夏の終わり、波の音、僕は天使に恋をした

桜乃

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2日目

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 幸の事を考えて、なかなか寝付けなかった僕は、朝ご飯の時間ギリギリに飛び起きる。

 食事が終わったであろう宿泊者の家族連れとすれ違い、おはようございますと挨拶を交わした。食堂には宿泊客は誰もおらず、僕に気が付いた女将さんが、一人分の配膳を慣れた手つきで用意してくれた。

 目の前のテーブルがいっきに彩られる。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

 にこやかに話し掛けてくれる女将さんにぺこりと頭を下げた。
 
「おはようございます。すみません……時間ギリギリになっちゃって」
「大丈夫ですよ。ゆっくり召し上がって下さいね。ご飯のおかわりもありますよ」

 僕はお礼を言いながら、改めて朝ご飯を眺める。

 ホカホカの温かいご飯にお味噌汁の匂い。丁寧に巻かれた卵焼き。東京じゃあまり見かけないサイズの肉厚なアジの開きとほくほくジャガイモの肉じゃが。佃煮の小鉢に海苔と食後のヨーグルト。

 東京で一人暮らしの僕は、ザ・朝ご飯というメニューに箸が進む。

 幸は心配になるくらい細いけど、ちゃんとご飯を食べてるのかな。

「今日はどちらへ?」

 女将さんが僕の湯呑みにお茶を足し、テーブルに置いた。

「昨日の浜へ……」
「あら、気に入ってくれたなんて嬉しいわぁ。でも、海しかなくて、都会の人にはつまらないでしょう?」
「それが良いんですよ。そう言えば、昨日これを拾ったんですけど……」

 僕はポケットからハンカチを出して広げる。

 昨日、幸の姿が見えなくなり、僕も民宿に戻ろうと歩き始めた時、淡いピンクの貝殻が目に入った。少し力を入れただけでもパリンと割れてしまいそうな可憐な貝殻がゆきのようで、気をつけながら指で拾い、ハンカチに包んで持ち帰った。

「まぁ、珍しい。桜貝なんて」
「桜貝?」
「昔はね、よく浜辺で拾ってたんですけどね。今はね……しかも、こんなに綺麗な形で拾えるなんて稀ですよ」
「そうなんですね」
「女将さーん」

 厨房の方から呼ばれた女将さんは僕にお辞儀をし、厨房に向かった。


 僕は約束の時間より少し……というか、だいぶ早く浜辺に来てしまった。幸を待たせたくはなかったし、何より僕がソワソワと落ち着かない。

 幸は来てくれるかな。

 不安な気持ちで海を眺めていたが、寝不足の僕に波の音は気持ち良すぎて、ウトウトしてしまう。

 トンと右肩に何かが当たり、その衝撃で僕は目を覚ました。

「あ、起こしちゃった?」

 にこっと笑う幸の姿に僕は眠気も吹っ飛び、胸を撫で下ろす。

 ああ、来てくれた……

 幸は今日も白いワンピースに白い帽子……昨日より更に肌が白く……白いというより青白いような気がして、やっぱり幸は消えてしまうんじゃないかと、僕の心がザワザワする。

「寝ちゃてごめん。幸を待っていたから起こしてもらって助かったよ」

 隣に座った幸に笑い掛けた。
 
「慎一君がいてホッとした。慎一君にからかわれてるのかなって心配だったから」

 はにかんでいる顔を見せまいとしているのか、幸は両手で帽子のつばを持ち、更に深く被る。

 「からかうなんて……僕が幸に会いたいと思ったから……」

 幸の頬が薄紅色に染まる。僕も本音が思わず出てしまった事に恥ずかしくなり、俯いてしまった。

「慎一君、女の子慣れしてる……」
「なっ……そんな事ない! 絶対ない! まぁ……高校で付き合ってたはいたけど……」
「えっ……あ、そうよね。慎一君モテそうだもん……」
「……モテはしないけど……今はいないよ」

 幸は顔を上げ、ふふっと頬を緩ませる。その笑顔が無理しているようで、僕の心のざわめきはますます大きくなった。

「ほんとに?」
「ほんとに!」

 焦りつつ力強く返事をすると、幸はアハハと笑い、黙り込む。

「そうだ、幸、いいもの見せてあげる」

 この沈黙がなんだか怖くて、僕は大事に持ち歩いていたハンカチを広げ、桜貝を出した。

「わっ……綺麗。ピンク色の貝? 本物?」

 幸は目を丸くして、桜貝をしげしげと見る。少し得意げに僕は説明した。
 
「本物。昨日、あの後、浜辺で拾ったんだ。宿の女将さんに聞いたら桜貝って言ってた」
「桜貝? 綺麗な名前ね。本当に桜の花びらみたい」
「調べたらさ、幸せを呼ぶんだって。だからゆきしあわせあげる」
「えっ!? いいの? ありがとう……」

