器用貧乏妃の後宮記~皇帝が行方不明になったので、身代わりを仕立て上げます~

幸路ことは

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43 窓辺にて……

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 話し合いを終えてから、鈴花は各方面に手配をした。準備を終えれば後はじっと待つのみ。父親とも小まめに連絡を取り、皇帝救出の作戦を立てた。宵の方は郭昭に用意してもらった皇帝の仮面をつければ、その差異が分からないほどになっている。着々と準備が進み、朝廷が慌ただしくなってきた。そして緊張感に包まれた二日が過ぎ、審議前日の日が終わろうとしていた……。


 鈴花は夕餉を食べ終えると、気を落ち着かせるために二胡を取り出した。房室の窓を開ければ、前の院子なかにわから気持ちのいい風が入って来る。窓際に椅子を置いて、鈴花は二胡を奏で始めた。

 指が弦の上を滑り、弓を引く手に伝わる振動が心地よい。徐々に西の空が茜色になっていくのを見ていると、和やかな気持ちになってきた。曲は春の温かさと百花繚乱を題材にしたもので、軽やかな音が空を舞っていく。

 二胡は、器用貧乏妃らしく様々な楽器も習得した鈴花の中でもお気に入りで、趣味ともいえるものだ。しばらく夢中で弾いていた鈴花は、ふと視線を感じて顔をあげた。窓の外へと視線を向けると首が浮いている。

「ひゃぁぁ!」

 心臓が飛び出しそうになり、二胡を掴んで腰を浮かす。思わず弓で突きそうになったが、弓が痛むと寸前で腕を止めた。狙いは眉間。

「びっくりした。色気ねぇな」

 よく見ればその顔にはしっかり胴体もくっついており、鈴花は高鳴る心臓を宥めながら椅子に座り直す。外から見ていたのは宵で、房室が高いところに作られているため窓からは首から上しか見えなかったのだ。

「ちょっと、声くらいかけなさいよ」
「邪魔するのも悪いかと思ってさ」

 宵はこちらに近づくと窓の桟に腕を置き、その上に顎を乗せた。にこにこと機嫌よく笑っており、優しい瞳を鈴花に向けている。

「次の曲弾いてよ」

 何を言うかと思えば曲の催促で、鈴花は少し照れ臭さを感じながらも、弦に弓をかけた。

「……少しだけよ?」

 次に弾き始めたのはゆったりとした、落ち着く曲だ。宵は満足そうに目を閉じると、そのままじっと耳を傾けていた。寝ているのかと思うくらい静かだったが、二曲目が終わったところで体を起こす。

「なぁ、小鈴」
「何?」

 そう名を呼ぶ声は甘くて、無駄に整った顔が煌めいていた。笑顔も小憎たらしいものから、包み込むような微笑になっていて、背後に仮面の皇帝がちらつく。その表情になぜか胸が締め付けられて、鈴花は二胡に視線を戻した。

「いよいよだと思ってさ」

 息づかいまで感じられて、その近さを意識する。いつもは卓子つくえを挟むことが多かったから、なんだか落ち着かない。

「……そうね」

 見つめられていると思うとむずがゆく、鈴花は弦をつま弾いていた。数秒穏やかな沈黙が流れ、春の香りを含んだ風が吹き込むと、それにのって優しい弦楽器のような声が届く。

「ありがとな」
「……なんで、あなたがお礼を言うのよ」

 お礼を言われるなんて思ってもおらず、鈴花はぶっきらぼうに返す。宵は桟に頬杖をつき、目元を和ませた。

「小鈴に出会わなかったら、俺は今ここにいないし、皇帝になろうとも思わなかったからさ。それに……俺はこの国のことあんまり好きじゃなかったけど、小鈴が頑張ってるから、悪くないなって思うようになった」
「宵、急に何を言って……」

