マッシヴ様のいうとおり

縁代まと

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第七章

第229話 不運は連鎖するもの

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 シレトコの間から温泉まで歩き、男湯の時間であることを確認して脱衣所へと足を踏み入れる。
 伊織は念のため自分の意思ですべて脱いでからニルヴァーレと入れ替わることにした。もう他人に服を脱がされるのはしばらく経験したくない、という強い意志によるものだ。
 服をすべて畳み終わり、その上に置いた魔石を手に取る。

(手の平サイズではあるけど、持ち込むには大きいんだよな……)

 ただし一度憑依してしまえばある程度は離れても引き戻されることはないという。
 夢路魔法なら少し離しておくだけで伊織たちの元へ辿り着くのに時間を要するほど影響が出るが、憑依だと脱衣所から温泉までの距離くらいなら問題ない。
 つまりそれだけ憑依の方が繋がりが強いんだな、と思うと伊織は不思議な気分になった。
 魔石をカゴの下の方へしまい、伊織は目に見えないニルヴァーレに「代わっていいですよ」と許可を出す。

 今回の憑依は前回のような伊織の意識を保ったものではなく、初回のように全権をニルヴァーレに任せるもの。
 伊織は一瞬だけ吸おうと思った空気を吸えなかったような感覚にぴくりと肩を震わせた後、眠りに落ちるかのように意識を手放していた。

     ***

 少し湿度が高いが、寒さは感じない部屋だ。
 そう感じたニルヴァーレが両目を開くと、そこは脱衣所のようだった。
 元々身長の高いニルヴァーレが伊織の体を使うと目線が低くなるためほんの一瞬戸惑ったが、すぐに慣れて背伸びをしてから両腕をぐるんぐるんと回す。

「うんうん、やっぱり前より動かしやすい気がするな。相変わらず魂は僕を焼き切ろうとしてくるが……契約の繋がりと違って意思あるものだから異物判定が厳しいのか?」

 じっくり観察したいところだが、今日の目的はそれだけではないとニルヴァーレは己を律する。
 久しぶりに自分の思うように呼吸し、本物の空気を吸い、意図せぬ香りや温度を感じる現実世界。
 それそのものと温泉を楽しむのも立派な目的のひとつである。
 ニルヴァーレは意気揚々と温泉へと向かった。――が、温泉と脱衣所を隔てている戸のデザインが廊下側と酷似していたのがいけなかった。

 がらりと開いた先は廊下。
 しかも通りかかった女性客がいた。

 いや、一般の女性客ではない。
 ニルヴァーレは一度間近で会ったことがある。薄茶のふんわりとした髪を持つフォレストエルフ、名前はリータだ。
 温泉へ繋がる廊下の更に先には厠があるので、そこへ向かう途中だったのだろうか、とニルヴァーレは余裕を崩さず考えを巡らせる。
 一方でリータは口を半開きにしたままニルヴァーレを、正確には伊織を見た。これから温泉に入ろうと思っていたため、それはもう相応の姿である。布のぬの字も、何なら糸のいの字もない。

「あ、ごめんよ」

 伊織なら叫んで謝り倒していただろうが、ニルヴァーレは素でそう言うとぴしゃりと戸を閉めた。
 戸の向こうで騒いでいる様子がない辺り、見なかったことにしてくれるだろうか。そう考えたのはニルヴァーレにも一応倫理観の知識があるこそだが、個人としては全裸を見られることに抵抗感がないため慌てることはない。

(……、うん、よし、これはイオリにはヒミツにしとかなきゃならないな!)

 起こったものは仕方ない。
 まあ裸の一つや二ついいだろう、と自分のものさしで納得しつつニルヴァーレは今度こそ温泉側の戸へ向かった。

「おや……?」

 なぜか中から言い争うような気配がしている。
 見ればニルヴァーレが使っている棚とは別の棚に衣類が纏めて置いてあった。
 どうやら朝から温泉に入ろうと思っていたのは自分だけではないらしい。しかし何を、そして何故言い争っている? とニルヴァーレは首を傾げた。

 だが収まるのを待てるほどたっぷりと時間があるわけではない。
 もし荒くれ者が喧嘩していても気にせず入ろう。温泉が逃げるわけではない。
 そう考え、ニルヴァーレは戸をがらりと開け――その瞬間、カコーンッという小気味いい音と共に「のあー!」という野太い叫び声が耳に届いた。
 随分騒がしい先客だ。
 そう思い湯気の向こうに目を凝らすとバルドの上にサルサムが覆い被さっていた。その隣にコンッと音をさせて桶が落ち、二人はそれぞれ痛みを訴える場所をさすりながら顔を上げる。

