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第三章
第80話 伊織の撫でる手
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ロスウサギの寝床は一羽につき一ヶ所の個室式で、寝藁の敷かれた巣のようなスペースに各々好きな寝相で寝転がっていた。
うつ伏せになって両足を放り出している様子は大きくても正直言って可愛い。
「ああ、脚には触らないようにな。こいつらに蹴られたら人間なんてひとたまりもないぞ」
「……」
可愛いが怖い。
伊織はそう脳内で上書きした。
ブルーバレルでの仕事を終え、小規模ながら送別会を開いてもらった後、ネロと連れ立って訪れたのがベリオットの管理するロスウサギの寝床だった。牛舎のような雰囲気だが兎舎とでも呼ぶのだろうか。
ロスウサギたちは忙しなく鼻を動かしながら伊織とネロを見たが、この人数なら慣れているのか驚いた様子はない。
「まず餌をやって、相性が良さそうならブラッシングをしてみるといい」
「いいんですか……!?」
「いいのか!?」
伊織とネロの声が綺麗にハモり、ベリオットは笑いながら「いいともいいとも」と頷いた。
普段の餌は草原の草で、足りない栄養を補うために少量の特別なペレットを使用しているそうだ。
それに加えておやつとして果物や野菜を与えることもある。もちろん肉の味に影響が出ない程度にだ。
「おやつ無しで完全に餌を草とペレットに絞ったほうが管理はしやすいんだが、ロスウサギがストレスを感じないことも大切なんだよ。……いや、どうしても飼育してるとストレスを与えてしまうから、放牧の他におやつで発散してるって感じかな」
「やっぱり世話がかかるんですね」
「その分可愛いし、良い肉と毛皮になって客に喜んでもらえた時は嬉しいがね」
そう嬉しげに言ったベリオットは伊織とネロにドライフルーツのリンゴを手渡した。ロスウサギのサイズに合わせるためか、大きめのリンゴをそのまま輪切りにしてある。
「さ、今日はこれだ。時間的に少し遅いから量は少なめだが……あげてごらん」
伊織はネロを見て微笑む。
「ネロさんが先にどうぞ」
「えっ、い、いや、ここは後輩に譲るぞ」
「でもさっきからあげたくてあげたくて落ち着かなさそうですし……」
「そっちこそ手に持ったまま目を輝かせてるじゃないか」
顔を見合わせたふたりは小さく笑い合い、それじゃあふたり同時に、と一枚のリンゴを持ってロスウサギに差し出した。
鼻を近づけたロスウサギのヒゲが手の甲に当たってくすぐったい。
嗅ぐだけ? とロスウサギの挙動に不安が湧いたと同時にぱくりと齧りつかれ、口の動きだけでリンゴがするすると口の中に吸い込まれていくのを見てネロが「おお……」と声を漏らした。
「……俺さ」
「はい……」
「ウサギのへの字口が何か食う時だけわりと自在に広がるのが好きなんだよな……」
「わかります……」
ふたりは無言で握手を交わしつつもう一枚のリンゴを与え、やはりそのリンゴもあっという間にロスウサギに吸い込まれていったのだった。
次にベリオットから手渡されたのはブラッシング用のブラシ。
日本でよく見たペット用ブラシではないが、軽い木の持ち手に豚毛を使ったものだという。豚毛でウサギの毛を梳くのは伊織としてはちょっと不思議な感覚だ。
また譲り合いになりそうだったが、これは巨体を左右からブラッシングする形で落ち着いた。
「やばい……毛が細くて本数が多くてふわふわなのにすべすべだ……そうか、うん、ウサギってこういう毛並みだったんだなぁ……」
ベリオットに勧められたのもあり、伊織は時折手の平でもロスウサギの胴体を撫でながら呟く。
ウサギっぽい形状にはウサウミウシで慣れていたが、ウサウミウシの触り心地はどう足掻いてもスライムか海洋生物なのでふわふわな手触りは妙に新鮮だ。
「ネロさんネロさん! 中に指だけ突っ込むと更にヤバいですよ!」
「イオリお前、なんて技を編み出してるんだこれヤベェ……!」
指をさし込んだ部分は丁寧にブラッシングして戻しておく。
撫でられているロスウサギも嫌そうな様子はない。むしろ耳を寝かせてまったりとしている。
「おや……? 人前でここまでリラックスするのは珍しいな」
ベリオットの声に伊織ははっとした。
そういえば撫でられたウサウミウシに似ている。
テイムは動物には効かないが――手の平で撫でる、というのが一番絶大なテイム効果をもたらす辺り、召喚生物でなくても何らかのリラックス効果があるのかもしれない。
(もしかして撫でられたヨルシャミがやたら照れてたのもこれ? これなのか?)
