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Chap.1 X in Unknownland
Chap.1 Sec.2
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「いいか、なるべく痛くしねぇから、じっとしてろよ」
ひとしきり泣いて落ち着いた私に、彼はずっと同じようなセリフを言い聞かせるようにくり返した。
どうも悪意がある感じはしないので、言っている意味は分からないけれど、彼を突き飛ばして逃亡することは、とりあえず見送ろうと思う。私の選択はさておき、彼に悪意があった場合、逃げきれるかどうか怪しいところ。
「治療してやるんだからな。問題ねぇな? 伝わってるよな?」
なにかを何度も確認されている、ような。いっこうに彼の意図は伝わってこないが、従う意向をみせた私に安堵したらしい彼は、自身の腰についたケースのような物に手を伸ばした。
カチリ。硬質な音とともに、ケースの一部が外れ、ふたのように開いた。濡れティシュのような、でもそれよりは厚みのあるガーゼのような、そんな謎の物を取り出して、私の負傷した腕を取る。
「少しは痛ぇだろうけど……我慢しろよ」
彼が小さな声で呟いた気がする。どうやら血を拭いてくれるらしい。その濡れた薄い布が傷に触れたら絶対に痛い気がするのだけれど、文句を言える空気でもないので大人しくしておく。
傷に遠い肘から、くすぐるような感覚で血液が拭きとられていく。傷周辺にさしかかり、もう一度、
「じっとしてろよ」
金色の眼に念を押された。動くなと言われているのだと思う。言葉の代わりに頷いてみせる。
初めて肯定を返した私に、安心したのか気をよくしたのか、彼は口の端を上げた。わずかな、笑顔に、
(最初から、そういう顔をしてくれていたら、怖くなかったのにな……)
とても身勝手な感想が浮かんだ。
そんな私の内心を吹き飛ばすように、傷口にピリピリとした痛みが走った。ぎゅっと眉を寄せて耐える。気を紛らわすためにも彼の顔を観察しようとしたが、ものすごく真剣な顔でこちらを見返されたので、どきりとして息を呑んだ。
「……いてぇか?」
なにか、尋ねられた。けれども思考が停止していて、質問を推測することができない。
私を見つめる、明るい蜂蜜色の綺麗な眼。トクトクと心臓が早鐘を打つ。いちど意識してしまうと、途端に恥ずかしくなって見ていられなくなった。唐突に目をそらして視線を落とした私に、
「あ? なんだよ、その反応は」
彼が不満げな声をあげた気がした。
「俺が悪ぃみてぇじゃねぇか。ったく、治療してやってんのによ。大体な、これくらいの傷で泣くんじゃねぇよ。ガキじゃねぇんだからな」
ため息とともにこぼれる、文句のような早口。明らかに機嫌をそこねた気がする。こっそりと目だけで彼の顔を見たが、もうこちらを見ていない。目つきが鋭くなっていて怖い。
先ほどのケースの一部をパキリとはずして、そのパーツからテープのような半透明のセロファンを引き出し、私の傷にあてがっている。——まさか、それで傷口を塞ぐつもりなのだろうか。テープを絆創膏の代わりにするなんて、そんなざっくりした治療を施されるのだろうか。
「……おい、なんでそんな不安そうな顔すんだよ」
おそらく私の衝撃が伝わったのだと思う。彼が何か反論しはじめた。
「別にこれくらいの傷、治癒フィルムで治るだろ。心配すんなよ。ちゃんと管理してる物だから、衛生的にも問題ねぇよ」
話している内容を頑張って理解しようとしているうちに、ぺたりと貼られた。思っていたよりもなめらかに肌に吸着する。ただのセロファンテープ、というわけではないようだ。
「ほら、終わったぞ。感謝しろよな」
てきぱきとケースを元に戻す彼。
治療は終わったようだ。
『あ……ありがとう、ございます』
感謝の言葉が、伝わったかどうか分からない。でも、ずっと不機嫌そうだった彼が、ふっと鼻を鳴らして笑ったから。
「言ってることは分かんねぇけどよ。そうやって、ちゃんと目を見て話せよな」
陽射しを受けて明るく輝く、黄金色の獣の眼。それがとても綺麗で、体をずっと支配していた緊張感が、少しずつ緩んでいった。
ここはどこなのか。
私は誰なのか。
この身体は本当に私自身なのか。
——なによりも、この世界は、本当に私のいたものなのか。
頭のなかは疑問だらけで、なにひとつ分かってはいない。でも、助けてくれた彼(もしかして、最初から怪我を治そうとしてくれていたのかも?)は、たしかに存在していて、生きている。