 幸はそっと受け取り、嬉しそうに目を細める。そして、唇を強く噛みしめながら、顔を歪めた。

「大事に…………す、る……ね」

 小刻みに震え、ハァハァハァと息が荒くなる顔面蒼白の幸に僕は驚き、肩を揺すった。

「幸っ!?」
「見ないでっ!!」

 顔を伏せた幸が必死に出したであろうかすれた声に、僕はゴクリと唾を飲む。

「救急車! 救急車呼ぶ!」

 スマホを取り出す僕の腕を握り、顔を伏せたまま首を横に振った。

「でも!」
「大、丈夫……すぐ、落ち着、くから……」
「いや、でも、だって……」

 幸はハーハーとゆっくり呼吸を整えると、おもむろに立ち上がる。

「大丈、夫……だか、ら……」
「幸……どこか悪いんじゃ……病院行った方が」
「大丈夫……も、平気……」

 たどたどしい幸の声。ずっと感じてた不安。僕の胸が早鐘を打つ。

 幸がぎこちなく笑った。

「病院は、通ってるから。私ね…………あと、少ししか生きられない、の」

 僕は目を見開き、幸を凝視する。

「信じられないでしょ? ほら……私、今生きてるし、喋ってるし、歩いてるし、笑ってるし……でも……死んじゃうの。今もね、病魔が少しづつ蝕んでて…………もう、ダメなの」

 せきを切ったように話す幸の涙声に僕は息苦しくなり、自分の胸をギュッと押さえる。

 どうしてもどうしても嘘だと言って欲しくて、何度も聞き返したい衝動に駆られるも、彼女の哀しげな瞳がすべてを物語っていた。

 僕は、これ以上問いただす事はできなかった。

「なんて……病……気なの」

 病名なんて聞いても、僕が役に立つことはない。それでも幸の病気を知り、寄り添いたかった。クスリと彼女は弱々しい笑顔を見せる。

「内緒!」

 何もできない自分がもどかしい。ありきたりの慰めの言葉は言いたくない。そんな言葉、きっと沢山の人に言われてきたはずだから。

 病状が落ち着いてきたのか、昨日と変わらない明るい声で幸はクスクス笑い始めた。

「今日はね、ちょっと調子が悪かったの。びっくりさせてごめんね」
「そんな……僕こそ、ごめん。誘っちゃって」
「ううん。だって、私が慎一君に会いたかったんだもん…………あーあ、慎一君と会ってる時間くらいは笑っていられると思ったのにな。やっぱり、調子、悪いみたい。帰るね」

 無理していたのか、歩き始める幸の足元が覚束おぼつかない。僕は幸の腕をガシッと掴んだ。

「危ないから、送ってくよ」
「……ありがとう。大丈夫。実はね、お父さんとお母さんが近くで待ってるの」
「でも……」

 周りを見渡しても、幸の両親どころか他の人の姿は見えない。僕は心配でたまらなかった。
 
「ホントに大丈夫なの。このボタンをね、押すとお父さんとお母さんのスマホに連絡がいくの。すごいよね」

 ワンピースのポケットから『緊急ボタン』と書かれた小さな丸い機器を取り出し、僕に見せる。
 
「だから、安心してね。それより、こんな姿、いつまでも慎一君に見られたくないよ」

 ニッと笑う幸に僕の胸は張り裂けそうな痛みを感じた。

「僕にできる事は…………」

 僕をじっと見つめると、幸はゆっくり口を開く。

「私ね、恋、したことないの。恋、したいなぁ。生きてるうちに、私、恋、したいの、慎一君。あのね、死ぬまで慎一君に恋しててもいいかな。慎一君を見た時から、この人に恋しようって決めたの。私のこと気づいてほしくて、わざと帽子飛ばしたんだよ」

 苦しそうに、切なそうに、悔しそうに、幸は微笑んだ。
 
「……っ。僕だって……幸に……恋してる」
「やった……初恋で両想いなんて、私ってラッキー」

 無理して明るく振舞う幸を僕は何も言えず、ただ見つめる。よたよたと去っていく幸の背中に白い羽が浮かぶ。


 舞い降りた天使は、僕を置いて天に帰るのか。

 神様は意地悪だ……お願い……僕の天使を奪わないで……

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