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第七章
第220話 北国のミヤコさん
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通されたシレトコの間は和風の窓と襖、そして天井と鴨居の間にある欄間が特徴的な部屋だった。
欄間にはなぜか蟹が透かし彫りされている。
「蟹……」
「北海道かな」
そんな和の要素に反して床は板張りの上に絨毯を敷いたもの。
畳を再現するのが難しかったか、もしくは後世の人々に手入れ方法が伝わらず、時が流れる間に劣化し破棄してしまったのかもしれない。
床の間には手書きと思しき掛け軸。
荒々しい筆遣いで『我が青春、彼の地に在り』と書かれており、その下に鮭を咥えた熊が描かれていた。
「鮭と熊……」
「北海道かな」
バルドと伊織がなんともいえない顔をしながら掛け軸を見ているのに気がつき、ミヤタナは少し恥ずかしそうに笑った。
「その掛け軸のオリジナルはもう随分昔にくたびれちゃって、今は倉庫にしまってあるんですよ。それは私たち子孫が代々次の宿の主人に任命された時に書き写したものなんです」
「あ、ああ、そうだったんですか」
「そっくりそのまま写すのが絶対条件なんですけど、それは私の写したもので……熊の目がちょっと可愛くなってしまったのがねぇ、じっくり見られると恥ずかしくって」
内容にツッコみはないのか、と伊織は思ったが異世界からすれば違和感がないのかもしれないと思い直す。そもそも文字を読めているかどうかもわからないため、日本語ごと絵の一部のように書き写している可能性もあった。
とりあえずミヤコという人物は北海道に所縁のある豪快な人物だったようだ。
ミヤタナは部屋の説明をした後、去り際に温泉について口にした。
なんでも温泉は一つで、時間帯により使用者の性別を分けているのだという。
とはいえ正確な時間がわかる時計はないためミヤタナの匙加減次第だが、脱衣所への出入り口に今はどちら向けか示された札がかかっているそうなので迷いはしないだろう。
「ふむ、女・男・混浴を毎日二時間ごとにローテーションしているのか」
「この世界にも混浴って文化あんのな……」
静夏のローテーションに関する言葉を聞きつつ、バルドが「浪漫がある」としきりに頷いていた。
少なくとも王都方面は一人での入浴が主流であり、大浴場も明確に男女で分かれていることが多い。
貴族の場合は他人に体を洗われることも多いため話は変わってくるが、庶民にとって混浴という文化は珍しい方だと言えるだろう。
ヨルシャミも慣れていないのか首を傾げている。
「ううむ、共用の風呂は悩むな。私はどちらだ? 混浴が最適解か……?」
「ヨルシャミさん、タオル巻くんで一緒に入りません?」
温泉に浮足立ったのかリータがそんな誘いを口にし、ヨルシャミはぎょっとして半歩引いた。
それはもう見事な後退だった。
「リ、リ、リータ! お前はまたそういう……っば、爆弾発言をしすぎだぞ!? 言っておくが私の脳は未だに男だからな!? 外見に騙されるな! 女湯の時に入れ……!」
「外見に騙されるなとかそのセリフを言うのが本人とか世も末だよな~」
「お前はもうちょっと妹を止めろ!」
ヨルシャミは指導中の先生のようにミュゲイラにそう吠えた。
そんな様子を眺めながら伊織は腕組みをする。
(混浴かー……)
正々堂々とヨルシャミと風呂に入れるチャンス。
伊織としては気になる。とても気になる。
しかし関係を明かしてない以上こちらから誘うわけにはいかない。
だがこういった機会を逃せば『現実世界で共に温泉を楽しむ』などという最高のシチュエーション、今後何回どころか再び訪れるかどうかすら怪しいだろう。
(夢路魔法の世界でなら自由に入れるんだけど現実……現実っていうのが重要なんだよな。ニルヴァーレさんもいるしあっちもいいけれど、初回はやっぱリアルで入りたいっていうか何かそういうアレだ……)
別にそこまで下心だけで構成された欲求ではない。
が、どうにも頭から離れず唸っていると、突然バルドにひょいと担がれて伊織は我に返った。
「伊織伊織! 今の時間帯は男湯らしいぞ、早速ひとっ風呂浴びよう!」
「なんで強制連行!?」
「背中流してほしいんだよ」
「そんなとこまで強制!?」
こっちからも洗ってやるから頼むよ~、と食い下がられ、伊織は悩みも吹っ飛んだ様子で眉尻を下げる。
どうやらバルドも温泉好きのようだったし、ここまで頼まれたら断るのも忍びない、と伊織は首を縦に振った。嬉しさからぱちんっと手を叩いたバルドは満面の笑みを浮かべる。
