6 / 29
五煌剣Ⅰ 〜記憶なき少年と滅びの王たち〜
第五章 ──繋ぐ世界、冥哭の夜明け
しおりを挟む
夜は静かに降りていた。
風の音が消え、月が闇の底に沈む。
廃都ヴァルディアの瓦礫は
潮の引いた海岸の骨のように露わで、
砂に埋もれた王の紋章だけが、
かつての熱と誇りを微かに伝えていた。
リュウトは崩れた城門の影に立ち、
胸の奥で脈打つ五つの理に
そっと意識を添えた。
炎の勇気。
水の慈悲。
雷の誓い。
風の自由。
闇の静寂。
互いに異なる拍を刻みながら、
どこかで一つの旋律を待っている。
「……来るんだな」
風も息を潜めた瞬間、
世界が黒に染まる。
地平の彼方から影が歩いてくる。
衣のような闇が流れ、空気が凍る。
光のない夜なのに、
その瞳だけが銀色に光っていた。
「ようやくここまで来たか。
“鍵の子”」
「ノワール……お前は、それでも
“終焉”
を望むのか。」
崩れゆく大地の果て。
リュウトは、
黒の王ノワールと対峙していた。
闇の王は立ち止まり、黒剣を抜く。
刃の鳴りは土中の水脈が軋む音に似て、
古い地図が自らを書き換えるような
冷ややかな確かさを持っていた。
「炎、水、雷、風――
すべての理を取り戻したか。
リュウトよ……
私はただ、終わりが欲しかった。
光も闇も、いつか
“限界”
を迎える。
だがそれは、再び滅びを呼ぶものだ」
「違う。
理は滅びのためにあるんじゃない。
俺は、この世界を
“繋ぐ”
ために、ここにいる」
「繋ぐ、か」
ノワールは肩で笑い、
黒剣〈冥哭〉に夜を這わせた。
「ならば証明してみせろ。
滅びを越えられるかどうかを」
大地が裂け、黒い霧が天へ昇り、
無数の影が空を覆う。
その中に、ひとつの光が立ち上がる。
五つの色がリュウトの手に集まり、
相克を温存したまま一本の形を求めた。
「目覚めよ――
第六の煌剣。
《繋界》!!」
透明な刃が闇を割る。
空間がわずかに歪み、
石畳の継ぎ目の影が短く縮んだ。
〈冥哭〉が唸り、闇の竜の軌跡で迫る。
衝突。
世界の色が消え、音が失われ、
時間がひととき瞼の裏のように閉じた。
──その途端、
視界の縁がほどけ、
細い糸のような記憶がするりと
引き出され過去と今の物語が交差する。
◆ 過去 ~影の名のない夜~
夜がまだ柔らかく、星が近かった頃。
少年はひとりで空を見ていた。
世界は曖昧で、
祈りは形になりやすかった。
風が吹けば誰かの願いが芽吹き、
火が走れば別の祈りが焼け落ちた。
『折り畳まれた運命を解きほぐし、
秩序を与えよ』
どこからともなく届く声に従って、
少年は武器ではなく
“法”
を鍛えはじめた。
炎は照らす力として、
水は記憶の器として、
雷は意志の回路として、
風は選択の自由として、
闇は静かな循環として。
五つの鋳型が初めて整った夜、
少年は自分の胸の中に、
言葉にしてはならない
小さな塊が残っているのを見つけた。
怖れ。
怒り。
諦め。
ものの端に影が宿るたび、
そこだけ温度が違う。
少年はその影に、
名のないまま話しかけた。
「いてもいいのか」
返事はない。
けれども闇は、
波紋のように胸の内側で揺れた。
少年は、初めて
“ひとりではなかった”
ことに安心し、同時に、
言いようのない不安を抱いた。
◆ 現在 ~刃の呼吸~
止まった世界の間隙で、
二人の刃が呼吸した。
〈繋界〉が
炎を纏い、
水の糸を流し、
雷の筋道を走らせ、
風の渦で間合いを変え、
闇の静寂で震えを沈める。
〈冥哭〉は返す。
意味を、形を、理由を――
虚無へ。
奪うのではなく還す、終わりの優しさ。
「リュウト。
お前は知っているはずだ。
なぜ俺だけが滅びを望んだと思う?」
