マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第三章

第59話 人騒がせな大きい迷子

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 ウサウミウシが再び「ぴい?」と鳴いて顔を覗き込んでいる。

 伊織は引っ繰り返った状態でそれを抱き上げ、ああようやく捕まえた、とホッとしながらズキズキと痛む背中に鞭打って起き上がった。
「……」
 そして完全に伸びているバルドを見つけ、冷や汗をたらりと流したのだった。


「いやァ、死ぬかと思った。窒息と頭蓋骨骨折どっちもありえたぞ……」
「その、すみません……」
 程なくして目覚めたバルドを連れ、伊織は路地裏近くのカフェに入っていた。
 医者を呼ぶべきかおろおろとしていた伊織の目の前でむくりと起き上がったバルドに『詫び』として好きなものを奢ることになったためだ。
 早く静夏たちにもウサウミウシの無事を知らせたかったが、ここでバルドを放置していくのも気が進まない。無理やり気味な協力だったとはいえ、すぐにウサウミウシを見つけたくれた上に気絶までしたのだ。

「いやいや、別にそこまで謝るこたぁねぇだろ。ああは言ったが俺は丈夫が取り柄だからな!」
「といっても限度が」
「十メートル越えの滝から落ちても無傷だったし鉄砲水に吹っ飛ばされて下流に流されても無傷だったしさ」
「限度があるよな!?」

 どこまで本当かわからないが、どうやらバルドは気に病んでいる伊織をフォローしているつもりらしい。
 伊織は頬を掻きつつメニューを差し出す。
「とりあえず何でも好きなもの選んでよ、お金ならある程度あるから。それにもし後から医者が必要なことになったらその代金も――」
「そこまで気にすんなって! メシでチャラだ、チャラ。それに俺は約束を守ってくれるだけでいいんだからな」
 約束、と伊織はごくりと喉を鳴らす。

 ウサウミウシを見つける約束を果たしてくれた以上、やはりこちらも約束を守らなくてはならない。
 ここまでしてもらって反故にしてさようなら、というのはさすがに自分で自分が許せなくなりそうだ。それすらバルドの狙いだったのではと思わなくもないが、気絶は本人にとっても予想外のことだっただろう。
 もちろんちゃんと守るよ、と言う前にバルドは再びカバンの中に大人しく収まっているウサウミウシを指した。
「そういやそいつさ、急に暴れだしたって言ってたよな?」
 あれからウサウミウシ失踪の理由はふんわりと話してある。伊織はこくりと頷いた。

「うん、もしかしたら色んなウサギのモチーフが気になったのかもって……」
「周りに似た奴が多いから自分の群れにでも見えたんじゃねぇのか?」

 伊織は目を瞬かせてウサウミウシを覗き見た。
 ウサウミウシが自分に似たものを見つけて反応した、としか思っていなかったが、たしかにそうだ。簡単なことではないか。
 ウサウミウシは群れからはぐれた孤高の個体である可能性が高い。なら似たものに囲まれていれば「もしかして自分の群れでは?」と気もそぞろになっていてもおかしくはなかった。
「そうか……こんな予想すらできなかったなんて情けないな……」
「マジでな」
「返す言葉もない……」
 落ち込む伊織を前にバルドはにっと歯を覗かせて笑った。
「まあこれから知ってくキッカケになったならいいだろ。相手が人間だろーが人外だろーが、ちょっとしたキッカケからそいつのことを知ってくのは皆一緒だ」
「……」
 酷く軟派で突飛な人物だが、こういう考え方は嫌いじゃない。そう伊織は思ったがなんだか照れくさくて口には出さなかった。

「ところでもう一つ訊きたいことがあるんだけどよ」
「もう一つ?」
「お前この辺の地図持ってねぇ? 相方と店で待ち合わせしてたんだけど場所が全ッ然わからなくてよー」
「マジで迷子だったのか……!?」

 嘘はつかない主義なんだ、などと言いながらバルドは快活に笑った。
 と思えばそこで突然店員を捕まえてローストビーフのホットサンドを頼む。どこまでも自由な男だ、という感想を伊織は持ち、それは大方当たっていた。
「その待ち合わせの場所って? 地図はないけど案内できるかも……」
「えーと、たしか人気店で……ロスバル! そう、ロスバルだ」
 案内できる。めちゃくちゃできる。
 探す間に少し離れてしまったが、まだどの道をどう通ったか伊織は覚えていた。
 やった! と子供のように喜んだバルドは届いたホットサンドを見て再び喜ぶ。その姿はやはり大きな子供のようだった。


