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形無し
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カラン、カランと今日の朝一番の客が来たことをドアベルが知らせる。
「おはようございます。金の林檎亭へようこそ! ヨハンさん、今日はナポリタンありますよ?」
常連のヨハンが、今日の朝一番の客のようだ。
「おはよう。そうか、そうなると上には何を乗せるか迷うな」
「ハンバーグ、目玉焼き、今日はクリームコロッケもいけます」
常連のヨハンはナポリタン信者である。さらにそのナポリタンにさらに一品オンする。
ヨハンがひとつ唸ってクリームコロッケを選択した。
「はい、ではお水を後でお持ちしますね」
パタパタと厨房に入りナポリタンとクリームコロッケを準備する。
コーンのシンプルなクリームコロッケだが、そのシンプルさが美味しいと、大人に人気のメニューでもある。
パスタをたっぷりのお湯で茹で始める。
コロッケのカラカラと揚がる音も小気味よい。
カラン、カラン、と再度ドアベルの音が聞こえた。
揚げ物もしているのでホールには出ることは出来ないが声をかけることは忘れない。
「いらしゃいませ! あとでお伺いしますのでお好きな席でお待ちください」
厨房から店内の客に声をかけると、ひょこっとラウルが顔を出した。
「おはよう。アイオライト」
「あ! おはようございます。ラウルさん」
「お茶、貰っていくね」
「いつもありがとうございます」
慣れた手つきで冷蔵庫を開けて冷えたお茶をコップに注ぐ。
「そう言えば、この前のバーベキューの後残った食材を王城に持って帰って食べたんだけれど、やっぱりアイオライトが焼いてくれたのが一番おいしかったよ」
「味付けは同じですよ?」
「そう、味付けは一緒なんだけれどさ。不思議だね」
そう言って、振り向きラウルはその瞳にアイオライトだけを映して微笑んだ。
「ふぁぁ!(今朝もカッコイイし、なんか神々しい!)」
「ん?」
ラウルのあまりにも完璧な王子様の微笑みにノックアウトされるアイオライトだが、自分だけがその笑みを一身に受けているという自覚はない。
そして眼福眼福、とは思いながら、不意の攻撃ではその素敵な笑顔を脳内に刻めないのでやめて欲しいとも思っている。予告して振り向くのもおかしな話なので、お願いすることは出来ないが。
「なんでもないです。あの、今朝はナポリタンですよ。目玉焼きを乗せますか?」
「どうしようっかな」
カラカラと綺麗に揚がったコロッケを油から出して、油切りをしながらナポリタンの仕上げに入る。
「ヨハンのかな。今日はコロッケ乗せるのか……。さすがだ、やるな……」
コロッケを乗せることを何故か褒めて出来上がりを待っている。
「ヨハンさんも、ラウルさんに負けないぐらいナポリタン好きですものね」
ラウルはオムライスとナポリタンが大好きで、自分だけの専用メニューを持っている。
大人様ランチ。
ラウルの特別大人様ランチは、空か天の日の夜の予約限定メニューである。
「コロッケをスペシャルメニューに追加するのもいいかな。注文は後で席でするよ」
ラウルはそう言って、アイオライトの頭を優しく撫で、厨房からするりと出ていく。
前にラウルは弟が欲しいと言っていたし、友達なのだからじゃれ合いのつもりなのかもしれないが、撫でられるとやたらと嬉しくて仕方ない。
推しとの距離が近くなって浮かれてしまっているわけだが、これから式典もあるし、ちゃんと気を引き締めていこうと心に誓うアイオライトであった。
「ヨハンさん、お待たせしました。ごゆっくり」
ヨハンの前にナポリタンのコロッケのせを丁寧に置き、ラウルの元に注文を聞きに向かうと、今日は一緒にフィンが来ているのが目に入った。
「おはようございます。フィンさん」
「おはよう。アイオライト嬢。今日はナポリタンとやらがあるんだって?」
「はい、A定食がナポリタンで、B定食は豚の生姜焼きですよ」
「え? B定は生姜焼きなんだ。俺迷うな~。生姜焼きも旨いんだよね」
うんうん唸りながらラウルが最終的に決めたのは、
「じゃぁ、今朝は生姜焼きする。フィンは?」
「俺はナポリタンにしよう」
「フィンのナポリタンに、目玉焼き乗せてあげて」
「わかりました。では少々お待ちください」
パタパタと厨房に入っていく後姿を、愛おしそうに見つめるラウルに、小声でフィンが声をかける。
