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本編 イザヤside1
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太陽も次第に傾き始め、風も冷たくなってきた。
イザヤは陶也の様子を伺ったが、まだまだ動けそうもなかった。だが、山の夕暮れは夏とはいえ、気温がぐっと下がってくる。先程の濡れた服を着替えさせようと、イザヤは川縁に置きっぱなしだった買い物袋を手にし、陶也の前に置いた。
「取り敢えず、お前はこれに着替えろ。体を冷やしちまうぞ」
陶也は膝を抱えてずっと俯いていたが、僅かに首を持ち上げて袋を見つめた。
「これは……イザヤさんのです」
「いいから、着ろって」
陶也はのそのそと動き出し、シャツを脱いだ。無防備な白い肢体が自然に晒される。ほとんど人に触れられていないだろう、陶也の清らかな肌を、イザヤの穢れた目に映してはいけないような気がして、イザヤは目をそらした。
買ってきたイザヤの服は陶也には大きすぎた。ズボンの裾を何度か折り込んで立ち上がる。白いTシャツもダボダボだ。
「少し楽になったか?」
「はい。長い時間、お待たせしました」
そう言って、陶也は丸い頭を下げた。
「歩けるか?」
陶也は頷いた。
「ほら。じゃあ、これに掴まれ」
イザヤは孫の手を差し出した。陶也はしばし戸惑ったが、そっと孫の手を握った。
「ゆっくり帰ろうな」
赤く染まった西の空が、だんだんと青く暗く変化し始め、いつの間にか空には星が瞬き始めた。
二人は暗い山道を、孫の手を介して、手を繋ぎ、歩いた。
「寒くないか?陶也」
「はい、大丈夫です」
そう答えるも陶也の顔色はまだまだ悪かった。前回よりもダメージが大きいようだ。陶也は大丈夫と言ってくれるが、イザヤは心配だった。そして、咄嗟に出てしまった自分の左手を恨んだ。
「……イザヤさん」
「なんだ?」
「イザヤさんは、これ以上ないくらいの苦しみに見舞われたとき、その後、どうやって立ち上がってるんですか?」
唐突な質問だ。
「どうやって?……か。そう訊かれると、どうやってるんだろうなあ。気付けばいつも立ってるような気がする。あれかな?生まれたての小鹿が直ぐに立ったり、渡り鳥が海を渡るとか、そんな感じで特に考えなしに、勝手に動かされてる感じがする。但し半分だけな」
「半分だけ?」
ずっと俯いていた陶也が顔を上げた。
太陽は消え、辺りはすっかり薄暗くなったせいで、陶也の顔も半分は影で塗り潰された。
「そう半分。半分は全く動かず、半分だけが前に進むんだ。で、片方をズルズル引きずりながら歩いてる」
「それは……どういう事なんですか?」
陶也が食い入るように訊いてくる。こんな抽象的で個人の感覚的な話を訊いてどうするのか……、陶也の気を引くものは悉くイザヤには理解不能だった。
「さあな、よくわかんねーけど、半分をズルズル引きずってるのは、その半分はもう生きちゃいないからだろうな。だけど、俺は下等生物だから、痛みも人よりないんだろ。だから、残り半分でも生きられるんだ」
昆虫たちが手足を二、三本もがれても生きていられるように、イザヤも心や魂が満身創痍でも何故か生きてる。
「結局さ、生きているものはどんなものでも、生まれたからには一方向にしか進めない。立ち止まろうが、前に進もうが向かう先は死だ。そして、丸い地球に生きている限り、立ち止まったままで生きようが、どの方向を選んで進もうが、真っ直ぐ行けば、また同じ所に戻るんだ。まあ、同じところに戻るにしても、一周回ってきた方が見える景色が違うよな」
「あ……」
陶也が立ち止まった。
「何だ、どうした?」
茫然と立ち尽くす陶也に、イザヤは訝しげに眉を寄せた。
「求道って言葉がいま、頭に浮かびました」
「求道?」