いまだに夢を見ているような、曖昧模糊とした感覚ではあるけれど。
——ようやく、現状を受け入れようと思えた。
ひとしきり泣いて落ち着いた私に、彼はずっと同じようなセリフを言い聞かせるようにくり返した。
どうも悪意がある感じはしないので、言っている意味は分からないけれど、彼を突き飛ばして逃亡することは、とりあえず見送ろうと思う。私の選択はさておき、彼に悪意があった場合、逃げきれるかどうか怪しいところ。
「治療してやるんだからな。問題ねぇな? 伝わってるよな?」
なにかを何度も確認されている、ような。いっこうに彼の意図は伝わってこないが、従う意向をみせた私に安堵したらしい彼は、自身の腰についたケースのような物に手を伸ばした。
カチリ。硬質な音とともに、ケースの一部が外れ、ふたのように開いた。濡れティシュのような、でもそれよりは厚みのあるガーゼのような、そんな謎の物を取り出して、私の負傷した腕を取る。
「少しは痛ぇだろうけど……我慢しろよ」
彼が小さな声で呟いた気がする。どうやら血を拭いてくれるらしい。その濡れた薄い布が傷に触れたら絶対に痛い気がするのだけれど、文句を言える空気でもないので大人しくしておく。
傷に遠い肘から、くすぐるような感覚で血液が拭きとられていく。傷周辺にさしかかり、もう一度、
「じっとしてろよ」
金色の眼に念を押された。動くなと言われているのだと思う。言葉の代わりに頷いてみせる。
初めて肯定を返した私に、安心したのか気をよくしたのか、彼は口の端を上げた。わずかな、笑顔に、
(最初から、そういう顔をしてくれていたら、怖くなかったのにな……)
とても身勝手な感想が浮かんだ。
そんな私の内心を吹き飛ばすように、傷口にピリピリとした痛みが走った。ぎゅっと眉を寄せて耐える。気を紛らわすためにも彼の顔を観察しようとしたが、ものすごく真剣な顔でこちらを見返されたので、どきりとして息を呑んだ。
「……いてぇか?」
なにか、尋ねられた。けれども思考が停止していて、質問を推測することができない。
私を見つめる、明るい蜂蜜色の綺麗な眼。トクトクと心臓が早鐘を打つ。いちど意識してしまうと、途端に恥ずかしくなって見ていられなくなった。唐突に目をそらして視線を落とした私に、
「あ? なんだよ、その反応は」
彼が不満げな声をあげた気がした。
「俺が悪ぃみてぇじゃねぇか。ったく、治療してやってんのによ。大体な、これくらいの傷で泣くんじゃねぇよ。ガキじゃねぇんだからな」
ため息とともにこぼれる、文句のような早口。明らかに機嫌をそこねた気がする。こっそりと目だけで彼の顔を見たが、もうこちらを見ていない。目つきが鋭くなっていて怖い。
先ほどのケースの一部をパキリとはずして、そのパーツからテープのような半透明のセロファンを引き出し、私の傷にあてがっている。——まさか、それで傷口を塞ぐつもりなのだろうか。テープを絆創膏の代わりにするなんて、そんなざっくりした治療を施されるのだろうか。
「……おい、なんでそんな不安そうな顔すんだよ」
おそらく私の衝撃が伝わったのだと思う。彼が何か反論しはじめた。
「別にこれくらいの傷、治癒フィルムで治るだろ。心配すんなよ。ちゃんと管理してる物だから、衛生的にも問題ねぇよ」
話している内容を頑張って理解しようとしているうちに、ぺたりと貼られた。思っていたよりもなめらかに肌に吸着する。ただのセロファンテープ、というわけではないようだ。
「ほら、終わったぞ。感謝しろよな」
てきぱきとケースを元に戻す彼。
治療は終わったようだ。
『あ……ありがとう、ございます』
感謝の言葉が、伝わったかどうか分からない。でも、ずっと不機嫌そうだった彼が、ふっと鼻を鳴らして笑ったから。
「言ってることは分かんねぇけどよ。そうやって、ちゃんと目を見て話せよな」
陽射しを受けて明るく輝く、黄金色の獣の眼。それがとても綺麗で、体をずっと支配していた緊張感が、少しずつ緩んでいった。
ここはどこなのか。
私は誰なのか。
この身体は本当に私自身なのか。
——なによりも、この世界は、本当に私のいたものなのか。
頭のなかは疑問だらけで、なにひとつ分かってはいない。でも、助けてくれた彼(もしかして、最初から怪我を治そうとしてくれていたのかも?)は、たしかに存在していて、生きている。
いまだに夢を見ているような、曖昧模糊とした感覚ではあるけれど。
——ようやく、現状を受け入れようと思えた。
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