ノワールの声に、リュウトの視野の端で
黒いスクリーンがめくれた。
◆ 過去 ~切り離しの儀~
五王の器が整う夜。
少年は祭壇の前に立ち、
石板に線を刻んだ。
自らの胸に小刀を当てる。
刃は肉を裂かず、
影だけを切るために形づくられている。
息を吐いて、影の根元を見定める。
神々のざわめきが遠くから押し寄せた。
「それは必要な犠牲だ」
「管理こそ救済だ」
声は彼を持ち上げ、同時に締め付けた。
少年は一度だけ目を閉じ、
祈る代わりに宣言した。
「救いは枠の中には置かない」
小刀が下ろされ、影が裂ける。
夜が深くなり、冷たさが骨に通る。
裂けた影は、少年の前で
指先と同じ長さの
“別の手”
を形づくった。
それは彼の目を見た。彼と同じ目で。
「……名前は?」
影は首をかしげた。
名前という枠はまだ与えられていない。
少年は、その無名のまなざしに
居心地の悪さと、
どうしようもない親しみを覚えた。
「いつか呼ぶよ。いつか、必要になったら」
必要になったのは、
彼が思っていたよりずっと早かった。
◆ 現在 ~落下と上昇~
石畳が割れ、瓦礫が浮き上がり、
〈繋界〉がその浮力に乗って
ノワールの懐へ滑る。
〈冥哭〉は半歩引いて空間を反転、
攻撃そのものの意味を無効にし、
余白で反撃を組み立てる。
「無駄だ、
“鍵”。
お前が光である限り、闇は消えない」
「消さないさ」
リュウトは踏み込む。
相反する理を一本の足場に組んで飛び、
黒の中心へ刃先を差し入れた。
そこで、また視界がほどける。
◆ 過去 ~五王の戦乱と囁き~
秩序は救いであり、同時に枠だった。
火を盗んだ者が裁かれ、
記録は嘘を許さず、誓いは破れず、
自由は他者の自由にぶつかり、
静寂は生の叫びを吸い込む。
理が人を守り、
同時に締め付けるようになると、
皹は広がり、五王は互いに剣を向けた。
少年は介入を恐れた。
枠に枠を重ねれば、
救いはまた別の枷に変わる。
その夜、彼は祈る代わりに囁いた。
祭壇の下、かつて裂いた影へ。
「終わらせてほしい」
その時、影は初めて
“笑った”。
そこに名が宿る。
ノワール。闇の王。
彼は穏やかな声で応えた。
「終わりは救いだ。
静けさはすべてを等しくする」
少年は頷き、背を向けた。
自分の手ではない誰かの手に、
終わりを預けた。
その結果が何であれ、
自分の理が直接流す血より、
まだ受け入れられると思ったから。
朝が来たとき、世界は沈黙していた。
◆ 現在 ~告白~
「……ああ。俺は、お前に預けた」
リュウトは言葉に息を乗せる。
「枠を壊すための責任を、影に押しつけた」
「遅かったな」
ノワールは笑う。
責める色はない。
ただ、事実を確認する者の笑いだ。
「だが遅くても、来たのなら間に合う」
「何に?」
「同じ手で、
“終わりと始まり”
を持つことに」
〈冥哭〉が構えを変える。
奪わず、返す構えから、
抱きとめる構えへ。
〈繋界〉の気配が、それに呼応して沈む。
リュウトの〈繋界〉が輝きを放つ。
それは五煌剣を束ね、
異なる理を調和させる光。
虚界の闇を切り裂くたびに、
空間が音を立てて崩れる。
「理は一つに還るべきだ!」
刃は刃の輪郭を失い、
糸のように細くなる。
「なら……
一緒に行く!」
リュウトは言う。
「闇を消すんじゃない。
俺の中に置く」
「置く場所はあるのか?」
「ある。空洞の真ん中。
ずっと空けていた。」
ノワールの冥哭が唸り、
世界そのものが震える。
黒と白の奔流が衝突し、
永劫の夜が裂かれた。
最後の瞬間、ノワールの瞳に浮かんだのは、穏やかな微笑。
「……リュウト。
お前の理に、赦しを見た。」
