建築家

闇之一夜

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 彼は消えた。
 音もなく、風のように消えた。

 家族がそれに気づいたのは、やはりタクシーの件の翌日、深夜になってからだった。今夜連絡がなかったら警察に電話しようと決め、やはり翌日の夜になっても帰ってくるどころかなんの音沙汰もないので、兄が交番へ行って事情を話した。弟は仕事で遅くなるので、帰りの早かった彼の出番だった。
 いまや家庭内はギスギスしておらず、警察へは彼が自分から進んで「行こう」と言った。

 長い年月、川底に溜まりに溜まった黒い汚泥、あるいは水周りの一部についた、もう決して落ちそうにない粘った油汚れのようだった、あのしつこい不快感、罪悪感に似た重苦しい空気は、いつの間にかこの家から、ゆるんで溶け切ったようになくなっていた。
 次男は家族で小さなテーブルを囲うたび、かつてないほどの安堵感に驚いた。父、兄、母から発せられていた極度の緊張、違和感。それらが蒸発したように消え、ただ歳を取った連中が互いの寂しい身を寄せる、つましい姿がそこにあった。

 今までは自分だって緊張していたし、父にも兄にもいろいろ酷いことは言った。向こうからだって言われた(父は口ではほとんど言わなかったし、態度にもろくに出なかったが、それでも怒ると周りの気候が一気に寒冷へ切り替わったように急変し、氷のように口を閉ざし続け、それはそれで恐ろしかった)。
 別にそのことを互いに謝って和解したわけではない。その必要はなかった。

 彼らはみんな、「人間は互いに嫌いあってあたりまえ」という育ち方をしていた。普通なら逃げ出すようなストレスにも、互いに毒づくことでなんとか耐え忍び、しかし心の奥では、よその家庭は絶対にもっと穏やかに上手くやっているはずだ、と悔やんでいた。

 母は飲んでよく「私は最底辺を歩いてんだよ」と喚いた。凄まじいコンプレックスと上昇志向、挫折感が彼女を病気にして潰した。父が嘘ばかりつくようになったのも、そこに合わせたのかもしれない。
 いや、もともとみんなが自分を駄目だと否定していた。こんな家庭でよく何十年も持ってきたな、と今では感心すらする。


 みんな生い立ちが不幸だった。薄っぺらな親の愛を杖がわりにして、なんとか歩いてきた。そんな不幸が不幸を呼び、集まって不幸な家族になる。絶対に間違っているとみんなが思いながら、諦めてそのまま進むしかなかった。
「なるようにしかならんよ」も母の口癖だった。そのとおりに体を壊し、それを防ぐ力は誰にもなかった。病気が悪化しないようにと、最低限、助けることしか出来ない。

 しかし医者は「長くない」と言ったのだ。本人は知らないはずだが、どこかで分かっているかもしれない。今の彼女のかつてない穏やかさは、そこから来ているとしか思えない。
 死ぬことで、やっと楽になる。
 これ以上の皮肉があったら誰か教えてくれ。
 そう思った。





 彼は夜の街を捨て犬のようにうろついた。
 宝石のごとくきらめく窓の明かりを、ずらりと並べて着飾る美しい都庁を見上げたり、向こう側へ緩やかにカーブする変わったラインの壁を持つマンションを街道から見つめた。どれも自分が建てたと思い込み、女房に自慢していた恥ずかしいものたちだが、今では見ても鬱にならず、多少の寂しさを感じるくらいであった。

 車道の真ん中を歩いても、行きかう車はみな彼をすり抜けていく。歩道でわざと警官にぶつかっても手ごたえなく通り抜けるだけで、誰も彼を気にするものはない。彼はいないからだ。

(そういえば)

 以前、警官に目をつけられて職質を受け、散々嫌な思いをしたことを思い出した。たぶん顔つきも悪かったし、そもそも現実と乖離した者など常に不満を抱えてイラついており、見た目が怪しいことこの上ないはずだった。だが自分では明るく穏やかで平和そのものの、絵に描いたような善良市民の顔をしていると思い込んでいたから、公安に疑われる自体が理不尽きわまりなかった。
 もっとも、相手も様子がおかしかった。昔からそうである。

