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しおりを挟むマルガイ公爵家の長女として生まれた私、エリーナは五歳の時第一王子の婚約者となったことで、人生の道が決まった。
まだ一人で絵本も読めないほどに小さな時、乳母に読んでもらった絵本に出てきた金髪碧眼の王子様のような、そんな見目麗しいアルベルト様の婚約者に選ばれた私は、彼の横に立つにふさわしい存在となるべく泣きごとも……多少はいったかもしれないけれど、それでも誰もが認めるほどに励んだ。
一日の大半が教育漬けで終わったとしても、アルベルト様にふさわしい淑女となるべく、その為だけに頑張ってきた。
その甲斐あって今では全ての令嬢の手本となるような、素晴らしい淑女として名を広め、そして王太子の横に並ぶにふさわしい婚約者となった私は、婚約者であるアルベルト様や友人とともに学園生活を謳歌していた。
学園を卒業したら私はアルベルト様と婚姻する。私にとってもアルベルト様にとっても最後の自由ともいえる学園生活。
婚約者として、そして淑女として、アルベルト様とは適切な距離を保ちながら学園生活を送っていた。
その適切な距離感がいけなかったのか、ある日転入生が現れてからその日常は一変した。
アルベルト様と共に登下校していた時間も、昼食を共にしていた時間もなくなりつつあった頃、仲の良い友人たちに断りを入れて私は一人学園の廊下を歩いていた。
そして辿り着いた先で目撃してしまった光景に私は驚きとショックを隠しきれなかった。
婚約者がいる殿方に迷いなく近づき、恥じらいもなく身体に触れ、そして自らの体を密着させる。
きちんと教育されていれば貴族令嬢としてあり得ないとわかる行動をとる女性の隣に、まさかアルベルト様がいて、しかも不快感をあらわにするのではなく寧ろ顔を赤くし綻ばせていたのだ。
私は激しい怒りを感じた。
アルベルト様に寄り添う女性だけではなく、そんな彼女を許すアルベルト様に。
だけどこの時の私はなにを思ってか、当人であるアルベルト様でも、アルベルト様を誑し込もうとする令嬢でもなく、アルベルト様に付き従う従者候補と護衛候補に怒りを向けてしまった。
主の行いを止めることもせず、何をやっているのかと。
そんな周りも見えない状態で、私は護衛候補のもとへと向かったのだった。
■
いつからだろう。
アルベルト様の婚約者として、アルベルト様からの気持ちが感じられなくなったのは。
いつからだろう。
淑女と謳われた私が己の感情を抑えきれなくなったのは。
いつからだろう。
キラキラと輝いて見えた完璧だと思っていたアルベルト様に違和感を抱くようになったのは。
あれは二年目の学園生活が始まる頃だった。
私がまだアルベルト様と仲睦まじい日々を送っていた頃、私の学年に転入生がやってきた。
転入生は領地を持たない田舎町で暮らす名ばかりな貴族、男爵家の令嬢だった。
彼女は最初の頃から悪い意味で有名だった。
大きすぎる胸を薄いブラウスのボタンで抑え、淑女にはありえない短すぎるスカートで足をさらけ出していた。
まるで娼婦のような彼女の姿をみた女性は不快感を表したが、男性たち_特に低位貴族や婚約者のいない令息_の心をうまく掴んだ彼女はそれはもううまくやっていた。
体までの関係を持っているのかまでは私にはわからない。
だけど彼女のそばにはまるで傭兵さながらの体格の良い男性が常にいた。彼女は男性たちを蔓延らせていたのだ。
それでも彼女の周りにいたのは婚約者がいない男性たちでしかも低位貴族ばかりだったため、いくら風紀が乱れようが私達は構わなかった。