「やった! サルサムも来いよ、今逃したら二時間後だぞ、長いぞ!」
「いや、べつに俺はそれでも――」
「サルサムさん、浮ついたバルドを僕だけで抑えられるかわからないんで来てくれませんか……」
「なんか俺すごいこと言われてねぇ?」
そう言いつつも気にしていない様子のバルドと、これから売られる子牛のような表情の伊織にサルサムは言い淀み、何度か濁音で唸った。
バルドは前よりも落ち着いてしまったが、テンションが上がれば何をするかわからない。今のように。
結果、着いてすぐだがヨルシャミを除く男性陣は全員温泉へ向かうことになったのだった。。
「そんじゃ静夏、お先に失礼するな!」
「ああ、ゆっくりしてくるといい」
そう見送る静夏はそわそわとしていたが、女湯の時間になるまで買い足すものをリストアップしておこうと荷物を引き寄せる。事前にこういった細かな作業をしておくことでスムーズに買い物をできる、とこれまでの旅路で学んできた。
その視界の端でヨルシャミがじいっと襖を見つめている。
静夏はその姿を眺めながら微笑んだ。
「……ヨルシャミよ。やはりついていけばよかったと思っているように見えるが」
「ん、む、まあ気にはなる。だがもし他の客が居たら困るだろう」
言外に「伊織たちなら一緒に入るのもやぶさかではない」という意味を含ませつつヨルシャミは腕を組む。
そんな様子を前にして静夏は笑った。
「男湯はそうだな。では混浴ならどうだろうか、前世の世界にも混浴があったが……私は苦手な者は避ければいいし、平気な者や興味のある者は気にせず入っていいと思っている」
「ふ、む……」
「今日でなくとも泊っている間に機会があれば混浴風呂も楽しもう、ヨルシャミ」
「――き、きちんとデメリットを理解した上で、私の見目に惑わされず「入ってもいい」という面子がいれば考えておこう」
咳払いしつつヨルシャミは横目で静夏たちを見る。静夏だけでなくリータもミュゲイラも抵抗感を持っていない様子だ。
ヨルシャミは多人数で入る風呂というものには慣れていない。
しかしわくわくした様子を隠しもしない面々を見ていると、そんなに楽しいものなのかと心惹かれるのである。
(私もその仲間に入れてほしいのか……?)
なんと幼稚な。
ヨルシャミはそう自分で自分に対して思うが、しかし。
「……ふむ、温泉か……」
小声で呟いた声は、すでにどこか弾んだ雰囲気を持っていた。
欄間にはなぜか蟹が透かし彫りされている。
「蟹……」
「北海道かな」
そんな和の要素に反して床は板張りの上に絨毯を敷いたもの。
畳を再現するのが難しかったか、もしくは後世の人々に手入れ方法が伝わらず、時が流れる間に劣化し破棄してしまったのかもしれない。
床の間には手書きと思しき掛け軸。
荒々しい筆遣いで『我が青春、彼の地に在り』と書かれており、その下に鮭を咥えた熊が描かれていた。
「鮭と熊……」
「北海道かな」
バルドと伊織がなんともいえない顔をしながら掛け軸を見ているのに気がつき、ミヤタナは少し恥ずかしそうに笑った。
「その掛け軸のオリジナルはもう随分昔にくたびれちゃって、今は倉庫にしまってあるんですよ。それは私たち子孫が代々次の宿の主人に任命された時に書き写したものなんです」
「あ、ああ、そうだったんですか」
「そっくりそのまま写すのが絶対条件なんですけど、それは私の写したもので……熊の目がちょっと可愛くなってしまったのがねぇ、じっくり見られると恥ずかしくって」
内容にツッコみはないのか、と伊織は思ったが異世界からすれば違和感がないのかもしれないと思い直す。そもそも文字を読めているかどうかもわからないため、日本語ごと絵の一部のように書き写している可能性もあった。
とりあえずミヤコという人物は北海道に所縁のある豪快な人物だったようだ。
ミヤタナは部屋の説明をした後、去り際に温泉について口にした。
なんでも温泉は一つで、時間帯により使用者の性別を分けているのだという。
とはいえ正確な時間がわかる時計はないためミヤタナの匙加減次第だが、脱衣所への出入り口に今はどちら向けか示された札がかかっているそうなので迷いはしないだろう。
「ふむ、女・男・混浴を毎日二時間ごとにローテーションしているのか」
「この世界にも混浴って文化あんのな……」
静夏のローテーションに関する言葉を聞きつつ、バルドが「浪漫がある」としきりに頷いていた。
少なくとも王都方面は一人での入浴が主流であり、大浴場も明確に男女で分かれていることが多い。
貴族の場合は他人に体を洗われることも多いため話は変わってくるが、庶民にとって混浴という文化は珍しい方だと言えるだろう。