 似たもの同志が縁により、寄ってくる。縁が最も恐ろしい。人同志の縁が全てを決める。人生、生き方、快不快、喜び悲しみ、あらゆるものが縁により決定され、個人がどう思おうが関係ない。その人を決定するのは縁である。
 どんなに温かい心を持っていても、冷血な人種とのみ縁が出来れば、やがては同じ蛇のような人間になり、人を噛む。あとは害獣のように駆除されて終わりだ。
 その警官も、毒蛇のような邪悪な顔をし、彼をにらみつけてきた。

 もともとおかしかった。
 確かそのときは、どこかの駐車場に入って缶ビールを飲んでいた。広いし車もないし誰の邪魔にもならないと判断し、そこに立ち入った。誰でもすることだ、と当時は思った(のちに、そんなことは全くなく、広かろうが、いっけん道路と区別がつかない場所――たとえば駐車場みたいな場所――であろうと、そこが他人の敷地なら、不用意に立ち入る者など、世間にはほとんどいない、と知った)。

 そこにいきなりパトカーが入ってきた。横着けにして出てきた巡査は、彼と同じように満たされない暗い顔をしていた。いつものことで、満たされない人生を歩む者同士に縁が出来たのだ。縁が二人を引き寄せた。でなければ、こうも折りよく同時刻に通りかかるわけがない。

「ここは、あなたの所有地ですか」などと、抜け作なことを聞いた。彼は不快だったが酔ってもいたし、質問に比較的気持ちよく答えた。結局なにをしていたわけでもないと知ると、住所と名前を聞いて無線で照らし合わせ、特に何を注意するでもなく去っていった。いつもそうだが、顔つきなどは不幸な人生を歩んでいそうに見えても、実態はおそらく彼ほどではない。

 いつも縁で対峙する相手は、見た目がおかしくはあっても仕事や生活が成り立っている者ばかりで、彼ほどに重大な問題を抱え、しかもそれをなんとかせずに保持したまま年老いている者はいなかった(と彼は決め付けていた)。
 誰でも何か悪いこと、間違ったことをすると、まずは人のせいにする(そして、あとで反省する)。しかし、彼はまず自分が悪いと思った。自分が悪いから悪い奴が寄ってくるのだ、と。

 子供の頃、いじめっ子がなぜ自分にばかり寄って来て、よその子には行かないのか、と悩んだ。考えに考えて出た結論は、自分に原因があり、そういうろくでなしを引き寄せるなんらかの要因があるから、こっちへやって来るのだ、という、いい子ぶったものだった。

 隣の机のこの子や、なんとか委員の誰それとは普通に会話して決して手を出さないのは、彼らにそのような要因がないから、自分に対して現わすような暴力性を発揮しないのわけである。つまり、原因は自分である。もしいじめっ子のほうに原因があるなら、ほかの誰かにも手を出すはずだ。

 しかし、そういういじめられっ子は、クラスに自分しかいなかった。ただ自分一人だけが毎日蹴られたり罵られ、小学一年のころには、教室のみんなの前でパンツを脱がされたりして、笑いものになっていた。全て自分のせいだった。自分の中の陰気で暗い感情が、同じように暗く陰気だが、自分よりずっと強く、恵まれた者たちを磁石のように引き寄せたのだ。そう信じた。

 この「引き寄せ」のことを「縁」というと、のちに知った。この頃から彼はどこかで分かっていた。この世のすべてが、この忌々しい「縁」というシステムにより動いていると。良い人間と「縁」が出来なければ、全ては終わりなのである。

 しかし、彼の陰気さの原因は、幼児期に早くも起きていた現実逃避による現実との乖離による不快さで、それが同じ陰気ないじめっ子たちを引き寄せたわけだから、縁とは違うのでは、と言うかもしれない。

 だが、そもそも彼が立派で頼りになる自分を妄想し、心の安定を図るようになった原因は、母親の過剰な期待にあったので、そういう母親でなければ現実から逃げる必要もなく、いじめにもあわずに済んだはずであり、やはり、そのような母の元に生まれたという「縁」が元凶である、と言わざるをえなかった。

 だが、そもそもよその母親の元に生まれたら、それは彼ではなくなってしまうので、今さらその母との縁をどうこう言っても、せん無きことだ。ただ、ロクデナシからロクデナシの遺伝を持った子が生まれ、ロクデナシ教育を受けてロクデナシに育ち、他のロクデナシたちと次々に縁が出来ては切れた……という、冷徹な事実があるのみである。

