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Chap.11 致死猫は箱の中
Chap.11 Sec.9
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白いムースは雪のように口のなかで溶けた。その舌触りから連想して、この世界に雪は降るのか——ふと、ささやかなことが気になる。
メルウィンが自信作と呼んだデザートは、角砂糖サイズの菓子がプレートに並んでいて、リボンみたいな上部の装飾がプレゼントボックスに似ていた。味はもちろん美味しい。見た目も可愛くて、飾っておきたくなる出来ばえだった。
ひとつひとつ味わっていたが、向かいの列で同じようにデザートを食べていた彼が立ち上がったので、残りは急いで口に入れた。私を気に留めることなく彼は出て行ってしまい、あわてて追いかける。
今夜の相手が誰か、知っていた。カードゲームで、私(ロキ)の前に負けたのは……
「せとっ」
食堂を右に出て駆け足で向かう。その名を呼ぶと、エレベータの前に止まっていた金の頭が振り返った。開いたドアの奥へ進むことなく、私がたどり着くまで足を止めてくれていたが、表情は微妙だった。怒ってはいない——はず。
「……なんだよ?」
「きょう、じゅんばん……」
「………………」
「……せと、ちがう?」
「いや、違わねぇけど……」
順番がセトであることを肯定したにも拘らず、近くで向き合う飴色の眼は否定的な雰囲気を帯びている。当然のごとくセトについて行くつもりだっただけに、その反応は……
「……わたし、いらない?」
問いかけておきながら、要らないと返答された場合どうしたらいいのか。ロキを頼るのは、昨夜のこと(朝までずっと——ほんとにずっと、続けられた。あまり思い出したくない)を思うと避けたい。廊下の隅で寝てもいいだろうか。カードゲームの部屋は……私でも入れるのか。
今夜の居場所の候補を思い浮かべていると、考えるように黙っていたセトが口を開いた。
「俺が要るっつったら……俺のとこ来るのか?」
「はい」
「………………」
「……?」
「ロキのとこ行きてぇなら……べつに、無理しなくても……」
歯切れの悪い言い方で、目線をそらされる。背後でエレベータのドアが閉じかけ、セトがそれを制するように乗り込んだ。
共に乗っていいか、迷う。
「……わたしが、へやに、いく……せと、こまる?」
「俺がどうこうじゃなくて。……お前が、ロキのとこ行きてぇんじゃねぇの?」
「……いいえ?」
「行きたくねぇのか?」
「? ……せとが、こまらない……なら、わたし……せとに、……おれいを、したい……」
「礼? ……なんの?」
エレベータとの境界線上で、セトは訝しげに目を細めた。
なんの? そう返されるとは思っていなかった。例を挙げようと頭のなかで言葉を整理し、
「……たすけて、くれた。……ようふく、くれた。……〈いくな〉、してくれた。……まもって、くれた……いつも、まもってる……てぃあも、いってた」
振り返ると数多くの恩がある。そのひとつでも返せたら——私の存在も、すこしは意味を成すだろうか。
セトは無表情に近い顔で聞いていた。言葉の内容を脳内で繋げているようにも見えた。私のほうは聞き取れるようになったが、私の話す言葉はそこまで成長していない。伝わったのか分からない。そもそも私の身体がお礼にならない可能性も。……断られたら、カードゲームの部屋で寝てもいいか尋ねよう。そう決めたとき、
「……護ってくれるなら、俺でもいい——っつぅ話か?」
セトの頭でまとまった答えに、胸の中だけで首をかしげた。なにか違うような……。
どうしてだろう、セトと会話するのは難しい。翻訳機を手に入れたのに、あまり効果がない。返す言葉を選べずにいると、「お前の考えが分かんねぇ」吐き出すようにしてセトが呟いた。ずれていた目線が重なる。
「……わたしが、わからない?」
「俺としたくねぇんだろ? なら素直にロキのとこ行けばいいじゃねぇか。やりたくねぇやつと、俺もやる気ねぇよ」
吐き捨てるように言い終えたセリフが、翻訳機によって再構築され、脳裏に響く。理解するまでに時間を要したせいで、廊下の光に染まった飴色の眼を数秒見つめていた。立体映像で見た、幼い笑顔の面影を探してみたが、どこにもなかった。
セトのセリフがきちんと頭に入ってから、ようやく止まっていた思考を動かし、
「……わたしが、せとと、したくない?」
「そうだろ」
「……わたし、どうぞ、いった……よ?」
「あ?」
「……きのうの、きのう? ……わたしを、どうぞ……わたし、いった」
「どうぞ? ……あぁ、なんか言ってたな……?」
「……きのう、あさも。わたし、オソウ……したい、いった……よ?」
言った——だろうか? 弁明したが、思い起こすと判定があやしい。セトに確認されて同意しただけだったかも。……けれども、間違いなく、したくないとは言っていない。サクラの部屋を追い出されてセトに会ってから、むしろ積極的に向き合う覚悟でいた。つもりだ。
