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「フィル様。私と離婚してください」

 意を決して私がそう言うと、フィルは唖然とした表情になった。
 いつもの爽やかな笑みが消え、応接間の空気が何倍も重くなる。
 隣に座るマドを見ると、緊張したように口を堅く結んでいた。

「レベッカ……僕と離婚? ははっ、何の冗談だい?」

 フィルは私の言葉を信じていないようで、苦笑すると、グラスにつがれた水を一気に飲み干す。
 多少は落ち着いたのか、表情に明るさが灯り始めていた。
 しかし、私はそれに同情することなく、再び口を開く。

「冗談ではありません。フィル様、私ははっきりと離婚と言ったのです。もうあなたに未練などありません。即刻離婚してください!」

「は?」

 再びフィルの顔が歪んだ。
 目に闇が帯びてきて、眉間にしわが寄る。

「……仮に君の言っていることが本当だとして、理由を聞かせてもらえるかい?」

 微かに怒気を含んだ声でフィルはそう言うと、ソファに背を付けた。
 私を見下すように顔を上に上げている。
 私はゴクリと唾を呑み込むと、過去の出来事を思い返しながら口を開く。

「あなたはエリーを谷に突き落としました。彼女の思い出の場所で……しかも、それが事故と処理されたことをいいことに、自分の罪を隠蔽した。挙句の果てには彼女の墓を足蹴りしました。こんな人の妻でいることなど出来るわけがありません」

「ふっ……」

 フィルは私の言葉を聞き終えると、馬鹿にするような笑い声を上げた。
 そして衝撃的な言葉を放つ。

「それが何だというんだい? どこか悪い所があったかい? エリーは死んで当然の価値のない女だった、少しの間でも僕の婚約者になれたことをむしろ喜ぶべきなんだ」

「な、何を言っているのです……?」

 こんな人間がいるのだろうか。
 彼が私の墓石を蹴った日の光景と感情が、脳裏を駆け巡る。

「お前こそ何を言っているんだ? お前はそんな女じゃなかっただろ? もっと可憐で、残酷で、他人を見下していたじゃないか。急に聖人にでもなったつもりかい?」

 フィルの言っていることは確かに正しい。
 レベッカが周囲に対し冷たい態度を取っていたことは事実としてある。
 
「確かに私も愚かな罪を重ねました。しかし、もうそんな日々を送りたくないのです。私はただ……まっとうな暮らしをしたいのです。好きな人と安心できる場所で、落ち着いた暮らしを……。申し訳ありませんが、もう私はあなたのことを好きにはなれません」

 レベッカもこんなことを思っていてくれたら嬉しかった。
 だが、目の前の夫は、机をドンと叩くと、怒りのままに立ちあがった。

「あまり調子に乗るなよレベッカ……拾ってやった恩を忘れたわけじゃないだろうな? 僕にそんな態度を取ってどうなるか分かっているんだろうな? あぁ!?」

 獣のように威嚇する声に、私は思わず体を震わした。
 しかしそんな気弱な私の手を、マドがそっと握ってくれる。
 そして今度は彼女が口を開く。

「フィル様。あなたの方こそ私たちにそんな態度を取って、どうなるか分かっているのですか?」

「はい?」

 フィルの鋭い視線がマドに向かう。
 しかし彼女は全く怯む様子もなく、言葉を続けた。

「この家にあなたの味方など誰もおりません。あなたがここでいくら叫ぼうとも脅そうとも、私たちを止めることはできないのです」

「ふん、何を言い出すかと思えば……自分に都合の良い結果を言いたいのは分かるが、根拠もなにもないだろう。皆、公爵令息の僕の味方をするはずだ……なぜなら公爵家だからな」

「あら、そうですか? それはおかしいですね。皆様は私たちの味方をしてくれましたよ」
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