「そう言えばさ、いつアイオライトに求婚するの?」
「求婚って、何言ってんだよ。まだ友達だって言ってるだろ? まずは告白してから……」
「まずはって、ドレスを贈るって言ったんだろ?」
「それは、うん、そうなんだけど、でもそれは気兼ねなく舞踏会に出席して欲しかったからで……」
この国で貴族の未婚の男性が女性にドレスを贈るという事は、意中の女性に自分の好意を受け取って欲しいという事だ。ぐずぐずと理由を付けてはいるが、ラウルはそのつもりでアイオライトにドレスを贈る。
さらに昔から貴族間の結婚式の前に、二人だけで小指を絡めて永遠の愛を誓うという儀式がある。
幌馬車の中で、約束です、と二人で小指を絡めたことをつい思い出す。
アイオライトのことが好きだと自覚してはいるのだが、一歩が踏み出せない今のラウルにとって特別すぎる約束だ。
しかしアイオライトはどちらの意味も、おそらく知らない。
だから、もう少し距離を詰めてからお付き合いを重ねて……と持論を頭の中で展開していると、フィンの言葉の攻撃がラウルを刺しにかかる。
「式典と舞踏会で彼女が注目されないと思ってんのか? さらにヴィンス様とジョゼット様の娘。名だたる貴族が彼女に求婚するだろうよ」
事前に調べて分かったことだが、アイオライトの両親は冒険者だ。
名の知れた、と聞いていたのだが、それどころではない。ラウル自身も何度も指南してもらっている、アルタジア屈指の最高位冒険者だ。
「王と王妃の護衛任務経験も豊富にあることから、面識があるどころか信用も厚い。王族の覚えめでたい最高位冒険者の娘とあれば、婚姻を結んで王族に取り入ろうとするものもいるだろうよ。さらにあの容姿だ」
「彼女は庶民だし、成人してから……」
「そんなこと言って、知らない男に横から搔っ攫われてもいいのかよ」
彼女が誰か違う男に……? そう思った瞬間、急激に魔力が大きく揺らぎ、知らないうちに威嚇になっていたようだ。
フィンは面白いものを見るように、その魔力を受け流していたが、店内の少し離れたところにいたヨハンがびくりと体を震わせてラウルを見た。
「あ、ごめん、ヨハン。ちょっとお腹すいて気が立っちゃって」
「おう、そうか。腹が減ってちゃしょうがない」
気にするなとひらひら手を振って、ヨハンはまた食事に集中し始めた。
「ラウルさん、魔力揺らぐほどにお腹減ってたんですか?」
くすくすと笑いながら、豚の生姜焼きとナポリタンを持ってアイオライトがやってきた。
「う、うん」
なんだか締まらない返事をしてしまったラウルに、フィンが思わず苦笑いしてしまう。
「でも、店内で威嚇されては困りますので、お腹がすきすぎてる場合は言ってくださいね。先に何か摘めそうなものをお出しますから。はい。生姜焼きと、ナポリタンです。ごゆっくりお召し上がりください」
何も疑わない笑顔でアイオライトが声をかけると、また新たな客が来たようだ。
カラン、カランとドアベルが音を立てた。
「いらっしゃいませ。金の林檎亭へようこそ!」
灰色の髪に整えられた髭の紳士と、灰色の髪の少年がやってきた。
「親子丼と照り焼き丼の! またいらしてくださったんですね。 今朝はナポリタンと生姜焼きなんですけれど……」
今朝の定食の説明を始めるアイオライトと、紳士と少年の会話を聞いたラウルとフィンの顔が引き締まる。
「ラウル、あの二人」
「ジーラン国の訛りがあるな。リコ嬢とカリン嬢を追って来たのか?」
先ほどまでの恋愛相談モードを早々と切り替え、店内に入ってきた男二人を警戒する。
アルタジアにジーランからの観光客が来ることは今までほとんどなかった。
リコとカリンは、アイオライトに会うために国を出てきたわけだが、それ以外でこの国に来る人間は今まではいなかった。
「では、ナポリタンと生姜焼きを一つずついただこう」
目を光らせてはいるが、あの客の真意が全く見えない。
ただ、食事を待っているだけにも見える。商人風に見える紳士は、店内をかなり細かく観察しているように見受けられる。
「承知しました。少々お待ちくださいね」
「アイオライト、ごちそうさま。お代ここにおいておくぞ」
「ヨハンさん、ありがとうございます。またお待ちしてます」
食べ終わったヨハンがレジの横に代金を置き、店を出て、アイオライトが厨房に入るのを見て、ラウルも一緒に厨房に向かう。
「アイオライト、あの二人には気を付けた方がいい。ジーランの人間のようだ。リコ嬢とカリン嬢を追いかけてきたのかもしれない」