記憶を確認したうえで、主張を支えるべく「わたし、したくない、いってない」セトの目を見返した。オレンジの明かりを受けて、珍しくセトの瞳がゆれた。蜂蜜みたいな眼に困惑が見える。
「お前それ……意味わかって言ってるか?」
「はい」
「はいって……いや、俺が勘違いしてんのか? ……あれか? 襲うって別の意味で? トレーニング的な?」
「……?」
「護身術とか? 俺に教えてほしいのか?」
「……いいえ?」
「……襲うってどういう意味か分かってるか?」
「……へやに、いく」
「全然違うじゃねぇか!」
「……べっどに、いく?」
「あぁ……それなら、まあ」
「……いっしょに、ねる?」
「近い……けど……なんつぅか……」
セトが口の中で何か言っているが、翻訳機が反応しない。なぜセトが戸惑っているか分からない。私は好みでないけれど、私がしつこいから、相手してやらなくもない? と思っている? ……それは恩を返すことになるのか。
「……せと、」
「……ん?」
「せとは、わたしが……きらい?」
「はっ? そんなこと言ってねぇだろ」
「……オソウは、したくない?」
「やめろ……その質問、なんて答えたらいいか分かんねぇ……」
「……わたしが、なめる?」
「は?」
「……なんでも、ない」
どちらともなく言葉を失って黙りこむ。ふと、背後の方で誰かの気配がした。振り返ると、ハオロンが食堂のドアから出て反対側のルートへ向かうようすだったが、くるりとこちらに首を回し、まだ居たの? とでも言いたげな顔をした。
「どぉしたんや~?」
「なんでもねぇよ!」
離れた場所から届いたハオロンの声。それに素早く返したセトが、私の腕を掴んで引いた。エレベータの境界線を越えて、中に。次いでドアも閉まった。
「………………」
「………………」
沈黙が続くかと思ったが、エレベータが滑り出すと同時にセトが口を開き、
「さっきの、全部……今夜は、ロキじゃなくて俺がいいって……受け取るぞ。……否定するなら、今しろ」
「(ロキ?)……わたし、せとと……いっしょに、ねる? ……いい?」
「……もう知らねぇ。あとで文句言うなよ」
「……わたし、もんく、いわない。やくそく、する」
「ほんとかよ……泣いても知らねぇからな」
「……わたしが、なく?」
「お前が泣こうが何言おうが、もう知らねぇ」
「……いたい、は……こまる……」
「そういう話じゃねぇよ……」
横で大きなため息をつくセトが、自身の前髪をくしゃりと触って後ろに流した。横顔を眺めていると、視線に耐えかねたようにしてセトはこちらに横目を向け、
「お前……今日、よく喋るな?」
「……しゃべる、だめ?」
「いや、喋ってるほうが分かりやすい。……つか、俺の言ってることも……けっこう伝わってんのか? さっきから会話できてるよな?」
停止したエレベータのドアが開いた。先に進むセトの背を追いながら、「わたし、わかる……これ、」耳を指さしたがセトは気づいていない。そして、速い。ここだけ開けた空間になる、黒と白の斜め市松模様のフロアをスルスルと進んで行く。サクラのコンパスが長いのとは違って、セトは単にスピードが速い。私を置いて行きたいのかと思うほどの速度に、取り残されないよう早足に進み——もうひとつのエレベータがある角を曲がった先で、どんっと硬い身体にぶつかった。セトの部屋よりも手前。こんな中途半端な所で急に立ち止まるとは思わなかった。
「ごめんなさい……」謝りつつ距離を取る。セトの反応がなく、不思議に思っていると、その大きな背の向こうから「ウサちゃん、見っけ」聞きなじみのある軽い声が。
「……ろき?」
セトの背からのぞくと、ビカビカとした水色が目に入った。その上で、にやっと曲がる唇が……怖い。邪気のある笑顔をしている。セトの顔もそっと見てみたが、不愉快そうにロキを見返していた。かつて演奏を共にしていた仲間とは思えないくらい、ピリッとした空気が走っている。
「なんの用だよ……」
迷惑そうに眉を寄せるセトに、笑ったままのロキが、距離を詰め、
「ウサギさ、今夜オレにくれねェ?」
「は? 今夜は俺の番だろ」
「てめェは、やらねェって聞いたけど? ならウサギも必要ねェじゃん」
「お前には関係ねぇだろ。要るかどうかは俺が決める」
「今夜はやるってコト? サクラの前では見放したのに、順番が回ってきたら便利に使うワケ?」
「お前が口出すことじゃねぇ……ウサギも納得してんだから、お前は黙っとけ」
「てめェの命令は聞かねェんだよ。——なァ、ウサちゃん、」
ざらりとした呼び声が、私に降りかかった。
まがい物の炎によって暗く光る眼と、視線が合わさる。話に入れずにいたが、理解はしていた。
「オレのとこ、来ねェ?」
「……ろきは、きのう。……あさも」
「ン? もしかして根に持ってンの? ……あんなに可愛く鳴いてくれたのになァ~?」
「………………」
悪意のある言い方を、小さく咎めるように見上げた。ロキは笑って受け流し、
「今夜はしねェって。どうせ後からハオロンが来るだろうし? ゲームでもしよォぜ」
「……はおろん、いる」
「オレがいるし、アンタには何もしねェ……ってか、させねェよ。……ほら、ウサちゃんからも犬に言って。ロキのとこに行ってもい~い? ってさ」
