マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第六章

第202話 私を大事にしすぎるな

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 冷えた空気を吸い込んで肺が軋む。

 その冷たさをようやく自覚し、覚醒した意識に引き上げられるように目を開くと視界は闇に包まれていた。
 雪が降っていなければ風も吹いていないが、まるで冷凍庫の中にでもいるかのようだ。
 伊織は手足を動かして周囲のスペースを確認する。

(それなりにあるし……ヨルシャミもいる)

 ヨルシャミを守るように抱き締めていた記憶があるのは意識を失うまでだったが、腕の中には今もその感触が残っていた。
 と、それを確認し安堵したタイミングで腕の中から小さな呻き声が漏れ出る。
「ヨルシャミ、大丈夫か?」
「う……む。あの犬め、夢路魔法の中で散々暴れ回ってくれたわ」
「あはは、さすがのヨルシャミも手を焼いたかぁ」
「まあニルヴァーレがわりと本気で噛みつかれていたのはいい気味であったが」
 犬相手の接し方とか知らなさそうだもんな……と思いつつも伊織はニルヴァーレにそっと同情した。
 ところで、とヨルシャミは周囲を見る。
「また私の目がおかしくなったのでなければ、ここは雪の中か?」
 バイクで逃れ切れなかったのかと問うヨルシャミに伊織は覚えているところまで搔い摘んで説明する。

 犬は無事に確保したが、意識のないヨルシャミをバイクに乗せて自分も乗り込む時間がなかったこと。
 そのままバイクをバルドたちに託し、自分はワイバーンに盾になってもらい雪崩に巻き込まれたことを。

「……ふむ、ということは……この空間を保っているのはワイバーンか。音の反響からしてそれなりにある。故に息苦しくないのだろう」
「気を失ってたのに送還されなかったのか?」
「下位の魔導師ならありえるが、お前とワイバーンならそれなりには持つだろう。が、これはワイバーンも気を失っている可能性があるな」

 上からまったく反応がないのだ。
 ヨルシャミは伊織の腕の中で身じろぎすると小さな火球を呼び出した。熱源にはならないが灯りにはなるものである。
 ふわりとした光に照らされたのはワイバーンの腹と首、その他は雪で形作られた空間だった。
「かまくらみたいになってるのかな……?」
「出入口のない、な。イオリよ、ワイバーンを起こせるか」
 伊織は上半身をゆっくりと起こしてワイバーンの足に触れた。しかし主人が触れたからといって気付け薬代わりになるわけでもなく、目覚めさせるにはもうワンアクション必要な雰囲気だ。

「……ごめん、かなり無理させたよな……」
「飛び立つ間もなかったのならば致し方あるまい。大丈夫だ、ワイバーンは元の世界では回復の早い代わりに日々戦いに明け暮れていると聞く。この程度で酷い扱いを受けたなど思うまいよ。それに」

 ほら、とヨルシャミはワイバーンの首が伸びる先を指した。
 白い雪に埋まって頭部が見えない。それでも窒息死していないのだから、鼻先が出る距離で外に出られるのだろうとヨルシャミは体の位置を変えながら言う。
 立つことは出来ないがしゃがんでの移動ならできそうだ。

「ここに長居も出来ん。それに我々が脱出すればワイバーンを帰すこともできる」
「……! わかった、じゃあ早く雪を掘って――」
「こ、このばかもの、こういう時くらい積極的に私に頼れ」

 でも、と伊織は逡巡した。
 ヨルシャミは自分の魔法でなんとかする気なのだ。しかし寒さに弱いヨルシャミがこの状態で魔法を使うことに不安がある。その不安を見通したようにヨルシャミは伊織をじっと見た。

「イオリ、私を大事にしすぎるな」
「ヨルシャミ……」
「いいか、頼る時は頼るのだ。恋仲になったからといって守られ心配されてばかりの超賢者と思うな」
「いや実際すぐ倒れるから僕としては常に心配なんだけど」

 んぐ! とヨルシャミは小さな声を漏らす。図星の声だ。
「……だからといって私としては、えー……ニルヴァーレや他の者にばかり頼られるのはだな、ちょっとだな……」
「――心配だけど頼らせてもらうよ。ヨルシャミ、雪から出るために魔法を使ってもらえないか?」
 もごもごと呟いていたヨルシャミは目を見開いて伊織を見る。
 そして微笑む伊織を目にすると薄っすらと笑って拳を握った。

「ははは……それでいいのだ! さあっ、さっさと脱出するンぁぐ!」

 うっかりその勢いのまま立ち上がろうとしたヨルシャミは頭をぶつけ、さっさと脱出する前に十秒ほど悶絶するはめになったのだった。

     ***

 一連の流れを観測したセトラスは再び外していた眼帯を元に戻した。

 今日はもう使わないつもりだったが、使わざるをえなかったのだ。
 魔力の譲渡、これを行なえる者は魔導師には多い。むしろ基礎技術でさえある。
 しかし聖女の息子、伊織はバイクなどという規格外のものを召喚できるというのに基礎さえままならなかった――と、そう思っていた。
 それがどうだ。
 なぜか競争の最中に突如魔力操作及び譲渡を会得し、それによりバイクは恐ろしいほどの力を瞬間的に見せた。
 単純に速さだけを突き詰めたものだが、あれを攻撃に転じていたらどんなことになっていたのか。

(それに私の作った機構を瞬時に模した……? 機械技術だけではないのに?)

 かなり複雑な魔法と機械の融合を成していたはず。
 それを真似た。あの一瞬で、だ。

「……あの子、おかしなことしたわね」
 セトラスの隣に立っていたシェミリザが自身の頬に指を当てて言う。
「途中で魔力の質に混ざったものがあったわ。もう少し近くで見てみたいけれど……今日得たデータを解析してからの方がいい? セトラス」
「うん」
「うん?」
「ああ、えっと、目、つかいすぎでぼーっとしてるから」
 思考は動いているが言葉として上手く口から出力できないのだ。
 セトラスはあまり口を開きたくないといった顔でノートを閉じると立ち上がった。
 シェミリザはくすくすと笑う。
「そっちの方が愛嬌があっていいじゃない。……私の目からでもわかったことがあるけれど、今聞きたい? それとも後がいい?」
 わざと子供扱いするように頭を撫でてくるシェミリザにセトラスは眉間にしわを寄せた。

 そこへ雪崩から逃れ、雪原を跳ねながら戻ってきたパトレアが帰ってきた。
 彼女は汗を拭いながらきらきらとした瞳を更に輝かせる。

「すっ……ごかったであります! 見ましたかセトラス博士、シェミリザ様! あの凄まじい速さ! 私が二桁秒も遅れてゴールするなど久方ぶりであります! これは帰ったら祝いにニンジンたっぷりオムライスを食べねば! いや、それともニンジングラタンでしょうか?」

 セトラスはパトレアの声を遠くに聞きながら考える。
 一瞬しか見えなかったが新たに召喚されたワイバーンのことも気になった。シェミリザならそれについてもわかることが多かったかもしれない。
 ならば今聞いておきたい。
 そう思ったセトラスは口を開く。

「オムライスがいい」

 口から出たのは思考の外にあったことだった。

「……」
「……」
「……はい! オムライスにしましょう、今日は博士も食べてください! 腕によりをかけます!」
「セトラス、あなたが回復してから報告したげる。あと恨み言はシァシァに言ってちょうだいね」

 優しくそう返され、セトラスは頭を冷やすように冷たい雪に突っ伏した。
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