クラスが違うことも理由にあったが、なによりも彼女の乱れた言動を見て眉をひそめるよりも、最後の学園生活を充実させることの方を選んだのだ。
ある日のことだった。
友人たちの話を聞いて、私もアルベルト様にお弁当を作ろうと思ったその日の夜、公爵家で雇っている料理人とメニューを考え、私が作れるようになるまでノウハウを教えてもらった。
朝早くに起き、料理人の監視のもとアルベルト様へのお弁当を作っていた。
卵が焦げないように何度も失敗した卵焼きは結局ゆで卵へと形を変えたが、生のままにならないようブロッコリーを茹でたり、お肉にちゃんと火が通るように火加減を料理人に教えてもらいながら、少しでも美味しくアルベルト様に召し上がってもらいたいという心を込めて、お弁当を完成させた。
可愛らしくラッピングを済ませ出来上がったものを手に持ったまま馬車に乗り込むと、見送りに来てくれたメイドが「絶対喜んでくれますよ!」と意気込みをみせる。
「ふふ、そうだと嬉しいわね」
せっかく頑張って作ったのだから絶賛とまではいかなくても、楽しい一時を過ごしたいものだと私は頭を下げるメイドが小さくなるまで、弾んだ気持ちで眺めた。
そして学園に着き、馬車から降りるとかけられた声の元を振り返る。
「エリーナ様、おはようございます」
「ルナ様。おはようございます」
「……それはお弁当ですか?」
「ええ。ルナ様のお話を聞いて私も作ってみましたの」
紙袋にいれたそれを一目でお弁当だと見抜いた友人は、私が肯定すると嬉しそうに顔を綻ばせた。
中身を見抜いたのも嬉しそうに微笑んだのも、彼女が私がお弁当を作ろうと思ったきっかけになった人だからだ。
ルナ・メイダース。
私と同じ公爵家の娘である彼女は、アルベルト様の護衛騎士第一候補のグレース・アイガル伯爵令息と婚約関係にある。
候補、というのはまだアイガル伯爵令息が学生で、騎士の称号を受け取っていないためだ。
学園を卒業すれば騎士の称号を与えられるほどに功績を積み重ねている彼は、とても優秀な騎士であると記憶している。
ルナ様はそんな王子殿下であるアルベルト様に付き従うアイガル伯爵令息との時間をあまり持てなかった。
だから少しの時間でも良い思い出になるようにと考えていたルナ様は、教室内で話す他の令嬢の話を参考にした結果、お弁当作戦は大成功を納めたと話してくれたのだ。
「まぁ!嬉しい!
では今日はエリーナ様は殿下と共に過ごされるのですね。幸せな報告をお待ちしておりますわ!」
自分のことのように喜ぶルナ様に私も自然と口端が上がる。
「ありがとうございます。ルナ様」
最近帝王学を学び始めたアルベルト様と一緒にいる時間がとれなくなっていたのだ。
一緒に登下校していた時間も、待ち合わせていた時間が日によって異なるかもしれないと、準備に時間がかかる私を気遣い、別々で登下校するようになってしまった。
共に食事をしていた時間は、完全になくなったわけではないがそれでも週一度と決められ、頻度が減った。
忙しいアルベルト様に無理を要求するわけにもいかず、私はアルベルト様の将来のため見守ることに徹したのだ。
そんな昼食の時間を私は食堂のざわついた空間ではない静かな場所で、アルベルト様と過ごそうと考えた。
(お弁当には保存魔法もかけているから、いつでも出来上がりのように食すことができるわ)
あとは場所だけだ。
そう思った私は当日でしか予約できないガゼボを利用しようと、ルナ様と分かれて施設予約をするべく管理室へと足を運んだ。
だが
「え、アルベルト様が予約しているのですか?