ロキの目線を追ってセトを見ると、飴色の眼も私を見ていた。あまり感情の乗らない顔で、どちらかといえば冷めた目つきで。
「……好きにしろよ」
うっとうしげに、吐息した。
「じゃ、行こォ~ぜっ」
セトの言葉を受け取ったロキの声が、かろやかに誘う。長い手が、こちらに伸びて——思わず、その手から、
「……は?」
「あっ……」
ロキの怪訝な声と、よけてしまった私のもらした声が、綺麗にシンクロした。一歩下がって、セトの上体を盾にしたまま……怖い顔をしているロキと、目が合う。
「……なんで逃げンの?」
「……わ、わたし……せとに、やくそく……したから……」
「なんの話? 犬は好きにすればいいって言ったじゃん」
「それは……いらない、ちがう。……せと、わたし、いらない……いってない」
「はァ?」
「いらない、ちがう、なら……じゅんばんは……まもる。……さくらとも、やくそく、してる」
その名を——出してはいけなかった。
そう気づいたときには、ロキの表情が、ぞくりとするほど温度をなくしていた。一瞬で変わったその顔が、ふっと冷笑をこぼし、
「……アンタもサクラの言いなりだったね……ま、いいけど。犬と楽しい時間を過ごせば?」
最後に試すみたいな目を投げて、ロキは背を向けた。意味ありげな言葉が頭の中に残り、それに囚われていると、「……おい」盾にしていたセトから声がかけられ、思考が止まった。
肩越しに振り返る顔が、「もういいだろ」目線で私の手を示す。無意識のうちに掴んでいたセトの腕の存在に、はっとして、
「ごめんなさい……」
「………………」
謝罪とともに離すと、セトは止めていた足を動かして彼の部屋へと進んだ。——なぜか、その背中は怒っているような……不穏な予感に襲われる。
「……せと……?」
彼の部屋へのドアが開いて、青い闇が廊下とを区切るように薄暗く部屋を満たしていた。それを背負ったセトの顔が、こちらを振り返り——見下ろす。
「入らねぇのか?」
「………………」
「……入るよな。順番は守るんだろ?」
ためらいから動けずにいたが、セトによって強制的に引き込まれた。エレベータのときと同じ、なのに、腕を掴む力が強くて——痛い。
青い闇色の部屋は、ドアが閉まると、その暗さから胸中の不安をあおった。
「わたし、なにか……せとが、おこる……した?」
「怒ってねぇよ」
「……ろきのへや、いく……ほうが、いい?」
「怒ってねぇっつってるだろ」
「……でも、」
「うるせぇな」
翻訳機なんて要らなかった。短い言葉が直接、心を刺し、自然とこわばる身体をドアへと押し付けられた。
——唇が。勢いまかせのキスが、口をふさぐ。一瞬で離れた唇が、耳に触れ、
「抵抗すんなよ」
強く言い含めるように、低く響いた。覚悟が揺るぎそうになるくらい、怖い声で。
私の肩を押さえていた手が、首に回る。顎を掴まれ、動けないまま貪るように唇を奪われた。乱暴なキスとは別に、セトの反対の掌が、服の上から太ももを触った。薄手の布を通して、指先が肌を這うのを感じる。
唇が離れると、青い光源を背にしたセトの顔が黒い影のように見えた。表情ははっきりとしない。でも、怒っている。それだけ、わかる。眼が——怖い。
「……いたい、は……やめて、ほしい……」
震える唇で、それだけ唱えた。頭を埋め尽くす恐怖が表に出ないよう、できる限り落ち着いた声を出したつもりだが、どこまで平静を保てているのか分からない。涙が浮かばないようにするので精一杯だった。
「……乱暴にはしねぇよ」
「……これは、らんぼうじゃ、ない……?」
「あ?」
「……こわい。……せと、いま、こわい」
「お前がそういう顔するからだろ」
「……わたしの、かお……?」
「ロキのときはどうなんだよ。そんな顔してねぇだろが」
「どうして、ろき? ……せとの、ことば……よく、わからない……」
「誰の言葉なら分かるんだ? 俺が不満なら、分かるやつとだけ喋ってろ」
怒気を含んだ声が、命令の響きで身体を縛りつける。言葉のすべてに理解が及ぶせいで、いつもみたいな漠然とした恐怖ではなく、もっと明確な——彼の怒りが、言葉にのって頭に入り込んでくる。怒っている。間違いなく、私に怒っている。——どうして。こんなことなら、ロキについて行けばよかった。逃げるような気持ちが心にじわりと滲んで——でも、でも、ほんとは、私は、
言葉にならない気持ちから、私の服に手を掛けたセトの腕を、ぎゅっと捕まえていた。
「おい、抵抗すんなって言ったろ」
「わ……わたしはっ……」
泣きたい。泣いてしまいたい。誰かに助けてほしい。——でも、そんなことを望んだって、この知らない世界に神様みたいな救いは無い。誰も助けてくれない。
「わたしは……せとと……ちゃんと、はなしたいっ……」
——今、ここで、この場所で。彼らと向き合って——私が、私自身で、現状を変えなければ。
逃げ出したい気持ちは、まだある。押し込まれているだけで、なかなか消えない。けれども、私は彼らに優しさも貰っている。それも、分かっている。最初に私に優しくしてくれたのは、他でもない——
「せとと、いちばんっ……はなしたい……」
今は、信じられる。初めて会ったときから、セトがかけてくれていた言葉は、
——大丈夫か?