ヨルシャミも慣れていないのか首を傾げている。
「ううむ、共用の風呂は悩むな。私はどちらだ? 混浴が最適解か……?」
「ヨルシャミさん、タオル巻くんで一緒に入りません?」
温泉に浮足立ったのかリータがそんな誘いを口にし、ヨルシャミはぎょっとして半歩引いた。
それはもう見事な後退だった。
「リ、リ、リータ! お前はまたそういう……っば、爆弾発言をしすぎだぞ!? 言っておくが私の脳は未だに男だからな!? 外見に騙されるな! 女湯の時に入れ……!」
「外見に騙されるなとかそのセリフを言うのが本人とか世も末だよな~」
「お前はもうちょっと妹を止めろ!」
ヨルシャミは指導中の先生のようにミュゲイラにそう吠えた。
そんな様子を眺めながら伊織は腕組みをする。
(混浴かー……)
正々堂々とヨルシャミと風呂に入れるチャンス。
伊織としては気になる。とても気になる。
しかし関係を明かしてない以上こちらから誘うわけにはいかない。
だがこういった機会を逃せば『現実世界で共に温泉を楽しむ』などという最高のシチュエーション、今後何回どころか再び訪れるかどうかすら怪しいだろう。
(夢路魔法の世界でなら自由に入れるんだけど現実……現実っていうのが重要なんだよな。ニルヴァーレさんもいるしあっちもいいけれど、初回はやっぱリアルで入りたいっていうか何かそういうアレだ……)
別にそこまで下心だけで構成された欲求ではない。
が、どうにも頭から離れず唸っていると、突然バルドにひょいと担がれて伊織は我に返った。
「伊織伊織! 今の時間帯は男湯らしいぞ、早速ひとっ風呂浴びよう!」
「なんで強制連行!?」
「背中流してほしいんだよ」
「そんなとこまで強制!?」
こっちからも洗ってやるから頼むよ~、と食い下がられ、伊織は悩みも吹っ飛んだ様子で眉尻を下げる。
どうやらバルドも温泉好きのようだったし、ここまで頼まれたら断るのも忍びない、と伊織は首を縦に振った。嬉しさからぱちんっと手を叩いたバルドは満面の笑みを浮かべる。
「やった! サルサムも来いよ、今逃したら二時間後だぞ、長いぞ!」
「いや、べつに俺はそれでも――」
「サルサムさん、浮ついたバルドを僕だけで抑えられるかわからないんで来てくれませんか……」
「なんか俺すごいこと言われてねぇ?」
そう言いつつも気にしていない様子のバルドと、これから売られる子牛のような表情の伊織にサルサムは言い淀み、何度か濁音で唸った。
バルドは前よりも落ち着いてしまったが、テンションが上がれば何をするかわからない。今のように。
結果、着いてすぐだがヨルシャミを除く男性陣は全員温泉へ向かうことになったのだった。。
「そんじゃ静夏、お先に失礼するな!」
「ああ、ゆっくりしてくるといい」
そう見送る静夏はそわそわとしていたが、女湯の時間になるまで買い足すものをリストアップしておこうと荷物を引き寄せる。事前にこういった細かな作業をしておくことでスムーズに買い物をできる、とこれまでの旅路で学んできた。
その視界の端でヨルシャミがじいっと襖を見つめている。
静夏はその姿を眺めながら微笑んだ。
「……ヨルシャミよ。やはりついていけばよかったと思っているように見えるが」
「ん、む、まあ気にはなる。だがもし他の客が居たら困るだろう」
言外に「伊織たちなら一緒に入るのもやぶさかではない」という意味を含ませつつヨルシャミは腕を組む。
そんな様子を前にして静夏は笑った。
「男湯はそうだな。では混浴ならどうだろうか、前世の世界にも混浴があったが……私は苦手な者は避ければいいし、平気な者や興味のある者は気にせず入っていいと思っている」
「ふ、む……」
「今日でなくとも泊っている間に機会があれば混浴風呂も楽しもう、ヨルシャミ」
「――き、きちんとデメリットを理解した上で、私の見目に惑わされず「入ってもいい」という面子がいれば考えておこう」
咳払いしつつヨルシャミは横目で静夏たちを見る。静夏だけでなくリータもミュゲイラも抵抗感を持っていない様子だ。
ヨルシャミは多人数で入る風呂というものには慣れていない。
しかしわくわくした様子を隠しもしない面々を見ていると、そんなに楽しいものなのかと心惹かれるのである。
(私もその仲間に入れてほしいのか……?)
なんと幼稚な。
ヨルシャミはそう自分で自分に対して思うが、しかし。
「……ふむ、温泉か……」
小声で呟いた声は、すでにどこか弾んだ雰囲気を持っていた。
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