ラウルがそう告げると、アイオライトは目を丸くしてラウルの脇をすり抜け、先ほどの二人の座っている席に向かっていってしまった。
慌ててラウルも追いかけるが、時すでに遅し、穏やかにだが、アイオライトがその口を開いた。
「あの、お二人はジーラン国からいらしたのですか? 誰かを探しに……」
アイオライトに害がないよう、ラウルもその横に立って話を聞く。
「ジーランの人間はこのアルタジアではやはり警戒されますね。交流がほとんどありませんから致し方ないことではありますが……」
灰色の髪の少年が残念そうに声を出す。思ったよりも大人なのか、口調が丁寧で穏やかだ。
髭の紳士も丁寧な口調でアイオライトに話しかける。
「警戒させてしまっていたようなら申し訳ない。しかし危害を加えたりしないと誓おう」
話を聞くと、二人はジーランと国交のある国の旅人から、金の林檎亭の食事について聞き、食べたことがないメニューを求めて二人ではるばるアルタジアまで来たとのことである。
髭の紳士はジーランでいくつもの食事処を経営するオーナーで、ニエル・デル・リグロと名乗り、少年はユーリ・デル・リグロと名乗った。少し似ていると思ったらやはり親子であった。
「この店の食事はとても美味しい。先日食べた親子丼と照り焼き丼を食べただけでこの店の虜になってしまったよ。時間が空いてしまったのはジーランの人間だと知られたら警戒されると思ったからで、少し時間を空いて来店すれば、顔も忘れてくれると思ったのですがね」
「いえ、忘れてしまう方もいらっしゃいます。顔を覚えているのも全員と言うわけではありませんし……」
アイオライトも褒められて悪い気はしないが、謙遜してしまう。
「それで、あなたたちの目的は何ですか?」
害はなさそうには見えるが、念には念を入れて、ラウルはアイオライトを自分の背に隠すように立って二人に問う。
「弟子入り、とまでは言いませんが、あなたの作る食事のレシピをお教え願いたい。旅人に聞いたところによると聞いたことのないメニューが沢山あると聞いた。不躾なお願いをしているのは重々承知しておりますがお願いできますでしょうか。報酬は出来る限りのことはさせてもらいます」
ニエルとユーリが、アイオライトに深々と頭を下げる。
リコとカリンを追ってきた人ではないとわかったアイオライトは、急に力が抜けたのか床にへたり込んだ。
「よかった……。リコとカリンを連れていっちゃう人じゃなかった」
「よかったね。アイオライト」
まだ二人には警戒はしつつ、へたり込むアイオライトの頬をラウルが撫でると、安心感が増したのか目が潤み始めてしまった。
「朝からすみません。ちょっと安心しすぎちゃって、涙腺が緩んでしまいました」
ラウルはさらにアイオライトの目尻の涙を親指で拭い頭を撫でてると、アイオライトがへにゃりと笑う。
その主の様子を傍から見て、フィンは先ほどの会話を思い出し呆れてしまう。好きならほんと求婚通り越して婚約を願い出ればいいのにと。
「その……仲睦まじいお二人の時間を邪魔してしまい大変申し訳ありませんが、私たちのお願いは受け入れてもらえるのでしょうか……」
いいタイミングでニエルが声を発した。
フィンの笑い声が聞こえる。
ラウルは無視を決め込んだが、アイオライトは笑顔で答えた。
「沢山と言うほどメニューはありませんけど、うちみたいなただの食事処のご飯でよろしければ、構いませんよ。門外不出のレシピ以外なら」
「おぉ、ありがたい。教えて貰える時間はどうしましょうか」
「明日のお昼はどうですか? うちは明日の午後お休みなので。あと、もしよければうちの二階が空いていますのでよかったら今晩お泊り頂いても大丈夫ですよ?」
善意でアイオライトが金の林檎亭の二階に泊まることを勧めるが、全力でユーリが断りを入れる。
「いえ、教えていただくのに、部屋までお借りするわけには……宿の滞在日もまだありまして……」
ひきつった顔でひたすら断りを入れる。
何故なら、アイオライトの後ろでニエルとユーリを見るラウルの目があまりにも怖かったからである。
フィンは全身全霊をかけて笑いをこらえている。
「そうですか。では明日のお昼に、店の入り口は開けておきますね」
「心配だな。明日は俺も同席するけれどいい?」
「? いいですよ? ラウルさんがいらっしゃるなら明日のお昼はナポリタンご用意しておきますね。あ! 先ほど頂いた注文、まだ作っていませんでした……。遅くなってしまいましたがすぐお持ちします」