——泣くなよ。
きっと、思いやりだった。
セトは私のことを心配してくれている。ティアが言っていた〈護ってる〉は、そういう意味だ。サクラに支配されるこの場所で、それがどんな意味をもつか、分かってきている。
この館でサクラに反してはいけない。ロキですら命令を無視しない。従いたくないのに、従っている。追い出されたくないから——離れたくないひとが、いるから。ロキは多分、セトにまだ昔の面影を捜している。
私も、同じだ。彼らの心を探している。みんながサクラと同じ考えだとは、もう思っていない。セトのことも、知りたいと思っている。怖くても、逃げずに……その眼と、向き合いたい。
「わたし……せとにありがとう……おもってるから……どうして、おこってるか……ちゃんと、しりたい……」
動きを止めた彼が、私の言葉をどう取ってくれたか。
暗さに慣れた視界で、眉を寄せた鋭い目が、私を見ている。その顔は、理解できずに戸惑っているようにも感じられ、脳裏にロキの言葉が浮かんでいた。
——げんごをしらないせいで、あなたをりかいできない。ごかいする。
言葉を遣えないせいで、たくさんの誤解が生まれている気がする。セトを怖いと思ってしまうのも、そこに結び付いている。
言葉を知りたい。感謝を伝えたいから、知りたい。分かり合いたい。この世界で、ひとりぼっちだと思い込む前に、彼らの優しさをちゃんと知りたい。伝えたい。
「せとを、いちばん、しりたい。……いまなら、わかるから……はなして、ほしい……」
耳の翻訳機を指さしてから、見えないかも知れないと思い、セトの手を取って翻訳機に触れさせた。こちらの意図が分からないようだったが、指に当たった機器の感触に、セトも気づいたのか、
「翻訳機……か?」
「はい」
「ロキに貰ったのか」
「はい」
「……俺の言ってることも、全部分かるのか?」
「はい、ぜんぶ、わかる」
「だったら……俺は言いてぇこと、山ほどあるぞ」
「……でも、せとの、よくわからない、から……ちゃんと、たくさん、はなして……ほしい」
「全部分かるっつったじゃねぇか……どっちだよ」
「ほんやく、だけ。……どうして、せとが、おこってる、は……わからない」
「俺は怒ってねぇ」
「………………」
「なんだよ」
「……いまは、すこし、おこってない」
「………………」
「……どうして、おこったか……しりたい」
「だから怒ってねぇって」
「……ろきのへや、わたしに、いってほしかった……?」
「なんでそうなるんだよ」
「……せとの、このみが……わたし、ちがう……から?」
「それはお前だろ」
「……?」
「お前の好みが、俺じゃなくてロキだろ」
「わたしの? ……どうして、ろき?」
「それは俺のセリフだ」
「?」
「……やっぱ伝わってなくねぇか? 多少マシになった——くらいしか実感ねぇぞ」
「だいじょうぶ。それ、わかる」
「ほんとかよ……」
「……せと、」
「なんだよ」
「……オソウは? しない?」
「は? ……は? お前、自分で止めたくせに……」
「……でも、せと、おこってない……いうから……どうして、しりたい……けど」
「どうしても何もねぇよ。俺が怒ってねぇっつってんだから、怒ってねぇんだよ」
「………………」
「……なんだよ。文句あんのか」
「いいえ。……わたし、もんく、いわない。やくそく、した」
「それは……ちげぇだろ……」
「?」
盛大に息を吐き出して、セトが私から体を離した。耳にあった手も、離れていく。その手を宙に振ると、室内のライトが点いた。照明としては暗いほうだが、急な明るさが眩しく目を突き、まばたきしながらセトの様子をうかがう。
「……なんだかんだ言って、結局お前は止めるじゃねぇか……」
「……わかった。もう、とめない。……どうぞ」
「………………」
「……どうぞ?」
「遅ぇよ。もうやる気しねぇ……」
「……どうして?」
「自分で考えろよ……」
あきれたようすの半眼をよこしてから、セトは部屋の内側に向けて歩いていった。その背中からは怒りを感じなかったけれど、これはこれで何かが……すれ違っているような。
「……もう、とめない……よ?」
「もういいから、お前はシャワーでも浴びてこいよ……」
「しゃわー……したら、オソウ?」
「知らねぇ」
分かりあうのは、難しい。
怒っていないけれど、怒っているふうでもある横顔を見つめながら。
セトを理解できるまでの道のりが……果てしないような気がしていた。
メルウィンが自信作と呼んだデザートは、角砂糖サイズの菓子がプレートに並んでいて、リボンみたいな上部の装飾がプレゼントボックスに似ていた。味はもちろん美味しい。見た目も可愛くて、飾っておきたくなる出来ばえだった。
ひとつひとつ味わっていたが、向かいの列で同じようにデザートを食べていた彼が立ち上がったので、残りは急いで口に入れた。私を気に留めることなく彼は出て行ってしまい、あわてて追いかける。
今夜の相手が誰か、知っていた。カードゲームで、私(ロキ)の前に負けたのは……
「せとっ」
食堂を右に出て駆け足で向かう。その名を呼ぶと、エレベータの前に止まっていた金の頭が振り返った。開いたドアの奥へ進むことなく、私がたどり着くまで足を止めてくれていたが、表情は微妙だった。怒ってはいない——はず。
「……なんだよ?」
「きょう、じゅんばん……」
「………………」
「……せと、ちがう?」
「いや、違わねぇけど……」
順番がセトであることを肯定したにも拘らず、近くで向き合う飴色の眼は否定的な雰囲気を帯びている。当然のごとくセトについて行くつもりだっただけに、その反応は……
「……わたし、いらない?」
問いかけておきながら、要らないと返答された場合どうしたらいいのか。ロキを頼るのは、昨夜のこと(朝までずっと——ほんとにずっと、続けられた。あまり思い出したくない)を思うと避けたい。廊下の隅で寝てもいいだろうか。カードゲームの部屋は……私でも入れるのか。
今夜の居場所の候補を思い浮かべていると、考えるように黙っていたセトが口を開いた。
「俺が要るっつったら……俺のとこ来るのか?」
「はい」
「………………」
「……?」
「ロキのとこ行きてぇなら……べつに、無理しなくても……」
歯切れの悪い言い方で、目線をそらされる。背後でエレベータのドアが閉じかけ、セトがそれを制するように乗り込んだ。
共に乗っていいか、迷う。
「……わたしが、へやに、いく……せと、こまる?」
「俺がどうこうじゃなくて。……お前が、ロキのとこ行きてぇんじゃねぇの?」
「……いいえ?」
「行きたくねぇのか?」
「? ……せとが、こまらない……なら、わたし……せとに、……おれいを、したい……」
「礼? ……なんの?」
エレベータとの境界線上で、セトは訝しげに目を細めた。
なんの? そう返されるとは思っていなかった。例を挙げようと頭のなかで言葉を整理し、
「……たすけて、くれた。……ようふく、くれた。……〈いくな〉、してくれた。……まもって、くれた……いつも、まもってる……てぃあも、いってた」
振り返ると数多くの恩がある。そのひとつでも返せたら——私の存在も、すこしは意味を成すだろうか。
セトは無表情に近い顔で聞いていた。言葉の内容を脳内で繋げているようにも見えた。私のほうは聞き取れるようになったが、私の話す言葉はそこまで成長していない。伝わったのか分からない。そもそも私の身体がお礼にならない可能性も。……断られたら、カードゲームの部屋で寝てもいいか尋ねよう。そう決めたとき、
「……護ってくれるなら、俺でもいい——っつぅ話か?」
セトの頭でまとまった答えに、胸の中だけで首をかしげた。なにか違うような……。
どうしてだろう、セトと会話するのは難しい。翻訳機を手に入れたのに、あまり効果がない。返す言葉を選べずにいると、「お前の考えが分かんねぇ」吐き出すようにしてセトが呟いた。ずれていた目線が重なる。
「……わたしが、わからない?」
「俺としたくねぇんだろ? なら素直にロキのとこ行けばいいじゃねぇか。やりたくねぇやつと、俺もやる気ねぇよ」
吐き捨てるように言い終えたセリフが、翻訳機によって再構築され、脳裏に響く。理解するまでに時間を要したせいで、廊下の光に染まった飴色の眼を数秒見つめていた。立体映像で見た、幼い笑顔の面影を探してみたが、どこにもなかった。
セトのセリフがきちんと頭に入ってから、ようやく止まっていた思考を動かし、
「……わたしが、せとと、したくない?」
「そうだろ」
「……わたし、どうぞ、いった……よ?」
「あ?」
「……きのうの、きのう? ……わたしを、どうぞ……わたし、いった」
「どうぞ? ……あぁ、なんか言ってたな……?」
「……きのう、あさも。わたし、オソウ……したい、いった……よ?」
言った——だろうか? 弁明したが、思い起こすと判定があやしい。セトに確認されて同意しただけだったかも。……けれども、間違いなく、したくないとは言っていない。サクラの部屋を追い出されてセトに会ってから、むしろ積極的に向き合う覚悟でいた。つもりだ。
記憶を確認したうえで、主張を支えるべく「わたし、したくない、いってない」セトの目を見返した。オレンジの明かりを受けて、珍しくセトの瞳がゆれた。蜂蜜みたいな眼に困惑が見える。
「お前それ……意味わかって言ってるか?」
「はい」
「はいって……いや、俺が勘違いしてんのか? ……あれか? 襲うって別の意味で? トレーニング的な?」
「……?」
「護身術とか? 俺に教えてほしいのか?」
「……いいえ?」
「……襲うってどういう意味か分かってるか?」
「……へやに、いく」
「全然違うじゃねぇか!」
「……べっどに、いく?」
「あぁ……それなら、まあ」
「……いっしょに、ねる?」
「近い……けど……なんつぅか……」
セトが口の中で何か言っているが、翻訳機が反応しない。なぜセトが戸惑っているか分からない。私は好みでないけれど、私がしつこいから、相手してやらなくもない? と思っている? ……それは恩を返すことになるのか。
「……せと、」
「……ん?」
「せとは、わたしが……きらい?」
「はっ? そんなこと言ってねぇだろ」
「……オソウは、したくない?」
「やめろ……その質問、なんて答えたらいいか分かんねぇ……」
「……わたしが、なめる?」
「は?」
「……なんでも、ない」
どちらともなく言葉を失って黙りこむ。ふと、背後の方で誰かの気配がした。振り返ると、ハオロンが食堂のドアから出て反対側のルートへ向かうようすだったが、くるりとこちらに首を回し、まだ居たの? とでも言いたげな顔をした。
「どぉしたんや~?」
「なんでもねぇよ!」
離れた場所から届いたハオロンの声。それに素早く返したセトが、私の腕を掴んで引いた。エレベータの境界線を越えて、中に。次いでドアも閉まった。
「………………」
「………………」
沈黙が続くかと思ったが、エレベータが滑り出すと同時にセトが口を開き、
「さっきの、全部……今夜は、ロキじゃなくて俺がいいって……受け取るぞ。……否定するなら、今しろ」
「(ロキ?)……わたし、せとと……いっしょに、ねる? ……いい?」
「……もう知らねぇ。あとで文句言うなよ」
「……わたし、もんく、いわない。やくそく、する」
「ほんとかよ……泣いても知らねぇからな」
「……わたしが、なく?」
「お前が泣こうが何言おうが、もう知らねぇ」
「……いたい、は……こまる……」
「そういう話じゃねぇよ……」
横で大きなため息をつくセトが、自身の前髪をくしゃりと触って後ろに流した。横顔を眺めていると、視線に耐えかねたようにしてセトはこちらに横目を向け、
「お前……今日、よく喋るな?」
「……しゃべる、だめ?」
「いや、喋ってるほうが分かりやすい。……つか、俺の言ってることも……けっこう伝わってんのか? さっきから会話できてるよな?」
停止したエレベータのドアが開いた。先に進むセトの背を追いながら、「わたし、わかる……これ、」耳を指さしたがセトは気づいていない。そして、速い。ここだけ開けた空間になる、黒と白の斜め市松模様のフロアをスルスルと進んで行く。サクラのコンパスが長いのとは違って、セトは単にスピードが速い。私を置いて行きたいのかと思うほどの速度に、取り残されないよう早足に進み——もうひとつのエレベータがある角を曲がった先で、どんっと硬い身体にぶつかった。セトの部屋よりも手前。こんな中途半端な所で急に立ち止まるとは思わなかった。
「ごめんなさい……」謝りつつ距離を取る。セトの反応がなく、不思議に思っていると、その大きな背の向こうから「ウサちゃん、見っけ」聞きなじみのある軽い声が。
「……ろき?」
セトの背からのぞくと、ビカビカとした水色が目に入った。その上で、にやっと曲がる唇が……怖い。邪気のある笑顔をしている。セトの顔もそっと見てみたが、不愉快そうにロキを見返していた。かつて演奏を共にしていた仲間とは思えないくらい、ピリッとした空気が走っている。
「なんの用だよ……」
迷惑そうに眉を寄せるセトに、笑ったままのロキが、距離を詰め、
「ウサギさ、今夜オレにくれねェ?」
「は? 今夜は俺の番だろ」
「てめェは、やらねェって聞いたけど? ならウサギも必要ねェじゃん」
「お前には関係ねぇだろ。要るかどうかは俺が決める」
「今夜はやるってコト? サクラの前では見放したのに、順番が回ってきたら便利に使うワケ?」
「お前が口出すことじゃねぇ……ウサギも納得してんだから、お前は黙っとけ」
「てめェの命令は聞かねェんだよ。——なァ、ウサちゃん、」
ざらりとした呼び声が、私に降りかかった。
まがい物の炎によって暗く光る眼と、視線が合わさる。話に入れずにいたが、理解はしていた。
「オレのとこ、来ねェ?」
「……ろきは、きのう。……あさも」
「ン? もしかして根に持ってンの? ……あんなに可愛く鳴いてくれたのになァ~?」
「………………」
悪意のある言い方を、小さく咎めるように見上げた。ロキは笑って受け流し、
「今夜はしねェって。どうせ後からハオロンが来るだろうし? ゲームでもしよォぜ」
「……はおろん、いる」
「オレがいるし、アンタには何もしねェ……ってか、させねェよ。……ほら、ウサちゃんからも犬に言って。ロキのとこに行ってもい~い? ってさ」
ロキの目線を追ってセトを見ると、飴色の眼も私を見ていた。あまり感情の乗らない顔で、どちらかといえば冷めた目つきで。
「……好きにしろよ」
うっとうしげに、吐息した。
「じゃ、行こォ~ぜっ」
セトの言葉を受け取ったロキの声が、かろやかに誘う。長い手が、こちらに伸びて——思わず、その手から、
「……は?」
「あっ……」
ロキの怪訝な声と、よけてしまった私のもらした声が、綺麗にシンクロした。一歩下がって、セトの上体を盾にしたまま……怖い顔をしているロキと、目が合う。
「……なんで逃げンの?」
「……わ、わたし……せとに、やくそく……したから……」
「なんの話? 犬は好きにすればいいって言ったじゃん」
「それは……いらない、ちがう。……せと、わたし、いらない……いってない」
「はァ?」
「いらない、ちがう、なら……じゅんばんは……まもる。……さくらとも、やくそく、してる」
その名を——出してはいけなかった。
そう気づいたときには、ロキの表情が、ぞくりとするほど温度をなくしていた。一瞬で変わったその顔が、ふっと冷笑をこぼし、
「……アンタもサクラの言いなりだったね……ま、いいけど。犬と楽しい時間を過ごせば?」
最後に試すみたいな目を投げて、ロキは背を向けた。意味ありげな言葉が頭の中に残り、それに囚われていると、「……おい」盾にしていたセトから声がかけられ、思考が止まった。
肩越しに振り返る顔が、「もういいだろ」目線で私の手を示す。無意識のうちに掴んでいたセトの腕の存在に、はっとして、
「ごめんなさい……」
「………………」
謝罪とともに離すと、セトは止めていた足を動かして彼の部屋へと進んだ。——なぜか、その背中は怒っているような……不穏な予感に襲われる。
「……せと……?」
彼の部屋へのドアが開いて、青い闇が廊下とを区切るように薄暗く部屋を満たしていた。それを背負ったセトの顔が、こちらを振り返り——見下ろす。
「入らねぇのか?」
「………………」
「……入るよな。順番は守るんだろ?」
ためらいから動けずにいたが、セトによって強制的に引き込まれた。エレベータのときと同じ、なのに、腕を掴む力が強くて——痛い。
青い闇色の部屋は、ドアが閉まると、その暗さから胸中の不安をあおった。
「わたし、なにか……せとが、おこる……した?」
「怒ってねぇよ」
「……ろきのへや、いく……ほうが、いい?」
「怒ってねぇっつってるだろ」
「……でも、」
「うるせぇな」
翻訳機なんて要らなかった。短い言葉が直接、心を刺し、自然とこわばる身体をドアへと押し付けられた。
——唇が。勢いまかせのキスが、口をふさぐ。一瞬で離れた唇が、耳に触れ、
「抵抗すんなよ」
強く言い含めるように、低く響いた。覚悟が揺るぎそうになるくらい、怖い声で。
私の肩を押さえていた手が、首に回る。顎を掴まれ、動けないまま貪るように唇を奪われた。乱暴なキスとは別に、セトの反対の掌が、服の上から太ももを触った。薄手の布を通して、指先が肌を這うのを感じる。
唇が離れると、青い光源を背にしたセトの顔が黒い影のように見えた。表情ははっきりとしない。でも、怒っている。それだけ、わかる。眼が——怖い。
「……いたい、は……やめて、ほしい……」
震える唇で、それだけ唱えた。頭を埋め尽くす恐怖が表に出ないよう、できる限り落ち着いた声を出したつもりだが、どこまで平静を保てているのか分からない。涙が浮かばないようにするので精一杯だった。
「……乱暴にはしねぇよ」
「……これは、らんぼうじゃ、ない……?」
「あ?」
「……こわい。……せと、いま、こわい」
「お前がそういう顔するからだろ」
「……わたしの、かお……?」
「ロキのときはどうなんだよ。そんな顔してねぇだろが」
「どうして、ろき? ……せとの、ことば……よく、わからない……」
「誰の言葉なら分かるんだ? 俺が不満なら、分かるやつとだけ喋ってろ」
怒気を含んだ声が、命令の響きで身体を縛りつける。言葉のすべてに理解が及ぶせいで、いつもみたいな漠然とした恐怖ではなく、もっと明確な——彼の怒りが、言葉にのって頭に入り込んでくる。怒っている。間違いなく、私に怒っている。——どうして。こんなことなら、ロキについて行けばよかった。逃げるような気持ちが心にじわりと滲んで——でも、でも、ほんとは、私は、
言葉にならない気持ちから、私の服に手を掛けたセトの腕を、ぎゅっと捕まえていた。
「おい、抵抗すんなって言ったろ」
「わ……わたしはっ……」
泣きたい。泣いてしまいたい。誰かに助けてほしい。——でも、そんなことを望んだって、この知らない世界に神様みたいな救いは無い。誰も助けてくれない。
「わたしは……せとと……ちゃんと、はなしたいっ……」
——今、ここで、この場所で。彼らと向き合って——私が、私自身で、現状を変えなければ。
逃げ出したい気持ちは、まだある。押し込まれているだけで、なかなか消えない。けれども、私は彼らに優しさも貰っている。それも、分かっている。最初に私に優しくしてくれたのは、他でもない——
「せとと、いちばんっ……はなしたい……」
今は、信じられる。初めて会ったときから、セトがかけてくれていた言葉は、
——大丈夫か?
——泣くなよ。
きっと、思いやりだった。
セトは私のことを心配してくれている。ティアが言っていた〈護ってる〉は、そういう意味だ。サクラに支配されるこの場所で、それがどんな意味をもつか、分かってきている。
この館でサクラに反してはいけない。ロキですら命令を無視しない。従いたくないのに、従っている。追い出されたくないから——離れたくないひとが、いるから。ロキは多分、セトにまだ昔の面影を捜している。
私も、同じだ。彼らの心を探している。みんながサクラと同じ考えだとは、もう思っていない。セトのことも、知りたいと思っている。怖くても、逃げずに……その眼と、向き合いたい。
「わたし……せとにありがとう……おもってるから……どうして、おこってるか……ちゃんと、しりたい……」
動きを止めた彼が、私の言葉をどう取ってくれたか。
暗さに慣れた視界で、眉を寄せた鋭い目が、私を見ている。その顔は、理解できずに戸惑っているようにも感じられ、脳裏にロキの言葉が浮かんでいた。
——げんごをしらないせいで、あなたをりかいできない。ごかいする。
言葉を遣えないせいで、たくさんの誤解が生まれている気がする。セトを怖いと思ってしまうのも、そこに結び付いている。
言葉を知りたい。感謝を伝えたいから、知りたい。分かり合いたい。この世界で、ひとりぼっちだと思い込む前に、彼らの優しさをちゃんと知りたい。伝えたい。
「せとを、いちばん、しりたい。……いまなら、わかるから……はなして、ほしい……」
耳の翻訳機を指さしてから、見えないかも知れないと思い、セトの手を取って翻訳機に触れさせた。こちらの意図が分からないようだったが、指に当たった機器の感触に、セトも気づいたのか、
「翻訳機……か?」
「はい」
「ロキに貰ったのか」
「はい」
「……俺の言ってることも、全部分かるのか?」
「はい、ぜんぶ、わかる」
「だったら……俺は言いてぇこと、山ほどあるぞ」
「……でも、せとの、よくわからない、から……ちゃんと、たくさん、はなして……ほしい」
「全部分かるっつったじゃねぇか……どっちだよ」
「ほんやく、だけ。……どうして、せとが、おこってる、は……わからない」
「俺は怒ってねぇ」
「………………」
「なんだよ」
「……いまは、すこし、おこってない」
「………………」
「……どうして、おこったか……しりたい」
「だから怒ってねぇって」
「……ろきのへや、わたしに、いってほしかった……?」
「なんでそうなるんだよ」
「……せとの、このみが……わたし、ちがう……から?」
「それはお前だろ」
「……?」
「お前の好みが、俺じゃなくてロキだろ」
「わたしの? ……どうして、ろき?」
「それは俺のセリフだ」
「?」
「……やっぱ伝わってなくねぇか? 多少マシになった——くらいしか実感ねぇぞ」
「だいじょうぶ。それ、わかる」
「ほんとかよ……」
「……せと、」
「なんだよ」
「……オソウは? しない?」
「は? ……は? お前、自分で止めたくせに……」
「……でも、せと、おこってない……いうから……どうして、しりたい……けど」
「どうしても何もねぇよ。俺が怒ってねぇっつってんだから、怒ってねぇんだよ」
「………………」
「……なんだよ。文句あんのか」
「いいえ。……わたし、もんく、いわない。やくそく、した」
「それは……ちげぇだろ……」
「?」
盛大に息を吐き出して、セトが私から体を離した。耳にあった手も、離れていく。その手を宙に振ると、室内のライトが点いた。照明としては暗いほうだが、急な明るさが眩しく目を突き、まばたきしながらセトの様子をうかがう。
「……なんだかんだ言って、結局お前は止めるじゃねぇか……」
「……わかった。もう、とめない。……どうぞ」
「………………」
「……どうぞ?」
「遅ぇよ。もうやる気しねぇ……」
「……どうして?」
「自分で考えろよ……」
あきれたようすの半眼をよこしてから、セトは部屋の内側に向けて歩いていった。その背中からは怒りを感じなかったけれど、これはこれで何かが……すれ違っているような。
「……もう、とめない……よ?」
「もういいから、お前はシャワーでも浴びてこいよ……」
「しゃわー……したら、オソウ?」
「知らねぇ」
分かりあうのは、難しい。
怒っていないけれど、怒っているふうでもある横顔を見つめながら。
セトを理解できるまでの道のりが……果てしないような気がしていた。
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