 バルドは一口が大きいタイプだったため、カフェに滞在していた時間はそう長くはなかった。
 伊織も場所賃代わりにオレンジジュースを頼んだが、それも飲み干すのにそう時間はかからなかったのは肉系の食事の後に走り回ったため喉が渇いていたからだろう。
 魔獣情報の聞き込みはまだできていないが、まずは皆と合流するのが先決だ。
(ってことはこの人を連れて皆を探すか、宿の場所を教えてから一旦別れて後で来てもらうかになるわけか……)
 合流した時に何て説明しよう。そう伊織が考えを巡らせていると聞き慣れた声が耳に届いた。

「伊織?」
「母さん……!」

 カフェから出た先の道、そこで鉢合わせたのは静夏だった。
 実際には数メートルほど離れていたが、他の通行人から頭一つ分は飛び出ているため一瞬でわかる。どうやら脇にリータもいるらしい。
「各々の方角を探した後に合流したんだ。そっちはどうだ、見つかったか?」
「あっ、うん! 洗濯ロープに引っかかってたんだ、ほら」
 伊織は慌ててカバンの中を見せる。駆け寄った静夏とリータを安堵の表情を覗かせた。
「よかった、すぐ見つかって……!」
「騒ぎになる前でよかったです。もし魔獣に間違われていたら今頃どうなっていたか……」
 もしも路地裏より人目のある道に落ちていたらもっと大きな騒ぎになっていた可能性もある。
 そうリータに笑いかけていると、静夏が「そちらは?」と伊織の後ろに立つバルドを指して訊ねた。

 そうだ、こういう場合はどうすべきなのだろうか。言葉で伝えるどころか引き合わせてしまった。
 もしかしたらこのまま怒涛のマシンガン口説きトークが目の前で繰り広げられることになるのかも。息子としてそういう光景はあまり見たくないな、と思いつつバルドを見上げると――彼はぼーっと静夏に見惚れていた。無言で。何も言わず。

「……」
 これはこれで複雑だ、と伊織は口を引き結ぶ。
 しかしやはりバルドはどこかで静夏の姿を見ており、この反応を見るに本気で恋をしてしまったのだろうか。単純なナンパ目的ではない気がする。
 これは本人に訊いておくべきかもしれない。そう考えた伊織はバルドの袖を引っ張った。
「無言はないだろ、ほらちゃんと自己紹介――」
「あッ!」
 突然声を上げたのはリータだ。
 きょとんとしている伊織と静夏の目の前でバルドを指さして言う。

「この人、ニルヴァーレがヨルシャミさんを狙った時に一緒にいた人じゃないですか!」
「へ……?」

 寝耳に水だ。伊織は慌ててバルドを見る。
 バルドはバルドで伊織と同じような顔をしていたが、ハッと事態を把握すると「うわッ、ヤッベ!」と背を向けて走り出した。
「悪ィな、えーっと……伊織! 俺はズラからせてもらうぜ! あと麗しい筋肉のご婦人ー! 俺はバルド、また会おうなー!」
「逃げながら自力で目標達成してった!?」
 脱兎の如く逃げ去ったバルドを追うこともできないまま伊織はその背中を見送った。
 そういえば名乗り忘れていたが、名前は静夏が呼んでいたためそれで把握したらしい。発音までばっちりである。
 しばし無言になった後、三人は顔を見合わせて考えた。
「……なんで追ってきたんでしょう、もしかして敵討ち……?」
「もし陰から見ていたのなら我々がニルヴァーレを殺したように見えたかもしれない。……しかし実際に手を下す覚悟は決めていた。もし恨まれているなら受け入れよう」
「あんまりそういう感じじゃなかったけどなぁ……、あ」
 伊織はもう一度バルドが去った方向を見る。
「どうした?」
「いや、その……」
 バルドは迷子だったのではないか。
 ロスバルに案内する前に逃走してしまった。しかも走り去ったのはロスバルとは真逆の方向である。
 今から走っても追いつくのは難しいだろう。逃亡の意思を持って逃げている人間がウサウミウシのように簡単に見つかるとも思えない。

「……迷子ってほんと人騒がせだよな」

 伊織はどうしようもない現状に頬を掻きつつ、待ち合わせをしているという相方に同情した。
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