とよく言うが、そんなのは偽善だ。少なくとも、未来ある子供よりも先に死ぬべき人間はいる。身勝手な理由で輝彦の命を奪った、貴様のような人間だ。
私も当然受け入れられなかったが、結衣はもっとひどかった。私は犯人の男を憎んだ。目の前にいたら確実にこの手で殺す。ただ殺すだけでは気がすまない。その男が大事にしているものを全て破壊し、爪を1枚1枚剥がしながら出来るだけ苦しい思いをさせて最終的に殺す。その憎しみが唯一、現実を受け入れるための助けになっているのだが、結衣の場合は違う。もはや男の事などは頭にない。自分を責めているのだ。
男に声をかけられた時に振り返っていなければ・・
抱っこ紐ではなく、手を繋いでいれば・・
自分1人で飲み物を買いに行っていれば・・
飲み物も切らさなければ・・
そうやって自分を責め続けている。自分を責めちゃダメだよ、という福島の声も当然届いていない。
霊安室には今3人でいる。私と結衣と福島だ。3人で輝彦の顔を見ている。
「あなた、福島さん」
結衣が話し始めた。
「てる君は、何のために産まれてきたのかな?たった2年間しか生きられなかった。最近、ようやくチョコレートの美味しさを知ったのよ?これから、まだまだ美味しいものや、楽しい事、嬉しい事、幸せな事がたくさん待っていたのに、私がそれを奪ってしまった。私はすごく幸せだった。てる君が産まれて、それは大変な時もあったけど、それ以上に幸せだった。もちろん、あなたと出会って、あなたを愛しているのは今も変わらない。でもね、ごめんね。私、てる君がいない世界では生きられない。私がてる君を産んで、私がてる君の命を奪ってしまった。それなら・・・母親として私もてる君のところに行かなきゃ。」
「結衣ちゃん!!バカな事をいうなよ!君が死んだところで輝彦は戻ってこないよ!」
福島が叫んだ。月並みのセリフだ。結衣は小さく微笑んで、首を横に振った。彼女はもう覚悟している。輝彦を生き甲斐に生きていたのは私が1番よくわかっている。それを理不尽に奪われた今、彼女に生きる希望はないだろう。そして・・・私にも同じ事が言えるのだ。
「福島。お前の言ってる事は最もだ。結衣が死んだところで輝彦は戻ってこない。当たり前の話さ。だから・・・だからこっちから輝彦の元に行くのさ。」
「・・・お前・・」
福島が驚いた様子で私の方を見た。
「結衣は・・・結衣はもう、決めているんだろ?」
結衣は小さく頷いて、ごめんね、と言った。
「ならば、私の答えも1つだ。結衣も輝彦もいないこの世界に、何の未練もない。」
「お前ら・・・っ・・・!」
福島が苦悶の表情をする。涙をこらえているのだろうか。良いやつだ。良い友人だった。
「福島さん」
結衣が福島の方を向いた。
「どうもありがとうございました。てる君、今日、すごく楽しそうでした。最後に・・・最後に、楽しそうで良かった。」
そう言って、結衣は笑った。笑いながら、涙を流した。
「・・・っ・・・ちっくしょぉぉぉぉぉ!!!!」
急に福島が叫びだした。
「お前ら!バカげた事ばかり言いやがって!そんなに死にてぇのか!!」
「死にたいんじゃない。輝彦の元に行きたいんだよ。わかってくれ。」
私は静かに答えた。
「わかんねぇよ!俺は医者だ!人を生かすのが俺の仕事だ!死にたいやつの気持ちなんかわかるか!良いさ、そこまで言うなら連れてってやる。今すぐ輝彦を連れて俺に着いてこい!」
この男は何を言っているんだろうか。どこに連れてこうとしているのだろう。死に場所を与えてくれるのか?