思わず自分の手の平をじっと見て考え込んでいると、反対側から顔を覗かせたネロが「どうした?」と首を傾げた。
伊織は直前まで行なっていた動作と考えていた内容のせいか、無意識にネロの頭をまふっと撫でる。
「!?」
「!? ぅわっ! すみません、うっかりし……」
「なんだこれ、お前に撫でられるとびっくりするくらいくすぐったいな……!?」
「くすぐったいんですか!?」
思わぬ新事実に伊織はぎょっとしたが、なぜかネロが口を噤んだので詳しく訊ねるチャンスを失ってしまった。自分で自分を撫でてもみたが何も感じない。ただ自分の手が自分の頭を撫でている、というだけだ。
こうなったら後でヨルシャミに訊いてみるか、もしくはテイムの知識がありそうなニルヴァーレに訊ねてみよう。不躾ではあるが一度気になり始めたら気になって仕方がない。
伊織はそう心に決め、あとは仕切り直してロスウサギの毛並みを堪能することにした。
うつ伏せになって両足を放り出している様子は大きくても正直言って可愛い。
「ああ、脚には触らないようにな。こいつらに蹴られたら人間なんてひとたまりもないぞ」
「……」
可愛いが怖い。
伊織はそう脳内で上書きした。
ブルーバレルでの仕事を終え、小規模ながら送別会を開いてもらった後、ネロと連れ立って訪れたのがベリオットの管理するロスウサギの寝床だった。牛舎のような雰囲気だが兎舎とでも呼ぶのだろうか。
ロスウサギたちは忙しなく鼻を動かしながら伊織とネロを見たが、この人数なら慣れているのか驚いた様子はない。
「まず餌をやって、相性が良さそうならブラッシングをしてみるといい」
「いいんですか……!?」
「いいのか!?」
伊織とネロの声が綺麗にハモり、ベリオットは笑いながら「いいともいいとも」と頷いた。
普段の餌は草原の草で、足りない栄養を補うために少量の特別なペレットを使用しているそうだ。
それに加えておやつとして果物や野菜を与えることもある。もちろん肉の味に影響が出ない程度にだ。
「おやつ無しで完全に餌を草とペレットに絞ったほうが管理はしやすいんだが、ロスウサギがストレスを感じないことも大切なんだよ。……いや、どうしても飼育してるとストレスを与えてしまうから、放牧の他におやつで発散してるって感じかな」
「やっぱり世話がかかるんですね」
「その分可愛いし、良い肉と毛皮になって客に喜んでもらえた時は嬉しいがね」
そう嬉しげに言ったベリオットは伊織とネロにドライフルーツのリンゴを手渡した。ロスウサギのサイズに合わせるためか、大きめのリンゴをそのまま輪切りにしてある。
「さ、今日はこれだ。時間的に少し遅いから量は少なめだが……あげてごらん」
伊織はネロを見て微笑む。
「ネロさんが先にどうぞ」
「えっ、い、いや、ここは後輩に譲るぞ」
「でもさっきからあげたくてあげたくて落ち着かなさそうですし……」
「そっちこそ手に持ったまま目を輝かせてるじゃないか」
顔を見合わせたふたりは小さく笑い合い、それじゃあふたり同時に、と一枚のリンゴを持ってロスウサギに差し出した。
鼻を近づけたロスウサギのヒゲが手の甲に当たってくすぐったい。
嗅ぐだけ? とロスウサギの挙動に不安が湧いたと同時にぱくりと齧りつかれ、口の動きだけでリンゴがするすると口の中に吸い込まれていくのを見てネロが「おお……」と声を漏らした。
「……俺さ」
「はい……」
「ウサギのへの字口が何か食う時だけわりと自在に広がるのが好きなんだよな……」
「わかります……」
ふたりは無言で握手を交わしつつもう一枚のリンゴを与え、やはりそのリンゴもあっという間にロスウサギに吸い込まれていったのだった。
次にベリオットから手渡されたのはブラッシング用のブラシ。
日本でよく見たペット用ブラシではないが、軽い木の持ち手に豚毛を使ったものだという。豚毛でウサギの毛を梳くのは伊織としてはちょっと不思議な感覚だ。
また譲り合いになりそうだったが、これは巨体を左右からブラッシングする形で落ち着いた。
「やばい……毛が細くて本数が多くてふわふわなのにすべすべだ……そうか、うん、ウサギってこういう毛並みだったんだなぁ……」
ベリオットに勧められたのもあり、伊織は時折手の平でもロスウサギの胴体を撫でながら呟く。
ウサギっぽい形状にはウサウミウシで慣れていたが、ウサウミウシの触り心地はどう足掻いてもスライムか海洋生物なのでふわふわな手触りは妙に新鮮だ。
「ネロさんネロさん! 中に指だけ突っ込むと更にヤバいですよ!」
「イオリお前、なんて技を編み出してるんだこれヤベェ……!」
指をさし込んだ部分は丁寧にブラッシングして戻しておく。
撫でられているロスウサギも嫌そうな様子はない。むしろ耳を寝かせてまったりとしている。
「おや……? 人前でここまでリラックスするのは珍しいな」
ベリオットの声に伊織ははっとした。
そういえば撫でられたウサウミウシに似ている。
テイムは動物には効かないが――手の平で撫でる、というのが一番絶大なテイム効果をもたらす辺り、召喚生物でなくても何らかのリラックス効果があるのかもしれない。
(もしかして撫でられたヨルシャミがやたら照れてたのもこれ? これなのか?)
思わず自分の手の平をじっと見て考え込んでいると、反対側から顔を覗かせたネロが「どうした?」と首を傾げた。
伊織は直前まで行なっていた動作と考えていた内容のせいか、無意識にネロの頭をまふっと撫でる。
「!?」
「!? ぅわっ! すみません、うっかりし……」
「なんだこれ、お前に撫でられるとびっくりするくらいくすぐったいな……!?」
「くすぐったいんですか!?」
思わぬ新事実に伊織はぎょっとしたが、なぜかネロが口を噤んだので詳しく訊ねるチャンスを失ってしまった。自分で自分を撫でてもみたが何も感じない。ただ自分の手が自分の頭を撫でている、というだけだ。
こうなったら後でヨルシャミに訊いてみるか、もしくはテイムの知識がありそうなニルヴァーレに訊ねてみよう。不躾ではあるが一度気になり始めたら気になって仕方がない。
伊織はそう心に決め、あとは仕切り直してロスウサギの毛並みを堪能することにした。
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