パタパタと機嫌よく厨房に走っていくアイオライトの背中を見送る。
「あの、ラウルさんとおっしゃいましたか。あなたは、店主の?」
「友人です」
「えっと……」
「友人です」
苦々しい顔をしながら友人だと伝えるラウルを見ながら、面識も何もないフィンにニエルとユーリがこれはどういう事なのかと目で訴えている。
「あぁ、うちの主、奥手すぎて。もうしばらくしたら店主のアイオライトに求婚予定ですから」
「そうでしたか。そりゃ想いを寄せる女性の家に知らない男が泊まるのは嫌ですよね。店主もラウルさんのこと好きそうでしたし。上手く行くと良いですね」
「え? ほんとに、そう思う?」
ユーリが客観的にアイオライトがラウルに好意を寄せているように見える、と伝えると急に詰め寄り問い詰める。
「え? えっと、はい」
そっか、そっかと一人頷きながら席に戻るラウル。
「あんなに格好いい人でも、好きな人の前では形無しだ」
ぽつりとユーリが発した言葉が、フィンに聞こえた。
「おはようございます。金の林檎亭へようこそ! ヨハンさん、今日はナポリタンありますよ?」
常連のヨハンが、今日の朝一番の客のようだ。
「おはよう。そうか、そうなると上には何を乗せるか迷うな」
「ハンバーグ、目玉焼き、今日はクリームコロッケもいけます」
常連のヨハンはナポリタン信者である。さらにそのナポリタンにさらに一品オンする。
ヨハンがひとつ唸ってクリームコロッケを選択した。
「はい、ではお水を後でお持ちしますね」
パタパタと厨房に入りナポリタンとクリームコロッケを準備する。
コーンのシンプルなクリームコロッケだが、そのシンプルさが美味しいと、大人に人気のメニューでもある。
パスタをたっぷりのお湯で茹で始める。
コロッケのカラカラと揚がる音も小気味よい。
カラン、カラン、と再度ドアベルの音が聞こえた。
揚げ物もしているのでホールには出ることは出来ないが声をかけることは忘れない。
「いらしゃいませ! あとでお伺いしますのでお好きな席でお待ちください」
厨房から店内の客に声をかけると、ひょこっとラウルが顔を出した。
「おはよう。アイオライト」
「あ! おはようございます。ラウルさん」
「お茶、貰っていくね」
「いつもありがとうございます」
慣れた手つきで冷蔵庫を開けて冷えたお茶をコップに注ぐ。
「そう言えば、この前のバーベキューの後残った食材を王城に持って帰って食べたんだけれど、やっぱりアイオライトが焼いてくれたのが一番おいしかったよ」
「味付けは同じですよ?」
「そう、味付けは一緒なんだけれどさ。不思議だね」
そう言って、振り向きラウルはその瞳にアイオライトだけを映して微笑んだ。
「ふぁぁ!(今朝もカッコイイし、なんか神々しい!)」
「ん?」
ラウルのあまりにも完璧な王子様の微笑みにノックアウトされるアイオライトだが、自分だけがその笑みを一身に受けているという自覚はない。
そして眼福眼福、とは思いながら、不意の攻撃ではその素敵な笑顔を脳内に刻めないのでやめて欲しいとも思っている。予告して振り向くのもおかしな話なので、お願いすることは出来ないが。
「なんでもないです。あの、今朝はナポリタンですよ。目玉焼きを乗せますか?」
「どうしようっかな」
カラカラと綺麗に揚がったコロッケを油から出して、油切りをしながらナポリタンの仕上げに入る。
「ヨハンのかな。今日はコロッケ乗せるのか……。さすがだ、やるな……」
コロッケを乗せることを何故か褒めて出来上がりを待っている。
「ヨハンさんも、ラウルさんに負けないぐらいナポリタン好きですものね」
ラウルはオムライスとナポリタンが大好きで、自分だけの専用メニューを持っている。
大人様ランチ。
ラウルの特別大人様ランチは、空か天の日の夜の予約限定メニューである。
「コロッケをスペシャルメニューに追加するのもいいかな。注文は後で席でするよ」
ラウルはそう言って、アイオライトの頭を優しく撫で、厨房からするりと出ていく。
前にラウルは弟が欲しいと言っていたし、友達なのだからじゃれ合いのつもりなのかもしれないが、撫でられるとやたらと嬉しくて仕方ない。
推しとの距離が近くなって浮かれてしまっているわけだが、これから式典もあるし、ちゃんと気を引き締めていこうと心に誓うアイオライトであった。
「ヨハンさん、お待たせしました。ごゆっくり」