「・・・なんなんだよ。悪いけど、もう輝彦と結衣と3人にしてくれないか?どこにも行く気になんてなれないよ。体が動かないんだ。」
私はそう言って結衣の方を見た。結衣は涙を流しながら小さく笑って頷いた。それはまるで、「早くてる君の元へ行きましょ」と言っているようだった。
「中嶋、さっき話したよな?天才医師の研究施設の話。」
福島は僕の言葉などお構い無しに続けた。いい加減にしてくれ。研究の話など興味ない。
「その研究の内容はな・・・人を生き返らせる研究だ。そして、その研究はほとんど完成している。要するに、死んだ人間を生き返らせる事ができるんだ。」
私は耳を疑った。そんなバカな話があるわけない。死んだ人間が生き返るなど、あり得ない。福島は続ける。
「ウソだと思うか?そりゃそうだよな。死んだ人間が生き返るなんて普通に考えてあり得ない。ゲームの世界じゃないんだ。ただな、あの先生も普通じゃないんだ。普通じゃないから天才と呼ばれるんだ。もちろんまだ成功例はない。・・・というか、ある大問題が解決できずに最終的に実施できないでいる。ただ・・・ただお前らが、無意味にただ死ぬだけ、と言うなら、そこへ連れていってやる。どういう結果が出るかはんからんが、ただ犬死にするよりマシだろ?どうする?信じるか信じないかはお前ら次第だ。」
この状況で福島が冗談を言っているとは思えない。でもやっぱり、とても信用できる話ではない。期待してダメでした、では無駄に傷つくだけだ。
「・・・福島、悪いけどやっぱり」
「連れていって!!」
私の話を遮って結衣が叫んだ。私は驚いて声も出なかった。
「てる君が・・・てる君が生き返る可能性が0.1%でもあるのなら、何だってやりたい!その方法がなんだって構わない!お願い福島さん!連れていって!!」
結衣はそう言って、動かなくなった輝彦を大事そうに抱き抱えた。抱き抱えられた輝彦は今にも動き出しそうだった。
「僕も生きたい!」
まるで輝彦がそう言ってるみたいだった。
「福島・・・。頼む!そこに私達を連れていってくれ!」
「バカ野郎どもが・・・。急げ!」
私達は急いで福島の車に向かった。
「今頃、病院では大騒ぎになっているだろうな。」
私は、ポツリと1人ごとのように言った。
「そりゃそうだ。死体を1体連れ出したんだからな。」
福島が淡々と答えた。
「ごめんなさい、福島さん。あなたにもすごい迷惑がかかるわね・・・。」
「この話をお前らにした時点で俺の覚悟はできている。別に迷惑だなんて思わないよ。それに、この話にはまだ解決できてない大問題があるって言ったよな。それが解決できない限り、もしかしたら何もできないかもしれない。むしろ謝るのはこっちだよ。中嶋の言うとおり、期待だけ持たせる形になってしまうかもしれない。」
「そんな事はないよ、福島。ありがとう。」
それからは全員無言のまま、天才のいる研究施設へ車を走らせた。
そこは樹海とも呼べる、草木が無造作に生い茂った森の奥だった。なるほど、確かにこの場所の雰囲気を見れば、人を生き返らせるという神をもおそれぬ研究をしているという信憑性は増す。
「こっちだ。ここからは歩いていくぞ。暗いから足下気をつけろ。」
そう言って福島は歩き始めた。私達も福島の後を着いていく。淡い期待を胸に、藁にもすがる思いで・・・。
そこにはコンクリートでできている建物があった。この森の中にあるのは不自然極まりなく、いかにもやってはいけない研究の施設という感じだった。
「山口先生!!」
福島が建物に入るなり叫んだ。
「おお、福島君!待っていたよ。こっちだ。」
中からは山口という医師が現れた。雑誌などでよく見た顔だった。天才医師とはこの人の事だったのか。
「この子が・・・。まだこんなに小さいのに・・・。」
山口先生は涙ぐんだ。
「先生!この子は生き返るんでしょうか!」
結衣が山口先生に詰め寄る。山口先生は困惑した表情をしている。そして、福島の方を見た。
「福島君、どこまでご夫妻に話をした?問題の部分については説明したか?」
福島は俯いて答えた。
「いえ、そこまではしていません。まずは彼らをここに連れてくる事が先決だと思いました。それに、私は先生の助手にすぎません。私が説明するよりも、先生から説明を受けた方が、中嶋達にとってもより現実味が出ると思い、私からは説明しませんでした。」
「そうか。」
山口先生は詰め寄る結衣をたしなめ、イスに座らせた。
「旦那さんもそちらに座ってください。今から説明をします。」