しかも利用者は私とアルベルト様?」
いざ予約をしようと管理人に声を掛けると、想定外なことを言われ私は目を瞬かせた。
帝王学を学び始めた頃、実際に登校時間が今まで以上に遅くなったアルベルト様は、私との待ち合わせを申し訳なさそうに話した。
だからこそ、私もアルベルト様の断りを受け入れたのだ。
そんな彼が私よりも早く登校し、施設予約をしていることが疑問に感じたのだが、施設予約は必ずしも利用者本人でなければいけないというものではない。
例えば家の用で急に学園に来る時間が遅れた場合、本人の代わりに別の者があらかじめ予約することができる。
きっと今回のパターンも従者候補となるものが予約したのだろうと私は考えた。
「他の時間での施設予約は行いますか?」
「……いえ、大丈夫ですわ」
昼食休憩の時間にガゼボを予約しているからと言って、他の時間も別の用件で予約することだってある。
だから再度予約確認をする管理人に私は断りを入れてその場を去った。
私に話を通すことなく利用者として予約していたことに違和感を感じたが、そんな微かな違和感よりもアルベルト様も私と同じ気持ちでいたことに歓喜していた為、細かい事には気が付かないふりをした。
そわそわとした気持ちで授業を受け、待ちに待ったお昼休みになるといつも共にしている友人たちに食堂に向かおうと声をかけられたが、私は断りを入れて足早に教室を出た。
説明が足りないような気が後からしたが、そこは朝にあったルナ様が伝えてくれるだろうと考える。
施設予約と言っても、利用する部屋やガゼボに鍵はない。
何故ならそれくらい生徒側でどうにかなる問題だからだ。
安全な王都内に設立された学園なのだから魔獣の心配もなく、王族も通うことから厳重な警備が敷かれているため侵入者の心配もない。
あとは生徒同士の問題なだけである。
個人的な恨みを持つもの、親等の指示を受けた者と事情はあるかもしれないが、実行に移す者は所詮生徒である。
掴まれたくない情報を口にする際は部屋全体か、当事者の周りに魔法を使えば情報が漏れることはない。
魔法を前に鍵という存在が意味をなさないという理由が大半ではあるが、魔法も効かないように鍵に特殊な効果をもたらせてしまうと犯罪にも繋がりかねない。
その為、鍵という概念はこの学園内には存在しないのだ。
私は逸る気持ちを抑えながらガゼボに向かい、アルベルト様が待っている場所に駆けつけた。
だけど、視界に入ったのは私ではない令嬢と仲良く身を寄せ合っているアルベルト様の姿だった。
「……っ……」
なんで、どうして。
そんな言葉が浮かび上がるが、わなわなと震える口からは音となって出ることはなかった。
(もしかして……)
登下校も昼食の時間も減らしたのは、帝王学を学び始めたことが理由ではなく、その女との時間を取るためだったの?
婚約者である私との時間ではなく、貴族令嬢として相応しくないその低俗な格好をした女との時間が欲しかったというの?
後に、頭に血が上るというのはこういうことかと思うくらい私は怒りが脳内を支配した。
そして私は一歩踏み出した。
が
(こんな姿を、みせるの?)
植えられた植物に制服が引っ掛かった事で、少しだけ我に返った私は現実を見れた。
そして思う。
淑女とは真逆の、感情を露わにしたこんな姿を。
きっとあの女に近寄れば、私は今以上に怒り狂う。
汚い言葉を口にし、目を吊り上げ見るも耐えない姿を見せるだろう。
アルベルト様の前で。
(…嫌よ!だめ!)
せっかく厳しい教育を受けここまでやってきたのに、それがこの一瞬でなくなってしまうのは耐えられそうになかったのだ。
私は歯を食いしばりその場を立ち去った。
つまり、………逃げたのだ。
私の目の前でいちゃつく二人の姿から。
どうにもできない感情を抱きながら走り去った。
二人の声は私には聞こえてこなかった。
おそらく音を遮断する魔法を使っているのだろう。
ならばきっと私の足音だって届いていない。
いくらアルベルト様が優秀であろうが、外の音だけを聞こえるようにするという高等テクニックの魔法はまだ身につけていないはず。これが帝王学を学ぶ前までの情報だとしても、高等テクニックはおいそれと身につけられるわけではない。
そうして、私は渡したい相手に渡せなくなったお弁当を抱えながら、食堂でお昼休みを過ごしているだろう友人たちのもとへと向かったのだった。
そう、アルベルト様に今もまだ寄り添っている女の妖艶な笑みに気づかないまま。
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