「はい、修行僧が真理を求めて修行をしながら進む道の事なんですが、僕はそれまで自分の生きる場所を探し求めて進むから求道って言うのかと思っていたんです。でも、ある精神科医が、そうではなくて、道はもうみんな決まっていて、いつでもそこに在るそうなんです。だから、そこに心が入るかどうかだ、って、それが求道だって言ってたのがよく解らなかったんですが、でも、いま、解ったような気がします」
イザヤに真理だとか人の道だとか、そんな高次元の話はよくわからない。よくわからないからぼんやりと欠伸をしながら聞き流していたら、
「イザヤさんの今の話しに通じるような気がしました」
などと、陶也が突然のたまい、イザヤはぎょっとした。
「はあ?!俺の話のどこにそんなもんがあるんだ?」
地を這うゴキブリの話が修行して真理を求めているような高次元の奴と同じに見られちゃ、修行してる奴があまりにも憐れだ。
「だって、イザヤさんの話も言い方を変えれば、道は決まっているじゃないですか。立ち止まってたって、そこには在るんだ。動き回ろうが止まってようが同じなんだ。だけど、見える景色が違う。だから、……景色をしっかり見れるかどうかだ。そうだ。心が入るってのは、景色が変わる……って事と同じかもしれない。だから、それをしっかり見る……」
独り言のようにブツブツ呟く陶也を、イザヤは別の生き物のように眺めた。
「イザヤさん!有り難う御座います!」
陶也が晴れやかに顔を上げ、また妙に明るい声で礼を言う。
ーーまーただ、こいつの中で一体、何が起こったんだ?
「イザヤさんのお陰で僕、これから先、生きていく事の心構えが出来た気がします!本当にありがとうございます!」
力一杯礼を言われてしまった。
「はあ……」
と言って、イザヤは渋面を作る。自分は何もしちゃいない。また、勝手に陶也がイザヤの話を、陶也の中で役に立たせただけだがら、別にイザヤが礼を言われるような事は一切ない。立派なのは陶也だ。ゴキブリの戯言から、何だか解らない真理に近付くなんて、どんな脳ミソしてたらそうなるのか、イザヤは陶也を心から尊敬した。
イザヤは陶也の様子を伺ったが、まだまだ動けそうもなかった。だが、山の夕暮れは夏とはいえ、気温がぐっと下がってくる。先程の濡れた服を着替えさせようと、イザヤは川縁に置きっぱなしだった買い物袋を手にし、陶也の前に置いた。
「取り敢えず、お前はこれに着替えろ。体を冷やしちまうぞ」
陶也は膝を抱えてずっと俯いていたが、僅かに首を持ち上げて袋を見つめた。
「これは……イザヤさんのです」
「いいから、着ろって」
陶也はのそのそと動き出し、シャツを脱いだ。無防備な白い肢体が自然に晒される。ほとんど人に触れられていないだろう、陶也の清らかな肌を、イザヤの穢れた目に映してはいけないような気がして、イザヤは目をそらした。
買ってきたイザヤの服は陶也には大きすぎた。ズボンの裾を何度か折り込んで立ち上がる。白いTシャツもダボダボだ。
「少し楽になったか?」
「はい。長い時間、お待たせしました」
そう言って、陶也は丸い頭を下げた。
「歩けるか?」
陶也は頷いた。
「ほら。じゃあ、これに掴まれ」
イザヤは孫の手を差し出した。陶也はしばし戸惑ったが、そっと孫の手を握った。
「ゆっくり帰ろうな」
赤く染まった西の空が、だんだんと青く暗く変化し始め、いつの間にか空には星が瞬き始めた。
二人は暗い山道を、孫の手を介して、手を繋ぎ、歩いた。
「寒くないか?陶也」
「はい、大丈夫です」
そう答えるも陶也の顔色はまだまだ悪かった。前回よりもダメージが大きいようだ。陶也は大丈夫と言ってくれるが、イザヤは心配だった。そして、咄嗟に出てしまった自分の左手を恨んだ。
「……イザヤさん」
「なんだ?」
「イザヤさんは、これ以上ないくらいの苦しみに見舞われたとき、その後、どうやって立ち上がってるんですか?」
唐突な質問だ。