私は急いでイスに座る。山口先生は説明を始めた。
「時間も無いので単刀直入に言います。亡くなったこの子を生き返らせる事は、理論上可能です。」
私と結衣は顔を見合わせた。急に訪れた暗闇に1つの光が差した瞬間だった。
「じゃあ・・!」
私がそう言うと、山口先生は遮った。
「最後まで聞いてください。今申し上げたのはあくまで理論上の話です。まだ実証されたわけではない。ではなぜ実証できないのか。それは、ある問題があって、実際にやる事ができなかった。なぜなら、この方法には・・・二人の命を犠牲にしなければならないからです。」
「二人の命を・・・犠牲にする?・・それは要するに、二人人を殺さないといけないという事ですか?」
「そういう事になります。しかし、これもあくまで理論上の話です。本当に亡くなるかどうかはわかりません。やはり、実証されていないので。ただ・・・間違いなく命の危険に陥るでしょう。」
再び暗闇に包まれた。この子は生き返るかもしれないが、そのためには二人の命を犠牲にしなければならない。そしてその二人とは、間違いなく私と妻が担わなければならない。当然だ。他人の子のために命を犠牲にするものなどいない。この子が生き延び、私達が死ぬか・・・。
「医師として・・・いや、この研究者としてではなく、一人の人間として、言わせてください。」
山口先生は続けて話した。
「あなた方は生きるべきだ。確かに我が子を失った悲しみは、当事者でなければわからない。到底、我々他人が計り知れるものではない。でも、亡くなったお子さんは、あなた方が死ぬ事を望んでいない。あなた方がここに来られたという事実だけで、この子がいかに愛されてきたかがわかります。短い人生だったが、この子は十分幸せだったでしょう。もし仮に、この子が生き返る事に成功したとして、あなた方が死んだら何になるんです?この子はどうなるんです?もし自分のために大好きな両日が命を落としたと知ったら、どれだけショックを受けるか・・・。もちろん、あなた方も生かし、この子も生き返らせる事ができるのなら、私は喜んで手術を行います。ただ、最悪の場合、この子は亡くなったままであなた方も亡くなってしまうかもしれない・・・。人はいつかは必ず死ぬものです。それが自然の摂理です。この子のためにも、あなた方はこれから懸命に生きる事はできませんか?」
山口先生は涙を流していた。正直、私は心を打たれた。山口先生の言うとおりだ。我々が死んだところで輝彦が生き返る保証はない。仮に生き返ったとしても、親が生きていなければ、結局不幸になるのではないか。私は何も言葉が出てこなかった。どうすれば良いのかわからない。すると、結衣が話始めた。
「山口先生、ありがとうございます。先生のおっしゃってる事はご最もです。でもね、先生。子供って、私達大人が思ってるより、ずっと強いんですよ?むしろ、私達の方が弱いくらい・・・。この子を保育園に預け始めた時、1ヶ月くらいだったかな・・。私と別れる時に毎日泣いていました。本当に、心が痛くなるぐらい泣いていたんです。それが1ヶ月も経つと、全然泣かないんですよ。それどころか、笑って手を振るんです。それで、お友達と遊びに行っちゃうんです。寂しくなくなったわけではないのはわかっています。きっと、夜になれば私達が迎えに来る、という事を学んだのでしょうね。保育園の環境に慣れたのもあるかもしれません。どんな理由があるにせよ、この子は親の私達がいない新しい環境になじんだのです。すごいですよね。大人だって新しい環境に馴染めず、負けてしまう人がたくさんいるのに、わずか産まれてから1年足らずで大人にもできない事をしちゃうのですから・・・。大丈夫です。この子は強いです。きっと、私達がいなくなっても、強く生きてくれます。私は、私の人生に何も後悔も未練もありません。この子が生きてくれるなら、私の命などいりません。・・・あなた、ごめんね。わかって・・・。」
私は呆然とした。もしかしたら結衣は、輝彦が産まれた時からその覚悟ができていたのかもしれない。もちろん、自分より先に輝彦が死ぬ、なんて事は考えてなかっただろうが、いざという時には自分の命と替えて輝彦を守るつもりでいつもいたのだろう。母親というのは本当にすごい。私がどんなに輝彦を愛していても、彼女の愛情とは比較にならない。