「……」
「……」
「……」

 その視界にニルヴァーレが、とどのつまり伊織の姿が入ったのか二人は先ほどのリータのように口を半開きにし、次にタオルを巻いているとはいえ馬乗り状態になっている自分たちを見て叫んだ。
 ついでに今回はさすがのニルヴァーレも変な声を漏らした。

「ぅ、……うわ」
「うゥおぁーッ!! 待て伊織、誤解すんな! マジ誤解すんな!」
「そうだコイツのせいなんだ、べつに洗わなくていいっていうのにしつこく寄ってきて――」
「俺は静夏一筋だから!!」
「デカい声で俺の説明を掻き消すな!」

 サルサムは赤くなった膝でなんとか立ち上がると、痛みなど二の次と言わんばかりの流れるような動きでバルドから距離を取った。
 手くらい貸してけ! と涙目になっているバルドに近寄り、ニルヴァーレは「やれやれ」といった様子で手を差し出す。

「イオリならこうするだろうから一回だけ手を貸してあげるよ」
「うう、ありがとな伊……、ん?」

 バルドはきょとんとした顔でニルヴァーレを見上げ、その両目が金色のみではなく緑と青の混じったものだと確認すると更に呆けた顔をした。
 つまり今目の前にいるのが誰かわかった、ということだが何故そこまで驚くんだとニルヴァーレは首を傾げる。

「バイクに乗っていた時に見ただろう、僕だよ」
「ニ、ニルヴァーレ? えっ、こいつ――」

 バルドは手を借りて中腰で立ち上がりかけた状態のまま叫ぶように言う。

「こいつ温泉に命がけで入りにきてるぞ!? 温泉マニアか!? むしろ温泉フェチだな!?」

 そう思いきり大声でツッコんだバルドの手を、ニルヴァーレは容赦なく離した。

     ***

 サルサムはこの混乱と羞恥と不快感をどこへ向ければいいかわからず、とりあえず手早く体を洗うと逃げ込むように湯舟へと入った。

 たまたま皆より早く起きたため、折角だし朝風呂をしようというバルドの誘いに乗ったのが運の尽き。
 サルサムも温泉を気に入っていたため特に何も思わず了解したのだが、そこで「頭洗ってやるよ!」とバルドがしつこく言ってきたのである。

(むしろお前の方が洗われる側だろ……!)

 そう何度思ったかわからない。
 サルサムの中ではまだバルドはガキくさい中年のままだ。
 そこで洗う・いらないで一悶着あり、他に客もいないこともあって少しばかりヒートアップしたその時――積んであった桶が一つ転がり落ち、それをバルドが踏んづけたのだ。
 まずバルドが転び、その予想外の角度から放たれた『渾身のキックと同等のもの』がサルサムの足元を直撃し、あの凄惨且つ大迷惑な状態に陥ったわけだ。連鎖は恐ろしい。

 しかもそれを最悪なタイミングで入ってきた伊織に見られた。
 と、そう思ったら伊織はニルヴァーレだった。

 なんだこれ、というのがサルサムの正直な感想である。

「……なあバルド、じつはこれは夢で俺たちはまだ布団の中で寝てるんじゃないか?」
「凄いな、サルサムがここまで現実逃避するなんて滅多にないぞ」
「いやはや、お楽しみを邪魔して悪かったね、そこまで気にするとは思わなかったよ」
「お前、絶対その面白半分の誤解をイオリに持ち込むなよ……!」

 呆けていた目元に力を込めながらサルサムは語気を荒くして言った。
 そしてニルヴァーレに対して口調をここまで乱すなんて、という顔をバルドがしているのに気がついて眉根を寄せる。

「今はもうビジネスパートナーじゃないんだ、しかも今後再びそうなる可能性も低い。無意味に媚びへつらって敬語を使う意味はないだろ」
「割り切ってんなー……」
「いやいや、そこが気に入ったところでもある」

 ニルヴァーレは湯の中で伊織の指を組みながら笑みを浮かべて言った。

「折角の機会だ、浸かっている間少しお喋りしないかい?」
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