マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第四章

第106話 ご先祖様のために

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 伊織の肩を掴んだままだったネロはハッとすると明らかに表情を作り直して言った。
「ロ……ロストーネッドを出た後、お前たちを追ってきたんだ。方向から見るに補給に寄れそうな村はここくらいしかなかったから」
「あっ、なるほど。でもなんで……」
 たしかにネロはまた旅に出ると言っていたし、再び会えた時は宜しくお願いしますと言葉を交わした。
 しかしここまですぐだとは思わなかった上に「追ってきた」という行動の理由が伊織には見当もつかない。もしや何か伝え忘れたことでもあったのだろうか。
 それにしたってわざわざ? と伊織は首を傾げる。

 伊織が事情をさっぱり理解していないということはネロも百も承知で、説明するためには自分を落ち着かせなくてはならない、と何度か深呼吸を繰り返してから口を開いた。
「――イオリ、お前……聖女マッシヴ様の息子だったのか?」
 真剣な表情、真剣な声音。
 暗に『正確に答えろ』という期待を籠めてネロは訊ねる。
 伊織はきょとんとした後、さして気にすることでもないような――というよりも慣れてしまった質問だったことに安堵したのか、ネロとは対照的にほっとした表情を浮かべた。
「はい。すみません、滞在中に言えなくて。混乱させちゃうかなって思ったのとタイミングを逃しちゃって……ネロさん?」
「俺は……俺はずっと聖女マッシヴ様を探して旅をしてたんだ」
 ネロの言葉に伊織は目を丸くする。
 色々と事情があるようだったが、まさか目的が自分の母親だとは。
 言葉の内容を理解した伊織は両手を叩いて言った。
「あっ、じゃあ母さんに何か頼みごとですか?」
 聖女マッシヴ様を探して訪れる者はほとんどが聖女の力――もとい、聖女の筋力を頼ってやって来る者だった。ネロもその一人なのかもしれない。
 今は旅の途中であるため、内容によってはどうなるかはわからないが力になってあげたい。
 そう思い問い掛けたのだが、ネロの表情は固かった。
「頼みごとといえば頼みごとだ」
 そのままようやく伊織の両肩から手を離し、一歩、二歩と後ろに下がると荷物の中へと手を入れる。
 そこから取り出したのは革のホルダーに収まったダガーだった。
 なんでそんなものを? といまいち状況が呑み込めない伊織はダガーを凝視する。しっかりとした作りだが年代物のようで、随分と使い込まれていた。それに反してホルダーだけ妙に新しい。
 ネロはパチンッとホルダーからダガーを取り出すと、その柄の部分を指先で撫でた。
「これは我が家に伝わるものの一部だ。これしか取り戻せなかった」
「……もしかして、前に話してたご先祖様の持ち物ですか」
「そうだ、……よく覚えてたな」
 僅かに複雑そうな顔をしてネロは撫でる指先を離し、代わりに柄を握る。

「このダガーは俺の先祖、救世主ネランゼリの持ち物だ」
「……っえ、あの、救せ……」
「形見を取り返しながら今の救世主より俺が優れていることをこの世に示して、バカな奴らに先祖の偉大さを思い出させる。それが俺の旅の目的、そしてマッシヴ様を探す理由だ。だから」
 ネロはダガーを伊織の鼻先に突きつけた。
 瞳の銀色はまるで燃えた銀の炎のようで、まるで夢見がちな少年の夢のようだというのにネロは本気だということが感じ取れる。
 たじろぐ伊織を前にネロははっきりと言った。

「聖女マッシヴ様とその一行。この俺と勝負しろ!」

 呑み込めなかった状況をようやく呑み込めた。
 しかし一体全体どうなっているのかわからない伊織は――結局、困惑の声を漏らすしかなかった。

     ***

 調査へ出向く準備を終えたヘルベールの元へやってきたのは、馬の耳を生やした十代後半の女性だった。
 インテーク状になった赤茶の髪は長く、うなじ部分で縛られている。毛先は綺麗にカットされていた。赤紫色の瞳は少しそわそわとした様子を見せている。
 動きやすそうなスポーティーな服、尾てい骨の部分から伸びた馬の尻尾、そして特筆すべきは機械仕掛けの逆関節を取り付けた両足だった。蹄鉄もしっかりと嵌っており、機械ながらも馬の印象を受ける部分が強い。

 パトレアか、とヘルベールは理解した。
 『走ること』を生き甲斐とし、速さを追い求めるあまりナレッジメカニクスの一員になったという馬の獣人。施術を施したのがセトラスであることから、現在は彼の部下に収まっている。
 ヘルベールがパトレアと会うのはこれが初めてだが、名を交わし合わずに擦れ違ったことは何度かあった。
「お待たせしました、ヘルベール博士! 本日同行致しますパトレアと申します!」
「今準備が終わったところだ。そっちは?」
「すべて完了しております!」
 はきはきと答えながら敬礼するパトレアにやや面食らいつつ、ヘルベールは荷物を背負って魔石を取り出した。
「今回の任務は調査だ。ヨルシャミを含む聖女マッシヴ様一行についてのデータを採取する。戦闘行為は禁止だが状況により判断を仰げ」
「はっ!」
 答えつつパトレアはヘルベールの手にある魔石をちらりと見る。
「……転移魔石でありますか」
「そうだ、人工だがな。奴らは現在施設周辺のどこかにいる。何人か治療が必要な状態であるため、恐らく人の住む集落にいるだろう」
 探すには人手と足の速さが必要。しかし前者は望めないため、後者を補うためにパトレアが呼ばれたのだろう。
 戦力にもなると聞いているが如何ほどのものだろうか。
「なるほど、それで転移を……」
「使うのは初めてか?」
 ナレッジメカニクスに所属し、それなりの地位がある者は持っていることが多いが、パトレアは「自身の脚で移動しておりますので」と興味半分不安半分といった様子で答えた。
「ですが今回は魔石のお世話になります」
「よし、では早速行くぞ。時間が惜しい」
 ヘルベールはパトレアと並び立ち、転移魔石の行き先を座標のみで設定する。
 起動させたと同時に視界が白い光に包まれ、長大な距離をものの一歩で進んだかのような錯覚が全身を襲った。ヘルベールが感じた違和感はそれのみで、目的地――森から離れた場所にある、とある村のそばに出るなり歩き始めた。
「ここが一番近い村だ。あれだけ目立つ一行、少し聞き込めばきっと……パトレア?」
 ずんずんと前に進んでいたヘルベールは随伴する足音が聞こえないことに気がついて後ろを振り返る。
 パトレアが口元を押さえてぷるぷると震えていた。まるで生まれたての小鹿、もとい子馬である。

「……」
「……」
「……転移魔石で酔ったのか」

 パトレアは馬耳を寝かせてこくこくと頷く。
 ヘルベールは小さく溜息をついて眉間を押さえると、まずは休憩をするかと方向転換した。
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