「・・・結衣。わかった・・・。山口先生、やはり、輝彦を生き返らせてあげてください。もちろん、我々二人の命を使っていただいて構いません。1度は捨てようとした命です。例えどんな結果になったとしても、後悔は絶対にしませんし、山口先生を恨むよう事も絶対にありません。山口先生!どうかお願いします!」
山口先生は黙っている。きっと、失敗した時の事や、我々が死んだ時のリスクもあるだろう。それは当然だ。でも・・・どうしても輝彦に戻ってきてほしい!結衣のためにも、輝彦のためにも。
「本当に良いんだな?」
沈黙を破るように福島が言った。
「今となっては俺とお前は親友同然だ。その俺に対して、親友の死を目の前で見届けろ、という事だな?」
福島は涙をこらえている。
「・・・すまん。」
「・・・上等だ。山口先生、私からもお願いします。私の親友の願いを、どうか叶えてあげてください!」
福島が頭を下げた。
「・・・わかりました。やりましょう。福島君、君は私の側でずっと研究を見てきた。君が助手に入りなさい。」
「はい!」
「山口先生!ありがとうございます!」
私達夫婦と福島は歓喜に沸いた。不思議なものだ。これから死ぬかもしれないのに、そんな事を考えていない。ただただ、輝彦が生き返る可能性が出てきた事が嬉しくてたまらない。
私達夫婦と輝彦はそれぞれベッドに横になった。輝彦を真ん中のベッドにし、その両サイドを私達で挟む形だ。私も結衣も、輝彦の事を見ている。固く閉じた目、血の気が全くない顔色、完全に死んでる。この状況が、昨日の輝彦に戻る事を願っている。結衣も同じ気持ちで輝彦を見ているだろう。
「これから全身麻酔をする。うまくいけば目が覚めるが、失敗すれば、このままあの世行きだ。遺言でも残しとくか?」
福島が冗談っぽく言った。いや、冗談っぽく言わざるを得なかったのだ。目の前で親友が死ぬかもしれないのだ。私が逆の立場なら苦しくて悲しくて、そんな冗談でも言わなければ立ってもいられない。
「遺言・・・ではないけど、1つ頼みがあるんだ。」
「なんだ?」
「もし私も結衣も染んでしまって、輝彦が生き返った時、お前に輝彦の成長を見守ってほしいんだ。もちろん、育ててくれって訳じゃない。おそらく施設に行くことになるだろう。だから、1ヶ月とか2ヶ月に1回で良い。輝彦が元気に過ごしてるか、見てやってくれないか?」
「・・・」
福島はついに涙を流した。
「必ず立派な大人にしてみせる。安心して逝ってこい!」
「ありがとう。福島。」
これが、私と福島の最後の会話になった。
「結果、君は生き返った。ただ、ご両親を救う事はできなかった。それは本当に申し訳ないと思っている。」
山口医師は深々と僕に頭を下げる。福島さんも頭を下げている。どうリアクションすれば良いのかわからない。頭が追い付いていかない。僕の両親は僕のために死んだ。そして、今まで施設の職員だと思っていた福島さんは、医師として僕の両親の死に関わった。これを信じろ、と?滅茶苦茶な話だ。でもなぜだろう。どうしても二人の言っている事が嘘だと思えない。
「・・・そう言えば、死体遺棄の容疑で逮捕されたって・・・。あれはどういう事?」
「あれは・・・君を守るためにはそうせざるを得なかった。当時、私が行っていた研究は世界的に注目されていた。当然だ。人を生き返らせるなんて事が可能になれば、あらゆる事に大きな影響が出てくる。医学会はもちろん、世界中の政府から注目されていたよ。ただ、極秘で行われていた研究だった。安全性が確実とされてない以上、いたずらに世に出したら混乱するだけだからな。そんな状況の中、君が生き返った、など知れ渡ったらどうなる?きっと君は各国の研究の材料とされ、過酷な人生を歩む事になっただろう。ご両親の願いは君が幸せになる事だ。それだけは絶対に避けなければならなかった。だから私は・・・私は、ウソをついたんだ。研究のために霊安室で眠っていた君を連れ去った。そして安全性を立証するために手術を行ったが失敗した。怖くなった私は、君の死体を燃やし、骨をバラバラにして海に捨てた。ご両親には本当に、本当に申し訳ないが自殺と見えるように手を加えさせてもらった。これで君はこの世からいなくなり、私は死体遺棄の罪で逮捕された。」
「・・・なんで他人のためにそこまでするんですか?僕も僕の両親も、あなたにとっては他人でしょ?」
山口医師の言ってる事が信じられなかったわけではない。信じたくなかっただけなんだと思う。
「そんなの、答えは簡単だよ。私は医者だ。目の前で苦しんでいる人がいて、それを助けられるのなら私は助ける。他人とか身内とか、そんなのは関係ない。ただ単に、患者と遺族の意思を最大限尊重しただけだ。」