「ノワール……。」
冥哭が砕け、闇は光に溶けた。
リュウトはその光を胸に抱き、
世界の中心へと歩み出す。
「この命が尽きても、俺は
“繋ぐ”。
理が再び歪む時――
俺の魂は、必ず応える。」
◆ 過去 ~名を与える庭~
廃れた礼拝堂の裏庭。
少年だった彼は、
石だらけの土を一人で耕し、
名のない苗を植えた。
祈りをやめる練習のように、
ただ手を動かし続けた。
そこへ影が現れる。
すでにノワールと呼ばれる存在だ。
「ここは何の庭だ」
「名を与えないものの庭」
「名を与えないなら、呼べない」
「呼ぶ必要がないものも、
ここには置いておける」
影は土に触れた。
冷たい指先に、
土は少しだけぬくもりを返した。
「終わりも、ここに置けるのか」
「置ける。
誰のものでもない終わりとして」
影は頷き、庭の隅に座った。
少年は黙って隣に座った。
どちらも、まだ行き先を知らなかった。
◆ 現在 ~融合~
黒と紅が交差する。
二つの存在が、ひとつに重なる。
支配でも相殺でもなく、
互いが互いに輪郭を与え直す行為。
終わりは始まりに境界線を描き、
始まりは終わりに意味の灯を置く。
静寂。やがて、
微かな音――
胎内で最初に聞く鼓動に似た音が
夜の底からせり上がる。
風が通り、
湖が揺れ、
遠雷が笑い、
炎が朝を予告する。
瓦礫の真ん中に、少年が立っていた。
白銀の髪は淡く輝き、
瞳は夜と朝の境を映す。
ノワールの姿はもうない。
けれども、
その声は胸の静けさに溶けていた。
『終わりは、始まりに。
始まりは、また終わりを照らす』
「……ありがとう、ノワール」
彼は空を見上げた。
薄い月が雲の縁でほどけ、
星に場所を譲る。
恐れも憎しみも、まだそこにある。
ただ、手綱を握る者が変わっただけだ。
◆ 後景 ~理の再歩行~
炎の王国の跡に
子どもたちの笑い声が戻る。
水の女王の湖は沈んだ名を泡にして上げ、
雷の高地では名のない誓いが続けられ、
風の道では昨日の自分の境界が
足で踏み越えられ、
冥府と呼ばれた場所には、
行き止まりではなく
“休む”
という選択が生まれた。
リュウトは各地を回る。
石を積み直し、畑を耕し、
古い文字を読みやすく書き換え、
泣く者の隣で黙って座る。
《繋界》は掌の中で光を薄め、
刃を糸へ変え、
切れた縁を静かに結び直す。
◆ 過去 ~返してほしいもの~
旅の途上、
彼は古い井戸の前で立ち止まる。
蓋の上に腰掛ける気配。
振り向かなくても誰かがいるとわかる夜。
「返してほしいものがある」
闇が囁く。ノワールの声だ。
「何を」
「お前が俺に預けた
“責任”。」
「終わらせる決断。
もう、お前が持っていていい」
リュウトは笑った。
疲れた夜に似た笑いだった。
「返された責任は、どうしたらいい」
「持っていればいい。
誰かに渡すな。
重いときは、庭に置け」
「名のない庭に?」
「ああ。
名のないものの置き場所は、救いだ」
返事はいらなかった。
返事のいらない返事が、
胸の空洞を温めた。
◆ 終章 ~冥哭の夜明け~
空が開け、夜が明ける。
闇は光を拒まず、光は闇を侮らない。
二つは寄り添い、
互いの輪郭を確かめるように、
同じ地平を照らす。
「この世界は終わらない。
滅びも理も、すべてが繋がっている」
丘に立つリュウトの足元で、
名もない草が風に揺れた。
遠くの家々からパンの匂いが流れ、
湖面には遅い鳥が影を落とす。
彼は目を閉じ、胸の中心――
空洞の真ん中に小さな灯りがともっているのを確かめた。
それは刃ではない。
規則でもない。
祈りに似て、呼吸に似て、
ただ在る、という手触り。
──冥哭の夜明け。
滅びの先に、
新たな理が生まれた瞬間だった。