 面と向かってそんなことを言われると照れるし、体が熱くなってくる。鈴花はさらに宵の方を見られなくなって、弦を弾く速度が上がった。

「審議が終わったら、今と同じ状況には戻れないだろうし……話せる時に話そうと思ったんだ」

 声だけ聴いているとなおさら皇帝が思い出されて、鼓動が早くなる。そんな自分に戸惑いながらも、頭は審議の後のことを考え始めた。審議が終われば、宵は皇帝となるか、影武者となるか、最悪の場合は処罰されることもあるだろう。
 どう転ぶにせよ、今のような気楽な関係には戻れないかもしれない。

「……あなたの生き方、変えちゃったわね」

 ある程度想定していたとはいえ、実際目の当たりにすると心苦しくなる。政治にも裏の世界にも無関係だった人を巻き込んだという罪悪感があるのだ。ご落胤という可能性があるとはいえ、知らない方が幸せだったかもしれない。玄家の裏家業は決して褒められたものではなく、人と歴史の闇をたくさん食べてきた。
 鈴花が後悔の滲んだ声でそう漏らせば、宵は目を瞬かせる。

「なんでだよ。俺は感謝してるんだ。今まで見られなかった景色が見られたし。……何より小鈴に会えた」

 そして間を置くと、宵は真剣な眼差しを鈴花に向けた。纏う雰囲気が変わったのを感じて、鈴花はつま弾く指を止める。

「小鈴……最後に聞くけど、俺と一緒に逃げる気はない? 狭い世界じゃなくて、どこでも好きなとこに行って、気楽に生きる。悪くないだろ?」

 鈴花が知らない自由な世界。惹かれないといえば嘘になる。市井に遊びにいく時、稽古で妓女たちと話した時、厳しくとも自由な世界に少し憧れた。鈴花は一度目を閉じて深呼吸をすると、顔を宵に向けた。栗色の髪は夕日を受けて少し赤みがかっていて、答えを少し不安そうに待つその表情はずるい。
 鈴花は眉尻を下げると、静かに首を横に振る。答えは前と変わらない。

「ありがと……嬉しいけど、私の居場所はここだわ。それに、この国が好きだから」

 その答えに宵は肺の中の空気を吐き出すと、諦めたようなそれでいて嬉しそうな笑みを浮かべた。

「だと思った。だったら俺は、皇帝として小鈴を守るよ」
「なんで皇帝になれることが前提なのよ」

 宵は口端を上げ、勝気な彼らしい笑みを見せる。

「俺、欲しいものは何としても手に入れるからな。だから小鈴、覚悟しろよ? お前の恋人が国だろうが、皇帝が好きだろうが関係ない。全部俺がまるごともらう。最高だろ?」

 強欲な、荒々しい表情に鈴花は言葉がつまる。頬が赤くなったのは夕陽のせいだと思いたい。そして宵は「なっ」といたずらっぽい笑みを見せると、身を乗り出した。ほのかに宵の袍に焚き染められた香を感じて、それが皇帝と同じであることに気づく。鈴花の中で宵と皇帝が溶け込んでいった。

「小鈴……俺はいつだって側にいるから。安心しろよ」

 声が二重になる。そして顔が近づいたかと思えば、頬に柔らかい感触が残って……。

「ありがと、鈴花。愛してる」

 耳元でささやかれた声が、宵なのか皇帝なのか、顔を真っ赤にした鈴花には分からなくなっていた。目を見開き、ぎゅっと二胡を握りしめる。宵は名残惜しそうに顔を離すと、「また明日」と軽く手を振って踵を返した。放心状態の鈴花は、その背に文句の一つも言うことができず、正直な心臓に泣きそうな顔になる。

 この胸の苦しさが何なのか、分からないほど鈴花は子どもではない。去り行く夕陽の中の背中に、枝垂桜の向こうに見えた背中が重なる。その背が何だか寂しそうに思えて、鈴花は窓の向こうから顔を背けた。

 優しく甘い言葉も、その好意も、頬に残る感覚も、嫌ではなかった。……だけど、そのことが、嫌だ。苦しみの中でも国を想っていた幼い陛下を、そしてそれに惹かれた幼い自分を裏切ってしまうような気がして。

「……ごめんなさい」

 思わず口に出してしまった謝罪は、どちらに向けてのものなのか、鈴花にも分からなかった。
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