マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第七章

第225話 悪いものではない

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「盗賊の里の生き残りがこの村に?」

 温泉から戻った静夏たちはそんな情報を新たに仕入れていた。
 今は牢の中にいるというその人物。もしかすると無駄足に終わる可能性はあるが、ホーキンたちとは違った話を聞けるかもしれない。
 たしかに面会を掛け合ってみる価値はあるかもな、とサルサムが頷く。

「しかしそれも明日の話だ。今夜は皆にしっかりと休んでもらいたい。次はヨルシャミが温泉へ向かう番だったな?」
「そうそうヨルシャミ! 温泉を楽しむにゃ作法ってやつがあるんだ。入る前にあたしが教えて……」
「いや、それはもうイオリに聞いた」
「早ぇ!」

 よほど知識を披露したかったのかショックを受けるミュゲイラをよそに、ヨルシャミはいそいそと準備しながら横目で全員を見た。

「ただ……少し不安なことはあるな」
「不安なこと?」
「皆の着ているそれだ」

 びっと指差した先には見慣れない寝間着――伊織たちからすれば懐かしささえ感じる浴衣を着た面々。
 宿の中は特殊な魔石を利用し一定の温度が保たれているため、浴衣に羽織りだけでも寒さは感じない。故に入浴後はミヤタナから貸し出された浴衣を身に付けていた。
 これもミヤコが持ち込んだ文化の一つだという。
 そんな浴衣に対してヨルシャミは不安を抱いていた。

「一枚の布からできているように見えるが、着方がわからぬのだ。イオリたちならば知っているのだろうが……」
「あっ、いやいや、僕も馴染みが薄いから着方まではしっかりとはわからなかったんだ。教えてくれたのはバルドだよ」
「む? そうなのか?」

 そうそう、とバルドは頷く。
 どうやら前世で各地を飛び回っている時に何度か着る機会があったらしい。身元に繋がることはまだ思い出せないのにこういう細かいとこだけ思い出すんだよなぁ、とバルドは笑った。

「それにもし着方がわからなかったらミヤタナが教えるって言ってたぞ、後で相談してみたらどうだ?」
「ふむ、それなら安心か……よし、では時間になったら行ってみよう」

 長く生きても初めてのことはある。
 それを少し面白いと感じながらヨルシャミは頷いた。

     ***

 ――混浴の時間になり、ヨルシャミはミヤタナに案内され温泉へと向かった。

 ミヤタナが常についているわけにはいかないため、入浴前に浴衣の着方をレクチャーしてもらい、ああこれなら大丈夫だと納得できたところでミヤタナと別れて服を脱いでいく。
 初めは他人の体、しかも性別の違う体で脱ぎ着することに抵抗は――まったくなかった。
 元の自分の肉体すら二の次にする性分である。
 しかしセラアニスの人となりを知ってからは少し戸惑うこともあった。

 それでも脳移植の影響か、はたまた意識がなくともこの状態のまま長い時を過ごしたからか、頭がこの体を「自分の肉体だ」と認識するため戸惑いは次第に消えていき、今では特に違和感も感じない。
 ただセラアニスには少し申し訳なく思っている。

(別にいいと言うだろうが……。ああ、せめて眠りにつく前に私の元の姿を見せておけば納得の上だと思えただろうに)

 セラアニスはヨルシャミの記憶を部分的に見ている。
 その中で元のヨルシャミの姿を確認し、しっかりと「今自分の体を使っているのは遥か昔に成人済みの男性である」と認識できていればいいが。
 そう心配しつつヨルシャミはすべての服をかごに入れた。なんでも後でミヤタナが洗ってくれるらしい。実に至れり尽くせりである。
 そろりそろりと脱衣所から移動すると話に聞いた通りの温泉が姿を現した。
 なるほど、これは皆がはしゃぐのもわかる気がする。
 そう感じながらヨルシャミは洗い場でいそいそと体を洗い、その間に一般の親子客や老人が入りにきたのを確認してハッとした。

(そうだ、皆に配慮し混浴を選んだが……一般客も来るなら結局他人にセラアニスの肌を見せることになるのではないか? それなら相手の気にしていない女性陣と初めから入るべきだったのか……いや、しかし、ううむ)

 結局は自分の倫理観次第な気がするぞ、とヨルシャミは眉根を寄せたが、とにかく来たものは来たのだから今は楽しまなくてどうする、と思い直して頭を湯で流す。

(とりあえずセラアニスには目覚めてから諸々説明し謝ることにしよう。いつかはそういうことがあるだろうと思っていたが、集団で旅をする以上不可避な事柄もある。それにイオリにはすでに、……)

 再び雪山小屋での事故を思い出してしまい、ヨルシャミは無意味にもう一度湯を被った。
 あの時見られて恥ずかしかったのは紛れもなく『自分』だ。
 つまりこの肉体は自分のものである、と頭の芯から思っていることの証左でもあった。

 似たような、しかしそれぞれ違う悩みや考えるべきことが湧いてくる。それを一旦鎮めようとヨルシャミは湯舟へと向かった。一人になると色々と考えてしまうのは癖のようなものだ。
 が、温泉は凄かった。
 悶々と考えていたことが吹っ飛ぶ程度には凄かった。

 体の芯から温まるとはこういうことを指すのだろう。
 ヨルシャミがゆっくりと両手両足を伸ばし、首元まで湯に浸かってリラックスできたのはもう遥か昔のことだ。久しぶりにこうして何にも急かされない温かな時間を得られた気がしている。
 眠気さえ感じるほどゆったりとした時間の中、赤くなったヨルシャミの長い耳に雪がふわりと落ちてきたが、冷たさを感じる前に溶けて消えた。
 他の客も僅かに降り始めた粉雪を見上げる。

(大量に降るのは御免だが、ふむ、これくらいなら悪いものではないな)

 風呂と雪、面白い取り合わせだ。
 たまにはこういうのもいいものだと思いながらヨルシャミは一人で空を見上げたが、やはりいつも一緒にいる仲間が一人もいないのは少し寂しい――というよりも、面白みに欠ける。

(ああ、そうか)

 ヨルシャミは一人での行動に慣れていた。
 しかし皆と旅をするうちに、こういった珍しい情景や自身が新鮮に感じたことを仲間と共有したいという考えが芽生えたらしいと自覚する。

「……これもまた、悪いものではないか」

 ヨルシャミは目を細めて笑う。
 そして周りに聞こえないよう、ほんの小さな声で呟いた吐息で一つの粉雪がふわりと舞い、そのまま湯に吸い込まれるようにして消えていった。
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