「どうやって?……か。そう訊かれると、どうやってるんだろうなあ。気付けばいつも立ってるような気がする。あれかな?生まれたての小鹿が直ぐに立ったり、渡り鳥が海を渡るとか、そんな感じで特に考えなしに、勝手に動かされてる感じがする。但し半分だけな」
「半分だけ?」
ずっと俯いていた陶也が顔を上げた。
太陽は消え、辺りはすっかり薄暗くなったせいで、陶也の顔も半分は影で塗り潰された。
「そう半分。半分は全く動かず、半分だけが前に進むんだ。で、片方をズルズル引きずりながら歩いてる」
「それは……どういう事なんですか?」
陶也が食い入るように訊いてくる。こんな抽象的で個人の感覚的な話を訊いてどうするのか……、陶也の気を引くものは悉くイザヤには理解不能だった。
「さあな、よくわかんねーけど、半分をズルズル引きずってるのは、その半分はもう生きちゃいないからだろうな。だけど、俺は下等生物だから、痛みも人よりないんだろ。だから、残り半分でも生きられるんだ」
昆虫たちが手足を二、三本もがれても生きていられるように、イザヤも心や魂が満身創痍でも何故か生きてる。
「結局さ、生きているものはどんなものでも、生まれたからには一方向にしか進めない。立ち止まろうが、前に進もうが向かう先は死だ。そして、丸い地球に生きている限り、立ち止まったままで生きようが、どの方向を選んで進もうが、真っ直ぐ行けば、また同じ所に戻るんだ。まあ、同じところに戻るにしても、一周回ってきた方が見える景色が違うよな」
「あ……」
陶也が立ち止まった。
「何だ、どうした?」
茫然と立ち尽くす陶也に、イザヤは訝しげに眉を寄せた。
「求道って言葉がいま、頭に浮かびました」
「求道?」
「はい、修行僧が真理を求めて修行をしながら進む道の事なんですが、僕はそれまで自分の生きる場所を探し求めて進むから求道って言うのかと思っていたんです。でも、ある精神科医が、そうではなくて、道はもうみんな決まっていて、いつでもそこに在るそうなんです。だから、そこに心が入るかどうかだ、って、それが求道だって言ってたのがよく解らなかったんですが、でも、いま、解ったような気がします」
イザヤに真理だとか人の道だとか、そんな高次元の話はよくわからない。よくわからないからぼんやりと欠伸をしながら聞き流していたら、
「イザヤさんの今の話しに通じるような気がしました」
などと、陶也が突然のたまい、イザヤはぎょっとした。
「はあ?!俺の話のどこにそんなもんがあるんだ?」
地を這うゴキブリの話が修行して真理を求めているような高次元の奴と同じに見られちゃ、修行してる奴があまりにも憐れだ。
「だって、イザヤさんの話も言い方を変えれば、道は決まっているじゃないですか。立ち止まってたって、そこには在るんだ。動き回ろうが止まってようが同じなんだ。だけど、見える景色が違う。だから、……景色をしっかり見れるかどうかだ。そうだ。心が入るってのは、景色が変わる……って事と同じかもしれない。だから、それをしっかり見る……」
独り言のようにブツブツ呟く陶也を、イザヤは別の生き物のように眺めた。
「イザヤさん!有り難う御座います!」
陶也が晴れやかに顔を上げ、また妙に明るい声で礼を言う。
ーーまーただ、こいつの中で一体、何が起こったんだ?
「イザヤさんのお陰で僕、これから先、生きていく事の心構えが出来た気がします!本当にありがとうございます!」
力一杯礼を言われてしまった。
「はあ……」
と言って、イザヤは渋面を作る。自分は何もしちゃいない。また、勝手に陶也がイザヤの話を、陶也の中で役に立たせただけだがら、別にイザヤが礼を言われるような事は一切ない。立派なのは陶也だ。ゴキブリの戯言から、何だか解らない真理に近付くなんて、どんな脳ミソしてたらそうなるのか、イザヤは陶也を心から尊敬した。
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