ぐうの音も出ない。何も反論できない。そんなの、あなたの気持ちなんだから、本当かどうかなんてわからないでしょ、と言うことはできるが、その反論はひどくくだらなく感じる。
その時、福島さんは1枚の写真を僕に渡した。
「俺が持ってる、唯一の家族写真だ。」
そこには僕の両親と2歳頃の僕、と思われる人物が写っていた。
「・・・なるほどね。」
僕は、全て理解した。
「なんでもっと早く見せてくれなかったの?」
僕は福島さんに聞いた。
「見せられるわけないだろう。お前の両親はお前が産まれた直後に死んだ事になっていたんだから。」
僕は、なるほど、そりゃそうだ、と思い、席を立った。
「福島さん、タバコ持ってる?1本くれない?」
「ん?お前、タバコ吸うのか?」
僕は、いいから、と言いタバコと写真を持って外に出た。
本当にまいった。その写真に写ってる人物は、僕が自殺を試みる時に甦る記憶の登場人物と全く同じなのだ。つまり、本当にあった僕の記憶だ。
「ゲホッ!ゴホ!オェェ!・・・タバコ、まずい・・。」
とにかく、何かをしていないと、何か別の刺激を入れないと頭がおかしくなりそうだ。山口医師が話した内容は事実で間違いないだろう。何も矛盾も疑問点も出てこない。全ての辻褄が合う。でも、そんなに簡単に受け入れられない。どうしたら良いんだ?タバコも不味くて吸えたもんじゃない。
そうだ・・・。泣いてみようかな・・・。
僕は、施設に預けられて以降、初めて泣いた。21年分の涙を流した。
泣く事は良いことだ。ストレスの発散にもなるらしい。僕はこれまで泣いた事がなかったから初体験だが、今まで僕の中にいた闇が流れ出た感じがした。もちろん、泣いた事だけが理由ではないが。
「山口さん、話してくれて、どうもありがとうございました。」
僕は山口さんにペコリと頭を下げた。そして、福島さんに「帰ろう」と言った。福島さんは、驚いた顔をして山口さんの顔を見たが、山口さんは小さく頷いた。
建物を出ようとした時、山口さんに聞かれた。
「輝彦君、今、幸せかい?」
僕は足を止めてしばらく考えた。そして、今まで感じた事のない晴れやかな気分で答えた。
「どうですかね。僕、これまでずっと、事あるごとに生きてる意味を考えてたんです。それで、時には思い詰めて自殺を試みる事もあった・・・。でも、1度も死ぬ事はできなかった。今考えてみれば、もしかしたら両親が止めてくれたのかもしれませんね。」
僕はそう言って少し笑った。山口さんは不思議そうに僕を見ている。
「だから・・・今、幸せか?と聞かれればわからないです。でも・・・1つだけ・・・1つだけ確実にわかった事が信じられなかったあります。」
僕はそう言って、また頭をペコリと下げ、車に向かった。山口さんは、優しい笑顔をしていた。
「わかった事ってなんだ?」
車の中で福島さんが聞いてきた。
「んー?内緒だよ。」
僕は笑って答えた。福島さんも「チッ」と舌打ちをしたが笑っている。
僕は生きてる意味をずっと探してきた。なぜそんな事を探していたのかは今でもわからない。単純に、やりたい事もなりたいものも見つからず、つまらない人生を送ってるなー、という精神的なものなのか、それとも、あの時、死んでいたはずなのに、という物理的なものだったのか・・・。でも、そんなものあるはずがなかったのだ。
なぜなら、僕は生かされているのだから。僕だけじゃない。人間は皆、生かされているのだと僕は思う。ある人は親の愛情により、ある人は医療により、そしてある人は亡くなった大切な人の意思により・・・。生かされてる以上、自ら命を断つなど、絶対にしてはならない。今ある命を大切に、1分1秒を懸命に生きなければならない。それが、生かしてくれてる人への最低限かつ最大限の恩返しになると、僕は思った。
「福島さん、ありがとう。」
僕は福島さんに言った。
「・・・なんだよ、急に。」
「俺、これから一生懸命生きるよ。何があっても、死ぬまで一生懸命生き抜く。」
福島さんは、何も言わなかった。そして、車はコンビニに入っていった。
「腹減らないか?もう何時間も何も食ってない。ちょっと待ってろ。」
そう言って福島さんは、おにぎりを買ってきた。僕はそのおにぎりを食べて、言った。
「こんなに美味しいおにぎりを食べたのは初めてだ。」
完
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる