マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第四章

第110話 暗算勝負と不測の事態

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 一戦目はリータの勝利となった。

 だがネロは「これでおしまい」という認識ではないらしく、弓の腕を磨き直して再戦を申し込むとリータに宣言した。これを負けた人数分やるのかもかもしれない。
(ネロさん、すごい精神力だなぁ……)
 伊織は次なる勝負に向けてストレッチを行なっているネロを見ながら思う。
 あれだけ待ち望んでいた勝負の一戦目で負けてしまったというのに落ち込む様子すら見せない。それは本人が落ち込んでいる暇があるなら次の勝負のことを考えた方がいいと自覚しているからだろう。
 失敗を引きずる癖のある自分には眩しい存在だが、学ぶべきところも多いように思う。

「次は俺だな」

 そう前に出たのはサルサムだった。
 一体どんな勝負方法にするのだろう、と伊織たちが注目していると――やおらサルサムは紙とペンを取り出すと、なぜかそれをバルドに手渡した。

「暗算勝負をしよう」
「あ、暗算……!?」

 てっきり体を動かすことだとばかり思っていたネロは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
 サルサムは親指でバルドを指して言った。
「判定はコイツがやる。計算を間違えた回数が先に二回に達した方が負け、ってシンプルなルールでいいか?」
「バルドが判定? つまりバルドも並行して計算するってことだろ、できるのか……?」
 ミュゲイラが訝しげにそう訊ねる。
 かなり失礼な質問かもしれないが、正直言って伊織も同じ気持ちだ。
 しかしバルドは満面の笑みを浮かべて紙を揺らした。普段なら頼もしいはずなのに胡散臭く見えるのだから不思議だ。

「俺ァ暗算はそんなに得意じゃねーけど筆算ならバッチリだぜ!」
「マジかよ……」
「この世界、筆算あるんだ……」

 ミュゲイラと伊織は双方別々のことに驚きつつ呟く。
 サルサムの「よく言うな」という反応を見るに暗算が得意じゃないというのも怪しかった。
 今までの救世主の全員が全員異世界から呼ばれたわけではないだろうが、もし伊織たちと似たような時代や世界から呼ばれた者が居たとすればこういう計算方法が伝わっていてもおかしくはない。
 そう思い直した伊織は素直にバルドの筆算の腕前とサルサムとネロの暗算勝負に集中することにした。
 ネロも気を持ち直して呼吸を整える。

「いいぞ、いつでも来い」

 そうして二人の暗算対決は始まった。

     ***

「薬がない?」

 小ぢんまりとした薬屋を訪れたヘルベールは今しがた聞いた言葉をそのままオウム返しに訊ねた。
 どうやら酔いに効く薬の在庫がないらしい。
「いつもはトンネルを抜けた先にある街まで仕入れに行ってるんですけどね、その……」
「何か問題があったのか」
「トンネルは途中でいくつか枝分かれしていて、それぞれ違う方向に伸びてるんですよ。その内の一本からここしばらく妙な音がする、って報告があったんですが……先日村長が調べてみたところ魔獣が住み着いていたようで」

 魔獣、とヘルベールは喉の奥で小さく呟く。

 なんでも山向こうの街へと繋がる道に蝙蝠型の魔獣が群れで住み着いていたのだという。
 その中にひと際大きな個体がおり、恐らくそれが群れを統率しているボスなのではないか、とのことだった。
 遠目から確認したため襲ってはこなかったが、これはもしかすると他の回り道にもいるかもしれない。そう思うと恐ろしくて仕入れに行けないということらしい。

「トンネルが無理なら山を越えていけばいいんですが、じつは私足が悪いもので……その関係で薬草すらありません。ご不便をおかけします」
「いや、こちらこそ無理を言ってすまなかった。……討伐は依頼したのか?」
「騎士団の方へ、と思っていたんですが――ここだけの話、今宿屋に泊っているのは噂の聖女マッシヴ様のご一行じゃないかって話がありまして。村長は魔獣退治を依頼するか迷っているところみたいです」

 本物ならいいんですけどねぇ、と薬屋の店主は眉をハの字にした。
 ヘルベールはほんの僅かだけ目を眇める。
(聖女マッシヴ様……やはりこの村に居たか)
 不測の事態はあったものの、予想は当たっていたらしい。
 居るとすればまずは遠目から観察、あとは……と考えたところで後ろに控えていたパトレアがヘルベールの裾を引っ張った。
 生真面目なパトレアには珍しい仕草だ。引っ張り方が幼児に近い。
 なんとか立てるまでには回復したが、もしや一気に悪化したのだろうか。いや、むしろ少しの休憩では回復などしておらず、しかし生真面目さ故に無理やり立って歩いてヘルベールについてきていたのかもしれない。
 後者の可能性が高いな、と思いながら振り返るとパトレアは馬耳を寝かせて口元を押さえていた。
 そのまま小声で言う。

「はかせ」
「……外で博士と呼ぶな。薬はないそうだ、一旦戻って休――」
「はきます」
「吐きそうではなくか!?」

 パトレアは真剣な目で頷く。すでに再び声を出す余裕はないらしい。
 背後から店長が「あらあら」と覗き込んでくるのがわかった。
「桶でもあげましょうか? 裏に井戸もあるから自由に使ってもらっていいですよ」
「……ありがとう、頼む」
 不測の事態はまだまだ続いている。
 それを再確認し、ヘルベールは他にすることがないので仕方なくパトレアの背中をさすった。
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