風の音が消え、月が闇の底に沈む。
廃都ヴァルディアの瓦礫は
潮の引いた海岸の骨のように露わで、
砂に埋もれた王の紋章だけが、
かつての熱と誇りを微かに伝えていた。
リュウトは崩れた城門の影に立ち、
胸の奥で脈打つ五つの理に
そっと意識を添えた。
炎の勇気。
水の慈悲。
雷の誓い。
風の自由。
闇の静寂。
互いに異なる拍を刻みながら、
どこかで一つの旋律を待っている。
「……来るんだな」
風も息を潜めた瞬間、
世界が黒に染まる。
地平の彼方から影が歩いてくる。
衣のような闇が流れ、空気が凍る。
光のない夜なのに、
その瞳だけが銀色に光っていた。
「ようやくここまで来たか。
“鍵の子”」
「ノワール……お前は、それでも
“終焉”
を望むのか。」
崩れゆく大地の果て。
リュウトは、
黒の王ノワールと対峙していた。
闇の王は立ち止まり、黒剣を抜く。
刃の鳴りは土中の水脈が軋む音に似て、
古い地図が自らを書き換えるような
冷ややかな確かさを持っていた。
「炎、水、雷、風――
すべての理を取り戻したか。
リュウトよ……
私はただ、終わりが欲しかった。
光も闇も、いつか
“限界”
を迎える。
だがそれは、再び滅びを呼ぶものだ」
「違う。
理は滅びのためにあるんじゃない。
俺は、この世界を
“繋ぐ”
ために、ここにいる」
「繋ぐ、か」
ノワールは肩で笑い、
黒剣〈冥哭〉に夜を這わせた。
「ならば証明してみせろ。
滅びを越えられるかどうかを」
大地が裂け、黒い霧が天へ昇り、
無数の影が空を覆う。
その中に、ひとつの光が立ち上がる。
五つの色がリュウトの手に集まり、
相克を温存したまま一本の形を求めた。
「目覚めよ――
第六の煌剣。
《繋界》!!」
透明な刃が闇を割る。
空間がわずかに歪み、
石畳の継ぎ目の影が短く縮んだ。
〈冥哭〉が唸り、闇の竜の軌跡で迫る。
衝突。
世界の色が消え、音が失われ、
時間がひととき瞼の裏のように閉じた。
──その途端、
視界の縁がほどけ、
細い糸のような記憶がするりと
引き出され過去と今の物語が交差する。
◆ 過去 ~影の名のない夜~
夜がまだ柔らかく、星が近かった頃。
少年はひとりで空を見ていた。
世界は曖昧で、
祈りは形になりやすかった。
風が吹けば誰かの願いが芽吹き、
火が走れば別の祈りが焼け落ちた。
『折り畳まれた運命を解きほぐし、
秩序を与えよ』
どこからともなく届く声に従って、
少年は武器ではなく
“法”
を鍛えはじめた。
炎は照らす力として、
水は記憶の器として、
雷は意志の回路として、
風は選択の自由として、
闇は静かな循環として。
五つの鋳型が初めて整った夜、
少年は自分の胸の中に、
言葉にしてはならない
小さな塊が残っているのを見つけた。
怖れ。
怒り。
諦め。
ものの端に影が宿るたび、
そこだけ温度が違う。
少年はその影に、
名のないまま話しかけた。
「いてもいいのか」
返事はない。
けれども闇は、
波紋のように胸の内側で揺れた。
少年は、初めて
“ひとりではなかった”
ことに安心し、同時に、
言いようのない不安を抱いた。
◆ 現在 ~刃の呼吸~
止まった世界の間隙で、
二人の刃が呼吸した。
〈繋界〉が
炎を纏い、
水の糸を流し、
雷の筋道を走らせ、
風の渦で間合いを変え、
闇の静寂で震えを沈める。
〈冥哭〉は返す。
意味を、形を、理由を――
虚無へ。
奪うのではなく還す、終わりの優しさ。
「リュウト。
お前は知っているはずだ。
なぜ俺だけが滅びを望んだと思う?」
ノワールの声に、リュウトの視野の端で
黒いスクリーンがめくれた。
◆ 過去 ~切り離しの儀~