ヨハンの前にナポリタンのコロッケのせを丁寧に置き、ラウルの元に注文を聞きに向かうと、今日は一緒にフィンが来ているのが目に入った。
「おはようございます。フィンさん」
「おはよう。アイオライト嬢。今日はナポリタンとやらがあるんだって?」
「はい、A定食がナポリタンで、B定食は豚の生姜焼きですよ」
「え? B定は生姜焼きなんだ。俺迷うな~。生姜焼きも旨いんだよね」
うんうん唸りながらラウルが最終的に決めたのは、
「じゃぁ、今朝は生姜焼きする。フィンは?」
「俺はナポリタンにしよう」
「フィンのナポリタンに、目玉焼き乗せてあげて」
「わかりました。では少々お待ちください」
パタパタと厨房に入っていく後姿を、愛おしそうに見つめるラウルに、小声でフィンが声をかける。
「そう言えばさ、いつアイオライトに求婚するの?」
「求婚って、何言ってんだよ。まだ友達だって言ってるだろ? まずは告白してから……」
「まずはって、ドレスを贈るって言ったんだろ?」
「それは、うん、そうなんだけど、でもそれは気兼ねなく舞踏会に出席して欲しかったからで……」
この国で貴族の未婚の男性が女性にドレスを贈るという事は、意中の女性に自分の好意を受け取って欲しいという事だ。ぐずぐずと理由を付けてはいるが、ラウルはそのつもりでアイオライトにドレスを贈る。
さらに昔から貴族間の結婚式の前に、二人だけで小指を絡めて永遠の愛を誓うという儀式がある。
幌馬車の中で、約束です、と二人で小指を絡めたことをつい思い出す。
アイオライトのことが好きだと自覚してはいるのだが、一歩が踏み出せない今のラウルにとって特別すぎる約束だ。
しかしアイオライトはどちらの意味も、おそらく知らない。
だから、もう少し距離を詰めてからお付き合いを重ねて……と持論を頭の中で展開していると、フィンの言葉の攻撃がラウルを刺しにかかる。
「式典と舞踏会で彼女が注目されないと思ってんのか? さらにヴィンス様とジョゼット様の娘。名だたる貴族が彼女に求婚するだろうよ」
事前に調べて分かったことだが、アイオライトの両親は冒険者だ。
名の知れた、と聞いていたのだが、それどころではない。ラウル自身も何度も指南してもらっている、アルタジア屈指の最高位冒険者だ。
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「う、うん」
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「ラウル、あの二人」
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リコとカリンは、アイオライトに会うために国を出てきたわけだが、それ以外でこの国に来る人間は今まではいなかった。
「では、ナポリタンと生姜焼きを一つずついただこう」
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ただ、食事を待っているだけにも見える。商人風に見える紳士は、店内をかなり細かく観察しているように見受けられる。
「承知しました。少々お待ちくださいね」
「アイオライト、ごちそうさま。お代ここにおいておくぞ」
「ヨハンさん、ありがとうございます。またお待ちしてます」
食べ終わったヨハンがレジの横に代金を置き、店を出て、アイオライトが厨房に入るのを見て、ラウルも一緒に厨房に向かう。
「アイオライト、あの二人には気を付けた方がいい。ジーランの人間のようだ。リコ嬢とカリン嬢を追いかけてきたのかもしれない」
ラウルがそう告げると、アイオライトは目を丸くしてラウルの脇をすり抜け、先ほどの二人の座っている席に向かっていってしまった。
慌ててラウルも追いかけるが、時すでに遅し、穏やかにだが、アイオライトがその口を開いた。
「あの、お二人はジーラン国からいらしたのですか? 誰かを探しに……」
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灰色の髪の少年が残念そうに声を出す。思ったよりも大人なのか、口調が丁寧で穏やかだ。
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「警戒させてしまっていたようなら申し訳ない。しかし危害を加えたりしないと誓おう」
