マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第五章

第179話 救世主への第一歩

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「よう、伊織とネロ! なんかあん時はごめんなー、怖かったろ!」

 トンネルとロジクリアを繋ぐ道にて。
 合流するなりバルドが片腕を上げてそう言うと、明るい声を向けられたとは思えない顔をして伊織とネロは脱力した。
 そしてお互いにもたれかかるようにしながらホッと息をつく。

「本当に生きてた……」
「しかも予想以上にピンピンしてる……」

 二人は崩れゆくトンネルの中で見た光景を思い出す。
 どう考えても致命傷を負って瓦礫の中へと消えていったバルドだったが、今目の前にいる彼は自分の両足でしっかりと立っていた。
 なぜか多少小綺麗にはなっているがバルドはバルドだ。

(怪我もしてなさそうだし、やっぱり母さんに助け出されて治療してもらえたのかな?)

 村には村医者しかおらず、ヒルェンナのような治療師や回復魔法を使える魔導師はいなかったはずである。
 しかしそういった人物が運良く村を訪れた、という可能性はあった。
 見ればサルサムも明らかに脱力しつつも安堵していたが、伊織の視線に気がつくとすぐに普段の様子に戻った。ただ「怪我については気になるものの訊ねられない」というように見える。

 ――これは代わりに訊くべきだろうか?

 伊織とネロがそんなことを考えているのを見透かしたかのようにバルドは口角の片側を上げて言う。

「あとでちゃんと説明できるところは説明する。それより先にあっちだろ」

 そう指さした先には静夏が立っていた。
 静夏は巨大な鹿をズズンと地面に置き、伊織に歩み寄ると逞しい二の腕で挟み込むようにして抱き上げる。
「伊織……そして皆、無事でよかった。合流するのが遅くなってすまない、変わりはないか?」
「待って母さん待って! ハグは嬉しいけど一旦下ろして!」
「イオリさんが宙ぶらりんになってる……」
「顔が鬱血してないかあれ」
 呟く皆の言葉を受けた静夏はハッとし、伊織をゆっくりと地面に下ろした。

「すまない、いつの間にか抱き締めていた」
「無意識下の行動……!? と、とりあえず皆無事だよ。色々変わったことはあったけど」

 これもバルドの件と同じように後で説明する、と伊織は静夏の顔を見上げて言う。
 トンネル内で分断された後のこと、謎のパト仮面のこと、ニルヴァーレの魔石のこと、セラアニスのこと。ヨルシャミとの関係についてを除いても話すことはいっぱいだ。
 静夏は目を細めるようにして微笑むと頷いた。
「では後で皆の話を順番に聞こう」
「あ、けど先に一つだけ訊いてもいいか? ……あれ何?」
 伊織は恐る恐る母親の真後ろで横たわったままの鹿を指す。
 静夏は微笑んで答えた。

「ああ、あれは手土産だ」
「手土産!?」
「トンネルを抜けた先で襲ってきた。肉も角も役立つだろう――が、些か多い故、街の者と分け合おうと思っている。……ああ」

 ほら、手伝ってもらおう、と静夏が視線を送った先には血相を変えて駆け寄る門番たちの姿があった。
 今の時間帯担当だった人たちはごめんなさい! と伊織は心の中で叫んだという。


 巨大な鹿の噂はロジクリアにも流れており、旅人が怪我をすることもあったため「マッシヴ様が退治してくださった!」と歓迎された。山の守護神とかでなくてよかったと伊織は胸を撫で下ろす。
 鹿は街の職人により手早く捌かれ、伊織たちの希望により一部の肉以外は街で必要な人間で分けてもらうことになった。
 ――その肉が包まれたものと、街の人々に「生肉じゃ長く持ち歩けないでしょう、これもどうぞ!」と渡された干し肉や日持ちするパンを荷物に入れて一行はようやくロジクリアから出発した。

「色々もらっちゃったなぁ……」

 代金渡したかったのに、とミュゲイラは静夏の隣をしっかりとキープしながら言う。
 街の人間としては肉との物々交換に近い感覚だったようなので、悪いことではないのだが予想外の気遣いだったため伊織も少し申し訳なく感じている。
「そう気にすることはあるまい、こちらも……二手に分かれるならば入用だ」
 ヨルシャミがネロを見ると、丁度分かれ道に差し掛かったところでネロが足を止め頷いた。頭に乗ったネコウモリがぷるりと揺れる。

「お裾分けありがとな、これでしばらく食べるものには困らなさそうだ」
「そんな、こっちこそ色々とありがとうございました」

 伊織はネロに助けられた。
 武器の扱いも習った。
 武器はこれからもサルサムやバルドたちに師事を仰ぐだろうが、初めに教えてくれたネロのことは絶対に忘れないだろう。
 ネロは赤い前髪越しに伊織を見る。

「これからも頑張れよ、イオリ。また会えるのを楽しみにしてる」
「はい! ……僕も楽しみにしてます」

 頷く伊織に満足げに笑い、ネロは静夏を見た。
「聖女マッシヴ様。沢山失礼なことをしたのに俺のことを受け入れてくれてありがとう」
「ネロの真っ直ぐな目標があったからこそだ。悪意のみを向けられていたならば結果は違っていただろう」
 静夏はネロに向かって片手を差し出す。
「人を救った者は、救われた者の中に生き続ける。それは後世に受け継がれてゆくものだ。ネランゼリという救世主もきっと世界のどこか、誰かの中で生きているだろう」
「……うん」
「だが認めてもらいたい者の中にそれが生きていないのは辛いだろう。……私はお前がお前の思う救世主になれることを心から応援している。またいつでも挑んでくるといい」
 絶対に受け止めよう、と言う静夏の手を握り、ネロは力強く頷いた。

 ネロの知る母親の手よりがっしりとして頼り甲斐のある手。
 しかし『母親』の手だ。

 新たに生まれた認められたい者にはすでに認めてもらっている。それが嬉しく、そして励みになった。
 自覚しながらネロはそうっと手を離すと改めて全員に頭を下げ、口を開く。

「――じゃあまた!」

 それはただの別れの言葉ではなく、再会を約束する言葉だった。
 伊織とネロはお互いに救世主になるべくそれぞれの道を歩き始める。これから伊織だけでなくネロも向かう先で魔獣を倒していくだろう。

 それはたしかに、世界を救う救世主への第一歩。
 そして人を救う救世主への第一歩だった。
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