五王の器が整う夜。
少年は祭壇の前に立ち、
石板に線を刻んだ。
自らの胸に小刀を当てる。
刃は肉を裂かず、
影だけを切るために形づくられている。
息を吐いて、影の根元を見定める。
神々のざわめきが遠くから押し寄せた。
「それは必要な犠牲だ」
「管理こそ救済だ」
声は彼を持ち上げ、同時に締め付けた。
少年は一度だけ目を閉じ、
祈る代わりに宣言した。
「救いは枠の中には置かない」
小刀が下ろされ、影が裂ける。
夜が深くなり、冷たさが骨に通る。
裂けた影は、少年の前で
指先と同じ長さの
“別の手”
を形づくった。
それは彼の目を見た。彼と同じ目で。
「……名前は?」
影は首をかしげた。
名前という枠はまだ与えられていない。
少年は、その無名のまなざしに
居心地の悪さと、
どうしようもない親しみを覚えた。
「いつか呼ぶよ。いつか、必要になったら」
必要になったのは、
彼が思っていたよりずっと早かった。
◆ 現在 ~落下と上昇~
石畳が割れ、瓦礫が浮き上がり、
〈繋界〉がその浮力に乗って
ノワールの懐へ滑る。
〈冥哭〉は半歩引いて空間を反転、
攻撃そのものの意味を無効にし、
余白で反撃を組み立てる。
「無駄だ、
“鍵”。
お前が光である限り、闇は消えない」
「消さないさ」
リュウトは踏み込む。
相反する理を一本の足場に組んで飛び、
黒の中心へ刃先を差し入れた。
そこで、また視界がほどける。
◆ 過去 ~五王の戦乱と囁き~
秩序は救いであり、同時に枠だった。
火を盗んだ者が裁かれ、
記録は嘘を許さず、誓いは破れず、
自由は他者の自由にぶつかり、
静寂は生の叫びを吸い込む。
理が人を守り、
同時に締め付けるようになると、
皹は広がり、五王は互いに剣を向けた。
少年は介入を恐れた。
枠に枠を重ねれば、
救いはまた別の枷に変わる。
その夜、彼は祈る代わりに囁いた。
祭壇の下、かつて裂いた影へ。
「終わらせてほしい」
その時、影は初めて
“笑った”。
そこに名が宿る。
ノワール。闇の王。
彼は穏やかな声で応えた。
「終わりは救いだ。
静けさはすべてを等しくする」
少年は頷き、背を向けた。
自分の手ではない誰かの手に、
終わりを預けた。
その結果が何であれ、
自分の理が直接流す血より、
まだ受け入れられると思ったから。
朝が来たとき、世界は沈黙していた。
◆ 現在 ~告白~
「……ああ。俺は、お前に預けた」
リュウトは言葉に息を乗せる。
「枠を壊すための責任を、影に押しつけた」
「遅かったな」
ノワールは笑う。
責める色はない。
ただ、事実を確認する者の笑いだ。
「だが遅くても、来たのなら間に合う」
「何に?」
「同じ手で、
“終わりと始まり”
を持つことに」
〈冥哭〉が構えを変える。
奪わず、返す構えから、
抱きとめる構えへ。
〈繋界〉の気配が、それに呼応して沈む。
リュウトの〈繋界〉が輝きを放つ。
それは五煌剣を束ね、
異なる理を調和させる光。
虚界の闇を切り裂くたびに、
空間が音を立てて崩れる。
「理は一つに還るべきだ!」
刃は刃の輪郭を失い、
糸のように細くなる。
「なら……
一緒に行く!」
リュウトは言う。
「闇を消すんじゃない。
俺の中に置く」
「置く場所はあるのか?」
「ある。空洞の真ん中。
ずっと空けていた。」
ノワールの冥哭が唸り、
世界そのものが震える。
黒と白の奔流が衝突し、
永劫の夜が裂かれた。
最後の瞬間、ノワールの瞳に浮かんだのは、穏やかな微笑。
「……リュウト。
お前の理に、赦しを見た。」
「ノワール……。」
冥哭が砕け、闇は光に溶けた。
リュウトはその光を胸に抱き、
世界の中心へと歩み出す。
「この命が尽きても、俺は