話を聞くと、二人はジーランと国交のある国の旅人から、金の林檎亭の食事について聞き、食べたことがないメニューを求めて二人ではるばるアルタジアまで来たとのことである。
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アイオライトも褒められて悪い気はしないが、謙遜してしまう。
「それで、あなたたちの目的は何ですか?」
害はなさそうには見えるが、念には念を入れて、ラウルはアイオライトを自分の背に隠すように立って二人に問う。
「弟子入り、とまでは言いませんが、あなたの作る食事のレシピをお教え願いたい。旅人に聞いたところによると聞いたことのないメニューが沢山あると聞いた。不躾なお願いをしているのは重々承知しておりますがお願いできますでしょうか。報酬は出来る限りのことはさせてもらいます」
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まだ二人には警戒はしつつ、へたり込むアイオライトの頬をラウルが撫でると、安心感が増したのか目が潤み始めてしまった。
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ラウルはさらにアイオライトの目尻の涙を親指で拭い頭を撫でてると、アイオライトがへにゃりと笑う。
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「その……仲睦まじいお二人の時間を邪魔してしまい大変申し訳ありませんが、私たちのお願いは受け入れてもらえるのでしょうか……」
いいタイミングでニエルが声を発した。
フィンの笑い声が聞こえる。
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「おぉ、ありがたい。教えて貰える時間はどうしましょうか」
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善意でアイオライトが金の林檎亭の二階に泊まることを勧めるが、全力でユーリが断りを入れる。
「いえ、教えていただくのに、部屋までお借りするわけには……宿の滞在日もまだありまして……」
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何故なら、アイオライトの後ろでニエルとユーリを見るラウルの目があまりにも怖かったからである。
フィンは全身全霊をかけて笑いをこらえている。
「そうですか。では明日のお昼に、店の入り口は開けておきますね」
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「? いいですよ? ラウルさんがいらっしゃるなら明日のお昼はナポリタンご用意しておきますね。あ! 先ほど頂いた注文、まだ作っていませんでした……。遅くなってしまいましたがすぐお持ちします」
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「友人です」
「えっと……」
「友人です」
苦々しい顔をしながら友人だと伝えるラウルを見ながら、面識も何もないフィンにニエルとユーリがこれはどういう事なのかと目で訴えている。
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「え? ほんとに、そう思う?」
ユーリが客観的にアイオライトがラウルに好意を寄せているように見える、と伝えると急に詰め寄り問い詰める。
「え? えっと、はい」
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竜獣人の美少年に溺愛されるちょっと不運な女の子のお話。
*魔獣、獣人、魔法など、何でもありの世界です。
*お気に入り登録、しおり等、ありがとうございます。
*本編は完結しています。
番外編は不定期になります。
次話を投稿する迄、完結設定にさせていただきます。
竜帝と番ではない妃
ひとみん
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ほのぼの日常系なお話です。設定ゆるゆるですので、許せる方のみどうぞ!
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