*(作者注)この彼の「引き寄せ」=「縁」であり、運命とイコールで、自力ではどうにもならないもの、という考えは実は間違っており、縁や運を自ら引き寄せる方法というのも存在する。彼は縁というものを「遺伝」や「血筋」のような固定不動のものと思い込んでおり、それが「どうせ全ては最初から決まっている」「だから変えようとしても無駄である」という、極端にネガティブな思考につながっている。
 また、いじめなどの悪い経験をしたときに「自分が引き寄せた」と考えると、全てを自分のせいにしてしまい、鬱状態におちいる。彼は子供のころ、最悪の行動をしていたわけである。




 存在しなくなった今、彼は見慣れた街で、そのようなロクデナシを見かけなかった。以前はよく目つきや顔つきが悪い奴に絡まれたのに、いまや向こうから歩いてくる者は誰もが穏やかで、心にゆとりのあるいい人たちに見えた。たった今すり抜けた警官も、健康的な引き締まった口元をした若者だった。姿が消えてしまうと、縁も消えるのかもしれない。
 今の自分の家族だって、不幸もいいところの連中である。だから一緒になった。自分が消えて縁も消えれば、もう会うこともないのだろう。

(だが)と彼は思った。(本当に俺の家族は、あの警官やいじめっ子たちのようなロクデナシだったのだろうか?)

 自分が妄想だらけの嘘つきの人間のクズで、俺を生み育てた親と一緒に育った兄弟、そして今の女房、子供たちもそうで、だからこそ、今までは同じような悪人ばかりが俺の元に寄って来たのだろうか。

 以前はそう思い、俺の人生は最初から完全に終わっていたのだ、と絶望していたが、今は体がなくなったせいか、もう少し穏やかに、自分と周りを距離を置いて見れるようになってきている。

 そこで家族のいいところや、良かった思い出を探そうとして、気づいた。
 驚いた。
 なにも出てこない。

 ――そうか! ついに心も消えだしたか!

 口もないのに苦笑した。


 街をうろついたと言ったが、足はないので歩いたわけではなく、宙を気体のように滑って移動していた。まさに幽霊である。肉体の感覚がないので、夢の中にいるようというか、それらの存在を全く感じないほどに手足を完全に固定され、小さな乗り物に乗って浮いている感じだった。
 記憶が減ってきても、慌てることはなかった。慌てるとか、痛い苦しいとかの感情も徐々になくなっているようだった。こんなに安らかな死も珍しいんじゃなかろうか。

 人の死は事故などの特殊なものを除けば、だいたい高齢による肉体の衰えからくる病原菌の感染、病死、というのが一般的で、昔とちがい、老衰死はほとんどないそうだから、死には苦痛が伴うのが普通だろう。だが自分の場合は、それが全くないようだ。
 といっても、まだ分からない。いよいよ完全に消えるとき、身を引き裂かれるような激痛とか、なにか恐ろしい状態に陥る可能性はある。

 だが、今はまるでそんな感じはしない。人生の全てが失敗で、誰といても苦痛、生きることイコール不快だったので、最後だけはいい思いをさせてやろう、という神様のお慈悲なのかもしれない。




 だが、いいこともあるにはあったのだ。
 生まれたばかりの子供たちの世話は、目が回るほどの緊張と不安だらけの日々だったが、なんだかんだ言って、寝ているわが子が可愛くみえることも多々あったし、世の父親のように、子供が成長していく過程を間近で見る喜びも味わえた。
 しかし、手が掛からなくなれば、それも終わりである。

 また子供特有の残酷さは、彼を無数に傷つけた。
「ここもパパが建てたおうちなの?」
 三歳の長男に聞かれて、心臓が止まる思いをしたが、顔を引きつらせてなんとか答えた。
「ちがうよ」
「でもパパ、おうち建てる人なんでしょ?」

 子供にその手の話は絶対にしなかったが、女房に口止めしていたわけではなかったので、話してしまったのか、と一気に気持ちが沈んだ。結局は誰から聞いたわけでもなく、たんに夫婦が話している声が脇から聞こえたのだった。布団を被って眠っているとばかり思っていたが、実は聞き耳を立てていたのである。

 子供に腹は立ったが、叱る気力もなかった。いつもの、自分が汚物以下に一気に成り下がるあの感覚、あがく気も起きない暗く深い絶望の沼に落ち込んだ。もちろん、その沼はのちに物心がついた子供たちへ、何倍もの打撃となって返っていった。絶望感、というダメージに。

「うちの親父はおかしいんだ。よそと全然ちがうんだ」
 家庭が崩壊したり、問題が発生したとき、子供なら誰しもが味わう失望、挫折、諦めだが、これは彼らには、あまりに重かった。

 まず、どうも父親が仕事をしていないようだと知る。次に、多少変わっていても普通だと思っていた父親が、本当に変だと決定的に知る。

 夜中に時おり子供たちに隠れて交わされていた不気味な会話。それを聞くたび、彼らは部屋に赤や青のレースを引いて香をたき、蝶や星型などの悪魔的で毒々しい色彩の柄をちりばめた皮の着物を着て、何語だか分からない怪しげな呪文を唱える邪悪な宗教儀式のように感じて、寒気を覚えた。それは傲慢や恥知らずという点で、美しい世界への背徳と、人間への冒涜に満ちた、恐ろしいものだった。

 ――あの○○ビルも、実は僕の作なんだけどね。
 ――あら、そうなの。知らなかった。

 長男が中学にあがった頃だった。あとで調べたが、そのような事実は皆無だった。
 とうとう耐えられなくなり、一人でいるときに、こっそり父の机の引き出しを調べた。色あせ、皺の寄った数枚の設計図があった。どれも、夜のおぞましい会話で聞いたビルやマンションのもので、実際に建てられたそれらは、おのおの全てが違う建築士の作だった。もちろん、実在の。

 これで分かった。
 父は本当にイカれている。ただの無職のロクデナシなのに、自分を本気で有名な建築家だと思い込んで生きているのだ。大嘘つきの偽善者で、それを恥とも思わず妻に話している最低の変態野郎なのだ。そして悲惨なことに、自分はそんな変態の息子なのだ。長男は父の遺伝を受け継ぎ、顔つきや体格、その神経質な性格もそっくりだった。

 鏡を見て深く絶望した。
 こんなのが、世の中で上手くやっていけるはずがない。



 母親は夫を収入面では端から見限っており、長男である彼が出世して家庭を支えてくれることを期待した。幼い頃から、食卓でも学校の出掛けにも「お前は私の希望の星だ」としつこくハッパをかけ続けた。だが彼自身は、それはチンケなミミズが大空を鷲のように雄雄しく飛んでいくような、完全にばかげた妄想としか思えなかった。

 また、誰にも言わなかったし気づかれなかったが、寝床や小学校の廊下で、時おり周囲から水圧のような圧力がぐいぐい来て、自分がこのままぺしゃんこに押し潰されるのでは、という恐怖に襲われた。まさにプレッシャーだったのだ。
 このまま正直に生きて潰されるよりは、いっそ父のような嘘つきになって現実から逃げるほうが、よほどマシだと思った。だが母の期待は、彼が父のように人生を諦めることを許さなかった。

 逃げ場がなくなり、彼はふてくされた。家でほとんど話さなくなり、常に暗く沈み、誰とも目もあわさず、母は家庭内暴力の兆候では、と怯えた。夫に相談しようにも、彼は元々ふてくされて沈んでいて会話が成立せず、せいぜい八つ当たりのダーツの的にしかならなかった。
 だが長男は結局、暴力ではなく、父と同じ逃げ方をした。

(サラリーマンにはなれない、なぜなら俺は芸術家だからだ)
(俺には作家の才能がある。だからベストセラーを書いて一山あてる)
(それしか俺の生きる道はないのだ!)

 小説など全く好きではなかったし、本も読まなかった。だが、「本当は作家、だから普通の仕事が出来なくて当然」という論理を用いて己の人生の挫折を隠蔽した。
 やっていることは父と同じではあったが、俺は完全にはそうではない、という自負があった。
(あいつには自分がおかしいという自覚がないが、俺にはある。だから、奴とはちがう。俺は自分が新人賞を取っただの、どこぞの出版社から本が出ている、だのと人に話しはしない。だから、あんなのとはちがう)
 幼児期から繰り返し見てきた異様な邪教の儀式のような光景が、彼の父のイメージに深く焼きついていた。
 その嫌悪感は、父が五十になって変わるまで続いた。



 母の酒の量が増えてきた頃、このままでは一家全滅するだけだと思った次男は、工業高校を出てパソコンの会社に入った。家族では彼が一番マシだった。なにより、自分が何を好きで、何を嫌いかが分からなくなるほどには、ゆがんでいなかった。機械いじりが好きで、家のエアコンなどの電気製品が壊れると、まずは自分で直そうとした。本当に直してしまったことも何度かあった。

 次男は自分が何を好きか分かっていたのみならず、それは金を生むものだった。それが幸いし、会社では順調に出世して三十代後半には課長クラスになり、月に三十万は持ち帰る身分になった。

 彼は家族で最も普通だったにもかかわらず、恋愛も結婚も諦めていた。自分がよそで家庭を作って出て行くことは、イコール家族の破滅だった。だが次男は、家族で最も誠実で正直者でもあったので、もし本当に好きな女が出来れば、家族を捨ててでもそっちへ行ったかもしれない。しかし縁がなかった。

 会社に若い女がいなかったわけではない。ただアニメオタクで、どちらかというと絵の女のほうが現実のより好きだったこともあり、人生で交わる全ての女性たちと、ろくに会話もないまま疎遠になっていった。




(そうだ、よいことといえば)
 彼は多摩湖線の狭い高架の下を抜け、見慣れた団地の敷地に入った。小さな公園があり、こじんまりした時計塔が立っている。闇に沈む園内に白くぼうっと浮かぶ丸い時計の針は、八時すぎをさしていた。
 彼は頭を奮い起こし、減りつつあるストックの中から、ある記憶を引き出そうとしていた。

(よいことといえば、○○の教えてくれたアニメとフィギュアが可愛かったぐらいだ。いや待て、ほかにも何か……)

 唐突に、くすんだ黄土色の表紙をした文庫本のイメージが浮かんだ。薄いベージュの背表紙には、明朝体で上にやや小さく「志賀直哉」と作者名があり、その下に「小僧の神様 ほか五編」と題名が大きく書いてある。そうだ、若い頃、高校生のときに読んでいたものがあった。
 小説だ。

 しかし心身の乖離による不健康でいつもふらふらだったため、ちょっとの気温の変化などで何かと頭痛に襲われ、文字を読むなど、とても出来ない状態になることが多かった。しかし、勉強していないとすぐ怒る母親の目を盗んで出来る娯楽といえば、本しかなかった。だがどんなに面白くても、前述の病気でたちまち読むのがしんどくなった。

 けっきょく文学の志賀直哉しか読めなかったが、好きだったわけではなく、たんに文章の完成度がきわめて高く名文だったので、彼のような頭痛持ちでも、なんとか読み通せたのだった。


 志賀直哉の私小説的な作品では、よく主人公の性格が悪くて嫌いだという人がいるが、彼は文体に目を通していただけだったので、キャラクターのことはまるで気にしなかった。たとえ話がつまらなかろうが、人物にまったく共感できなかろうが、ただ文章だけを味わうというやり方は、読書というより、むしろ音楽鑑賞に近かった。

 だが体感的な音楽とちがい、文章は直接体に染みないため、彼にとっては中毒性が少なく、すぐに飽きてしまった。小説は作者に共感できないと読むのが辛いが、かといって、漱石などは、文が普通すぎて無理だった。少し読むと、別に完璧でもない文体で普通の日常や対人関係をつづる描写が続き、これはまるで自分とは関係ない、と決め付けて閉じてしまった。
 そしてなぜか、その行為には深い失望があった。


「自分のような完全にどうしようもない人間は、せいぜい作家ぐらいにしかなれない」と、どこかで思っていたのかもしれない。体力や、コミニュケーションスキルなどが必要なほかの職業とちがい、字など誰にでも書けるものだから、若い頃にそういう先入観を持つことはよくある。だから、のちに長男が作家になると言い出したときは、ぎょっとした。

 しかしのちに、実は読まずに作家になることは不可能である、と知った。プロになるのは、子供の頃から膨大な読書に明け暮れてきた、読みの専門家たちである。そうして事前に頭にストックしておいた文章や言葉の組み合わせにより、机に向かえば、自然と自分の文章がすらすら出るようになる。なのに自分は、そこそこしか読んでいない。

 それでやめたのだが、早々に諦めて正解だったかは疑問である。
 なぜなら、ものを書くことすら出来なければ、もはや自分に出来ることは、この世で何一つなかったからだ。
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