“繋ぐ”。
理が再び歪む時――
俺の魂は、必ず応える。」
◆ 過去 ~名を与える庭~
廃れた礼拝堂の裏庭。
少年だった彼は、
石だらけの土を一人で耕し、
名のない苗を植えた。
祈りをやめる練習のように、
ただ手を動かし続けた。
そこへ影が現れる。
すでにノワールと呼ばれる存在だ。
「ここは何の庭だ」
「名を与えないものの庭」
「名を与えないなら、呼べない」
「呼ぶ必要がないものも、
ここには置いておける」
影は土に触れた。
冷たい指先に、
土は少しだけぬくもりを返した。
「終わりも、ここに置けるのか」
「置ける。
誰のものでもない終わりとして」
影は頷き、庭の隅に座った。
少年は黙って隣に座った。
どちらも、まだ行き先を知らなかった。
◆ 現在 ~融合~
黒と紅が交差する。
二つの存在が、ひとつに重なる。
支配でも相殺でもなく、
互いが互いに輪郭を与え直す行為。
終わりは始まりに境界線を描き、
始まりは終わりに意味の灯を置く。
静寂。やがて、
微かな音――
胎内で最初に聞く鼓動に似た音が
夜の底からせり上がる。
風が通り、
湖が揺れ、
遠雷が笑い、
炎が朝を予告する。
瓦礫の真ん中に、少年が立っていた。
白銀の髪は淡く輝き、
瞳は夜と朝の境を映す。
ノワールの姿はもうない。
けれども、
その声は胸の静けさに溶けていた。
『終わりは、始まりに。
始まりは、また終わりを照らす』
「……ありがとう、ノワール」
彼は空を見上げた。
薄い月が雲の縁でほどけ、
星に場所を譲る。
恐れも憎しみも、まだそこにある。
ただ、手綱を握る者が変わっただけだ。
◆ 後景 ~理の再歩行~
炎の王国の跡に
子どもたちの笑い声が戻る。
水の女王の湖は沈んだ名を泡にして上げ、
雷の高地では名のない誓いが続けられ、
風の道では昨日の自分の境界が
足で踏み越えられ、
冥府と呼ばれた場所には、
行き止まりではなく
“休む”
という選択が生まれた。
リュウトは各地を回る。
石を積み直し、畑を耕し、
古い文字を読みやすく書き換え、
泣く者の隣で黙って座る。
《繋界》は掌の中で光を薄め、
刃を糸へ変え、
切れた縁を静かに結び直す。
◆ 過去 ~返してほしいもの~
旅の途上、
彼は古い井戸の前で立ち止まる。
蓋の上に腰掛ける気配。
振り向かなくても誰かがいるとわかる夜。
「返してほしいものがある」
闇が囁く。ノワールの声だ。
「何を」
「お前が俺に預けた
“責任”。」
「終わらせる決断。
もう、お前が持っていていい」
リュウトは笑った。
疲れた夜に似た笑いだった。
「返された責任は、どうしたらいい」
「持っていればいい。
誰かに渡すな。
重いときは、庭に置け」
「名のない庭に?」
「ああ。
名のないものの置き場所は、救いだ」
返事はいらなかった。
返事のいらない返事が、
胸の空洞を温めた。
◆ 終章 ~冥哭の夜明け~
空が開け、夜が明ける。
闇は光を拒まず、光は闇を侮らない。
二つは寄り添い、
互いの輪郭を確かめるように、
同じ地平を照らす。
「この世界は終わらない。
滅びも理も、すべてが繋がっている」
丘に立つリュウトの足元で、
名もない草が風に揺れた。
遠くの家々からパンの匂いが流れ、
湖面には遅い鳥が影を落とす。
彼は目を閉じ、胸の中心――
空洞の真ん中に小さな灯りがともっているのを確かめた。
それは刃ではない。
規則でもない。
祈りに似て、呼吸に似て、
ただ在る、という手触り。
──冥哭の夜明け。
滅びの先に、
新たな理が生まれた瞬間だった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる