【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.11 致死猫は箱の中

Chap.11 Sec.10

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 ひとまずシャワーを浴びた。厄介払やっかいばらいされた感もあるけれど。言われてみると昨日はシャワーを浴びていないので、必要なことだと思い、提案を受け入れた。

 バスルームから出ると、セトは例の大きなリクライニングチェアにいた。もし眠っていたら、セトの頬に残っている傷に治療フィルム(というらしい。ロキに頼んだら貰えた)を貼りたかったのだが……この際なので、起きていてもいいから、貼らせてもらおうか。勝手に貼るのは怒られる気もするので、そのほうが正しい判断かも知れない。

 先ほどまで着ていた服のポケットから、治癒フィルムを抜いて手に持ち、セトの横まで近寄った。セトは透明のサングラスに見えるガラスのような物質越しに、鋭く一瞥いちべつして「何もしねぇから、好きに過ごせよ」投げやりな空気で告げ、目線を前に戻した。怒っていないのだろうけど、機嫌がよい感じでもない。拒んだことが(拒んだつもりではなかったのだけれど……)尾を引いている。

「……せと」
「……なんだよ」
「ひとつ、おねがい……ある」
「は? お願い?」
「これ……いい?」

 治癒フィルムのシートを見せて、セトの頬を指さした。セトは手の中のそれを見つめたまま、

「治癒フィルム?」
「これ、せとのかおに……つけたい」
「……なんでだよ?」
「………………」

 傷が残っているから。治すために。そういったことを伝えたいが、傷はなんと言うのだったか。……記憶から言葉を取り出せない。言葉をメモしておくノートが欲しい。そういえば、この世界でペンもノートも見かけていない。

 適した言葉が見つからないので、セトの頬を示したままの人さし指を、目立つ傷へと当てた。

「ここ、いたい」

 そっと触れたつもりだったが、セトはビクッと過剰なくらい身を引き、思わず私まで驚いてしまった。

「……ごめんなさい?」
「な……んだよ?」
「……さわる、すると、いたい?」
「いや、痛くねぇけど……いきなり触るな」

 注意とともに睨まれた。迫力に負けて後ずさりかけたが、半歩下げた足を戻して「はっても、いい?」再度申し入れる。セトの目つきにも、多少は慣れつつある。多少。

「要らねぇよ。どこもケガしてねぇし」
「けが……してる」
「は? してねぇけど」
「してる。……ここ」
「っ……触んなって!」
「さわってない、よ?」
「触ろうとするな!」
「……してない……」
「——とにかく! 気安く触るな。近寄って来るな」
「………………」
「……おい、そんなあからさまに……っまて! 泣くなよっ? 泣くようなことは言ってねぇだろっ?」
「……ないてない」
「ならその顔やめろよ! なんでお前はすぐそういう顔すんだよ!」
「………………」

 そんなこと、言われても。
 セトが怖いから——なんて返せるわけがない。いちおう表情は消そうと努力しているのだから、これ以上どうしようもできない。慣れるしかない。たぶん、お互いに。

「……わかった。わたし、ちかよらない」

 治癒フィルムを諦め、セトの意をんで離れた。

 セトの部屋には他人のためのイスがない。立方体の内部のような室内は、がらんとしていて所在なげでもあるが、手首のブレスレットで時間をつぶすことはできる。リクライニングチェアから遠い反対の壁まで移って、寄りかかりながらブレスレットに触った。文字が読めるようになっているので、使えるアプリを順に確認していこうかと——思った、矢先に、

 ……舌打ちが聞こえた。ものすごく苛立った感じの、よくない響きで、セトのいる方から。
 身体に緊張が走る。そっと目線だけで確認すると、セトがリクライニングチェアから立ち上がっていた。そのまま離れた距離を埋めて私の前までやって来るものだから——近寄るなと言ったのに、セトが来るのはありなのかと——小さな衝撃を受けていた。

 ブレスレットに触れていた手を、掴まれる。
 見上げると、深い金の眼が。

「……さっきのは、撤回する」
「? ……なにもしない、やめる? ……いっしょに、ねる?」
「それじゃねぇ……」

 セトはうめき声で否定したが、「いや……もうそれでいい。そっちも撤回する」思い立ったように肯定しなおして、私の腕を引いた。
 ベッドの方に足を向けて、首だけ軽くこちらに回し、

「今度こそ抵抗すんなよ。……嫌なら、いま言え」
「……はい」
「……それはどっちだよ?」
「わたし、ていこう……しない。もんく、いわない」
「…………あと、泣くな」
「なかない、やくそくする」
「……あっそ」

 部屋の中央に鎮座する大きなベッドは、身体を預けるとひんやりとしていた。
 胸中に恐怖はなく、むしろ役目を果たせることに安心感を得ていた。心の奥底にいる、青い眼とワイングラスの残像から、目をそらしていられる。

——飲む気になるまで、待つとしようか。期限は……

 サクラが提示した“セトの代わり”は、何も解決していない。引き延ばされた——だけ。

 寝そべった状態で、上から見下ろす金の眼を眺めた。

「……やめろって言うなら、今だからな」
「いわない。……だいじょうぶ」
「………………」

 セトの眉根に刻まれたのは、苛立ちか困惑か。
 判断できずにいると、力強い手が柔らかなローブの隙間から入り、素肌に触れた。温かな手が肌を撫で、するりとローブを落としていく。こういうとき、私は何をするのが適切なのだろう。寝そべったままでいいのか、自分で脱いでみせるのか。ロキなら——「可愛いことでも言って」とか。

「……せと、」
「あ? やめろって?」
「ちがう。……それは、いわない」
「なら……なんだよ」

 明るいなか近くでよく見ると、セトのくすんだ金髪は根本が黒い。これが本来の髪色なのだろうか。黒髪だったら印象も変わっていたのかも……そんなことは、ないか。セトの怖さは目つきに要因がある。

 眺めていた目を伏せぎみに外して、頭に浮かぶ言葉を口にした。

「わたし、せとが、すき」

 愛してるは、いくらなんでも違和感が強い。
 でも、抵抗や拒絶の意思がないことを示すために、これなら——口にできる。
 こんな表面的な発言で可愛いとも思えないが、歩み寄りにはなるか、と……

 思ったが、戻した目線の先で、ひどく怖い目とかち合った。

「ごめんなさいっ……」
「は? なんで謝るんだ?」
「……せと……おこってる……」
「はぁっ? 怒ってねぇよ! なんで今怒る必要あんだよっ」
「わたしが……かわいくない、から……?」
「どういう理屈だ! ……つぅか、そんなこと……一度も思ってねぇっ」

 怒ってないと言えるひとの顔ではなかったはずだが、きっぱりと否定したセトはみ付く勢いで唇を重ねた。とっさに閉じたまぶたの裏で、ロキの嘲笑と——「へたくそ」——指摘された記憶が浮かんだ。私の発音が悪いのか。

 考えているあいだに、セトの舌が口内に差し込まれた。セトのキスは性急で、口の中で追い詰めるように私の舌を捕まえる。逃がさない——そういう意思がみえるような、すこし一方的にも思えるくちづけ。
 ただ、応えるように舌を差し出すと、意外なほど優しく受け止めてくれる。熱く濡れた舌の交感だけなら、セトは怖くない。眼も見えない。余計なことをせず、黙って大人しく受け入れているのが正解なのか。

 唇を重ねたまま、両脚を割って入ってきたセトの膝が、ベッドをきしませた。胸を包む大きな掌が温かい。初めての夜が思い浮かぶ。セトとは関わりが強い気がしていたが、性交自体はこれが2度目になるのか。……さすがに、今回は中断されないだろうから。

 存在感の強い掌が、あちこちの肌を擦っていく。手の皮膚が厚いのか、境界がはっきりとしていて、その指先で下半身をなぶられると身構えてしまいそうになる。入り口で動く指の存在から意識をそらそうと、頬をくすぐるセトの髪に気持ちを向けた。首筋に当たる吐息に身を硬くしたが、咬み付かれることはなかった。

 目の置き場が定まらない。セトの顔を見たとして、狼みたいな眼で睨まれたら、きっと心ごとすくんでしまう。——だから、視線は合わさないほうがいい。そのほうが上手くいく。

 黒く高い天井の端を見上げて、そこに少年のセトをえがいてみた。目の前の青年が、あんなふうに笑うなんて信じられない。ほんのすこし笑うくらいなら、見たことがあるけれど。今の姿で屈託くったくのない笑顔は想像できない。
 ——思い返すと、無邪気な笑い声は聞いたことがあったかも……。あれは、どうして笑ったのだったか。

「……ウサギ」
「……?」

 呼び名に、意識をへと引き戻された。目線を天井からセトへ移すと、蜂蜜色の眼が近くにあった。タイミングが良かったのか、怖くはない。その眼は記憶のなかの少年と同じものだった。

「……起きてるのか。反応ねぇから……眠ってるのかと……思った」

 そんなわけ、ない。
 この行為が眠ってしまえる程度のことなら、初めから悩んでいない。

「……眠いのか?」
「いいえ」
「どっか痛いか?」
「いいえ、だいじょうぶ」
「………………」
「……せとは?」
「ん?」
「……いたくない?」
「それは……そうだろ。普通こっちは痛くねぇよ」

 そうなのか。摩擦で痛いこともありそうだが……セトにとって痛くないのが当然なら、こちらも気が楽だ。

「せとは……きょう、やさしい?」

 記憶をさかのぼっていて気づいたが、以前したときは(後半において)乱暴だった——は、言いすぎになる。近い表現でいえば、激しかった——と思う。
 ぼんやりした脳で尋ねた先、彼の眉間がきゅっと細くなった。

「物足りねぇって?」

 低い声とともに、奥を突かれた。反射的に出かけた声を抑えようと、会話を切って口を閉じる。
 そういう意味じゃないと伝えたくて、言葉の代わりに首を振った。しかし、伝わらなかったのか、セトは掌で私の頭を押さえ込んで、より強く腰を突き上げてくる。

 やっぱり黙っておくのが正しい。自分のなかでは良い意味であっても、相手もそう捉えてくれるとは限らない。余計なことなんて、口にするべきじゃない。……ほんとうに、終わるまで眠っていられたらいいのに。

 奥深くまで、えぐるように動くものに耐えようとして、目を閉じた。眠れるなんて期待は、もちろんしていない。
 固く結んだ唇の内側で、奥歯をむ。声を呑み込んでしまえば、セトから与えられる感覚も、身体のなかで行き場をなくして消えてしまう気がした。何もしていないのと同じくらい、この行為の本来の意味がなくなるように。心を押し込めて。
 ——けれども、セトの歯が首筋に当たった瞬間、

「あっ、いや——!」

 弾けた予感に逃げようとしたけれど、頭を押さえられていたせいで、まったく動けなかった。
 覚悟する間もなく鋭い痛みが首を貫き、全身がこわばる。声をあげたときに開いていた眼を、じわりと涙が覆った。

(乱暴にはしないって、言ったのに——)

 脳裏に湧いた感情から、訴えるようにセトを見返してしまい、首から顔を離した金の眼と近すぎる距離で視線が合わさった。

「……わりぃ。今のは、痛かった……か?」
「…………どうして、おこった、の……?」
「いや、怒ったわけじゃ……」
「……おこってない、のに……らんぼう、するの……?」
「乱暴って……少し咬んだだけだろ」
「……すこし?」

 〈少し〉の定義が分からない。残る痛みからも、思いきり咬み付かれたと思う。

「……せと、よく、、する」
「……そうか?」
「どうして?」
「いや、理由訊かれても……そんなに咬んでねぇと思うけど……?」

 どういうことなのか説明が欲しかったけれど、本人は自覚していないみたいだった。……無意識に咬んでいるなら、とても怖い。

「まぁ、これで目ぇ覚めただろ」
「……わたし、ねむってない……」
「なら黙ってねぇで反応しろよ」
「…………どうして?」
「どうしてってなんだよ?」
「……どうして、だまってるの、だめ?」
「反応してくれねぇと、どれが気持ちいいのか分かんねぇだろ」
「……それは、いらない……」
「は?」
「……せとが、すきなほうで、いい。……わたしは、いらない」

 私を気にするくらいなら、早く終わってくれるほうが嬉しい——これはおそらく不興を買うので、口が裂けても言えない。
 言葉を忘れたみたいに押し黙ったセトは、しばらくのあいだ止まっていた。

「……けどよ……乱暴は嫌なんだろ?」
「……せとは、らんぼうが、したい?」
「やめろ。その質問はふざけてるだろ」
「……ふさげて、ない」
「だとしても訊くな。したいっつったらどうすんだよ。やりたくねぇことを、わざわざ訊くな」
「…………せとが、したいなら……どうぞ」
「——は?」

 ふいに低くなった声音は、苛立ちが混じった気がした。警戒する思考がそれを察知して、怒りに繋がらないよう対処すべきだと訴える。

「わたし、せとに……かんしゃ、してる。……だから、せとのしたいこと……したいと……おもう。……どうぞ」

 言い足りないと思う部分を補強して、もう一度、言い直した。
 近くにあった金の眼が、ぱちりと瞬き、

「お前……なんか薬でも入れたのか?」
「……クスリ?」
「いや、なんでもねぇ……」
「……?」

 口を濁して目をそらしたセトを、疑問に思いつつ見つめていると、

「乱暴にしたいわけじゃねぇから、そんなこと言われても……困るけど。……ただ、それとは別に……したいことっつうか……どうせなら、最初に言ってたやつが……空耳じゃねぇなら、もういっかいぐらい……聞きてぇと、思ってる……ような?」

 なんだか不明瞭な話し方だと感じていたら、翻訳機からも要領を得ないセリフが届いた。長い文になると翻訳の精度が下がる気がする。抽象的な表現をうまく訳せていないだけなのだろうか。それとも、正しく訳したうえで、私の理解が及ばないセリフになっているのだろうか。

「……わからない。もういちど、いって」
「はっ? 分かるんじゃねぇのかよ?」
「よく、わからない。らんぼうは、こまるけど……はじめに、いってた、ソラミミ? ……ちがう? なら……ききたい?」
「…………分かってるじゃねぇか」
「よく、わからない。……もういちど、おねがい」
「はぁっ?」
「つぎは、みじかく、いってほしい」
「短く……? 最初に言ってたやつ、言ってくれよ?」
「? ……せとに、かんしゃしてる?」
「それじゃねぇよ。もっと前」
「もっとまえ……いつ?」
「……いや、いい。なんでもねぇ」

 目を合わせずに話を打ち切られた。
 セトの求めているものが分からない。普段から、余計なことを言ってしまって怒らせているイメージが強い。

 怒らなかった言葉は何があっただろうか。記憶から探っていると、セトが上体を起こし、私の脚を抱えたかたちで腰を動かし始めた。意識が向かないようにしたいが、強さが増したせいで腰に響く。痛くはないが無視できない。身体の中から蹂躙じゅうりんされるような錯覚を、なんとかできないものか。

 ……音楽とか。翻訳機から流せたら、気を紛らせそう。きっと静かすぎるのがよくない。互いの吐息の音や、ふとしたタイミングでこぼれる声が、生々しい。
 恋人ではないのに、恋人のまねごとみたいだから——かなしい。

 現実逃避する頭が、セトの歯の感触に気づいて警戒心をいだく。再び重なった身体のあいだで、首根あたりに軽い痛みが刺さった。たぶん力加減を配慮されている。これなら〈少し〉といえる。
 それでも、ひくりと刺激に震える身体には、力が入った。拳を握りしめようとしたけれど、手首をセトによって強く押さえられているせいか、そこだけうまく力が入らない。手首にかかるセトの力は、痛い。

 乱暴かどうか吟味するのは無意味だ。セトが気持ちいいのなら、それが一番で、あとはどうでも——。

「ウサギ、……痛くねぇか?」

 意識を割って、耳に、低い声が注がれた。
 その音が、泣きそうなくらい——優しくて。
 珈琲の香りをまとった記憶が、ふわりと身体を包む。

——な? 怒ってねぇだろ?

 怒ってない。
 セトが、何度もくり返し口にする言葉。
 怒っている場合も確実にあるとは思うけれど……それでも、私を怖がらせないように、言い聞かせるために、その言葉をくれるのだろう。

 乱暴だけど、優しいひと。
 こんなかたちでなければ、もっと違う関わり方をしていれば——親しくなれた、かも、知れない。

「……だいじょうぶ」
「……お前、なんか余裕だな……」
「よゆう……ちがう」
「そうか……? あんま分かんねぇ……つか、俺が……無理だ……」
「……いたい? ……だいじょうぶ?」
「いや、だから……痛くはねぇって……」
「……?」
「…………体勢、変えていいか?」
「……はい」
「ん」

 確認すると、引き抜いて私の身体を後ろ向きに回した。以前は好き勝手に体勢を変えていたと思う。
 優しくされている。痛みに繋がること以外は、気にしなくても、いいのだけれど。

 両手と膝をついた——四つばいの姿勢で、後ろから挿入された。背中にセトの体温を感じる。顎の下から首に回された大きな手に固定され、深く入り込まれる。
 常にどこかしら押さえられているのは、なぜだろう。逃げるとでも思っているのか……今さら逃げるはずも、ないのに。

 髪越しではあったが、首根にセトの顔があるのが分かった。逃げるつもりはないけれど、この体勢は咬みやすそうで、不安がつのる。

 そんな不安を抱えて緊張していたが、セトは咬み付くことなく、すこし経って上体を離した。腰を掴まれ、落ち着いていた動きが、また強い勢いに戻っていく。
 激しく突かれると怖い気がする——漠然とした懸念をいだいていると、ふいにセトの動きが止まった。ぴたりと、何かを思い出したみたいな、唐突な停止。
 不思議に思って振り向こうか迷っていたところ、背中に触れる指先を感じた。背の上に残っていた長い髪の一部が、セトによって首から顔の横に落とされる。腰の動きは止まったまま。あまりに長い静止から、振り向こうと決めて、顔を——回そうとした。

「……せと?」

 呼びかけると、背後で、まるで笑い声みたいな小さな呼気の音が鳴った。笑い声というだけで、笑うタイミングではないから、違うと……思う。ただそれは嘲笑にも似て、身体にぞくりと響いた。

 顔までは、見えなかった。中途半端な状態で、振り向こうとした顔を止めるように肩をきつく押さえられた。

「——そうだよな。お前は、こういうの、慣れてるんだよな」

 背にかかる声が、ひどく冷たい。
 状況を理解できていない私は置きざりで、セトは独り言のように言葉を続けていく。

「これは、ティアか? ……いや、あいつのわけねぇか……ハオロンか、ロキ? ……サクラさんってことは……ねぇよな」

 指先が、首の後ろから肩口へ、何かを確かめるようになぞっていく。

「お前にとったら作業みてぇなもんか……ロキに言ってたセリフも、俺には言わないだけで……ほかのやつらには言ってんのか?」
「……よく、わからない……なんの、はなし……?」

 翻訳機を通しても、分からない。話の内容を尋ねるが、答えはなく、代わりに身体が離れた。肩を押さえていた手も外され、止めるものもないので振り返ると、脱ぎ捨てたはずの服を、セトが拾い上げていた。

 何事もなかったみたいに——むしろ、事が終わったかのようにして——服を着ていくのを茫然ぼうぜんと眺めてしまってから、着終わったセトと、目が合った。

「……俺は、出てくから。お前はそこで寝ろよ」
「……わたし、なにか……した……?」
「いや、お前は何も。俺の勘違い——つか、忘れてただけだ。お前にとってこれは、お礼なんだろ? 最初に会った日も……そうだったな。……なのに、口先だけの言葉を……なんでか、に受けちまった」
「? ……わたし、……ほんとうに、かんしゃしてる」
「それは分かった。俺も、お前を引き止めたのを悪いと思ってたから……もうそれで、相殺そうさいしてくれ。感謝しなくていい」
「……おれい、いらない……?」
「要らねぇ。……言ったろ? 俺とやりたくねぇやつと、やる気しねぇって」
「…………わたしは、したい」
「それ、本心で言ってるか?」
「……はい」
「サクラさんの指示が、なくてもか?」
「……はい」
「お前がハウスに来なかったとしたら? 俺に借りがなければ、どうなんだ? お前は俺と……本当は、やりたくねぇんじゃねぇの?」

 一瞬、頭が真っ白になった。
 否定すべきだと思ったときには、遅すぎて。セトが薄く息をつき、「ほら見ろ」そう言うと、ベッドの上にあったローブを私の肩に掛けた。

「ほかのことでが成り立つなら、俺と寝るより、そっちがいいんだろ?」
「…………ほかのこと、わたし、ない」
「そんなことねぇよ。俺の仕事、手伝うとか……まぁ、なんでもあるだろ。お前がやれそうなの、考えとく」
「………………」
「なんだよ?」
「……せとは?」
「……は?」
「せとは、わたしと、……したく、ない?」

 セトの目線が落ちた。数秒のあいだ斜め下に目を止めていたが、こちらに戻し、

「お前、ほかのやつの前だと、笑うんだってな」

 答えにはならない言葉を、返された。
 急な指摘に、翻訳の間違いかと思ったが、セトの口から出た単語もそのような感じではあった。しかし、それがなんのために発せられたのか分からない。

「俺の意見は言っただろ」
「………………」
「はっきり言わねぇと分かんねぇか?」

 動かない私を見かねて、セトはローブの前を閉じると、私の目を見すえ、

「——お前とは、やりたくない。必要ない」

 とてもシンプルで、分かりやすい言葉をくれた。
 そのままでも、十分に理解できるほど。

「…………わかっ……た」

 小さく返事をする。
 それを聞き取ったセトが立ち上がって部屋から出ていくのを、とくに何も言わずに見送った。

 部屋の電気はどうやって消せばいいのだろう——そんな、どうでもいいようなことが思い浮かんだころには、明かりが落ちて、室内は最初のほの青い闇に包まれていた。
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